日本海学講座
第5回 「海女が名付けた日本海地域の海中地名」
2004年度 日本海学講座
2005年2月5日
ボルファートとやま
講師 富山県立志貴野高等学校
教諭 中葉博文 氏
<はじめに>
私は、小学校の頃から地名が好きで今日までずっと地名の研究をしています。高校教員になってからも、時々恩師がいる日本地名学研究所へ行きご教示を受けています。昭和63年に二上工業高校に赴任し、学校近くの二上山や同山麓の神社、お寺を生徒と調査しました。生徒と学校周辺を調査していて、地名に興味を持った生徒から、今度は海に関する地名調査もやりたいという熱意と、学生時代、韓国釜山大学の李炳銑先生(現在釜山大学名誉教授)より日本海側の地名と韓国の地名を対比研究しなさい。その素材として日本海側の海の地名を調査したらよいとご教示もいただいていました。結局、生徒と舳倉島の海の地名をまずは調べることとなりました。調査していくうちに、海女が海中の地形に名称(地名)を付けていることがわかりました。海女をはじめ漁民たちが生業のために海中の地形などに名付けた名称を、現在私は「海中地名」と呼称しています。この「海中地名」という呼称は、現在、地名研究者間では、まだ、正式な呼称名と認知はされていません。
「あま」は、男性は「海士」、女性は「海女」と書きます。日本海側では長崎県、福井県、石川県にたくさんの「あま」がいます。日本海側では福井県、日本中では三重県が最も多い地です。
今まで私が日本海域における島での地名調査において、まずは、島に渡ってもすぐに地名に関する聞き取り調査ができるものではありません。どの島に行っても、まずは島の人達の警戒心を解き、自分を知ってもらうことから始める必要があります。実際に現地に行って、現地の人と心が通じてから、はじめて本格的な地名に関する聞き取り調査ができるのです。
今回は、日本海域における海中地名の事例を紹介して、地名から見た日本海域における交流を考えたいと思います。
<海中地名の事例>
1.三国町安島、崎(福井県)
安島と崎の二つの集落にはそれぞれ海女がいます。安島の海女は、崎の領内では漁ができません。崎の海女は安島に入って漁はできません。安島に嫁に来た人は、安島の領海で潜れますが、嫁にいってしまった人は潜ることができません。安島に住んでいる女性だけ潜ることができるという掟があります。この崎と安島には海の領海があります。また、潜ってアワビ・サザエなどを採取する時間も決まっています。その掟を破ると大変なことになります。
ここは元々福井藩ですが、江戸時代に頻繁に領海紛争が起きたので、一時幕府領となったこともあります。アワビ、サザエなどは、幕府に献上されるなど昔から大変高価なものとして珍重されました。海女は、自分たちの生活のために採るほかに、観光客に潜ってアワビ、サザエなど採るようすを見せています。海女の数は以前からみるとかなり減り、現在は安島に43人、崎に17人います。
海女が名付けた海中地名については、まずは海女らから分かる範囲で、自分たちが呼称している海中地名を聞き取って調査票に記入します。それから、海中の表面から、まったく見えていない名称をも含めた海女しか知らない海中地名をすべて地図の上に落とし、聞き取った海中地名の位置を特定します。前回調査時において、実際に崎の海女二人と一緒に潜って、海中地名を採取したいくつかの位置(場所)を教えてもらいました。海中地名は、純粋に代々伝承された地名だと思います。私が注目している海中地名の中で、岩礁を表す地名語の一つ「グリ」「クリ」があります。例えば、崎には「ババクリ」という岩礁を示す海中地名があります。この「ババグリ」の「ババ」は、海女でも年配の人のことを、崎では「ババ」といい、潜って疲れた「ババ」が、この岩で一休みすることから「ババグリ」と、名付けたと、現地(崎)ではいわれています。
2.輪島市舳倉島(石川県)
舳倉島は、輪島から定期船で約2時間、輪島の北方海上48キロにある北東から南西方面に伸びた長卵形で、長さ2キロ、幅1キロで、海抜12.4mの平坦な島であり、数多くの小さい島々をも伴っています。現在、同島へは輪島港から一日一往復の定期船が運行されています。
舳倉島の人たちの大部分は家を二軒持っています。輪島港近くの海士町と舳倉島に持っています。昔は夏場だけ舳倉島に住んでいましたが、最近は船の技術が進歩したので、若い世代の人たちの中には、年中、島で過ごす方もいます。舳倉島周辺で潜ってサザエ・アワビが採集できるのは海士町に住んでいる人のみという掟があります。また、海女が潜ることのできる時間が決まっていて、私が調査した時は、9時から12時までの3時間でした。
また、島では水を大事にします。水に関する龍神をはじめ、神社や信仰に関係した地名が多く島にあります。島の人たちは、私が「真剣に、舳倉島の地名について調査していることがわかる。」と、大変良く協力してくれました。
3.粟島浦村粟島(新潟県)
粟島は、村上市沖合35キロに浮かぶ周囲18.5キロの島で、村上市からフェリーで1時間半くらいです。この粟島へは、冬場は一日一便ですが、夏場やゴールデンウイークは一日五便、六便で、多くの観光客が訪れる島でもあります。
この島は民俗学的にも面白い島で、山の上と自分の集落付近にお墓をつくる、両墓制がありました。かつては、この島は荒天時の北前船の避難所でもありました。
この島の釜屋集落で、古老より地名に関する聞き取り調査を行い、同集落の海中・海岸に関する地名を採取しました。この粟島には、海女はいません。舳倉島から嫁に行った女性や同集落の男性が集落周辺の海を潜ったりしています。
4.酒田市飛島(山形県)
飛島は酒田市にあります。酒田港の沖合北西に39キロの日本海上に位置しています。飛島は、都島、渡り島、えぞ島、別れ島、潮島、豊島、源海ヶ島、トド島などいろいろと呼び方があります。飛島の名の由来で、一番有力なのは、かつて飛島にはトドがたくさん生息し、そのトドがトビに訛って飛島になった、という説です。
昨年の7月飛島内を案内していただいた地元の郷土史家齊藤昇先生は、かつて飛島の小・中学校の先生を長くしておられました。今回、同島に残る「グリ」の地名が古くからあるということを立証する資料をみせていただきました。その資料は文化12年に作製された大変貴重な絵図です。この絵図の中に、岩礁を示す「グリ」地名が記され、同島にも「グリ」地名が伝承していることが確認できました。
また、飛島も粟島同様かつては荒天時の北前船の避難所でした。粟島・舳倉島同様同島も、島の外海側には集落はありません。
飛島での地名聞き取り調査では、海岸地名の中に、面白い地名がいくつもありました。その中の一つに、「越してくる波が大きい。」という意味の「ナミコシ」が訛って「波越」(なごし)となったという地名があります。
<地名の調査研究のポイントと地名解釈・分類について>
地名の聞き取り調査後、データ処理で一番大事ことは採取した地名を分類することです。地名は大きく分けると、まずは大字地名、小字地名、俗称地名の3つの地名に分かれます。俗称地名とは、現地で住民たちに通称名として呼ばれている地名をいいます。地名研究では、この俗称地名が重要で、この地名データを数多く集めて総合的に論じることが大切です。今回、みなさんにお話ししている日本海域の海岸・海中地名については、この俗称地名を海中・海岸そして陸路、海路にわけて整理したものです。
私は、採取した海中・海岸地名はすべてカタカナで表記します。無理に漢字などで表記してしまうと当て字によるまったく違った解釈(語意)を導いてしまうからです。地名の解釈をする上において大切なのは、まずは、「呼び方」(発音)なのです。また、地名分類において、地形などから付いた自然地名、歴史的事実から付いた文化地名、上下、或いは東西南北といった方向から付いた修飾地名に分類すれば、より、正確な地名解釈(地名語意)を導くことができます。
例えば舳倉島の陸の地名を分類すると、「上小岩」「下小岩」があり、また、この小さな島の中に信仰に関する地名がたくさんあります。「竜神池」「弁天」「恵比須」「ショウレンバ」など漁業に関係するものを祀ってあります。
一方、海中・海岸地名はほとんどが地形地名で、岩の形状、様子で地名が付いています。例えば「マリア」は、舳倉島における独特の岩、岩礁を表す地名です。「ハエバエ」「ソネ」「ソヨ」は太平洋側の岩礁を表す地名です。「トコ」は海中で少し平べったくなっている所をいいます。
「クリ」「グリ」「イシ」「イワ」「シマ」「マ」などの地名語は岩礁を表すものです。飛島では突き出ているところを「シマ」と呼びます。「イワ」の場合は大石混じりのものをいいます。舳倉島では、岩礁や岩を「イシ」とか「イワ」といいます。「クリ」「グリ」は舳倉島では1つでしたが、安島・崎は「クリ」「グリ」の付く岩礁地名ばかりです。現在舳倉島で伝承している海中・海岸地名の3割が「セ」「ゼ」です。安島、崎では「イワ」「イシ」が少なく、「クリ」「グリ」が多いです。安島から先へ行きますと約5割が「クリ」「グリ」の呼び方になります。少しずつ呼び方が変わってきます。飛島では水面から出ているこの岩礁の水面下からの出方により呼び方が違ってます。飛島では、岩礁の海面上に出ている岩礁の大きさによって、「シマ」「イワ」「コブ」「イボ」と呼び方が違っています。このそれぞれの岩礁の呼び名は、地元の漁民たちの間で、漁の目印として、暗黙のうちに通じ合っています。
日本海域におけることばの伝播の広がりは、例えば岩礁を示す「クリ」「グリ」の伝播範囲からも見ることができるのです。
現在、私は、「クリ」「グリ」の岩礁を示す地名に注目していますが、やはり岩礁を示す「ハエ」「バエ」地名にも関心をもっています。これまで、「ハエ」「バエ」は長崎県の五島列島を境にして日本海側にはなく太平洋側の岩礁を示す地名だと約20年近く通説となっていました。私は、舳倉島に行き「ハエ」「バエ」がこの日本海側においても呼称されているのを突き止めました。「ハエ」「バエ」が日本海側のどこまで伝播しているか、また、他に岩礁を表す言葉(地名)があるのか。このように、岩礁を示す地名語を通して、日本海側の交流を見る一視点にしていきたいと思っております。もう少し、詳しく整理して岩礁を示す地名にについてお話しすれば、「ハエ」「バエ」は千島半島から太平洋岸で呼称され、五島列島を境にして「ハエ」「バエ」がないというのが通説でしたが、舳倉島にも「ハエ」「バエ」がありました。舳倉島には「セ」「ゼ」の他、入り込んでいる所を「ワダ」「マ」といいます。また、「ワダ」はまた、岩礁も表します。「ソネ」「ソヨ」も岩礁を表します。九州や南西諸島では珊瑚礁を「ソネ」「ソヨ」といいます。
次ぎに、先端を示す地名用語は海岸・海中では「サキ」「ハナ」「シリ」「クチ」等が島の先端を表します。「サキ」「ハナ」が付くものは海岸・海中で岩が突き出たような形をしています。「シリ」は海では意外と多く、「端っぽ」は海の先でもあるので「サキ」と。また、「シリ」は「サキ」と同様に「端っぽ」という意味に使われることもあります。
安島では「サキ」は、ほとんどありませんが、飛島は「サキ」の付く地名が多いです。同じ先端を示す地名で、「ハナ」は粟島に多くあります。「シリ」は舳倉島にはありませんが、安島、崎にあります。海女が名付けた海中地名は、自分たちの生業のために名付けた、海女間のみで通じる地名なのです。
また、海岸を示す地名には「ハマ」「ウラ」「マ」があります。「マ」は日本海側に多い独特な地名です。飛島には砂浜がありますので、同島では海岸を「マ」で示します。舳倉島には「マアキ」という「マ」地名がありますが、同島は海岸部でも岩だらけで、浜辺を示す「ハマ」ではなく「ウラ」となります。「マ」地名は、地名研究者をはじめ方言研究者も注目しています。「マ」の語意は、舟留場を表したり、小さな湾、岩礁を示します。飛島の場合は「マ」は舟留場の意味で、しかも舟留場の呼び方が各家々の屋号名であり、海に舟が留まっている所が各家々の場所を示します。粟島では「マ」地名は、ほとんどありません。安島、崎は「マ」は岩礁を表します。それぞれの場所により「マ」地名の解釈が違うということです。
<おわりに>
舳倉島の海女の先祖は、現在の福岡県玄海町鐘崎といわれています。福井県三国町の安島・崎の海女は、現在の福井市鮎川から来たと、鮎川の海女はソリコ(漂流した人々)で、島根県より来たといわれています。いずれの海女もいつの頃からか対馬海流に乗って漂流してきたと、地名(「海岸地名」・「海中地名」)より知ることがでるのです。
私の日本海域における海岸・海中に関する地名の研究及び聞き取り調査は、まだ途中です。今後は、飛島の以北、男鹿半島の海岸部をはじめ、北海道の小島(松前小島)、大島(渡島大島)、奥尻島、利尻島、礼文島などの島々をも聞き取り調査をしたいと思っています。
最後に、海女、漁民たちが付けた地名は、自分たちの生業のために名付けた地名です。海女・漁民たちの命名した地名こそ、行政地名にも優る「生活の匂いがする」地名本来の姿かも知れません。