集体単位(公的企業組織)の改革
−−中国の雇用情勢−−
農村・都市の総就業者数の推移
中華人民共和国が誕生した約半世紀前は、都市での就業者は限られ、ほとんどが農業に従事していた。1952年統計では、総就業者2億人のうち、都市での就業者は25百万人となっている。
その後、総人口の増加、農村から都市への転入により都市就業者は着実に増加し、1997年には2億人を超えている。この推移については、ルイス流の開発モデルに沿ったものといえよう。
一方、農村の就業者数についても総人口の増加の中で、この半世紀の間に2人億弱から5億人弱へと拡大している。特に、灌漑施設の整備等により農業生産の著しい拡大を遂げた時期や郷鎮企業の発展があった時期の拡大が大きかった。
ただし、都市就業人口の変動には、こうした農村での変動に呼応したものがなく、結果として、総労働力の推移が滑らかでなくなっている。こうした統計については、実態の推移と整合しないものがあると考えられよう。農村地域の生産拡大が停滞している際には、労働力が家事労働に専従することなどで潜在化したのであろうか。むしろ、都市に流出しながら都市就業者数には勘定されず、農村就業者にも含まれないこととなっているのではなかろうか。
こうした齟齬の背景には、戸籍が農村と都市に厳しく分けられてきた経緯があり、その制度・実態と統計作成の取扱いに熟知していないと解釈が難しい。
都市就業者数の動向
次に、都市での就業の動向として、就業先事業所の組織形態別に就業者数の推移を見てみよう。この統計については、中国統計局のデータベースで都市就業者総数と併記されているものだが、異なった情報源によっており、整合性はないとされている。
従来、都市での就業先の中心は、国有企業であった。この国有企業が単に賃金を支払うだけでなく、就業者及びその家族の福祉全般を支えてきており、この意味を込めて、「国有単位」と呼ばれている。これに加えて、地域政府等が所有する企業「集体単位」(右図では「その他企業」に含まれる)があり、これらの公有企業が、次第に就業者数を拡大していた。
1980年代前半にはこの地域有企業の就業者が急速に拡大しているが、これは農村での郷鎮企業の拡大に対応している。
さらに、1980年代以降は、個人企業が次第に拡大し、また、株式会社や外資系会社も制度的に認知され、急速に拡大してきている。なお、これらの企業は、大別し集体、私営、三資(外国資本を含むもの)、個人に分けられる。
1990年代において、個人を含めた各組織就業者数と都市就業者総数との差(図では「その他」)は急速に拡大しているが、これが失業であるか、農村からの流入就業者であるのかは、判断する情報を持ち合わせていない。
以上のような推移の後に、1990年代半ばから、公有企業の就業者数が急減し始めている。
これは、改革開放の中で、国有企業等の積極的構造改革が進められているものである。ただし、これまで公有企業は従業者とその家族の福祉を一手に担ってきており、雇用者の解雇を突然行うことはできず、一時帰休としての扱いがあり、この点でも統計数値の位置付けは曖昧なものとなっている。
農村就業者数の動向
一方、農村地域での就業者については、人口増加とともに次第に拡大していたが、かつては、農業への就業がその太宗を占めていた。
文革を経た後、人民公社の生産隊による企業(社隊企業)が次第にその生産内容を拡大していった。遂には郷鎮企業としてその存在が確認され、これまでの中国経済発展の重要な一翼を担つてきた。
さらに、1990年代に入って、個人企業等も拡大している。
しかし、1990年代後半に至り、郷鎮企業の就業者数は減少に転じている。
これは、アジア金融危機の影響とともに、生産に呼応した消費拡大が十分達成されず過剰生産状況に陥っているためで、郷鎮企業にも淘汰の時代がやってきたとされている。
1990年代後半の変化
1990年代後半(1995-1999年)の就業者数の変化を所属組織別の構成の変化で総括したものが右図である。
郷鎮企業を含めて、公有企業はいずれも減少を示している。また、農業従事者を主体とする農村地域での残差も減少を示している。
こうした動きに対して、個人や私営企業は増加を示している。特に先に述べたとおり、都市地域での残差の拡大は著しい。
なお、図中の都市地域のその他企業には、まだ比重は小さいが、急拡大している私営、三資企業が含まれている。
失業・一時帰休の推移(都市)
ここで、都市での失業の実態についてみよう。
失業率は概ね3%程度とされるが、これは都市登録失業者の率であり、国営企業等の一時帰休者や農村戸籍の失業者は含まれていない。
国有企業の一時帰休者については、企業内に「再就職センター」が設置され、そこで生活費手当てを得るとともに再就職訓練を受けながら就職先を探している。この一時帰休者の比率を加えると、8%台になるとされる。
なお、2004年末までには一時帰休者も登録失業者に転換されることとなっている。
農村から流入した者についての実態については、さらに情報が不足している。この場合、失業率算出上の分母は、何を取るかも問題であろう。
一時帰休者発生のピークは、東南アジア金融危機と重なっている。
しかし、それ以前から、積極的な企業構造の改革が進められ、あるいは受身的な企業の衰退があり、再就職を果たしていない一時帰休者は1千万人弱で推移し続けている。
今後とも、消費需要に対しての生産の過剰から、またWTO加盟によってもたらされる国際市場での競争激化から企業の淘汰が続くであろう。
さらに、WTOのもとでは、農業から就業人口が排出されることも予想される。
ちなみに、省市区別の実質失業率(都市登録失業率と一時帰休者率の和)を見ると、かつて国有企業の立地が大きかった地域の率が著しく高くなっている。
なお、東北3省の厳しさについては、特に「東北現象」と呼ばれている。
郷鎮企業の動向(農村)
他方、農村地域の郷鎮企業の省市区別消長についても、多くの地域で就業者数が減少しており、増加している地域は限られている。
ただし、1999年統計であり、アジア金融危機の影響も強いものと考えられ、なお推移を見ていく必要がある。
(これまでの郷鎮企業の発展は、いわば競争相手のいない新天地での自由な発展であった。今後は他企業との競合とともに、社会保障を始めとする様々な社会的コストを担っていくことも要請され、さらにはWTO加入の下での国際市場で生きていく必要がある。このように、これまでのような成長を取り戻すことができるか大きな懸念がある。)
経済成長への戦略
中国は、経済発展の離陸段階に至り、様々な欲求が解放されており、今後さらに成長を続けることは避けられない。また、上述したように失業の解消が大きな課題となってきているが、このためにも経済成長が求められる。さらに、国内に存在する所得格差の課題も成長の過程で解決していかざるを得ない。
他方、予想される食糧やエネルギー確保の困難に対しても、経済発展の中で、国としての購買力を蓄積していく必要がある。
このように最優先課題となっている経済成長を長期的に確実なものとしていくためには、自ら世界市場の中に入っていかざるを得ず、WTOへの加盟は喫緊の課題であった。
WTO体制に入り込むには、国内の多様な制度の変革が求められ、短期的困難が多いとされる。それは単に経済基盤にとどまらない。たとえば国有企業の縮小は、党の存在基盤を揺るがす可能性もあり、今後の政治体制にも大きく影響してくる。
しかし、中国は、人口規模は極めて大きいのだが、国内市場が未発達であり、また国内資源に乏しい面があるため、幾多の困難を乗り超えてでも、WTOの枠組みの中で、社会主義市場経済の社会を形成し、長期的繁栄に入り込んでいくというシナリオをとらざるを得なかった。
(統計データ)
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(May.22,2002.)