日本海学講座

第7回 「日本海風景模様」


2001年度 日本海学講座
2002年2月2日
日本海交流センター

講師 風間 耕司
ユニテイ代表
(日本写真家協会会員)
(日本写真芸術学会会員)


富山湾、富山の風景スライドフィルムを映しながら、風間氏が解説、感想を加える形式で進んだ。

解説、感想要旨

○出自-東京で生まれて、富山の自然や風土に魅せられて移り住んで約40年になった。今も、旅の人と、なかなか市民権が得られないが、旅の人だからと許されることもある。人間生まれるところは、自分で選べないが、骨をうめるところは自分で選べる。富山に骨を埋めるつもりである。

○雪-ストックフィルムの中に雪の風景が多い。雪は雪化粧して恥部を隠してくれるから良い。雪景色が好きだ。

○悠久紙(東中江和紙加工生産組合の商品名)は、楮(コウゾ)を平村の雪で晒す(さらす)、県内唯一宮本友精宅(五箇山・平村)で生産される。宮本さんは作品と言われることを嫌い「商品」ですと言い切る。この悠久紙は、昭和49年以来、桂離宮や国指定文化財の古文書の修復に使われている。これこそ本当の特産品ではないだろうか。

○雪吊りの美-最近、雪吊りや雪囲いが多いのが目につく。竹も縄も素材がすべて本物だ。近代建築にも不思議とマッチする。北陸はべた雪だから、雪吊りに雪がつく。これは東北や北海道では見られない。雪吊りの造形美コンクールはどうだろう。雪に似合う風景づくり、町づくりと、足元を見直すきっかけにもなる。

○立山-富山の象徴。立山連邦は県内いたるところから眺望できる。海越えの連峰、屋敷林と連峰、砺波平野や呉羽丘陵、ビルから望む連峰、下新川からの山容も実に美しい。この連峰を借景に朝飯が食えるのは富山だけで、富山に移り住んで本当によかった。

○氷見の棚田-日本の原風景だ。棚田は緑のダム。その棚田がいま荒廃している。棚田の米には、国土保全料が入っているのだという発想で売り出したらどうだろう。日本の原風景、緑のダムを守るために棚田に目を向けてほしいものである。

○鎮守の森-地域のシンボルであり、最も身近な天然林である。郷土の樹種の植生がよく分かり、庭つくりの参考になる。富山には富山の樹がある。鎮守の森には知恵が詰まっている。鎮守さまにもっと足を運び、鎮守の森から謙虚に学ぼう。

○富岩運河-街の中、ビル群を背景にカヌーに乗れるところは、国内には少なく富山市の凄さの一つであり、全国から人を呼べる。実際カヌーで漕いでみると悪臭とゴミが気になる。観光船か動力船の運行計画があると聞くが、小鳥、水鳥たちの楽園であり、繁殖地である。このサンクチュアリを金儲けの場にしては決してならない。

○漁港-漁港には、魚市場、漁具、倉、船小屋など見るべきものが多くある。なんといっても生活がある。写真の被写体にはこと欠かない。

○富山湾-豊穣の海には、実に多くの魚たちがいる。12ヶ月カレンダーを作れるほど種類が豊富だ。高級魚ばかりではなく、雑魚と言われる魚をおいしくいただく調理法や船頭料理など、食文化を伝承していくことが大切である。

○海の表情-朝がドラマチックだ。海は表情が刻々と変わる。その変化が美しいのだ。海は荒海・・と、歌にあるように、日本海は荒海というイメージがあるが、富山湾にかぎり凪の時など池のように思える。しかし、寄り周り波という恐ろしい顔も持っている。自然は偉大である。

○北前船-富山湾~日本海をイメージすると、北前船、バイ船、古くは渤海船がうかぶ。北前船の寄港地を訪ねてみた。加賀の橋立港、能登の福浦港、越前河野村、敦賀港、小樽港にと。小樽には、運河のみではなく、北前船主の富の象徴が倉庫として町並みと共に建築美を誇っている。富山県内では、岩瀬の森家やほかに五大家と言われる馬場家、佐藤家などを訪ねてみるのも良い。岩瀬の大欅(けやき)は船の目印だったのだろう。

○船絵馬-日本海側で船絵馬が一番多いのが富山県と聞いているが、理由は定かではない。○河川-福光の小矢部川は都市機能の中に組み込まれている好例だ。県内の多くの河川は三方コンクリートに固められているが、中州のきれいな中小の河川がまだ、多く残っている。中州のある川は美しい。角川(魚津市)は、県内で最も人の手の加わった川であるが、下流から上流まで、魚道が造られている。内川(新湊市)は生活の一部である。

○怒っている海-ゴミで覆われた海辺を見ると、海は対岸とつながっていることを実感する。英文、アラビア文字、ハングル文字など、ゴミの中に各国の文字が氾濫している。特に日本語が多いのはどういうわけか。ほとんどが一般家庭からのごみである。海、川、山全て1本の線でつながっている。こんなもの要らないと、海は怒っている。

○写真は必ずしも真実を語らない-松並木と海岸のこの景色は、富山湾の代表的な風景である。僅かに残っている松並木を切り取ってあたかも連続しているように見せるのは辛く悲しい。蜃気楼道路とは、洒落た名前だが名残の松が数本あるのみ。景観シンポジウムを何回やるより、木を植えよう。住み良い街づくりの優先順位は、街路植樹と手入れ育樹である。私の持論である。

○スタンス-富山が好きだから住んでいるし、悪口雑言も言わしていただく。どこかの偉い先生のように、基調講演でうまいことを言って、「はい、さよなら」というわけにはいかない。これからも参加者のみなさんにもっと富山を知っていただきたい、知ることは富山を愛する根っ子になる。歴史教育のなかで郷土史がないのが残念。ふるさとづくりは、人づくり、人づくりは生涯学遊、学習では硬い、学び、遊ぶことが大切。ふるさと富山の自慢話しのできる人になっていただきたい。私も「私の好きな富山、気になる富山」のタイトルで辻説法を続けてまいりたい。