日本海学調査研究委託事業

環日本海の玉文化の始源と展開 14.「長江中・下流域の史前玉玦」


牟永抗
浙江省考古学会顧問
 

 東アジアの玉玦は次の四つに区分できる。①渤海湾以北の遼寧、吉林、黒竜江と内蒙古東部、②長江中・下流域の重慶、湖北、湖南、江西、江蘇、安徽、上海と浙江、③珠江口と香港、澳門を中心とする華南地区、④これら三つの地区の東縁から太平洋西側つまり日本列島からフィリッピンに至る地区。
 長江中・下流域では、杭州の老和山遺跡、南京の北陰陽営遺跡、湖州邱城遺跡などで玉玦が発掘されている。下流域で特に玉玦が多く出土しているのは北陰陽営遺跡である。258基の墓のうち96基(37%弱)で玉器が見られた。そのうち37墓で玉玦が存在した。玉器随葬墓中の約38.5%を占める。その玉玦の数は46点である。第四層のM191墓では王玦が3点出土した。別の6つの墓からはそれぞれ2点づつ出土した。その墓の年代は菘沢文化である。
 浙江省で発見されている王玦は64点ある。河姆渡遺跡では32点出ている。第四層から6点、第三層から12点、第二層3点、第一層が11点である。第四層から第二層までは、馬家浜文化の早期・中期・晩期の三期、第一層は菘沢文化に比定できる。象山塔山遺跡からは馬家浜文化晩期に属する6点が出土している。常州市の汗蟻遺跡では15点あり、1点を除いて墓壙に伴っている。時代は馬家浜文化と菘沢文化である。
 長江中・下流域でもっとも古い玉玦は、可姆渡遺跡第四層で馬家浜早期文化に属する。中流地区では、大渓文化に出現し馬家浜晩期文化相当の年代に伴う。長江中・下流域の玉玦は約7000年前から始まり6000年前後に一段落する。玦の中央孔は小さく体部肉厚、切目は上下両方から施されている。餅璧形玦と球管形玦と環鋼形玦とがある。球管形玦と環璜形玦とは共存しない。これら三形態の特徴を捉えることが大切である。
 可姆渡遺跡では、瑪瑙、蛇紋岩、葉蝋石が用いられている。北陰陽営遺跡では、透白石真玉、蛇紋岩、瑪瑙がある。石材の違いは発展過程を表わしている。
 長江中‐下流域の玉玦は、外来の文化要素で出現し、下流域が中流域よりも早い。大陸東北地区でもっとも早い玉玦が出現していて、その伝播が想定できる。
 私の発表では、長江中・下流域の玉玦を、形態や穿孔技術、石材、社会経済などから論じてみたい。
 (文責・藤田富士夫)