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2006年度 日本海学講座 「環日本海の漆文化」
![]() 1.「うるし」という言葉について
「うるし」という言葉の語源についてはいろいろな説がある。まず、「潤液(うるしる)」から来るというものがある。「うる」とは「潤う」、ほどよい水分を持っていることで、「うるしる」が省略されて「うるし」になったという説である。次は、「塗液(ぬるしる)」から来ているという説。そして「麗(うるわし)」という言葉の「わ」が抜けて「うるし」になったという説。これは、「うるし」には雌の木と雄の木があり、片一方を「うるうし」と言い、下のほうの「わし」は「はじ」、櫨(はぜ)のことを言っているという説である。それから、「潤師(うるし)」。「潤う」の「潤」に専門技術を身に着けているという意味の「師」がついている。それが、材料や原料に転用したのではないかという説である。最後に、「ウ漆」から来ているという説もある。漢字が日本に入ってくるときに、その音が表すものがとてもきれいだったりかわいかったりした場合には、接頭語に「う」をつけて表されたらしい。例えば梅は中国ではメイと呼ぶそうだが、それに「う」をつけて「うめい」になった。馬や海も同様である。漆の場合も、向こうのシチやシツという読みに「う」をつけて、「うしつ」「うしち」がなまって「うるし」になったのではないかという。 私が何となく納得できるのがこの五つだが、いちばん支持するのは「潤液(うるしる)」である。潤沢のある液が出て、それを美しいと思ったことから来たのではないかと思う。 中国で「うるし」を表す漢字は、「桼」だそうだ。これは象形文字で、「木」に傷をつけるとそこから液体が出てくる形を表しているといわれる。私はこれはすごく納得できた。日本の場合は「さんずい」がついたものを使う。中国にも「漆」という漢字はあるそうだが、それは川の名前を指すそうだ。日本の場合、「へん」は、そのものの状態を表すのが当たり前で、「さんずい」がついていたら液体のものを表す。漆自体、人間にとって液体のほうが非常に重要なものだったということで、「さんずい」がついてもともとの漢字と違っていても、あまり違和感がなく受け入れられてしまったのではないだろうか。 2.「うるし」という言葉が表すもの
うるしの木は「うるしのき」までが名前である。さらに、そのうるしの木から出てきた樹液自体も「うるし」、その樹液から作った塗料のことも「うるし」と言っている。その塗料を塗ったお椀なども「うるし」という言葉で言う。この三つを順番に説明していきたい。 まず、うるしの木の話からである。植物としてのウルシはウルシ科の植物に入っている。ウルシ科の植物は世界に70属、600種以上あるといわれるが、70属、980種などと書いてあるものもある。マンゴー、カシューナッツ、ピスタチオなどもウルシ科の植物だそうだ。カシュー塗料はカシューナッツの殻から採った油を原料にして作られた合成塗料で、漆と大変似た表情の表面を作る。また、ウルシ科ウルシ属は8種類あるそうだが、これは東南アジアにしかない。日本にあるのは、うるしの木、やまうるし、つたうるし、はぜの木、やまはぜの木、ぬるでの6種類で、日本( あとの2種類はベトナム地方で採れる「あんなんうるし」とタイやミャンマー、カンボジアで採れる「ブラックツリー」である。この二つとも樹液を採って 3.漆の採取と採取道具
樹液は植物の血液のようなものだから、葉っぱにも種にも根にもある。しかし、うるしの木を輪切りにすると、外側から表皮、皮層、靭皮部、漆液溝とあり、その内側が形成層と材部だが、漆液溝の辺りに漆液がたくさん流れている所がある。だから、漆液を採取するときにはそこに傷をつけて、染み出てくる液を採取する。スライドの絵で木の幹にたくさん黒い線が横に入っているのがその傷である。 そのあと、「裏目漆(10月10日)」、最後に「止漆(11月1日)」がある。その辺まで大体四日に一度ぐらいのペースで、一つの木に行って傷をつけて、染み出てくる漆を集める。なぜ四日に一度かというと、漆に傷をつけると、その傷を治すために漆が傷の周りにたくさん集まってくるのだ。その時間を少し置いてやるということと、毎日傷つけると元気がなくなってしまうので、少し回復させてからまた採るという永年の知恵なのであろう。 四日に一度というのは、四日に一度しか仕事がないわけではなく、大体一人で四百本ぐらいの木を一年間で掻くのを、四つに分けるのである。一日百本ぐらいずつ、それをローテーションしていくことによって大体四日に一度同じ木に行くようにできている。ただ、うるし掻きの仕事は雨が降ると休みだそうだ。雨が降ったときに傷をつけてしまうと、そこから水が入って、すごく木が弱ってしまうらしい。だから、梅雨が長引いたり、気候があまりよくなくて雨が多い年などは、収量がよくなかったりするそうだ。そういうことで、うるし掻きの仕事は夏場、6月に入ってから大体11月ぐらいまでの仕事になる。 その際に使われる道具は、まず皮剥鎌という、曲がった、本当に独特な鎌である。この道具は全国で一人、青森の中畑さんという人しか今は作っていないので、選定保存技術保持者になっている。人間国宝に近いものである。今、漆自体があまり景気がよくないので、道具を作る人がどんどん減っており、選定保存技術保持者には漆関係でけっこうたくさんの人が認定されている。今は日本産漆を採る人も選定されており、 中国は日本と少し違う採り方をしている。日本の場合は真横に傷をつけ、その傷の中にたまった漆を採るのだが、中国の場合は斜めに傷をつけ、垂れてくるものを貝殻に受けて集めるそうだ。傷が増えていかないのは、傷自体をだんだん大きくしていくからだそうだ。したがって、道具自体も形が変わってくるが、漆を受ける壺、漆筒は同じような形である。 ↑4.漆採取の模様と漆の生産量
漆の液は、出てきたときは真っ白だが、時間がたつと少し色がついてくる。普通は垂れる前にうるし掻きが採ってしまうが、(※事務局 注:以下の下線部で述べられている写真は、ここでは未掲載です)この写真は、少し待ってもらってたらたらと垂れたところを撮っている。たまっていた漆をすくい取ったあとには、色が茶色くなる。漆は時間がたつと酸化が始まって色が変わってくるのだ。いちばん下に これは
各県の漆の生産量では、 5.漆の精製
木から採った漆は「荒味漆」といわれる。生漆(きうるし)といわれるものだが、それを精製することで製品になる。生漆屋で買える製品は精製生漆、精製透漆、精製黒漆あたりである。精製生漆とは、荒味漆をただ濾過してごみを取ったものである。荒味漆をなやし・くろめ・濾過すると精製透漆になるが、「なやし」とは、漆をよく攪拌して均一な状態へ持っていく作業である。「くろめ」とは、熱をかけて、その漆液の中にある水分を飛ばすことで、木から採ったばかりの水分量30~40%の漆を大体3%ぐらいまで下げる作業である。そして濾過をしたものが精製透漆で、少し茶色っぽい色をしているが、もともとは透明である。それに鉄が入ると、漆はなぜか黒くなる。荒味漆の段階で鉄を入れる場合と、なやし・くろめをして、仕上がる直前に鉄分を入れる場合があるが、最初の荒味漆で入れるときには、普通は鉄粉を入れ、なやし・くろめをして、仕上がる直前に入れるときには水酸化鉄を使う。ちなみに赤いものは、透漆という透明な漆に顔料を入れて作る。 つまり漆は、木から出たままでほぼ塗料として完成されている。だから濾過しただけで精製生漆として塗ることができる。ただ、水分を抜いて、なるだけ肌をいい感じにするために、なやし・くろめがされている。木から出てきたままの液が塗料として使えるものはまずほかにはないし、漆の性能にかなう化学塗料は、今はまだないと私は思っている。 ↑6.漆工芸の歴史
(1)縄文時代
漆器について、歴史的に少しさかのぼって見ていきたい。日本の場合、漆の歴史は縄文時代から始まり、縄文時代前期の出土品から漆のものがたくさん出てきている。今から1万2000年前から2400年前までが縄文時代といわれているが、そのうち前期といわれるのは、大体6000年~5000年ぐらい前のことである。 当時の漆の出土品として有名なものは、 土器に塗ったものもある。土器は当時あまり高い温度で焼けなかった。ということは、釉薬が作れないということである。温度が高くならないと釉薬としてガラス質にならない。つまり、水が浸透する今の植木鉢と同じようなものしかできなかった。しかし、それでは困るので漆が塗られたのだろう。また、彩色のために使われているものももちろんあり、土偶などにも塗られているものもある。 (2)奈良時代
正倉院御物の「漆胡瓶」の形は、ペルシャあたりの水注ぎの形を取っているが、日本で作られたものだろうといわれている。「 興福寺にある阿修羅像は、乾漆像である。乾漆とは、漆で布や紙など繊維質のものを張り合わせて形を作る技法のことで、この場合は大体の形を粘土で作って、その上に布などを漆で張り重ね、ある程度の強度ができたときに中の粘土を抜く。そのあと、漆の中に木の粉や土の粉を入れたペースト状のものを作って彫刻をするという作り方になっている。 (3)平安時代
「宝相華迦陵頻伽(ほうそうげかりょうびんが)蒔絵冊子箱」の、宝相華唐草とは極楽に咲く花を図案化したもので、楽器を演奏している天女か鳥のようなものが迦陵頻伽 「片輪車螺鈿蒔絵手箱」は、平安時代末期を代表する漆工芸品である。半分しか見えていないから片輪なのか分からないが、車輪を水に漬けてある。当時使われていた牛車の車輪は木製だったので、乾いてしまうとどうしても狂ってしまう。それを水に漬けて形を保存しておくということが、多分、どこでもされていたのだろう。 (4)鎌倉時代
平安時代は貴族文化だったが、鎌倉時代は武家の社会になるので、鞍や武具などにも漆が使われるようになり、技巧的にも精緻な螺鈿ができるようになってくる。「時雨螺鈿鞍」は国宝で、永青文庫にある。このころの意匠は和歌が題材になっているものがけっこうあり、文字などがいろいろなところに散りばめられている。先ほどの片輪車と同じ題材で螺鈿で表されているものもある。これは金一色で波がかいてあって、片輪車を螺鈿で表してある。もう一つは「蝶螺鈿蒔絵手箱」で、畠山記念館にある。この二つの手箱は、前の時代の大らかな感じではなく、ぴんと張り詰めた武家の社会の感じがする。 (5)室町時代
室町時代になると遷都されて京都に行くから、武家というよりまた貴族文化に近くなる。「塩山蒔絵硯箱」は『古今和歌集』にある「塩の山・・・」という和歌を題材にしたものだそうだ。高蒔絵と言って、岩が少し盛り上がって、千鳥が膨らんだ表現がされている。 また、室町時代は中国へのあこがれが強く、唐物に対する傾倒が非常にあったようだ。鎌倉彫は木彫したものに漆を塗ったものだが、もともとは中国にあった堆漆(ついしつ)または彫漆をそのまま写したのではないかといわれている。堆漆とは、漆をたくさん塗り重ねた層を彫って作るものだ。漆は1回塗ると大体30μぐらいになるといわれている。ということは、30回塗って大体1mm、1cm必要だとすると、その10倍塗らなければいけない。 (6)安土桃山時代
「片身変わり」は、今まで出てきた手箱と全然違い、全部の面が半分に分けられている。これは対角線から対角線へ半分に分け、片一方を金地、片一方を黒地にして、金地のほうには竹の直線的な文様、黒地のほうには秋草の曲線的な文様をつけるという、すごく斬新なことをしている。安土桃山時代は秀吉の生きていた時代だが、美術史的にも変換期で、デザイン的な仕事がすごく出てきている。 京都の高台寺の「霊屋内陣」は、秀吉と北政所の霊をお祭りしている所であり、須弥壇などに黒地に金のけっこう派手な蒔絵がされている。しかし、平蒔絵というすごくシンプルな技法を使っており、あまり磨いたりもしていない。 (7)江戸時代
江戸時代になると、江戸幕府に関する仕事が出てくる。有名なのが「初音の調度」で、三代将軍家光の長女、千代姫が3歳ぐらいで嫁いだときの婚礼道具である。全部で75種もあるそうだ。本当に精緻な蒔絵の絢爛豪華なもので、徳川美術館にある。 江戸時代にはもう一つ町民の文化があり、有名なものでは本阿弥光悦がデザインした「船橋蒔絵硯箱」がある。今まで出てきた箱と本当に形も違うし意匠も違う。この本阿弥光悦を大変慕って尾形光琳が作品づくりをしているが、こちらは「八橋蒔絵螺鈿硯箱」である。共通するのは、黒い部分にこれまで使われたことのない鉛が使われていることである。ちなみに、光悦から始まったこういうデザイン的な意匠などの系統を琳派と呼んでいる。 (8)近代
↑7.日本の伝統的工芸品
国の伝産法で指定されている漆の伝統的工芸品の産地は23あるが、日本海側の産地が多い。一般の「伝統工芸」などの呼び方とは別の「伝統的工芸品」という呼称は、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」で定められた。ちなみに「的」とは、「工芸品の特徴となっている原材料や技術・技法の主要な部分が今日まで継承されていて、さらに、その持ち味を維持しながらも、産業環境に適するように改良を加えたり、時代の需要に即した製品作りがされている工芸品」という意味だそうである。伝統的工芸品に指定されるためには、①主として日常生活で使われる。②製造過程の主要部分が手作りである。③100年続く伝統的技術または技法によって製造されている。④100年続く伝統的に使用されてきた原材料を使っている。⑤一定の地域で産地を形成しているという五つの要件が必要である。以下、北の方から日本海側にあるものだけをざっと取り上げていきたい。 (1)津軽塗
津軽塗は (2)川連(かわづら)漆器
(3)村上木彫堆朱
鎌倉彫と同じように木を彫って漆を塗るという技法だが、鎌倉彫より相当精緻な彫刻がされ、唐物 (4)新潟漆器
竹塗といわれるものだが、竹を塗っているのではなく、竹に似せて塗っている。 (5)輪島塗
輪島塗は蒔絵と沈金が有名である。ここは本当にすごく手間をかけた仕事をずっと守ってきているということで、評価が高いのではないかと思う。 (6)金沢漆器
金沢漆器は加賀藩の流れをくむ加賀蒔絵の系統のもので、加賀藩が五十嵐道甫、清水九兵衛という工人を呼んで振興したことででき上がったものである。 (7)山中漆器
山中漆器も石川である。ろくろを使った技法が得意で、ものすごく精緻なことをする。 (8)越前漆器
これは (9)若狭塗
これも (10)京漆器
京漆器は炉縁などでも分かるように、お茶道具などがとても有名な産地である。 (11)大内塗
↑8.高岡漆器と城端漆器
最後に高岡漆器をご紹介したい。高岡漆器の主要な技法としては、青貝、彫刻塗、勇助塗、無地塗の4系統がある。青貝塗は、貝を使って模様を表すものである。貝を漆器の模様として使っている産地としては、高岡が多分日本でいちばんだろう。彫刻塗では、鯛盆といわれる、高岡工芸高校の校長であった納富介次郎さんのデザインのものがある。勇助塗は、少し加賀風の文様や意匠を錆絵、象眼などの技法を駆使して作ったもので、石井勇助さんが創始者とされる。漆の下地のことを錆と言うが、錆絵とはそれを加飾に使ったものである。もう一つ、 |
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(Mar.8,2007.Last_Updated/Mar.7,2007.Orig.)