東アジア共同体への動き

 '04年11月ビエンチャンで開催されたASEAN首脳会議において、'05年マレーシアで東アジアのサミット開催が合意されている。
 これが、「東アジア共同体」形成への流れにどう関係していくかは定かでないが、関心の持たれるところである。

【経緯】
 かつて、政府レベルの地域協力の包括的な枠組は、'67年発足のASEANのみであった。
 しかし、'70年代には韓国が、'80年代にはASEAN諸国が、'90年代には中国が急成長を遂げており、東アジア諸国の経済的繋がりは、極めて大きなものとなってきている。このため、地域なりの協力体制の形成が模索されている。
 '89年に発足した、アジア太平洋経済協力閣僚会議(APEC)は、東アジアに加え、アメリカ、オーストラリアなどを含む太平洋諸国の閣僚が一同に会する枠組みであり、'93年のシアトル会合から首脳会議とされた。
 マレーシアのマハティール首相は'90年に東アジア経済協議体(EAEC)構想を提案している。しかし、アメリカの牽制等で実現していない。
 これに対し、'94年にシンガポールのゴー・チョクトン首相の提案により、'96年にはアジア欧州会議(ASEM)が発足し、ここで、アメリカの加わらない枠組みが生まれている。
 さらに、'97年には、橋本首相がASEANとの首脳会議(ASEAN+1)の定例化を提唱したが、ASEANから逆提案があり、クアラルンプールで'97年12月にASEAN+3の初会合が持たれた。
 ちなみに、'98年12月には、第2回のASEAN+3の首脳会議が開催され、定例化されることとなった。
 なお、'97年夏にはアジア金融危機が発生し、アジア通貨基金(AMF)構想が提唱されたが、実を結んでいない。
 また、'98年末には、金大中韓国大統領により東アジアビジョングループ(EAVG)が提案され、その報告(01年秋)から東アジアスタディグループ(EASG)へと展開し'02年秋に報告がなされている。
 一方、'01年12月には、中国がWTOに加盟しており、一層の経済発展を遂げてきている。
 これに対して、'02年11月には、日本・シンガポール間でのFTA締結がなされるなど、グローバル化の中での地域化の動きが強くなってきている。
 '03年の「ASEAN+3」首脳会議では、東アジア域内シンクタンクのネットワーク(NEAT)を設置し、「東アジア共同体」構想を模索することが合意されている。
 また、'04年7月には、ASEAN+3外相会議の議長声明として、東アジア共同体への協力関係強化がうたわれている。
 さらに、'04年11月のビエンチャンASEAN首脳会議では、'05年にマレーシアで東アジアサミット開催が合意されている。

【課題】
 東アジアサミットの開催に関しては、未だ内容が明確でなく、課題も多い。
 まず、毎年秋に開かれるASEAN+3首脳会議との関係が曖昧である。
 また、ASEANには日中韓に主導権を奪われるのではとの懸念があり、インドネシアなどは消極的な姿勢を示している。これに対して、マレーシアは積極的である。
 さらに、日中の主導権争いについても懸念がある。
 また、アメリカからは、アメリカ外しではないかとの懸念が表明されている。
 他方、共同体の地理的範囲も定かでなく、オーストラリア、ニュージーランド、北朝鮮、モンゴルなどが参加する可能性なども否定できない。

情報源
東アジア共同体協議会

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(Jan.12,2005.)