日本海学グループ支援事業

2005年度 「環日本海地域(4カ国)の小学校授業研究会を通した共生社会の模索」


2003年度、2004年度、2005年度 日本海学研究グループ支援事業

環日本海域小学校授業研究会
代表 雨宮洋司

参考2003年度;韓国2004年度;中国、新聞報道

~ロシア・ウラジオストク・ネヴェルスキー海洋大学附属小学校との授業研究交流会の報告及び小学校段階の環日本海域国際理解教育実践についての若干の提言~

日露授業研究会実施日(場所)
第一回 平成17年 9月28日(水)~10月 1日(土)(ウラジオストク)
第二回 平成17年 12月 1日 (木) ~12月 4日(日)(冨山)

Ⅰ. 日本の教師によるウラジオストクの小学校での授業実践

1.ロシアの小学校へ出向く

(1)事前のやり取り

 今年度の環日本海域小学校授業研究会はロシア・ウラジオストクのネヴェルスキー海洋大学附属小学校との間で行われたのであるが、年度当初、当方の行事予定からすると、先にこちらからロシアの小学校へ出向いて授業をすることのほうがよさそうであるということが分かった。これまで行われてきた中国と韓国の小学校との授業交流の場合は、先に向こうからこちらの附属小学校へ来てもらって、こちらのプランに基づいて授業実践とシンポジュームをやってもらったので、その後で、相手の学校へ行って同じことをすると、相手との打ち合わせをする時、大変便利であることが分かった。つまり、翻訳や通訳をしてくれる留学生が少し口を聞くだけで、こちらが実施したい願いはたちどころに、相手側に理解してもらうことが出来るのであった。

 しかし、今年度のロシアの場合は先にこちらが出向かざるをえないので、授業交流の目的からはじまって、何をどのようにしたいかを詳細に述べる必要があった。まして、当初、英語でのやり取りであったために、こちらが使用する言葉の概念が一致するまでに相当の時間を要した。しかし、重要な場面では富山大学の筆者の研究室で勉強していた留学生のイローナ・ヤキメンコ学生が、こちらの小学校の様子や音楽の授業者である平井先生の授業状況を実際に小学校へ行って理解をしていたために、電話を一回すると、たちどころに、こちらの願いがスムーズに伝わったのである。まさに、附属小学校における普段からの留学生との交流は真の国際理解につながることをまざまざと見せつけられる瞬間であった。

 それでも、交流対象のウラジオストクにあるネヴェルスキー海洋大学附属小学校の様子は聞けば聞くほど理解に苦しむものであった。"出来たら、4年生か5年生に対して、音楽の授業をやりたいですが、教材準備の都合があるので1クラスの人数をお教えください"というこちら側の問合せに対して、エレーナ校長先生から届いた返事は"この小学校は4年制で、1年生は6歳で4年生は、現在おりません。ですから授業は2年生と3年生の8人を合体してやってもらいたいと思います。また、4~5歳の入学前児童もここにはいます"ということだった。一体、ロシアの学校のクラス定員はどうなっているのか?二つの学年を合わせて8人というのは80人の間違いではないのか?授業予定の教室にはピアノはあるのだろうか?その広さはどのくらいだろうか?疑問は広がるばかりで、授業予定の音楽の平井先生も頭を抱え込んでしまった。

 少しでもその不安を解消するために、ロシア人のイローナに質問してみた。彼女自身もそのような少人数のクラスは初耳だし、最近急激に学校の制度が変わってきているのでイローナにも良く分からない、ということであったので、再度、エレーナ校長先生に聞くことになった。しかし、答えは全く同じで"間違いはない"というのである。もはや、私達の想像をはるかに超えているので、まさに"行ってみないと分からない"ということになった。

 その日、ウラジオストク空港で私達を出迎えてくれたのは美術のマリーナ先生である。イローナも富山大学での留学を終えた1年ぶりの帰国なので、空港にはたくさんの友人が花束をもって彼女を出迎え、ゲートを出るや否や、大騒ぎとなって、私達を放り出して親しい友人と抱擁を繰り返しており、その光景は全くアジア的なそれではないことを悟った。肝心の通訳がそういうことであったので、私達はマリーナ先生の手招きで、迎えの車に乗って、海洋大学のあるウラジオストク市内へ向かった。

(2)団地の一角に小学校があった

 車が到着したところはまさしく海洋大学のキャンパス内である。筆者はこの大学には何回も来ているので、そこは見慣れた光景だ。しかし、いままで小学校の建物みたいなものをついぞ見たことはなかったのである。車から降りると、少し太めの女性がにこやかに握手を求めてきた。"エレーナ?"とっさに私は質問した。"ダー(Yes)"とその女性は応答したので、私も慌てて握手をした。"さーどうぞ"という風に大げさに手を広げて校長先生は地下室のようになっている1階へ行く階段に向かって、さっさっと歩き始めた。私達もその後を追いかけた。階段を下りたところが廊下になっており、周りの壁に子供達が書いたと思われる絵画が掲示され、校長先生は盛んにそれを指差して説明をしている。その絵の多くはロシア人が浴衣みたいな、あるいはチャイナドレスのような"和服"を着て花火をしていたり、折り紙を折っていたり、といった"日本情緒"溢れる?ような内容であった。そのときイローナが息せき切って入ってきた。ようやく、案内されたその場所が、私達の目指していた海洋大学付属小学校であることが確認されたのである。

 入り口のドアーの近くには冬季に不可欠なコートをかけるスペースがあり、内側のドアーのところにはガードマンが控えて、不審者の監視をしている。その前を通り抜けると左側に調理場があって、丸々と太った叔母さんがニコニコ笑って私達を見ている。どうやらここでは1日3食の給食が子供達に振舞われているらしく、まさに託児所を兼ねたようなところだ。調理場の横にはダイニングルームがあって、机の上にはたくさんの料理が所狭しと並んでおり、どうやら私達の歓迎の夕食会がここで行われるらしい。この場所は食事のために、滞在中、何回も出入りしたのであるが、毎回、校長先生は手作りの料理で私達をもてなしてくれたのであった。校長先生のお母さんが病気なのに、夜遅くまで鶏の豪快な空揚げに奮闘したと言うことで、それをのせた大皿が私達の胃袋を毎回直撃した。

 ダイニングルームの横はソファーや大きな机が置いてある多目的な教室らしく、そこで絵画や折り紙をし、さらに、子供の遊び場にもなったりする場所らしい。その向かいに、日本の固有教室ぐらいの広さを持った音楽室があり、隅のほうに小さなピアノが置いてあった。どうやらそこが音楽の授業をやるところらしく、中央付近に可愛らしい8脚の小さなイスがちょこんと並べられてあった。そのイスは木製であり、背もたれの部分も含め、原色の鮮やかなペイントで実にカラフルな模様で描かれてあった。周りの壁には薄緑色の壁紙が張ってあり、その光景は今まで見慣れてきた中国や韓国の小学校とは異質な雰囲気の小学校であった。いわゆる一斉授業をする教室らしきものはその横にある小さな部屋で、中を見ると、8個ぐらいの勉強机とイスが一列横隊に並べられ、その前には黒板があり、その横には先生の机があって、周りには物入れがあり、そこにはいっぱいの教材が詰まっていた。どうやら子供達はここで複式学級のように算数や国語などの教科を学んでいるようだ。机の上には本立て(ブックスタンド)がずらっと並んでおり、姿勢をよくするためにロシアの小学校では本立ての利用は当たり前のことになっていることも分かった。

 トイレは音楽室の前にあり、その入り口には、子供それぞれの手ぬぐいが吊るされており、トイレから出た後の手洗いの習慣づくりが行われていることも一目瞭然であった。トイレは男子と女子に分かれており、教職員も兼用になっている。そこには黒っぽい色のトイレットペーパーが備えられており、当地ではまだ有料トイレが幅を利かしているなか、一応その学校内は恵まれた状態になっているといえる。運動場がないために、どうしても外から見ると学校には見えないが、様々な備え付けの設備を見る限り、まさに、ここが小学校らしいことは分かってきたが、私のイメージとしては日本の"託児所"といったほうがぴったりであった。

 食事をしながらの校長先生のお話を総合すると、どうやらこれはロシアの学校教育制度自由化策の一つとして、大学が設立した新構想の小学校であって、入学前の児童を2年間預かり、日本の小学校1年~4年と合体した4年制小学校ということらしい。この学校が特色にしていることは、詩歌、音楽そして折り紙など情操面での教育重視であり、同時に良い大学へ入り、ロシアのリーダーになっていくような人材育成を主眼においているようである。ただし、高邁な理想を掲げて7年前に開設したのであるが、大学(国)からの予算措置が思うようにいかず、この学校の開設に当たっては先生方がみんな、手弁当で応援して初めて新構想の小学校がスタートしたということを校長先生はこぶしを振り上げて説明した。どうやら、財政難はいずこも同じらしい。児童定員は各学年6~8名であるが、大学に収める授業料が高いためか、入学しても途中から、授業料納付の必要がない一般の小学校へ移ってしまうため、4年生はゼロであり、他の学年も定員いっぱいを満たしてないのが現状のようだ。モスクワを中心に、高額所得者の師弟をターゲットにした新制度の学校(リセーやギムナジヤ)や私立学校の大流行に目をつけた海洋大学の営業政策なのであろうが、極東ロシアの現状においては少々無理であるのかも知れない。

 日本で想像していたことは、あくまで日本の小学校のイメージを中心に、他国の学校を理解しているのであるが、それは大きな間違いに導かれる危険性を潜んでいることに、あらためて考えさせられたロシア小学校訪問の初日であった。

(3)歓迎

 翌朝、音楽室へ入るや否や、校長先生が私達にカラフルな子供用のイスをすすめてくれた。やがて、隣の部屋からきれいなお人形さんのような5歳児、6歳児、7歳児そして8歳児の男女が計8人、女児は頭に金色や銀色の王冠のようなキャップをかぶり、アルプスの少女のように、白い前掛けを長いフレアースカートの上につけて登場してきた。男児はあの勇ましいコサック兵士のようなコスチュームを身に付けている。校長先生がその前に立ってなにやらしゃべった。どうやら、"今から歓迎の歌と踊りを披露します"ということらしい。音楽が鳴り響き、お遊戯が始まった。 踊りながらときどき、その子らの口からさえずるような歌声が発せられる。女児の周りを男児がその力を誇示するかのように、ゆっくりと回り始める。何回か練習をしたのであろう。きれいに揃ったダンスとその衣装、そしてその顔立ちはアジアの子供等との違いを際立たせている。その間、後ろのほうで、なにやら動く気配が感じられたので、何気なく振り向いたところ、マリーナ先生が一生懸命に、子供のほうを向いて同じ踊りをしているではないか。どこの国でも小学校の先生の子供への思いは同じであることを感じ入った次第である。

 歓迎の歌と踊りが終わると今度は私達もその子供達の中に入って、ロシア式鬼ごっこをやることになった。まず、マリーナ先生が見本を示す。前の人の肩に手を置いて、一列になる。やがて音楽が鳴りはじめると、先頭が動き始めて後ろの人がそれに続く、音楽は早くなったり遅くなったりするので思わず手が離れてしまう。そのとき、手が離れてしまった人は、なにやら叫ぶ、するとそれを合図に一端みんなばらばらになって再び前の人の肩に手を当てて一列になる。音楽が鳴って手が離れる都度、子供達は喜んで大騒ぎになってその教室は笑いでいっぱいになるのである。

(4)トロイカを唄いながら・・・

 2年生と3年生6名の子供達を対象に平井先生の授業が始まった。ピアノの前に先生は腰を下ろし、その横に6つのイスが並べられ6人の子供がちょこんと腰かけ、何が始まるのかというような顔つきで平井先生を凝視している。当初は8人の子供達だということであったが、どうやらその日は2人が登校してなかったのである。その後聞いた話では、ひとりが公立の学校への転校の話が出ており、もうひとりはどうも不登校気味の男児であったようである。それがわかったのは翌日の2回目の授業にその子も参加していたので、密かにイローナに探りを入れてもらって判明したことであった。どの学校でもいろいろな悩みを抱えているようだ。

 授業者の平井先生はトロイカの歌詞をロシア語で歌いながら、「4拍子のリズムを遊びながら学ぶ」という授業を展開した。その流れのポイントだけを述べてみよう。

 まず、ロシア民謡「トロイカ」をピアノ伴奏に合わせて唄った後、先生は用意してきた何枚かのカードを黒板に貼った。そこにはロシア語の文字と読み方のカタカナ、そしてその意味が記されてあり、先生はそれを見ながら、ロシア語のカタカナ読みを大きな声で発音した。その途端、神妙な顔つきをして座っていた子供達の間から、クックッと押し殺したような笑い声が聞こえてきた。そして、ある子は立ち上がって"発音がおかしい"と、通訳をしているイローナの方を向いてしゃべりながら、平井先生に本格的なロシア語の発音を教えはじめたのである。先生はその子の発音を一生懸命、真似をするが、なかなか上手くいかない。それを繰り返しているうちに、お客さんのようになっていた子供達は平井先生と急に打解けてきたようだ。こうなると授業の展開は早くなる。先生はカードを見ながら"テレホン""ウラジオストク""スパシーバ""テレビザル""デイーニャ"等と発しながら、教える先生の顔になって、4拍になるように、手を打ち、リズムをとり、子供達がそれを真似て手を打ったりしはじめた。もちろん1拍の休みは"ウン"と言いながら、日本式にうなずきの動作を入れる。やがて先生はカードの順番を子供に変えさせ、肩たたきの仕草も入れると、子供達は大騒ぎをしながらそれに挑戦した。その後、先生は子供達それぞれに、日本から持参したカスタネットや鈴、タンバリンなどの小楽器を渡して、それまでの様々な4拍子のスタイルをピアノに合わせて、綜合的に表現する作業にとりかかり、最後はトロイカをベースに4拍のリズムを正確にとりいれながらの大合唱になった。

 ところで、授業で使用したトロイカの歌であるが、果たして、子供と一緒に唄うのにふさわしい内容かどうかで、出発前にちょっとした議論になった。同僚の藤井先生が持っていたロシア民謡大全集に載っていた歌詞をよく見ると、"オレは可愛いあの娘を禿げちゃびんのじいさんに盗られてしまった。いまいましい限りだ!♪♪♪"というなんとも私たち自身が感じていた哀愁を帯びたトロイカとは似ても似つかない内容の翻訳がそこに書いてあったからである。一体その翻訳は正しいのだろうか?早速、イローナに原文をあたってみてもらったところ、その翻訳は正しいと言うのである。しかし、その言葉は大変古いロシア語を使っているので自分も含め若い、特に子供達にはその意味はわからないだろう、というのだ。それではトロイカの曲や歌詞をロシアで聞いたことがあるのかと聞くと、彼女曰く"おばあちゃんが唄っているのを聞いたことがあるかもしれない"といった程度で、あまり定かではないようだ。平井先生も急遽、別のロシア民謡に取り替えるわけにもいかないので、ともかくそれでいくことにしたのである。子供達とロシア語で1小節ずつ唄うのであるが、例の"禿げチャビン"のところにきても、子供たちや校長先生の表情にはそれほどの変化はなく、なにやら新しい歌詞を日本の音楽の先生に教わりながら、曲に合わせるのに必死という表情のほうが強かった。終わってからの校長先生との話し合いでも、その歌詞が子供に不適切なものであったかどうか、ということについては明快に"ニエット(No)"と答えていた。

(5)一生懸命のもてなしと安心感

 わずか3名の常勤と数名の非常勤先生の集団であるこの小学校へ、日本から4人の訪問団が行ったのであるから、校長先生はその接待に頭を悩ましたであろうことは随所で感じた。まず、私たちの食事は一切、その小学校のダイニングルームで調理員の叔母さんが用意したものを食し、校長先生の手作りの料理も毎回、テーブルの上を飾ったのである。市内見学も1回はタクシーを用意してくれたものの、それ以外は公共のバスを利用した。

 ウラジオストク中央駅の近くにある広場を散策しているときも、あちらこちらにあるバザールで売っている品に私達が興味を示すと、すぐに校長先生は値段の交渉を買って出て、蜂蜜やチョコレートもたくさんお土産としてプレゼントしてくれたのである。国際交流で頭が痛いのは接待費用をどう工面するかということ、そしてどこへ見学に連れて行くかということであるが、この学校の場合はこうしてやりくりを必死にしていたことは言葉を通さなくても十分伝わってきた。最近の日本では自家用車が普及し、自宅のトイレも水洗式が普通となり、身近な観光コースも一応完備されているので、それほどうろたえることはないのであるが、まだまだ自分たちの生活自体が軌道にのっていないお国柄の場合には、外国からのお客さんを気持ちよく接待したいという思いはあっても、先立つものがなく、誇りを持って案内できる場所も見つからないという悩みも多いのである。特に、どこの国の小学校も、大学等に比べると国際交流への対応は雲泥の差になっていることから、公立単独の小学校との交流より、大学の附属小学校との国際交流のほうが何とか目的を成し遂げることができる度合いが高いということが、3年前からの一連の環日本海域小学校の授業交流を通して分かってきたことであった。

 それに加えて今回は筆者の研究室で1年間過ごしたロシアからの留学生イローナが、特別に同行していたことで、さらなる強みになった。彼女は富山大学附属の幼稚園、小学校、中学校、養護学校そして県内の高校と高専で教育実習も成し遂げ、筆者が意図する国際理解教育の立場での交流意義もほぼ理解してくれていたので、その通訳も完全にこちらの意思を相手に伝えることができて大成功であった。その証拠としては私達が訪問を終えた後、ネヴェルスキー海洋大学の新聞に掲載された後述する記事の内容は、こちらの目的や意図していたことが完璧に相手へ伝わって理解された内容になっていたので、留学生の異文化の橋渡役の重要さにあらためて感じ入る思いであった。

2.ロシアで実践した音楽授業~授業者の立場から~

(富山大学人間発達科学部附属小学校 平井久美子執筆)

(1)はじめに

 環日本海域交流授業研究の一環として、平成17年の9月下旬から10月始めにかけ、ロシアのウラジオストクにあるネヴェルスキー海洋大学附属小学校において授業実践を行う機会を得た。 それは、国際交流の面においても、中国における前年度の交流実践で残した研究課題にチャレンジする場を得たという研究の面においても、たいへん意義深いことであった。ここでは、授業者の立場から、中国での第一回目の実践を踏まえて今回のロシアでの実践を報告し、実践者として気づいた点に付いて若干の整理をしてみたい。前年度及び今年度の授業の題材名とねらいは次のようになっていた。

○前年度の中国・大連海事大学附属学校小学部での実践
 音楽科 題材名「拍を感じて」 対象学級/3年生(56名)
 ねらい... リズム打ち、手合わせなどの音楽遊びを通し、4拍子や3拍子の拍感を養うこと。

○今年度のロシア・ウラジオストク ネヴェルスキー海洋大学附属小学校での実践
 音楽科 題材名「拍にのって」 対象学級/1、2年の合同(計6名)
 ねらい... リズム打ち、リズム伴奏などを通し、4拍子の拍にのる感覚を養うこと。

(2)授業開始前に考えたこと

 前年度に中国での実践で学んだことを生かし、研究を深めたい。そこで、題材の基本的な内容は変えず、中国での授業実践の成果と課題が生かせるよう学習活動の構成に修正を加えて題材を構想し直した。また、対象学年が1、2年生の合同学級であるため、発達段階の面からも若干の修正を加えることにした。ネヴェルスキー海洋大学附属小学校は、もともとは海洋大学の先生の子供たちのために創設された学校のようで、大学の校舎の中にある。一つの学年の児童が2~3名で、小学生は1~4年生までの在学というたいへん小さな学校である。まずは授業の前に、子供たちがロシアの民俗衣装を着て、民舞を踊ってくれた。その動きを見て、この子供たちは日本よりも音楽や踊りが生活に密着していることを感じとり、音楽に対する構えが日本とは少々違うかもしれないと思った。

 さて、授業に参加する子供は1、2年合同の6名である。人数が少ないので、アップライトピアノの周りに子供たちをすわらせ、息もかからんばかりの距離で授業をすることにした。

(3)授業の実践

 教材曲には、『トロイカ』を選び、ロシア語で書いた大判の歌詞カードを用意してきた。ロシアの子供たちに聴き覚えがあり、ロシアの代表的な民謡として日本でも有名な『トロイカ』は、ロシアと日本の架橋となり得ると考えたからである。しかし、教材選定にあたって思いがけない落とし穴があったことをぜひ記録しておきたい。日本で歌われている日本語訳の歌詞が、オリジナルの歌詞内容とだいぶん違っていたことである。日本でポピュラーに歌われている歌詞は、「雪の白樺並木 夕日が映える・・・」という叙情的なものであるが、オリジナルの歌詞内容は全く違うようなのである。違っていても構わないが、ある訳詞を見ると全く大人の恋歌のようである。もしかして教材にふさわしくないのかもしれないと不安にかられ、慌てて通訳の方に調べていただいた。すると、思いもよらない返事が返ってきた。「トロイカの歌詞は古い言葉のため、ロシアの大人の人に聞いても中身はよく分からない」と言うのである。国をまたぐと、原詞と訳詞の意味が違う場合があるということを実感し、これも留意が必要なことであると学んだ。結局、ネヴェルスキー海洋大学附属小学校の校長先生の許可をいただくという手順を踏んで、『トロイカ』を教材曲に決めるに至ったのである。

 1日目の授業は、私がロシア語で『トロイカ』を歌って聴かせることから始めた。すると、子供たちより先生方が喜んでくださった。子供たちには「歌ったことはないければ、何となくどこかで聴いた歌」という程度らしい。ところが、先生方には、自分の国の大切な民謡を教材曲にし、それを私がロシア語で歌ったことが喜ばしく思われたようだ。互いの国の文化を尊重しながら交流授業研究を進めていくうえで、このような配慮は大切なことだと教えられた思いがする。

 『トロイカ』を歌えるようになったところで、それに合わせて顔つまみ遊び、手合わせ遊び、肩たたき遊びをすることにした。今回は中国での経験を生かし、実際にもう一人の日本人教員といっしょに実際にやって見せるという方法でやり方を提示した。すると、すぐにやり方を伝えることができた。そして、遊びの要素を取り入れた音楽活動についての反応はと言うと、中国の子供たちと同じである。遊びの要素に目を輝かせ、夢中になって遊びながら、少しずつ拍にのる感覚を高めていく姿がかわいらしい。

 2日目は、中国でもしたように、言葉のリズムを生かし、拍に合わせて簡単なリズムパターンを打つという活動をしようとした。ところが、ここにも落とし穴があった。テレビのことをロシアではテレビザルと言うので、私が拍に合わせて「テレ ビザ ル ・」と言うと、子供たちがくすくす笑い出したのである。どうもそんなふうには言わないらしい。そこで、子供たちにテレビザルと言ってくれるように頼むと、1拍の中で「チレッザル」と言ってしまった。つまり、私が日本風に「テレビザル」と言うのと、子供たちがロシア風に「チレッザル」と言うのとでは、言葉のリズムが全く違っているのである。その国の言語や風習を教材化しようとする場合、理解を深めてから活用すべきであった。

 しかし、意外にも、そのハプニングが子供たちと私の距離を縮めてくれることになる。その後、子供たちと私の距離が急に縮まり、教材に不自然さがあるものの、リズム打ちの活動がどんどん発展していったから不思議である。

 最後に、みんなでつくったリズムフレーズを打楽器で演奏してみることにした。楽器は、授業者が日本から持っていった鈴(すず)、タンブリンなどである。

 袋の中からもったいぶって取り出す私の手元を凝視する子供たちの目を見ると、興味津々であることが手にとるように分かる。「やってみたい人?」の問いかけにみんながやりたがったことは言うまでもない。楽器がもつ魅力が子供の心をとらえることにおいて、日本もロシアも何の変わりもないのである。

(4)授業実践から学んだこと

 前回の中国そして今回のロシアでの音楽授業の実践から、私はたくさんのことを学ぶことができた。それを大きな桁でまとめてみると、次のようになる。

○ 音楽は言葉がなくてもやはり感じ合えるものである。世界共通の言語とも言える。しかし、音楽学習が成立するようにするためには、しなければならない必要な指示がある。そこに言葉の便利さがあるし、言葉が違っていて直接使えないなら、言葉以外の方法で伝える工夫が必要となる。

○ 国が違うと、授業のやり方や授業観などに違いがある。違っているから学んだり、自分のいつもの授業を振り返る契機を得たりすることができる。ただし、その違いの背景には、その国の人々の文化、風習、価値観などがあるのだから、それを少しでも知る努力をして教壇に立たせていただかないと意図せずに失礼をしてしまうことがある。

○ 国が違っても、言葉が違っても、子供が興味をもったり楽しいと感じたりする本質的なところは同じである。言葉が違っている状態で授業をしてみたことによって、教材選択の大切さを痛感した思いがする。

3.ネヴェルスキー海洋大学当局による授業交流の評価

 2005年10月10日付けのネヴェルスキー海洋大学新聞は「共生を目指して」というタイトルで今回の授業交流について次のような評価を下した。それはこちらが意図した通りであったことから、予定の成果を上げたことになる。

 「日本の富山大学から附属小学校の先生方一行が海洋大学を訪問した。一行は、同小学校の雨宮洋司校長、平井久美子音楽教諭、沢柿教淳理科教諭そして教育学部副部長の佐藤幸雄氏の4人であった。富山とロシアの交流はここ20年間続けられており、なかでも富山大学と海洋大学はその交流では重要な役割をしている。交流の目的は環日本海諸国の共生であるが、互いに異なった面が多々あり、多くの困難な問題も存在している。しかし、私たちは共に生き、良好な近所付き合いを模索しなければならない課題を持っている。どのようにしたら相互理解が出来るか、相互交流の困難さを乗り越えることが出来るのか?ということを私たちは考えなければならないのである。さらに、私たちは若い世代が、近隣諸国の人々やその人たちの異文化に対してステロオタイプな考え方や過去の忌わしい経験を乗り越えることを目指してその教育力を発揮する必要がある。どのようにしてこの共同社会において生きていること自体を学んでいくか、特に、いま、この地域社会で共に生きることを考えるリーダーの育成は将来の各種の事業展開においても不可欠なことである。共に生きることの模索は現実的な明日への重要な課題である。

 この1年間、両大学は共同プログラムをいろいろなかたちで推進してきており、今回はさまざまな議論を経て、新たなステップに乗り出した。それは当大学の附属小学校において、日本の先生方がロシアの子供たちに授業を実践するという画期的なステップとなって実現した。それは言葉の壁を少なくした小学校段階での相互理解教育の実践研究で雨宮教授のアイデイアで推進されている。日本の先生方は海洋大学附属小学校の子供たちに、その試みを行い、実際に、外国人がロシアの子供たちに教授する方法として最小限の通訳の助けを借りることで十分なことを証明したのである。

 以上の新しい試みの成功についての話題と共に、海洋大学セデイーク学長との間では、当大学のヤキメンコ・イローナ学生が1年間、富山大学に留学し、多くの成果を収めたことも話題になった。彼女は、1年前に、ウラジオストクで開かれた日本語スピーチ・ライテイングコンテストで優勝した学生であり、日本の富山大学留学中、日本語の勉強はもちろん、論文作成や附属小学校での教育実習なども手がけるという貴重な体験をしてきた。その体験を通して、日本人の食事、習慣、ロシア人という外国人への反応等異文化の現実に戸惑いながらも、日本の人たちと友好的な知見を得ることが出来たのである。富山大学の先生方もイローナの富山大学教育学部での熱心な勉強振りには大変良い評価を与えていた。以上の富山大学との間で展開されている新しい試みは、この地域における隣人の相互理解と協力関係を進める指導者の育成のために極めて有意義なことであることが確認された」。

Ⅱ.ロシアの先生による附属小学校での図画工作の授業

 12月初旬、ロシア・ウラジオストクのネヴェルスキー海洋大学附属小学校のポブック・マリーナ先生がゴルデイエンコ・エレーナ校長先生と来日して、附属小学校の2年2組(松井級40名)で「ロシアの冬」と題する絵画の授業実践を行った。その様子をここにまとめる。

1.マリーナ先生の「図画工作」授業指導案

  (ネヴェルスキー海洋大学附属小学校美術教師 ポブック・マリーナ執筆)

(1)はじめに

 今回、富山大学教育学部付属小学校の先生方と交流することができることに感謝申し上げたいと思っており、また、「対話する子供の育成」というプログラムに参加できることはとてもありがたい。

 海洋大学付属小学校の子供たちは日本の学校について知りたいと思っており、また、こちらの先生たちは日露教育システムについても同様に興味深く思っている。そういうわけで今回のプログラムは授業者や観察者の視野を広げる機会になると考えている。

 海洋大学付属小学校で勉強している子供たちは自分ができること、具体的に言うと、どういうふうに絵をかくことができるのかを見せたいと思っており、私が行なった授業で7-9才の子供たちが仕上げた作品の提示もしたいと思う。その絵画のテーマは「子供の目で見たロシアの冬」という名前にしたい。

 グワッシュという染料があり、それを使って絵をかくのは簡単に見えるかもしれないが、実際にグワッシュを使って絵をかく技術はかなり難しい。それができるようになるためには重ねた経験を生かすことと一生懸命勉強することが必要だと思う。

(2)題材とねらい

題材:「ロシアの冬。一つ一つ区切った一筆」ねらい:1.子供たちへのロシアの冬の紹介    2.「一つ一つ区切った一筆」という技術を使えるようになること

(3)題材設定の趣旨

*私たちが囲まれている環境は物に豊かで多様であるので、よく感動させられるのではないかと思う。世界の美しさと多様性、また調和を伝えるための方法が様々であるが、その中には絵をかくという方法がもっともよい方法だと考えている。

*今回、グワッシュを使って絵をかく予定であるが、グワッシュ(gouache)という染料は絵画芸術の中で最も古くて効果的な道具であり、簡単に水に溶ける接着剤でもある。グワッシュの成分である染料は透明ではないので、グワッシュでかいた一つの層の上にまたかくことができるので、間違ったところを直せる。

*早いスピードで変わる世界の現実を伝えるため「一つ一つ区切った一筆」という技術を使いたいと思う。

(4)用意するもの

* ロシアの子供がかいた絵を提示するための黒板かボード(板材)
* 今回の授業で日本の子どもがかいた絵をはるための黒板かボード
* 授業で使うための黒板
* 机、できればそれを布(クロース)で覆ったほうがよい。
* グワッシュのセット(9-12色入り)
* 筆を洗うためのグラス
* 二つの筆(かたいのと平たいもの)

 以上のモノは子ども一人一人が持っているのがよい。
 絵をかく人の創造力を高めるためには、記憶しているように絵をかくことが非常に大事で、今回一人一人の子供が自分なりの絵をかくようにしたい。ただ、授業のテーマは「ロシアの冬」というテーマなのでそのテーマの範囲で絵をかくことは必要である。

(5)授業の展開

学習活動 教師の指示
①ロシアの冬の見本を作ること ロシアの子供がかいた絵の展示を行う
②スケッチをすること 絵の外形を決める。最初は絵の縦と広さを決める。次、どういうふうに紙で絵をかくのか考える。細い筆を使って絵をかいてみる。
③「一つ一つ区切った一筆」という技術を使って絵をかく 「一つ一つ区切った一筆」という技術を使って最初は一番大きいものをかく。最後は細かいものを書く。
④「冷たい色」を使って背景をかく 授業のテーマは「ロシアの冬」というテーマなので冬の寒さや冬の月の光を思い出させる「冷たい色」を使って絵をかく。かき終わったら、大きいものと小さいものは互いに正しい場所でかいてあるか考える。
⑤「patch work」というスタイルで壁画を作る 同じテーマでかいてある絵は組み合わせて壁画を作る。こういうスタイルは「patch work」という。「patch work」とは多くの国々では伝統的な絵画芸術の方法である。

 (注)この授業案がこちらに送付されてきたが、グワッシュの種類、その画法などの詳細が把握できず、何回もやりとりをしたが、結局相互に理解するに至らなかった。結局、マリーナ先生が画材や展示する材料などのすべてを持参することになったのである。それほどそれぞれの小学校教育において行われている授業なかでも図画工作の場合は、特色がにじみ出ていると言えよう(雨宮)。

2.ロシアの先生ようこそ2年2組へ
   ~クラス担任の立場から~

(富山大学人間発達科学部附属小学校2年2組担任  松井昌美 執筆)

(1) 2年2組にロシアの先生が来てくださる!?

 「ロシアのポブツク・マリーナ先生が、学級の子供たちと図工の授業をしてくださる」というお話をいただいたとき、私は跳び上がるくらいにうれしかった。こんな機会をいただいた子供たちは、何て幸せなのだろう!子供たちが大喜びする様子が目に浮かんだ。たった1時間の授業の交流ではあるが、子供たち、マリーナ先生、担任の三者それぞれにとっての、充実したよりよい時間になることを強く願った。

 マリーナ先生と授業ができると知った子供たちは、「本当?」「やったあ!」「ロシアの先生となかよくなりたい!」「早く会いたいな」と、予想以上の喜びようだった。その喜びは、マリーナ先生の来校をお待ちするだけではなく、自分たちのできることを精一杯してお迎えしようという、積極的で主体的な姿となって表れていったのである。

(2) みんなで心を込めて、ロシアの先生方をお迎えしよう

 早速、「ロシア」について調べ始めた子供がいた。なるほど!なかよくなろうとするときには、まず、「相手のことを知りたくなる」のだ。ロシアは、なんと!日本の45個分ぐらいの広さ、ウラジオストクと富山は飛行機で行き来できること、国語で学習した「大きなかぶ」はロシアの民話、マトリョーシカ人形、冬はとても寒いこと、ボルシチなどのロシア料理・・・。中でも、子供たちの心が大きく動いたのは、「ロシア人の国民性」。「親しくなれば、うんとなかよしになれる」その言葉に子供たちは、当日の自分たちの姿を重ねるかのように喜んだ。「ロシアと日本の国旗を並べて、なかよく手をつないでいるようにしたい。そして、それを飾りたい!」こんなアイディアも出てきた。大きな色画用紙で丁寧に国旗を作り、「これならきっと、ロシアの先生たちも見てくださる。喜んでくださるといいな」と、教室の後ろの一番目立つところに貼った。みんなの思いを一心にこめた「シンボル」となった。

(3)いよいよ、ロシアの先生との授業が始まる!

 なかよくなる第一歩は、「あいさつから」と考えた子供たちは、ロシア語のあいさつや自己紹介の仕方を調べて覚え始めた。入学した頃、名刺を渡し、自己紹介をしてどんどん友達を増やしていった経験が、ここに生きているように感じた。

一緒にお話した給食時間

 授業の前日、ロシアの先生方のご希望で、一緒に給食を食べることになった。「ズドゥラーストゥヴィチェ(こんにちは)!オーチン プイヤートゥナ(お会いできてうれしいです。どうぞよろしく)」子供たちは、拍手と覚えたてのロシア語で先生方をお迎えした。自分から進んでロシア語で自己紹介をする子供、「ロシア語で書いた名札を見て、名前を呼んでもらえた」と喜んでいる子供もいた。担任は、ものおじせず、親しみを込めて接していく子供たちに驚きと喜びを感じると同時に、ロシアの先生方の緊張が次第に和らいでいくのを感じた。

 

 翌日、登校した子供たちは、教室前に展示してある美しい絵にくぎづけになった。ロシアの子供たちが描いた「ロシアの冬」の絵だ。いよいよ、図工の授業が始まった。マリーナ先生から、ロシアの子供たちが描いたサンタクロースの孫娘、ツリー、雪だるま、窓ガラスの雪の模様などの紹介、雪深く寒さの厳しいロシアの冬の様子をお聞きし、子供たちは、感嘆の声を上げた。それは、子供たちのイメージする日本の冬より、ロシアの冬がはるかに厳しいものであったということ。そして、そこに暮らす子供たちだからこそ感じて表すことができた冬の様子の絵であること。または、国の違いとは関係なく、子供たち独自の世界に共通する感覚で表されているものであること、などの相違や共通点の発見の感嘆の声であったように思う。

「ロシアの冬」の授業風景

 ロシアから持ってきてくださった「グアッシュ」という絵の具を使って、イメージした「ロシアの冬」を描いた。白で輪郭を描き、寒色で外側を、暖色で内側を塗っていく。筆の先で点々を描くようにして、塗り重ねていく技法だ。マリーナ先生やエレーナ校長先生は、一人一人の手をとって、「トップ、トップ、トップ・・・」とダンスをするように筆先を弾ませて、色の塗り方を教えてくださった。子供たちの口から自然と「スパシーバ(ありがとう)」という言葉が出てきた。子供たちは、このスキンシップがよほどうれしかったのだろう。翌日も、この話題でもちきりだった。グアッシュの使い方にも慣れてきた子供たちは、どんどん絵を仕上げ、パネルに貼っていった。すると、そのパネルの中で、ロシアと日本両国の子供たちの作品がなかよく並び、調和しながら一つの大きな作品に仕上がっていったのである。

マリーナ先生とトントン相撲

 子供たちは、授業の最後に、紙相撲と土俵の「トントン相撲セット」をプレゼントした。「日本らしいもので、ロシアの子供たちも遊べるものがいいな」という思いから生まれた贈り物である。「自分たちのことも知ってほしい」と、つくった紙相撲と一緒に写真を撮り、ロシア語で自分の名前とメッセージを添えた ものもプレゼントした。紙相撲は、子供たち一人一人の分身である。「会って一緒に遊びたい!」そんな思いが託されている。学級の横綱とマリーナ先生とのトントン相撲対決が始まった。マリーナ先生も真剣!みんなの応援も熱くなり、教室中が、歓声でわいた。

 最後に、子供たちが「世界中の子供たちが」を歌った。そして、ロシア語でのお礼とお別れの言葉・・・。エレーナ校長先生は感激の涙を流しながら、「これから、ロシアの子供たちとお手紙交換をしませんか?」と、子供たちに呼びかけられた。子供たちは、思いがけない言葉に驚きながらも「ダー(はい)!」「ハラショー(分かりました)!」と答えた。「自分から心を開けば、初めて出会った人とも、外国の人とも、こんなふうに心をつなげることができる」ということを、子供たちから教わった。

(4)国が違い、遠く離れていても、「教師の志」は同じ

 授業後、マリーナ先生は、「ロシアも日本も、子供は同じ」という感想を話された。

 私は、「教師も同じ」だということを強く感じていた。

 マリーナ先生の今回の授業に向けての熱意を様々なところから感じた。子供と一緒に給食を食べることを望まれたり、当日の朝、教室の環境を再確認されたりもした。私も同じ立場なら、よりよい時間になることを願えば願うほど、事前にできることはないかと考え、実行に移しているだろう。また、授業後に、子供への賞賛の言葉かけやグアッシュの使い方の説明が足りなかったと、自ら反省して私に話されたことは、授業のサポートとしての自分の手立てを模索しながら過ごしていた私自身の反省と同じであった。私もそのことをマリーナ先生に伝えた。マリーナ先生は、「これからメールのやりとりを通して互いの教育を知り合い、よいところを取り入れていきたい」とおっしゃってくださった。教師として、互いを高め合う存在になれるということ、国を越えて同じ志の仲間ができたことに、この上ない感激を覚えた。そして、これから展開されていくであろう交流への期待と興奮で胸がいっぱいになった。

 「ロシアの冬」の絵の展示や校内での反響を、写真と一緒にロシアへメールで送ると、ロシアの子供たちが日本の子供たちの様子に大変興味をもった、という喜びのメールが届いた。また、互いの学校での活動を紹介する多くの写真やメールのやりとりが何度も続いた。さらに、子供たち直筆の手紙や絵も送られてきた。好きな遊びや動物、家族のことを紹介しながら、返事を求める文面に、子供たちは喜んで返事を書き、再びロシアへ行かれることになった雨宮校長先生に、感動と熱い友情の思いのこもった返事を直接届けていただいた。「人の心には、国境がない」ということを感じつつ、これからの交流の進展にさらに思いをはせている。

3.ロシアの先生が行なった授業の様子
  ~観察者の視点から~

(1)ダー(ハーイ)!

 "グワッシュを使うときは絵筆をこう持って、画用紙に点点を打つような感じでやるんですよ!!わかりますね"マリーナ先生が言ったことをイローナさんがあわてて通訳する。「ダー」子ども達から一斉に、ロシア語の"ハーイ"が発せられた。"ロシアの子ども達が描いたこの冬の絵の内容が何であるかわかりますか?"「ダー」と子ども達の返事がした。マリーナ先生は一段と張りのある声で"外は雪で、部屋の中は温かいストーブですね"と説明すると、「ダー」再び大きな声の返事が2年2組の教室いっぱいに響いた。

 事前の打ち合わせの電話で、エレーナ校長先生が"グワッシュを使った絵画の授業をしたい"ということを10月の始めに伝えてきた。もちろん筆者にとっては初めての言葉であり、グワッシュというのはロシア語だろうから、英語に訳してもう一回言ってくれとお願いしたところ、"グワッシュ""グワッシュ"と何回も繰り返すのである。あわてて、図画工作担当の大島先生のところにとんで行って聞いたところ、先生はすぐさま"グワッシュですね"というのである。どうやら絵の具の一種であるらしいが、日本の小学校では使っていないらしい。しかし、売っているのでこちらで用意できるが、ニカワ?が入っているものが良いのかどうかを聞いてもらいたい、ということであったので、早速、エレーナ校長先生に問い合わせたところ、再びなにやら意味不明の答えが返ってきた。その後、この件では日本語が堪能なイローナさんにも入ってもらい、ファクスやメールでのやり取りを何回も繰り返した。しかし、結局、共通理解に至るには程遠いことが分かって、向こうが40人の子ども達のグワッシュをロシアから持参することと相成ったのである。

 その日、マリーナ先生は大きな荷物を二つ持参して、そのなかからたくさんのものを取り出し、机の上に並べ始めた。私はてっきりお土産だと思い、"こんなに沢山頂き恐縮です"と言ったところ、「これはマリーナ先生が授業で使う教材です」とイローナが言いながら、「これがグワッシュ、これが画用紙、これが掲示するための壁紙、そしてそれを貼り付ける糊です」と言うではないか。授業をやるための道具を一式、ロシアから持参して、ロシアの先生が、ロシア式に絵画を指導するという、まさに、ロシアの文化そのものを2年2組の教室で展開すると言うことになった。

(2)ところ変われば品変わる

 私達は韓国でも、中国でもそしてロシアでもすでに日本式授業を実施してきた経験をもつ。そこから得られた結論の一つは、それぞれの国の小学校で使われている各教材はまさにそれぞれの国の伝統や文化を反映して作られた教材であり、それをもって、そこでの教育がなされているという当たり前のことが確認されたのである。従って、電話やメールで英語を介して打ち合わせを行って、教材を相手のために準備してやること、あるいは、むこうに、こちらの思い通りの教材を準備してもらうことなどは、全く不可能に近いと思ったほうが良いということになる。やはりこのような異文化理解を含む授業交流の基本は自分のやりたいものに合致した教材を自らが持参するのが基本であり、しかもそのほうが目的を達することができるというのが授業交流のイロハのようだ。その結果、その授業を見て向こうの先生が、あるいはこちらの先生が子どもにとってより有効だと感ずる教材や授業スキルがあればそれを互いに取り入れることになるだろうし、そういった学びあいが続く限り、環日本海域の小学校授業交流は心を込めて続けられることになる。

 ともあれ、教室では時々、子ども達から「ダー」の声が発せられ、ある子はマリーナ先生やエレーナ校長先生から手を添えられて、「ロシアの冬」と題した絵をグワッシュを使って、ロシアの画用紙に向かって、一生懸命取り組んでいる。もはや通訳をするイローナの声は聞こえず、「ここはどうするがけ?」といった子どもの冨山弁による質問に対して、マリーナ先生があわててその子の傍にかけより、"ここはこうするのよ"と言った感じをロシア語で言いながら、絵筆を使ってその子の絵を直してやっている。その様子は9月の末、平井先生がロシアのネヴェルスキー海洋大学付属小学校へ行って実施した音楽の授業風景と全く同じ状態になり、互いに国籍を超えた小学校の先生と子どもの崇高な関わり合いで、その姿はまさに共生社会づくりの原点を垣間見させてくれる光景である。

 瞬く間に、与えられた45分間が過ぎてしまった。松井先生が時間の来たことをマリーナ先生に告げると、先生は近くで描いていた子ども達の絵を何枚か掲げてみんなに見せた。「ほー!!」周りで見学していた日本人の先生方から思わず、驚きのようなため息のような声がほとばしりでた。なんとその絵はどれもが、「ロシア風」の絵の感じになっているではないか。要するに、良く見る日本の子供の水彩絵の具を使ったものとは全く雰囲気が違うのである。私はあらためて、以前、ロシアの人からお土産に貰ったロシアの絵画である"白樺と雪に覆われた地面からなるロシアの冬景色"を思い出していた。人と材料が違うと作品も違ってくるんだなー、とつくづく思った次第である。

(3)余韻を残した感動

 やがて、子ども達が作った相撲のトントンゲームがプレゼントされ、マリーナ先生にゲームのやり方も説明された。さらに子ども達が丹精こめて作った向こうの子ども達へのお土産もエレーナ校長先生に渡され、お二人の先生はポロポロと涙を流しながら"スパシーバ・スパシーバ"を繰り返していた。

 授業を終えて校長室でくつろぐマリーナ先生が"ロシアの子どもに対して授業をしている感じになってしまい、ここが日本であるということを一瞬忘れてしまいました"とポツリとつぶやいたのが印象的であった。横で座っていたエレーナ校長先生もその興奮から覚めやらず、ダイエットを忘れてしまったのか、5~6本のステイックのシュガーをいっぺんにコーヒーの中に入れて、それをぐいと飲み干し"ニコッ"と笑った。

 数日後、玄関のところに、子ども達が、グワッシュを使って描いた「ロシアの冬」の絵を貼り出していた。同時に、同じタイトルでロシアの子ども達が描いたグワッシュの絵も貼ってあったが、どちらが日本の子どもの作品なのか見分けがつかないほど類似していたのには驚いてしまった。その横にはたどたどしい子どもの字で、マリーナ先生に指導を受けてこの絵が出来上がったことの報告文が記されてあり、2年生の子どもなりに感じた国際交流の印象が端的に述べられており大変感動するものであった。

4.ロシアの2人の先生からの感謝の手紙

 授業を行って帰国した二人の先生から次のような感謝の手紙が寄せられた。

①海洋大学付属小学校校長 ゴルディエンコ・エレーナ先生から

 「あけましておめでとうございます。昨年お世話になりました、今年もよろしくお願いします。今年は富山大学教育学部付属小学校の先生方のご健康や繁栄を祈っています。
 昨年、日本に招待していただいて、まことにありがとうございました。
 日本の子供と接することができてとてもよかったです。忘れられない思い出になりました。
 富山大学教育学部付属小学校で働いておられる先生方は本当に素晴らしいと思いました。ほかの学校の先生のためのモデルであるし、富山大学教育学部付属小学校で勉強している子供たちのためにもとても良い例であります。
 今回、富山大学付属小学校を訪問し、また研究会で参加して、いろいろと見習わなければならないなと思いました。これからも協力をさらに深めたいと思います。」

②授業者のマリーナ先生から

 「2005年12月に、富山大学付属小学校で授業をさせていただいて、本当にありがとうございました。雨宮先生をはじめ、小学校の先生方および、生徒たちのご両親、生徒たちは暖かいおもてなしを受けまして心から感謝しています。
 富山大学付属小学校の訪問、また日本の子供との交流は貴重な経験になりました。私たちが交流できた日本の子供たちはとても素直で、接しやすかったです。子供たちは授業のとき一生懸命協力してくれて、授業をしやすかったです。授業で絵をかき終わらなかったのですが、松井先生からいただいた写真によると、後は子供たちがとてもいい絵をかけたようでホットしています。 
 私たちは日本にいた写真、また帰ってからいただいた写真のパネルを作って、海洋大学付属小学校で勉強している子供たちや子供たちのご両親に見せました。
 日本の子供とロシアの子供が非常に似ていると思います。どれでも新しいことを知りたいという気持ち、また自分ができたものはほかの人に見せたいという気持ちが強いです。子供というのはどこでも変わらないなと思いました。私たち、大人の目的は子供を支え、発展させることであります。今後ともよろしくお願いいたします。」

Ⅲ. ロシアにおける学校教育の情況
   ~その政治行政的背景とウラジオストクの学校事例~

1.1990年代央のロシアの学校教育観

 所伸一「ロシアの学校制度と教育観は変ったか」北海道大学スラブ研究センター、1996年の所論から見ると新ロシアにおける1990年代前半における学校教育観変化の特徴は次のように指摘できる。

・リセーに代表される私学エリート校の設立はそこへ通わせる階層の未成熟から頭打ちの感がある。それよりもむしろ次のような他の問題が浮上している。

・教師の新しい仕事になるはずの養育・訓育機能は現在の教師の意識にしっかりと受け入れられていない。かって、ソヴィエト時代に果たしていたこれらの機能分担者であった学校内の「ピオネール(少年少女共産団)」や「コムソモール(共産主義青年同盟)」(すでに廃止された)にとって代わる主体が育っていない(教師がそれを行うべきだ、という意見もあるが意見の集約がなされていない)。

・同時に、経済の市場化に対応した各家庭状況の変化は夫婦の労働時間増大を惹起して、家庭での養育機能を弱体化させた。代わりに学校への期待が高まっているところであるが、学校はその期待にこたえているとは言えない。

・学校教員の待遇の悪化は依然として深刻であり、中央は統制と規制を放棄しないで貧弱な学校財政基盤のもとでソフト面の地方分権化を進めたが、現場の学校はそれを全面的に抱えきれなくなっている。そういった中での多様化政策のなかで、よりよい学校間競争が激化して、社会システム全体の弱体化を惹起して混迷を続けている。

2.新生ロシアの教育行政~2000年頃迄の変化~

 「ロシア連邦における教育行政制度に関する一考察」藤女子大学人間生活学研究 第9号、2002年3月に所収の高瀬 淳氏の所論から見ると、ソ連崩壊後の学校教育を取り巻く政治行政的変動の背景は次のようになる。

 ソ連崩壊後の学校教育政策の大改革は連邦による教育問題への干渉を可能な限り排除し、地域の実情に応じた特色ある教育の実現に置かれた。そのために、ロシア連邦教育法に基づき、新たに一本化されたロシア連邦教育省自身が行う業務は、連邦直轄の教育機関の管理運営、教育関係法規の制定、教育課程の基準作成等に限定されることになった。連邦を構成する89の主体(ウラジオストクが所属する沿海地方もその一つ)に設けられている教育委員会(または教育部)は連邦の教育省と原則として対等であり、その主体が設立する教育機関は国立と同様に位置付けられている。

 沿海地方の場合、初等中等教育の所管は国民教育局であり、地方自治体であるウラジオストク市には普通・職業教育委員会が設けられ、就学前教育機関、初等中等教育学校、校外教育機関を設置し管理している。そして、各学校に対してペレストロイカ以後、教育課程の編成、教職員の任用、学校予算の運用などの権限をそこに分権化した。その結果、各学校は①特色あるカリキュラムの編成が可能になり、②学校の財務状態により、個々の教員との契約(給与等の労働条件も含めて)はロシア連邦や沿海州が定める基準をオーバーして学校独自に定めることが理論上出来るようになり、③連邦及び連邦主体から配分された予算に加えて学校の力量で自主財源の調達と使途の自由化が達成されることになった。

 各学校には保護者や生徒の管理運営への関わりも保証されたが、その後の実態は校長を中心とした執行部(校長、副校長、ソーシャルワーカー、学校心理士から構成)への権限集中が進み、他の機関は諮問機関になっている。従って各学校長は単独責任の原則に基づいて、特色ある効率的学校作りの責任が重くのしかかってきているといえる。

 ただし、1996年以降、連邦主体(沿海地方など)が中央寄りになる動きの中で、現場の学校に任された教育の分権化は財政問題やナショナリズムの動きとも絡んで、連邦としての統一性のほうが加速される傾向が強くなっている。それはソヴィエト崩壊後の脱国家化、脱イデオロギー化への反動という政治的動きを背景にして進んでいるとも考えられる。

 以上、学校教育を取り巻くロシアの現状は、要するに90年代以降の急激な新自由主義政策の展開に伴って、社会的共通基盤である教育分野の新システムへの移行がなかなか進まず、一部の勝ち組み対応の教育システムが出来たとは言え、全体的にはむしろ弱体化が進行中で、反動的な動きも勃興し、学校教育の理想と現実の交錯が激しい状態になってきているといえる。

3.今日のロシアにおける学校教育と課題~現場校長の視点で~

 平成17年12月2日、富山大学附属小学校で行われた日露小学校教育問題ワークショップにおいて、ネヴェルスキー海洋大学附属の小学校校長ゴルデイエンコ・エレーナ氏が、現在のロシアにおける学校教育制度といくつかの課題について、つぎのような基調報告を行った。それは最近のロシア学校教育の現状に関する情報として大変有意義なものと思われるので、次に、その発言内容を出来るだけ詳細にまとめておきたい。

(1)教育の意義について

① いかなる国においても教育制度は非常に重要である。なぜなら教育の目的というのは様々な分野で活動できる人間を育成することであり、ひいては文化的、または経済的に社会を進展させることに繋がるからである。特に、教育制度の中における学校の役割は重要であり、学校は従来の教育制度の良い点を残しつつ、早いスピードで変化している現実にも応えていかなければならない。

② 現在、教育制度の改革は世界共通の関心事である。フィリップ氏というアメリカの教育者の「21世紀のための学校。教育改革の優先」という書籍の中で、ビジネスマンや教育者を対象にした調査の結果が述べられている。「学校での勉強の目的は何だと思いますか」という質問に対して、数多くの人は「自分で勉強ができる人間を育てることだ」と返答していた。フィリップ氏もこの意見に賛成で、自分で必要な情報を探すことができる人は様々な問題を解決することができるし、それは人生において最も大切なことであると述べている。すなわち、"書くこと、読むこと、数えることを教えるより、問題解決能力を育成することのほうが極めて困難だ"ということである。

③ 社会と教育を切り離して考えることができないことは歴史が証明している。経済、社会、政治、環境などのグローバルな問題が教育に影響を与えることはいうまでもない。たとえば、不景気のとき、教育に与える財源が減少し、学校の教材や教具が不足し、それが学力レベルの低下の原因になるということがある。また、環境の汚染によって人の健康や能力が悪化し、特別な医療施設や学校等を建設する必要が生まれるということもある。

④ 一方、教育は社会の「顔」である。教育の目的は人を人間として育成すること、また個人の文化的レベルを向上させ、職業の機会をあたえることでもある。教育の役割は社会全体のレベルの向上であり、グローバル、またはローカルな問題を解決できる人間を育てることである。

⑤ ロシアの教育についていうと、自然科学分野での教育レベルは世界でも高いといわれている。ロシアの学生の学力が高いことは国際大会でも証明済みである。また、外国で働いているロシア人の学力レベルも高いと思われる。もちろん都市部に比べて山村部の学力レベルが低いということについては言われているが、各国の教育レベルを比較するときは、正確に教育を受けた人同士を比べなければならない、というのが私の考えである。

⑥ 現段階の世界の変化に応えるためには、ロシアの教育も改革する必要がある。具体的にいえば、それは教育制度や教授法の改革であり、また教師を育成するシステムの改革でもある。ロシアの憲法に「教育について」という条項がある。そこには、「教育は個人、社会、国家のために行わなければならない」と述べられている。また教育法規の中で、「ロシアの教育は人道的であること、人の健康や人生、文化や伝統を重視しなければならないこと」がうたわれている。教育制度改革の中では生徒(学生)と先生(教師)の関係の改革が最も重要である。

(2)ロシアの教育制度といくつかの課題

① 現在、ロシアでは国公私立の学校が存在する。教育制度は学齢前教育、小中高等教育、大学教育である。また、仕事をしながら教育を受けることができるというシステムもある。ロシアには有料の教育と無料の教育が存在する。

② 全国の学校はロシアの法律の枠内で自らその学校の規則を作ることができる。

③ 小中等教育はロシアの教育の中で一番重要な役割を果たしている。普通の小、中学校以外にも外国語や特定の科目が重視される特別な学校がある。養護学校、ダンスの学校や音楽学校のような特殊学校もある。

④ 学校の目的は子供の体、頭、心を育てること、個人を育成する(自分の意見を言える人を育てる)ことである。それに向けた教育改革の必要性がある。ロシアの学校では、数学や物理学のような科目のカリキュラムが数十年にわたって、変更が加えられておらず、伝統的な形を保っているという現実が存在する。このような伝統的な教育には多くのプラス面がある。たとえば、マスメディアにとっては、一般のロシア人の教育レベルを把握していれば、発信する情報の選択がしやすく非常に便利である。しかし、数十年にわたって変更が加えられていないカリキュラムであればレベルの低い先生、あるいは親でも教えることができるという教育への安易性が生じる。

⑤ ロシアの教授法の改革についていうと、先生の一方的な話よりは先生と生徒の会話が重視されるようになりつつある。一人一人の生徒が自分なりの考え方をもつこと、個人の意見を発言できるようになる人を育成することがその教授法改革の目的でなければならない。しかしながら、現在のところ、高等学校、また高等専門学校では先生と生徒の会話よりは一方的な講義方法のほうがよく行われている。また、高等専門学校の場合には学生が卒業論文を書かなければならないという傾向がある。これらは、大学教育に備えるためであるといわれている。

⑥ 学齢前教育と小学校教育について具体的に話しておこう。ロシアの学齢前の教育システムは世界でもユニークだと考えられている。なぜなら、ロシアの幼稚園では子供の世話や教育以外にも食事や医療などのサービスが充実しているからだ。だが、このような教育には多額の資金を必要とする。これが、現在、ロシアで幼稚園の数が減少しつつある原因のひとつになっている。旧ソ連崩壊の前には学齢前の教育を受ける子供は72%だったが、現在はそういう子供は50%程度しかいない。

⑦ 従って、現在、幼稚園の数の減少が問題となっており、幼稚園の数の減少をくいとめるために、ロシア連邦レベルで適応される法律ができ、また各地方においてもそれに関するローカルな法律ができている。

⑧ 最近、ロシアで「発達教育グループ」「入学前、準備グループ」といったような名前の学齢前教育プログラムが現れた。また、「健康」「チェルノブイリの子供」という名の新たなプログラムをもとにして学齢前の教育を行っているところもある。このような学齢前教育の変化は地方で顕著に見られる。つまり地方からの学齢前教育改革である。

⑨ また、独自の特徴を打ち出した学校が増えている。たとえば、「幼稚園-小学校」「幼稚園-健康センター」など複数の機関を併設している学校や、独自の教育目標を掲げた学校などがある。たとえば、トゥラという町では「子どものなかに『愛する気持ち』を育てましょう」というスローガンで幼稚園の教育が行われている。このような学校は、特に、私立学校の中に多く存在する。

⑩ 教育の問題についていえば、教育の各段階(たとえば、小、中、高等教育)の繋がりが希薄であること、つまり、教育のプロセスが中断されていることが挙げられる。たとえば、幼稚園、小学校での教育は最も大事であるが、学齢前の教育と初等教育とが中断されているのである。

⑪ 私の考えでは、その中断の原因は教育制度の中において、幼稚園と小学校が別々の段階にあるということにある。幼稚園と小学校での教育は異なった教育学や心理学などをもとにして行われている。それゆえ、幼稚園と小学校での教授法や教育プログラムが異なっているのである。

⑫ 幼稚園と小学校という教育段階は連続性のあるものにすべきだと思う。このことは多くの教育問題の解決に繋がると考えている。なぜなら、教育プロセスを途絶えさせることなく実践することができるからである。こうした教育を受けた子供は健康で、積極的で、かつ聡明な素晴らしい人間になることができよう。

⑬ ウラジオストクでも最近、「幼稚園-小学校」という学校が増加しつつあり、そのような学校で子供たちが10-11歳まで勉強している。

⑭ 現在、子供の健康は一番重視すべき時であると考えられており、この理由から「健康センター」という名の特別な学校が現れた。また普通の学校でも「よく聞こえない」「よく見えない」「よく話せない」「よく動けない」子ども達のための特別なクラスができつつある。

⑮ 最近、孤児の数が増加していることはロシアの厳しい現実である。そのため、寄宿学校も増えている。1997年にロシアには80万校の寄宿学校があった。現在、寄宿学校の数は200万校である。親が生きていても自分の子供の教育を行うことができない場合がある。そのような子ども達は、寄宿学校が不足しているため、里親と住んでいる例が多い。

(3)私立学校と代替学校(Private School and Alternative School)について

① 1991年からロシアでは法律上、私立学校が設立できるようになった。私立学校を設置する許可をもらうためには教育展開の論理、カリキュラム内容、教師に関する情報や資産についての申告が必要である。ロシアでの私立学校は、天才を見出しその才能を磨くための学校、一般的にレベルの高い色々な優先権を持った学校、そして集団では勉強ができない子供のための学校、の三種類に分類される。

② 現在、「伝統的ではない」学校の増加が教育の発展の中で1つの傾向になっている。それらの学校の特徴は、各学校で独自のカリキュラムを持っているということであり、子供たちは自分が入りたい学校を選んで入学することができる。

③ また、「Alternative School」といった学校も現れた。それは特別なカリキュラムをもっている高等専門学校である。たとえば、英語学校、または医薬学校などである。

④ 「Alternative School」の中にShtainerの幼稚園と小学校がある。この学校は1920年代に現れており、哲学者Shtainer(1861-1925)の理論をもとにして、現在、25カ国で教育が行われている。この学校は子供の精神的な発達を重視しており、教科書や成績表がない。

⑤ もう1つの「Aalternative School」の例を挙げると、Marry Montessoryの学校がある。その学校の目的は人間としての子供の育成すなわち"自分で考え、自分で行動できるような人間の育成"を強く打ち出している。

⑥ 上述したような学校は今後も発展していくものと思う。なぜかというと、これらの学校の根本にある考えは「人はそれぞれ皆同じだけの価値を持っている。人は一人一人ユニークである。個人差は社会を多様かつ豊かにする」というところにあるからである。

⑦ 「Alternative School」はロシアの教育を豊かにする。様々な勉強の手段を選ぶことができるからである。しかし、このような私立学校の増加が階層の格差を生む原因になる恐れもあるのではないかと言われている。

⑧ 「伝統的ではない学校」の中に少数民族が勉強している学校もあり、またキリスト教を勉強しているような学校もあることを付け加えておこう。

 以上の中で、この学校長が述べていることを要約すると次のようになる。

 "教育の意義については、かっての国家のためのイデオロギー教育には一切触れることはせず、代わりに個性を重視して、その自立性を育てることに教育の主眼がある点を強調している。そして、そのような教育展開のために、学校の多様化路線が採択され、様々な種類の学校が次々と誕生している点も付け加えている。いわば学校間競争のなかにどっぷり浸かっている現状を浮き彫りにしている。しかし、教育予算の不足はソ連時代に充実していた学齢前教育の幼稚園などの減少となり、増加する孤児数やネグレクト家庭の子女増大に対応できる状態になっていない点を明らかにし、新時代の欠点を暗に指摘している"

 これらは今日、我が国ですすめられている新自由主義路線に基づく学校教育の改革方向に類似していると言えないだろうか。すなわち"21世紀の経済社会を支えるのに必要な創造性ある、たくましい人を育ててるための基礎的基本的な学力の涵養、そのために、個性ある学校づくりをして、学校間競争を展開するなかで、そのようなよりよい教育を模索する"ということである。その意味ではロシアの学校教育が当面している今日的課題を私達は他山の石としなければならないであろう。

4.ウラジオストク在住のあるジャーナリストの述懐

 ソ連邦崩壊後の社会体制激変のなかで到達した今日におけるロシアの社会状況についてソ連時代と比較しながら、報道写真家のアナトリー・アンドレヴィッチ・エシトキン氏*が、2006年2月第6号の「ウラジオストク・タイムズ」で述べた以下のようなインタビュー記事がある。その要点は、筆者がウラジオストクの大学や小学校を訪問して、学校教育の情況についてインタビューをした時、各先生方の発言に垣間見られたロシアについての政治、社会、経済的背景に関する現状認識に近いものがあると感じられるので、ここにその全文を紹介しておこう。

 (*元共産党員、1964年報道写真家としてスタート。沿海地域主要紙"Military Watch""Red Banner"紙を経てモスクワ中央ニュース社所属。1974年にウラジオストクで行われたブレジネフ・フォード露米戦略的首脳会談の報道に参加し、写真報道に対してソヴィエト政府から功労賞を受けた。ペレストロイカ以後はウラヂオストクの民間出版社"Vladizdat"に勤務し、1993年には"The Best Photo Reporter of the Year"に輝き、ウラジオストクはもちろん、海外(日本も含む)でも個展を開くなど積極的な活動続けている沿海州におけるジャーナリストの一人である)

① ソヴィエト時代の人々は共産主義というひとつのイデオロギーのもとに置かれただけではなく、人々は互いに優しさ、同感そして同情の点においても結ばれていた。ソヴィエトのシステムはその国の危機を導いたように多くの欠陥があったことは確かである。しかし、その社会が1991年の大変革を何の準備もなく迎えることになったのである。資本主義体制への移行は必要であったとはいえ、それほど急ぐべきではなかったといえる。私達は少しずつ新しいシステムに慣れるプロセスを踏むべきであったのに、いくつかの自然的流れの局面をバイパスしてしまった。その結果、急激で破壊的な苦痛を味わうことになってしまったのである。

② 苦痛を伴った体制の変換が進み、イデオロギー抜きに、強い価値観や将来展望を持たないままペレストロイカの成果のみが喧伝されている。今日における人々が精出す行為のほとんどは徳を高めるものではなく、金儲けそのものである。この国で行われているビジネスそして企業活動の実態をみると一目瞭然である。ただし、かろうじて文化に関わる面ではそうではないものがあるが・・・・。そこには理想に向けた創造はなく、金儲けそのものが人生になっている。ソヴィエト時代に掲げられた理想と情熱という言葉は一体どこへいってしまったのか。それを端的に示しているものの例として、生活を映し出している歌がある。ソヴィエト時代はそれなりに輝き、理想に満ちた多くの歌があったが、今日、それに類するモノはどれだけあるだろうか?

③ 現状のロシア社会に目を転じてみると、富裕層、中間層、貧困層といった社会階層の分裂と固定化が進んだうえ、さらに困ったことに、その階層間における会話も成立しなくなってきていることである。かっては、ひとつの家族のようであった社会が今日では分断された社会になり、楽天的な予想を描くことは困難である。時々想いだすのであるが、以前のソヴィエト社会では助けを必要としていた(例えばアルコール中毒に冒された)人々に対して社会的共助の実践もなされていたことは確かである。今日では人々の心が金儲けと個人主義に支配されてしまって、互いに助け合うというゆとりはなくなってしまった。その結果、人間関係が破壊され、"自分だけ良くなる"といった資本主義システムの最も悪い側面が顕在化してしまった。

④ 今日、起業家になる夢を持っている多くの人々がいるが、行政や官僚が設定する高い壁そして賄賂の横行などで、なかなか思うようにはいかないのが現実である。しかし、いくつかのビジネスは繁栄し、少数の人々はクリエイテイブな仕事に没頭している。ソヴェト時代にはそういった個人企業や個々のクリエイテイブな仕事は不可能であったのである。その理由は仕事の基本が協同体にあったからで、収穫作業の共同化、金鉱堀の協同作業等はその代表的な例になる。良く知られた裁縫工場協同組合もあったが、それらの形体はソヴィエト市民に心から受け入れられない状態であった。その理由は、共通のひとつのバラ色の夢の達成のために、策定された個々に示されたノルマの達成に追いまくられたからである。しかしながら、今考えてみると、"協同"という仕事の概念が存在していたことは重要であり、政治指導者達はそれをより効率的に運営できるような資本主義との混合モデルを模索すべきであったのではないだろうか。

⑤ ソヴィエト時代のノスタルジアに浸ってばかり入られない。筆者(アナトリー)自身が時代の大転換の中で翻弄されてきたのだから・・・。その辺りのことを述べてみよう。筆者は未だ、新しい時代の中で、自分の居場所が見つかっていない1人である。現代社会経済の中に作られた新しい競争ルールの存在に戸惑っているのである。かってのソヴィエト時代の共産党のリーダー達も産業界に身を置いているとは言え、自らが新生ロシアにおけるビジネス・エリートになっているとは思っていないだろう。筆者自身が民間のジャーナリストになって一番戸惑ったのは、仕事相手との関係で、その都度、自らのサービス(労働の成果)をすべて金銭的価値に還元して考えることを必要としたことである。例えば、私の仕事の価値は10ルーブルしかないと判断する人(客)に対して、私自身はこの自分の仕事は1千ルーブルの価値があるということを主張し、どこかで折り合いをつけなければならない話し合いをするのは大変なことである。また、競争の中で、かっての友人が成功して金持ちになり、自分に挨拶もしなくなってしまった現実の悔しさも味わった。

⑥ 周りの多くの人々は、この新生ロシアのなかに、なかなか居場所を見つけられない状態にあるといえる。かって、ステイタスの高かった様々な職業はもはや無用のものになったのである。例えば、筆者の妻は大きな作業所における地図作製の専門家であったが、ペレストロイカ後、その作業所は閉鎖され、誇りにしていたその職業から離れることを余儀なくされた。彼女は止む終えず、新生ロシアの経済活動のために必要な会計士の勉強に励んで転職をしたが、仕事の違いが大きすぎて、満たされない状態にある。ソヴィエト時代のジャーナリストはステイタスの高い尊敬される職業であったが、今日においてはもはやそうではない。もちろん医者や先生と言った分野は以前と同様、尊敬されている少数の職業であると思うが・・・。

⑦ ウラジオストクそして極東地区の将来を考えたとき、この地方を真剣に愛し、確固とした展望を持つことが出来る賢明なリーダーこそが、いま求められている。そのリーダーは自己の利益や自己PRとは無縁でなければならない。さもないと、この地域は中国の影響下に完全に置かれてしまうことになりかねない。

 以上のような主張の中に、極東ロシアの今日の現状をジャーナリストのアナトリーの目を通して次のように見てとることが出来そうである。 第一に、金儲けあるいは金銭での価値評価一本やりの今日のロシア社会経済の姿に対しソヴィエト時代のノスタルジアも相まって、"人々の輪と仕事の協同"の考え方による社会の有り様に対して再評価を与えていること。 第二に、旧時代に活躍したこのようなジャーナリストの新時代における転身と活躍の例に見られるように、かっての共産党エリート層の新体制の中での転身の速さを垣間見ることが出来ること。 第三に、このまま新生ロシアのエゴイステイックな経済社会の進展は、ロシア極東地区への中国の脅威を現実的なものにしてしまう恐れがあることを考えている節があること。

 このような状況を反映する形で、ウラジオストクの初等学校が今日抱えている子供の教育問題が種々露呈していることをわれわれは考えておく必要がある。新生ロシアにふさわしい欧米諸国に対応できる教育システムへの改革・導入がすすめられてきているが、同時に、競争至上主義を煽る新自由主義経済社会の進展に伴う諸問題が子供の教育現場に発生しているために、旧ソ連時代の社会の安定下のシステムとその時代の理念を回顧する主張が見られるようになっている。しかし、学校教育の現場はすでに走り出した学校教育の多様化とその国際化そして校長を中心とした学校独自の路線作りへの動きは、連邦の教育予算の貧しさとあいまって、後戻りは出来ずに、新構想の学校作りに向けて加速されているようにさえ見えるのである。 以上のことを踏まえて、ウラジオストクの教育現場のいくつかを次に紹介してみよう。

5.ウラジストクにおける学校教育の現場
   (2005年10月、2006年3月調査)

(1)ウラジオストク市立第76番学校

 この第76番学校はロシアにおける一般的な学校(シュコーラ)で、小学校課程5年、中学校課程4年、高校課程2年の計11年制学校である。2006年3月3日にこの学校を訪問して、その小学校課程に焦点を当てて学校長にヒヤリングを行った。

1)1クラス人数の減、各上級課程への進学チェックの導入

 この学校は創立後70年経過している。当初は女子のみを受け入れる4年制の小学校であったが、その後、男女共学、5年制となった。現在の小学校課程には180人、中学校に200人、高校に100人で、計480人が在籍している。卒業生のほとんどは国立極東大学及び国立ウラジオストク工業大学へ進学しているが、中にはカナダ、ニュージーランドへ留学する者もいる。入学年齢は6歳半ぐらいで、1クラスは25名を標準にしており、ソ連時代は1クラスが40人~50人であったので、現在はかなりきめ細かい指導が出来るようになった。小学課程から中学課程への進学は一定のテスト成績で行うことを原則としているが、実際は繰り返しの指導で成績を向上させて、進学させることに努力している。最近の新しい動きとしては、高校段階で心理学専門家の授業を入れたり、ロシアの新法による大学進学基準への対応(高校の成績を基にした大学入学の選定方式)も行う準備などがある。

2)子供の教育問題の増加と学校の対応の困難さ、時間講師的な教員の動きの限界、教員魅力の低下と教員の質確保の課題

 基本的に授業料は取らないが、中学・高校でのアーテイストを呼んでの授業をするときなどは一部有料となる。ただし、小学校課程の場合は給食代及び午後の延長保育(17時まで)の時間帯は有料としている。中学及び高校の場合はカフェの利用は有料である。主要教科の授業以外には小学生のための正月イベント、全校あげての創立記念祭等がある。教科書は教育省選定のものを使うがそれは貸与であって、毎年、それを下の学年に引継いで使っている。

 学校は朝8時に始まり、小学校課程は12時に終わり、給食そして散歩をし、希望児童の預かり保育を17時まで行う。中学課程は二部制で午前(8時~13時)と午後(13時~18時)の部に分けて行っている。今日、当面している子供の問題は母子家庭の増加、子供をネグレクトする家庭の増加、家庭内暴力等からの子供保護問題等々で、それらが増加する傾向のなで大変頭を痛めている。ただし、日本や韓国のように、担任の先生が担当のクラスに四六時中、張り付いて、子育ての分野にまで責任をもって担当するという仕組みにはなっていない。一般教員は主としてその時間だけ授業を教えるという責任制度に近いといえよう。

 教員は全部で50人で、小学校は10人(男女半々で40代が7人、30代が3人、長い人は30年勤め、短い人は2~3年)である。教員の給与は最近、担任手当がついたので多少上がった。教諭は小中高で差はない。教員採用は校長が探してくることが基本で、この学校の場合は校長の出身校から推薦してもらって採用している。教員のなり手はソ連崩壊後、ビジネス志向が強く少なくなっている。従って教員の社会的評価も低く、たとえ教員になっても半年ぐらいでやめてしまう人が多い。小学校教員になってからすぐは、特別の資格は要らないので、この学校の高校を出てすぐに先生になる場合もある。そして5年間ぐらい継続して働いてから、1ヶ月間くらいの再教育が行われ、継続して先生になっていく。ただし、教員養成学部を出たときは教員資格が与えられるので、そういったことは必要がない。

3)北東アジアへの強い視線

 2000年からは学校の特色作りのために、日本語、韓国語、中国語の授業を取り入れるようになった。見学した時、4年生のあるクラスでは4人の子どもが前に出て、日本の昔話を代わる代わる語るという日本語の勉強の成果を見せてくれた。また、10人ぐらいの生徒が入れる小教室では中学課程の生徒が日本語の授業を受けていたが、必ずしも系統的な勉強をしているのではなく、会話と遊びを中心にしながら日本の文化に触れるという"日本語活動"のような展開であった。 

 極東ロシアの教育機関が、外国語を取り入れるときは英語と並んで必ず日本語、中国語、韓国語といったアジア地域の言語を取り入れるという考えが当地にはあり、視線が北東アジアに向いていることが強く印象付けられる。これら語学関係の先生は当初、大学の先生に担当してもらっていたが、今ではこの小学校の先生が大学での専攻分野を生かして担当するようになっている。基本的に大学での外国語は英語であるので、アジアの言葉を教えることが出来る先生を採用するのは大変なことである。

(注)この学校は特定の教科に力を入れた特色あるシュコーラを目指していることから、分類としてはギムナジヤやリセーそして私立学校に対抗した新構想学校を狙っている可能性がある。

(2) 国立ウラジオストク工業大学附属教員養成専門学校訪問

 専門学校の責任者であるセルゲイ学部長に面接して得られた情報をまとめると次のようになる。

1)大変動下の小学校教員養成システム(教員職業の魅力喪失の影響)

 この専門学校は、2004年に、国立のウラジオストク第一番教員養成カレッジから国立ウラジオストク工業大学の附属施設に変更して存続のための再出発を図ったものである。2005年5月で創立70周年を迎えた伝統ある学校であり、初等・中等学校の先生を養成するのが目的になっている。修業年限は2年10ヶ月で、最初の1年間は教職専門の先生が教え、残りは大学の先生が教えている。実習が重視されており、在学中は次のようなステップを踏んで卒業することになる。

 第一段階  座学をしながら、日曜学校の面倒、附属学校(ギムナジヤ)または他の学校で2週間の観察実習や担任の先生のお手伝い(花壇作りや養護教諭)実習
 第二段階  附属学校での入学式や各種のイベントの手伝いの実習、キャンプの手伝い、短期間の教育(授業)実習
 第三段階  1ヶ月の教育(授業)実習、卒論の仕上げ(必修)

 このように、実践的教育に力が入っているようで、訪問したとき、学生2人が子供たちに教えるロシアの伝統的コサック調の踊りと歌を披露してくれた。座学は初等・中等学校の教員になるための勉強だけではなく、心理や社会関係の科目もあり、それを履修して、学校の先生以外の分野へも進出が可能になっている。

 この専門学校を卒業し、学校に就職して、そこで働きながら次のステップへの勉強をすることも多い。あるものは連邦が設立する沿海州唯一のウスリースク教育大学の3年編入をして高校の先生になる場合もある。ただし、現在、工業大学の附属になったために、このコースはなくなる恐れがあるので、独自に2年6ヶ月の専攻科を設けて、ここで大学卒の資格が得られるように整えた。

 2004年からの所属母体の大変動以後、卒業後の進路が自由となって、卒業生30%が教員として就職するに過ぎなくなってしまった。現在の学生数は全部で205人(1年55人、2年60人、3年90人)で、ほとんどが女子で漸減傾向にある。いままで外国との交流はないが今後自由に活発にやりたいということで、新しい試みへの意気込みを強く表している。また、専門学校幹部が5人ほど勢ぞろいして、交代で説明を行って、ロシアにおける教員養成機関に伴う課題を説明する様はまさに、小学校教員養成に関わっている関係者の雰囲気がにじみ出ていた。いずれにしても、このところのロシアにおける学校教育への財政支出の厳しさに伴う大変動が教員養成の仕組みとともに、入学してくる学生の素質の変化にも押され揺れ動いている、ということが理解できる。

2)附属ギムナジヤについて

 教育実習と新教科の実験的試行を行うための位置付けにあるこの学校は1990年にギムナジヤ(より良い生徒育成カリキュラムを持つ新構想学校)として設立された。小学校課程から高校課程までの11年制で307人が学んでいる。近くの学校に比べてエリートが入学して来ており、それがこの附属学校の目的にもなっている。日曜学校などでこの学校に志望するものを選抜して入学させている。この附属ギムナジアのすぐ隣が前述の第76番学校であり、さらにその真向かいにもほぼ同規模の学校(私立?)が建っていたことから、この地区は学園地区であり、かなり特色を打ち出しての競争を演じている場所の感じがする。ただし、附属ギムナジヤのほうは国立の流れのそれであり、他は公立であって特色作りに当該校長は追われ、競争の激しさが垣間見えた。運動場だけはこれら3つの学校が共同で使用していたことから奇妙な協力関係もあることが分かる。

 (注)「沿海地方が設置する教員養成・研修機関は沿海教員資質向上大学、ウラジオストク第一番カレッジ、ウラジオストク第二番カレッジ、スパスク第三番教育カレッジがある。これ以外に沿海州には連邦が設置するウスリースク教育大学が存在する。(高瀬淳「前掲」注(12))」と述べていることから、2006年3月に、筆者が訪問した工業大学附属教員専門学校は、それ以前の名称はウラジオストク第一番教育カレッジであったと思われる。

(3)ネヴェルスキー海洋大学付属小学校について

 2005年10月及び12月に、富山大学附属小学校との間で授業交流を行ったウラジオストク附属小学校の概要についても触れておこう。

 1992年に、ロシアのL.I.Zankov博士の理念を実現するためにはじめて新設された新構想学校である。これは二段階のプログラムからなっている。第一段階は学齢前の2年間のプログラムであり、第二段階は4年間の初等教育プログラムである。ここでの教育の特徴は強制せずに教育を行うこと、初等学校では英語学習を重視し、外国人との交流にも力を入れていること。子供一人一人の能力を伸ばせるように、一クラス6~8人の子どもが勉強する形をとっている。一般に初等学校は12時で終わるが、ここでは基本的に9時から18時まで子供を預かり、3回の給食、小児科医の随時検診を受けて健康管理に気を使い、遠足、博物館見学、海岸や森散策などの野外授業にも力を入れている。また、情操教育としては折り紙、絵画、音楽、ダンス、花植えなども取り入れて、少人数ならではの教育を実施している。ここでは大規模校では不可能な一人一人への愛情を注ぐというロシアの家族形成にふさわしい新しい教育を展開するために、ここの先生自身がモデルとなって日々その見本を示すことを心がけている。

 このような理念でスタートしたが、その後の経過には大変厳しいものがある。国立であるが、財政逼迫のため、教室の整備は先生や保護者の手弁当でなんとか成し遂げたが、授業料が高いことから、なかなか一定の人数を確保することが難しく、現在は12人が在籍しているのみで4年生は1人もいない(退学してしまった)。入学しても授業料が続かずにやめていく場合が多い。教員は常勤が3人、非常勤が3人であり、何とかそれでやりくりをしている。

 この附属小学校の全施設は算数や国語の授業を行う小教室がひとつ、音楽室兼遊戯室兼体育室の広い教室がひとつ、折り紙やお絵かきそして談話室を兼ねたソファーが置いてあるやや広い部屋がひとつ、台所と食堂をつなげた部屋がひとつ、衛生状態が確保された子供用のトイレと手ぬぐい下げの通路、廊下の壁には所狭しと絵画や工作が飾られており、出入り口にはコート掛け、その前にはガードマンが見守っているといった状態である。この小学校は大学の建物の1階を使っているために、それ以外の建物は海洋大学の国際部や東 洋学部が教室や研究室そして事務室として使用している。

 ロシアにおける初等教育の理想と現実の厳しさの狭間の中で、呻吟しながら日本の富山大学附属小学校との授業交流に取り組むことが出来たことを大変誇りに思っているようであった。

 (注)この新構想の学校は大学付属学校として中等教育も充実した特色あるエリート校の「リセー」を目指しているのではないかと思われる。

Ⅳ. 若干のまとめ

 ロシアの小学校との授業交流実践の記録とその背景であるロシアにおける学校教育政策そして、現在のロシア社会についての学校関係者等の認識について、得られたありのままの資料に基づいてここに解説してきた。3年前から始められた「環日本海域小学校授業研究交流」である本事業は今年度をもって終了となる。当初、一番のネックになっていた相手国小学校の先生を招待するための旅費・宿泊費の工面が、富山県の日本海学研究グループ支援事業に採択されたことから、他のさまざまな経費も総動員しながら、ソウル、大連、ウラジオストクの各小学校と順次(その後は同時並行の形で)、授業交流とワークショップをすすめていくことができた。主として附属小学校を舞台にしてすすめてきたが、その実践活動は県内小学校の教員にも。すべて公開し、その普及にも努めてきた。

 途中からこの交流を自前でも続けていこうという授業交流継続の原動力になったのは、なんといっても、双方の小学校の教師自身がこの授業交流の実践活動に多くの利点を見出しているからにほかならない。

 それらの利点のいくつかは次のようにまとめることが出来る。

 まず第一に、互いの伝統と文化を背負って他国の教壇に立つと、子供達自身が異文化そのものを漂わせている先生に興味を示し、即席の国を超えた師弟関係(信頼関係)の形成という教師業の心地よさが体感できること。

 第二に、互いの小学校教育の中で築き上げられ洗練されてきた授業スキル(授業そのものの展開方法や一人の教師による多人数の子供への指導法など)を双方の教師が、短い時間で学び合えるというメリットがあること。

 第三に、授業実践の後、それぞれの教室がメールやインターネットで結ばれて、子供同士の和が担任の先生を通して発展していくこと。それは子供にとって未知の世界への旅立ちという要素をもっていること。つまり、双方とも広がりをもったクラス運営に効果的であること。

 第四に、各国の小学校とも、グローバリゼーション下の競争至上主義という経済から来る負の影響(モラル破壊、金儲け主義、共同体の破壊、家族の崩壊など)の現実が子供に影響を及ぼしていることが分かり、その再構築を小学校教育段階でどのようにしていこうかという教師の国を超えた共通課題(徳を育てる教育、協調性を育てる教育、家族を大切にする教育など)に、互いの国の小学校教師が知恵を出し合っていく必要があることを感じとったこと。

 第五に、環日本海諸国の関係、特に、日本との関係が現状のままで良いとは考えておらず、なかでも子供に未来を託す小学校教育を展開するときはそれが強い意思となって現れてくるので、小学校教員間のワークショップにおける議論は大変有意義なかたちで展開するのである。つまり、ナショナリズム問題や領土問題が前面に出にくくなるので、その雰囲気はまさに、国境のない異文化のある共同体を先取りする様相を呈する。

 以上のように、環日本海域の共生社会の基礎作りには小学校間でのこのような授業交流が、大変有意義であることが判明したわけで、今後とも国際的隣人を理解する教育実践が継続されていくことを期待したい。その場合の留意事項はつぎの三点である。

 一つは相手国小学校の先生が日本に出かけてくるための旅費の確保策は、互恵平等原則とはいえ、中国とロシアの小学校の先生の場合は必要不可欠であること。

 二つ目は各国ともに、授業実践の場所は互いの附属小学校を舞台に展開するのが無難であること。他国の先生を受け入れても、すぐに授業に入れるクラスの教授条件設定が出来ているからであり、どこの国の附属学校でもそれが形成されていることが、過去三年間の環日本海域小学校授業研究で判明したことである。

 三つ目は、このような取り組みは日本では初めてであり、他の三ヶ国においても初の試みであったらしく、相手国小学校の期待は大きい。今後とも富山大学の附属小学校が、富山県と力を合わせて、このための拠点になっていくことを心より期待したい。