第1章 経済開発の進展
第2節 国内システムの形成
2 組織構造(分配)

(2) 企業組織の変化

要旨
 経済開発の初期段階では、官主導の経済開発が進められることが多い。しかし、効率的な生産体制として、競争市場における民間企業による生産活動への移行が図られる。中国においてもこの方式の導入により、始めて飛躍的な経済成長が実現してきている。
 また、これまで、専ら規模のメリットを追求した大規模な組織の形成が図られてきた。しかし、情報技術の進展による多様な取引費用(トランザクション・コスト)の著しい低下があり、むしろ小規模な組織で、個々の事業毎に弾力的に組織を形成する方が効果的とされる分野が増え、これまでの企業のあり方が大きく変わりつつある。
 各国は、それぞれの現存の産業組織をいかに新しい組織へと改変していくか、一斉に競っている状況にあるといえよう。

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ア.モジュルー化に向かう企業組織

 発展途上国が経済開発を進めるには、いくつかの方法があるだろうが、東アジア、東南アジア諸国では、官主導型でスタートしそれなりに成功してきている国が多い。
 特に中国については、国家の体制もあり、国営企業の建設から始めている。さらに韓国についても、行政の手厚い保護を受けつつ財閥企業が育ってきた経緯がある。日本も明治期まで遡れば同様の経緯があったといえよう。
 経済開発がある程度進めば、官主導型企業の弊害が目立ち始め、自立した民間企業への移行が進められる。
 日本については、こうした中で大企業が形成され、さらにその傘下に系列中小企業が組み込まれ、製造業の卓越した産業構造を形成し高い成長を遂げてきた。

 企業組織・企業系列は、本来、多様な事業に順次取り組む際に、そのつど必要な要員・企業を寄せ集めるのでは取引コストが掛かり過ぎるので、予め一定の組織を形成しているものである。
 しかし、グローバル化し、目まぐるしく変化していく経済環境の中で、さらに多様な情報システムが整備され取引費用が極小化してきた環境の中では、個々の事業に即しつつ、そのつど弾力的に組織を形成したほうが有利といった状況が現れてきている。
 これは、企業の「モジュール化」などと呼ばれ、これまでの大企業を中核とした経済活動の組織が大きく変化していこうとしている。

 このような新たな方向については、各国とも同様の状況にある。それぞれの国がこれまでの企業組織の改革の課題を抱えつつも、新たな企業組織の形成を競い始めているといえよう。



イ.集体単位(公的企業組織)の改革
−−中国の企業改革−−

農村・都市の総就業者数の推移
 中華人民共和国が誕生した約半世紀前は、都市での就業者は限られ、ほとんどが農業に従事していた。1952年統計では、総就業者2億人のうち、都市での就業者は25百万人となっている。
 その後、総人口の増加、農村から都市への転入により都市就業者は着実に増加し、1997年には2億人を超えている。この推移については、ルイス流の開発モデルに沿ったものといえよう。
 一方、農村の就業者数についても総人口の増加の中で、この半世紀の間に2人億弱から5億人弱へと拡大している。特に、灌漑施設の整備等により農業生産の著しい拡大を遂げた時期や郷鎮企業の発展があった時期の拡大が大きかった。
 ただし、都市就業人口の変動には、こうした農村での変動に呼応したものがなく、結果として、総労働力の推移が滑らかでなくなっている。こうした統計については、実態の推移と整合しないものがあると考えられよう。農村地域の生産拡大が停滞している際には、労働力が家事労働に専従することなどで潜在化したのであろうか。むしろ、都市に流出しながら都市就業者数には勘定されず、農村就業者にも含まれないこととなっているのではなかろうか。
 こうした齟齬の背景には、戸籍が農村と都市に厳しく分けられてきた経緯があり、その制度・実態と統計作成の取扱いに熟知していないと解釈が難しい。


都市就業者数の動向
 次に、都市での就業の動向として、就業先事業所の組織形態別に就業者数の推移を見てみよう。この統計については、中国統計局のデータベースで都市就業者総数と併記されているものだが、異なった情報源によっており、整合性はないとされている。
 従来、都市での就業先の中心は、国有企業であった。この国有企業が単に賃金を支払うだけでなく、就業者及びその家族の福祉全般を支えてきており、この意味を込めて、「国有単位」と呼ばれている。これに加えて、地域政府等が所有する企業「集体単位」(右図では「その他企業」に含まれる)があり、これらの公有企業が、次第に就業者数を拡大していた。

 1980年代前半にはこの地域有企業の就業者が急速に拡大しているが、これは農村での郷鎮企業の拡大に対応している。
 さらに、1980年代以降は、個人企業が次第に拡大し、また、株式会社や外資系会社も制度的に認知され、急速に拡大してきている。なお、これらの企業は、大別し集体、私営、三資(外国資本を含むもの)、個人に分けられる。
 1990年代において、個人を含めた各組織就業者数と都市就業者総数との差(図では「その他」)は急速に拡大しているが、これが失業であるか、農村からの流入就業者であるのかは、判断する情報を持ち合わせていない。

 以上のような推移の後に、1990年代半ばから、公有企業の就業者数が急減し始めている。
 これは、改革開放の中で、国有企業等の積極的構造改革が進められているものである。ただし、これまで公有企業は従業者とその家族の福祉を一手に担ってきており、雇用者の解雇を突然行うことはできず、一時帰休としての扱いがあり、この点でも統計数値の位置付けは曖昧なものとなっている。





農村就業者数の動向
 一方、農村地域での就業者については、人口増加とともに次第に拡大していたが、かつては、農業への就業がその太宗を占めていた。
 文革を経た後、人民公社の生産隊による企業(社隊企業)が次第にその生産内容を拡大していった。遂には郷鎮企業としてその存在が確認され、これまでの中国経済発展の重要な一翼を担つてきた。
 さらに、1990年代に入って、個人企業等も拡大している。

 しかし、1990年代後半に至り、郷鎮企業の就業者数は減少に転じている。
 これは、アジア金融危機の影響とともに、生産に呼応した消費拡大が十分達成されず過剰生産状況に陥っているためで、郷鎮企業にも淘汰の時代がやってきたとされている。


1990年代後半の変化
 1990年代後半(1995-1999年)の就業者数の変化を所属組織別の構成の変化で総括したものが右図である。
 郷鎮企業を含めて、公有企業はいずれも減少を示している。また、農業従事者を主体とする農村地域での残差も減少を示している。
 こうした動きに対して、個人や私営企業は増加を示している。特に先に述べたとおり、都市地域での残差の拡大は著しい。
 なお、図中の都市地域のその他企業には、まだ比重は小さいが、急拡大している私営、三資企業が含まれている。


失業・一時帰休の推移(都市)
 ここで、都市での失業の実態についてみよう。
 失業率は概ね3%程度とされるが、これは都市登録失業者の率であり、国営企業等の一時帰休者や農村戸籍の失業者は含まれていない。
 国有企業の一時帰休者については、企業内に「再就職センター」が設置され、そこで生活費手当てを得るとともに再就職訓練を受けながら就職先を探している。この一時帰休者の比率を加えると、8%台になるとされる。
 なお、2004年末までには一時帰休者も登録失業者に転換されることとなっている。
 農村から流入した者についての実態については、さらに情報が不足している。この場合、失業率算出上の分母は、何を取るかも問題であろう。


 一時帰休者発生のピークは、東南アジア金融危機と重なっている。
 しかし、それ以前から、積極的な企業構造の改革が進められ、あるいは受身的な企業の衰退があり、再就職を果たしていない一時帰休者は1千万人弱で推移し続けている。
 今後とも、消費需要に対しての生産の過剰から、またWTO加盟によってもたらされる国際市場での競争激化から企業の淘汰が続くであろう。
 さらに、WTOのもとでは、農業から就業人口が排出されることも予想される。


 ちなみに、省市区別の実質失業率(都市登録失業率と一時帰休者率の和)を見ると、東北3省を始めとして、かつて国有企業の立地が大きかった地域の率が著しく高くなっている。


郷鎮企業の動向(農村)
 他方、農村地域の郷鎮企業の省市区別消長についても、多くの地域で就業者数が減少しており、増加している地域は限られている。
 ただし、1999年統計であり、アジア金融危機の影響も強いものと考えられ、なお推移を見ていく必要がある。

 (これまでの郷鎮企業の発展は、いわば競争相手のいない新天地での自由な発展であった。今後は他企業との競合とともに、社会保障を始めとする様々な社会的コストを担っていくことも要請され、さらにはWTO加入の下での国際市場で生きていく必要がある。このように、これまでのような成長を取り戻すことができるか大きな懸念がある。)


経済成長への戦略
 中国は、経済発展の離陸段階に至り、様々な欲求が解放されており、今後さらに成長を続けることは避けられない。また、上述したように失業の解消が大きな課題となってきているが、このためにも経済成長が求められる。さらに、国内に存在する所得格差の課題も成長の過程で解決していかざるを得ない。
 他方、予想される食糧やエネルギー確保の困難に対しても、経済発展の中で、国としての購買力を蓄積していく必要がある。
 このように最優先課題となっている経済成長を長期的に確実なものとしていくためには、自ら世界市場の中に入っていかざるを得ず、WTOへの加盟は喫緊の課題であった。
 WTO体制に入り込むには、国内の多様な制度の変革が求められ、短期的困難が多いとされる。それは単に経済基盤にとどまらない。たとえば国有企業の縮小は、党の存在基盤を揺るがす可能性もあり、今後の政治体制にも大きく影響してくる。
 しかし、中国は、人口規模は極めて大きいのだが、国内市場が未発達であり、また国内資源に乏しい面があるため、幾多の困難を乗り超えてでも、WTOの枠組みの中で、社会主義市場経済の社会を形成し、長期的繁栄に入り込んでいくというシナリオをとらざるを得なかった。

(統計データ)



 

ウ.韓国で伸びる中小規模事業所従業者
−−事業所規模別従業者数の動向の韓日比較−−

 先進国での今後の産業活動の核となるべき知的創造を担う事業の展開には、自らのメリットを明確にしながら、その時々の新たな課題に応じて、その遂行に必要な能力をもつ組織と機動的に連携していくことが求められている。このため、今後の企業のあり方として、モジュール化した小規模な組織が提唱されている。

韓日比較
 1999年時点で韓日両国の事業所規模別従業者数業者の構成を比較すると、韓国は、日本に比較して、大規模事業所の比率が高く、小規模事業所の比率が低い。
 これは、かつて韓国では、財閥企業の成長の中で、中小企業が育ってこなかったためと説明される。
 1-4人規模事業所については、入手先の韓国のデータベースになく除いている。仮に、統計があっても、この層には生業的な事業所も含まれ、実態の評価は難しい。


韓国の変化
 従業者数をその所属する事業所の規模で分けてみると、韓国では、中小規模事業所での拡大が著しい。


 IMF危機からの回復過程において、300人以上の大規模事業所の従業者数は大きく減少している。
 これに対して、300人未満の事業所の従業者数は大幅に増加している。
 これらの中には、支店・出張所などの大企業の新たな事業展開の中で増加している部分もあろう。
 しかし、財閥組織を核とした経済構造の改革の中で、自ら起業し、新たな事業展開を図っている者も含まれていると予想される。特に、「ベンチャー企業育成特別措置法」に基づく各種施策に加え、大学が積極的な役割を果たすことによって、IT関連を中心にベンチャー企業が急速に増加しつつある。企業全体の中でどの程度の比重かはともかく、創業の気運があることは確かであろう。

(Oct.08,2002.追記)



日本の変化
 1996年から1999年の日本は、バブル崩壊後の沈滞から抜け出せず、各企業で雇用の削減を伴う組織改革を本格的に始めている時期である。
 この間の従業者数の変化をその所属する事業所の規模で分けてみると、いずれの規模でも従業者数が減少している。


 統計的には、新設あるいは従業者数の増加する事業所と廃止あるいは従業者数の減少する事業所、さらには事業所規模の区分が移動する事業所が混ざり合った結果であり、実際の動向を単純に判断することはできない。
 特に、1-4人規模事業所従業者数の減少については、特段の強い経営意識を持たない家族経営的な小売業の廃業等も多いと考えられる。

 しかし、全体として、新たな産業の形成を担う、起業者の活動が乏しいことも事実であろう。
 ミクロ的には、新しい活発な事業活動も散見するが、マクロ的に現れてこない限り、日本経済の再活性化は困難でなかろうか。

 論理的に議論を展開しようとすると留保条件を多々並べる必要があり、主張があいまいになってしまう。ここでの論述には誤りの危惧もあるが、ある程度の真実も含まれていよう。


 事業所規模別従業者数の変化について、現在、韓国は日本の構成比の方向に大きく動こうとしているのであり、日本の方が進取の気象に欠けるというのは必ずしも正しくないという見方もある。
 しかし、現時点で起業の動きがあり、時代に即応した事業活動が盛り上がっていくことこそ重要であろう。


 このような企業経営環境の変化の中では、雇用情勢も大きく変化していく。
 また、社会全体の変化の中で、女子労働力率については、韓国においても日本においても増加し続けている。

(統計データ)




参考文献等
野口悠紀雄著「日本経済企業からの改革−−大組織から小組織へ−−」日本経済新聞社 2002年7月
富山国際大学地域学部地域研究交流センター研究チーム著「韓国におけるベンチャービジネス・創業支援の現状と富山県産業との交流・連携の可能性」とやま経済月報2002年7〜10月号
情報源




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(Jul.26,2002.Orig.)