第1章 経済開発の進展
第3節 経済開発の課題

1 各国の課題

要旨
 東アジア各国が相互に関連しつつも、それぞれの国固有の課題に直面している。
 本項では、国ごとに課題を総括しておく。
 中国は速い経済成長を続けているが、国有企業の改革を始め多くの課題を抱えている。特にWTO加盟後の環境変化の中で必要な対応が図られていくか懸念される面が多い。ただし、多様な格差や失業問題の中で、早い成長を続けること自体が強く要請されており、困難な局面に立ち続けている。
 韓国は、IMF危機から素早く立ち直ったが、財閥の改革を始めとする、必要な変革が十分に進んでいるわけではない。
 日本については、バブル経済の崩壊からの立ち直りを遂げていない中で、国際環境が大きく変わってきており、新たな経済構造形成への見通しは立っていない。日本なりの新たな発展がどこまで可能であり、一方で所得の平準化がどこまで進むか、果敢な行動を取りつつも、状況を見極めていくことも重要であろう。

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(1)中国の課題
−−国全体としての離陸には多くの課題−−

 近年成長が著しい沿岸地域の諸省は、引き続き発展を続けていくだろう。特に、2001年のWTOへの加盟によって、成長に拍車がかかることとなろう。この結果、韓国、日本等の周辺国はもとより、世界各国との競合が厳しくなり、日本等は、結果として、一層の生産調整が求められることとなろう。
 しかし、中国全体として、このような成長の軌道に乗っているわけでない。むしろ一方で成長する地域が存在するために、多くの困難な課題が現れている。
 まず、地域による成長の格差は、所得水準の地域間の格差をもたらしており、この是正をどう図っていくか。西部開発が大きな課題となっているが、内陸部では、輸出需要への対応は困難であり、内需の増加が必要である。しかし、内需が急速に増加していく仕掛けが必ずしもない。ただし、欧米の一部の企業が内陸部への進出を図っているが、これは、将来の内需増加の可能性に期待したものとされている。
 さらに、既存の国有企業の改革も困難な課題である。赤字での生産が多く、現状のままでは、国家財政に負担を掛け続けている。このため、急速に改革が進められているが、失業(「下崗」)が増加し、結果として都市での治安の悪化がもたらされている。さらに、国有企業は、これまで従業者の生活を包括的に支えていたが、社会保障等を代替する機能の充足をどう果たしていくかも同時に課題となっている。
 他方、中国全体としては、社会主義市場経済を目指しているが、その内容は明確なものではない。このため曖昧な経済運営指針のもとで、市場経済での利潤追求が指向されると、行政機構の腐敗のおそれが極めて高くなる。既に多くの汚職が起こっているが、こうした問題の克服も困難な課題である。
 このような課題は、時間をかけて克服していく必要があり、一部地域の著しい成長速度はかえって困難をもたらしているが、逆にこの成長こそ多くの不満噴出を抑制しており、この矛盾をどう克服していくか困難な経済運営に直面しているといえよう。
 また、限られた地域の成長は「先富論」として許容された経緯があり、本来、他の地域の今後の成長を支援していく役割を担っているが、そのために財政運営等によって資金を回すことができるのか、中央政府と地方政府との対立もある。
 格差の是正は、人の移動で解決される面もあるが、あまりにも膨大な人口であり、これだけではほとんど効果がないであろう。むしろ移動が惹き起こす諸困難が課題となってくる可能性が高い。
 
 いずれにしろ、解決には、長期間を必要とし、最善のシナリオでも、10,000$/人の先進国水準に到達するのには、30年以上はかかるのではなかろうか。(年率7%の成長で所得が一桁上がるには35年かかるが、その間に元の切り上げもあろう。)
 また、その間に何度かの小さな破局を通過せざるを得ないのであろう。さらに、環境悪化(水資源等)の課題等も厳しくなってこよう。地球環境の問題への対応については、先進国が新たな道を開拓しており、中国もその道に沿うという解決になるのだろうか。
 他方、組織の腐敗等から破局に至るシナリオなどもありうるが、ここでは、敢えて具体的には描かない。


(2)韓国の課題
−−新たな成長の核の形成が可能か−−

 韓国の労働コストは既に高く、もはや低賃金が競争力といった発展途上国型の成長はできない。また、韓国には、特定の天賦の資源があるわけでもない。
 グローバル化した経済社会の中では、知的創造を核としつつ、新たな企画を出しつづけることによってこそ成長が可能である。しかし、一族経営的な財閥企業でこのような事業展開が可能であろうか。
 さらには、目まぐるしい事業転換を要請される時代には、固定的な大企業組織より、機動力のある中小企業こそ活躍できるとの見方もある。しかし、これまで韓国では、各財閥のあらゆる分野にわたる事業展開のもとで、中小企業は雑貨等の生産にとどまり成長してこなかった。さらに、この中小企業さえも、製品分野の性格から、中国等との競合の中で生存が危うくなっている。
 こうしたなかで、新たな時代を担う産業は、首尾よく形成されようか。ベンチャー型企業への期待も大きいが、これさえも、多様な中小企業による支援システムのないままでは困難が多いであろう。また、大学等の学術研究機関への期待もあるが、日本と同様に韓国の大学等が経済開発機能を担うには距離がある。

 こうした課題を克服し、世界最高の所得水準に至るには、最善のシナリオでも、20年近くは要するのではなかろうか。(年率7%成長では、17年で3倍に拡大する。)

(Oct.09,2001)



(3)日本の課題

東アジアで共生する日本の経済社会のイメージ
−−経済的拡大から文化的深耕へ−−

 日本では、バブル経済崩壊後の長期停滞の中で、経済構造を根底から変革していくべきことが共通認識となってきている。
 しかし、構造変革に伴う摩擦は多く、既得権益を擁護しようとする力が強いため、結果として、旧復を求めた施策が指向されがちである。
 現実の厳しさにどこまで耐えて変革していくかは、政治的判断に負うところが大きいが、これを避けていては、低迷を一層長期化し、日本に残された基礎的な力と意欲をますます削ぐ結果となる。
 今、地球社会の中で共生可能な経済社会のあり方を構想し、できる限り真っ直ぐ向かうことが重要であろう。
 こうした方向性を共通認識とし、各自が努力してこそ、生命力のある経済社会が期待できよう。
 もとより新たな方向は、現実の趨勢の中にあるとは言い切れず、こうした検討は、実態と願望と混ざったものとならざるを得ない。

知的生産への傾斜
 中国では、1970年代末の改革開放後、農村改革から郷鎮企業の成長、さらには個人企業・三資(外資)企業の成長へとつながり、経済的離陸を果たしつつある。
 中国の生産の拡大は、巨大な人口による内需の拡大というより、輸出需要を当てたものである。


製造業月当たり賃金(2000年)US$
日本293,1002,720
韓国1,601,500ウォン1,416
中国729.0088
シンガポール3,036シンガポールドル1,761
タイ(1999年)5,907バーツ156
International Labour Office,
"Yearbook of Labour Statistics 2001"
WDB;"World Development Indicators"
 中国の工業製品の輸出競争力については、その安価な人件費によるところが大きい。これまでも、東南アジア諸国の経済的離陸があったが、時間の経過とともに人件費の上昇があり、自ずと落ち着くところがあった。しかし、中国は巨大な人口を背後に抱え、人件費の上昇が強く抑制されている。


 具体的には、日本の中国からの輸入の急拡大が1990年代から続いている。これは、繊維衣服等の軽工業製品ばかりでなく、テレビ・洗濯機等の家電製品、さらには、情報関連など技術水準の高い部門にも及んでいる。


 輸入価格の低下から消費者物価が低下することは消費者にとっては好ましいことであるが、これを契機に、産業構造の変革が余儀なくされ、輸入デフレとして問題視されている。
 日本では、バブル経済から崩壊の混乱の中で、中国の経済発展の日本にもたらす意味合いの認識は、当初は、薄かった。しかし、既に、産業構造に大きな変革がもたらされつつある。

 日本の工業生産は、1990年代を通じて、停滞から縮小へと推移している。
 これは、人的生産性の彼我の格差により避けられない状況であろう。このような過程を経て、所得水準も調整されていかざるを得ない。


 こうした状況に対処し、日本の存在位置を確保していくためには、早急に比較優位な産業構造へと移行していかざるを得ない。しかし、情報技術の高度化により、多くの確立された生産工程は移転が可能となっており、結果として、静的な生産体制は、存在が困難となってきている。
 そして、容易に克服されない比較優位とは、これまで年月をかけてきた高学歴者の蓄積であろう。これが十二分に活かされる知的生産に傾斜した、変化し続ける産業構造・産業組織の形成こそ「輸入デフレ」克服に求められる方向ではなかろうか。

 なお、企業立地の束縛の解消は、企業の行動と地域経済の維持とに乖離が生じ易い。個々の企業の発展においては、海外への移転が必要なことも当然想定されよう。
 このため、産業を支える地域(都市)の意味を再考することが必要となっている。いわゆる落下傘型の企業誘致を図るのでなく、地域に存在する多様な主体による多様な連携が新たな生産を生み続ける体制の形成こそ求められている。



 他方、先鋭化した競争的市場社会の中では、企業間の格差の発生は避け難い。
 実際に、人々の所得格差は拡大しつつある。
 このような地域内の階層分離を抑制していくためには、一方で世界に伍し高所得を上げる企業が存在するとともに、一方で、地域内の諸サービスを担う企業があり、結果として地域内で所得が循環していくような補完する社会システムが形成されていく必要がある。




物的消費の抑制
 経済活動が低迷する中で、消費の抑制的動きにも懸念が出されている。
 実際、小売商業販売額などは、減少に転じている。


 しかし、消費の拡大を主張すること自体も、旧復の思想であろう。
 現下の情勢では、確かに強く求められる方向ではあるが、そのこと自体の価値を再検討しておく必要がある。
 人々の意識は、明らかに物離れを起こしている。適えられないことへの心理的合理化の結果と見られる面もあるが、「持続的成長」に困難性が見られる今日において、物的消費の抑制を非難し続けるわけにはいかない。



 地球の温暖化が進みつつある今日、先進国経済は、少なくとも物的消費について、過剰消費状態にあることは間違いない。
 地球上での人類の共生を謳うには、相当程度の消費の削減が求められていることは明らかである。
 これが、いかにして可能であるかは、ともかく、まず、事実として認識することが求められていよう。


公債と家計金融資産 兆円
政府

2001年度末
(見込み)
国債務残高506
地方債務残高188
重複分28
債務残高合計666
家計

2000年
金融資産1400
金融負債400
純金融資産1000
比率66.6%
 現在行われている多様な景気浮揚政策も、多分に旧復の思想が支配している。
 特に、公共投資の持続により、政府は膨大な負債を抱えてしまっている。
 産業構造として、建設業の多さ自体が、不良債権と同様に解消されるべきものとして捉えられる必要があるのだろう。


インカムゲイン主体の経済
 バブル経済崩壊による負の遺産からの脱却については、専ら金融機関の抱える不良債権の早期解消が説かれている。
 これは、経済活動に必要な資金の円滑な供給にとって不可欠な事項である。
 しかし、バブル経済崩壊時に残った不良債権ばかりでなく、株価の下落の中で、金融機関の資産は一層減少しており、その健全化は見通しのないものなっている。
 現在、株式の所有については、その配当によるインカムゲインより、株価の変動によるキャピタルゲインが期待されている。
 キャピタルゲインについては、先物取引などに見られるように変動への手当て(ヘッジ)としての価値があるなど資本主義社会を駆動するための潤滑油であるが、根源的な価値を産んでいる訳ではない。多くの人がキャピタルゲインのために時間を費やす経済は極めて脆弱なものといえよう。
 特に、成長経済が期待されない経済状況の下ではキャピタルゲインは縮小せざるを得ない。「資産デフレ」によって求められている構造改革の本質として、インカムゲインを主体とした経済への移行は不可避であろう。
 また、国際資本市場での資本の暴走を抑制する国際的規範の形成なども求められるが、課題が大きすぎるのでここでは、指摘のみとしておく。
 この考えには、異論も多いと思われる。念のため記しておくが、ここでは倫理観を問うているのでなく、経済システムとしての可能性を問うている。個々人の経済的利益を求めた行動が、経済全体として価値が否定的な場合には、それを抑制するシステムが必要であろう。このような主張は、現下の経済情勢の中では、凡そ反対方向を向いたものとされよう。しかし、新しい経済構造を勘案した場合、こうした変革を受け入れていくことこそ、長期的な方向となるのではなかろうか。

 インカムゲインによる評価を超えた資産価値が解消されざるを得ないものすれば、既存の金融機関が耐えれるものかどうかの懸念がぬぐえない。金融機関による単純な会計事務部門は情報システムの活用等により最小限の人員で低コストに実現されよう。間接金融等の部門は、その能力を最大限に発揮し事業展開していく必要があり、この限界で金融機関自体の規模が決まってくる。しかし、高度経済成長時代に、各金融機関の中で、この能力が培われてこなかったきらいがある。このため、既存金融機関の組織の大改革が求められていることは間違いない。
 直接金融の比重を増し、既存金融機関の役割を代替しいくとの議論もあるが、資金調達の迅速性などから間接金融を解消できるわけではない。


 資産デフレあるいはキャピタルゲインの解消に伴う、構造改革は、単に金融機関だけでなく、社会経済の多くの側面に求められている。
 土地利用のあり方の再構築も重要な課題であろう。
 これまで、水準の高い地価あるいはキャピタルゲイン期待の土地取引が適正な土地利用の実現を妨げてきたという議論がある。しかし、逆に、土地価格の低下は、一層不合理な土地利用を許容するようになり、際限のない都市の拡散をもたらす可能性もある。
 適正な土地利用の実現等に着実な努力が求められており、必要不可欠な規制を透明に確実に展開していく必要があろう。



経済的拡大から文化的深耕へ
 以上のように、消費デフレ、輸入デフレ、資産デフレといった経済の低迷をもたらす状況の解消が求められているが、これらのデフレは受け入れていかざるを得ない側面も強い。
 デフレを受け入れることを主張するのは、現実の経済を知らない者とも非難されよう。
 確かに、デフレを受け入れていくには、経済構造の大転換が必要であり、多くの障害を乗り越えて始めて実現できるものであろう。しかし、長期的には、個々の変動を受け入れる方向に進んでいくことは間違いないと考えられる。
 これに対して、現在の景気浮揚を狙った諸施策には、現在の経済構造を守ることを念頭に置きすぎた誤ったものが多いのではなかろうか。

 少なくとも、アジア諸国が経済的離陸を遂げつつある中で、日本がいつまでもアジアの物的生産基地であり続けることはできず、順次その場を明け渡していくべきことは事実であろう。また、地球温暖化が進む中で、いつまでも過剰消費を続けることができないことも事実であろう。そしてこれに対応していくためのシナリオを想定する必要がある。


 さらに、知的生産などだけで日本経済が持つわけではない。市場競争に打ち勝ち高い所得を得ていく産業がある一方で、地域に必要な様々なサービスを提供するとともに所得が循環していく産業の形成も欠かせない。

 以上のように、物的拡大を中核に置いた経済構造の転換の必要性が認められるとしても、それが社会の動きとなっていくためには、それに変わる方向性が社会で共有される必要がある。
 ここでは、その内容まで論じることはできないが、私見では、文化を深く掘る方向へと転換していくことではなかろうか。

 いずれにしろ、新たな経済社会像をしっかりとイメージし、それに向かって各自がしっかりと生きる(努力する)ことこそ大事であろう。


 ただし、実態としては、バブル経済の崩壊による経済活動の停滞とともに、文化的活動も停滞しているようである。
 なお、勉強の行動者率が伸びているのは、情報技術に関するものであり、この年には、IT講習会などが盛んに行われている。

 さらに私見を述べれば、地域に多様な文化的活動があって、さらに皆が熱中し地域のアイデンティティとなるようなものがあると幸いである。
 ただし、これが、誰かの手によって権力的に形成されるのでは興ざめである。
 地域の住民それぞれが多様な活動を行い、それが、各自が発信するインターネットホームページによって知ることができるようになり、地域なりに文化活動の饗宴が催されていく、その中で、秀でたもの、より多くの人が熱中するものが地域の特色として自ずと意識されていくというシナリオが望まれる。
 これは、地域に住む各人が、各人なりに果たしていく役割であり、評論に留めるものではない。


(Jan.30,2003.Rev.)
(→改定前版)



参考文献等

情報源




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(Aug.08,2002.Orig.)