1999年日本海学講座一覧


日時場所講師(敬称略)概要・詳細
北前船の伝承を探る6月12日新湊市農村環境改善センター富山大学講師
漆間元三
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対談新湊市文化財審議会会長
荒木菊男
「海の生物教室(親子対象)」7月10日
富山大学教授
小松美英子
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鰤の道と海辺の縄文遺跡探訪10月2日氷見市立博物館
大境ビジターセンター博物館
氷見市立博物館主査
小境卓治
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気軽にエスニック〜中国料理入門〜1月22日県女性総合センター富山外国語研究会中国語講座講師
符麗紅
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異常気象と気候変動2月5日日本海交流センター富山地方気象台
中垣昭夫
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特別環日本海環境考古学11月27日県民会館国際日本文化研究センター教授
安田喜憲
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1.北前船の伝承を探る →詳細
   北前船は、大海原の中で「ワカサ風」「アイの風」等の有利な風を受けることができる「海の道」を進み、ひたすら航行日数の短縮に努め交易を続けた。そして、風は、漁民にとっても重要であり、風が海人の行動に強い影響を与え。また、船の住まいと浜屋や町屋の家構造の類似性の説明と、広く沿海州にまで範囲を拡大して考察することが必要。
 対談;海人(漁民)に広く信仰された「恵比寿神」の多様な姿。
→分野別報告等一覧



 
2.海の生物教室 →詳細
 ヒトデやウニなどの身近な海の生物を観察し、子どもたちの海生生物に関する興味・関心を引きだす。
(観賞用プール)
 ・野外プール1  幼児用プールにイトマキヒトデ、アカヒトデ、クモヒトデ、モミジガイ、カシパンウニ、マナマコ
・野外プール2 イトマキヒトデ、ムラサキウニ、バフンウニ、ヤドカリ、サザエ
・展示水槽:沖縄のヒトデ、富山湾のヒトデの仲間、その他の富山湾の動物
(観察コーナー)
 ヒトデの幼生の観察、コウイカの赤ちゃんの観察、サカサクラゲの観察
(実験コーナー)
 貝殻から出たヤドカリの観察
(展示コーナー)
 乾燥標本コーナー、Tシャツコーナー、書籍コーナー、ビデオコーナー



 
3.鰤の道と海辺の縄文遺跡探訪 →詳細
 かつて、魚網は藁網で、藁製の網の寿命は2ヶ月程度であり、古い網は切り刻んで魚場に投げ入れたということです。この藁が分解してプランクトンがつき、それを食べる小魚、そしてそれを食べる大魚が集まるという食物連鎖が繰り返されていた。
 江戸時代氷見で作られた乾鰯が、河内綿作りの地力保持のために肥料として河内に送られ、河内からは木綿が氷見に送られたという事実。ここからは、漁が支える農と生産物を通した地域の強いつながりが見える。そして今、富山湾−飛騨−信州を結んだ「鰤街道」が注目されています。生命、生産活動、地域は孤立して存在するのではなく、つながり、結びつきという関連性のなかで存在している。
博物館概要
氷見市立博物館、大境ビジターセンターは漁労・漁具関係の展示が特色。
展示品解説概要
・大型定置網の始まり、江戸時代の漁期、藁で作られた網、網の仕掛け、網起こし、現在の網の数、胴船について、網材の変遷、鰤街道
ビジターセンター概要
・鰯と大坂、鯨と氷見、木鍬
大境洞窟遺跡
光久寺



 
4.気軽にエスニック〜中国料理入門〜 →詳細
餃子について
・名前の由来ーかつて中国では、大晦日の子の時(午前零時)にみんなが集って、今の餃 子の原形のものを食べた。旧年と新年が交わる子の時(交子)に食べる特別の食べ物と して、交に食偏を付けた。
・形の由来ー皮で具を包んで中国の貨幣の原形(馬蹄銀)に似せた。新年にお金が増える ことを願った。
・具ー仏教の影響が強い時代は、肉を包むことはご法度であった。肉については、四川省 のロバ肉が珍重されてきた。野菜は季節によっていろいろ変わる。例えば夏はスイカの 皮の白い部分なども入れる。また、高血圧の薬菜としてセロリをよく使う。
・調理の中での発見ー食材を捨てない中国料理。白菜を塩揉みした後の絞り汁を、捨てな いで、ひき肉に落として他の具といっしょにかき混ぜる。白菜のビタミンをしっかり生 かす発想。
・調理行程の基本ーこねる、のばす、つつむの手作業。
・中国では餃子と言えば水餃子。焼き餃子は前日の残りを焼く場合が多い。他に蒸し餃子 がある。にんにくは,タレに入れる。



 
5.異常気象と気候変動 →詳細
  最近は、屋根の雪下ろしをする必要もないほど、雪が降らなくなりました。また、富山の雪の例を出すまでもなく、世界中で猛暑、かんばつ、冷夏、豪雨といった異常気象が報告されている。



 
特別.環日本海環境考古学 →詳細
  青森の三内丸山遺跡、福井の鳥浜遺跡等の代表的な日本の縄文遺跡文化を「環日本海文化圏」的な視点で見ることの重要性と、先史時代の「環太平洋文明圏構想」(海の道の壮大な交流による文明成立)を提唱。
 ○縄文期の寒冷化が進行した時期になぜ三内丸山文化が発展したか?日本海を取り巻く巨大な交流回路が存在したと考えたい。
 *中国の遼寧省、内モンゴルにまたがる「紅山文化」が6000年〜7000年前に栄えていた。花粉分析で落葉樹と針葉樹の混合林が生い茂り、粟を栽培していたことが分かる。そして、土器、玉、けつ状耳飾り等が使用されていた。知らない人間が見たら日本の縄文文化と思うような文化であった。積石塚があり(階級性の証拠)、竜の信仰があった。この竜は猪竜だと思われる。これまで、蛇が竜になったと考えていたが、猪や鹿や魚が原形で漢民族の創作だと考え直したい。
 *その「紅山文化」が2度の寒冷化の影響により中国の大移動が起こった。
 ・1期 5000年前。寒さを避けて紅山文化を担った人々は南下または日本海を三内丸山へ進んだのではないか。今は誰も信用しないが)。積石塚が三内丸山で見つかり出している。
 ・2期 3500年前。漢民族怒涛の南下により、長江文明崩壊。長江流域の人々は西方の雲南、東南アジア、日本へはボートピープルとして大移動。

 ○中国南部と日本列島との関係
 *7000年前にすでに稲作が行われていた河姆渡(かぼと)と福井の鳥浜遺跡と交流があったのではないか。南の作物である瓢箪や河姆渡と同じ6000年前の鹿角斧(鍬として使用)が鳥浜で出土している。
 *上述の2期の寒冷化による漢人の移動(南下)による長江文明の崩壊によって、長江周辺の人々は雲南(西)と日本(東)東南アジア(南)に大々的に移動したと想定され、共通点が多く見出せる。蛇を豊穣のシンボルとして崇 め、米に関係したもちや納豆の「ねばねば文化」が見られる。また、浙江省、雲南省昆明近くのテン王国の山の中、鳥取県の淀江、佐賀の川寄吉原、福岡の珍敷塚古墳から、羽飾りを頭につけ舟を漕ぐ絵(羽人の絵)が見つかっている。船の舳先には鳥が形作られている。これは、鳥を崇める風習があったことを意味し、羽人の交流を示している。私はこの、長江流域から出て、共通点を持つ人々を「越人」と呼びたい。越前、越中も「越人」と呼べる。
 *古代の人々は縦横無尽に海を渡り、海の道を行き来していた。長江流域の越人も3500年前に突然やってきたのではなく、6000年前にすでに鳥浜に来ていたと考えたい。

 ○環太平洋文明圏の視点
 *南米ペルーの遺跡から長江の玉と同じもの、越人の蛇信仰を示すものが見つかっている。日本の縄文期に長江の越人は太平洋を越えたのではないか?



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