日本海学講座
第1回 「富山の雪形とその伝承」
2000年度 日本海学講座
2000年5月13日
富山県民会館
講師 長井真隆
前富山大学教授
○はじめに
水の循環という視点でみると、海と山、川は一体のものであり、人間の生活とも深く結びついている。日本海を北上する対馬暖流と大陸からの寒気団により、水が水蒸気に変えられ雪雲ができる。そして、山に運搬されて雪として蓄積される。その雪の解ける変化が雪形として現れ、人々はそれを川の水量や農耕、山菜取りの目安としてきた。しかし、農作業の方法や生活様式が変化した今、雪形の伝承はほとんど途絶えてしまった。
講演中の長井先生
1.雪形とは
雪形は、別名雪絵ともいい、①残雪の雪形、②残雪でふちどられた山肌の雪形、③山肌と残雪が混交した雪形がある。山肌の雪形が最も多い。
2.長野県の白馬、富山県内で見られる雪形の紹介
<白馬岳>
白馬岳の斜面には3頭の馬の雪形が現れる。山肌が馬になっており白い馬ではない。だから雪形の馬が白馬岳の名前になったのではない。それは、田んぼの代かきをする時期に現れる雪形であり、かつては「代かき馬」と言われた。後に省略されて「しろうま」となり、「白馬」の漢字をあてたのである。戦後、大勢の登山者がこの山を訪れ、「白馬」を「はくば」と呼び違えた。その後、山の名前も村や駅の名前もすべて「はくば」と呼ばれるようになってしまった。雪形をたどっていくと人とのつながりの深さに気づく。しかし、それらのいわれを知らない人たちによって地元の文化が撹乱されてしまうのは情けないことである。
<朝日岳>
かつて朝日岳は「恵振ヶ岳」と呼ばれた。それは「エブリサシの農夫」の雪形が現れるからであるが、現在その雪形がどれなのかを特定できる人はいない。伝承が途絶えたものの一つに数えられる。
<駒ヶ岳>
前駒に「縞のある馬」と「鼻取り」の雪形が現れ、駒が岳の名前はそこからついた。
<僧ヶ岳>
僧ヶ岳は「僧」の雪形が現れることからその名がついた。かつては「僧馬岳」という名も使われていた。「尺八を吹く僧」の後ろに「馬」の雪形が現れる。その他、山肌で縁取られた「白い兎」、残雪と山肌が混交した「鶏」などもみられる。早い時期には、「僧」の後ろに「大入道(虚無僧)」と「猫」の雪形が現れるが、やがて「大入道」と「猫」が融合して「馬」になる。このように、僧ヶ岳の雪形は刻々と変化する。
これらの雪形は見る人によっていろいろと解釈される。伝承をしっかりと受け継いでいかないと混乱する恐れがある。
<剱岳>
剱岳の大窓の雪渓を「しかのはな」に見立てた雪形が
ある。剱岳を死者の山とされた点、この雪形は信仰と結
びついたものとして興味深い。
<立山の大汝>
「女」という文字が雪形として出てくる。
<立山の地獄谷>
地熱によってできる「雷鳥」の雪形が出てくる。 スライドで説明
<牛岳>
立ち上がった「牛」の雪形が出てくる。ゆったりとした山容が「牛岳」の名になったのか「牛」の雪形がその名になったのかははっきりしない。
<人形山>
「手をつないだ白い二人の人の形」の雪形が現れ、昔は「ヒトカタヤマ」と呼んだが、今は「ニンギョウザン」と呼んでいる。
この雪形には伝説がある。むかし昔、五箇山に老母と二人の娘が住んでいた。老母が目を患った。白山権現のお告げに従い、谷川の水で目を洗ったところ病気が治った。娘たちは雪解けとともに、山頂の権現堂にお礼参りに行ったが、下山途中手をつないだまま遭難してしまった。それ以来、春の終わりになると手をつないだ二人の娘の雪形が現れるようになったといわれている。
この雪形の近くに三つ星の雪形が現れると蚕の繭がとれる時期になる。かつてこの雪形を見て、金沢から繭買商人がやってきた。
3.昭和37年に黒部と魚津のお年寄りを訪ねて聞いた僧ヶ岳の雪形の伝承
4月初中旬、「僧」になる雪形が上下に途切れている間は遅霜の恐れがあるので、スイカ、ナス、キュウリなどの定植をしてはならない。4月下旬~5月上旬、中期の雪形、「白い兎」「猪」「大入道」「猫」が現れる。「僧」の顔が見えてくるとそろそろ田植えを始める時期だ。6月、完成期の雪形、「尺八を吹き馬をひく僧」「鶏」も出てくる。「鶏の尾」がでると、スイカに二番肥をやる時期だと判断した。また、僧ヶ岳の僧が袋をかつぐ姿に変わると地元の人は、「僧ヶ岳の坊様、袋をかついで麦もらいにござった。」という。袋が急に大きくなると、今年は米も麦も大豊作だという。袋が大きくなるのは雪解けが進み水がぬるんで稲の根の活着を促すということだろうか。そして、7月中旬、雪形晩期、僧の姿が消えると、布施川水系の人々は、「坊様おらんようになったから川の水もぬるなったし川遊びをしてもいいよ」と、川遊びを解禁した。
魚津のお年寄りは、「坊様が馬を引いて魚津の町を歩かれた。するとものすごい風が吹いてきて、坊様と馬が僧ヶ岳にたたきつけられて貼り付けられた。雪が解けだすと、坊様と馬が顔出すがや。」と、力を込めて話された。
魚津の高台にあたる地区や布施川水系の人たちは、農耕の目安としてよりも水量の目安として雪形をみた。「猫」が「大入道」の肩に手を掛ける時期が5月31日よりも早かったら今年は干ばつになる恐れがあるとした。集水域の狭い川の流域(片貝川など)では水不足に悩み、雪形を水量の目安にした。水の豊富な黒部川水域では、農耕の目安にした。文化というのは、このように、その地域に根ざしたものである。雪形がそれを物語っている。
毛勝三山から流れる片貝川の南又谷に蛇のような模様の入った石がある。近くに、蛇石神社があり、昔から雨乞いの神事が行われてきた。また、水不足になると地元の人たちが鍬を担いでいって毛勝谷などの雪渓を崩したという。それほど水不足に苦しんでいた。毛勝山の名前は毛勝谷から来ているが、毛勝の由来には様々な説があるが、飢渇(転化して毛勝になった)即ち凶作の意味である。人々は毛勝大雪渓の残雪のようすで、その年の豊凶を占ったのではないかと思われる。
4.まとめ
○僧ヶ岳の雪形は、全国的にも評価されるが、その理由として、次のような点があげられる。
①三つ雪形の基本が揃っている。(残雪の雪形、山肌の雪形、残雪と山肌の混合)
②雪形の種類が豊富である。(兎、僧、虚無僧、猫、馬、猪)
③雪形が刻々と変化する。(三つのタイプ)
・単独で変化する。(僧の上と下が離れているのがつながる。)
・複合する。(僧が袋を担いでやがて馬を引く。)
・融合する。(大入道と猫がくっついて馬になる。)
④雪形の変化を農耕などの目安にする。
⑤水系で雪形の名前が異なる。
(馬の素地という見方、虚無僧と猫に分けて見る見方などがある。)
⑥水系で目安が異なる。(農作業の目安、灌漑用水の目安、水遊びの目安など)
⑦雪形には物語がある。
○雪形の研究を黒部峡谷の雪の量、富山県の雪の量の研究へと広げていくことができるのではないか。
○これからは、雪形を風物詩としてだけではなく、水の循環という面からとらえていく必要がある。立山連峰に雪が残り、それが解けて川を流れて日本海へ入る。日本海の水が水蒸気となり再び雪となって山にもどる。富山県では、立山連峰、川、平野、海が一目で見られ、これらを連動させ、水の循環を身近に捉えることができる。
○富山県は地形的にわかりやすいところである。温暖で雨が多く水の循環の中で緑が豊かであり生物がたくさん棲んでいる。3000m級の山があるから富山県の自然が守られている。植生から見ると、低山帯、山地帯、亜高山帯、高山帯と、ひな壇のようにステージがはっきりとしている。高い山から海へという方向性をもっている。