日本海学グループ支援事業

2003年度 「海中から中世岩瀬湊を探る」(中間報告)


最終報告

2003年度、2004年度 日本海学研究グループ支援事業

中世岩瀬湊調査研究グループ
代表 奥村奨

調査の目的


調査船

 室町時代頃成立した廻船式目にみえる当時の十大港(三津七湊)の一つに「越中岩瀬湊」がある。その位置についてはこれまで定説がなく、東岩瀬説、西岩瀬説、放生津演説などがあるが、確定的な物証はない。
 今回、中世岩瀬湊は神通川河口付近にあったと仮定した。それを検証するために、当時陸地であったとみられる打出沖から東岩瀬沖の海底の状況を探査し、湊町に関わる痕跡の把握を試みた。


2003年度事業

1 調査計画

(1)方法

水中カメラ調査状況

①水中ソナー及び水中カメラを用いた船上からの海底状況の探査
 水中ソナーにより海底の突起物を確認・記録し、その地点に水中カメラを投下して映像を記録した。



潜水調査風景

②潜水による海底構造鞠の基礎調査
 ①により確認された礫群など反応地点について、実際にダイバーが潜水して撮影、計測、サンプル採集を行なった。


(2)範囲
 練合沖から四方沖(四方海底谷以西) 水深3~20m


2 調査結果

(1)ソナー探査

 調査海域内において、複数地点で海底の突起物の反応があった。海底は砂が平坦に堆積する環境であり、砂以外のものは魚網・魚礁、工事残骸物など現代に関わる構造物が予想された。
 ソナー探査においては、高さ数十cmの砂紋(波の影響による生成)、定置網のロープや石錘(人頭大の礫数個のまとまり)の反応のほかに、後述する礫群や石、樹根とみられる反応が認められた。
 これらの反応は、主に四方海底谷のすぐ西側部分に集中している。

(2)礫堆積物の確認

 四方漁港沖および足洗沖の2ヶ所で、水深10m以下において円礫が堆積する地点を発見した。


礫の確認状況(1)

①四方漁港沖
 漁港出口から150m北西沖地点において、幅約30m、延長約230mの帯状の礫群堆積物を確認した。礫群は、周囲の砂底から50cm~1mほど盛り上がっている。また、大型の樹根とみられるものも礫の縁辺に1ケ所認められた。


礫の確認状況(2)

礫の確認状況(3)


 


基盤の砂に入った礫

②足洗沖
 海岸から450m地点において、幅10~15m、延長30m以上の帯状の礫群堆積物を確認した。礫群は、周囲の砂塵から50cmほど小さく盛り上がっている。礫は拳大から20cmほどのもので、一部黒化した部分がある。


礫の集積現況(1)

礫の集積現況(2)

引き上げた礫

礫の一部に黒化部分あり
(3)石造物様物体の確認

 四方漁港沖において、角ばった大型の石を水中カメラで確認した。今回調査でこの地点の潜水調査は行なっていないので確定していないが、カメラ映像から、この石は「中世五輪塔」の一部の可能性が高いとみられる。

3 考察

(1)ソナー探査等結果について

 ソナーに反応があった地点は、四方海底谷の西側に多い。四方海底谷は、旧神通古川(古古川、カンの川とも呼んだ)の流路跡と推定され、反応地点は中世段階における左岸河口部に当たる地点である。この一帯は「五社宮」と呼ばれており、かつて打出集落三千軒があったという伝承が残っている。
 反応地点では、礫群及び礫群のなかの樹根、「中世五輪塔」の一部などと推定される物体が存在し、これらの性格が明らかになれば、伝承との関連性が裏付けられることになる。

(2)礫堆積物について

 調査区域一帯は、底質は砂であり、礫堆積物は通常存在しない。
 確認された帯状の礫堆積物は、自然堆積物か人工物か現在のところ不明であるが、特に①地点においては、旧神通古川の推定流路方向と直交しておリ、旧神通古川が流れていた時代の人工構造物である可能性が高いとみられる。
 今後、その生成要因、年代、性格を明らかにする作業を行う予定である。

(Jun.21,2004.)

2004年度事業

1 実施内容

(1)現地探査

 ボートによる水中ソナー探査・水中カメラ調査の実施(富山商船高専の協力を得た)。
 8回実施

①探査範囲
 四方漁港沖を中心的に行なったほか、西岩瀬八重津浜海岸沖~神通川河口の範囲。
 水深3m~20mの範囲

②水中ソナー探査
 ソナー(魚群探知機)を利用して海底微地形の確認・突起物の有無・地質抵抗の状況を確認した。
 その結果2地点(別図1のA・Bの範囲)で反応を確認した。


(別図1)

③水中カメラ探査
 25万画素のライト付き水中カメラを船上から海中に投下し、ソナー反応のあった地点及びその周辺を確認した。
 ・神通川河口付近沖  礫集積の広い分布を認めた。範囲の確定や状況の確認は今後の調査が必要。

(2)潜水調査

 15年度に四方漁港沖で構造物等が確認された地点(別図1のA地点)における潜水調査(専門家に依頼)を実施した。
 2回実施

(3)理化学分析(委託)

 足洗沖・四方漁港沖で採集した小礫(花崗岩等)の鑑定を実施。
 対比資料として、県内5河川の花崗岩を採取し、肉眼で比較した。


(4)中間報告発表

 調査の途中成果について、フォーラム・研究会・印刷物で発表した。
①富山市日本海文化研究所主催「日本海文化を考えるゼミフォーラム 中世岩瀬湊を探る」(平成16年9月11日:富山市和合コミュニティセンター)で、「海底から検証する」を報告、歴史学・海洋学・自然科学等専門家の意見を受けた:参加者140人
②富山湾を考える会例会で「四方沖海底探査中間報告」(平成16年10月16日:CiC)を発表し、自然科学専門家の意見を受けた。
③富山市日本海文化研究所発行『富山市日本海文化研究所報 第33号』(2004,8,30刊行)に調査成果を中間報告としてまとめ掲載した。

(5)専門家の批評等

 調査成果の内容方法等について、協力者や外部専門家に批評してもらい、レポートにまとめてもらった。

2 調査で得られた成果の分析

(1)探査及び潜水等調査結果

①西岩瀬八重津浜海岸沖 (別図1のA地点) 
 調査地点(北緯36°45.814 東経127°11.449 水深7.5m)において、70cm~150cm程度の大きな角ばった石や礫集積を潜水調査で確認した。
 大きな石は、計11個があり、点々と列をなして存在する。
 石は、丸い石を割ったもの、四角く割ったものがある。
 注目されるのは、礫の一端に「矢穴」と推定される凹みが複数認められ、これらの大石は、人工的な遺物である可能性が高くなった。

②神通古川河口付近沖 (別図1のB地点) 
 神通海底谷西岸におけるソナー探査により、水深5-17mにおいて、50cmから2m程度の海底の突起物を確認した。海草の繁茂などが認められることから、これらは四方漁港沖と同様の礫の集積によるものと推定される。
 現在まで確認した範囲は、北緯36°45.757~36°46.683、東経137°11.414~137°12.938のエリアである。

③小礫の分析結果
 海底試料は①四方沖1点  花崗片麻岩、②足洗沖2点  眼球片麻岩・黒雲母角閃石花崗閃緑岩と鑑定された。
 これを、県内6河川の礫と比較した場合、これらは神通川上流域の船津花崗岩や庄川・片貝―早月川岩体と類似し、また、足洗沖の花崗閃緑岩は、神通川・常願寺川・黒部川(今回分析していない)上流に存在するものとみられる。
 したがって、これらが神通川由来の礫である可能性が最も高い。

(2)調査成果についての分析

  今回の四方漁港沖での人工物としての大石の発見は、これまでの岩瀬湊研究では極めて重要な発見である。
 この大石は、人工的に割ったと推定される痕跡が認められることから、石垣構造物が波でさらわれて海底に沈んだなどの状況が推定できる。江戸時代には大きな海岸浸食の記録があることから、これらの大石は、江戸時代の海岸護岸などの性格が推定される。この大石にみられる加工技術や材質を明らかにすることによって、今後年代や性格を明らかにできると考えられる。
 以上のように、少なくとも江戸時代の海岸状況が、今後の調査も含めて復元することが可能になり、それ以前の中世における海岸状況の解明に向けて一歩前進したといえる。

(3)調査成果に対する専門家の意見(要約)

①保科齊彦(新湊市博物館長)
 これまで虚構とされた伝承について見直しにより、岩瀬湊と結びつく可能性がある。歴史的背景の調査が重要。

②井本三夫(歴史作家)
 古地理の復元に立って、より沖に湊の位置を復元すべきで、今回調査地点より沖の調査が必要。

③藤井昭二(地学)  調査エリアに大石は自然に存在せず、人工物とみられる。海水準変動を考慮して位置復元することが必要。

④千葉 元(海洋学)
 四方周辺が寄り回り波で浸食が大きいことが重要な要素。

⑤島木隆昭(航海学)
 探査の方法についてはほぼ確立した。今後大石の引揚げに向けて検討が必要。

⑥古川知明(考古学)
 大石は江戸前期の割石技術を使用していると推定される。
 今後測量の上引揚げて分析することが必要。B地点は明治期の「越中遊覧志」において「鬼ヶ瀬」と呼ばれる暗礁に一致する。その性格解明が必要。


3 今後の調査計画について

①四方漁港沖の人工的な石及びその周辺について、位置測量や科学的な分析調査行い、その性格や技術を解明する。
②人工的な石発見地点の沖合いに中世期の残骸が存在する可能性があり、探査を行う。
③神通古川河口沖から西側の未探査範囲のソナー探査、及び一部確認された突起物について、潜水調査で詳細を確認する。
④今後礫の分析試料数を増やすことにより、河川毎に細かく識別することができるようになる見通しが示された。17年度以降の調査ではその調査も充実させ、由来の確定に向けて調査を進めたい。

 この事によって、中世岩瀬湊の解明にむけて、より調査研究が前進すると考えられる。

(Jun.13,2005.)