(Jun.12,2007.Orig)

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2006年度東京大学大学院講座

マネジメント研究事例-日本海学の構築をめざして-


目次

「魚類と日本海」 稲村修
「逆転の発想に学ぶ-異分野連携の実践」 森勇介
「断片化社会とものづくり文明論」 前田泰宏
「21世紀の環境・経済・文明プロジェクト」 岸本吉生
「ものづくり生命文明」 安田喜憲
「歴史資源を活かして地域を再生する~日本海地域とイタリアの事例~」 民岡順朗
「資源危機-Out of sight, out of mind-」 谷口正次
「日本海学の広がり」 中井徳太郎
「ネイチャー・テック-自然に学ぶものづくり」 石田秀輝
「場所文化の創造に向けて- 場所文化フォーラムの実践」 吉澤保幸
「日本海と食」 寺島圭吾
「多摩川源流百年の森づくり」 矢野康明



2006年度東京大学大学院講座

マネジメント研究事例-日本海学の構築をめざして-

魚類と日本海

講師 魚津市教育委員会、前魚津水族館学芸員
稲村 修 氏

日時 20065月23日(火)

 日本海は対馬、津軽、宗谷、間宮海峡で囲まれているが、対馬の水深が約150m、津軽が約130m、宗谷は約55m、間宮に至っては10mほどである。洗面器をイメージしていただければいい。そこに黒潮から分かれた対馬暖流が対馬海峡から流れてくる。この水は当然津軽海峡から流れ出していったり、一部が上のほうで回ったりする。

 最近、各地で深層水というものを取っているが、富山では大体300mより少し深い所から取っている。日本海は大きく二重の層になっており、これはビールを注ぐと液体の部分と泡の部分が分かれるようなもので、その境目が大体水深300mである。日本海の300m深い所には日本海固有水という、冷たくきれいで、栄養塩が多い均質な水があり、その上に対馬暖流が流れ込んでいる。しかし対馬暖流自体は、暖かいうえに、入り口では水深150mで仕切られているので、本来600mほど厚みがある黒潮が入り口で止められている。

 では、深層水と呼ばれる冷たい水はどこから来ているのか。ウラジオストクやアムール辺りに、冬になると非常に冷たくて乾燥した風が吹く。そうすると、その表層にある水、つまり基本的には対馬暖流が流れ込んで回ってきた水が冷やされ、水分が飛ばされて濃くなる。そうすると重くなって下へ沈みこむ。これが先ほど言ったビールの液体の部分で、日本海固有水になることが分かっている。

 富山湾を例に取ると、日本海自体はいちばん深い所で3500mほどある。富山湾は1250mほどしかないが、やはり二層に分かれているので、富山湾を見れば大体日本海が分かる。日本にある三大深湾の一つが富山湾で、日本海側では唯一である。例えば若狭湾は大きな湾だが浅い。しかし富山湾は非常に深く、能登半島に囲まれているため岸近くから急激に深くなっている。太平洋側では駿河湾と相模湾が深湾である。海洋学で深層と言うと1000~1500mなので、300m以下の所を深層と言うと少し問題があるかもしれないが、ともかく二層に分かれている下層部の水を深層水と呼んでいる。それが富山湾の容積の75%を占める。今これを一生懸命パイプで取って商品化している。

 この水は、清浄、冷たい、栄養豊かという特徴を持つ。大腸菌の量が表層の水に比べ1~2オーダー低く、また水温が大体均一で1~2度ぐらいである。厳密に言うと0.5度以下を固有水という言い方もあるのだが、富山では大体1~2度という言い方をしている。栄養豊かというのは、この水を使って魚を育てたら育つという意味ではない。深層水の栄養とは、植物の三大栄養素と同じく、窒素、リン、カリである。海の生物が生きていく基礎になるのは植物プランクトンで、太陽光線によって表層で植物プランクトンが繁殖することが生命の始まりである。植物プランクトンは繁殖に窒素、リン、ケイ酸を使う。陸上のカリの代わりにケイ酸を使うのは、珪藻類が多いからだ。しかし、200m以下の深い所では光も入ってこないので、窒素、リン、ケイ酸が使われていない。そういう意味で栄養が豊かなのである。富山でもこの深層水を使った養殖はたくさんしているが、中でも特徴的なものの一つにアワビがある。といってもアワビ自体の養殖に深層水を使うのではなく、アワビのえさになる珪藻や昆布などを育てているのだ。

 「県の魚」というと、秋田はハタハタなど旬の魚と決まっている。山口はトラフグ、福井は越前ガニ(ズワイガニ)、青森のヒラメ、山形はサクラマス、石川はイカやアマエビなどたくさんある。島根はトビウオ(アゴ)で、これを干したものでだしを取る。

 では、富山は何か。富山県の魚は平成8年に選ばれている。県のイメージに合い、歴史的文化的に県民になじんでおり、それ相当の漁獲量があり、知名度が高い、富山県特有の魚ということで三つも選んだ。まず富山湾の王者、ブリ。越中ブリでそれなりに有名な魚である。そして富山湾の神秘、ホタルイカ、最後の一つが富山湾の宝石、シロエビである。

 ブリは富山県の中でも場所によって呼び名が違う。1歳魚はツバイソ、それからコゾクラ、フクラギと名前が変わっていく。フクラギは30cmくらいで、お腹が女性のふくらはぎに似ているからフクラギだという説もある。ほかにガンドとハマチという言い方もある。県西部に氷見ブリで有名な氷見市があるが、そこでは1歳魚をガンドといい、魚津ではハマチという。実は東京の築地市場に行くとハマチというのはブリの子供で、フクラギサイズで、四国や愛媛などで養殖したものをいう。関西の呼び名なのである。

 ブリは日本海側でも太平洋側でも取れる出世魚である。各地で大量に取れるものは、津々浦々というように、浜で呼び名が全部違う。魚津でいうハマチは、天然物で大きな1歳ものである。古い時代に関西からハマチという名前が入ってきたのだと思う。2歳魚は沿岸に寄ってこないのか、富山ではあまり取れない。取れるのは3歳以上のブリである。大体4月の春に九州の南西部で産卵している。生まれた子供はモジャコといわれる。それが流れてきて大体5~6cmから10cmくらいで岸に着く。ちょうど富山ではお盆のころである。それがこの場所で成長して、1年めのツバイソやフクラギと呼ばれる30cmくらいのものになる。そして満1歳になって、ハマチ、ガンドになる。3歳になって北海道のほうまで行くが、北の海は南の海に比べて栄養源の供給が非常に多く、「豊饒の海」といわれるように生産性が高い。そこで大量にイカ、イカナゴなどいろいろな生物を食べて大きくなって太ったブリが、11月ごろに水温が下がったころに一気に南下してきて、富山でちょうどお歳暮のころに取れる。昔から越中ブリということで有名である。

 これがなぜおいしいのか。今はどこでも巻網でブリが取れるが、そのころにはお腹に卵をいっぱい持っていて身の味が落ちているので1kg100~200円で取引される。つまり、ほとんど身が食べられずキャットフードなどにされているのだが、富山で取れるときには、まだ卵巣や精巣が小さいので、脂がのった状態のものが取れる。普通、ブリらしいブリというと10kg以上で、以前は12kgと言っていたが、最近は5~6kgのものをブリと呼んでいる。もっと困ったことは、富山のどこかでブリが取れたというニュースが流れると、店頭に愛媛産や九州産の養殖のブリが並ぶ。それは脂ののりが全く違い、食べ比べるとすぐ分かる。天然物は脂がさらっとした感じなので、かまの部分をカリカリと焼いて、レモンをかける前に皮を食べるといちばんおいしい。養殖物だと脂がどろっとした感じがする。

 次にホタルイカ、私の専門である。これは大体10cmくらいのイカで、今年は全然取れていない。富山湾は沿岸から急激に深くなっており、産卵期になるとホタルイカは大体水深200mの所に行く。日本海側のほかの地域だと水深200mは沖合なので、昔の技術では取れなかった。富山では昔から地引き網、もしくは小型の定置網で取っている。つまり、富山湾という地形が生んだ産物である。

 ホタルイカのお腹がなぜ光るかというと、海の中では光は真上からしか来ないので、泳いだときにお腹が影になるのを消すために光っていると考えられている。実際に光を当ててみると、基本的に海底の深い所に来ている光と同じ波長、同じ色、同じ強さくらいの光を出しており、強さを変えることもできる。また、お腹のほかに皮膚発光器、腕発光器も持っており、腹側の先端に大変強い発光器が3個並んでいる。ほかに眼球のお腹側にも発光器があるが、これも恐らく目の影を消すために使っていると思われる。

 腕先の発光器は、以前は外敵に対する威嚇のためのものだといわれていた。テレビの映像で3月1日にホタルイカ漁解禁のニュースが流れると、すごく光っている。あれは定置網に引っかかって、逃げられなくて光っている状態なのである。これを水槽の中でやってみたのだが、捕まえると光るが、水の中に入ると必ず光を消す。越後の笹だんごの笹のような感じで、構造上、表面に膜があって、それを瞬時に閉じることができるのだ。ホタルルシフェリンという発光物質をホタルルシフェラーゼという酵素を使って光らせているのだが、これは瞬時には消せない。そこで恐らく膜を使っているのだろうと思われる。私も以前は外敵を驚かすために光っていると思っていたが、よく考えてみると、こんな小さなイカが幾らタラの前で光っても、タラが驚くだろうか。水槽の中でやってみると、見事に食べられた。正直、どういう刺激で光るかもよく分かっていないのだが、捕まえると光る。それで、構造的なことを調べてみた。

 一般のイカが敵に襲われたらスミを吐く。イカのスミは、ねばっとしている。外敵が来ると、自分の形と似たねばっとした塊、ダミーを置いて、自分は逃げるのである。タコの場合は、スミをふわーっと広げて煙幕として使うので、さらっとしている。ホタルイカの場合も、もともと浅い明るい所で生活していた種だと考えられており、それが暗い所に進出していくにしたがって発光器を発達させたのだろう。だから、水の中で逃げるときに瞬時に光って、すぐ消して逃げる。いわば光を使ったおとりというのが私の仮説だ。

 発光の構造は、ルシフェリンを粘液などを使って光らせるというもので、ホタルと一緒である。肝臓で発光物質を作り、それを移動できる形にして腕発光器や眼発光器や皮膚発光器に持っていく。それを燃やして酸化したものをまた肝臓に持っていき、肝臓で生成し直している。実は腕発光器に送るときのホタルイカのルシフェリンは、ほかのたんぱく質とくっついているようで、非常に発光しにくい形でためられている。それに対して皮膚発光器や眼発光器では、非常に発光しやすい形でためられている。要するに、皮膚発光器は常に光っていなければいけないので発光しやすい形で回しており、腕発光器ではためておいて大量にどんと使わなければいけないから発光しにくい形でためているのではないか。

 ホタルイカは全国に分布しているが、日本海では、産卵期始まる3月ごろに水温が上がってくると、200mほどの水深に上がってくる。そして、夏ごろ大和堆の辺りで若いイカが取れる。沿岸のほうが温度が上がりやすいので、沿岸に来て産卵をして大和堆に流れつき、そこで成長して戻ってきているという仮説が出ている。

 ちなみに、12月ごろに取れるホタルイカは雄雌半々だが、3月ぐらいになると雌がほとんどになる。首のところにバナナように白いものがついているのが精夾という精子の入ったカプセルだが、1月か2月の間に交接したあと、雄は沿岸に寄ってこないのか、死んでしまうのかは、今のところ分かっていない。寿命は1年といわれている。

 次にシロエビである。これは標準和名ではシラエビといい、水深200~300m、つまり、深層水にも対馬暖流の暖かい所にも入らない中間の所に生息している。分布は新潟を含めた富山湾周辺で、太平洋側の駿河湾、相模湾にもいるが、漁業として取れるのは富山だけである。最近はお刺身にして食べたりして有名になったが、以前は桜エビの代用品だった。からあげにして食べるとビールの際に最高だ。

 ここからは、表層にいる魚の話から、徐々に深い所の話に移る。まずカタクチイワシである。下あごが短いのでこういう言い方をするが、太平洋側ではセグロイワシという言い方もする。背中が黒くてお腹が白いのはなぜか。鳥が空から海を見ると青く見える。それに合わせて、表層にすむ魚の多くは背中が保護色として青くなる。それに対してお腹のほうは、海底から表面を見ると白っぽくなっているのに合わせている。

 次は、目がうるんでいるように見えるので、富山でウルメイワシと言う魚である。国語辞典で「氷見イワシ」というのを引くと、これのメザシのことである。

 マイワシは最近、日本海側で取れていないと新聞に載っている。太平洋側はたくさんいる。原因は分からない。単純な地球の温暖化がどうしたというレベルの話ではないと思う。取りすぎたということもあるだろう。ただ、これが減ると代わりにカタクチイワシやアジが取れ、アジが減ればサバなど、同じようなえさを食べるほかの魚が増えてくる。これを魚種転換という言い方をするが、その流れの中の一つかなという考え方もある。過去にもそういうことはたびたび起きている。

 トビウオは、本当に400mくらい飛ぶ。朝、船の甲板にいっぱい落ちている。船が走ると一緒に飛んだりして、飛び込んでも来る。これが飛ぶのは、胸びれが長くてグライダーのようになるからだ。もう一つ、尾びれの上が短くて、下が長い。これは水面をたたくためである。

 サヨリは、口がとがっていて、これも背中が黒くなっている。刺身にするとおいしい。

 サバは、「秋サバ、秋ナスは嫁に食わすな」ということわざがあるが、実は富山湾では秋サバではない。石川県から南では大きいものが秋に取れる。富山県から北は冬である。日本海の中でも系群といって群れが分かれている。能登半島を境に分かれていることはよくあり、ヒラメなどもそうである。干物、味噌煮、フライになっている腹のストライプの太いものはマサバで、ノルウェー産のものは脂がのっておいしい。点々があるのはゴマザバという。

 オオクチイケカツオは、平成8年に富山湾で取れたのが日本初記録だった。本当は熱帯地方のものだ。

 これは500kgあるマンボウである。大体2億~3億個の卵を産むといわれており、たくさんの卵を産むことで子孫を増やそうとするタイプである。体が大きいものは畳1枚以上にもなる。これは暖流の表層にすんでおり、富山県でも魚津市では食べないが、氷見市では腸をゆでて食べる。

 暖流の表層にすむ魚のうち、クロダイは性転換をする魚である。性転換は生物の世界ではごくごく普通の話である。クロダイの場合は、先に雄として成熟する。今ちょうどクロダイの産卵期で、ノッコミといわれる大きなクロダイが釣れる時期だが、大きなクロダイを釣ってきたら、「雌だったでしょう」と言うと大体当たる。体長35cm以上のものはほとんどが雌である。また、マダイは桜のころがいちばんいいのでサクラダイと言う。

 ホッケは、北海道の場合はシマホッケが有名だが、富山湾でも取れる。富山湾の場合は水深100~200mと、けっこう上下に移動する。小さい30cmくらいまでのホッケは、脂がなくておいしくない。戦後、配給品としてこのホッケが非常に出回ったそうだが、ホッケは非常に腐りやすい魚なので、大変まずかったという話もある。

 マダラがすむ辺りは水深100~250mほどで、まだ深層水までは行かない。タラの仲間の特徴は、スケソウダラと言って蒲鉾にするのも一緒だが、下あごにひげが1本、背びれが三つ、尻びれが二つある。普通の魚では背びれがあっても二つで、尻びれが二つもない。

 ホテイウオは、七福神の一つの布袋さんはお腹がぷくんと丸い神様だが、それに似ているので名づけられた。この仲間は雄の吸盤が大きくて雌の吸盤が小さい。産卵期の冬になると水深10mほどの浅い所に来る。そして、雄が石にへばりついて、雌に産ませた卵の塊を子供が産まれるまでずっと守っている。そのために雄の吸盤は大きいのである。冬場は水温が10度ほどだが、子供が成長するにしたがって水深400mの深層水の世界に行き、産卵期になるとまた戻ってくる。つまり、もともとは浅い所の魚だったのが深い所に進出していったのだ。しかし子供を産むときは浅い所で産まなければならない。サケと一緒である。

 カガバイという貝は、全国的にはアズキガイと言うが、普通のいわゆるバイという浅い所の貝は、TBTなど有機スズの船底塗料などを使ったことで非常に減った。インポセックス化というのだが、有機スズのせいで雌の貝におちんちんが生えてしまうのである。それによって輸卵管の卵を運ぶ管がふさがれてしまって繁殖できないのだ。

 富山湾では4種類ほど、ちょうど深層水辺りの深い所の貝が取れるが、これは刺身にしても何にしてもおいしい。ただ、この深い所の貝は昔は身しか食べなかった。今は貝くそといってカニみそに当たるお尻の部分を食べる。しかし、ここにカドミウムや水銀などの物質が含まれており、若い女性のかたにはお勧めしない。そういうデータが実は調べられてはいるのだが、公表されていない。研究者のかたも、書くときは英文で専門の雑誌に出す。そうしないと風評被害が出てしまうからだ。

 アマエビは、標準和名ではホッコクアカエビという。石川県富山県福井県新潟県でそれぞれ取れる。ちなみにこれも性転換する。大体4~5歳ぐらいで皆さんが食べられるのはみんな雌である。若いうちが雄で、あとで雌に変わる。これは煮ても焼いても全然おいしくなく、刺身しかない。それも、取ってすぐ食べると、歯ごたえがあるのだが甘みが少ない。ちょっと時間を置くと、表面の免疫質のものが出てきて舌が甘みを感じやすくなるのだそうだ。

 ガンコという魚はアンコウと似ている。富山で鍋の材料として売りに出されている。これも図鑑においしくないと書かれているが、肝臓はアンキモよりもずっと味が濃いし、こちらのほうがずっとおいしい。富山では、女性のかたに子供が生まれたと聞くと、これを贈る。タラもそうだが、乳が出る魚だ。信州へ行くとコイを贈る。子供が生まれると、白身の魚を送るという習慣が各地である。

 イサゴビクニンは、雄雌よく似ている。性的二系ということで、成熟することによって形が変わっていく代表的なものである。これは50cmぐらいのものだが、入善で深層水を取っている管の中に入ってきた。あまりおいしくないので食べない。

 ビクニンというのは比丘尼、尼さんのことだといわれている。ちょうど頭が丸い感じで白い頭巾をかぶっている形に似ているからではないかと思うが、このビクニンという仲間には深海性のものがたくさんいる。富山や日本海では水温が低い深層水にいるが、もっと北極に近くなってくると浅い所にいるようになってくる。

 ゲンゲは、コラーゲンが多くて女性のお肌にいいといって、今、一生懸命干したものを作っている。ゲンゲはあまり富山では食べなかった。下の下の魚だからゲンゲといったという説もあるくらいだが、今は大騒ぎしている。黒ゲンゲを干すと、顔が歯がむき出しになってエイリアンのような顔になるが、干したものを軽くあぶって食べるとすごくおいしい。また、白ゲンゲ(標準和名ノロゲンゲ)はゼラチン質が多いので、最近はものすごくブームになって、平成8年ぐらいから一気に値段が上がっている。

 ます寿司は、本来は富山のサクラマスで作っていたが、今はあまりいないので外国産のサケを使うようになっている。ただ、商標表示の中で原材料を示さなければいけなくなって、これが今、問題になっている。しかし、もともとのサクラマス自体が、実はサケなのである。英語でもマスはトラウト、サケはサーモンと区別するが、その違いは一生、川で過ごすのがトラウト、海に下りるのがサーモンということのようだ。その点、サクラマスは海に下りるので、本当はチェリーサーモンである。しかし、日本海側でマスというとサクラマスを指すことが多いので、ますの寿司という名前がついている。

 富山県では、サクラマスの多くは雌である。雄雌同じ数が生まれるが、雌の多くが海に下る。川に残るのがヤマメで、雄が多い。雄は鼻先が鉤鼻状になっている特徴がある。サケ科の特徴的なひれである脂びれの大きさでも区別できる。雌は富山からアラスカのほうに行って、3~5年を過ごして戻ってくる。したがって、もし向こうで汚染があれば汚染も一緒に運んできてしまう。また、川の上流へ来たサケがいろいろなものに食べられたり、自分が死んだ死骸の栄養分がいろいろな生物に使われる。例えばサケを食べた鳥のふんがリン酸となって山の木を育てる。

 そのような形で物質循環が行われていることは、よくいわれている。もともとの自然の生態系とは、こういう水の流れだけではなく、それに逆らうという動きというものもあって、物質が動いていた部分があったということは事実なのではないだろうか。

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2006年度東京大学大学院講座

マネジメント研究事例-日本海学の構築をめざして-

逆転の発想に学ぶ-異分野連携の実践

講師 大阪大学大学院工学科 助教授
森 勇介 氏

日時 20066月20日(火)

 今、大きなNPOを中井先生が中心になって立ち上げられて、その中に私も入れていただいている。技術を実用化していくときには種をどう育てていくかも重要だが、いろいろな連携を組まないとできない。それが医工連携であり、産学連携であり、異分野連携であるが、我々はこれを実践でやっていこうとしている。

 レーザーの光を大体12本均等に集めると、ものすごい力で中の重水素を押すので核融合が起こる。これはアメリカやフランスで水爆のシミュレーションになるということで大変はやっているが、それを日本でやっているのが阪大のうちのボスである。ここで出ているレーザーの光は赤より波長の長い赤外線である。しかし核融合の効率は波長が短いほうがいいので、波長変換という技術を使って緑にしている。ところがビームが大きいと結晶も大きくないといけないため、うちのボスが20年以上前に大きい結晶を作る研究をしていた。

 今、パソコンや携帯電話のプリント基板に穴を開けるのにレーザーが使われているが、これがどんどん小さくなってくると開ける穴も小さくなってくるので、波長の短い紫外線が要ることになる。したがって、紫外線を出すいい結晶を開発する研究競争があった。これは軍事目的でアメリカ、ロシアで研究が非常に進み、中国もすごかったが、日本は後れていた。阪大は非常に弱小部隊で後発で、一か八かで新結晶発見でもやるかと言っていたところ、研究室の女の学生が、とにかく卒業できたらいいからギャンブルのような研究をやるといって取り組んでくれた。普通に考えると新材料が発見できるわけがないのだが、1発めに混ぜた比率が大ヒットとなり、世界でいちばん特性がいいものができてしまった。それで今、JST(科学技術振興機構)から特許を出してライセンスしようとしている。

 三菱電機はこれを実用化してプリント基板の穴開けの製造ラインの現在のシェア50%をもっと上げることを目論んだ。我々はお金をもらえるのならと参加したが、振り返ってみると、東芝、ファナックス、川崎重工、松下などの13社、島津の田中耕一さんの部隊なども入った経済産業省のプロジェクトに大学が入った日本で初めてのケースになった。

 紫外線は、すごいパワーを出したほうが一気に穴が開く。しかし、たくさんパワーを出すと自分に穴が開く。したがって、幾ら紫外線を出しても壊れない結晶を造るというのが、この国家プロジェクトのミッションだった。結晶は、原料を溶かしたところに種結晶を入れて冷やすと、しゅーっと成長していくのだが、これをどうしたら品質がよくなるかは分からない。結局は当て勘の世界になってくるが、とにかく予算がついてしまったので何かしなければならないというときに、ありきたりとは少し違ったことをやろうと、おふろに入ると自然とお湯をかき混ぜるのと同じではないかと思いついて、中身をかき混ぜてみた。

 このかき混ぜる装置だけでも1500万ぐらいかかったので、かき混ぜてよくならなかったらどうしようとは思ったが、5年間かき混ぜるとものすごく強くなり、レーザーを当てても壊れなくなった。結局5年後のプロジェクトの最後には、三菱電機が造った非常に大きいレーザーの光の波長を変えて紫外を出しても壊れなくなり、プロジェクトが始まったときは数ワットというレベルだったものが一けた上がった。それで、うまくいかないといわれる産学連携の成功例として、通産省からいろいろお褒めの言葉をいただいたりした。

 そのほかに最近はガリウムナイトライドと言って、中村修二さんが200億円裁判で有名になった材料の結晶も造っている。実はこの結晶の世界でいちばん品質のいい作り方を我々は見つけたのである。中村修二さんにも会ってきた。

 このように、私はもともと半導体やレーザーの研究をしていたのだが、5年前に突然、タンパク質をやり始め、新しい分野連携を始めることとなった。タンパク質はぐちゃぐちゃとした形が実は重要で、この形で悪さをするらしい。例えば口のようなところが役に立つタンパクにぱくっと食いつくと、タンパクが仕事をしなくなって病気になる。そのぱくっと食いつくところに猿ぐつわのようなものをぽんとはめ込むと、悪さをしなくなる。それが薬である。だから、薬を作るためにはこの形が要ることになる。つまり、悪さをする口にすぽっと先っぽだけ薬を入れ、その形に合わせて分子を設計して伸ばしていくと、抜けなくなる。抜けなくなると、薬の効果が1000倍以上高くなるということらしい。

 したがって、この形をどうやって調べるのかが重要になってくる。しかし、分子は大体数ナノ、数十ナノの大きさなので、目で見えないので結晶にしなければならない。皆さんがコンピュータに使っているシリコンなどは、原子がきれいに並んでいる。この並んでいるものを、スプリング8や高エネルギー研究所へ持っていってX線構造解析で調べると分子の形が分かる。並ばないと分からない。だから、ポイントは並べられるかどうかで、並べたら薬のデザインが分かるということになる。

 しかし、タンパク質は分子が大きく、グニャグニャ動くので、ものすごく並べるのが難しい。特に薬になるようなタンパクは、分子がもっともっと大きくなっていく。つまり形が複雑なものほど、いいこともすれば悪いこともするのである。すなわち、大きな固まりをきれいに並べるというほうが難しい。これをどうするかを今、日本の国家プロジェクトでやっていたりもするのだが、なかなかうまくいかない。

 今、どうやってタンパク質の結晶を作っているかというと、水滴にタンパクを溶かしてじっと待つ。タンパク質の結晶を作ることが始まって世界で40年ぐらいたつが、なぜかじっとしているほうがいいとみんな思い込んでいた。そこへ僕たちが、かき混ぜたほうが品質もいいということを見つけた。さらにもう一つ、レーザーを使っていろいろやっていたときに、レーザーを液体にぽんと当てると結晶がぽこんと出るということを、たまたま有機の材料で研究していた。それで、こういう新しい結晶を作る技術を何かに使えないかと思ったわけである。「ニュートン」や「日経サイエンス」を読んで、半導体やレーザーもそのうち行き詰まるだろう、バイオにいきたい、しかしうまくいくわけがないと思っていたところに、タンパク質の結晶を作るのがけっこう難しいと書いてあり、そこなら我々も参入できるのではないかということになった。これはある意味、シーズからの提案である。

 僕は大阪出身で四条畷高校のバスケ部だったが、バスケ部の後輩が阪大理学部を出て、タンパク研にたまたまいた。そこで彼に、「この新しい技術をそちらの世界に持っていったらどうなるか」と聞いたところ、「内容が違いすぎる。あまりにも非常識だ」と言われた。シーズからの提案の難しいところは、相手が嫌だと言ったら終わってしまうことだが、今回は先輩後輩の関係だったので「つべこべ言うな。やれ」と言えた。彼も、とにかく結晶ができればいい、でき方はどうでもいいのだということで一緒にやってくれた。しかし、溶液にレーザーを当てるだけで結晶がぽこっと出るのは今までなかったことで面白いが、もっと難しいタンパクでないと意味がないと言われた。そして、難しいタンパクは、専門家が大腸菌から採ってきたりする非常に価値があるもので、なかなか手に入らないということだった。

 そのうちに、隣の部屋にあった4000万円ぐらいするレーザーが使えるようになり、かき混ぜるという新しい技術が使えるものもできた。それで、難しいタンパク質がないかと思っていると、阪大生協でまた同級生に10年ぶりぐらいにばったり会った。彼は化学系で、ツェツェ蝿が運ぶプロスタグランジンというアフリカ睡眠病のタンパクを研究しており、それを結晶にするには、準備してから半年間ほうっておいて、500回のうち3回ぐらいしかできないぐらい難しいということだった。それで、うちで1回試そうと、ぽんと当てると2日でぽこぽこ結晶が出てきた。これはあまりにも革新的すぎると僕もびっくりした。

 その同級生は、膜タンパクの構造写真で2002年の「ネイチャー」の表紙を飾っていた。しかし、写真がピンぼけだった。ピンぼけというのは結晶の並び方がいまいちきっちりしていないからで、薬のデザインまでいかないので製薬会社が全然飛びついてこなかった。それで、2002年から2年間ひたすら多く手に入れた予算を結晶化に突っ込んだのだが、品質が上がらないまま、もんもんとしていたのである。

 これが2週間で記録的に品質が上がったので、どんどんいろいろなタンパクをやっていこうということで、京大のウイルス研の所長さんのタンパク質も手掛けたし、ドイツからはリポゾームの結晶化の話も来た。この世界では結晶を作り、その構造を解いてノーベル賞をもらった人が4~5人いる。今まで宇宙に行ってじっとしていたほうがいいのではないかと思っていたところへ、レーザーを当ててかき混ぜたほうがいいのではないかと言っても、最初はだれも信用してくれなかったが、成果が出るとみんなだんだん信用してくれるようになってきた。成功率は、昔の方法なら2割であるが、我々の方法では7割である。

 それで、去年7月1日に創晶(SOSHO)という大学発ベンチャーを立ち上げた。製薬会社から薬のデザインをしたいのでタンパク質を結晶化してほしいという依頼を受けて、結晶化して返すが、大体今、1回1個のタンパク質を作って、失敗しても成功しても300万円というオーダーで受けている。ただ、ビジネスとなると我々は素人集団になってしまうので、最初に友達がいた三菱商事に相談しに行った。次に民主党の代議士に相談したところ、三菱商事は会社なので怖い、僕が話をつけてあげるからと、阪大側に有利なようにいろいろ交渉をしてくれて会社ができたというわけだ。

 さらに我々は心理学を取り入れ、どうやればコミュニケーション力が上がるのかということを研究した。特許についても『バイオ医療のための知財戦略』という本を書いた弁理士さんが半分ボランティアで加わって協力してくれた。また、そのような異分野連携が面白いということで「日経バイオビジネス」にも載せてもらい、「日経BP」技術賞の大賞、さらに先々週、京都であった産学官連携推進会議で科学技術政策担当大臣賞をいただいた。

 もう一つ、ニーズから始まった異分野連携は、うちの整形外科の吉川先生や菅野先生と一緒にやった人工関節の研究である。1個が100万し、全部で2兆円近くのマーケットがある。これは5年前、たまたま僕が酔っぱらってこけてけがをして、整形外科を受信したのが始まりである。あまりにも傷が軽く、診察のあと先生と雑談している中で、医工連携の話になった。それで阪大の中の食堂のような所で飲み会をやりながら医学部と工学部で集まってプレゼン大会をしたのだが、そのあと、医学部の幹事をやっていた菅野先生から、「相談したいことがある」と言われて、初めて医局に足を踏み入れた。その先生は、人工関節で困っていると言うのである。例えば変形性股関節症では、変形している骨を取って人工関節を埋めるが、15年ほどたつと緩み、がくがくしたら再手術をしなければならない。再手術をすると300万かかる。だから、一生入れっぱなしでいい人工関節が欲しい。今は緩まない工夫として、粒をつけて滑り止めにしている。問題は、粒の形が非常に適当できちんとした滑り止めになっていないことである。さらにこれがたまに取れることがあって、大変痛い。取れるとまた再手術だということだった。

 最初、その先生はレーザーで穴を入れて骨が入っていくようにできないかと言っていたが、「できるが、大変だ。チタンやコバルトクロムは非常に硬い」と医局へ行って話し合った結果、溝でいいのではないかという話になった。そのときも、僕たちが加工技術を持っているわけではないので、東大阪のレーザー加工が大好きな親方に頼んだ。その人はもともとレーザービームの加工をしていたが、これを紫外にしたいとずっと前から相談に来ていた。しかし近経局などへの申請が通らず、どうしようかと言っていたところへ人工関節の話が来たので紹介すると、見事にさっとレーザーで溝を彫ってくれた。

 それで、とりあえずできたので、いろいろなパターンを彫ってそれを全部ウサギに入れて、骨が伸びてくるところを見た。溝の場合は幅100μ、200μ、800μとやってみたが、大体500μになると本当にぴったり入るということが分かった。実は細胞に最適な溝幅があったというだけで医学部の世界では発見らしい。そういう意味では、けっこううまい連携になったのではないかと思った。逆に、穴はあまり入らず、やはり溝のほうがはるかにいいということが分かった。

 そこで結晶で一緒にプロジェクトをやっていた元経産省の人にお話ししたら、面白いから地域新生コンソーシアムに出そうと言っていただき、日本メディカル・マテリアル(JMM)という神戸製鋼と京セラが作った日本一大きい人工関節メーカーと阪大等が組んだプロジェクトが立ち上がって今、2年めを迎えている。ただ、世界ではジョンソン&ジョンソンが独占に近い。何とかこれを日本発の新しいものとして売り出そうとしたが、実は強度試験でポキッと折れてしまった。それを折れないようにすることにいちばん苦しんだが、結局、溝を彫っている所を盛り上げると折れなくなり、もうすぐ実用化できる。

 人工関節は、手術室にがばっと持っていき、その中からお医者さんがパッと選ぶらしい。選ばなかったら一生使われない。やはり医工連携は絶対お医者さんと組まなければならないとしみじみと思った。今回のパターンは完全ニーズ主導型で、先ほどのものとは全然違う。異分野連携では両方のパターンがあるということである。

 医工連携のよくある失敗は、工学部の先生が自分の技術シーズはいいと医学部に持っていくと、大概うまくいかないというものだ。医学部の先生は忙しい。医学部の先生が、最先端でこんなことが起こっていて困っているというニーズを教えてくれて、それに合う技術を僕たちが出していくという形が特に医工連携では有効ではないかと思う。

 異分野連携は、最後はチャレンジである。自分の時間とお金を使い、人も使うが、重要なのはどんなニーズとどんなシーズを組み合わせるかである。つまり、結局はだれと組むかだ。それを間違えると、あとでどれだけ努力をしてもうまくいかない。あとは運だが、運は生まれつきのものではなく、やはりチャレンジした人がつかんでいる感じがする。

 また、新しい技術シーズ、種を見つけたら、やはり最後は実用化やビジネスに持っていかなければならない。そこで研究者以外のかたの出番が出てくる。やはり大企業は、新しいシーズができても、それをビジネスに持っていくのが遅すぎて無理である。我々が発見したレーザーの結晶などでも、最初に実用化したのは全部アメリカの企業だ。日本の企業はいい成果が出ても、なかなか上の承認が出ないとか、いろいろなことで困っておられた。

 そういうときに新しい市場なり、新しい応用なりを考えるものをベンチャーと言ってもいい。それでベンチャーをたくさん作って、いろいろなパターンを試そうということを大学発ベンチャーが先駆者としてやろうとしているのだろうが、なかなか日本ではベンチャーが起きない。それはなぜだろうかと僕は思っていた。そんなときに飛行機の中でたまたま会ったのが、心理学の田中万里子先生である。当時、日本には閉塞感があって、いろいろな新聞で子供がキレるということが問題になっていた。先生はアメリカ国籍を持っていて、サンフランシスコ州立大の教授をなさっていたので、「アメリカ人の目から見て日本をどう思うか」と尋ねると、「日本はとにかくトラウマだらけだ。トラウマがある限り日本はよくならない。私はそのトラウマを直す」と言われたので、「僕を実験台にしてやってほしい」とお願いした。

 その後、講演会を企画した。そのときに言われたのは、「日本人にトラウマが多いのは、大量生産のために、記憶力がよくて繰り返し仕事ができる人間を育てる教育システムを作ったからだ」ということだった。そういう教育を受け続けていると、我慢の程度が強い人ほどトラウマが強くなるらしい。そして大学や会社に入ると、いきなり「マニュアルどおりにするな。創造性豊かに活動しろ」といわれるというギャップがある。それで苦しんで、不登校になったり出社拒否になったりする。これをどうすれば改善できるかということで、阪大ではフロンティア研究プロジェクトというものが平成14年から発足して、年間10億ぐらいの予算がついていた。

 僕は早速これをやろうということで、「心理学的アプローチによるベンチャー企業創成」というタイトルで申請したら、採択してもらえた。その中でPOMR(Process Oriented Memory Revolution)という田中先生が開発した方法を受けて、ベンチャーや技術開発、異分野連携ができる人間をカウンセリングで作れるかどうかを試してみたのである。

 例えば、僕のトラウマはおやじへのトラウマである。父の前に行くと、小さかった自分が何も言えなかったように、今の自分も何も言い返せない。実は僕は高校の時はバスケットをやっていて、成績は下のほうだったが、引退後に勉強するとパッと成績が上がった。それで京大へ行って素粒子をやりたいと思ったが、阪大工学部の教授をしていたおやじが、阪大工学部は京大よりいいと言い、それに逆らえずに阪大の電気に行った。しかしあまり肌が合わなかったので理学部に変わりたいと言うと、「あほか!」とまた怒られた。

 それを相談すると、「おやじさんに何か言うときに、どんな感覚が起こるのか」と聞かれた。「気分が重くなる」と言うと、「それをいつから感じたのか」と言われて、小さいころに家が田舎のほうにあって、納屋か蔵のような所に閉じ込められて、従うまで出してもらえないということを何回かされたことを思い出した。

 そうすると、「そこに今の自分が行って助けてあげなさい」と言うのである。「冷静に考えて、そのときのお父さんの執った行動が正しいかどうか考えなさい」と。僕は、小さい子供を訳の分からない理屈でしかって蔵に閉じ込めても子供には分からないと思った。それをきちんと説明してあげたらどうかという感じで、自分の中で解釈し直すのである。そうすると、「何だ、自分が悪くて怒られたのではない。おやじの子供への対応のしかたが間違っていたのだ」と自分で納得する。するとそれがトラウマではなくなって、おやじの言うことはもう聞かなくてもいいのだと自然に思えてくるのである。

 それをやって、次におやじに会ったときに、たまたま家内が一緒にいたのだが、家内がびっくりして「あなた、ファザコンが治っている」と言った。本当だ効果があったようだ。

 このようなことをやらないかと問いかけたところ、40人ぐらいがやりたいと言って、学生から教授までが参加してくれた。この方法は自分で自分を見つめ直さないといけないので、適当に受けると余計まずい、変わらないということがあるのだが、自分をきちんと見つめた人はよくなっている。大体、思っていたことが言えるようになったとか、何となくためらっていたのがすっと言えるようになったということが多い。それでプロジェクトを延長してもらって、阪大では今、数百人の人が受けている。

 異分野連携では、特に技術が専門でないかたは、その人間を見て、この人が言っているのは本当はどうなのかを見極めて連携を取られたほうがいい。そして、本当のコミュニケーションを執ろうと思ったら、素直な言葉のキャッチボールが結局、最後には重要になってくるのではないか。我々はメンタルトレーニングで何とかコミュニケーション力を向上させて、いろいろなプロジェクトをやってきた。中井先生などがなさっているNPOも巨大な異分野連携なので、皆さんが元気になってそういうものがどんどん広がっていけばいいし、若い皆さんもぜひ新しいことにチャレンジをされたらいいのではないかと思う。

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2006年度東京大学大学院講座

マネジメント研究事例-日本海学の構築をめざして-

「断片化社会とものづくり文明論」

講師 経済産業省ものづくり政策室長
前田 泰宏 氏

日時 2006年6月27日(火)

 

 今日のテーマは断片化する社会とものづくりとなっているが、場合によっては明らかなものづくりの話は一切しないかもしれない。企業が国際競争にどう勝っていけばよいのか、日本のものづくりの全体の方向性はどこへいくのか、ものづくり教育をどうするかというのが、ものづくり室長をしている私への普通の問いだろう。しかし、普通の問いに普通に答えても意味がないのではないかと思うので、あらかじめ秩序されたシステムの中でシナリオどおりしゃべるということはしない。破綻系の話をする。したがって、メモを取ってあとで再構成することは不可能なので、それは初めから放棄して、今の時間が面白いかどうかという一点に集中して聞いていただいて、どこかでものづくりにつながる話が出てきたら自分でつかまえてほしい。

 現在、人間がロボット化し、ロボットが人間化するという逆転現象があるといわれている。都市に住んでいる人たちは、効率という考え方の中で自分を機械化していっている。1日24時間という有限資源である時間をどのように効率的に配分するかを考えることを機械的発想といい、これをする限り、人間のヒューマンな部分ははぎとられていく。しかし、人はいかに熱心に聞いた話でも、次の日になると86%忘れてしまう。それに対して、機械には記憶装置がついているので忘れない。そして、忘れたいかどうかの判断は機械にはできない。これが人間と機械の違いであり、我々が機械ではないということを言うためには、24時間をマイナスアルファとプラスアルファに設定し直す必要が出てくる。これを「意味」と、かりに私は定義している。

 これまで我々が学習と称して行ってきた知識を増やすということでは、この「意味」の設定は不可能である。意味が設定されたと認識するのは脳ではないからだ。へその下の、特にじわっとくるような部分が、本来的には我々の生命体としての意味を監督するものだというのが私の仮説である。その前提に立つと、人の話を聞くということが少なくとも単なる知識の伝達ではないとすれば、話をする場合にねらうべきポイントは、脳ではなく下腹だということになる。私が皆さんと話をして、あるいはコミュニケーションをとることによって皆さんの身体のどの部分が熱くなるか。へその下が少しでも熱くなれば、今日の1日は無駄ではなかったといえる。何を聞いたかは再生できなくても、面白い経験をしたと思えるからだ。実はものづくりの本質もそこにあるのだ。頭を刺激するビジネスモデルから、下腹なり、魂なり、ソウルなりを刺激するビジネスモデルに切り替えた瞬間に、自然循環の中に存在している生命体として実際の物に対峙する必要が出てくる。そうしなければ、動物である人間の下腹の機能は刺激されないからだ。

 『第1回「ものづくり日本大賞」、“受賞者たちの熱きドキュメント”』には、ものづくりで内閣総理大臣賞や経済産業省の特別賞を受賞した27企業を紹介している。ここで紹介しているのは物ではなく、その物を作った人がどのように作られてきたかという人生の断片である。したがって、これは読む本ではなく、感じる本である。例えば、旭山動物園の奇跡のアクリルパネルを作ったのは、日プラという四国の中小企業だった。その商品ができたプロセスや技術を因数分解した知識が欲しい企業は日プラのホームページを読めばいいのであって、私はこの本を、例えば主婦、重いものを持ったことがない女性、今から就職するかもしれない学生、若者、リタイアして日記には盆栽のことしか書いていないおじいちゃんなど、ものづくりに直接関係ない人たちに読んでもらいたいと思っている。意識の中で最も遠いと思っているところが、距離の概念で考えると実は最も近いというパラドックスが存在するからだ。

 この話を多分皆さん経験したであろうことで言い換えると、リフレッシュするために外国旅行に出掛けるのだが、成田に帰り着いたときには違う形の疲れが蓄積していないか。あるいは、足つぼマッサージも、行き過ぎると中毒になって行かないと何となく気持ちが悪くならないか。つまり、我々が癒されようとする世界において、最も必要なことは適切に疲れることなのである。また、自分探しの旅は絶対に終わらない。探す自分がここにいるのだから、絶対に自分は探せない。自分探しをしているというかたの一つの特徴は、責任を転嫁する能力が高いことだ。責任転嫁をしても、ぐるぐる回っていくので、結局自分は探せない。自分がいないことを確認するだけなので、それがストレスに変わる。そして、そのストレスを解消するために外国旅行に行き、疲れて成田から銀座の足つぼマッサージに直行する。そもそも何のために外国旅行に行ったのかという出発点がなくなってしまって、結果的にこういう形になる。

 もちろんこれは漫画チックに言っているだけだが、役所の中でもそれがけっこううまい人がいる。これを行政の世界では稟議という。あれは自分探しをしながら責任転嫁をしていく仕組みである。そして、少し偉くなると今度は下に怒りまくるという形で責任転嫁をする。少し賢い者は上に言い訳する。振りまくる。この振りまくるスピードをもって調整能力が高いというのだ。確かにやらなければいけない仕事はいっぱいある。そこである程度ストレスがたまってくると飲みに行く。カラオケスナックは高いからと立飲み屋に行って日ごろの倍飲む。ふらふらになって帰れなくなってタクシーに乗り、立飲み屋に行った金がタクシー代でちゃらになったうえに帰ると奥さんに怒られる。

 繰り返す批判、中傷の日常、疲れなき癒しの無間地獄、終わらない自分探しの旅。こういうようなものが特に都市部を中心に蓄積されてきて、それに耐えられなくなった従来型のエリートたちの自殺物語はいっぱいある。これは自ら死ぬという意味ではない。事実上自殺している人がけっこういるということだ。これまで登ろうと思っていた高い山が崩れ始めた瞬間に、どこに登ってよいか分からなくなる。その結果、登ろうとしていた自分に懐疑的になって、自分探しの旅の背中を押しているのだ。

 このエリートの自分探しというのは、ピラミッドを前提にした社会モデルの象徴である。ピラミッドというのは、事実上いわゆる階層があるということである。階層の作り方としては、血統や身分という100年以上前の作り方から、学歴というやや半世紀前の作り方、それから能力という若干疑わしい単位においての作り方と、いろいろな単位の変更は起きているが、基本的に社会モデルがピラミッド型であることは変わらない。このようなピラミッド型の組織を前提にする限り、自分探しは終わらない。というのは、そのレイヤーのどこに自分の断片を見つけるかは上の命令によるので、自分のプラスアルファの部分とは必ずずれが生じるからである。

 しかし、与えられるものを全否定して明日からプー太郎になって自分探しの旅に出るというのは、単なる愚か者のすることである。では、この状況を前提としながらどのように自分の中でそのずれを修正するのか。それはもう一つピラミッドを作ることによっては解決しない。どこかでピラミッドをひっくり返すしかないのだ。つまり、自分の行動基準を変えることである。

 その手っ取り早い方法をご紹介しよう。小学校のとき、席替えをしたと思う。また、年度が替われば組替えもあった。席替えには、何となく不安もあるが、わくわく感もあった。しかし日本では、社会に出ると席替えは転職しない限り行われない。つまり、自分を変えたいときは自分の環境設定を変えることだ。それに伴う若干の不安と、そこから得られるかもしれない若干の安心の量を蓄積していくのがまず第1ステップである。全く違うところに行った瞬間に自分が逆転する。これが逆ピラミッド(エージェントモデル)である。

 自分のポジション、自分のタイトルというものを前提にしない世界に入った瞬間から、自分がエージェント(行為の主体者)に変わらざるをえなくなる。行動しないやつは存在しないことになってしまう。私はこのポストにいるからということが通用しないということは、あなたはこのゼロベースから何をする人なのかということが問われ始めることを意味する。足元の視点からエージェントとして再生していく。あえて自分をそういうようなところに切り替えていこうではないかという話である。

 この逆ピラミッドモデルでは、情報伝達の方向が今までと逆転している。さらに、情報の量が飛躍的に増え、掛けるnくらい大きくなる。その情報を、ある一定量きちんと流れるようにしようというのが、いわゆるハードの省庁再編からソフトの行政と言われる電子政府への動きの本質だと言われている。電子政府というのは、申請をインターネットでできるようにして、ワンストップサービスで引越したときの手続きができるようにするというもので、市民サービス上は大事なことである。しかし、電子政府がかりに成功した場合、行政組織は情報の洪水に直面する。例えば、私はものづくり室長をやっているが、ものづくりをやっている町工場を一人で回り切るのは無理である。大田区へ行っただけでへとへとだ。自分が持とうとする荷物が、やればやるほど、倍に倍に増えていく。

 それではどうするか。自分を増やすしかない。とりあえず分身の術だ。この分身を、ネットワーク社会はバーチャルに作ることに成功した。それがセルフエージェントだ。リアルではそれがコミュニティであり、さらに今、分身のニーズの受け皿として新たなNPOが再発生しようとしている。ネットワーク社会の最大のウィークポイントは、バーチャルなもう一人の自分が自分を侵害するという危なさがあることだが、そういう自分が存在してしまうという危なさがあることを前提にしつつも、もう一人の自分、アナザーエージェントを作らなければならない。リアルで回す場合と違ってチェックは難しいが、理念と目的が明確であればNPOは再生する。

 しかし、そこから出てくるものは、公約数処理されていて、自分が本来やりたいこととは変質してくると考えなければならない。固定化された秩序が内でもあるいは外枠でも破壊され、リアリティの世界の中で量的な処理が困難になり、それをもって逆ピラミッド、あるいは席替えをしようと分身の術に入った瞬間、バーチャルの世界がすべてだと思った瞬間に、自分が変質し始めるという危険にさらされてしまう。それでは元も子もないので、変質を防ぐためにあらかじめ自分に対してチェックが利く仲間を作っておき、「おまえ、変だ」と言ってもらう必要がある。

 今までの同質化ネットワークというのはテレビ塔型で、かえるの子はかえるで医者の子は医者、政治家の子は政治家と、2世、3世、4世たちが出てくる。彼らをそれぞれ断片化して再構成すると、また新しく六つの三角形ができる。また、彼らは同じ大学を出ていたりするわけだが、ここでの移動を唯一司ってきたのがいわゆる学歴のパラメータで、たとえ身分が低くても、生まれ故郷が悪くても、ある大学に入るとそれが帳消しになる。ロンダリングである。人生のロンダリングを大学で行い、それをもって言葉ではトビがタカを生むと言ったわけである。

 トビがトビを生み、タカがタカを生む社会を格差社会と言い、トビがタカを生むような逆転がある社会を非格差社会と言う。格差社会では同質系の人たちにより継続的に似たようなものが生産される。これをダーウィンは、「血が濃くなれば不具者が生まれる。突然変異がない限りその動物は同質化して死滅する」と言って批判した。しかし、ピラミッド組織ではその突然変異をいかに閉じこめていくかを考え、それを安定という言葉に塗り替える。しかし、突然変異を事前あるいは事後に排除し、防止する仕組みは、かりに進化論が正しいとするならば、究極の不安定を生み、その組織は時間がたてば死滅してしまう。これに若干近いパラドックスが、実は今の霞ヶ関にはあるといえる。

 論理の世界から現実の世界へ移行していくことは、自分探しを終えるために必要なことである。自分のやりたいことをスピルオーバーしていくことによって環境設定を変え、分身を作ってコミュニティを変える。その行為そのものが、実はピラミッドであれ何であれ、組織というものを持続的に継続させていく唯一の方法論だということを申し上げたかったわけである。したがって、この時点で組織と個人の対立は解消する。つまり、構造論としては、組織が長く安定的に保つためには不安定要素が必要だということだ。個人が自分探しをしないためには、自分に与えられたものではなく、少しずれたプラスアルファの部分が必要だというところが、実は価値的にも方向的にも一致しはじめている。したがって、ピラミッドと逆ピラミッドは共存するという社会システムが、今組めるタイミングがきたということである。

 さて、ものづくりである。自然の中からあるものを一定程度変形加工して、自分たちの生活のためにもう一回再設定するのがものづくりである。そして、その変形作用というものを、自然に悪影響を与えながらではなく、むしろ自然の中にある機能を利用して実現する。すなわち、自然と人工とが対立するのではなく、また、足して2で割って両立させるということでもなく、両立モデルから調和モデルに変わっていくというのが、ものづくり文明の本質であると私は考える。当然のことながら、大量生産、大量消費、大量廃棄は完全に否定する。これをものづくり文明観という。

 頭が痛い、だるいといった体の不調のほとんどは、原因不明である。つまり、私たちの脳で認識できることは数パーセントでしかなくて、活性体の機能は、ほとんど自分では認知されない非認知の世界で動いているのだ。冒頭に我々は機械ではないと申し上げたが、都市化の中でいかに効率的な時間配分をした生活を送るのかという問題設定をした瞬間から、我々の非認知領域に何がしかの損傷が生まれているのかもしれない。人間の生物としての機能が損傷しているのだ。それを根本的に治療しないままに、いろいろな病気に立ち向かえなくなっていくような人間集団が生まれているのではないか。ここをどう開放していくか。そう考えると、ここからが非認知領域だという補助線を引いた瞬間に、ものづくりは人づくりになるといえる。つまり、ものづくり文明論は人づくり文明論だということである。ものづくりをすることによって人間関係を学び、物の大切さを知り、もったいない文化を育てることは大事なことだが、そのものづくりというか、ある一定の技術や文明という幾つかの道具をもう一度動員することによって、非認知領域に対するメンテナンスをしていこうという運動を、ものづくりを契機としてやっていこうというのが、ものづくり文明観の第一の説明体系である。

 また、窓から空を見る。空を見ていると言いながら、窓を見ている。これが文明人の典型である。つまり、窓という自分が担当している仕事を通じて空を見るということをしていくプロセスの中で、窓が自己目的化していって空が形骸化してしまうということだ。我々がもう一つのエージェントである自分を創るときに、もう一個の違う窓を見てしまうと席替えにはならない。空は基本的に抽象化されているので、国民のためにとか、公共のためにとか、幸せにとかと、非常に面白く設定されてしまいがちだが、それでは空という理念が伝播せず、みんなが飽きてしまう。「当たり前やないか」と言われた瞬間から、存在価値を失う。そのときに必要となるのは、この空というのが実は当たり前ではなく、実体のあるものだと強く認識させる力である。それを書き記したものがビジョンで、これを示す人がリーダーとなる。空とは、理念、哲学の世界だと思う。何のために人生があるのかというような大変青くさい世界なのだけれども、この空についてもう一度語ろうではないか。多分それが文明の定義だと思う。これがものづくり文明の第二の説明体系である。

 同質化された組織をそれなりの階層の似たような人がつなぎ合わせるのではなく、一見違って見える人たちが赤い糸で結ばれていく。その赤い糸が同じ空を見たいと思う人たちのネットワークであり、それが空だ。この赤い糸が結ばれた瞬間が、断片化する社会がもう一度社会の総体を取り戻す瞬間なのではないかと思う。

 エアロビクスの教室で、目の前のさわやかなお兄ちゃんとお姉ちゃんがニコニコしながら動いている。こいつとは友達になれないという感情を持ちながら、周りのおばちゃんを見ると、けっこう上手に動いている。その衣装などをぐちぐちけなすのは、窓を見ているやつである。「よっしゃ」と恥ずかしい思いを振り切ってやってみると、めちゃめちゃハイテンションになる。見ているだけでは自分の足を踏まれたくないとか、チョップされたくないということで感覚的に距離感が出るが、見ているやつには距離感が分からない。この距離感が社会秩序で、評論家はこの距離感が分からないから秩序を乱すのだ。したがって、自分で社会との距離感を確かめたうえ参加しなければならない。これが政治の本質である。

 これよりも進化したモデルが阿波踊りである。エアロビクスとほぼ動きは一緒だが、アバウトに何をしてもいい。「踊るあほうと見るあほう。同じあほなら、踊らな損々」というのが民主主義の本質だが、見るあほうばかりになると、自分の動く範囲の距離感が保てず、社会の秩序が崩壊する。

 最後に、職人について。職人とは、一言で定義するなら人の意見を聞かない人たちである。それは、自分のやりたいことがはっきりしているからだ。そして、弟子という分身の術を使い、道具を使う。機械に使われるのは職人ではない。機械を使いこなすのが職人である。職人は、自然に存在している資源を何らかの形で切り取り、それを何らの影響変化のもとに変形させ、それを組み合わせることによって我々文明社会の道具にしてきた。これがものづくりの基本である。つまり、最初の資源を使わないものづくりに、いかに変えていけるかだ。これがものづくり文明の第三の説明体系である。どれも同じ、資源負荷の低減ということを、言葉を換えて説明しているだけのことだ。

 柳生新陰流では、最初は「刀とは人殺すための刀である」と説いていた。ところが、刀を抜かないことによって勝負に勝てることを知って、「人を生かすために刀がある」と奥義書が塗り変わっていく。つまり、対極に真実がある、ちょっと動いたところに真実があるということだ。同様に、我々が思考しようとするときにも、ある面では真反対に走っていった瞬間に、つながっていくことが多い。最も自分が忌み嫌うもの、苦手だったものに挑戦していくことでつながりができる。あるいは、今まであまり接点のなかった人たちと友人関係を結ぼうと思うことで苦労したことが、ほかのことでものすごく役に立つということが出てくる。これが成功と失敗が表裏一体だといわれるゆえんである。現在、日本でノーベル賞をもらっている人は、実験結果を失敗している人ばかりである。そのように、真反対にどのように自分を設定していくのかというのが、席替えをする前の自分と席替えをしたあとの自分の行動原理に変化を与えるところだと思う。以上のことを役人的に表現すると、「ものづくりビジョン」になるわけである。

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2006年度東京大学大学院講座

マネジメント研究事例-日本海学の構築をめざして-

21世紀の環境・経済・文明プロジェクト

講師 警察庁刑事局 調査官
岸本 吉生 氏

日時 2006年7月4日(火)

 中井さんが富山県に引っ越ししている間に「日本海学」というプロジェクトを始められ、その中から今後の日本の国家戦略の問題における、循環、共生、アジアなど幾つかのキーワードが出てきたと思う。また、中井さんが東京に戻ってから国家戦略研究会を月1回ほどしている中でも健康や食料、環境の問題など、いろいろテーマが出てきている。

 私自身は今は警察にいるが、もともとは通産省に入った人間で、2003年7月に環境経済局に異動し、環境と経済の問題、中でも京都議定書の6%削減の達成計画を担当することになった。今、新聞には日本の6%削減が難しいと書いてあるが、実際には地球環境問題の解決のためには6%削減では到底足りない。19世紀以降の化石燃料の消費と、それに伴う二酸化炭素の排出の伸びを見ると、将来は2000年の2~3倍になるという見通しもある。

 現在、ヨーロッパなどを中心にいろいろな削減計画があるが、どのシナリオも2015年ぐらいまでは増えると見ている。これが京都議定書の限界ともいわれる。京都議定書の最大の意義は、国際的にこの問題に対応しようと、いろいろな国が約束したことだと思うが、日本やヨーロッパが約束した反面、その他の国が約束していないという問題が一つある。もう一つ、この約束が2012年で期限が切れてしまったあとどうするかという問題もある。さらに2013年以降にはどうやってアメリカ、中国、インドに削減の努力を求めていくかという問題もあるし、大幅に減らしていくための技術開発をどうするかという問題もある。

 この2013年以降の国際約束が合意された暁に、この地球環境問題が解決に向かって道筋が見える状態になると思っている人は、世界にほとんどいない。この問題が解決されるためには、技術の革新的な進展も、ライフスタイルの見直しも必要だ。そこで日本では去年、経済産業省が95年後の2100年をターゲットにした抜本的なエネルギー、CO削減のシナリオを出し、イギリスも2050年をターゲットに四つぐらいのシナリオを示している。

 2年前の平成16年にこうしたプロジェクトが要ると私が思うようになったきっかけは、森林だった。京都議定書で約束した日本の削減分のうち、4%分ぐらいは森林で担当しているが、荒れている森林問題の解決の道筋がなかなか見えてこないということで、尾鷲のヒノキ林を見に行った。そのときに、やはり森の問題は大事だと痛感したのである。当時、京都議定書の目標達成の2010年までの絵姿を描くことが自分の仕事だったが、根本的な解決に対して絵姿を描く努力も併せていなければいけないと思い、気候変動と人類社会の関係をずっと研究しておられる安田喜憲先生のところに行った。先生は2000年前、8000年前、1万5000年前の植生、夏・冬の平均気温をかなり正確に復元する技量を持っておられる。政府の中期計画は5年、長くて10年ぐらいで、30年、50年という長期プランを描くことはまずない。特に気候変動ということになると日本だけの問題ではないので、1万年の歴史を見てきた安田先生はこの問題をどう見ているのか聞いてみたかったのだ。

 先生は、「これは100年の問題ではない。2015年ぐらいには人類に危機が来るというぐらいの切迫感を持ってやるべき問題だ」とおっしゃった。10年ちょっと前に、安田先生が日本じゅうのいろいろな識者を集めて、「文明と環境」というプロジェクトを推進され、全15巻の大変な労作が生み出された。それを、今度はその間に経済を挟んでもう一度やっていただきたいとお願いした。経済の問題を抜きに21世紀の将来シナリオを描いても説得力がないので、環境と経済と文明のプロジェクトをやろうということになったのである。

 私は経済学ではこの問題は解決できないと確信しているが、そう考えるに至った経過がある。去年からクールビスなるものが始まった。クールビスでないものが格好悪いと本当に日本人が100%思えば、省エネになる。人間の価値観や行動原理が変われば当然、環境に対する負荷が変わる。しかし、ある経済学者に、「人間の効用関数の形が変わるということは経済学では教えない」と言われた。つまり、価値観に働きかける政策は、経済学上は無価値になる。それはやはりおかしい。経済学だけではこの問題は解決できない。

 二つめは、「環境問題は外部不経済」であると教科書には書いてある。経済学の外の問題としていったん置いたうえで政府が介入すれば解決できるというわけである。しかし、そうしてしまうと、環境の劣化が起こっているのは悪いことだがしかたがないというインプリケーションが出てくる。さらに、政府で規制なり税制なりの施策をやってきた人間からすれば、政府が正しい介入を毎年続けることが到底不可能なことは、体験上知っている。したがって、環境経済学で地球環境問題が解けるということはないだろうというのが、私の結論である。それで、自然観、歴史観、価値観から本件を始めようということになった。

 去年3月、このプロジェクトを始めるまでには、いろいろな曲折があった。当時、安田先生は、1972年に国連の環境開発会議で出たローマクラブ・レポートを超える京都クラブ・レポートを作ろうと考えておられた。ローマクラブ・レポートには、このままいくと人類文明はクラッシュすると書いてある。しかし、こうするとクラッシュしないということは書いていない。それを書こうというのが安田先生の当初の構想だった。しかし、ここには一つネックがある。安田先生は、文明には東アジアに見られる稲作漁労文明と、畑作牧畜文明の二つがあると言われる。先生の当初の主張では、畑作牧畜文明では地球環境は滅ぶ、キリスト教や一神教などの価値観が問題だというところに行ってしまう。私は、そういうレポートは国際的に当然否決されるので、書くわけにいかないと申し上げた。

 去年3月に京都の日本文化研究センターで第1回の会合が行われ、今は北海道大学にいらっしゃる岸先生が基調講演をされた。先生は、気候変動と人類の関係は人類の英知で今世紀中に解決の見通しが出るかもしれないが、出ないかもしれない。60億人ぐらいいる人類のDNAは九十九点何%同じである。人類は、10万年前くらいには1万人ほどだったのではないか。そうでないとDNAがここまで一致するのはおかしい。気候変動によって人類は相当ダメージを食うが、ゼロになるわけではないからまたよみがえる。こういうシナリオも当然覚悟すべきだと、このプロジェクトの成功確率に異を唱えられた。

 その後、1年間で7回ぐらい研究会をして、その過程で幾つかのことが見えてきた。一つは、「本物は美しい、本物は楽しい」ということだ。6月に2回めの研究会をやった気仙沼には、畠山さんというカキの養殖のかたがおられる。「森は海の恋人」だという言葉を編み出したかたで、気仙沼が赤潮で汚染されていた時期に、その原因は山が荒れているからで、森をよみがえらせればおいしいカキや美しい海が戻ってくるに違いないと、植林運動を始めた漁師さんだ。気仙沼には奈良時代から引っ越したことがない家があり、年に1回お祭りがある。気仙沼の湾に流れ込む大川の水が、雨のときは泥水になるが、これがぴたっと消えるバーニッシング・ポイントがある。そこの海の水を年に1回たらいにくんで、大川の源流の山の頂上まで持って登って山頂にかける。これを1000年以上やっている。1000年以上前から、森は海の恋人だったのである。

 6月は京都で、「物づくり文明」について行い、生き物に学ぶ物づくり、ネイチャーテクノロジーという造語ができた。例えば、カタツムリが葉っぱの上を歩いているとき、殻は葉っぱに触れないし、その汚れは雨に打たれると流れる。カタツムリの殻と同じ組成のセラミックスを石田先生が作って3月のシンポジウムで見せてくださったが、そこに黒の油性マジックを塗って霧を吹いて雑巾で拭くと、きれいに取れる。生態系は当然、非常に省エネ型にできている。なおかつ物質を作るときに高温・高圧を加えず、常温・常圧で作っている。そういう物づくりを広めることが、結局、資源負荷やエネルギー負荷を減らすことになるのではないかという話だった。

 8月に福島の天栄村で「命・健康」について合宿をしたとき、2日めの午後、村のかたと締めくくりのディスカッションをした。その中で、地球環境問題も大事かもしれないが、3万人の自殺者やうつ病をどうするのかという話が会場から出た。先生は「自分が環境問題をやっているのは、人間が環境を傷めつけているという問題を何とかしたいという思いからなので、その被害がもし人間に及んでいるということなら、当然やらなければいけない」と答えられ、そのときから健康や命の問題も包摂していくことになった。

 このように、研究会は基本的に田舎でやってきた。そこでずっと思っていたことは、では都会はどうするのだという問題である。それを考えるのが今年の活動課題だ。1回めは今月最後の土日、秋田県の男鹿半島で開催する。もしよろしければ、ご参加いただきたい。

 このようなことは、キリスト教圏でも通じるかどうか。これは始める前の課題だったが、去年の夏、安田先生が自分でテストをしに行った。スウェーデンの王立アカデミーなどが主宰している、持続可能な社会について議論をする国際プロジェクトがある。このプロジェクトと似ているのは、10年、100年、1000年、1万年という4グループに分かれて、世界の有識者が議論をしていることだ。そこで安田先生が発表したところ、2007年の国際会議では安田先生に日本でホストをしてほしいということになった。それが今のプロジェクトの当面のターゲットとなっている。

 そこでは話は一応通じたが、通じなかったのは自然を敬う気持ちである。これを安田さんは「アニミズム」という言葉で表現する。アニミズムには彼らにとって何か古いブードゥー教のようなイメージがあり、この言葉でコンセンサスを取るのは無理だ、ただ、言っていることは分かると、バチカンの人も言ったそうだ。

 次に、マネジメント事例研究としてのプロジェクトについて幾つか申し上げる。先週、窓と空の理論の話があった。人には組織の中で置かれているポジションでやらなければいけない自分と、それを取り払ったときの自分という二つの顔がある。ところが、あるポジションにいて仕事をすると、世間をその仕事のフィルターをかけて見てしまう。ここが「窓」で、見ている本当の世間が「空」である。ところが、そのうちにだんだん「空」を見ているのか「窓」を見ているのか分からなくなって、窓枠だけを見始めるということになっていくと、意思疎通ができなくなる。これが窓と空の理論である。窓枠があることはしかたがないが、同じ空を見ようというのが、窓と空の理論のエッセンスだったと思う。

 それを言われて、はたと気づいた。このプロジェクトに参加している人は、窓と空の関係を意識せずに、空の青さに魅入られて繰り返しプロジェクトに参加しているのではないか。いわば価値観や世界観でつながっているということだ。「空」という同じものを下敷きにしているので認識が共有化されてくる。価値観でつながるネットワークといえるだろう。

 また、本物を見ていると、別の人も本物を見ている。そうすると隣に仲間がいることにお互いに気がつく。これを「お導き現象」と言っている。自分で仲間を探しているわけではないのに、気がついたら隣にいる。そういう形でつながっていく。だから、かなり効果的に短時間で必要な人に会うことができる。そこはマネジメント事例として非常に重要だ。

 マネジメント事例として、もう一つ思ったことがある。これは研究会だから、当然考え方が違ったり認識がずれたりする。そのずれのところを無理に一致させようとすると、どちらかが「私が間違っていました」と勝ち負けがつくが、そうすると気分が悪くなる。他方で、いい話を聞くと人間は元気をもらって帰るという効果がある。安田先生は美談の名手でいろいろないい話が聞ける。当然、お導き効果で美談の名手がいっぱい集まっている。そういうところに繰り返し行くと、そのプロジェクト自体もうまくいくようになってくるし、プロジェクトから帰った自分の仕事でもプラスの効果がある。

 4番めに、窓の違いを乗り越える努力だが、先ほど私が言った、環境経済学では地球環境問題は解けないというのはかなり大胆な発言で、お互いに「窓」は違うわけだが、だんだん認識を幅寄せする努力はお互いにしないといけない。共通認識を作ることを通じて、価値観に限らず、輪が広がっていくということも体感している。

(A) お導き効果は確かにあるいう気がする。環境の世界でお導き効果を世界に広めていくとすれば、どういう伝搬のしかたがあるか。

(岸本) やはり美談に尽きるのではないかと思う。典型では、中学校の国語の教科書にちゃんと美談を載せる。長岡藩の「米百俵」は中学校の国語の教科書に載っていた。環境の美談がたくさん世間で認知されることが重要である。

(B) キリスト教圏でどうしたら通じたのか。西欧諸国がデカルト以来、人と自然を相対するものとして切り離して客観化するからこそサイエンスが発達し、大量生産につながって都市的なものが出てきた。キリスト教スピリットは残したままで、自然との相対のしかたを乗り越えようとしようとしているのか。それとも、キリスト教の社会に、いわゆる多神教というか、自然に神が宿るというものが通じているのか。

(岸本) キリスト教、一神教と安田提案の間で何か和解が起こったということはないと私は見ている。実は去年の8月の合宿でトライしたことがある。物理学の世界は20世紀に不確実性定理など、今までのニュートン力学とは相当違う世界に入っている。そのように非常に不確実なものとして世の中をとらえる動きを経済学に応用する動きがあるのかないのかを確認しようと思ったが、ほとんど失敗に終わった。ただ、イタリアやアメリカで、保険会社の人の中には、経済学を数学やニュートン力学のようにかちっと答えがあるものではなく、もう少し幅のある、あいまいな世界だと理解している人たちがいるようだ。

 二つめに、自然が破壊されていることは写真やニュースを見れば分かる。この解決は多分、科学だけでは無理だということは、洋の東西を問わず分かっているのではないか。だからこそサステイナブル・デベロップメントという抽象概念が生まれてきたのだと思う。

(C) 環境を守るためには企業に環境保護の考え方を理解してもらわなければならない。しかし、株主はそんなことは許さない。経済産業省でそういう環境のことをなさっている場合、企業に対してはどういったお話や提案をされているのか。

(岸本) その質問を私は待っていた。それは私が環境経済局に勤めていて、ずっと自問自答し続けた問いである。私が至った認識をお話しする。環境と経済がトレードオフだという考え方ではなく、環境も経済もの時代に入ったというのが私の強引な結論である。しかし、企業は社会で求められているものを売っているので、社会が変わらなければ企業は変われない。社会が変わる前に企業に環境にいいものだけ安く作れと言っても、それはできない。やはり日本がめざすべきは、環境によいものは高くても買い、悪いものは安くても買わない国である。そうなれば、日本の企業は環境親和的になる。

(D) 何十年か先にもう少し効率のいい太陽エネルギー電池が生まれると考えたときに、どこまでが無駄かというのは、まだ結論は出せない。ただ、そこに到達するまでに技術開発として膨大なエネルギーをつぎ込んでいることまで考えると、果たしてエネルギー収支が合っているのか。

(岸本) ちょっと技術論に入ってしまった。私が申し上げたかったことは、採算が合わないと分かっていても、環境にいいと信じたものを買う消費者が現にいることで、これがマスになることが非常に重要だということだ。

(E) 官庁のリサイクルでも経済が働いている。燃やす金額と比較する。末端のほうでは、会計検査でそうなっているという理論がまかり通っているのだ。日本では、燃やすのに官庁が支払うお金は1t当たり1万円ぐらいかかる。一方、リサイクルにかかるのは1t当たり1万2000円。あと2000円なのだが、それが払えないと言う。ましてや最終処分場のある市町村にいくと、3000~6000円ぐらいで燃やせる所もあるのだ。

(F) ゼロエミッション宣言工場では、もちろんコストは倍から数倍かかる。99.9%の残りの0.1%にすごい金がかかるのだ。それでもどうしてもゼロにするということだ。

(岸本) 最近、「もったいない」という言葉がはやっているが、これはなかなか外国語に訳せないという。そういうことが日本で当たり前になったときの日本の企業行動、企業経営、企業戦略は相当変わるはずだ。ただ、企業に先に変われというのはやはり難しい。それを先にやりなさいというのでは国際競争に勝てない。

 次に、今後の展望あるいは決意についてである。このプロジェクトの当面の最大の課題は、言いたいことを文字で書けるかということだ。今年3月にできた活動報告はメッセージ性はまだ乏しく、今のところ「空」は提示できていないが、「空」を提示するということがプロジェクトの成果物ということになる。かりにそれができたとして、このプロジェクトに関係している人は日本で1000人未満である。これを1万人、10万人ぐらいにはしないといけない。今は、与野党の国会の先生やメディアをどうしようとかいう議論は全部封印している。この意識をマスで共有していくためには、成果物を作ったあとの共有プロセスを考えていかないといけない。

 三つめは政策である。霞ヶ関が不合理な中で、ここで言っているような価値観という話を政策に下ろせるのか。その政策展開の糸口を我々行政官は考えていかないといけない。まず政府が環境政策をやる場合の問題点として、国境を越えた場合、他国が同じ政策を執ることに合意するとは限らない。それから先ほどのように、よくある議論は、環境問題をまじめにやっている人が損をするような環境規制がけっこう行われるという問題である。

 政府が今、温暖化対策の行動計画の中で採用してみた手法の中に、情報的手法がある。これは、自分が毎日COを何トン吐き出しているかが正確に分かれば、どう減らせるかを考える契機になるということだ。例えば車で買い物に行くのと電車で行くのとではどれぐらい違うかがもし分かれば、やはり電車にしよう、自転車にしようとなる。データをきちんと国民の隅々に届けるようにすることを情報的手法と呼んでいるが、これは環境意識がある程度ある社会においては効くはずだと私は思う。

 もう一つ、夏の合宿で少しその可能性が見えてきた。ゲーム理論などで人々の行動を分析し、行動を変えるための方法を駆使すれば、いろいろなことが可能なのではないか。環境経済学がめざすの人間の行動原理を変えることなので、当然こういう分野も研究してみたらどうかと思う。

 次に、ライフスタイルや価値観自体を政府が指導することには当然異論があるだろう。しかし環境負荷のデータが社会で共有されれば、当然、環境に優しいライフスタイルをもう少し定量的に示すことができる。教科書で環境倫理を教えるという話もある。最後は個々人にゆだねられるところだが、「窓」の違いを乗り越える仕掛けを考える必要がある。

 今年は当面、都市問題をやるわけだが、なぜ1回めを秋田でやるか。秋田は日本でも最も高齢者人口比率の高い県であり、かつ自殺者が非常に多い。何十年か前は、東北でいちばん豊かな県であった秋田がなぜこのような状態になっているのか、これは居住空間の問題として見たほうがいいのではないかという問題設定をしている。21世紀の先進国の人が暮らす居住空間、居住地域とは、どういう要素を備えていくべきなのだろうかというのが、今年の課題である。

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2006年度東京大学大学院講座

マネジメント研究事例-日本海学の構築をめざして-

「ものづくり生命文明」

講師 国際日本文化研究センター 教授
安田 喜憲 氏

日時 2006年7月18日(火)

 私と中井さんの出会いは、中井さんが財務省から富山県に出向されてきたときに、環日本海、日本海学をやりたいと言われたことに始まる。日本海学の目的は、森・里・海の循環を学ぶことである。富山湾は非常に魚が多いが、それは富山湾に流れ込む黒部川や常願寺川の上流の山に豊かな森があり、その豊かな森から流れてくる水が地下水となり、富山湾に注いでいるからだ。中国人研究者の研究で、富山湾の海底湧水に、特に海抜800mぐらいのブナ帯の森の栄養分が含まれていることも分かっている。最初は環日本海を考えるために、「逆さ地図」といって大陸から見た地図で日本列島を見るとどう見えるかを考えてみた。つまり、海をめぐる文明の交流のようなことをやりたいということだった。しかし、その中で森・里・海の水の循環系が日本の文化を支えている根幹であるという姿が見えてきた。また、中井さんが財務省にお帰りになったあとも、私がずっとかかわっていた長江文明というプロジェクトを続けるために、富山県に立山信仰の研究をするといってお金をもらっていた。それが実は長江文明と非常に深い関係があったのである。

 長江文明に関して私が最初に仕事を始めたのは1991年、梅原猛先生と二人で浙江省の良渚(りょうしょ)という所へ行ってからだ。梅原先生がそこで玉(ぎょく)を見つけられて、すごく興奮された。私はそれまで地中海文明のギリシャやトルコの研究をしていたが、そこの宝物は金銀財宝で、ミケーネの黄金マスクは金でできている。ところが、梅原先生は石を見て大変興奮している。先生は、ここに長江文明があると直感されたのだ。

 その玉は精巧によくできているので、中国の人々はせいぜい2000年前の漢代のものだと思っていた。ところが年代を測定すると5000年前のものということになった。硬いメノウに真っ白な線が入っており、浮き彫りが施されている。直径2cmだが、拡大すると細かい浮き彫りで体全体に渦巻きの模様があるのが分かった。

 その後、京セラの名誉会長の稲盛さんを連れていくと、稲盛さんも興奮していた。私はなぜ玉がすごいのか、どうして長江の人が玉を崇拝するのか、本当に分からなかった。

 1997年からはCOEという研究費をもらって長江文明の探究をした。しかし、森浩一先生などは、「素人が長江に文明があると言っている」と批判した。また、北京大学の厳文明という偉い先生を日文研に呼んだところ、「長江流域に文明があることは認めるが、長江文明は認めない」と訳が分からないことを言う。日本のエリート考古学者は北京大学に留学しているから、北京大学の先生がうんと言わないと長江文明があるとは言わない。だから今でも日本の中国考古学者は、長江文明があるとは言わないのだ。

 しかし、今はとにかく長江文明があるということは間違いないことになってきた。例えば私たちが発掘した湖南省にある6000年前の城頭山遺跡は、円形の城壁で囲まれており、美しい田園風景が今も続いている。6000年前の遺跡であっても、今でもちゃんと水の循環系が維持されており、水田稲作農業ができる。6000年前のほかの遺跡、例えばメソポタミア文明などは、みんな砂漠になっている。ギリシャもそうだ。城頭山遺跡は灌漑用のため池も持っている。そんなものは6000年前にありえないとみんな言うが、年代を測ってみたところ、紀元前4300~4400年、すなわち6300~6400年前のものであることが分かった。

 さらに、我々は神殿や王宮も見つけた。これは中央にあり、全面、焼成レンガで床を敷いている。この地域は石がないから、焼いたレンガを敷いて、その上に四角い建物を造っているのだ。これがなぜ支配者の建物かというと、この中で料理をした痕跡がなく、いちばん大事なことは列柱回廊といって壁の外側にもう一つ柱があることだ。すでに支配者もいたということだ。そして、赤い色を好む。稲作漁労民が大事にするのは赤である。鉱石色土壌という焼いたら真っ赤になる土壌をわざわざ選んで、そこから採っている。また、彼らが大好きなのは、フウ(楓)という木だ。出てきた1000点くらいの材木片を分析したら8割がフウだった。周辺にフウの木の林があったわけではない。花粉分析などを