日本海学講座
第2回 「山・川・海のつながりと魚たち」
2006年度 日本海学講座
平成18年7月22日
岩瀬カナル会館 ホール
講師 新湊漁業協同組合代表理事組合長
矢野 恒信氏
漁業の将来-循環型社会の構築に向けて
1.日本人と魚
日本の食文化
カルシウム含有量の少ない農産物と多い水産物
日本列島は東アジア温帯モンスーン地域の東端に位置し、世界の中でも特に雨の多い地域である。国土の約80%は花崗岩が風化した土壌で覆われている。花崗岩はカルシウム含有量が2%弱と、あらゆる岩石の中ではカルシウム含有量が極めて少ない部類である。さらに、カルシウムは割合水に溶けやすく、雨によって海に流れ出てしまう。
このため、日本で作られる農作物はカルシウム含有量が少ない。たとえば、日本で作られるキャベツのカルシウム含有量は、ヨーロッパ産に比べて4割程度しか含まれていない。
一方、日本列島周辺は世界3大漁場の一つであり、魚肉のカルシウム含有量は牛肉の約10倍程度含まれている。この結果、日本の食文化はカルシウム含有量の少ない農作物と、カルシウム含有量の多い水産物を組み合わせることによって成り立っている。
日本の歴史を動かした魚
イワシと貨幣経済と西廻り廻船
享保年間に魚種交替が起き、日本列島からイワシが姿を消した。当時の農業はイワシの〆粕(しめかす)を肥料として使うことによって成り立っていた。イワシがいなくなり、この肥料がなくなったが、金肥(人糞を発酵させて作る肥料)の技術は江戸初期には確立されており、幕府はこれの使用を推奨したので、急速に普及していった。
江戸中期には貨幣経済が発達し、日本各地で商品作物の栽培が盛んになっていた。商品作物は畑で作られるものが多く、金肥は水溶性であり、地中深く染み込んでしまい肥料としての効果が薄かった。
商品作物に効果の高い固形肥料として、蝦夷地のニシンが注目され、河村瑞賢が整備した西廻り廻船(北前航路)が一気に動き出すこととなった。この廻船で質の良い昆布が手に入るようになり、薩摩藩は昆布を琉球経由の清との密貿易に北の海でしか手に入らない高付加価値商品として扱い、財を蓄え、その財で倒幕を果たし、明治維新の扉を開いたといわれている。
日本の漁業の現況
漁業生産力の低下と輸入水産物の増加
30年ほど前、世界の水産物の総生産量は、13,000万t程で、その1割、1,300万tを日本が生産しており、水産日本・漁業大国日本と呼ばれていた。
現在(01年)、日本の生産量は約580万tであり、約350万tを輸入している。この数字だけをみると、日本の漁業生産量がはるかに輸入量を超えているようにみえる。しかし実情はだいぶ違う。国内産はラウンド(丸物)で重量計算をし、内2割程度は飼料・肥料として利用され、食用から外れる。輸入水産物はドレス(頭と内臓を外した物)、フィーレ(切り身)で重量計算され、ラウンド換算すれば優に500万tを越えるだろう。
このように、日本人が食べている魚は輸入物が60~65%を占めることとなる。その結果、価格決定権を輸入水産物に握られ、国内漁業者は採算割れに追い込まれ、この10年間で2割程の漁業就業者が減っている。
ちなみに、世界生産では中国が第1位で1,500万t程、チリが第2位で800万t程、後、3位から8位までは横一線の550万t前後で、その年の好不漁によって順位が大きく変わる。05年では日本は久々に3位に返り咲いた。
2.食糧問題
食料は人口爆発に対応できるのか
世界人口の増加
現在、世界の人口は65億人と言われている。国連の推計は2070年頃には100億人を超えていると予測している。現在の1.5倍の人口である。食料も、居住空間も、水も、エネルギーも、必要酸素も、排出炭酸ガスも、消費物資も、すべて1.5倍必要になる。その増える人口を養っていけるのであろうか。
この諸項目の中で現代の科学を以ってしても解決の困難な問題は食糧問題である。
農業生産力の停滞
人は居住空間を耕作地の縁に置くので、増加する人口はその耕作地を減らす。アメリカのプレリー(中部穀倉地帯)はかつて荒地であったが、岩盤の下のオガララ滞水層の水を汲み上げ灌漑し、穀物・野菜の大産地となっている。しかし残った地下水は2割をきったといわれ、これを使い果たしてしまうと40年ほど先には一挙に生産量が落ちると見られている。
日本では昭和33年に有史以降初めて主食の米の自給が実現した。ほぼ同時期にインドでも主食の米の生産が自給レベルに達したが、近年、利用していた地下水が少なくなり下から塩水が上がるようになって、生産力が低下している。ウクライナでは、ソビエト連邦共和国時代、防風林を取り払ったため、一時的には生産があがったが、現在表土が飛散し、小麦の生産力が著しく低下している。世界全体の食糧生産量は自家消費分も多く、はっきりは判らない。流通統計では40億t/年であるが、全てで50億t/年程度であろうか。30年前は余剰分が30~35%だったが、現在は15~18%と著しく低下している。
水産資源の有効利用
現在の世界の漁業生産量は1億5千万t/年で食糧生産総量の3%程度を占めるにすぎない。この数字は動かせないのだろうか。ここで鯨に注目したい。1975年にIWOで商業捕鯨が禁止されたが、現在まで30年の間に鯨は相当増えている。そのことによって海の生態系が崩れたため、漁業者が困っている。たとえば、能登半島と佐渡を結ぶ海域に鯨・イルカが増え、富山湾に入ってくる魚群を大量に捕食してしまうために、漁業者の獲る魚が少なくなり困っている。
また、南氷洋では7・8年前にミンク鯨だけでも70万頭以上いると推測されていたが、現在では100万頭を超えているだろうと考えられる。鯨類(体長4m以下はイルカ)は1~150万tの体重があり、1年で体重の15倍の魚を捕食する。それでは鯨類全体でどれ位の魚を食べているのだろうか。
諸々な考え方があるが、10億tから30億t位は食べているだろうと言われている。鯨類の種の維持が十分にできる程度に管理をやっていけば、人類の利用できる水産資源は少なくとも現在の5倍位で7億5千万tとなり、食料総生産量/年の内では15%程度と大きな意味を持つこととなる。
養殖漁業の衰退
ハマチ1kgの養殖には、イワシは7kg必要である。ブリ1kgの養殖なら、イワシは11~15kg必要となる。また牛肉1kgに対して、トウモロコシなどが10kg必要である。このような養殖・飼育は、人間が食料として利用できるものを他の生物に与え、与えた量の1割程度の食料を得るという点では効率が悪い。食糧問題が提起されようとしている現状を考えれば、近い将来はこの様な手法での食糧生産はできなくなっていくのではないだろうか。
「今後は養殖漁業の時代だ」と主張する人もいるが、どうであろうか。もちろん、ある種の養殖分野は残るだろうが、全体としては難しくなるだろう。
3.循環型社会の構築
生産と消費の単年度決算
太陽エネルギーの恩恵による1年間の生産物により地球上の生物が1年間生存していく社会
循環型社会は、単年度決算をきちんと繰り返すことのできる社会である。現在は過度の遺産浪費型社会となっている。循環型社会の構築・維持こそが、今後我々が何百年も生きていく礎となる。
新湊漁業の取組み
新湊漁業協同組合は、循環型社会の構築・維持を活動の理念としている
植林活動への参加
新湊漁協は、10数年前から山に落葉広葉樹を植えている。当時は「漁師が馬鹿なことをやっている」といわれたが、近年は「先見の明があった」と評価されるようになった。山に木を植えると、何故海が良くなるのか。
植物の葉脈には、フラボンという色素が含まれている。フラボンは水には溶けないが、落葉して朽ちるとフルボ酸に変わり、水に溶けるようになる。雨などにより水に溶けたフルボ酸は、地中に染みてその中の鉄と結合してフルボ酸鉄となる。フルボ酸鉄は二価鉄の形で結合されるために、海に流れ出て植物性プランクトンを大発生させる。これは貝類や動物性プランクトンの餌となり、小型魚、大型魚と食物連鎖が進んでゆく。海藻類や植物性プランクトンは二価鉄の形をした鉄分がないと繁茂できない。山に木を植えることの重要性はこの点にある。つまり、食物連鎖の最初の部分、いわゆる「間口」の部分が広いと、それだけ大きな連鎖になり、漁場環境の保全・漁業生産力の向上に繋がる。
昆布養殖の実施
近年、富山湾でも富栄養化が進んでいる。富栄養化というのは海水中の成分のうち、特定の成分(窒素やリン等)が突出して増え、赤潮を発生させる等、漁場環境に悪影響を与え、漁業生産力の低下を来たす。それを軽減するため、昆布の養殖を始めた。
富山平野には幾つもの大きな終末下水道処理場があるが、水溶性の窒素やリンを除去する第3次高度処理施設は金がかかるという理由でほとんどない。昆布は短期間に成長し、窒素やリンを固定し、昆布という形にする。それで新湊漁協は昆布の試験養殖に踏み切った。
昆布(真昆布)は15℃以下で生長し、18℃以上で枯れてしまう。富山湾では11月末から6月初めの頃までは18℃以下だが、7月下旬から9月中旬位には27~28℃になる。昆布は海水温のあがりやすい、深さ8m位までの浅海で生長するので、富山湾では本来自生していないが、短期間で海水中の窒素やリンを抜いてくれるので、湾内一円の漁業者の協力によって富山湾の富栄養化に歯止めがかけられればと考えている。
工場排水のモニタリング・無公害洗剤の利用促進
庄川は比較的水が綺麗で、砺波・高岡地区では一般に庄川から取水し、小矢部川に排水されている。小矢部川には、パルプ・製紙や銅鋳物工場の排水が入っている。国の定めた排水の排出基準があるが、これ自体相当甘いものである。それでも、しっかり守ってもらえればいいのだが、時々ズルがあるようだ。このため、抜き打ちでモニタリングを実施してきた。そのせいか、近年各工場ではそれぞれ努力がなされているようで、数字も相当良くなってきている。
当組合では、水を汚さないために無公害石鹸洗剤の利用促進にも力を入れている。
発泡スチロール魚箱の再資源化
循環型社会の構築・維持のために限り有る資源を有効に再利用するという理念の下、廃棄された発泡スチロールの魚箱を溶解して再資源化している。県内のほとんどの漁協が焼却したり、ゴミに出したりしている中で、経費はかかっても環境保全の立場から、しっかり続けていくべきだと考えている。
エネルギー効率の良い漁船エンジンへの転換促進
古いエンジンは熱効率が悪く、作業効率も悪い。船のスピードも遅く、燃費が嵩む。長距離を移動する漁業種では生産量の低下と経費の増大につながり、経営を圧迫する。このために無理な操業を強いられ、事故に繋がることも考えられる。漁業者に対しては、適切な時点でエンジンの交換を働きかけ、公的な補助金の確保等の指導を行っている。
産・学・官の研究プロジェクトの立ち上げ
地元富山大学の中には個人的に海や魚の研究をしている先生方が意外と多く、その先生方に集まっていただいて、富山県・射水市・高岡市の協力と、産業界の支援を得て研究会を組織した。漁協が主導した研究会の立ち上げは日本で初めてのようだ。
研究課題は4つのテーマで進められている。そのうち当組合が力を入れているのは、岩牡蠣の一貫した生産システム確立の研究である。新湊産岩牡蠣は築地で最高ブランドの一つとして扱われているが、生産量が年々減少しており、このままでは一定量以上の継続した出荷が難しくなってしまう。それで、海面と陸上と併用した養殖技術の確立、また、貝毒やノロウイルスのチェックシステムを開発して、増産・安定出荷・安全保証のできる商品を目指している。
また、当組合には40歳未満の若い組合員が約3割ほどいるが、彼らに生産組合を組織させて岩牡蠣の生産をまかせ、そこで得た利益を本業の所得に加算し、収入の安定を図ることも考えている。
ブランド化の推進
ブランドの確立は、漁業者の所得を増やし、無理な漁労活動の防止、水産資源の保護にも繋がる。新湊漁協は、シロエビ・ベニズワイガニ・ズワイガニ・岩牡蠣・ブリ等のブランド化を推し進めてきた。シロエビは、キリンビール(株)とコラボレーションを組んでのキャンペーンを張り、美食会を開催し、テレビをはじめ各種プレゼントコーナーで協力し、結果として魚価を倍にすることに成功した。
又、ベニズワイガニ・ズワイガニにおいては、小学校の学校給食に児童1人に丸ごと1匹を提供した他、冬場のイベントとして「カニ祭り」を企画し、10万人を集める富山県を代表するイベントとして定着させ、"カニの新湊"のイメージを固定化させた。そして、ベニズワイガニ・ズワイガニ共に価格を倍近くまで引き上げることに成功した。
岩牡蠣も、美食会"新湊岩牡蠣晩餐の夕べ"の開催や、東京・築地でのキャンペーン、テレビメディアの利用・協力によって、日本の最高ブランドの一つとして北陸他産・地産の2~3倍の価格にまで高めることができた。
ブリのブランド化のために、贈答用に加賀水引で造った通称"横綱タグ"を付けたり、テレビで募集し、当選者には自宅まで調理人付で大ブリを贈る企画を組んだり、超低温の保存技術を確立して、通年富山湾の寒ブリが味わえるようにしたいという夢の具現化も進めている。
4.規範と哲学の確立
循環型社会構築の推進力
方向性(循環型社会の構築)と推進力(行動哲学)
現在、循環型社会の構築という目標を持って進んでいるが、その理念に間違いがないと思えるからこそ、積極的な行動が起こせるのである。中国の思想家、王陽明の考え方に「行動しなかったら、考えているとは言えない」というものがあるが、私自身この考え方に納得できるので「まず動く」ということからやってきた。
人類はこの先、循環型社会の中でしか生きてゆけないのではないかと考えるので、この考え方を規範として、また、王陽明の行動哲学を推進力として、これからも積極的に行動してゆくつもりでいる。
この様な規範と哲学があれば、漁業は決して先の暗い産業ではないと思う。