日本海学講座
第1回 「深層水の不思議」
2001年度 日本海学講座
2001年5月11日
富山県民会館
講師 藤田大介
富山県水産試験場主任研究員
講演要旨
富山県は、立山連峰があり、平野があり、目の前には深い海があり、地形には非常に恵まれている。富山湾は日本では3番目、日本海沿岸では最も深い湾である。湾内の海水の分布をみると、ごく沿岸は河川水の影響を受けて低塩分となった沿岸表層水、水深200~300m以浅は対馬暖流の影響を受けた表層水が占め、その下は日本海固有水(深層水)である。
○深層水とはどんな水?
対馬暖流の影響を受ける表層水の水温は季節変化が大きく、冬は8℃まで下がり、夏には30℃まで上がるのに対して、深層水は1~2℃と極めて低温で安定している。塩分についても同様で、表層水は変動が大きい(沖合では33.0~34.0‰で比較的安定しているが、沿岸の河口域などでは1/4程度まで低下する)のに対して、深層水では34.0~34.1‰と極めて狭い範囲の値を示す。生菌数は、表層水の場合10万個/ml以上の値を示すが、深層水の場合には200~300個/ml程度で、水道水基準よりもきれいな水といえる。一方、窒素、リン、ケイ素などの栄養塩は、表層水よりも深層水の方が格段に多い。これは、表層水(光が届く範囲)では植物プランクトンや海藻が光合成を行い、栄養塩を吸収してしまうのに対して、深層水(光が届かない)では栄養塩が海水に溶け込んだままの状態で残っているからである。
○富山湾深層水事始め
約10年前、科学技術庁が主体となり、水深250mの海水を汲み上げて海面に撒く実験を行った。栄養塩の多い深層水を表層(光の届く範囲)に撒き、植物プランクトンを殖やす試みであった。しかし、深層水(表層水と混合)は沈んだり拡散したりして栄養塩の濃い状態を表層に留めておくことができず、結果は思わしくなかった。しかし、もう一つのプロジェクトである海洋温度差発電は成功し、船上の一角で行ったコンブ培養試験も深層水の威力を教えてくれた。
○深みにはまる栽培漁業? 水産革命?
深層水を汲み上げて利用するという発想は、日本海側においても1960年代には既にあった。富山湾深層水で地域全体を冷房し、使用後に海に戻して栄養添加するというアイデアが、日本海区水産研究所のニュースレターに掲載されていた。また、栽培漁業(瀬戸内海のクルマエビ増殖から始まった)が日本海側でも導入されようとしていた頃、日本海側の自然特性を考慮した事業展開、すなわち、深層の冷水を利用したズワイガニ、ホッコクアカエビ、トヤマエビなどの増殖等が提案されていた。四半世紀を経て、これらの夢が富山湾で実現することになった。
富山県が深層水の沖合取水・撒布試験を行ったのと同時に、高知県では陸上取水を開始し、魚介類の飼育で成功を収めた。富山県では、検討を重ねた結果、平成7年から陸上取水を始めた。現施設は、滑川市の沖合い2600m、水深321mから継ぎ目のないパイプで深層水を汲み上げている。
〔取水ポンプ、ストレーナー、地下水との熱交換器など県水試施設をスライドで説明〕
水産試験場の立場からみると、富山湾における深層水取水環境として、地下水が豊富なこと、海底地形が複雑なこと、そして、深海関連生物の漁業が盛んなことの三点が挙げられる。地下水は、魚類の飼育に適した清浄な淡水であり、深層水が冷たすぎてそのまま使用できない場合に熱交換に用いることもできる。また、アイガメと呼ばれる深みを中心にとして谷あり山ありの複雑な海底地形があることは、放流試験などを行うときに便利である。エビ・カニ、貝、イカなどを中心に、深海関連の漁業対象種が豊富であることは、研究推進のやりがいとなっている。
水産分野では、サクラマスとトヤマエビの種苗生産・中間育成事業を推進しているほか、マダラ、ハタハタ、バイ類、ベニズワイなどに関する深海生物の基礎研究を行っている。付加価値向上を目指した利用研究では、商品価値の低い小型のアンコウや水ガニなどの蓄養から、深層水氷も含めた活魚輸送用水としての利用研究にシフトした。汲み上げている深層水の水温や栄養塩の変化を測定し、深海漁場環境のモニタリングも行っている。
〔サクラマス・トヤマエビの種苗生産・中間育成事業、ベニズワイなどの生態研究、付着珪藻やコンブを利用したアワビ養殖、低温ショックによる耳石標識、マダラの産卵研究など、水産試験場での取り組みをスライドで説明〕
○ 深層水取水の問題点
深層水の取水に伴い、深海生物が一緒に吸い上げられてしまうが、週一回の回収を通じて変動を調べ、研究に役立てている。3000トン/日という取水量は、問題視すべき量ではない。一方、深層水飼育排水は、ホタルイカなど水産資源への影響にも配慮し、直接海へ流さず、農業用水を通じて漁港内に流している。海に潜って調べたが、特に問題は出ていない。高知県では、岩礁域である前浜に直接流しているが、海底に深層水が留まり、海藻が多くなったと言われている。
○ 癒しの海水
深層水は滑川市の深層水体験施設タラソピアに分水されているが、評判がよくリピーターも多い。深層水は雑菌が少なく、触るとさらさらとした感じで、私は「一番風呂」効果のようなものがあると思っている。リラックス効果も認められており、健康分野への活用が注目される。
○ 海水食文化のルネッサンス
高知県ではいち早く深層水飲料・食品が開発され、特許も数多く出されている。富山県でも、2000年6月より民間へ分水している。深層水氷を使った鮮魚の保冷、漬物などの発酵食品、にがり成分を利用した豆腐の製造などに活用されている。日本では、古来、漬物、豆腐、潮汁など、海水を料理に使う文化があったが、沿岸の汚染とともに行われなくなった。近年、純度の高い食塩(塩化ナトリウム)使用の弊害から自然塩が見直されており、深層水のミネラルが注目され、パン、酒などの発酵食品のほか、化粧品、医薬品など、様々な分野へ用途が広がっている。
○ 日本の深層水・世界の深層水
世界の深層大循環をみると、グリーンランド近海で冷やされた海水が沈み込む。海水が冷やされると、真水分が凍り、海水の濃度が高くなるので重くなって沈む。沈み込んだ海水は、地球の自転の影響を受けて大陸の西側を流れる。南極付近でも沈み込みがあり、深層の流れに加わる。
地中海では違った仕組みで深層水が生まれる。大西洋から地中海に入った表層海水は蒸発によって濃縮され、深層水となるが、これは大西洋に入ると中層水となる。変わった例としては紅海の深層水がある。蒸発によって沈み込むが、深海でも水温が20℃もあり、塩分も極めて高い。
ベーリング海の深層水は酸素が少ない。それは、深層大循環の末端に位置し、沈み込んだ酸素が有機物の分解に使われてきたからで、栄養塩の濃度は最も高くなっている。
我々は深層水を汲み上げているが、自然でもそれが起こっている。それが湧昇流である。世界的に有名なのはペルー沖で、ここでは貿易風によって湧昇流が起こっているが、風が弱まると湧昇流も弱くなり、水温が上昇し、生物が激減する。これがエルニーニョである。日本近海でも湧昇流は多々あり、有名なものとしては紀州沖のカツオ・マグロ漁場が挙げられる。富山県沿岸では知られていないが、小さな湧昇流は能登半島内浦沖にあり、マダラの産卵場となっている。
日本海の深層水は、山脈の切れ目から海に向かってシベリアの季節風が強く吹き込むウラジオ沖で冷やされた海水が沈み込むことによって形成される。日本海は浅い海峡で閉ざされた縁海であり、世界を循環している深層水ではなく、日本海固有の深層水である。
日本海の歴史を振り返ると、入り江の時代、湖の時代と環境の変化があった。かつて、太平洋と連絡していた頃に、ゲンゲ、アマエビ、バイ、ベニズワイなど、現在の日本海の深海生物も入ってきた。ベーリング海などには似た生物がおり、浅いところで見られるものもいる。これらの生物は、日本海が閉ざされた時代に独自の進化をとげた生物と考えられている。日本海の歴史とともに、深層水も変わってきた。入り江の状態の時は、太平洋の深層水の出入りがあったと考えられるし、湖の状態になった時には、酸素が欠乏して深海生物が絶滅したとも言われている。
○ 深層水よ永遠なれ
深層水は大量利用も可能であるが、無尽蔵にあるわけではない。地球環境とも関係しており、今後とも、節度ある利用を考える必要がある。