日本海学調査研究委託事業
立山ミクリガ池の年縞堆積物の分析
本ページの内容は、日本海学推進機構事務局の責任で、記者会見の内容をまとめたものです。
日本海学推進機構委託研究調査
中間報告 記者会見より
平成16年3月9日午後2時~3時
高志会館303号室
国際日本文化研究センター教授 安田喜憲
東京都立大学理学研究科教授 福沢仁之
2003年9月に立山ミクリガ池の湖底にボーリングを実施して堆積物を採取した。
(ミクリガ池は、立山登山のバスの終点である室戸平にある火口湖で、標高2404m。)
この結果、湖底から良好な年縞堆積物が発見された。
(以下、この堆積物標本を「コア」と呼ぶ。)
コアの年縞は、夏季における有機物片やプランクトンなどの堆積と冬季における湖面氷結下での細かな砕屑鉱物の堆積が繰り返され形成されたものである。
別途文献で1836年7月にミクリガ池に隣接する地獄谷で噴火活動があったことが確認される。これに対して、コアの上部から164番目の年縞の場所に少量の火山灰を含む火山砕屑物の濃集層がある。コアの最上部を2003年とするとこれは、1838~1839年にあたり、文献と2年の違いはあるがほぼ歴史的記録と一致している。
コア全体では、深度145cmのテフラ層(火山灰層)まで確認される。
この結果、コア全体は、過去3,380年間の堆積物に相当するものと考えられる。
以下では、コアの内容物の分析結果の一部を紹介する。
初磁化率は、火山砕屑物由来の湖底堆積物の組成や粒度を反映する指標であり、湖水域の拡大縮小と呼応し、ひいては堆積物形成期の気候環境に対応しているものと考えられる。
コアの分析では、ローマ温暖期、古墳寒冷期(民族移動開始期)、中世温暖期、小氷期に対応すると考えられる変化が認められる。
燐酸の単位面積当たり年間堆積量は、ミクリガ池周辺への人の侵入と対応すると考えられる。
コアの分析では、まず4世紀当たりに飛躍があり、人の侵入が始まったと認められる。さらに6世紀当たりの飛躍は山岳信仰を契機としている可能性が考えられよう。
(最新期から2番目のサンプルは次図の説明を参照のこと。ちなみに、この分析は、コアを45年間毎に区分して行われている。)
年当たりの堆積物の総量も人の侵入と大きく関連していると考えられる。
コアの分析では、約160年前の文化文政期の立山信仰による登山の隆盛、明治期以降のアルピニズムの浸透、学校からの集団登山などに対応すると見られるピークの後、大戦期の落ち込みがある。
さらに、戦後の50年前以降については、大きな増加の後かつての水準に戻っているがこれは、一旦、戦後アルピニズムにともなう登山者の増加があったが、その後の環境対策の進展により、ミクリガ池への影響は低下したものと見られる。