世界の政府開発援助の系譜
−−政治的リアリズムの中での変遷−−


 ここで、世界の政府開発援助(ODA)について歴史的変遷を概観しておく。詳しい考察については、いずれ機会を改めて検討したい。
 なお、詳細な年表については、外務省編ODA白書の参考資料等がある。
年代 開発援助の基調
1940年代 復興と防共への着手の時代
1945年12月ブレトン・ウッズ協定発効:国際通貨基金(IMF)
 及び国際復興開発銀行(IBRD、世銀)設立
1947年6月欧州復興計画(マーシャル・プラン)構想発表
1949年1月 米、後進地域開発計画(ポイントフォア)発表
1950年代 復興と新生の時代
1950年1月 コロンボ・プラン発足
1955年4月 アジア・アフリカ会議(バンドン会議)開催
1960年代 南北問題解決への開発支援の時代
1960年1月 オリバー・フランクス「南北問題」の重要性提起
1960年9月 IDA設立
1961年9月 ケネディー演説「国連開発の十年」
1961年10月 DAC設立
1964年2月 プレビッシュ報告
1964年3月 第一回UNCTAD開催
1966年1月 UNDP設立
1966年8月 アジア開発銀行(ADB)
1967年1 月 国連工業開発開発機関(UNDP)発足
1970年代 人道的支援の時代
1969年10月 ピアソン報告「開発におけるパートナー」発表
1970年ティンバーゲン報告
1971年8月 米、新経済政策発表(ニクソン・ショック)
1973年10月 第一次石油危機
1978年8月 世銀「世界開発報告」を初めて発表
1980年代 構造調整の時代
1979年 世銀「構造調整貸付」
1979年5月 ブラント委員会報告
1982年8月 メキシコ モラトリアム宣言
1990年代 途上国間格差と地球問題の先鋭化の時代
1987年 ブルントラント委員会報告「われら共有の未来」
1989年11月 ベルリンの壁崩壊
1990年5月 UNDP「人間開発報告書」
1990年10月 ドイツ統一
1991年12月 ソ連邦崩壊
1992年6月 国連環境開発会議(地球サミット)開催
1993年 世銀報告「東アジアの奇跡」
1996年5月 DAC「開発戦略」採択
1997年7月〜 アジアの経済金融危機
1998年10月 世銀報告「新たなパラダイムに向けて」

復興と防共への着手の時代 1940年代
 1944年7月には既に戦後の経済運営について協議がなされており、国際通貨基金(IMF)と復興開発銀行(IBRD:世銀)を中心に戦後の復興と開発を展開していくブレトン・ウッズ体制は、1945年12月に発効した。
 一方、戦後は米国とソ連の勢力圏争いが重要化し、こうした構図を自由主義と全体主義の対決として捉えるトルーマン・ドクトリン(1947年)が、政策を方向付けてきた。
 共産主義との対決を背景に復興を図っていく具体的な計画は、1947年6月のマーシャルブランとして明らかにされ、以降戦後の復興に大きな役割を担った。
 さらに、1949年1月トルーマン大統領就任演説の第4番目の事項として低開発地域の改善・成長に大胆な計画が必要と指摘(Point Four提案)され、新たな開発支援にも精力的に取り組んでいく方向が提起された。

復興と新生の時代 1950年代
 ヨーロッパ諸国等の復興は、マーシャルプランに基づくアメリカの支援により着実に進展した。
 一方、植民地の独立も相次ぎ、1955年4月アジア・アフリカ会議がバンドンで開催されるなど勢力の結集も図られ、途上国の発展についても輝かしい夢が描かれた。
 しかし1950年代を通じた成果は、一方の目覚しい復興に対して、途上国の開発はほとんど捗らなかった。

南北問題解決への開発支援の時代 1960年代
 復興と開発の顕著な格差は、オリバー・フランクスにより、南北問題の重要性として指摘された。
 低い経済水準は、少ない貯蓄しかもたらさず、低い成長に留まるといった悪循環をもたらしている。これを大規模な援助で後押し(ビッグ・プッシュ)する必要があるとされた。
 この時期に、その後の途上国の開発支援の主役を担う、第二世銀(IDA:1960年9月)やOECD開発委員会(DAC:1961年10月)が設立されている。
 こうした中で、ケネディ大統領の国連総会演説(1961年9月)により「開発の10年」が提唱され、先進国からその国民所得の1%の移転と、途上国の年率5%の成長を目指した内容で決議されている(1961年12月)。
 以降、1960年代は国連貿易開発会議(UNCTAD:1964年3月)、アフリカ開発銀行(AfDB:1964年11月)、国連開発計画(UNDP:1966年1月 )など途上国の開発支援体制が整備されていく。
 しかし、途上国が世界経済の中で自立的に発展していくことは困難であった。中心国(先進国)の周辺国として途上国が一次産品生産国の役割を担うだけでは、交易条件の悪化が避けられず、途上国の工業化を通じて国際貿易体制が変わっていくことが不可欠とするプレピッシュの報告(「開発のための新しい貿易政策を求めて」)が、既に1964年2月に提出されている。

人道的支援と資源ナショナリズムの時代 1970年代
 1960年代を通じて、途上国の成長は、目標を下回り、相対的地位は一層低下した。
 1969年世銀に提出されたピアソン報告「開発におけるパートナーシップ」では、南北問題についての様々な勧告を行っており、特に援助の伸び悩みに強い懸念を示している。
 さらに、開発には社会的な側面も配慮すべきこと、自助努力の重要性等を指摘したティンバーゲンの国連への報告に基づいて、第二次国連開発の十年が決議されている。ここでは政府開発援助の目標としてGNPの0.7%が導入されている。この援助目標を契機に日本のODAも急速に拡大することとなる。
 一方、先進国の開発援助とあいまって、途上国の開発努力が重ねられるなかで、途上国内の所得分配問題や貧困問題の深刻化が浮かんできた。途上国の開発の成果が次第に国内に広まっていく(トリックル・ダウン)という期待は、必ずしも実現していないことが明確になっくる。
 このため、人々の基本的な需要(BHN:Basic Human Needs)の重視が必要とマクナマラ世銀総裁によって提唱され、カーター大統領の人道的外交政策とも重なっていく。
 他方、1970年代においては、石油危機(第一次1973年)が起こるなど、資源ナショナリズムを背景とした新国際秩序の提起がなされた。

構造調整の時代 1980年代
 1980年2月の国連へのブラント報告では国際経済関係の再構築が重ねて主張されている。これらを受け、第三次国連開発の十年は、1980年12月に決議されている。ただし、途上国の多様化の中で、支援の主体は、OECDのDACや世銀に移っており、国連での関心は失われていく。ちなみに10年後の1990年12月には「第四次国連開発の十年のための国際開発戦略」が採択されているが、ほとんど注目されていないようだ。
 1980年代は、1970年代の石油危機に加え、一次産品価格の低迷、国際金利の上昇等から、途上国の経済状況は、急激に悪化していく。特に、1982年には、メキシコがモラトリアム宣言を行うなど、状況が顕在化している。
 世銀は既に1979年から「構造調整貸付」と称したノン・プロジェクト援助を設定しており、経済危機乗り切りへの支援を始めている。
 一方、地球的環境問題が顕在化してきたのもこの10年であった。1987年には、ブルトラント報告により持続可能な開発の提唱がなされており、またアメリカの大旱魃を契機として、1988年11月には気候変動政府間パネル(IPCC)が設置されている。
 多くの困難に終始した、この年代は、失われた10年と呼ばれることもあったようだ(日本では、専ら1990年代を指しているが)。

途上国間格差と地球問題の先鋭化の時代 1990年代
 1990年代当初の世界の課題は、1989年のベルリンの壁崩壊に続く1990年10月のドイツの統一、さらには1991年ソ連邦崩壊など、新たな政治的動向である。これ以降、ロシア、東欧諸国、解放され独立した多くの国々等の混乱は現在に続いている。
 この結果、東西問題の桎梏からは解放されたが、東欧諸国の復興の課題が加わった。また一方で、途上国間の格差(南々問題)が厳しさを増してきている。
 多産多死から多産少死そして少産少死へと移行する人口転換が、開発の停滞から中断し、サブサハラ(サハラ砂漠以南地域)などでは、人口圧力からの極めて厳しい事態が生じている。
 これに対して、停滞から離陸しさらに著しい経済成長を遂げ、奇跡と称されている国々もある。これらの国々は、安価な労働力等を背景に、世界貿易の中で、既存先進国と厳しく競合し始めている。また、予想される地球環境への負荷の一層の増大に対し、先進国自身も含めどのように対応していくか困難な情勢に直面している。
 一方、1997年のタイのバーツ危機からアジア諸国全体に経済危機が広がったが、この際のIMFが主導する構造調整には疑問が呈され、世界経済の運営についても、広く再考が迫られている。
 他方、人口、環境、エイズなど多くの課題に関する、国際的対応を目指した会合も重ねられてきている。
 こうした流れの中で、1996年のDAC上級会合で採択された「開発戦略」では、2015年までの最貧困生活者の半減、すべての国における初等教育の普及、教育における男女格差の解消、5歳未満児の死亡率の削減、さらには、2005年までに持続可能な開発のための国家戦略を全ての国において実施することなどを提唱している。
 さらに世銀では、開発の目標として社会の変革も進めていくべきとの報告書「新たなパラダイムに向けて」を出している(1998年10月)。


 以上のような混乱の中で、世界は21世紀を迎えた。
 もはや、途上国の開発問題は、途上国固有の問題で先進国は高みから可能な支援をしていれば事足りるといった状況ではない。
 困難を極める最貧国の支援にしろ、離陸を遂げた途上国との競合、共生にしろ、地球全体の環境問題への対処にしろ、地球を構成する各国、さらには地球に住む各人の問題として捉え、それぞれの立場で、積極的な対応を図っていくことが厳しく問われている。


参考文献等
外務省編「我が国の政府開発援助」各年
西垣昭、下村恭民著「開発援助の経済学」有斐閣1993年
小浜裕久著「ODAの経済学」日本評論社1998年

情報源
外務省政府開発援助ホームページ



(Jul.20,2001.)