日本海学グループ支援事業

2004年度 「激動する北朝鮮の行方とユーラシア危機連鎖に関する研究」


富山大学東アジア研究班
代表 佐藤幸男

<出張の概要>

 本研究の目的は、北東アジアの最大の不安定要因である、北朝鮮の情勢に関して国際関係と国際経済の両面から研究していくものである。北朝鮮をめぐる6カ国協議の行方や北朝鮮が崩壊した場合のマイナス要因などを、中国や韓国の研究者と意見交換しながら、展望していき、将来展望を示すこととする。

 本研究が取り組む具体的なテーマは以下の通りである(順不同)。

①北朝鮮の経済政策の変遷と展開
②北朝鮮の外交政策の特徴とその力学について
③ユーラシア危機連鎖の動態分析

 この研究テーマに則して海外および国内での聞き取り調査を以下のように実施した。

1.台湾では、代表者である佐藤が国立台湾大学法学部と東アジア研究所にて研究者から聞き取り調査を実施した(10月31日-11月6日)。

2.共同研究者で竹村は、おもに8月と10月に早稲田大学アジア太平洋研究センター、早稲田大学現代中国研究所および台湾研究所、平和学研究所において資料収集と聞き取り調査(8/22-25,10/1-10/4)を、さらに国連大学において資料収集(8/26)をするために出張した。

3.代表者である佐藤は05年2月28日から3月5日まで中国大連工科大学と韓国国民大学校の研究者らから聞き取り調査と資料収集を行った。とくに、韓国では統一院研究者らとの懇談からさまざまな示唆を得ることができた。

 くわえて、東京および富山においては、韓国研究者の助力を得て、在韓脱北経験者から直接、聞き取り調査を行い、本研究があきらかにした東アジアの相互依存構造をより高次な東アジア安全保障共同体へいかに昇華させるかが急務の課題となることを痛感させられた。また、聞き取り調査にあわせて本研究課題の一端を披瀝する機会を日本および韓国で与えられたこと、意義あるものとなったことを明記しておく。

はじめに

 2004年から2005年にかけて「アジア」は、国際政治的にもまた国際経済的にも大いに注目を集めている。

 第1に、2004年は東アジアでは選挙の年であった。台湾での大統領選挙、マレーシアでは国会議員選挙、インドネシアでは中央・地方議会議員選挙とそれにつづく大統領選挙、韓国で国会議員選挙が、そしてフィリピンでも大統領選挙(また付け加えれば日本でも参議院議員選挙)が実施された。これらは、いずれも1980年代なかば以降の地域経済の発展と、97-98年の経済危機によって、その社会経済構造、政治構造が大きく変容したことを背景とした選挙の年であり、ある意味では「民主化」の試金石ともなった。

 第2に、東アジア海域における国境線をめぐる対立や紛争が顕在化し、「ナショナリズム」の台頭ばかりか、ステファン・ハガード(Stephan Haggard,"The Balance of Power, Globalization, and Democracy: lntenational Relations Theory in Northeast Asia,"in Journal East Asian Studies vol.4.N0.1.2004・pp.1-38)が指摘するように、この地域には依然として権力政治とグローバリゼィションとデモクラシーとが並存する複雑化した国際環境のもとにあることである。とくに、東アジアの海域には、南シナ海(南沙・西沙諸島ならびにその周辺海域)での中国と近隣諸国(ベトナム、フィリピン、ブルネイ、マレーシア)間の対立、東シナ海(尖閣諸島およびこの海域の国境線)や太平洋に浮かぶ沖ノ鳥島(排他的経済水域)をめぐる日中間での紛争、日本海(竹島ならびにその海域の国境線)をめぐる日韓の対立、さらに千島列島(北方領土と排他的経済水域)をめぐる日露間の対立が存在している。

 第3に、「アジアの台頭」が声高に叫ばれ、中国やインドが米国に次いで経済大国に成長し、世界経済のけん引力となるだけでなく、政治、軍事、安全保障面でも地球全体に影響を及ぼす主要なグローバル・パワーになると予測する見解がにわかに現実味をもってきたことである。米中央情報局(CIA)長官の諮問機関国家情報会議の未来報告『地球の未来を描く』と題する2020年の世界情勢予測がしめすように、中国やインドの台頭がやがて台湾、朝鮮半島、東南アジアや日本の役割に大きな影響を及ぼすほどに成長することで、アジアの地経学的変化をみることができる。げんに、アジアではFTA(自由貿易協定)戦略や「東アジア共同体」構想などのせめぎあいがはじまっている。

 第4に、「東アジア共同体」はASEANに日中韓を加えた共同体の友好関係の基盤となる未来構想にほかならないがゆえに、日本の役割を再考する機会ともなった。なぜなら、2005年は戦後60年の節目となり、いやがうえにも「歴史」や過去を克服する営みを自問しなければならないからである。この期をたんに、「還暦」として過去を正当化するのではなく、その自画像が問われる節目であるという、自覚が求められているのである。

 こうしたなかで、日本をはじめ世界経済は中国への依存を深めるだけでなく、北朝鮮、ロシア、インド、パキスタンの核保有国に取り囲まれた中国の国際政治環境を視野に入れ、さらに中央アジアを中心とするユーラシア大陸の国境を超えた地域的な連携の深化と変容からユーラシア・ダイナミズムの鳴動を取り囲む分析が重要となるのである。

1 東アジア経済統合の政治的位相

 

(表1)日中韓の貿易収支(2003年)
註)横軸の国の各通関統計

 2003年の日中韓の貿易関係は、日本の貿易統計でみると、日本は対中では貿易赤字に、対韓では貿易黒字を記録し、韓国の貿易統計では対日貿易赤字と対中貿易黒字を記録している。いわばこの3カ国の関係は1勝1敗同志の貿易関係になっている(表1参照)(中国の貿易統計では対日も対韓も2003年は赤字。ただし00年、01年は対日黒字。本来二国間の貿易統計は保険料や輸送料の関係で齟齬があるものであるが、このように赤字と黒字が逆転するのは香港経由の貿易の計上範囲が異なっているからである1)。なおこの3カ国とも米国に対しては黒字となっている。米国の貿易統計からみると01年からは米国の最大の貿易赤字国は日本にかわって中国となっており、それ以降、対中貿易赤字は対日貿易赤字よりはるかに大きな額となっており、03年の対中貿易赤字は1239.6億ドルであり、対日貿易赤字659.7億ドルの2倍近い値になっている。

 

1) 中国対外経済貿易合作部(現商務部)は93年に、香港経由の第三国向け輸出に関しては、中国通関統計では、香港向けではなく最終仕向け地に修正すると発表した。一方香港で25%以上の付加価値がつくと香港原産となることから、25%未満の付加価値がついた場合は中国の輸出統計と輸入国の統計は大きく異なることになる。

 中韓が国交を樹立した92年以降の日中韓米の貿易の推移を見ると次のようになっている。

 中国の貿易相手国として、日本は長い間圧倒的なシェアを占めていたが、中国が貿易相手の多角化を図り、世界第3位の貿易大国になるにつれて、日本のシェアは小さくなっている。 04年上半期には、日本はEU,米国に次いで、第3位の相手国に後退した。なお中国は94年以降03年まで大幅な出超を記録していたが、04年は4月まで入超を記録した(2,4月に大幅な入超を記録したことから、累計では8月まで入超を記録した)。これは輸出した際の増値税の還付率が04年から引き下げられることになっていたために、03年後半に駆け込み輸出が行われたことから、04年前半の輸出が伸び悩んだことと、原油価格の高騰などの影響をうけ、輸入が増加したためである。だが6月以降、一貫して1000億ドル前後の(11月は1119億ドル、12月は1165億ドル)輸出を記録したため、結局出超額は319億ドルに達し、03年の255億ドルより増加した。

 日本の貿易相手国としては、長い間米国が圧倒的なシェアを誇っていたが、中国との貿易が急成長を遂げたことから、対照的に米国のシェアが落ちている(韓国のシェアは経済危機の翌年の98年に減少している他は、ほぼ横ばいである)。日本の輸入をみると02年からは対中輸入が対米輸入を追い抜き、その差は拡大しつつあるように見受けられる。日本の対中投資の進展により、日本からの機械・設備の輸出も増加しているが、それとともに繊維製品や家電をはじめとする機械類の輸入が急速に増加している。

 かくして、日本経済のなかで中国の存在はますます大きくなりつつある。しかし一方で首相の靖国参拝などで首脳の交流が行われないなど、政治面ではぎくしやくした関係が続いており、その状況を称して「政冷経熱」という言葉が生まれるまでになったことで、東アジアをめぐる経済統合の政治的位相が浮上してきている。

2 ユーラシア大陸に潜む国際政治の深層

 激動する北朝鮮の行方とユーラシア危機連鎖をなによりも象徴しているのが、ウラン輸出に関連したパキスタンの核開発者カーン博士が築いた核物質や技術の秘密取引ネットワークの存在である。昨年3月に発覚したこのルートは、北朝鮮のウラン鉱山から採掘された天然ウラン加工物を欧州の核関連企業を通じてリビアに売却され、リビアの核開発に大きく関与し、ひいては大量破壊兵器関連物質の拡散に科学的な根拠を与えたことで、世界に衝撃が走った。底知れぬ闇に閉ざされた世界がもはや存在しないかのようである。

 しかしながら、90年代以降、世界はいわゆるグローバル化の時代を迎え、脱国境化の現象を加速させている現状を考えれば、この「核の闇市場」の存在もそれほど驚くことではない。

 ヒト、モノ、カネ、情報が相互に飛び交う世界が現出しているこんにちの世界では、むしろこれまで隠されていた国際政治の深層部が世界の表舞台に表出していると考えるほうが現実的である。

 グローバリゼィションとは、たんに、経済や金融の自由化や市場開放による資本主義世界市場の出現をさすばかりではなく、識者たちが指摘するように、幾多のグローバリゼィションが存在しているといえる。この「核の闇市場」をはじめとして武器・兵器密輸、人身売買、麻薬産業、さらには資源紛争の火種となっている「血に塗られたダイヤモンド」や希少資源タンタルといった諸資源が国際商戦の波に洗われることで、「裏世界」の諸ルートが「表世界」に表出するのもグローバリゼィションのひとつの形態である。これをglobalization inside out (裏返しのグローバリゼィション)という。

 これに加えて、NGOをはじめとする世界の「市民社会組織」の連帯もまた、強く意識されるようになってきた。毎年、開催されるようになった「世界社会フォーラム」には数10万人の人びとが参集し、グローバル化によって引き起こされる差別や貧困に立ち向かい、世界秩序の変革を求める運動も注目を集めてきている。この運動が掲げるのが「オルタ・グローバリゼィション」(もうひとつのグローバル化)であり、資本や市場の優位さを主張して「上から」グローバル化を押し進めようとする動きに対抗して、いわば「下からのグローバル化」を標榜して、地球規模での民主化や市民社会を構想する考えである。

 かくして、グローバリゼィションとは、いずれも国家中心主義的な思考の惰性から脱して新たな世界秩序構築にむかって突き進む変容の力学をさすために用いられるコトバであり、劇的に変化する時代のキーワードであることがわかる。

 しかしながら、グローバル化した世界が現出しているとはいえ、「裏世界」に通じた北朝鮮コネクションの存在は、国際社会の脅威となるとどうじに、不安定要因であることにかわりはない。かつては、イスラエルと並んで「はみだし国家」と非難された北朝鮮が、いまや「ならず者国家」として名指しされている。しかし、名指しするのはいずれも覇権国家アメリカであることも忘れてはならない。ところで、北朝鮮をめぐる最近の国際政治経済動向を概観しておこう。

3 北朝鮮の政治経済と東アジア危機の連鎖

 北朝鮮の経済は90年代になってから悪化の一途をたどった。 03年の歳入は増加しているものの、これは公債の発行によるもので、本格的な回復とは言い難い。このような北朝鮮に対して周辺諸国はいかに対処すべきか。北朝鮮をソフト・ランディングさせるためにはいかに対処すべきか。経済制裁をすることは北朝鮮をハード・ランディングに追い込むことになる。またヨーロッパ・ピクニックのように大量の難民の発生は、中国と韓国にコスト増をもたらすことになる。韓国と対峙している北朝鮮にとって、リビア・モデルの受入は難しいかもしれないが、リビア・モデルの受入、北朝鮮の経済回復のための周辺国の援助、北朝鮮経済の自律の道こそが、周辺諸国へのマイナスの影響が最も少ない道筋であろう。

 北朝鮮は建国直後から中ソ、就くソ連の援助によって経済の発展を遂げていた「披援助大国」ともいうべき国家であった。このためソ連が崩壊した後は、ソ連からの援助が激減したため、経済運営をまともに行えない状況となっていた。ソ連の崩壊以前の89年には中ソ対立が一応終止符をうったことから、もうひとつの北朝鮮への援助供与大国であった中国も、ソ連への対抗上行っていた北朝鮮への援助を減少させていった。

 北朝鮮の経済が変調をきたすようになったのは、援助の激減という要因ばかりではない。北朝鮮の経済計画それ自身が問題をはらんでいた。北朝鮮では長期計画の途中でしばしば計画を大幅に変更したり、無理な繰上げ達成運動によって資源の分配に混乱をきたしたり、達成数字の辻褄あわせがなされることがあった。生産がうまくいかないことから、主席等の指令に基づいて資材や原材料が融通されることがしばしばあり、それがまた経済計画を狂わせることもあった2)。
2) 特別な予算である「主席フオンド」については梁文秀「北朝鮮経済論」(2000年、信山社)pp.176-181に詳しい。

 このように経済運営がまともに行われていない状況のなかで、90年代になるとさらに北朝鮮は衝撃的な事態に見舞われた。中ソが相次いで韓国と国交を樹立し、さらに94年には建国の父であった全日成が死亡、また90年代半ばには大洪水をはじめとして、自然災害に見舞われ、食糧生産は激減し、エネルギーや原材料不足から工業生産をまともに行うこともできなくなってしまった。こうして北朝鮮は「苦難の行軍」を行わなければならないような事態に陥ったのである。

 2003年の予算では、歳入は13.6%増、歳出は14.4%増(02年以降北朝鮮は伸び率のみを発表しており、絶対額は公表していない)で、伸び率をみれば79年以来の2桁増であり、一見すると、2002年7月から開始された「7・1経済管理改善措置」が奏効して、経済発展が順調であったようにみえる。しかし「予算収入の基本源泉」とされる国家企業利益金収入5%増、共同団体利益金3.3%増、社会保険料収入6.7%増、土地使用料収入3.7%増と、いずれも歳入の伸びより、はるかに低い数字である。

 それではなぜ歳入がのびるのだろうか。03年には、人民生活公債を発行したことによって歳入が増加しているのである。人民生活公債とは、国家が責任をもってその償還を保証する国家信用の形態であり、03年5月から13年4月末までの10年間を有効期間として、500ウォン券、1,000ウォン券、5000ウォン券を発行するというものである。抽選を行い(計11回)、当たれば当選金を、はずれても08年12月から、毎年国家予算を反映して一定の金額ずつ公債の有効期間の満了までに総て償還する3)、というものである。
3) RP北朝鮮政策動向 2003年第5号 pp.4-5

 また、物価についての動向をみれば、例えばコメの販売価格にいたっては550倍の価格になっているし、電力は60倍、賃金も炭鉱労働者では30倍、公務員では17-20倍である。その数的根拠は不明である。かくも、ハイパー・インフレの下で、「総合市場(闇市場)」を利用して、荒稼ぎしている人や、特権階級の人々にとってみれば、問題ない金額であっても、ただでさえ蓄えが少ないところへ、ハイパー・インフレが起こって、生存をようやく維持している生活をしている人々にとってみれば、なけなしのタンス預金すら、吸い取られることになっているのではないか。そもそもタンス預金ですら、ハイパー・インフレの下では少なくなっていると思われるのだが、購入しなければ忠誠心が疑われ、もっと困難な状況が待ち受けていたのかもしれない。

 現在のハイパー・インフレをなす術もなく放置している状況では、5年後に償還するといっても、そのときには紙くず同然になっている可能性もある。反対に国民に対して借金をしている状況で、確信犯的にインフレ状態をつくりだす可能性もある。

 またこの公債発行によって獲得した予算を経済発展に使うのであれば、(楽観的に考えれば)国家企業収益金なども増収になり、公債の償還も可能であるが、赤字国債であったり、軍事費に使用されるのであれば、償還そのものも危うくなる。強制的に人々に買わせるうまみを知ってしまうと、毎年発行したいという誘惑にかられ、さらに5年後に償還が始まるときは、借り換えのための公債も発行しなくてはならなくなるであろう。

 それではつぎに、北朝鮮と周辺諸国との経済交流はどのようになっているだろうか。貿易の実態は(図2)の通りである。北朝鮮の貿易相手としては、かつてはソ連が第一位の相手国であったが、ソ連崩壊後は、中国が第一位の相手国となっており、90年代半ば以降、韓国がそのあとに続いている。

 02年末の北朝鮮の核疑惑によって、KEDOからの重油の提供がなくなったことから、北朝鮮のエネルギー需要の9割以上を中国が賄っていた。ただし03年にはロシアが原油を41.3万し北朝鮮へ輸出をしている。ソ連の崩壊以後ロシアは10万し前後の原油しか輸出してこなかったが、今後6カ国協議が決着した場合は(日韓が資金を提供し)ロシアの原油が、北朝鮮に輸出されることも考えられる。


(出所)RPr北朝鮮政策動向」2004年第5号 p.8 (注)1.95~96年は発表なし。 02年から04年は伸び率のみの発表
2.2002年に価格改革が行われ、インフレが激しくなったことから、03年以降の名目上の予算規模は実際にはもっと大きくなっているはずであり、このグラフは2001年価格によるものである。

 03年に中国の輸出が増加しているが、これは原油価格の値上げによるものである。数量も確かに21.5%増加している(57.3万トン)が、金額は58.2%も増加している。トンあたり単価でみると31.3%もの値上がりである(世界的な原油価格の高騰をうけて中国の原油輸出価格の平均の伸び率は20.7%である)。中国からはこのほかに穀物が34.9万トン(4995万ドル)、肉類6362万ドルなどが輸出されている。

 韓国との貿易は、通常の貿易である「取引性交易」(韓国は国内の取引であるとして「交易」という言葉を使用)と、KEDO関連の物資などの非取引性交易がある。また委託加工は92年には80万ドルに過ぎなかったが、03年には1.85億ドルにまで達し、全交易額の4分の1を占めるまでになった。98年までは北朝鮮から韓国へ向かう物資のほうが多かったが、非取引性物資の増加に伴って、韓国から北朝鮮へ搬出される物資が増加し、03年には韓国側の1.45億ドルの黒字となっている。

 日本との貿易では、キヤッチオール規制(大量破壊兵器の開発等に使用されるおそれの強い貨物について、とくに慎重に審査すること)の強化によって、疑わしい物資の輸出が手控えられた結果、輸出を中心に大幅に減少した。05年からはロシアとの間では上述のように03年には石油の輸出が増加したが、02年以前は石油よりも鉄鋼およびその製品がロシアからの主な輸出品目である。ただしロシアとの貿易は91年以降品種も少なく、北朝鮮経済にとって大きな役割を果たしていない。  極東ロシアとの貿易でも、ほとんどゼロに等しい貿易しか行われていない。なお北朝鮮からの労働力輸出は行われている。また中国の90年代後半の対朝援助の実態は(表2)の通りである。

(表2)中国の対朝援助

90 江沢民が毎年50万トンの穀物、130万トンの原油、250万トンの石炭の供与を約束
95 3000万元の援助(10万トンのトウモロコシ)
96 5月 洪成南訪中時 2万トンの食糧援助
8月 黄長_訪中時 10万トンの食糧無償援助
97 4月 7万トンの食糧無償援助
6月 2000万元の救援物資を援助
7月 さらに8万トンの食糧無償援助
98 4月 10万トンの食糧と2万トンの化学肥料無償援助
10月 8万トンの原油無償提供
99 6月 金永南訪中時 15万トンの食糧と40万トンのコークス無償援助
00 5月 金正日非公式訪中 食糧と物資の無償援助
01 1月 金正日訪中時、20万トンの穀物、30万トンのディーゼル油無償援助すること通報(*1)
3月 曾慶紅訪朝時 無償援助
02 4月 5000万元相当の物資を無償援助(金日成生誕90周年)(*2)
03 10月 呉邦国訪朝時 無償援助(*3)

 

(出所)1990年は外交部傘下の研究機関からのヒアリング
1995年は対外経済貿易合作部傘下の研究機関からのヒアリング
96~01年は中国社会科学院 「朝鮮半島資料数据庫(CD-ROM)」より再構成 02-03は公式報道
*1 この援助数量に関しては、同年9月の江沢民訪朝の際にも繰り返して述べられているのを朝鮮側報道機関のみが伝えた。1月に約束したものが、それまで実行に移されなかったことを不満として朝鮮側が報道したのかもしれない。
*2 02年9月にディーゼル油2万し、03年7月間1万し無償援助(『朝日新聞』03年7月17日)との報道も(援助の内訳か)
*3 この援助に関して、吉林省のある研究者は2億元であると述べている(公式報道では未確認)

 対外開放のもう一つの柱である外資導入については、北朝鮮は84年に合弁法を施行したものの、外資とともに情報が流入することをおそれてか外資導入には及び腰であったこともあり、実際にはあまり進展していない。しかしそのようななかでも在日朝鮮系の会社のほかには、中国や韓国の企業が投資をしている。

 また、北朝鮮が設立している経済貿易地帯には、中国と韓国をターゲットとしているものがある。韓国をターゲットとしているのは、38度線に近い開城に設けられた工業地区であり、金剛山観光地区である。中朝国境に近い新義州には特別行政区を設けるという案があった。

 開城は南北朝鮮を分断する38度線の板門店に近い、北朝鮮側の都市である。 2000年6月の南北首脳会談後の同年8月に、金正目と韓国現代峨山の鄭夢憲会長との間で開城に工業団地を建設することが合意された。02年には北朝鮮が開城工業地区法を採択した(11月20日付け)。同法は5章46条(付則3条)からなっている。3条では、同地区に投資することができるのは、南側および海外同胞、外国の法人、個人、経済組織であると規定されている。また労働力採用、土地利用、税金納付などの分野において持恵的な経済活動が保障されるとしている。また土地貸借期間は50年とされ12条)、南側地区から同地区に出入する南側および海外同胞、外国人と輸送手段は、工業地区管理機関が発給した出入証明書を持って、指定された通路から査証なしで出入りすることができるとしている(他の地域からの出入に対しては、別途定める)(28条)。

 企業所得税率は決算利潤の14%とされ、インフラ部門と軽工業、先端科学技術部門は10%とする(43条)と定められており、一般の地域よりは所得税率は低く定められている。また44条では、同地区に外貨を自由に搬入・搬出できることと、経営活動を行って得た利潤とその他の所得金は、南側もしくは外国に無税で送金または持ち出せる、との規定もある。2002年末から再び北朝鮮の核疑惑が国際社会の大きな問題となっているさなかの03年6月に、工業団地の起工式が行われ、04年6月末に第一期工事が完成。 07年までに繊維、製靴、皮革、服飾関係など約300社に分譲する計画である4)というが、04年には15社の入居が決まった5)。
4) http://j・people,ne.jp/2003/07/Oyj20030701_30248.html
5) 『朝日新聞』2004年7月1日

 金剛山は朝鮮半島の有名な観光地であり、92年に韓国の現代グループの名誉会長であった鄭周永が北朝鮮を訪問した際に、金剛山の開発を行うことを明らかにした。98年に10月に金剛山観光に関する協議書に調印し、翌11月には1356人の観光客を乗せた「現代金剛号」が出発し、4泊5日の観光にでかけたのであった。韓国人観光客と北朝鮮の住民が接触しないように厳重に管理されたもとでの観光旅行であった。99年1月には現代グループと北朝鮮は金剛山の全面的な開発事業について協議した。この協議による開発計画では、現代グループは3段階に分けて、土地整理やゴルフ場やスキー場の建設や海洋博物館、ホテルの建設などを行うことになっており、投資総額は1兆5665億ウォン(13.5億ドル)という巨大な事業になるはずであった。

 97年のアジア経済危機後、現代グループの経営危機により、現代グループによる開発事業は頓挫しているが、02年には「金剛山観光地区」設置に関する最高人民会議政令(10月23日付け)と「金剛山観光地区法」採択に関する同政令(11月13日付け)が発表された。同法は29条(付則3条)からなっているが、同法では、金剛山の観光、および観光業を行うことができるのは、南側(韓国)および海外同胞とともに外国人もあげている。

 注意事項としては、観光客は観光と関連のない対象を撮影してはならない、あるいは通信機材を観光と関連のない目的に利用してはならない、などがあげられている。さらに南側地域から観光地区に出入りする南側および海外同胞、外国人は韓国地区管理機関が発給した出入証明証を持って、指定された経路から査証(ビザ)なしで出入することができるとしている。

 北朝鮮は02年9月中国と国境を接する新義州に「特別行政区」を設置、その長官に中国第二位の富豪でオランダ国籍の楊斌を指名した。しかし楊はまもなく中国公安当局から脱税などの疑いで自宅軟禁状態の状態におかれた6)。なぜこのような人物を長官に指名したのかも大いに問題ではあるが、なぜ新義州が「経済特区」ではなく「特別行政区」なのか。
6) 『朝日新聞』2002年10月4日(夕刊)

 同年9月23日の記者会見では揚斌は特別行政区の構想として①中朝の若年技術者や労働者20万人を定住、②法務長官に欧州国籍の人材を起用、③立法議員15人の半数以上は外国人とする、④外国人のビザを免除する、⑤輸出入時の非関税のほか、所得税を14%とする、⑥公用語を中国語・朝鮮語・英語とし、通貨は米ドルか人民元とする、などの発表を行った7)。
7) 『日本経済新聞』2002年9月25日

 さらに、27日の会見では(1)電力は北朝鮮に隣接する中国東北部の余剰電力を購入する(2)インフラ建設にあたっては、特区政府が外国企業に対し、国際入札への参加をよびかける、という発表も行った8)。
8)『日本経済新聞』2002年9月28日

 外国人がビザなしで北朝鮮に入国するということに関しては、北朝鮮当局は、揚が勝手に発表したとして不快感を示していた。北朝鮮が就任を要請したにもかかわらず、北朝鮮側と揚の間には最初から不協和音がきかれたのであった。

 北朝鮮は揚の政策に一部不満ももらしていたようであるが、02年9月採択された「新義州特別行政区基本法」の第2条では国家が新義州に立法権、行政権、司法権を付与することが明記されており、法律を50年間変化させないことも第3条で定められている。また23条では外貨を制限なく搬出入できるとも記されている。明らかに北朝鮮内のほかの経済特区とは異例の条文が散見される。

 ところで、なぜ新義州が特別行政区なのであろうか。特別行政区としては香港がある。香港の場合、英国が香港を、社会主義の中国に97年に返還するにあたり、50年間資本主義体制を維持するために設けられた制度である。それは金融都市、中継貿易基地など資本主義社会にあってこその香港の利点や役割を維持することや経済活動の自由を保障し、西側諸国の不安を払拭するために設けられた制度であった。そのために中国は外交と国防を除く自主権を香港に付与したのであった。

 新義州はもともと北朝鮮国内の一地域であるのに、なぜ立法権や司法権などの権限を与えなくてはならないのか。どうして経済特区ではだめだったのか、という点に疑問が残る。

 さらに外貨を稼ぐことができる委託加工のための外資を誘致するためであったならば、韓国に近い地域のほうが有利ではないのかということにも疑問が残る(上述のように韓国に近い開城に工業団地は設置されているが)。そのため一番重要なことは委託加工がしやすい地域に、「特区」をつくることではなかったのか。確かに中国との国境に近い地域に特区をつくれば中国からの投資があるかもしれないし、中国の電力を利用できるかもしれないが、外貨(ハードカレンシー)を獲得しやすいかどうかは未知数である。実際04年9月に鴨緑江を挟んで、新義州の対岸の中国側の都市である丹東では、中国側の北朝鮮の支払い能力などに対する不信感は強く、対朝直接投資には全く興味を示していなかった(新義州のみならず、中国の対朝投資は、金正日のお声がかりのプロジェクト以外は、全くうまくいっていない状況であるとの言葉は、長春や瀋陽でもきかれた)。

 中国側が楊斌を逮捕したのは、楊がカジノを造ろうとしていたのを嫌って、機先を制したためとも伝えられる。北朝鮮が外貨を獲得できるようになるのは、北朝鮮の経済発展にとっては望ましいものであり、中国にとっても望ましいはずであるが、中国は「方法」を問題にしたのであろう。

 また中国の電力利用については、たとえば水豊ダムの電力は中朝で共同利用することになっていたが、北朝鮮側が電力の利用代金を支払わないことから、中国側ともめており、新たに北朝鮮が中国の電力を利用するとしても、北朝鮮の電力利用料金の支払いが保証されない限りは難しいものと思われる。

 なお楊斌は03年7月に瀋陽市中級人民法院(地裁)で懲役18年の実刑判決がくだされ、同区の新しい長官には北朝鮮の対外経済協力推進委員会第一委員長の桂勝海が任命された9)。
9) 『RP北朝鮮政策動向』2003年第9号(7月31日)

 このほか北朝鮮の豆満江(図們江)地域には羅(津)先(鋒)経済貿易地帯が91年に設けられた。同地帯は当初自由経済貿易地帯と称されていたが、98年には「自由」の文字が削られ、外資系企業の困難さが増すととも懸念されている。

 これら4つの地域はいずれも北朝鮮の中心からは遠く離れた「四隅」に設けられており、北朝鮮が資本は導入したいものの、「異郷入」と北朝鮮の民衆の接触をなるべく減らすことに腐心している様子がうかがえる。

4 今後の問題展望

 北朝鮮からの「脱北者」の増加に伴い、89年に東独国民がハンガリー国境からオーストリアヘ大挙して流出した「ヨーロッパ・ピクニック」と同様な現象が起き、それが北朝鮮のソフト・ランディングにつながるのではないかと期待する考えがある。

 果たして北朝鮮でそれは可能か。北朝鮮では国内での移動の自由もない。北朝鮮ではまず国境付近に移動することすら難しい。また北朝鮮と国境を接しているのは、中国・ロシア・韓国であるという事実は忘れてはならない。韓国との境界である38度線には鉄条網が張り巡らされており、(南の地雷は撤去されたとはいえ)北側の地雷は埋設されたままであるなど、越境への警戒は厳しい。ロシアヘ越境した場合は、韓国へ向かうまでの一時的な隠れ家などを確保することは難しい。このため現在脱北者の多くはまず中国に向かい最終的には韓国を目指す場合が多い。それゆえ脱北者の多くは、中朝国境に近い、咸鏡北道などの出身者なのである。また、たとえ国境付近に移動できたとしても脱出までが難しい。瀋陽との国境河川である鴨緑江や吉林省との国境河川である図們江を目指さざるを得ない。このため脱北者の多くは朝鮮族の人が居住している東北3省、なかでも吉林省に向かう。

 しかし、中朝国境警備は04年7月より公安部国境警備部隊から解放軍国境警備部隊に引き継がれることになった10)。中国としても国境への警備を強化しているという姿勢を北朝鮮に見せざるを得ないのであろう。
10) http://peopledaily.com.cn/2004/07/02

 中国では少数民族対策は旧ソ連と異なりうまくいっでいるといわれている。全人口に対する少数民族の比率が7%にすぎないからであろう。とはいえ中国内の朝鮮族は192万人(2000年の人口調査による)、吉林省での少数民族の全人口に対する割合は34.75%11)であり、漢族と朝鮮族の間には微妙なわだかまりがあるのも事実である。そこに北朝鮮の人々がくると、そのわだかまりが顕在化する可能性がでてくる。また現状では中国は北朝鮮との関係で脱北者を取り締まらなければならない状況にある。
11) 『中国統計年鑑2003Jp.43

 さらに北朝鮮では脱北者が多く出たとしても「金正日体制」には影響を与えることは少ない。北朝鮮という国家、あるいは北朝鮮の人々と「金正日体制」は別のものである。そこが東独と決定的に異なる点であろう。北朝鮮ではヨーロッパ・ピクニックのような大挙しての人口移動は難しいが、もしも北朝鮮が崩壊するような場合(筆者は崩壊論には与しないが)、その人々をどこが引き受けることができるか。もちろん現在北朝鮮にいる人間がすべて国外に逃れはしないだろう。それでも国内で経済活動が全く行われなくなったら、また現在の厳しい監視体制がなくなれば、半分くらいの人間は生きる糧を国外に求めることになるかもしれない。その場合北朝鮮の一般の人々は財力もほとんどないことから、地続きの隣国に行くしか術がなかろう。例えば遼寧省の人口は4203万人で吉林省のそれは2699万人である。そこに北朝鮮の半分の人口(1100万人)でも流入すれば人口は15%も増加することになる。しかも両省とも実質的な失業率(都市の登録失業者に一時帰休者(下崗労働者)を加えた場合の失業率)が15~18%という高い水準にあり「東北現象」と称される経済的な不振が続いている地域である。そのため北朝鮮からの難民を養うことはかなり難しい。

 韓国にしても事情は同様である。4764万人の人口の国にとっては北朝鮮からの大量の人口流入は重荷になる。人口が2~3割増加すれば、韓国でもともと暮らしていた人はしばらくの間は生活の質を2~3割、あるいはそれ以上落とさざるを得なくなることを意味している。また現在も韓国にやってきた脱北者のなかには、(韓国の生活になじむための支援センターに暮らしてから実社会にでていくのであるが)「資本主義」韓国の生活になじめなくて自暴自棄の生活を送る者も少なくないという。

 東西ドイツの統一後の様子をみても資本主義社会と社会主義社会の融合は非常に難しい。

 周辺国・地域が北朝鮮経済に与え得る影響として、経済制裁の発動かある。日本は04年に外為法を改正、さらに特定船舶入港阻止法案が国会を通過し、これによって北朝鮮に対して経済制裁を行える手段を備えたことになる(現状では実施はしないと総理は述べているが)。また03年にはキャッチ・オール規制が強化され、軍事物資に適用できる可能性のある「疑わしき物資」の輸出が阻止されることになり、ミサイルの移動発射台になり得る大型トレーラーの輸出が規制され、また貿易業者のなかには疑わしい物資を自主規制する動きが強まった。そのため03年の日本の対北朝鮮輸出は前年に比べ25.9%減少した。

 しかし経済制裁を実効性あるものにしようとすれば、日本のみでは不十分である。貿易や投資の面で北朝鮮の第1、22位の相手である、中国と韓国が経済制裁をしないとその実効性は乏しいものになろう。逆に特定船舶入港阻止法案によって影響を受けるのは、60年代以降に帰還した在日朝鮮入の人々である。「地上の楽園」ということを信じて帰還した人々に持っていたのは、日本からの帰還者ということで、思想が疑われ、仕事の面でも自らの能力も生かせないような生活であり、経済的には困窮する場合が多かった。そのような人々の生活を支えているのは、日本からの送金であった。親戚訪問によって北朝鮮に行った家族が持参するカネは、国家にピンハネされることもなく(銀行送金では国家に上納しなくてはならない)帰還者の手にわたることから、北朝鮮船舶の入港が阻止された場合は、帰還者への影響はかなり大きなものになるであろう。

 それでは中国や韓国が経済制裁を行う可能性はあるのだろうか。例えば中国が経済制裁を行った場合、海外からのエネルギー供給はほぼゼロになるなど、その効果(マイナス効果)は計り知れない。例えば6カ国協議の場で、中国が北朝鮮に経済制裁をちらつかせることによる「恫喝」は十分効果を持つことができ、中国が導きたい方向に、北朝鮮をコントロールすることもできるであろう。第3回までの6カ国協議で、中国はそのようなことは行っている様子はない。中国が積極的に動くことによって米国の大統領選になんらかの影響を与えることを避けたいと考えたのか、あるいはまず米国の変化を促すためか、様子を見ているところであろう。中国にとっては、経済制裁という「伝家の宝刀」を抜けば、北朝鮮の崩壊に手を貸すことが明らかだからである。それよりも「リビア方式」による解決を中国は願っているからであろう。ただしいざとなれば「伝家の宝刀」を持っていることを北朝鮮に十分「認識」させる状況も起こってくるかもしれない。中国のある研究者は03年末の時点で「国際的には公表しないで」経済制裁を行うこともあり得ると筆者に語っていた。

 韓国も現状では経済制裁は行い得ないであろう。韓国にとって経済制裁をすることによって北朝鮮が崩壊することによるマイナスの影響は大きく、韓国にも経済的混乱をもたらすことになるからである。

まとめ

 北朝鮮の変化はあり得るのか。変化の可能性を示唆したのは7.1経済管理改善措置であった。「働いても働かなくても同じ」という状況から「働いた分だけ、稼いだ分だけ」賃金を支給する、そのかわりに今までダダ同然であった住宅費や交通費なども相応に引き上げるという措置を2002年7月に北朝鮮は導入した。賃金は炭鉱労働者では30倍に、公務員では17-20倍に引き上げられた。つまり重労働者への給料の上げ幅を多くしたのである。さらにコメなどはそれまで0.6ウォンで買上げられ、0.08ウォンで販売されており、完全な逆鞘であったものを、40ウォンで買上、44ウォンで販売されることになった。さらにこれまでモノ不足から闇市場が跋扈していたことから、闇市場を閉鎖、国営の流通部門にモノが流通できるようにした。

 しかし、エネルギーや資材不足は解決されていない状況であったことから、賃金をあげてもまともに労働することはできず、モノの生産は行われないことから、賃上げされた賃金が支払われることはなかった。さらに、改善措置以前一般の労働者は副業に勤しんで、生活費の穴埋めをしてきたのであるが、賃上げをするかわりに一日中工場などにいなければならなかったことから、副業をすることもままならず、生活はかえって苦しくなってしまった。価格を上げても「工場に電気が来るのは週4日だけ、それも1日2時間」12)という電力・資材不足はそのままなのである。結局モノ不足のまま価格改革が行われたことから、ハイパー・インフレを招くことになった。
12) 『読売新聞』2003年8月23日

 また闇市場を閉鎖したものの、モノ不足にはかわりがなかったことから、モノはさらに深く闇にもぐってしまうことになった。このため03年6月には市場を公認された「総合市場」として復活せざるを得なくなってしまった。このためたとえば中国となんらかのコネクションを持っているものや外貨にアクセスできる者が、密貿易などで獲得した品物を市場で販売することができるようになり、稼ぐチャンスが増すことになったことから、所得格差も拡大する結果となった。

 また、この経済管理改善措置は02年7月であったが、02年9月に小泉訪朝があり、日本からの経済援助をあてにしていたともいわれている。確かに日本の経済援助があればインフラの建設などは行われたであろうが、消費財などの生産や食糧生産がただちに回復できるとは思えず、価格改革も所期の効果をあげることはでき得なかったであろう。

 結局「7・1経済管理改善措置」によってなんらかの変革を求め、経済改善を図ろうとする努力はなされたものの、順序(sequence)を無視した改革はあまりにも大きな副作用を残しただけに終わった。

 もうひとつ北朝鮮の変化を感じさせるのは六者会談の受入である。 03年の8月および04年2月、6月と開催された。核の「検証可能な、完全なる、不可逆的な」放棄を求める米国と、核の平和利用と体制保証の確約を求めたい北朝鮮との間の溝は大きい。

 04年6月の会議では米国が①金正日総書記の核放棄宣言、②日韓中ロによるエネルギー支援と米国による暫定的な安全の保証、③総ての核関連施設や装置の解体と搬出、④米朝関係の正常化交渉という提案を行った13)。
13) 『朝日新聞』2004年6月25日

 北朝鮮も一方で「強力なひとつの部門が核能力をコントロールしており・・・核能力を実験によって誇示する可能性は・・・交渉が長引けばそれだけ高まる」と米朝二国間協議で発言した14)。しかし核実験をしたいと思っているのは「国家」ではなく「ある部門」と語っていること、米提案を持ち帰って検討するとしているなど、北朝鮮の変化を感じさせる動きがでてきた。ただしその後韓国も濃縮ウランを抽出していたことが明らかになり、米国の大統領選の行方など、4回目の六者会談への紆余曲折がありそうである。
14) 『朝日新聞』2004年6月26日(夕刊)

 核を放棄したことによって、米国との国交正常化を果たしたリビアの結果は、「金正日体制」の維持を望む北朝鮮にとって、希望を見出し得るものになったのではないか。武装解除したのに攻撃されたイラクとは異なる道を見出すことができたからである。

 金正日体制の維持とエネルギー支援が得られるならば、核の全面的放棄も北朝鮮にとっては受け入れやすいことになろう。ただし、中口韓に囲まれている北朝鮮の地政学的な特徴によって、米国が「北朝鮮をイラクのようには攻撃するはずはない」と、北朝鮮が思っているならば、リビア方式の適用も難しいことになる。

 周辺地域にとって、なんとしても避けたいことは、北朝鮮がハードランディングをすることであろう。難民が大挙して周辺地域に押し寄せることは、大混乱を引き起こすことになる。また経済的に疲弊しきった北朝鮮を引き受けることは難しい。インフラ整備の援助を行っても、例えば発電所を建設したとしても、現在のように効率が悪く漏電する可能性の高い送電システムをまず取り壊してから、送電システムを建設しなおすことをしなければ、役にたたない状況である。北朝鮮の経済がエネルギーと原材料が整えば工業生産ができるようになり、種子と肥料、農薬があればある程度農業生産も行えるような水準に建して、初めて自立のためのシナリオを描くことができるようになるのであろう。

 統一のコストということについていえば、東西ドイツの統一の結果が明らかになった90年代の半ばに南北朝鮮の統一のコストについても論じられるようになった。東欧圏のなかでは工業国で豊かであった東独であったが、それでも西独の経済的負担は大きかった。

 まず東独から西独に流入する人が多くなると、東独の経済がなりたっていかなくなることから、東西ドイツ・マルクの交換レートについて、個人に対しては東独のレートを有利に設定した(交換レートは、このほか債務や預金に対するレートが設定されていた)。

 また、東独の国営企業の民営化へのコストがあった。生産効率が悪く、福祉部門をかかえ、余剰人員を抱えていた、東独の企業に対しては、外国企業は興味を示さず、外資はほとんど導入できず、結局旧西独政府の負担が増加した。また民営化に伴って、合理化が行われ、多くの失業者が発生したが、このための社会保障費も必要になった。

 統一のための費用は当初、毎年300~400億マルク程度と思われていたものが、1500億マルクにも達することもあり、旧西独の年間予算の10.5~31.4%にも達した。また、ドイツ統一をソ連に認めさせるための対ソ援助も旧西独政府は負担しなければならなかった。

 旧西独の負担は大きかったにもかかわらず、東独での失業者の増大や東西ドイツの所得格差の拡大などによって、旧東独市民の不満も増大することになった。「親方日の丸」的体質に慣れきった人々にとって、基本的には競争社会である資本主義社会にはなかなかなじむことができなかったのである。

 東西ドイツ統一の現実をみて、韓国内でも、北朝鮮との統一の困難さが認識されるようになってきた。とくに北朝鮮の経済が統一当時の東独よりも、はるかに逼迫した状態であり、インフラの整備や企業経営の正常化、農業生産の回復、雇用の確保にも膨大なコストがかかることになる。また東独で西独のテレビなどを視聴することができたことを考えると、情報ギャップを埋めるコストは、現在の南北朝鮮よ引まはるかに少なくてすんだはずである。

 韓国の経済が共倒れにならないようにするためには、なんとしても北朝鮮を「ドン底」の状態からは脱却させる必要がある。それこそが、本当の意味での北朝鮮のソフトランディングになるのであろう。北朝鮮の経済が回復することがなければ、周辺国・地域の安定も難しいことを忘れてはなるまい。これは、北東アジアひいては東アジア共同体の安全保障を考えるさいの最重要課題となるのである。