日本海学調査研究委託事業

環日本海の玉文化の始源と展開 13.「興隆窪文化の玉玦及び相関問題についての研究」


劉 國祥
中国社会科学院考古研究所副研究員
 

 中国東北部の興隆窪遺跡は、中国東北地区の新石器時代早期の遺跡である。約8200~7600年前の年代が得られている。興隆窪文化の遺跡の玉器には、玦、ヒ形器、弯条形器、管、斧、手斧、鑿などがある。このうち玉玦は比較的多い。その研究は、中国王器の起源および東北アジア地区の史前玉文化の交流関係を探る上で重要である。

1.研究目標と方法

 玉玦の確かな発掘資料、出土位置から考古学資料の合理的解釈、結論の客観性をいかに確保するか。①正確な出土位置 は使用方法と功能の重要な根拠となる。②玉玦と他の玉器とのセット関係、玦玉技術と使用法は、社会背景を探る資料となる。③異なる地域や異なる文化との交流や変容関係、これは玉玦伝播のルートあるいは変容の模式化で重要。

2.正式調査あるいは発掘による興隆窪文化の玉狭資料

 興隆窪遺跡、興隆溝遺跡、査海遺跡などで玉玦が発掘されている。興隆窪文化の玉玦の出土数は40点余ある。形態は三種類。1類は環状、側面に切目。体部の中央が高く周縁低い、内側の縁部が薄く磨かれている、断面は多角形あるいは楕円形。2類は璧状で中央孔は小さい、形は環状玦と似ている。3類は短管状で、両側面は平滑、側面に細長く切目がある。環状玦の出土量は璧状玦や短管状玦よりも顕著である。
 興隆窪遺跡では、半地下式竪穴住居がl70棟、居室墓が30箇所。出土玉玦はl0余点ある。
 興隆溝遺跡は、8000~7500年前の興隆窪文化中期の集落遺跡である。玉玦は5点出土。
 ほかに、査海遺跡、白音長汗遺跡などからも玉玦が出土している。

3.興隆窪文化の玉玖の使用方法と社会背景

 ①耳部装飾として、②玉玦で目を示すものとして、③礼器として
 あわせて興隆窪文化の玦玉技術と社会背景との関係について考察したい。

4.興隆窪文化の玉玦から見る文化伝播と交流

 西遼河流域の新石器時代から青銅器時代の文化年代は次の通りである。小河西文化(8500年以前)、興隆窪文化(8200~7600年前)、趙宝溝文化(7400~6700年前)、富河文化(6700~6000年前)、紅山文化(6500~5000年前)、小河沿文化(4500~4000年前)、夏家店下層文化
(4000年~3500年前)。これらの文化期の玉器を分析し、文化伝播と交流を考察したい。
 「ロシア沿海州地区、日本列島、朝鮮半島では環状玉玦とヒ形器、弯条形器が共伴している・直接、西遼河流域を源流としている。長江下流域の河姆渡文化では、約7000年前の環状弯条や璧状弯条が見られるが、ヒ形器や弯条形器は無いので、独自に起源をもつ玉文化とみなすことができ、西遼河流域の興隆窪文化の影響を受けていないと思われる。」

5.まとめ

 興隆窪文化の玉玦及び相関関係についての分析から得た認識を六項目に整理し、研究会議で発表したい。
(文責・藤田富士夫)