日本海学講座
第3回 「自然環境の保全と川づくり-豊かな川と安全性の調和」
2006年度 日本海学講座
平成19年1月27日
県民会館 304号室
講師 富山県立大学短期大学部 助教授
高橋 剛一郎 氏
1.自然の恵みと河川環境
昨年11月26日、北日本新聞に「サクラマス漁の危機」という題で、神通川の漁獲量がどんどん減っているという記事が載っていた。平成5~6年ごろにがくんと減って、ここ数年は1tを切るぐらいの漁獲高になっていたが、去年は0.3tだったというのである。近年の富山県の川のサクラマス漁は神通川が1番で、明治時代の統計を見ると160t取れていたという記録もある。0.3tというのは300kgで、サクラマス1本を2kgとすると、150本である。もう絶滅に近い。富山名産のマスずしの原材料も、お米はともかく、魚は北海道、あるいは海外になっている。
川の源流では、いったん地面にしみ込んだ水が斜面からじわっと湧き出している。これが川の始まりである。その水がどんどん集まって流れになり、次第に大きくなっていく。このように川は水を流下させるが、水だけではなく土砂も流していく。その土砂はどんなふうに川に供給されるのか。まず、崩壊という現象がある。崩れ落ちた土砂が川に供給されて、それが洪水のときに下流に流される。森林があれば山は崩れないと信じていらっしゃる方が多いが、木があっても崩れるときは崩れる(写真1)。森林の伐採などによってはげ山になってしまった所では、雨が降ると地表面を水が流れて、その流れが表面の土を削り斜面の下の谷に運んでいくという表面侵食が起こる。これがもう一つの土砂供給のもとである。森林があって表面が植生で覆われていれば雨は全部地面にしみ込み、そのような表面侵食は起こらない。しかし崩壊については、森林があっても地震のときには崩れることもあるし、土層の中に弱い地層があれば何かのきっかけでそこから滑って崩壊につながることがある。
水も土砂も、河川を通じて下流に流れていく。水が、とどまったり淀んだりしながらも連続的に流れていくのに対し、土砂は、あるときは溜まり、あるときは流されるという不連続な動きをする。1995年7月11日に姫川流域で土砂災害が発生したとき、新潟県と長野県の県境にあるJR大糸線の鉄橋の辺りに大雨で大量の土砂が流れ、その結果1回の大雨で河床が10mも上昇した。自然の推移に任せれば、当分この状態が続くかもしれないし、あるいは少しずつ川底が掘られていくかもしれない。また、土砂が運ばれてきて堆積し、河床がさらに上昇するかもしれない。
そして、山が終わった所から、今度は扇状地が広がる。扇状地の特徴は、地形的に広がっているために土砂が放射状に溜まるということである。洪水流が峡谷から平地に達すると、川幅が広くなるので土砂が堆積しやすくなる。堆積した土砂は流路の付近で高まりを作る。そして、流路はそこを避けて通るようになる。結局この部分で流れの方向が変わることになる。このようにして扇状地では、時間の経過とともに、土砂があちこちに堆積するのに応じて川筋もあちこちへ移動する。そして、緩い円錐を伏せたような形の堆積した形状になる。
また、扇状地の下流には、もっと細かい土砂が溜まった平らな平地ができる。それを自然堤防地帯という。そして、さらにもっと下流には三角州が発達する。これが平地のフルセットである。川によっては三角州を欠いたものや、さらには自然堤防地帯を発達させないものもある。
昔の黒部川の流れは、しょっちゅう変わっていた。昔の川筋の跡がずっと残っていて、昔の人はそれを黒部四十八ヶ瀬などと表現した。富山の水は非常に美味しいが、それは扇状地の断面に見られる粗い土砂の層が水を地面にしみ込ませているからである。その層の下には水がしみ込みにくい層があり、しみ込んだ水はこの層の上を流れて行き、下流、扇状地の末端付近でしみ出してくる。これが湧水となる。黒部川の生地(いくじ)の名水などはそうして生まれる。また富山県西部の庄川でも、黒部川と同様昔の流路の跡がたくさん残っていて、扇状地の末端付近が湧水地帯となっている(図1)。こういう湧水地帯には「清水」や「泉」など湧水に因んだがついた地名が多い(大泉、堀川小泉、清水町など)。
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図1 庄川扇状地の湧水帯 ※ 国土交通省富山河川国道事務所資料より作成 |
2.生物の生息環境としての河川
川らしい川とは、瀬と淵がある川である。川の瀬は浅くて流れが速いし、淵は深くて流れが緩い。生き物にとって一番大事なことは、餌となる有機物が十分に供給されることである。川で生産される有機物というと石の上に生える藻類(苔)が代表で、これが最も多く生産される場所は瀬である。淵にもそういう藻類がないわけではないが、淵の石は水深が深い所にあるので、光の量がそれだけ少なくなる。光合成をするための光のエネルギーがたくさん注がれる瀬で、藻類の生産が活発になる。
この藻を食べるのが植物食の水生昆虫で、これを、トビゲラあるいはトンボなどの肉食の水生昆虫が食べる。そしてその肉食の水生昆虫を食べる魚や鳥がいる。そしてさらにこれらを捕食する小動物も川にやってくる。アユは瀬に多く生息しているが、それはそこにアユの餌である藻類が多いからである。しかしイワナなどは、流れの速い所にしょっちゅう行くと体力を消耗してしまうので、エネルギーを節約するために普通は淀んだ所にいて、速い流れを流下してくる餌を狙う。
このように川の中では、流れの形や地形に応じて色々な生き物がいる。つまり、生息環境の多様性は生き物にとって重要だということだ。このような多様な環境条件があることが川の自然の生態系の基盤である。
川には中州が形成されることがある。中州の周囲には本流の他に、小さな流れ、あるいは二次流路が流れていることがある。また、常時水が流れてはいないが、大雨が降って水位が上がったときに本流と繋がって流れとなるような、サイドプールもある。二次流路やサイドプールの水は、単にそこが地形的に低いから水が来るということだけではなく、地下の浅い部分にある地中水が関係していることが頻繁にある。したがって、一見して本流と離れて水が流れていない溜まりにも、地下を通じて本流から水が供給されていることが多い。
このような所は、川の生き物にとって色々な機能を持っている。例えば、渇水が続いたときには、本流では水温が上昇しても、地下を伏流して湧き出した水の温度は低い。そういう所を求めて魚が入ってくることもある。あるいは、本流は流れが強くて大きな魚がいるが、こういう所は広くないし浅いので大きな魚が入ってこられない。また稚魚にとっての生息場所や避難場所としても機能している。あるいは、洪水で本流の流れが急激になったときには、こういう所が一時的な避難場所になることもある。このように、二次流路やサイドプールという環境の地形的多様性や、またそれと深く関わっている地下水や湧水などの水文環境などの多様性が、生き物の生息条件として非常に重要だと言える。
3.川にいる魚たち
サクラマスは、9月頃になると婚姻色が出てサクラ色になり、それがサクラマスの語源の一つだという説もある。この辺りのサクラマスは、オスの一部が川に残って生涯暮らすが、それ以外のほとんどは海へ行き、大きくなって産卵のために川に戻ってくる。フナやナマズのように川だけで一生を過ごす魚もいれば、サクラマスのように海と川を行き来する魚もいる。
カナダの研究では、サケが川だけでなく陸上の生態系にも大きく影響を与えていることが報告されている。海で成長したサケが川で色々な獣に捕食され、その食べ残しが陸上に放置される。この結果、海の栄養が陸上の生態系に影響を及ぼす。このように、川を通じて海の生態系と陸の生態系は繋がっている。したがって、陸の生態系の変化は海の生態系の変化に影響を与えるし、逆に海の生態系が陸の生態系の変化に影響を与える可能性もある。また、人間も川の恵みを利用してきた。サケを捕まえてその皮で靴を作り、サクラマスでマスずしなどの色々な文化を創ってきた。したがって、魚の上る川は人間の生活、文化、社会経済にも影響を与えてきたのである。
庄川のサケの産卵を調べてみたところ、中田橋、南郷大橋、大門大橋、高岡大橋の辺り、扇状地下流端付近の湧水地帯で産卵していることがわかった。これに対しサクラマスは、もっと上流まで遡上する。庄川の場合は白川郷まで遡上していた。白川郷の古い農家の納屋には、今でも昔マスを漬けた樽が残っているという。アユは上流まで上るが、産卵するのは中流から下流にかけてである。アユの稚魚は、孵化して1週間以内に海にいる餌を食べなければならない。孵化して1週間以内では泳ぐ能力はほとんどないので、川の流にのって移動するだけである。だから、海までの距離が長いと死んでしまう。こういう事情で下流の方で産卵するようになっている。サケの産卵場が湧水地と一致しているように、河川の色々な機能や構造は、生態系と関係している。
川だけで過ごすナマズにしても、昭和30年代頃までは田んぼまで上ってきていた。しかしその後は圃場(ほじょう)整備が行われて、川と用水、用水と田んぼとが分断され、田んぼにナマズはいなくなってしまった。
4.川の自然の姿を変える河道工事
では、川に対して人間は何をやってきたのだろうか。阿賀野川の、1713年、江戸時代前期の地図を見ると、どこが川だか分からないほど川と陸が入り組んでいる様子がわかる。川と陸の境目がはっきりせず、ちょっと雨が降れば辺り一面が水浸しになり、人が暮らせる場所でもなければ、田んぼを起こせるような場所でもない。このような場所では、生産活動や居住をするため、まず堤防などを造って川と川でない部分をはっきり分けることが必要となった。また、蛇行で曲がりくねった川に対しては、ショートカットをして川筋を真直にし、排水路を造って水位を下げ、周囲の地面を乾かした。さらに堤防をしっかり造って洪水が起こっても溢れないようにした。河川に対してこのような働きかけをして、人間が使いやすい土地を増やしてきた。
しかし、それが行き過ぎるとどうなるのか。昭和30年代から40年代の前半までは、とにかくたくさん田んぼを作りたいということで、川の領分を可能な限り少なくして田畑を広げようとした。また、曲がりくねった川は土地利用に不都合なので、河道を直線化した。川の面積を最小にして洪水を流せるようにするため、川底や河岸の凸凹を均し、抵抗の少ないコンクリートで覆うようになった(写真2)。
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写真2 流路の改変。直線化、平滑化の進んだ姿。 |
また、農業用水や工業用水を取る、あるいは洪水調節をするためにダムが造られてきた。また、土砂災害を防ぐために砂防ダムや治山ダム、床固工などが多く造られてきた。私が最近調べたところ、あの秘境知床にすら三百数十基余のダムが造られていた。このように、日本の河川はダムによっていたるところで寸断されてしまっている。
その結果どういうことが起こったか。その一例を庄川の事例からみてみよう。庄川は1930年にできた小牧ダム(堤高79.2m)と祖山ダム(堤高73.2m)によって上流と下流に分断された。かつて庄川にはサクラマスもアユもたくさんいた。ダムの計画には反対運動も起こったが、その理由の一つは魚が減るということであった。しかし、ちゃんと魚道をつけるから大丈夫だということで結局ダムは造られた。その魚道でどれだけの魚を上らせたかという記録を表1にまとめた。1930年に竣工して、最初の年にはサクラマスを291尾上らせた。次の年が851だが、それ以後は34、89、484である。また、10km上流の祖山ダムに上ったサクラマスは最初の年が4尾で、それ以降は44尾、2尾という結果だった。当時の世界最新技術のエレベーター式魚道をつけるから大丈夫だとして造ったダムだが、実際には魚道は機能していなかった。このようにして、庄川の上流域ではアユやサクラマスが姿を消してしまった。
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※ 竹林征三・貴堂巌(1995)日本初のエレベーター式魚道の土木史的考察.土木史研究 (15:425-436)より引用
5.環境を生かした川づくり
日本では、国土交通省が所管する河川審議会が、河川をどう扱うかということを公に審議している。この審議会が1981年に河川環境に関する答申を出している。このときの河川環境とは、水質、水量、河川の利用が中心で、答申には生き物の「い」の字も入っていない。生き物の生息環境としての川が大事だと意識され始めたのは、1980年代の半ば頃からである。そして、建設省がそれをはっきりさせたのが1990年で、「多自然型川づくりの推進」という河川局の通達が出た。しかしそれは、従来の河川工事のやり方と180度違うことを示していたので、現場では大きな混乱が生じた。その後も色々な変化があり、1997年の河川法改正では、法律の目的の中に河川の生態系の保全が位置づけられた。これは非常に大きな変化である。
このように政府が環境に対する取り組みを変える大きなきっかけとなったのは、おそらく1992年のリオの地球環境サミットである。そこで政府は、日本も環境保全を頑張ると、国際社会に対して約束した。それを施策に反映させなければいけないということで、生物多様性国家戦略を制定したり、河川法を変えてその目的の中に生態系保全を位置づけたり、自然再生推進法などを作ったりしてきた。
しかし、実際には色々な問題が起こっている。理念はいいが、現場の末端までそれが行き渡っていない、あるいは、理念を活かそうとしても技術が未熟でどのようにしていいかがわからないという事態が生じた。
どのようなことが問題になっているかをいくつかの具体例を示しながらみてみよう。まずは、ダムによる魚の移動の障害を解消する手段である魚道についてだが、結論から言うと、魚道には限界がある。特に、勾配が急な構造物の場合は技術的な問題が非常に大きいと思う。魚道が付けられるから問題がない、ということはできない。また、魚道の効果についてもさまざまな議論がある。大きな社会問題となった長良川の河口堰では、建設省(現国土交通省)と水資源開発公団(現水資源機構)は魚道を造るから大丈夫だと説明したが、サクラマスに似たサツキマスの漁獲量は減少している。これに対し、建設省や水資源開発公団は「ダムの影響だとは言い切れない」と言っているが、自然保護団体などはそれに異を唱えていて、魚道の効果に対する評価は定まっていない。さらに言えば、これほど魚の遡上のデータが取られているところはほとんどなく、効果の検証すら行うことができない。
川を平らにしてしまうのは駄目で、しっかりと淵を残すような川の造りにしましょう、あるいは景観に配慮しましょうという工事もあちこちで行われている。この写真(注:このHPでは未掲載の写真です)に示した渓流の工事は、そのような工事のよい見本として挙げられたものだが、私には何か不自然さが感じられる。川というのは、あるとき土砂が溜まったり、それが洪水で流れたりするのが自然の姿で、それにより川の形が変わるのである。また、それだけ不安定な環境だから、不安定な所に生える植物が生えて渓流特有の植生となる。川が安定して、スギやヒノキなどの大きな林ができたらおかしいだろう。斜面は渓流より安定しているからスギやヒノキなどが大きくなり、これらが中心の森林となるが、渓流は洪水や土石流が起こると植生が破壊される。渓流の付近の植生はこのような不安定な環境に適応して広葉樹中心の林になるのである。つまり、渓流付近の土地は不安定であるからこそ独特の渓畔林が形成されるのに、写真に写っている工事は中州や河岸を破壊されないように固定しているため不自然な植生となっているのだ。
1990年に「多自然型川づくりの推進」が出され、その通達に沿ったさまざまな工事が行われてきた。昨年、それらの工事に対するレビューが出され、その結果が今年1月9日の産経新聞で紹介されている。それによれば、「国交省が色々な専門家を集めて調査した結果、河川の9割で『多自然型川づくり』の趣旨に反した工事が行われていることが分かった」。1年に数千億円も費やす工事の大部分が不適切な工事だったということを、国交省自らが報告書で認めているというのは、非常に画期的なことである。
例えば、なぜ土の堤防をコンクリート護岸で覆ってしまったのかを調べた結果、自然の素材に由来するなど、自然に優しいタイプの護岸を造ればコンクリートでも事足りると工事担当者が誤解していたというものがあり、このような誤解の蔓延は予想以上だと思われる。そして、その結論として、「自然を生かした川づくりには河川工学の他に、生態学の知識も必要だ。こうした専門家が極めて少なかったのも誤った川づくりの原因だ」としている。
上で指摘したように、上からおりてくる理念はいいが、現場の意識あるいは技術の面でそれを適正に行うレベルにいたっていない実態が示されているといえる。
最近は悪化してしまった河川環境を回復させる事業も行われている。規模の大きな事業としては、北海道の標津川で直線化された河道を昔の蛇行に戻してやろうという試みが2002年から行われている。富山県ではまだそこまで大々的なことはやっていない。私が関係した富山県内の事例を紹介しておく。小矢部川水系の山田川で、河川改修をした所を再改修して、なるべく自然の形に近づけるという計画があり、相談を受けた。できればもっと川を広げて水を遊ばせるようにすればいいのだが、そこまでは無理だった。とりあえずは水深の深い淵を作るために、従来のやり方よりも根入れを十分に深くするように提案した。県の事務所の方はそのことを理解し、そのような図面を作ってもらったが、国からの補助金をもらう事業だったので、そこまでやると国の基準から外れる可能性が高いということからその案は採用されなかった(写真3)。せっかく現場の技術者の方が淵の重要性やそれを作るための手法に理解を示しても、さまざまな制約でうまくいかなかったのである。これは、理念や技術とは別に、複雑な行政上のシステムにも問題があるということを示す事例だろう。
6.まとめ
安全のために、河川の改編はある程度はやむをえない。昔は防災一辺倒で、防災か自然保護かなどという議論は相手にされなかった。自然環境の保全を完全に無視した防災の理屈はこれからは通用しないが、その両者を何とか折り合いの付けられるところまで擦り合わせるための技術がまだ育っていない。
また、現場の技術者の意識や技術のレベルもまだ十分に熟しているとは言い難い。だから、技術者にも意識を変えてもらって勉強してもらわなければならない。もう一方で地域の住民の意識もまた重要である。住民が「とにかく安全が大事だ」と言うばかりでは、そこでまた議論が止まってしまう。やはり住民のほうにも意識をある程度高めてもらうとともに、川の仕組みを知ってもらわなければならない。
さらに、いくら防災をやっても絶対ということはないし、人間の都合だけで工事を実施すると自然のほうが一方的にいじめられることになる。折り合いを付けながら適正に川と付き合っていく上では、川の技術者だけでなく地元の住民も川の仕組みや自然のことを理解する必要がある。
そしてもう一つ、何かやったら、その効果を確かめて、どこがよかったのか、どこが悪かったのかを考え、その次の技術に生かして改良していくという作業が必要である。しかし、現在はこの作業があまり行われていない。お金と手間はかかるが必要なことである。
豊かな川と安全性の調和ということで、こうするのがいいというような綺麗な解決策や解答を、今は示すことができない。しかし、これが現実だということをお分かりいただきたいと思う。