日本海学講座
第6回 「森と水の循環」
本講演録は、日本海学推進機構事務局の責任で取りまとめたものです。
2003年度 日本海学講座
2004年2月7日
日本海交流センター
講師 富山県ナチュラリスト
河合 義則 氏
1 はじめに
・自分にとって、20世紀で象徴的な1枚の絵・写真は何かに想いを巡らせて欲しい。
1969年、人類が初めて月に到達したアポロ11号から撮った、「月からみた地球」の写真がある。初めて有人飛行したソ連のガガーリンは「地球は青かった。」と言ったが、話しにしか聞いていなかったので、実際に写真を見て大変衝撃を受けた。
・地球という惑星は、たかだか半径6,370kmのほぼ丸い球体をしており、この中で63億の人類と現在知り得る限り140万種の生物が棲み、太陽の光と熱をエネルギーとして使いながら活動している。
この青い地球に「循環」が完全に収まっているのは不思議な感じがする。
2 循環とは
・「メビウスの輪」は循環を示す象徴的な言葉であり、以前環境庁のシンボルマークになっていた。
1951年、20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチと称されるバックミンスター・フラーは講演会で初めて「宇宙船地球号」と発言し、大きな反響を呼んだ。地球は宇宙に浮かんでいる宇宙船のようであり、その操縦者は誰なのかと考えたときに、循環や環境問題を考える契機となった。私たち一人一人が操縦者なのかもしれない。
・私たちが自然とどのように関わりを持っているかについて、できるだけ多くの人々に伝えることができればいいと思い、ナチュラリストとして活動している。
3 森、水、風がつくり出す富山の自然
・日本は低緯度に位置しているのに、降雪が多かったり気温が低かったりするのは、中緯度地帯に西から東に吹いている偏西風(ジェット気流)がヒマラヤ・天山山脈によって一旦分けられて、また戻ろうとするところに日本が位置しているからだといわれている。日本列島の背骨に当たる山岳地帯はこの偏西風をまともに受ける方向にあるため、風が気温を急激に低下させ、植物の生育レベルが下がる。そのため、立山では高山植物、ハイマツや弥陀ヶ原の樹林帯も見られる。このように、日本はかなり特異的である。
・降雪の要因は、風、気温、水である。
北陸地方は、世界で最も低緯度で積雪が多いといわれている。富山に降雪が多い理由は、風は偏西風、気温は、テレビなどでいう「冬将軍」の寒波、水は、日本海の水つまり、富山湾の水である。
日本海を流れている対馬暖流は暖かいので、寒波が入り込むと大きな温度差が生じる。その温度差によって富山湾の海水中の水分が上昇し、立山にぶつかり、雪として落ちる。夏は雨となって落ちる。それが富山の地表水を流れ下り、あるいは地下に浸透するという循環となる。
1年間に循環する表面水は約40回といわれるが、同じ水ではない。ただ、地下水は、数十年、数百年、さらに長時間かけて出てくる場合がある。このように、富山は、水循環を考えるには理想的なフィールドである。
・環日本海環境協力センター(NPEC)では、黄砂の研究がなされている。最近の研究では、よりイラク、イラン寄りから飛来しているのではないかといわれている。
水は、山から急流河川に流れ、富山平野に入り富山湾にのぞむ。このプロセスについて、研究者、行政が連携し、「応用生態工学」という分野で、メカニズムを解明しようという動きがある。
この2つの研究が進めば、水循環と大気循環を解明することが可能となる。富山は研究に非常に適しているという意味で、期待が持てる分野ではないかと思う。
4 日本海をとりまく環境
日本海をとりまく環境は、世界的にみても非常に特異な地域だと言える。この狭い範囲で、気候変動の激しいエリアはほかではあまり見当たらない。そういう意味では、ここ一帯の特徴は、狭い範囲の中に様々な要素が入っており、研究や調査で、広く、多くの人に知ってもらうことと他の地域での応用も可能な要素がある。
5 人間はどのように生きてきたのか
・私たちはどのように地域で生きてきているのか。
私たちの祖先は道具を使い、火をおこした。これは私たちの生活の原点になっている。勾玉に穴を開けひもを通したり、木と木をこすり併せて火を起こす回転運動。これが技術の出発点ではないだろうか。そして、木を「曲げる」曲げ物、木を「回して」削る挽き物、木を「組み立てる」接合技術である指物という木を加工する方法を編み出してきた。時代を超え、その素材が木から金属に変わっても、様々な分野で今でも生きている。
・日本では、いろりで火を炊いて料理をつくった。燃料は充分にあるから、コトコトと煮る鍋料理。米を炊くときには、いろりでは熱が逃げてしまうため、下半分を釜からせり出させて火が逃げないようにしたのが、かまどである。煮るいろりの文化と炊くかまどの文化が料理の基本であったといえる。だから日本では料理のことを「煮炊き」という。
ヨーロッパでは、土地が氷河で随分削られ、大きな木が育たないため、細かい木で暖をとっていた。暖房器具は暖炉などで、ストーブは調理器具であった。ストーブの一部に食物を入れ、ストーブの熱で全体に熱を通し、パイやパンを焼いた。オーブン料理が一般的となった。
中国では、黄河や揚子江の氾濫であまり大きな木が育たなかったため、少ない燃料をいかに効率的に調理するかということから釜戸に直接のせる中華鍋ができた。燃料はワラを使い、火力は一気に上がるが燃焼時間が短いため、僅かな時間で料理する。
そのような形で、どんな植物があり、何を燃料に使うのかによって調理の形も違ってくる。土地によって様々な工夫がある。
6 日本海と人々のつながり
日本では、狭い国土で米を作ることによってこれだけの人口が生活できるようになったといっていいくらいである。富山にも水をうまく使うシステムが脈々と受け継がれている。
常願寺川水系の図面をみると、赤い線は農業用水路、青い線が農業排水路だが、まるで農業用水路は動脈、農業排水路は静脈に見えはしないだろうか。私たちの体の中にも、心臓、動脈、静脈や細胞があり、汚れた血液を腎臓がきれいにして、心臓のポンプでまた上げてという同様な「循環器系」がある。まるで大地にも同じ循環システムが働いているかのようである。人体の細胞に当たるものは田であり、心臓(ポンプ)と腎臓の役割を果たしているのが海である。海は、富山湾の水が気温の変化により上昇する。このように循環システムが様々なところで働いている。
体の中で血液は細胞を生き生きと活性化させるために、血管の中を流れ循環している。
水は、水路によって大地を循環し田に達し、川を通り海へと至る。田で作られる米は私たちが食べることにより、エネルギーとなり、細胞を維持する。
この驚くほど似た循環システムを注目するべきではないだろうか。
私たちの日々の暮らしで、知らないうちに恩恵を受けていて当たり前のように感じているが、このように改めて考えてみるのも、足元を見るという点で必要ではないか。
7 ライチョウを通してみる立山〔スライド使用〕
立山のライチョウとともに、1年間をたどってみる。
(1) 春
☆ライチョウは、夏は黒く、冬は白いといわれるが、雄雌でも充分違う。背中から羽の変色が始まり、腹が最後になる。冬、腹から白くなる。繁殖期には目の上の肉冠がかなり強調される。
☆ライチョウは躯に比べ足が非常に大きく、蹴爪の先端まで毛がついている。ウサギの足のようであまり鳴かないことから、「ラゴプスムトゥス」という学名がついた。ライチョウは、北半球のみに棲息し、中部山岳地域が世界の南限である。
(2) 夏
☆ライチョウの巣にヒトが近づくと、ニオイがつき、キツネなどの捕食者が巣を見つけるため、近寄らないほうがいいという意見もある。ライチョウのヒナは、誕生から2本足で立ち、すぐに自分でエサを獲り始める。親鳥からエサをもらわない。厳しい自然環境では、ヒナも危険がら身を守る体制が備わっている。
(3) 秋
☆ハッチしてから1、2カ月で急速に成長する。親鳥と同じ大きさにまで成長するのは、冬を越すために、急激な体の成長を必要とするからである。そうしないと種を維持していくことはできない。
☆ライチョウも大分白くなってきて、背中を少し残すだけとなる。
この頃はエサが非常に不足して、風に雪が飛ばされて僅かに露出した植物で冬をしのぐが、なぜこのような環境で生きていけるのか不思議である。
(4) 冬
☆真っ白と言われるが、実は尾羽は一番上だけが白く、2枚目からは黒のままである。保護色といわれるが、単に夏は黒、冬は白では片づけられない。正確には一年中羽根の色が変化しつづけていると考えた方がいい。
☆ライチョウは、氷河期に朝鮮半島からやってきて、間氷期に戻るすべを失い、標高の高いところに上がったといわれている。
今、世界的規模での様々な環境の変化に敏感に反応する生き物のひとつがライチョウであり、地球規模での変化を見る兆しにもなる。
ただ雷鳥の生息環境を脅かす原因が人間のかってなふるまいであるということは、絶対に避けなければいれない。
立山はライチョウとともに1年が過ぎていく。
「また同じ1年が始まる」といういい方があるが、次の1年は前の1年と全く同じではない。自然環境は毎年微妙に変化している。
この1年が次の1年であるとは限らないが、ライチョウが安定的に棲息でき、富山県に住む私たちも、豊かに暮らしていけることが必要なことではないか。