2006年度 日本海学研究グループ支援事業

和船とその建造技術保存・研究事業
(中間報告)

参考;2007年度 報告
 2005年度中間報告



和船建造技術を後世に伝える会
代表 番匠 光昭





はじめに

 FRP(繊維強化プラスチック)製の船が全盛の現在、木造和船とその造船技術、それら和船を用いた漁撈と習俗の廃絶が危惧されている。また、実際に櫓と 櫂をもって操船して漁撈に従事した漁師等からの聞き取り調査も次第に困難となっている。こうした状況の中で、和船にまつわる事象を詳細に調査・記録し、関 連する資料を収集していくことは急務といえる。当会は、主に日本海側沿岸地域の和船建造技術、および船にまつわる事象について記録・収集し、調査・研究し た成果を後世に伝承していくことを目的として平成16年より活動している。
平成18年度の事業として、氷見市内で昭和41年に建造されたテンマの修覆作業とその作業工程の記録化、平成17年度に十二町潟から引き上げ作業を実施し た大型の潟舟2艘、小型の潟舟1艘、石川県志賀町で使われたテンマ1艘の実測図の作成を実施した。あわせて戦後、氷見で船大工としてドブネをはじめとした 木造和船の建造に携わった船大工2名より聞き取り調査を実施した。また「日本海周辺地域木造和船残存状況等アンケート」として、展示や収蔵の他、各地に現 存する和船の所在に関する基礎データとするため、日本海域を中心とする歴史博物館や歴史民俗資料館等を対象にアンケート調査を実施したほか、日本海に面す る全自治体のホームページを検索し、和船及び和船模型・漁撈具等の文化財指定状況等の調査を実施した。実地調査としては、日本海側を中心とした和船の建造 技術および漁撈具をテーマに新潟県・秋田県・山形県の現地調査を実施した。
聞き取り調査および実測図の作成、アンケート調査の結果については次年度取りまとめることを予定しているため、ここではテンマの修復作業および実地調査の 成果について報告する。

1.和船の修復作業、および作業工程の記録

 今年度はテンマ1艘の修覆作業を実施した。このテンマは、昭和41年に氷見の中波造船所にて製作されたもので、船尾に船外機を取り付けるため、通常のテ ンマより船体後部が広く頑丈に作られている。船体に貼り付けられた登録証から、昭和47年頃まで使用されたことがわかる。建造当初は白木に船底部外面のみ 赤色の塗料が塗られていたが、昭和44年以降の補修の際に上部に白、船底部外面に青のペンキが塗り重ねられている。長らく漁具倉庫に入れられていたもの で、湿気などの影響は受けているものの比較的残存状態は良いものであった。だが一部の部品が欠落しているほか、ペンキが剥落するなどの状況が見られた。
今回の修復作業では、進水可能にするような大掛かりな修覆は行わないこととし、建造当初は塗布されていなかったペンキの除去と、欠落した部品の新造を中心 に修覆を施し、建造当初の姿に戻すことを目的とした。なお修覆を終えたテンマは、氷見市立博物館常設展示室に搬入し、一般公開している。

fig01 修覆前のテンマ(1)

昭和41年、中波造船所にて製作。
全長4.43m、胴中幅1.39m、胴中高0.45m。

fig02 修覆前のテンマ(2)

船体部品の一部が欠落しており、塗り重ねられたペンキの上にサビが浮いている。


fig03


修覆内容の打ち合わせ



















fig04

修覆前の試乗

船底部の材の継ぎ目に隙間が開いており、水に 浮かべると浸水してしまう状態である。
今回の修覆は展示・保存を目的とするため、隙間の養生は行っていない。












fig05

修復作業(1)

サンダーを用いてペンキを剥がす。建造当初は白木に船底部のみ赤色の塗料で塗られており、その後 白と青のペンキが塗り重ねられている。

今回の修覆作 業ではペンキを剥がして建造当初の姿に戻した。










fig06

修復作業 (2)

鉄釘にサビ止 め剤を塗布した。

















fig07

修復作業(3)

欠落した部品の新造作業。


















fig08


修覆の終わったテンマ(1)

上半部が白木、船底部が赤色塗料の建造当初の姿に戻したテンマ。
欠落した部品は新造して補ってある。













fig09
修覆の終わったテンマ(2)

後部側より。
このテンマの特徴として、船尾に船外機を取り付けるため、通常のテンマより船体後部が広く頑丈に作られているという点があげられる。














fig10

修覆の終わったテンマ(3)

修復作業完了後、テンマは氷見市立博物館常設展示室に搬入し、一般公開している。















2.実地調査

(1)実地調査の目的 〜オモキ造りとムダマハギ〜

 氷見地域でかつて使用されていた木造漁船「ドブネ」には「オモキ造り」という技法が用いられた。「オモキ造り」技法は、単材刳舟から構造船への発達の過 程を示すとされ、若狭湾以東から秋田県にかけての日本海側に広く分布する。舷側下方と船底材をつなぐ曲がり部分の部材に「オモキ」という断面がL字形をし た刳り抜き材を用いる技法である。
 一方、青森県・岩手県・秋田県など東北北部と北海道には「ムダマハギ」という技法が分布している。こちらも「オモキ造り」と同じく丸木舟から構造船への 発達の過程を示すとされる。丸木舟を浅くしたような「ムダマ」を船底材に用い、舷側板を接ぎつける技法である。
 出口晶子氏の分類では、「オモキ造り」がシキ発達の刳舟、「ムダマハギ」がタナ発達の刳舟ということになる。いずれも刳り抜き材を船底部に用いる準構造 船であるという点で共通点も多い。一般的にはより進んだ形式と捉えられる板構造の船とは異なる技術系譜を持つ「オモキ造り」「ムダマハギ」という技法が、 板構造の船と共存し、近年まで実際の漁に用いられてきた背景には、その地域に根ざした漁法や自然環境が深く結びつき、さらには造船技術的な必然性があった と推測されよう。
 今回の調査の目的地のひとつ、秋田県は「オモキ造り」の北限であり、「ムダマハギ」との接点となる地域である。「ムダマハギ」を用いたものとしてハタハ タ漁に使われた「マルキブネ」があり、八郎潟では「オモキ造り」を用いた潟舟がある。また男鹿半島はごく近年まで単材刳舟が用いられてきた地域で、その単 材刳舟「エグリブネ」も比較的良好な資料が多く残っている。山形県の飛島には「オモキ造り」技法を用いた「マブネ(シマブネ)」という船が存在する。さら には両県ともに、「テント」「カワサキ」といった大形の板船が複数現存し、収集されている。新潟県には氷見型のものよりやや小型で地引網に用いられた「ド ブネ」が存在する。こちらも「オモキ造り」を用いたものである。今回の調査では、それらの木造和船とその造船技術および関連する漁撈具の実地調査を行い、 氷見市域を含む富山湾・能登沿岸地域との比較検討の材料とした。

(2)新潟県新潟市歴 史博物館・上越市立水族博物館

 新潟市立歴史博物館の収蔵庫(旧木場小学校)に上越地方のドブネが1艘収蔵されている。糸魚川市の船大工、永越猪之松氏が昭和24年に製作したものであ る。全長1028cm、胴中幅139cm、胴中高60.5cmを測る。一方、上越市立水族博物館にも同型のドブネが収蔵されている。こちらは国指定有形民 俗文化財となっており、全長1,010cm、胴中幅143cm、胴中高51cmを測る。新潟市立歴史博物館のものと同じく、船大工、永越猪之松氏が明治 34年に建造したものである。
 これら上越地方で使用されたドブネは、新潟県西頚城郡青海町(現糸魚川市)から西蒲原郡巻町(現新潟市)にかけての砂浜地帯で地引網漁の網船として用い られたものである。船型は、氷見の定置網ドブネに似るが、やや小型で材も薄い。この地域のドブネの特徴が、オモキが船尾から船首まで一木で通り、船首部先 端で拝み合わせてある点である。拝み合わせる船首部にはスギの根曲がりの部分を用いているという(出口2001)。

(3)秋田県男鹿市 北磯歴史民俗資料収蔵庫・男鹿市民文化会館


・北磯歴史民俗資料収蔵庫
 秋田県男鹿市では廃校を北磯歴史民俗資料収蔵庫として活用し、13艘の木造船を保管している。内訳はハタハタ漁に用いられた大小の板船「テントウブネ」 「カワサキブネ」が計9艘、男鹿半島固有の単材刳舟「エグリブネ」が3艘、平底の「ハコブネ(イソブネ)」が1艘である。
 「テントウブネ」ないし「カワサキブネ」と呼ばれる板船は、シキに左右2枚ずつのタナイタを接ぎ合わせたもので、氷見地域では「テント」「サンパ」と呼 ばれたものとほぼ同じ構造を持つ。東北北部の「シマイハギ」、若狭湾の「サンパ」、あるいは各地に分布する小型船「テンマ」なども同様の構造である。とは いえ、波の高さなどの自然環境、漁法等により、舳先の反り上がりや胴の張りなどのプロポーションや、細部が異なっている。男鹿の「テントウブネ」「カワサ キブネ」もハタハタ漁の網船としての使い勝手からこの形になったもの、と推定できる。写真に残る氷見の「テント」と比べると、いささか船体の深さ(厚み) が少ない、平べったい印象がある(特にトモ部)。なお、ハタハタ船の「川崎型」「天当型」には明確な区別があったようだが、担当者にはよくわからないとの こと。我々にも明確な違いはわからなかった。
 3艘ある「エグリブネ」はいずれも大掛かりで、しかも船大工の手によらない補修箇所が散見できる。基本的には単材の刳舟であるが、船首、船尾の破損箇所 にボルトや縫釘で別材の角材を接ぎ付けたり、割れた船体を縫釘で接合したりしている。耐用年数が長く、百年近いともいわれる「エグリブネ」であるが、それ は破損しても元々厚く刳り貫いてある船体を削り直したり、別材を接ぎ付けたりという補修が容易であったからという。ここにある3艘の「エグリブネ」は、数 次にわたる補修を経て長期使用されてきたものであろう。なお、素材は俗にいう秋田杉の、樹齢200〜300年近い巨木が用いられている。材の選定の際に は、特に根曲がりのスギが選ばれ、その曲がった根元側をトモ側にして作られている(秋田県教委1978・1995)。
 もう1艘の「ハコブネ(イソブネ)」は平底の、一見「エグリブネ」を板構造にしたような船である。他の地域で、類例を見たことがなく、男鹿半島特有の船 型の可能性もある。

・男鹿市民文化会館
男鹿市民文化会館には、国指定有形民俗文化財『男鹿のまるきぶね』が展示されている。こちらも単材刳舟「エグリブネ」であるが、ほとんど補修されておら ず、非常に状態が良い。全長636cm、胴中幅88cm、胴中高59.5cmを測る。昭和26年に建造されたものである。
 興味をひいた点が「ロドコ」に「ロベソ」を転用していることである。「ロドコ」は櫓の使用によって磨耗が避けられない部分だが、その交換を容易にする工 夫だろうか。

(4)秋田県潟上市 八郎潟漁撈具収 蔵庫

 かつて日本第2位の面積を誇った八郎潟であるが、現在では干拓によりその姿を見ることはできない。その八郎潟で干拓前に行われていた漁法に関する資料が 国指定有形民俗文化財『八郎潟漁撈用具』として収蔵されている。その中に、八郎潟独特の潟舟1艘とそれに伴う船具がある。
 全長1,178cm、胴中幅114cm、胴中高57cmを測るこの潟舟は、昭和初期に使用されたものという。スギ丸太を刳り貫いた「オモキ」を基本部材 とし、舷側板や船首部材、船底材が舟釘や鉄カスガイで接ぎ付けられている。全体に角ばった細長い印象の船である。潟内での推進には帆走とトモガイ、コガイ (ワキガイ)により、櫓は用いなかった。2種類ある櫂はそれぞれ形状も異なっている。トモガイは、トモにある舵床のような切り欠きにかませて練って用いた もので、長さ380cm、刃幅14cmを測る一木造のものである。それに対しコガイは、中央で継いだ二木造のもので、長さ260〜270cm余り、刃幅 14.5〜16cm余りを測り、舷側に通した櫂縄に通して使う。材質はいずれもカシ材である。コガイの櫂縄は、舷側の上部に開けた二つの穴に通してある が、その穴のうち一方は上部が切り欠かれた「コ」の字形の穴を別材でふさいで穴にしてある(力がかかる場所なので、穴が破損して補修した可能性もある)。 これは氷見市の鞍川D遺跡出土丸木舟の「コ」の字形の切り欠きを考える上で比較検討の材料としたい。
 同収蔵庫には、秋田県指定有形民俗文化財『八郎潟出土くり船』も保管されている。こちらは昭和40年に潟の干拓工事中に発見されたもので、現存長 15.6m、中央部の幅2.5m、深さ平均0.4m、推定復元長約17mという巨大なものである。材質はスギで、巨大な刳り貫き材を左右に、中央に船底材 を入れた「オモキ造り」構造を持つ。それぞれの部材は鉄カスガイにより接合されている(報告によると漆とヒワダの使用が認められるという)。船体には帆柱 を立てる穴や櫂を縛る穴、船梁を通す穴も確認でき、櫂の使用によると考えられる磨耗も見受けられる。

(5)秋田経済法科大学 雪国民俗館

 秋田経済法科大学に設置されている雪国民俗館には国指定有形民俗文化財『作業用ふくめん』を含む多数の民俗資料が収蔵されている。和船に関連する資料も 収蔵されており、大沼(田沢湖・神代)でジュンサイ採取用に用いられた『大沼の箱形くりぶね(きっつ)』が国指定有形民俗文化財に指定されている他、八郎 潟の潟舟、田沢湖の丸木舟、男鹿のエグリブネ、男鹿のハコブネ(イソブネ)などを実見することができた。
 「きっつ」はスギの一木造で全長253.5cm、胴中幅68cm、胴中高27.5cmを測る、箱形の浅く扁平な舟である。八郎潟の潟舟は潟上市のものと 比べるとやや小ぶりだが、ほぼ同じ形式のものである。状態は悪い。田沢湖の「丸木舟」は全長578cm、胴中上幅42cm、胴中下幅50cm、胴中高 32cmを測る。下膨れの単材刳舟である。男鹿の「エグリブネ」は、かなり補修の手が加わえられている。輪切りにするような切断痕もあり、状態は良くな い。男鹿の「ハコブネ」は男鹿市北磯歴史民俗資料収蔵庫で見たものとほぼ同型式の構造をもつ。

(6)秋田県立博物館

 秋田県立博物館は秋田県指定有形民俗資料『県内木造船資料』として13艘、未指定のもの3艘、計16艘の木造和船を収蔵している。内訳は、能代の「マル キブネ」が3艘、男鹿の「マルキブネ」、「カワブネ」がそれぞれ3艘、テンマが2艘(内1艘は未指定)、男鹿の「ハコブネ」、八森町の「イソブネ」、西目 町の「カワサキ」、由利地区の「ハタハタブネ」(未指定)がそれぞれ1艘、「ムダマ」材(未指定)が1点である。
 能代の「マルキブネ」は大形の「ムダマハギ」型漁船で、ハタハタ漁に用いられた。「ムダマハギ」の南限とされる能代地区で使用されていたものである。船 首部が四角い独特の形状をした船で、船底部に「ムダマ」を使用する。「ムダマ」は複数の材から構成された「ナカチョウ」である。材の接合にはチキリが使用 されている。3艘保管されており、大きさは、それぞれ1,010×189×62cm、896×158×63cm、760×155×57cmを測る。別に収 蔵されている「ムダマ」材も、この「マルキブネ」用のものと推定できる。
 由利地区沿岸で使われた「カワサキ(改良川崎)」と「ハタハタブネ」は「テント」などと同じく、シキに左右2枚ずつのタナイタを立てた5枚仕立ての板船 である。「カワサキ」は732×197×65cm、「ハタハタブネ」は700×193×127cmを測る。「カワサキ」の操船にはワキロ(脇櫓)が4丁、 トモロ(艫櫓)が1丁用いられていたようだ。
 3艘ある「カワブネ」のうち、米代川で使用されたものは「オモキ造り」により造船されている。大きさは1,377×105×36cmを測る長大なもの で、部材の接合には鉄製の平カスガイと縫釘を併用している。他の2艘はシキにタナイタが左右1枚ずつの「三枚ハギ」である。
 「テンマ」は5枚仕立ての小型船である。指定を受けているものは、由利地区沿岸で使用されたもので435×121×42cmを測る。タナイタの組み方な どが、氷見の「テンマ」とよく似ている(シタダナがミヨシに接合される部分で三角におさめられている点など)。
 そのほか、男鹿の「マルキブネ(エグリブネ)」と「ハコブネ」は男鹿市や雪国民俗館に収蔵されているものと同型式である。八森町(能代山本地区沿岸)の 「イソブネ」(672×100×37cm)は「ムダマハギ」造りの「マルキブネ」を小型化したもので、磯漁に用いられたものだと考えられる。

(7)秋田県立埋蔵文化財センター
 秋田県立埋蔵文化財センターでは洲崎遺跡から出土した丸木舟を実見・略測できた。洲崎遺跡は八郎潟に面した遺跡で、多数の井戸跡が検出されている。その 井戸跡のうち4基で丸木舟を転用した井戸側が用いられていた。年代は13世紀後半から14世紀後半とされている。展示されているのは、そのうち1基の片側 である(輪切りにした丸木舟を二つ向かい合わせて井戸側にするため、2個一組となる。展示されているのはその一方のみ)。残存長111cm、幅 72.5cm、高さ34cm、材の厚さ4cmを測る。舷側上部にあけられた穴や、「コ」の字形の切り欠きのほか、舷側上部のチョウナ痕などが観察できた。 鞍川D遺跡のものと比べるとかなり小形で、平底であるという違いがある。八郎潟で潟舟として使われていたものだと推測されているが、そうすると江戸時代に は使用されていたという「オモキ造り」の潟舟との関連が今後の課題として残る。

(8)山形県鶴岡市 到道博物館

 到道博物館には多くの国指定有形民俗文化財が収蔵されているが、和船・漁撈具関係にしぼっても『庄内浜及び飛島の漁撈用具』1937点、『最上川水系の 漁撈用具』810点という膨大な量の資料が収蔵されている。保管されている和船の数は、海船、川舟取り混ぜて、常設展示室に9艘、収蔵庫に18艘、合わせ て27艘である。その中でも興味を深いのが庄内浜の建網漁に用いられた「オオブネ」と飛島の「マブネ」である。
 「オオブネ」は氷見の「テント」や「カワサキ」と同様の5枚仕立ての板船で、全長は15.05m、幅3.2mという巨大な船である。かつては氷見でも同 様の大きさのいわゆる「大テント」が使われたが、すでに現存していない。他の資料と比較しても、その大きさには目を見張る。建網(定置網)の網起こしに使 われ、「オコシブネ」とも呼ばれていたという。十数人が乗り込み、船頭がトモガイで舵を取り、ワキガイ十数本で操船した。トモの形状など、写真に見る氷見 の「テント」と共通点が多いが、氷見の「テント」は櫓と櫂を併用するなど操船方法に相違点もある。
 この「オオブネ」以外にも大小の「テント」型漁船が収蔵されているが、最上川河口でやつめ漁に用いられた「やつめ舟」がかなり浅く扁平な船形であること など、それぞれ使用場所や目的によってプロポーション、名称に違いが見られる。
 飛島の「マブネ(シマブネ)」は「オモキ造り」の船である。到道博物館には3艘が収蔵されている。飛島特有の船で、イカ釣り(3人乗船)、磯漁(1人乗 船)などで使用された。常設展示されているものは全長813cm、胴中幅117cm、胴中高64cmを測る。シキの両側にオモキを接ぎ付けた構造で、しか も部材の厚さ9cm余りという岩礁の多い磯場の漁に耐える厚みを持っていた。接合には鉄カスガイが多用され、チキリも併用される。
 日本海に分布するいわゆる「ドブネ」構造の船が様式化の度合いが強いのに比べ、「マブネ」は同じ「オモキ造り」とはいえ造船技術上やや特異な特徴を持 つ。飛島で「マブネ」が使われるのは明治後期と比較的新しく、ある船大工がマルキブネからヒントを得て造り始めたとされる。そういった点からも「ドブネ」 とは少し距離をおいた歩みをしてきたと捉えられている(出口2001)。

(9)まとめ

 ひとくちに木造和船といい、「オモキ造り」「ムダマハギ」というが、地域によってその姿は大きく異なるものもあれば、意外な共通点を持つものもある。造 船技術がどのような系譜を持ち、どのような伝播をたどったのか、現存する木造和船を詳細に観察し、地道な比較検討を重ねていく必要があろう。今回の調査で は、新潟県上越地方の地引網ドブネや、他県に比べて比較的良好に残存している秋田県や山形県の木造和船を実見する機会を得て、多くの新知見を得ることがで きた。

3.今後の調査計画

 今年度実施した、日本海側を中心とする県内外の博物館に所蔵・展示されている和船・船具・漁撈具等の調査のほか、収蔵している和船の実測図の作製や和船 建造に携わった船大工からの聞き取り調査によって、ドブネをはじめとする北陸から東北南部地域の伝統的な和船の構造や製作方法に加えて、和船を用いた漁撈 などについて比較検討する材料を得た。
 昨年度調査した青森県から北海道特有のムダマハギ技法と、ドブネなどにも見られ丹後・若狭から秋田以南の日本海側に広く分布しているオモキ造り技法は、 いずれも丸木舟から板材を用いた構造船への進化の過程を示す技法とされている。今年度調査した秋田県はムダマハギとオモキ造り、両技法の接点とされる場所 であり、またごく近年まで単材刳舟が用いられた地域でもある。実際にそれらを調査して両者の比較と検討を行えたことは、氷見地域だけでなく日本海沿岸域の 造船技術を考える上で有意義であった。
 さらに、「日本海周辺地域木造和船残存状況等アンケート」調査、及び日本海域周辺自治体のホームページ調査によって、日本海域での現時点における木造船 の所在に関する基礎データを得ることができた。
 次年度には、引き続き補足調査として現存する和船の資料収集に努めるほか、収集したまま手付かずになっている木造船の修覆やその記録等の作業を実施し、 現存する和船の実測図を作成する予定にしている。これらの成果は、調査報告書として刊行し、広く一般に配布・公開したいと考えている。
(文責 廣瀬 直樹)

参考文献

秋田県教育委員会 1978  『秋田の漁撈用具調査報告』秋田県文化財調査報告書第57集

秋田県教育委員会 1995 『秋田県の木造船 ―秋田県指定有形民俗文化財「県内木造船資料」―』文化財収録作成調査報告書第252集

秋田県埋蔵文化財センター 2000 『洲崎遺跡 −県営ほ場整備事業(浜井川地区)に係る埋蔵文化財調査報告書−』秋田県埋蔵文化財調査報告書第303集

出口晶子 2001  『丸木舟』 ものと人間の文化史 98 法政大学出版局

和船建造技術を後世に伝える会 2005  『船をつくる、つたえる 和船建造技術を後世に伝える会調査報告書』

(Jun.,2007.)


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