日本海学調査研究委託事業

環日本海の玉文化の始源と展開 3.「中国の璜と列島の装身具」


谷藤保彦
(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団
主幹兼専門員
 

 弧状に湾曲した扁平な形状を成し、その両端に一対の小さな孔が穿かれ、全体に丁寧な研磨が施されると共に両端部にまで研磨が及んでいる石製品が、列島内の遺跡から出土している。その使用用途の可能性・形状等が、中国の「璜」に酷似することから、筆者は「璜状頸飾り」という名称を新たに用い、列島内における「璜」の存在を指摘してきた。
 列島内では、弧状となる類(「璜状頸飾り」)と棒状の類(用途上のバラエティー?)の2タイプが考えられ、前期初頭の花積下層1式期に存在する。北陰陽営遺跡から出土した玉璜は、崧沢文化の早期ないし薛家崗第二期文化(紀元前4000年前頃)に相当するといわれ、日本の縄文時代前期初頭期に対比でさる年代ということになる。縄文時代早期を境に、前期初頭以降に石製装身具が急増し、石皿・磨り石が増加することは実態であり、列島内に如何なる変化が生じたのか大きな問題である。

 弧状に湾曲した扁平な形状を成し、その両端に一対の小さな孔が穿かれ、全体に丁寧な研磨が施されると共に両端部にまで研磨が及んでいる石製品が、列島内の数カ所の遺跡で出土している。その使用用途の可能性、および形状等が、中国の「璜」に酷似することから、筆者は「璜状頸飾り」という名称を新たに用い、列島内における「璜」の存在を指摘してきた。
 現在のところ、列島内で出土している遺跡には、群馬県坪井遺跡、埼玉県北宿西遺跡、福井県桑野遺跡、静岡県初音ケ原遺跡、長野県稗田頭B遺跡、山梨県釈迦堂遺跡、群馬県中野谷松原遺跡がある。1~4‐6・7は、その大きさに違いはあるものの、弧状という形状、両端付近に一対の小孔を有する点、さらにはその両端部を研磨しているという共通する特徴を持っている。注意しておきたいのは、両端部が研磨されているということである。端部付近に孔を有する点では、璜状耳飾りの欠損による補修孔と同様であるが、璜状耳飾りの欠損部の補修(接合による再生)を目的にするならば、その欠損部(破断面)に研磨を施すことは考え難い。よって、璜状耳飾りの欠損品とは明らかに異なり、その意図は別な使用・用途が考えられることになる。例え、それが璜状耳飾りからの再加工品であるとしても、形態的特徴を備えていれば同様なことであろう。また、5は棒状を呈するという点で、他の資料および所謂「璜」とは形状が異なるものの、両端の孔と端部までの研磨という点で、現段階では機能的な面で同類のものとして考えておきたい。
 中国新石器時代における「璜」は、長江下流域に多く出土していることが知られ、東北地区ではほとんど例が見られないようである。江蘇省南京市北陰陽営遺跡での璜の分類からすると、列島内出土の資料は大きさの点で若干異なるものの、大方がⅠ型a式ないしⅠ型d式に含まれる。Ⅰ型a式には第1図1~4・6が、Ⅰ型d式には第1図7が当てはまる。Ⅰ型b式のような、大型のものは列島内には見あたらない。また、第1図5のようなな棒状のものは見受けられないが、一見するとⅠ型c式に近いようにも見ることができよう。Ⅱ型に分類されたような、組み合わせ型のものは現在のところ確認されていない。
 列島内では、上記した弧状となる類(「璜状頸飾り」)と棒状の類(用途上のバラエティー?)の2タイプが考えられるようであり、前期初頭の花積下層Ⅰ式期には存在していることが出土事例から知れる。北陰陽営遺跡から出土した玉璜は、崧沢文化の早期ないし薛崗第ニ期文化(紀元前4000年前頃)に相当するといわれ、日本の縄文時代の前期初頭期に対比でさる年代ともいえる時期のものであることが考えられよう。このことは、全くの偶然であるのか、渡来文物としての可能性も秘め、大きな検討課題といえよう。但し、伝播ルー卜も含め、現段階で結論づける状況ではないと思っている。
 なお、棒状の類については、前期後半の諸磯式段階の資料が存在することから、列島内における変遷を考える必要性を感じている。併せて、「璜状頸飾り」の変遷についても、視野に入れた研究が必要と思われる。
 璜状耳飾りや、ここで扱った「璜状頸飾り」だけではなく、縄文時代早期を境に、前期初頭以降に石製装身具が急増し、石皿・磨り石が増加することは実態であり、それが何に起因するのか、何を意味することなのか、列島内に如何なる変化が生じたのか、大きな疑問である。こうした視点で縄文時代を考える上でも、装身具研究は必要不可欠なテーマとなってくる。