日本海学講座

第6回 「日本海・陶磁器の道」


2001年度 日本海学講座
2001年11月17日
富山県民会館

講師 吉岡 康暢
石川県立歴史博物館長

講座要旨

○中世陶器の5大流通圏

 中世日本には、中国磁器をモデルに宴器や茶器を中心に生産した瀬戸(セト)焼きと、甕(カメ)・壺(ツボ)・擂鉢(スリバチ)中心の渥美(アツミ)・常滑(トコナメ)焼、東播(トウバン)→備前(ビゼン)焼、珠洲(スズ)→越前焼、カムィ焼の5つの広域流通圏域があった。

○二つの生産技術系

〔常滑焼〕 粘土ひもを積み上げ、ヘラでかき上げて成形し、”赤焼き”に仕上げる、古代にはなかった大甕に特色がある。この技術は、越前(エチゼン)、加賀(カガ)、信楽窯(シガラキヨウ)などへ広まった。

〔珠洲焼〕 一方、粘土ひもを積み上げ、たたきしめる、古代須恵器の成形技術をうけついだ中世須恵器のグループがあり、瀬戸内海域(西)と日本海域(東)では作風に違いがある。瀬戸内の東播、亀山(カメヤマ)焼などの甕・壺は古代の須恵器に近く、東播焼きは、丸底の伝統的なスタイルをとる。能登半島の先端で焼かれた珠洲焼きは、東播工人を招いて開窯したとみられるが、渥美・猿投(サナゲ)焼など東海の中世陶器の影響を強くうけている。中世須恵器は、胴から口まで連続してたたいたり(西)、口・胴・底を別に作る(東)など生産効率を高める工夫をこらし、たたき目を装飾化した「商品」に改良されている。また、珠洲秋草文壺には、北東アジアで流布した四季草樹文のモチーフに通じる国際色と、京都の王朝都市文化への憧れが表現されている。

〔カムィ焼〕 琉球海1,000キロで大流通した、南島の中世須恵器。琉球列島の入口にあたる徳之島で窯が100基以上発見された。壺が量産され、左回りロクロの使用や波状文など、朝鮮半島から陶工を招き、南九州の武士が奄美諸島の有力者と共同で開発したらしい。中世の開幕は、イスラム世界と”海のシルクロード”を通して交流を深めた、宋の貿易船の来航で始まり、南の琉球と北のエゾへ、海道ぞいにヤマトの文化が波及した。

○日本海陶磁圏

 12世紀後半から15世紀半ばまでの約300年は、珠洲焼が日本列島の焼き物市場の四分の一を占め、北陸・東北から北海道南部まで海運ネットワークで運ばれる”日本海陶磁圏”が形成された。能登半島は、珠洲焼以外にも鉄鍋や塩、漆器を量産する物流センターの役目をはたし、アイヌ社会から毛皮やコンブなどの特産品を、京都を核とする首都市場圏へ中継輸送していたのである。半島から新潟県の沖合いの”タラバ”(漁場)で、網にかかって引きあげられる難破船の珠洲焼は、中国の焼き物から人買いまで積んだ「廻船」が北へ向かった軌跡といえよう。