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日本海学推進機構設立記念シンポジウム 第2部「日本海学のステージとしての富山」
(司会) ただいまからパネルディスカッション第2部を開催いたします。テーマは「日本海学のステージとしての富山」です。 第2部コーディネーター、パネリストの方々をご紹介いたします。 まず、皆様から向かって一番左の方から、コーディネーターを務めていただく株式会社アイバック代表の小沢伊弘さんです(拍手)。国際関係や経済分野などで幅広くご活躍されています。 続いて、張頸富山大学助教授です(拍手)。日本海や富山湾の水循環環境等について精力的に研究をされています。 続いて、新居千秋都市設計事務所代表の新居千秋さんです(拍手)。国際的な建築設計に携わっておられ、砺波地区の田園空間ミュージアム構想にもかかわっておられます。 次は、水嶋一雄日本大学教授です(拍手)。環境地理学がご専門で、入善町のご出身です。県東部平野部の水循環の研究調査もなさっています。 次は、米原寛立山博物館館長です(拍手)。歴史的な観点から立山信仰をはじめとして、山と人間のかかわりを研究しておられます。 一番右が、布村昇富山市科学文化センター館長です(拍手)。動物分類学がご専門で、生物多様性などを研究されています。 それでは、マイクを小沢さんにお渡しします。 1富山のステージでの活動
今日は日本海学ということですが、なかなかおわかりになりにくい部分があると思います。それで、このようにとらえてみたらどうかと思うのです。 先日、非常に悲しい事件ですが、2月1日にシャトル・コロンビアがああいう状態になりました。あれは宇宙ステーションというか、宇宙にある実験室から戻ってきたことになるわけです。おそらく宇宙の中にある実験室というのは、ある目的を持って、そこでいろいろな研究が行われるわけです。皆さんお聞きになっていますように、小学生が出したメダカの実験など、あのようなことがどういう意味を持っているのかといいますと、結局バイオテクノロジーといいますか、宇宙に人間が進出していく前に通っていかなければいけないいろいろな学問体系が一つにまとまって、いってみれば宇宙学というものを想定していかなければいけないという状態にあるのではないかと思うわけです。 日本海学というものをこれからどのように理解すればいいかというと、まず、この場所に我々がいます。第2部のパネルディスカッションのテーマが「日本海学のステージとしての富山」という話になっているわけですが、今、この中でいったいどういう思いを持って研究をしている方々がいらっしゃるかということで、今日ここにおそろいの皆さんは、このステージの中で活躍していらっしゃる方々なわけです。そうしますと、皆さんがやっていらっしゃることの話の中から、これからの日本海学というのはどういうものなのだろう、またどうなのかというヒントが得られればよろしいのではないかということで、この第2のパネルディスカッションを展開していきたいと思います。 それでまず、張さんの目の前にお水がありますが、これは「日本海の深層水」という水なのです。「日本海の深層水」という名前が付いていますが、この水のほとんどは中国から来ているらしいのです。ですから、中国の水がおかしくなりますと、はっきり言って、日本海の深層水は全く使い物にならなくなってしまいます。せっかく商売を始められて、これからというところで、これをあとでぱあにしてしまう可能性もひとつあります。そういうところで、わざわざ日本に来ていただいて、一生懸命いろいろな研究をされている張さんに、どういう研究、活動をしていらっしゃるかというところを最初にお話をお伺いしたいと思います。
(張) ご紹介ありがとうございます。少し短いイントロダクションをさせていただきます。今日この場になぜ私がいるのかといいますと、実は最初に誘われたときに非常にとまどったのです。こうして見ても、未熟な私がここにいるのは非常にふさわしくないのです。しかし、私なりに解釈して、きっと皆さんは私にメッセンジャーとしての役割を果たしてほしいと。言い換えれば、私は日本海をフィールドとした研究と教育の最前線にいるわけですが、その最前線のメッセージを、ここに来ていらっしゃる皆さんと富山県民の一人一人、そして、もちろん世界に向けて報告する義務があるのではないかと思って来ました。 今日のテーマですが、「循環」と「共生」というキーワードを第1部のパネリストの先生方も語ってくださったのですが、もちろん人と人、国と国のかかわりという「環(わ)」がありますし、特にその中でもっと大きくいえば、人と自然の「環」なのです。 先程、小沢先生から、コロンビアシャトルの事故の話も出たのですが、私は初めて宇宙から地球を眺めたガガーリンというロシア人の「地球は青かった」という言葉がずっと耳の奥に残っています。最初に海の分野を選んだのはその言葉が大きかったのですが、宇宙から眺めた地球というのは青一色で、そこには海と陸しかありません。宇宙からは人間は映りませんので。そうしますと、1つの生き物として考えた場合、地球そのものの循環を知る必要があるのではないかと思っています。 今日ここでお話しさせていただきたいのは2つの循環です。まず最初の循環は、最近深層水がブームになっていまして、富山湾ではなくて高知、沖縄の深層水のラベルに1本のベルトが書かれているのをご覧になったことがあると思います。宇宙から見ますと、地球のように青一色の惑星は、偶然でしょうが、きわめて珍しいのです。ですから、生命の源にもなったわけですが、その地球環境をつくり上げたのは、地球の歴史を延々と見てみますと、生まれて46億年、海ができて38億年。小泉先生の方がずっと詳しいのですが、温暖で生活しやすい環境ができたのは、わずか最近の1万年にすぎないのです。 そのルーツをたどってみますと、実は世界には7つの海がありまして、それは1本のベルトでつながっています。メキシコ湾流から始まって、その暖流がグリーンランド沖で一度海底に沈んで、沈んだ水が800年かけて南極にたどり着いて、1200年かかってインド洋の真ん中、そして1600年かかって北太平洋のど真ん中まで湧昇してくるのです。そのベルトは、いわば地球のエアコンなのです。それが地球の環境を守っているわけです。 一方、私たちの隣の日本海も、似たような循環をしています。この循環のスケールは200年です。ですから、世界の1つの循環は2000年なのですが、その1割という短い時間で、それが隣の海に見えるわけなのです。現在、人間環境と地球環境のインタラクションの中で、微妙な変化は激しく起こっているわけで、それを知るためにも世界を知る必要がもちろんあるのですが、富山湾を知ることで日本海を知る、日本海を知ることで世界を知るというのが大きな目的なのです。 もう1つの今日の話題は、これからスライドで紹介させていただきたいのですが、最近行った研究の1つで、小さな「環」なのです。 (以下、スライド併用)
わかったことをここに簡単に書いてあります。およそ1万年前の根っこなのですが、1万年前の富山湾の海水準は、現在に比べておよそ100メートル低いのです。そのあと氷期が終わって地球が温暖になり、氷が溶けて海水面が上昇したことによって、もともと陸上にあったものが現在海底にあるわけです。さらに侵食することによって、現在の根っこが露出しているわけです。右の写真は、自分で潜って撮ってきたものです。 問題は、なぜ根っこが数千年も腐らず保管ができたかということです。仮に夏に朝、トマトでもスイカでもいいのですが机にボンと置いておくと、きっと夕方になるとにおってくると思います。海もそうなのですが、夏の海面の温度は気温とほぼ一緒で35〜36度になります。その数十メートル下もそんなに冷たくなりません。そうすると、長く保管されているのには、何かわけがあるのです。そのわけは、下から延々と温度の低いきれいな地下水が湧いてくるからです。これはおよそ十数年前にわかってきたことなのですが、その水はどこからどのように流れてきたか。早くいえば地下水なのです。地下水が海底に出てくることが、海に何らかの影響を及ぼすわけです。それが知りたくて研究を始めました。
それでわかったストーリーは、こういう感じです。まず海底から出てくる淡水ですが、それはもともと800〜1200メートルで降った降水でした。夏の雨プラス冬の雪です。さらに地下に潜って10〜20年かけて海底から湧いてきたのです。陸水には、非常に豊富な栄養分が含まれています。皆さんご存じのように食物連鎖の一番ボトムにあるのは食物プランクトン(植物性の微生物)ですが、それが食べる餌は全部陸水に入っているのです。今までの常識としては、河川水がそれを運んでくるということだったのですが、私たちのストーリーでわかったことは、この海底に潜ってきたものが、なんと川から運ばれてきた水を超えた量、1.2〜2倍が富山湾に注いでいるということです。そうしますと、富山湾の生態系を支えているのは、川はもちろんですが、さらに重要になってくるのは海底から湧きだす淡水です。それで最近、このような海底から出てくる淡水は、海底にある栄養の泉と名付けたのです。富山湾には単位面積あたりの漁獲量が全国トップレベルの魚種が何種かあるのですが、そのこともその裏づけになるのではないかと思っています。 ここまでは非常に都合のいい話だったのです。もちろん陸水ですので、陸上の水もつい最近、名前は言いませんが、井戸水の中に大腸菌を検出しています。そういったものも含めて、農薬も含めて、ここから出てくるわけです。じかに海底から物が出てきます。特に幅に注目していただきたいのですが、沖から200〜500メートル先の海底から出てくるので、非常にたくさんの生物に影響を及ぼすわけです。そういう面から理解すると、農薬や細菌を含めて栄養分のほかにどういうものが運ばれてくるのかを、急きょ解明する必要があるのではないかと、それに向かって今頑張っているところです。
(小沢) どうもありがとうございます。 なぜ富山でこういったことが行われているのか。日本海というものをベースにした、すごくいい実験室があるということも一つ言えると思います。 次に、新居さんはペンシルバニア大学で建築を教えていらっしゃると同時に、富山のいろいろなプロジェクトに関与されていらっしゃるわけですが、その中でご自身が富山でやってこられたこと、そして今、日本海学というものを考えたうえでの考え方というところで話しをしていただければと思います。
(新居) 私が建築家として富山にかかわりましたのは、10年ぐらい前の黒部市のコラーレという建物でした。そのあとずっといろいろ富山とかかわってきて、4年前には田園博物館構想で呼ばれたわけです。最初は気軽に、風景をちょっとコントロールすればいいものができるぞという感じで、知事も世界文化遺産にしたいとおっしゃっていましたので、そういうものをやろうということだったのですが、だんだんやっていくうちに、これは危ないぞと思うことがたくさん見えてきたのです。 私達の学問、特にデザインは、現象的でどんなことが起こっているかを集めるぐらいで、張先生のように深く検討するということではないのですが、ただ広く浅いところでいろいろな警鐘を鳴らすことはできます。今、先生がおっしゃった20年後の富山湾の海は、私の今の予測が正しいとすれば、汚れて、もしかしたら魚が棲んだり木が生えるようなものにはならないのではないか。それが風景とも関係しているということなどです。 スライドをお見せしながら、私がこの4年間で風景について学んだことや、危ないぞということについてご説明したいと思います。 (以下、スライド併用) ○皆さんのイメージでは、砺波平野は散居村がすごくいいと。ところが実際行ってみると、木のない農業施設や広い道路、ミニ宅地開発されている状況があって、これが日本の中で有名な風景なのかと疑問に思ってしまいます。これは砺波だけの問題ではなく、日本中の風景が同じような状態になって来ています。
○その次に私達が田園構想をやりながら学んだのは、これも張先生と重複するのですが、里山の部分や、今まで地下水があったところの、特に田園の部分に水路を作ったり、コンクリート部分を作ったりするとそこから浸透する水が少なくなり地下水が下がってしまう。里山の木を切ったり、田園部分の水蒸気が減ったりすると、沿岸の木が枯れて、その下に生息していたプランクトンや小魚がいなくなり、それを食べていた魚がいなくなるということ、全体に海まで影響を及ぼすということです。それと同時に、散居村全体が水田とリンクしていて、一緒にずっと動くような生態系になっていることもわかりました。要するに、私達が屋敷林であるとか枠の内の建物を守ろうと言って残しても、それだけでは今の環境は残らないという状況があるわけです。それを何とか砺波平野の人たちに理解していただいて、皆さんの進歩ということについての考え方を変えていただかないかぎり、この風景の再生はできないのです。 日本は今、大きな岐路に立っていまして、世界の先進国の中で、環境的な問題に対してあまり興味がないというか、環境に共生して順応しようというやり方よりも、どちらかというと強制的にいろいろなもので押さえつけたり、科学で解決したりするやり方を取っている唯一の先進国です。しかし、今度の日本海学というのは、逆に環境と共生したり、自然と仲良くやっていこうという考え方ではないかと理解しています。 |
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| ○これもそうですが、三方コンクリートを調べていきますと、日本だけではなくて欧米諸国も1960年代ぐらいまでやっていました。それがあるとき農業の問題や循環系の問題が大事だということで、ほかの国は環境系に変わりました。日本は残念ながら最近まで変わらなくて、ここ5〜6年前ぐらいからようやく田園の問題も含めて、だんだん環境を考えようという方向にいこうとしています。時期的に遅いという問題があるのですが、今が、いろいろなことを考える最後の時期だと思います。 |
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| ○散居村も、調べていくと、吾妻建ちの家があって、屋敷林があって、その前に水田がある、そういうものが循環してできています。ドイツなど、世界のいろいろなところでエコロジカルな住宅というと大体こういうことを考えているのですが、日本では200〜300年前に行われていて、特に鎖国という状態があったので、非常に完璧なかたちで自給自足ができていました。ただ、この自給自足の状態は農業を中心としていましたから、今の産業構成にうまく合わないので、新しい考え方でこういうものを残していくことを皆さんで考えていただかないと、今の散居村の風景は残りません。そして砺波、日本海側の環境をよくしてやることは、結果的に日本海の周りの国々の植生や土壌、気候にも良い影響を与えることになります。日本海学というのは全体の自然系を考える学問ではないかと私は思っています。そして日本海を取り巻く国々と、環境に対する共通認識を持って、取り組んでいかなくてはならないと思います。ぜひそういうことをいろいろな方に研究していただきたい。 |
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○風景を再生するつまり環境を再生するためには、子供の教育を再生して、子どもたちに環境の問題を理解してもらう、風景を維持できる生活スタイルの再生、二世帯の問題などを考えていく、また環境破壊型の産業に従事している人達や、その構造を、環境型に変えていく、エコロジカルな家や環境を研究していく中で、新しい住まい方を考えるということなどが考えられます。 (小沢)短い時間の中で、どうもありがとうございました。結局、これから人間が暮らす場ということも含めて、それがいろいろ環境に与えるインパクトをとらえていかなければいけないわけですね。そうすると、総合的なものの見方が相当必要になってきます。ところが総合的といいましても、いろいろな分野に携わっていくわけですから、それぞれの専門の分野という、それぞれ深いところがあって、それをどうやってつなげていくかというのが、今の時代、非常に重要な課題になってきているわけです。それぞれの関連の中でしか、それぞれの専門の分野がなかなか生きていけないような時代にあるというところだと思います。 水嶋先生も富山とは非常に深いかかわりあいをお持ちですが、今、富山をベースにやっていらっしゃること、また、感じていらっしゃることをお話し願えればと思います。
(水嶋)私の専門分野は地理学ですが、もともと地理学というのは自然と人間の有機的な関係性を追究してきたものです。ところが、資本主義経済がどんどん発展していく中でその関係性が失われていき、同時に地理学というものが世間から忘れ去られるような状況になっていったのだろうと思っています。そこで、私は地理学ということであるならば、もう一度地理学を活性化するという意味も含めて、自然と人間の関係性をどのようにつくっていけばいいのかということをテーマとしました。 その一つのフィールドとして、先程の張先生の模式的な図の舞台となった黒部川や黒部川扇状地だと思っています。私はこの黒部川や黒部川扇状地を、どのようにもう一度自然と人間の関係性をつくっていけばいいのかということを、いろいろ議論してきました。今はまだ豊かな自然環境が残っていますし、水環境も非常によろしいのですが、それでは、今のままの使い方で自然環境や水環境が守られていくのかということになると、決してそうではないというのが現実の問題としてあるわけです。 そこで、魚津、黒部、入善、宇奈月、朝日町の2市3町の新川広域圏で、水博物館というものが構想されました。これは県のサポートも得て、水をキーワードにして、水環境の保護・保全、水との関係性の中で作られてきた伝統・文化をどのように伝達しようかというわけです。この構想の考え方は、これまでのように博物館という建築物を建てて、そこで水のメッセージを伝えるというようなものにはしないということを前提にしています。それでは、どのように伝えるのかという話になるのですが、実は今までの20世紀型の博物館というのはたぶんそういうものであったと考えています。いろいろな博物館がありますが、例えば美術館とか歴史博物館というのは、それはそれなりに箱の中でメッセージを伝えることができるかもしれません。しかし、よく考えていただければすぐわかることですが、水の博物館という建物があれば、そこではたぶん地球の水、世界の水、黒部川の水ということをあらゆる手段でメッセージするだろうと思います。しかし、その隣に流れている川がどぶ川のように汚染されていたならば、いったいその博物館にどういう意味があるのかというのが私たちのテーマであったわけです。 もちろん博物館にはプラスの遺産ばかりではなくて負の遺産もあるわけですから、人間の汚染した川はこうだったというのも1つの博物館になるのかもしれません。でも、やはり水は生命体を維持していくために重要な役割を果たしているのですから、負の遺産ではなくて、今残されている豊かな水環境をどのように守っていくのかということになるだろうと思っています。そうしますと、箱物ではなくて、水博物館をフィールドミュージアムという考え方にしていかなければいけないのではないかということになります。
このフィールドミュージアムのメッセージですが、命の源としての水、当然、量としても考えなければいけませんし、質も確保しなければいけないでしょう。人間社会、経済発展、あるいはそれも含めた自然という中で、水はかたちを変えて循環していることになるわけです。したがって、一人一人が水の恩恵を十分に受けている訳ですから、一人一人がこの保護や保全にぜひ力を注いでいかなければならないというのが大きなメッセージになるだろうと思っています。 ただ、現実的にどうかといいますと、確かに豊かな水はたくさんあるのですが、豊かさゆえに、水を大事にしようという意識が住民には非常に小さいのかもしれません。しかし、汚染を進めているのものが現実にあるわけです。例えば、生活雑排水がどんどん流れ出ている。あるいは、都市化、工業化の進展によって、水環境はだめになっている。あるいは、農業の生産活動によっても、汚染が進んでいるわけです。その汚染は最終的には富山湾、日本海に流れていきますから、富山県の言葉でいえば、きときとの魚がひょっとしたらきときとではない魚になっているかもしれません。 このような問題を考えたときに、解決方法としていったいどういうことがあるかといいますと、これから産業活動をどのようにしていくのかということになりますし、生活方法をどのように改善していくのかということになるでしょう。たとえば、生活方法の1つとして下水道整備も今後行われていくだろうと思いますので、この整備がこれからどんどん行われていけば、いつかは生活雑排水が改善されて水環境は良くなるかもしれません。 私たちの認識は、産業活動の中の1つである農業をどのように考えていくのかということで、農業の生産方法の見直しに着目しています。これは、今までの農業を変更して、化学肥料、農薬を使わない農業をあらためて検討していく必要があるのではないかということです。特に黒部川扇状地の場合は、今、県下一の生産量を誇ると言われていますし、非常においしいコシヒカリができると言われているのですが、実は大量の農薬や化学肥料を使ったうえでの話だとするならば、それが表流水や地下水に入って汚染をしているわけです。この影響が何十年オーダーで現われてくる話ですから、ひょっとしたら何十年先に地下水の汚染という問題になって現われてくるのだとするならば、今その方法ををやはり変えなければいけないということです。 ○これは私たちが取り組んでいる環境保全型農業の実践です。大学もだんだん危うい状態になってきているため、世間に向けて何かメッセージを投げかける必要もあるのではないかという思いもあったわけです。これは冗談としても、私たちは農業・農村地域の自然環境をどのように守っていくのか、そのために農業の方法をもう一度検討してみようと考え、学生たちと一緒に、8年前から、農薬、化学肥料、除草剤を使わない農業を実践したわけです。これは新聞で取り上げていただいたり、テレビで取り上げていただいたりしました。 |
![]() 【環境保全型農業の実践】 |
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目的は、いかに食の安全性を守っていくのかということでしょうし、また、都会の子どもたちが多いものですから、どのように米を作るか、あるいはどのようにしたら米ができるのかということであったり、農業・農村地域の自然環境をどうしなければいけないのかということです。それ以上に、大学生ですから少しは世間に対するメッセージということもありますので、環境問題をどう考えるかということを教育現場の中で伝えていくことが私たちの仕事ではないかと思い、このような農業に取り組んでいます。もちろん今年もやりますし、来年もたぶん継続していくだろうと思っています。 このことが最終的には富山湾や日本海、日本海学の発展に大きな役割を果たすのではないかと考えています。底辺の小さなことですが、すべての富山県の人々、あるいは富山県の農業・農村地域に住んでおられる人、農業生産活動をやっておられる人が環境問題の意識を少しでも高めるようなことをやっていくことによって、富山湾や日本海の汚染が守られて、この地域の持続的な発展になり、ひいては先程言いましたように、きときとのおいしい魚がこれからも食べられるのではないかという活動です。 (小沢)本当は1時間の授業を5分でやってくれとお願いしていますから、非常に切羽詰まった感じになっていますが、内容的には非常に盛りだくさんで、なかなか大変だったと思います。基本的に、やはり総合的に農業も考えた全体の動きを見なければいけないと思うのです。 今、黒部川とか朝日とおっしゃいましたが、実は僕も遺産を相続していて、その中に「海なり」という土地があるのです。海なりというのは、海に沈んでしまった土地なのです。前は陸地だったのが、全部侵食されてしまって水の中に入ってしまうという事態が起きあがってくるわけです。だから、ただ水の質だけではなくて陸地まで侵されていくようなかたちです。なぜそういうことが起きてきたかというと、人間の活動なのです。漁業の活動をするために、むやみに防波堤を造ったりする。そうするとほかのところに影響を与えて崩れていくといったようなことです。ですから、いろいろな人間の活動がいろいろなものに影響を与えているというところで、これから日本海学として総合的に見ていったときに、非常に長期的な、もっと大きなポイントでものを見るようなことができるのではないかと。そういう可能性も踏まえて、米原先生の方で何かお話しをしていただければ。
(米原)先生方はほとんど自然科学系の先生で、私だけが人文科学ということなので、先生方とは別の視点でお話をしたいと思います。 今、先生方はいわゆる将来思考ということでお話しされていますが、先程第1シンポジウムの最後のまとめの中に、日本海リバイバルということが確かあったと思います。私の方は時間軸の中で、一回江戸時代にタイムスリップした話をさせていただこうと思います。 先程のシンポジウムの中で、最後に明治維新以降の開発、環境の変化というお話をされました。心の問題も実は全く同じだと思うのです。自然を見ながら感動する。その感動が形而上学的に昇華されたものが信仰であろうと思っています。その1つの事例が立山信仰ではないかと思います。そういう意味では、今、先生方がいろいろ論議されている環境の変化というのは、即、心とつながっていくという観点の中で、スライドを見ながら進めていきたいと思います。 実は富山というのは、ある意味では不思議なポジションを持っていると思うのです。日本の中でも、日本海沿岸地域の真ん中であり、また、大陸の大きな文化の構造の接点でもある。つまりよく言われるのは、照葉樹林文化とブナ林文化の接点でもあると言われます。根源的な生産物というと稲作が照葉樹林文化、根菜といいますか芋の文化がブナ林文化、これがちょうど富山で接点を持っています。そのような大陸との大きなかかわり中での富山が位置づいています。 それから、「文化」という点から立山信仰をずっと開いてみますと、信仰が日本にとどまらずに大陸の信仰をずいぶん得ているということでも、大きなステージの中で富山が息づいていることがわかります。また、日本海は文化の回廊であり、あるいは物の回廊でもあります。富山売薬の関りでもよく言われますが、北海道産の昆布を沖縄から、あるいは台湾、中国大陸に受け渡しする昆布ロードにおいて大きな役割を担っているのが富山の売薬さんでもあるということも含めて、日本海は物流プラス文化の回廊でもあります。こういう視点の中で富山を見ると、やはりこれから非常に大きな意味合いを持ってくるのではないかと思っています。 (以下、スライド併用)
例えばその1つの例として、二上山に同じく築山神事がありますが、実はここでは山上から麓の築山まで神様を運ぶのは船です。海の船が神を運ぶ。かつて船というのは木で造られていました。船は海岸ではなく山の中で造って海へ引き降ろすわけです。こういう事例はたくさんあります。そういう意味では山と海は一体でした。これらのことを海の側からもう一度見てみようと。そういうすばらしいステージが実は富山であると思っています。
以上、心と自然はセパレートすべきものではなく、同じ舞台で論ぜられるべきものであるということをこれから考えていきたいと思います。 (小沢) そうですね。意識的な要素というのは。 アメリカの中でベンチャービジネスが発展した場所がどこかというと、海のそばです。結局サンフランシスコであれ、ボストンであれ、ニューヨークであれ、なぜ海のそばかというと、海に向かって出て行くときには、いろいろな社会体制も整えておかなければいけない。例えば保険の問題や、パートナーシップを組むなど、いろいろな連携を図る。生きていくためにいろいろな学問なりいろいろなものを総合的にとらえて動きをとっていく。そこにビジネスとしてのベンチャーという発想が生まれてくるということが、よく言われるわけです。そうしますと、やはり日本海というのは、ただ単に自然の条件ということではなくて、自然の条件がベースになって、文化的なものを踏まえて、こういった状況が多分にもあるのではないかと思います。 布村先生は、とやま賞の第2回目の受賞者でいらっしゃいますね。あのころ細かくこつこつよく頑張っていらっしゃるということで、ぜひとも受賞していただかなければいけないということだったわけですが、今、先生がやっていらっしゃることを日本海学との関連で少しお話ししていただければと思います。
(布村) 科学文化センターという博物館に勤めていますので、そういう視点から、日本海学における富山の自然ということでお話ししてみたいと思います。 いろいろな先生からもすでにお話があったように、富山には、3000メートルの山から、日本海に面した地方の中で唯一1000メートルを超す湾まであるわけです。したがって、そこには多様な自然があり、きわめて特徴的な生き物がたくさんいます。ですから、大変いろいろな魅力ある生き物に満ちた県であると言えます。また、日本海を代表するにふさわしい場所であるとも言えます。 一方で、最近ではコンピュータなどの高度情報化、皆さんの行動半径の著しい広がり、海外へも簡単に行けるようになりました。それから国際化が進展しています。そのような状況があるわけですが、意外に盲点といいますか弱いのは、自分の地方にどんな特徴があるのか、一言でそれを海外なり県外の人に紹介できるかというと、なかなかこれが難しいだろうと思います。私は、皆様からあまり見向かれもしないような生き物を調べてきたわけですが、今日はその中から富山県を代表する生き物を陸、海、川からそれぞれ1つずつ紹介してみたいと思います。まず陸の方からスライドをお願いします。
ついでに申しますと、今は雪が降るシーズンですが、太平洋側はこのシーズン、地面を掘っても虫や貝はあまりいません。あまりにも寒くて乾燥しており、非常に過酷な環境なのです。ところが、積雪の下は大変マイルドな状況で、雪の下はまず0℃、そして湿度が100%で、すごく穏やかな環境を提供しています。ですから、雪を掘りますと、様々な生き物が動いています。しかし、地球が温暖化して雪が減ってしまいますと、こういう生き物もいなくなってしまうかもしれません。
なお、これが棲んでいるのは湧水地帯で、その環境は、大変限られてしまっています。農薬の問題もありますが、三方を矢板やコンクリートで固められた環境ができてしまって、子どもたちも危なくて入っていけなくなっていますが、虫たちも絶滅の危機にあるということが言えます。 ○海というと深層水の話もありますが、富山湾にはずいぶん深いところにバイの仲間やゲンゲなど特徴のあるものがいます。しかし、浅海の特徴あるものとしては、例えば、海岸に殻を持ったタコが打ちあがります。貝殻を2つ合わせると葵の形になるためアオイガイと呼ばれていますが、これは亜熱帯水域に住んでいるタコなのです。タコは普通は貝殻を持っていませんが、このタコだけ、しかもメスだけが2番目の腕からこのような殻を作ります。それに乗ってやってきます。子どものときはプランクトン生活をしていて、ほとんど動けないので、黒潮に乗って日本にやってくるのですが、一部のものが日本海に入り対馬暖流に乗ります。そして、冬になると季節風が吹きますので、いろいろな海の状況から打ちあがってしまうのです。ところが最近、ほかにもいろいろと南のものが棲むようになってきて、熱帯性の珍しい貝や魚がときどき見られます。これは楽しいことのようであり、非常に危険なことでもあります。海でもひそかに温暖化が迫ってきているということが言えるのではないかと思います。 そういうことで、きわめて地味な生き物を3つ出しまして、刻々と変化が起こっていることをお話ししました。 2日本海学で提唱すべきもの (小沢) どうもありがとうございました。時間がなかったものですから、皆さんに焦っていただいて、富山という場所において自分たちのやってこられている研究なりお仕事をお話しいただいたわけですが、それをとおして、もっと大きな日本海学という想定の中での個々の学問の追究が、これから当然必要になってきていると思うのです。 最近、例えばアメリカの工科大学から出されてくる報告書などを見ていますと、この分野、あの分野とう想定ではなくて、こういう研究をしている人が100人いると、いろいろな人それぞれのものを出してきています。この学問の分野という想定ができなくなって、もっと違った見方をしていかなければいけないということになってきているわけです。その意味で、当初申しましたような、宇宙船のスペースラボというか宇宙実験室のようなところで、日本海学というものも、ただ単に総合的な学問というだけではなくて、学問をする場というコンセプトなり、そういうとらえ方が、非常に重要になってきているのではないかと思うわけです。 張さんも、富山でいろいろやっていかれるときに、例えば日本海学というものがこのように提唱されていくとしたら、自分としては何がその中で大切だと感じられているか、お話しいただければと思います。 今のことを理解し明日を予測 (張) 一言でまとめるのは難しいと思うのですが、日本海学というのは非常にりっぱな名前だと思ったのですが、単純に一学問として取り上げるか、あるいはプロジェクトの1つとして挙げられるかという理解があるのです。最初の私の話は、先程米原先生もおっしゃったのですが、結局、陸と海のつながり、そして人間と自然のつながりになっているのです。環境問題というものには、国境がないのです。 例を2つ挙げます。1つは、最初に小沢先生がおっしゃった深層水が危ないと。今日初めてその言葉を聞きました。その根拠としては、海洋化学者ですので、こう解釈しています。富山の深層水は水深330メーターのところからくみ上げていますが、200〜300メーターぐらいの水深のところは、実は対馬暖流水なのです。対馬暖流は赤道生まれの暖流です。それが中国の沖の東シナ海を通って対馬海峡を通って日本海に入ってくるわけです。そうしますと、例えば長江、あるいは東シナ海そのものの人間環境からの影響を受けて、その水が来ているわけです。それを今おいしくいただいているのですが、中に何が入っているのか。今はたぶんきれいだと思うのですが、これからだと思うのです。皆さんご存じだと思いますが、中国の長江の三峡ダムが今年せき止められます。そうしますと、東シナ海の生態系そのものが大きく変化します。それはおそらく科学者の予測をはるかに超えるレベルで変わるのです。 もう1つは黄砂。これも皆さん、非常におなじみだと思いますが、黄砂でその国の人々が苦しむだけではなくて、日本にも飛んでくる。それだけではありません。黄砂は日本を越えて、太平洋を越えて、米国を越えて大西洋に行くのです。太平洋にも大西洋の上にも降ってくる黄砂というのは、海にとって、植物プランクトンにとって餌なのです。喜んで繁殖するわけですが、こういう繁殖は異常繁殖なのです。海の循環そのものを狂わせてしまうので、その先も全く予測できない状態です。 ですから、私たちの分野で感じているのは、目的としては温故知新です。昨日と今日起こっていることを正しく理解することで、明日を予測するのです。それは単なる一研究者で、一分野で、一国では到底できるわけではないので、やはり国と国との連携を、富山を拠点として世界へ呼びかける必要があるのではないかと思っています。 (小沢) そうですね。これからどんどんいろいろな分野が当然かかわりあってくる。そのものの見方をしていかないと、本当に説得力を持たない。ただ一学問の中で水だけをやっていても、それだけでは限界があるということだと思うのですが、新居さんはいかがですか。 自然との共生の仕方を連携して探り発信 (新居) 日本海学というものを1つの小さい学問とするか、プロジェクトというか運動とするかということは、重要です。私は連携した方がいいと思う。 水嶋先生に怒られてしまうかもしれないのですが、例えば今すごく美しい山の絵を見て、あるいは船の絵を見たり、植物がいいというのを見ていて、でも、実はそれがもうないということに日本人が気がつかないと、生きた学問として成り立たないし、役に立たないと思います。だから、いいものを見つけて、それを残したり、再生させるには、他の学問とどう関連させるかが重要になります。今、日本と欧米のシステムが一番違うと思うのは、積み上げる勉強をあまりしなくなっていることと、自分の姿をあまり見ていないこと、あるいは見ないようにしていることです。水嶋先生がおっしゃったように、ここに水の博物館をつくるといって、すごくきれいな水の博物館の模型を作って「富山はすごいぞ」と言っても、横にどぶ川が流れていてもそのままというのでは、やはり生きた役に立つ学問にはなりません。 ですから、ぜひ日本海学でやっていただきたいのは、例えばカタツムリが棲むために湿度がないとだめなのだったら、生物学だけで考えるのではなく、どう守ったらいいかということを、一見関係の無さそうな学問、例えば土木だとか、その他まで広げて、一緒に検討して、カタツムリが生きられて、かつ人間も産業も問題のないような共生の仕方を探して日本海の中で富山から発信していく。富山はそういうことができる土壌があると思うのです。そして、今ならば美しい景色や水路を留められると思うのです。それを連鎖するような学問の体系が日本海学にあるといいなと思いました。 (小沢) そうですね。基本的に今、1つはバランスが大事だということがよく言われています。例えば経済性をどんどん追求してきたわけですが、その中で、今度は社会性ということが問われるようになった。そのバランスをどう見つけていくのか。それから、新技術をどんどん進めてきたけれども、その逆の環境の問題をどうするのか。その中で新しいバランスをつくっていかなければいけない。新しいバランスをつくるということになると、当然1つの学問だけでは全然うまくいかないわけです。必ずいろいろな分野が絡んでくることになると思うのですが、それをどうやってつくっていくか。そのためには、これから日本海学というもののコンセプト、そういった意識をとる必要が出てきているのではないかと思うのですが、水嶋先生いかがでしょうか。 重層的科学に隣接科学の組込み (水嶋) 地域学の1つであると思うのですが、やはり地域学というのはクローズの話ではなくて、先程から話題がどんどん出てきていますように、これはアジアのモンスーンエリアの問題でもあるでしょうし、地球的な規模の問題でもあるだろうと思っています。したがって、そういう視点で学問を構築していくということと、そうはいっても、これはインテグレートした縦の重層的な問題で完結するのではなくて、隣接科学との横との関係をパラレルにしてどんどん進めていく必要も考えた上で、その中にどういうプロジェクトを組み込んでいくのかを考慮しないと、実のあるものにはならないのではないかと思います。そういう努力をそれぞれの分野の先生がお持ちのうえで日本海学に取り組んでいくことが必要なのではないかと思っています。 (小沢) ありがとうございました。去年でしたか、『神々の指紋』という世界的にヒットした本を書かれたグラハム・ハンコックという方が、富山に縄文土器を調べに来られています。エジプト学からいろいろな分野を離れて、もう一度新しい全体の歴史みたいな想定、どういった流れになってきたかというところを研究しておられるのですが、わざわざそういう方が来られても、富山の中では何の講演もなさっていかれない。放ったらかしになっている。今までだれが責任をとってそういう想定をするかというと、だれも想定できないのです。そういったときのある意味での受け皿的なものが、当然人文科学も含めて、自然科学とも連動し、いろいろなことが関与して起き上がってくると思うのです。そういったことの責任をとれるように何か設定していかなければいけないと思うのですが、この辺、米原先生、いかがでしょうか。 多様な学問のジャンルを融合し構築 (米原)大変難しい問題を振られたと思います。先程もありましたが、学問というものには、学際という言葉があるのです。これは縦割り系統の学問のジャンルを、少し言葉を変えて表現したものではないかと私は理解しています。先程のシンポジウムの中で、それぞれの学問のジャンルを心をつなぐ視点でというお話がありました。こういうかたちで多様な学問のジャンルを融合しながら構築していくという姿勢が非常に大事ではないかと。ハードの分野、即ち研究体制や組織、お金のかかる部分でもどういう体制がとれるかというのも、これから考えるべき1つの大きな課題ではないかと思っています。 最後には、これは何年たつかはわかりませんが、学問をした、できました、ということでは学問は終わらないだろうと思うのです。最後は個々人が自己認識のために、どう情報をそれぞれが手に入れるかということだと思います。それは1つは教育の場であり、あるいは1つは、今はインターネットなりで情報を公開していますから、そういうかたちで身につける1つの活動ではないかと思います。そういうシステムを構築するということで各学問が一体化された「日本海学」であれば大変ありがたいなと期待しています。 1つだけ、追加いたします。実は江戸時代にはこういう図面だったのです。日本海と大陸と日本ですね。ですから、ある意味ではリバイバルの世界がここに生まれてきている。「日本海」という名称は、幕末のころロシアのクルーゼンシュタインという人が幕末に付けました。こういうかたちで、ようやく日本海も世界地図の中で位置づけられたということだけ申し添えておきます。 (小沢) どうもありがとうございました。 布村先生、今後こういったことを進めていくうえにおいて大切なことと、ご自身が感じられるところは何かありますか。 県民の知的財産として保管 (布村) 私たちはどうしても近い将来しか見ないのですが、ずっと先にどうするのか、遠くを見る必要があります。広く交流して新しいアイディアを持つことが大切です。ずっと先にどうするのか、遠くを見る必要があります。それから、私たちをめぐるいろいろなものが変わっていきますから、関係した資料を県民の知的財産として、きちんと保管するということが大切です。例えば、、毎日毎日の日常的な眺め捨てているような風景や事物でも、それがどういう意味を持つのかということをとらえ記録し、非常に身近なところまでやさしい言葉で普及していくことが大事だと思います。 日本海学というものを富山から発信するのであれば、富山県民それぞれが、いろいろな領域に関心をもっておりますから、お互いに学び合い、教え合って交流していくことが大切であり、そのための努力をしなければならないと思っています。また、博物館等を充実し、活用することも大切です。 (小沢) どうもありがとうございます。そうですね。富山の場合、皆さんご存じの田中耕一さんがノーベル賞を受賞されましたが、小柴先生のノーベル賞も富山と非常に関係しているわけです。神岡のニュートリノの実験、あのときもちょうど1986年に富山で世界素粒子学会があって、それをベースにノーベル賞につながっているということもあるわけです。そうしますと、日本海学の想定というのは、ただ単に学問としての体系だけではなくて、これをベースにいろいろな専門の方々が集まられて、そこに起き上がってくる全体のテーマをどう解決していくかという場でもあると思うのです。日本海学を理解していくときに、例えば共通の認識(awareness)をみんながどのように共有できるか。日本海学をベースにしたいろいろなそれぞれの専門家が、その中でそれを共有できるか。もう1つが、日本海学を進めていくうえでのシステムをどのように共有できるか。もう1つは、日本海学を進めていくうえでのハードをどう共有できるかというところが、これから非常に重要になってきていると思うのです。 ボストンの近郊に、MBL(マリン・バイオロジー・ラボ)という、海洋バイオロジー実験をしているところがあります。そこは、いろいろな関連でノーベル賞を受賞した方が三十何人いらっしゃる非常に有名な場所なのですが、富山にも日本海学をベースに、そういう場を形成してはどうかと、僕はいつも思っているのです。いろいろな専門家が日本海なり水なり、いろいろな関連の中でこちらに集まってきて、いろいろな研究をされていかれる場を形成できれば、それがまた日本海学を進めていくうえにおいて非常に大切なことになってくると思うのです。 世界で一番速いコンピュータを持っているのは日本です。NECが持っている地球のシミュレーションをやるコンピュータですが、世界で2番目、3番目、4番目を合わせてもまだ追い抜けないくらいの速度を持つ、すごいものを日本は持っているわけです。ところが、それだけでは地球全体の問題は解けません。ある意味で、日本海学もそういったシミュレーションを想定できるようになったときに、そういったものをゲノムプロジェクトのようにいろいろ集めてやっていくと、地球全体の地球号を守ることができるのではないでしょうか。 ですから、今回のコロンビアの問題というのは、そういったことにおいて、彼らは宇宙開発の中で命をなくされましたが、それでも宇宙へ出ていって、実験室の中で次の想定をしている方々がいらっしゃる。日本海学というものも、地球号に対して新しい生き延びる方法を見つけ出していくうえでの一つの場になっていければと思います。 時間がぎりぎりで、まとまりもあまりなかったのですが、新居さん、まだ言い足りないところを言っていだければ。 (新居) もしできたとすれば、彼女(張助教授)もいるし、僕らの国だけではなくて、アジアの視点といいますか、韓国、中国や環日本海の人たちの視点を入れて、いろいろなことをやって、日本海というのを、こちらを汚せば向こうに影響があるし、向こうも汚せば、というようなかたちでいろいろやればいいと思います。 (小沢) 日本海学というのはインターナショナルという視点がないと、ただ富山の「日本一」だけで終わっていくようなものではなくて、もっと広い範囲で、インターナショナルを取り込んだものでなければならないということですね。最後にいい指摘だと思います。張さんが隣にいらして、その部分を忘れてまことに申し訳なかったのですが、日本海学というのは、本当にインターナショナルという視点も非常に重要なポイントになってくるのではないかと思います。 少し時間をオーバーしましたが、これから日本海学に注目していただいて、何しろ、今はすごいチャンスです。今は経済圏というのをとらえていくと、時差3時間の間の上下というとらえ方をしてきています。なぜかというと、コミュニケーションが非常に重要になってきていて、一緒に起きていなければだめなわけです。寝ている人を相手にして経済を考えるというのはあとの話であって、一緒に起きている人たちといえば、時差3時間でいくと中国の方の大半は起きていらっしゃるし、オーストラリアの方も起きていらっしゃる。この中でずっと見ていきますと、日本海というのは真ん中になるわけです。それがすごい意味を持っているのです。 ですから、富山に生まれた方々というのは、今ここに集っていらっしゃる方というのは、何か特別なものを与えていらっしゃるのではないかと。将来において、先程から地中海の話がよく出てきますが、おそらくこの日本海が2000年ぐらいたったとき、地中海伝説の中で、皆さんが富山の山の中に暮らしていた神々のうちの1人になられるのではないか(笑)。そういうことを考えていきますと、真剣になって地球を守ろうというぐらいの発想の中で、日本海学というものを形成していけばよろしいのではないかと思います。このあたりで終わらせていただきます。 どうもご清聴ありがとうございました(拍手)。 (司会) コーディネーター、パネリストの皆様、どうもありがとうございました。 本日は、富山で誕生した日本海学が一回り大きくなり、内外に飛躍していく第二ステージに入る記念すべき日になったのではないでしょうか。 それでは、これをもちまして、本日の日本海学シンポジウムを終了させていただきたいと存じます。皆様、今後とも富山から発信される日本海学にご注目をいただき、より一層のご理解、ご支援をよろしくお願いいたします。 本日は、長時間にわたりご静聴いただき、まことにありがとうございました(拍手)。 |