国際的格差是正
−−所得平準化への国際的論理はない−−

 発展途上国の離陸とともに、先進国の経済活動の調整をどう行っていくかは、21世紀の人類の課題であろう。既に、地球温暖化の課題ではこの調整が始まっているとも言えよう。
 しかし、我々人類は、地球全体を包含し所得の格差を是正していくような正義論など未だ持ち合わせていない。先進国が自ら生産・消費を削減していこうとする動きは未だない。ただし、敢えて述べれば、様々な住民運動等の中にその芽生えがあるのかもしれない。

 どのような社会が望ましいかは、社会的選択の議論である。しかし、効用関数を掲げる通常の厚生経済学では、国内的な所得格差の是正さえ主張できないだろう。
 ロールズの正義論であれば、このような所得格差は、通常の社会では解消されてしかるべきものとして捉えられよう。
 ちなみに、ロールズの正義論は、地球温暖化への対応として排出炭酸ガス削減の割り当ての検討でも理論的背景とされている。

 平等、公正は通常、正義の中心概念として捉えられている。その具体的な内容については、「無知のベール」の背後で判断される必要がある。「無知のヴェール」とは、社会的規範の検討に際して、自らの立場(性、年齢、能力、社会的地位等)を知らないとする前提である。例えば、ポーカーのルールを決めるのは、札を配る前に行うという意味であり、配った後では公正なルールは決め難い。
 そして、例えば、ジニ係数が0.3を超えると格差が次第に厳しくなり、アメリカのような0.4の水準では、格差是正のための諸施策が必要というような判断がでて来るものと考えられる。

 しかし、国際社会では、このような道理は通らない。これは、ロールズの正義論における無知のヴェールの広がりの問題であろう。
 正義とは、「人々が互いに自分の権利を抑えて然るべきであると感じているところの実践の徳目」であるが、今日の社会では、国境を越えて、このような感覚を持つ政治体制は存在していない。
 ロールズの正義論は、社会通念で検証しつつ、矛盾のない体系の形成を目指したものである。今日の社会通念では、国境を越えた平等欲求は乏しいということであろう。今後、経済社会のグローバル化の中で、仮に世界中が隣人と感じるようになるのであれば、状況は変わっていくのだろう。

 トルーマンのポイント・フォーには、楽観的な離陸への期待とともに、防共といった政治的目的があった。
 今日では、国際的格差是正の動機には、せいぜい「人道的配慮」がある。国際的な格差が、世界人口の20%以上が極貧状態にあるとか、世界の最高所得層20%の所得は最低所得層20%の所得の80倍程度にあるとか表現され、人道的見地から援助することが先進国の責務であるとされる。
 このこと自体否定する必要はないが、これが論理的帰結でないことは明らかであろう。もちろん、この状況から抜け出る術があるわけでもない。
 現実には、政治情勢が変化し、国際援助については、国家財政の運営困難の中で、削減が指向されている。このように、途上国の支援については、現実の政治体制の下での功利的判断であることは避けられない。

 こうした状況の中で、世界全体の格差を評価しようとローレンツ曲線を描きジニ係数を算出することは、学術的意味はあっても、政治的意味を持つことは難しい。

 以上のように世界の所得格差の平準化については、それを是正しようとする直接的動機は極めて弱い。
 しかし、今後は、地球温暖化問題等の国際的協調を避けることがてぎない課題の中で、先進国の過剰生産、過剰消費の是正が模索されていくこととなろう。
 自らの国の位置を見定めながらも、無知のヴェールで地球を覆うことを装い、正義を主張する駆け引きが続けられることとなっていこう。


参考文献等
C・ダグラス・ラミス著「平等」(ヴォルフガング・ザックス編三浦清隆他訳「脱『開発』の時代」1996年
ジョン・ロールズ著 矢島鈞次監訳「正義論」紀伊国屋書店1979年
Ch.クカサス・Ph.ペティット著、山田八千子・島津格訳「ロールズ『正議論』とその批判者たち」ケイ草書房1996年

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(Sep.12,2001.)