日本海学講座

1997年度 日本海学講座一覧


  日時 場所 講師(敬称略) 概要
「海の生物講座」生き物に触れる 7月  
富山大学教授
小松美英子
→概要
凧作り教室 8月  
大門凧の会
大江真琴
田中久雄
→概要
植物観察とビーチコーミング(漂着物調査) 9月13日 朝日町宮崎海岸
富山県植物友の会会長
小路登一
長井真隆
→概要
日本海の地誌講座   魚津埋没林博物館
富山大学教授
竹内章
→概要
縄文土器より判明する日本海交流 10月25日  
金沢美術工芸大学教授
小島俊彰
→概要
慶応3年の敦賀~琵琶湖運河計画 11月1日  
富山大学名誉教授
楠瀬勝
→概要
富山湾沿岸の植物講座   魚津埋没林博物館
元富山大学教授
長井真隆
→概要
常世の国と越人 12月6日 八尾町桂樹舎和紙文庫
県文化財保護審議会会長
漆間元三
→概要
富山の気象は、これまでの印象通りなのか 12月13日 魚津市埋没林博物館
富山地方気象台技術課長
中垣昭夫
→概要
10 富山湾の漁のくらし 2月18日 富山市岩瀬カナル会館
作家
辺見じゅん
→概要
「富山の漁(すなどり)のくらし~古老に聞く~」 岩瀬の漁師と
ご家族
(6名)
11 気象データから見た富山の気象 3月7日 日本海交流センター
富山地方気象台防災業務課課長
坂下嘉秋
→概要
12 博物館学講座「博物館をめぐる諸問題」    
国立民族学博物館教授
大塚和義
→概要

環日本海食文化論 10月8日 富山市民プラザアンサンブルホール
東京農業大学教授
小泉武夫
→概要

1.「海の生物講座」生き物に触れる

①タッチングプール 幼児用プールに、日本海で採集した海生動物。
②観賞用プール プールに、ウニ2,3種類とイトマキヒトデ。
③展示水槽 イトマキヒトデ、ヤドカリ、ウミウシ・アメフラシ、イソギンチャク。
④実演コーナー ヤドカリの殻だし、ウニの産卵と卵割の観察、ウニの幼生の観察。
⑤その他の展示

2.凧作り教室

ミニ講座

 凧の発祥地は中国。木の葉製等から紙製に変化。用途も戦闘用から遊戯用に変化。

凧実作
凧揚げ

3.植物観察とビーチコーミング

植物観察編

①砂浜海岸(宮崎河岸は礫浜海岸であり、砂浜は少ないが)の植生は波、風、温度、水 分、塩分、砂の移動などに支配されている。これらの影響は、一般的に波打ち際が最も強く奥地にいくにつれて弱くなり、全体として奥地ほど環境が安定化し、植物相が豊富になる。

②鹿島樹叢は暖温帯の原生林として国の天然記念物になっている。老樹巨幹がうっそうと生い茂り、太陽の光を遮ってあたりは薄暗いほどである。重々しい雰囲気が周囲に漂い、息苦しささえも感じる。人の手の入った森は、落葉樹が多く林内は明るい。またアカマツなどの針葉樹の林もある。

ビーチコーミング編

 海岸の漂着物を採集することで、ゴミなどの環境問題について考える。また、外国製品や珍しい貝などを拾うことにより、ビーチコーミングへの興味関心を深める。

4.日本海の地誌講座

1.日本列島周辺には、日本海をはじめ黄海、東シナ海などがある。日本海は、それらの海と比較すると、とても深いことで特徴づけられる。

2.太平洋の西岸には、海溝に平行に島々が存在している場合がある。このような弧状の高まりを"島弧"といい、日本列島も島弧のひとつである

3.日本海の成因には多くの説があるが、海底の地質・地形が調査され、成因がわかりかけてきた。日本海では海洋底の拡大が起きたと考えられる。能登や飛騨山地一帯は大陸の一部、その他の日本列島の大部分は、昔の太平洋の堆積物がプレート運動により付加したもの。

4.約6000万年前に日本海拡大の先駆的な火山活動。その後、現在の日本海ののびの方向にほぼ平行に割れ目ができ、日本海の原型に。 2000万~1500万年前頃、西南日本は時計回りに、東北日本は反時計回りに回転運動し、東北日本と西南日本が完全に分離。その後、日本海が形成されたときの地質構造を全て作り替えるような、変革と改変の時代が訪れ、日本列島は全般的に圧縮の力が卓越するようになる。

5.縄文土器より判明する日本海交流

 大型住居の分布域は青森を北端、石川県小松市を南端とする日本海沿岸地域であり、元来東北地方に発生、日本海沿岸地域を南下したと考えられる。大型住居のこのような分布は、積雪量との関係で捉えることができる。
 縄文時代、新潟県姫川上流域小滝産のヒスイが広範に流通したのはつとに知られているとおりである。運搬法については、海上輸送によったのではないかと考えられる。
 両性具有の大型石棒の本拠地は富山で、やがて東北にも影響を与えたのではないか。
 青森三内丸山の土器と北陸の土器は基本的に相違するものの、文様面から見ると縄文前期末葉~中期初頭、前者が後者に影響を与えているなど、関係を持つ時もある。
 このように、北陸と東北の活発な交流がそれぞれうかがわれる。ことに、石棒の出土は物だけでなくそれを支える信仰の伝播をも推測せしめる。

6.慶応3年の敦賀~琵琶湖運河計画

 慶応三年の敦賀~琵琶湖運河計画についての計画の主体は加賀藩であり、そのための測量・地図作成に石黒信基等の在地の測量家があたり、これに伊豆の小沢一仙が参画した。
 こうした中で、当時の越中の在村の素封家、いわゆる「郷紳層」における科学技術の発達状況をうかがうことができる。
 この計画が挫折したのは、大政奉還に始まる政治情勢による。
 この計画とそのための測量は明治初年の大津~京都疏水開削事業への関連も考えられ、その究明は今後の課題である。

7.富山湾沿岸の植物講座

 富山県の海岸砂浜海岸がよく発達している。しかし、潮の干満の差が小さいので、塩沼地海岸はほとんど見られない。
 また、富山県の海岸は海岸侵食が激しく、そのためほとんどが護岸堤や離岸堤などの人工海岸となっている。
 砂浜海岸は、不安定帯から安定帯にかけて、一年草群落から多年草群落へ、さらに低木群落から高木群落へと、植生が帯状に分布するのが基本であり、昭和の中頃まで、県内の主な海岸で見られたが、今ではほとんど見られない。
 富山県における岩石海岸は、石川県境の氷見海岸に見られるが、その長さは富山県の全海岸線の10%にも満たない。
 虻ケ島の植生で、南北の境界といわれてきたが実はそうではない。サギが巣をかけたため、植生がかなり荒れてしまった。

8.常世の国と越人

 従来、藍汁を貯えておく壷の意に解されてきた「アイガメ」(海谷谷頭)を「アイノカゼ」や奥能登の田の神の送迎行事たる「アエノコト」と比較することによって、幸(魚)が貯蔵されている壷と考えられる。
 南西風を指す方言ヒカタ(シカタ)が地名ともなっている。ヒカタは農業、漁業双方に役立っている。海より寄り来る曼陀羅の伝承がある一方で海に悪しきものを流しやる行事もある。放射状もしくは螺旋状に田植えする車田が田の中心部に神を招き寄せるものである。
 和紙文庫長吉田桂介氏より、和紙の特性、和紙文庫の概要についてお話。

9.富山の気象は、これまでの印象通りなのか

春:フェーン現象が起こり、強い南風が吹くことが多い。強風は川筋に沿って強く吹くが、川筋から数km離れると急に弱くなる。

夏:大雨となることがある。梅雨前線が南下するときが危ない。梅雨時の降水量は東京の降水量の1.5倍もある。お盆過ぎは涼しくなると一般的に考えられてきた。しかしお盆過ぎでも暑い年と涼しい年が10年ごとに交互に訪れる。1980年代以降は暑い年が多い。 

秋:台風がやってくる。富山のどちら側を通るかによって雨や風の影響が大きく異なる。能登半島沖の日本海を通るときは風、伊勢湾あたりから上陸したら雨に特に厳重な注意が必要。日本海を通るときはフェーン現象を伴うので高温、乾燥にも注意が必要である。 

冬:雪が降る。平野部で降雪量に注意が必要なのは、強い寒気が入り込み、日本海上の等圧線が袋状に膨らんでいるとき。この袋状の場所には小さい低気圧があり、これが悪さをする。等圧線が込み合っている時は、山間部に多く雪が降る可能性がある。また、朝鮮半島の白頭山あたりからのびる筋状の雲が、富山あたりに上陸したら里雪になるので注意が必要!

10_1.富山湾の漁のくらし

 文化の根本は生活の知恵の中にある。生活の営み、それこそが文化である。このような「生活文化」の大切さを日常の中で子供たちに教えていくことが必要である。
 現在太平洋側と比して落としめられている日本海側もかつては日本海を通じて対岸と活発な交流を行なっていた。渤海との交流もその一例である。このような日渤交流史も子供らに伝えていく必要がある。

10_2.富山の漁(すなどり)のくらし~古老に聞く~

 岩瀬で獲れる魚と漁法は?
 漁業にかかわる信仰や風の名、天候予知は? 
 魚の加工、流通は? 
 漁を背後で支えた女の生活、漁家の家庭料理は?

11.気象データから見た富山の気象

(雲の形と天気予報)雲の形は構成する要素と周囲の状態によって決まり、雲型の変化は天気の変化と関連がある。

(昨年の富山の気象について)昨年の冬は3年ぶりの暖冬であった。30数年に1度の異常気象であるといえる。
また、非常に台風が上陸した年である。
秋は9月の日照が記録的に(異常気象といえるくらい)少なかった。
冬は暖冬である。エルニーニョと言われている年は暖冬傾向が強い。

(桜の開花予想)今年は4月3日に咲く(予定)。気象台にある標準木でしらべる事になっている。満開は4月13日の予定。標準木に比べると開花日は、松川べりは2日くらい、磯辺堤は1日早い。呉羽山は気象台と同じくらい。標高が100m増すと開花が3から2日遅れると言われている。昔はさくらの蕾の重さを計って開花日を予想していたのだが、今はコンピュータで計算させている。

12.博物館学講座「博物館をめぐる諸問題」

1.モノの重視を
 モノにはそれのみが持つ説得力があり、人はモノと接することにより感動を得ることができる。

2.博物館の歴史から
 近代に入ると、博物館は国家の威信を示すものとなり、植民地の原住民さえ展示の対象となった。
 1970年以降の高度経済成長期には、地方公共団体による地域博物館が盛んに作られた。

3.日本と比較した欧米の博物館の特徴
 ①博物館が日常生活の一部、②コレクターの尊重、③ミュージアム・ワーカーの重視、④展示業者の不在、⑤児童・障害者向けの展示の充実、⑥博物館評価学の確立、⑦特別展記録の蓄積

4.特色ある地域博物館づくりに向けて
 各館独自の資料・情報蓄積のうえ、博物館が立地する地域の顔(特性)が見えるものにする必要があろう。たとえば歴史展示では各地域の時代を画するターニングポイントを扱ったエポック展示。テーマ展示が有効であろう。
 展示技法にこだわらなくとも、地域の実物資料を展示することで十分おもしろい展示が可能である。

特別.環日本海食文化論

縄文の食文化
 日本のように木の文化国家というのは、物が残らない。しかし、このごろすばらしいことが次から次へと発見されてきて、どうやら縄文農耕説が有力になりはじめてきた。

日本海の文化伝播
 日本海を一つの湖と考えれば、非常にわかりやすい物の伝播が考えられる。

縄文の日本海の世界
 桜町遺跡というものは、すごい情報を我々に提供してくれました。富山の桜町遺跡にしても、三内丸山にしても風張遺跡にしても、ほぼ全く同じ物が出てくる。つまり、こういうものが船によって伝播されていた、ということがよくわかる。

日本海の食文化
(魚の保存)最初は干して魚を保存した。次に塩で魚を保存することが行われるようになった。
(熟鮓)塩で魚を保存していたら、ちょうどいい塩ぐあいのときに、乳酸菌が来て発酵し熟鮓というものができた。
(麹)蒸されているものをそのまま置いたら、カビがくるが、穀物にカビが生えるということは、「麹」である。
(鯖鮓)腹を裂いて塩をまぶして、腹にごはんを抱き込ませて桶に漬け込んでつくる。
(昆布)昆布というものは、日本海沿岸で大変多く発達している。
(灰)灰を使うことによって食べ物を保存するという方法が、秋田県や山形県や新潟県の山の中に出てくる。