日本海学研究機関等連携事業

パネルディスカッション 「雪と人:くらしをささえる日本海」


本講演録は、日本海学推進機構事務局の責任で取りまとめたものです。

平成17年9月17日(土)13:30~17:00
富山県民会館304号室
 

基調報告

「アジアのなかの日本海と大気」
    早坂 忠裕 (総合地球環境学研究所 教授)

 気象庁の観測データで、1960~2004年の日本海側の富山、秋田、松江の一冬の降雪量、降雪日数を見ると、富山県はやはり非常に雪が多いが、1980年代後半を境に大きく減っているように見える。秋田はあまり大きな変化はないが、松江は富山と同様である。しかし、雪が減ったのは、本来雪で降っていたものが雨になっているためで、降ってくる水の量はあまり変わっていない。

 日本海では、大陸からの寒気の吹き出しが対馬海流という暖流の上に来ることで、雲が発達し、雪を降らせる。雲の発生に関係するものは、海面の水温や、大陸からの寒気の温度、風速である。大気中の水蒸気は何も無いところでは、湿度約400%という過飽和な状態にならないと雲粒にはならない。その際に水蒸気の分子の凝結を助ける微粒子、すなわち雲凝結核があると湿度が100%よりもほんの僅か0.1~0.2%超えるだけで、雲粒が生成されるのでエアロゾルも重要である。

 山雪と里雪は違うメカニズムで発生する。山雪は、水蒸気を含んだ空気塊が山にぶつかり急激に上昇して雪が降らせる。里雪は、山にぶつかる前に上昇流が生じ、海辺の近くで雪が降るものである。これは山側からも風が吹いているときに発生する。

 2月の海面水温の平均値(1971~2000年)を見ると、日本海は十数度の水温がある。対馬海流によって温かいわけだが、大陸側には氷点下10度以下の非常に冷たい空気塊があり、それが吹き出してきて海の上で雲ができる。

 日本周辺の海面水温の変化(1985~2003年)を見ると、日本海の暖流域は1度程度上昇している。たかだか1度だが、これは重要である。ただ、寒気の吹き出しと海面水温とは、鶏と卵の関係で、どちらが原因でどちらが結果かは言いにくいものがある。

 IPCCの気候変動に関するレポートによると、1976~2000年の間に北半球の大陸は非常に気温が上昇していることが分かる。気温の上昇が続けば、吹き出す寒気の温度も上がり、雪雲を作る力は弱まると考えられる。

 日本海における雲の面積の割合を、低層、中層、高層の雲に分けて、衛星で観測したデータがある(1983~2000年)。地球全体の雲量は約66~67%だが、12~2月の日本海は70~80%とかなり多い。しかし、この十数年間は減少傾向にあることも分かる。

 また、1983~2000年の雲頂温度の変動を見ると、1984~1991年に比べて1992~2000年のほうが少し上がっているように見える。

 今、中国や東南アジアなどの経済活動の発展により、大気中に雲凝結核になるエアロゾルが多く発生している。中国におけるSO2(亜硫酸ガス)の発生を1980年と2000年で見てみると、石炭が多く使われ、亜硫酸ガスが増えている。亜硫酸ガスは水と結合すれば硫酸という液滴、アンモニアと結合すれば硫酸アンモニアという固体状の物質になる。これら硫酸塩の発生の変化を見ると、この20年でやはり増えてきており、特に西日本では大陸からの汚染された空気の影響を受けるようになっていることが分かる。

 では、今後雪が増えるのか、それともこのまま減り続けるのか。気温に関しては、今後100年間でシベリアから北東アジア地域は気温が上がるというのが世界の研究者の一致した見解である。気象庁の気象研究所の計算によると、2070年1月、日本では2度程度、気温が上がり、大陸ではさらに気温の上昇は大きい。一方、降雪量は、シベリアの気温が上がり、寒気が弱まることで減少するという予測である。

 まとめると、日本海の冬の雪雲は、暖流の上に大陸からの寒気の吹き出しがあることによって発生し、雲に関係する要素は、海面水温、寒気の強さ、凝結核である。雪は減少傾向にあるが、雲凝結核は広がっており、影響を受ける可能性がある。温暖化により雪は減少するというのが研究者の統一的な見解である。

「海と水」
    張 勁 (富山大学理学部 助教授)

 富山県の水は、環境省の名水百選に四つ入っており、熊本県と並んでトップである。富山の水がおいしいのは、立山連峰から富山湾に至る日本一の落差(4000m)を背景にした水の豊富さによる。富山の冬の降水量は東京の3~5倍である。豊富な水は主に冬の雪に負っている。

 富山の神秘の一つに、深海林と埋没林がある。黒部、吉原沖海底の杉の木には数千年から1万年前のものも発見された。これが腐らなかった理由の一つは、常に冷たい地下水が流れていたことである。このあたりの地下水の温度は約13度で年間の変化があまりない。

 この海底湧水は、標高800~1200mの山間部で降った雨や雪が地下に潜り、10~20年の年月をかけてようやくわき出たものである。河川水の約30%の量の淡水が海底からわき出ている。そして、海底湧水は窒素やリン等の栄養分を非常に多く含んでいる。海洋から蒸発した淡水が山に降ってブナ林を作り上げ、ブナ林が水を地下に潜らせる。長い年月を経て、腐葉土を通った栄養豊富な水が湾の中に注ぎ、湾内のプランクトンを育て、富山湾の豊富な海産量を支えている。まさに「木一本、ブリ千本」である。

 海底湧水の海への影響は、まず淡水であることと海水との温度差によって沈み込み、循環に影響がある。また、地下水は海よりもpH値が低く、水中に二酸化炭素をより多く存在させる。海の二酸化炭素吸収量は、陸上に対して0.9~0.8であり、それが減少することは好ましくない。

 GEOSECSというプロジェクトにより、世界の海流が1本のベルトでつながっていることが分かった。この地球のエアコンと呼ばれるベルトのおかげで、現在の地球の平均温度は15度で安定している。

 温暖化の一方で、氷期が再び急速にやってくるという説もある。直近の寒冷期は1万3000年前のヤンガー・ドリアス期で、平均7度低かった。ヤンガー・ドリアス期は、カナダの巨大な湖が、1万8000年前の最終氷期を終えてから解け出して大洪水を起こし、大量の淡水が大西洋に流れたことから始まった。淡水は凍りやすいので冬には膨大な海氷ができ、暖流が北上できなくなって、北半球全部が凍ってしまった。今、まさにそれを繰り返している。タイタニックが事故に遭ったあとに作られた海氷観測所で、1年間で観測した海氷の数は、70年前には30個だったが、1998年には1000個を超えている。非常に速いスピードで極が解けているのである。

 70年代の海洋大観測から30年経過し、再び10年間をかけてすべての海の調査が行われている。そこで注目されたのが日本海である。世界大循環の2000年に対して、日本海では循環が200年で行われている。日本海の10年を調べれば世界の100年が読めるのである。1998~2004年の6年間の調査により、20年間で日本海の深層水(水深3500m)の溶存酸素が1割減っていることが分かった。これから表層水が沈み込む量が減っているということ、つまり日本海の循環が弱まっているという結論が導かれる。地球の温暖化によって沈み込みが弱くなり、気候のバランスがコントロールできなくなって、さらに暑くなるという悪循環に陥っているのである。

 地球温暖化で植物の構成が変わり、例えば海の植物プランクトンが二酸化炭素を吸収する種から、二酸化炭素を出す種に変わりつつある。それがさらに温暖化を進める。もはや自然の森では止められない。では、人工の二酸化炭素処理装置を作ったらどうか。処理能力を考えると、70億人で210万個必要である。日本の1億人に対してどれだけの数が必要か分かるだろう。

 地球はすべての生物の家である。ロシアの宇宙飛行士ガガーリンによって宇宙から地球に届けられた声は「地球は青かった」であった。今後もこのみんなの家が守れることを願いたい。

「雪と植物」
    佐藤 卓 (富山県立上市高等学校 教諭)

 日本海側の気候の特徴を見るために、鈴木らが1971年に発表した日本海指数というものがある。横軸に月平均降水量、縦軸に月平均気温を取ったクリモグラフを作って、1月(冬)と8月(夏)の点を結び、その直線と横軸でできる角度を見る。この値が90度を超え、大きくなればなるほど日本海的な気候(夏は高温小雨、冬は低温多雨)であると考えたのである。全国のアメダスのデータを使って日本海指数を出すと、日本海側の新潟県、富山県、福井県、京都府、鳥取県の一部までが高い数値を示した。

 次に、理科年表の世界435地点の観測データから日本海指数を求めると、95以上は72地点で、全体の16.6%だったが、北アメリカの北太平洋岸地域(シアトル周辺)が富山県の気象データとよく似ていることが分かった。

 富山県相倉とアメリカの北太平洋岸のクイラユテのデータを調べると、よく似たクリモグラフの形を示した。年間降水量は相倉が2682mm、クイラユテが2630mm、年平均気温は約1度の違いで、日本海指数は相倉が123、クイラユテが140である。

 ところが、クイラユテの植生を見ると、針葉樹のダグラスファーの林である。これは日本ではトガサワラといい、紀伊半島や四国に分布している松科の植物である。日本海側の植生は、ほぼブナの純林で、下に低木などが生えているが、ダグラスファー林は、林床は暗く、低木などはほとんど生えていない。どうしてこんなに違う植生になるのだろうか。

 さらに気象条件を調べると、冬の降水は日本海側では主に雪によるものであったが、アメリカの北太平洋岸では雨であった。このため、アメリカの北太平洋岸では春から夏の開葉期に乾燥した土壌になってしまうが、日本海側では残雪等により浸透した水が土壌を湿潤な状態に保っている。

 また、林床の光の環境も違っている。ブナ林は冬は雪に覆われ、林床は真っ暗だが、春、雪が解けて、開葉前までは明るい状態になり、夏にはブナの葉が茂ってまた暗い状態がやってくるというように、光環境は変化に富んでいる。一方、ダグラスファーは常緑なので林床は年中暗いままである。

 まとめると、日本海側地域とアメリカの北太平洋岸地域は、夏は高温小雨で一致しているが、日本海側は冬は低温多雪であり、このことが春夏の土壌の湿潤状態を作り出し、ブナ林を成立させている。それが林床の光環境や温度環境を多様にし、さまざまな植物の生活を可能にしている。一方、アメリカの北太平洋岸は冬は低温多雨で、降った雨は流れていってしまい、春夏は土壌が非常に乾燥する。これによって常緑針葉樹林しか生えられない単純な環境となっているようである。

 もう一つ、照葉樹林と夏緑樹林の中で生活している植物について見てみたい。富山県では500m以下の地域は照葉樹林帯、500~1000mまでの間は夏緑樹林帯(ブナ林)である。この植生帯にまたがって分布し、特徴ある変化を遂げている植物の一つがユズリハである。ユズリハは照葉樹林帯では大木になるが、夏緑樹林帯では低木となり、エゾユズリハと名前が変わるくらいである。恐らく、積雪期間の長い夏緑樹林帯に適応した結果だと考えられる。アオキとヒメアオキも同様の関係である。

 美女平のブナ林で、高さ約2mの温度と地表の温度を調査したところ、地表は0度以下になることがなかった。不思議なことだが、ブナの落葉等により、暖かい場所が提供されているのではないかと想像される。地球環境の寒暖の変化によって、植物が太平洋側と日本海側で分化(変化)し、寒さに適応して生活していく場所として見つけたのが日本海側のブナ林なのである。

 雪は多様な環境を作り出し、新しい種さえも作り出す。その舞台が日本海側の地域なのではないだろうか。

「雪の民俗と食」
    内山 純蔵 (総合地球環境学研究所 助教授)

 「太郎の屋根に雪ふりつむ」という詩があるように、雪には、人間が閉じこめられてしまうイメージがあるが、実際には人間に活発な動きをさせるパワーも秘めているのではないだろうか。例えば、雪が積もるとスキーで非常に速いスピードで広い範囲を動き回り、そりで多くのものを運ぶことができる。

 雪をめぐる人間を考えるときに、山という要素を欠かしては語れない。富山平野は、雪に覆われる山、遠隔の能登半島という、山深いところと孤島的なところに取り囲まれた盆地状のくぼみである。縄文時代から、人間が集中して住んだのはこの平野の部分であるが、山も人間の生活において非常に重要な役割を果たした。

 縄文時代の前半と後半では全く様相が異なっている。前半は、富山は今より少し暖かく、雪がなかった。人間は、放生津潟などの潟でシジミやフナなどを取って食べ、夏はそこに定住する。冬は山に移り、無人となった夏の定住地に出てくるイノシシを待って捕らえるという「イノシシ動物畑」を利用して生活していた。これらは非常に巧みな自然の使い方である。

 縄文の後半の遺跡からは、ヒスイや火焔土器、巨大な住居跡などが出ている。この時代は大変寒く、雪が降ったはずである。そのときのほうが、かえって他地域との交流が激しくなり、きらびやかな文化が生まれていることになる。

 話は変わって、現代の五箇山豆腐の話である。この五箇山豆腐はなぜ堅いのか。現地へ行って聞くと、保存が利く、持ち運びに便利、型崩れしないからという理由が挙げられた。日本の堅豆腐マップを作ると、山間部の寒いところに堅いものが多いことが分かる。五箇山豆腐は水分を抜くという製造法だが、堅豆腐はほかに薫製やみそ漬け等の方法で作られている。

 豆腐に入れるにがりに注目すると、主成分は塩化マグネシウムであり、これは海水から取るものである。海水というのは、明らかに山間部にはないものであり、いちばん遠いところにあるものをわざわざ混ぜているということになる。これはなぜだろうか。

 堅さに関する三つの説(保存が利く、持ち運びに便利、型崩れしない)を検証すると、実際にはどれも必然性がないことが分かる。一方で、お年寄りも含めて、豆腐はいつ食べるものかと聞くと、正月や春祭りや報恩講などのときに食べるものだという答えだ。豆腐はごちそうだったというイメージがあるようだ。ごちそうとは何か、突き詰めて考えると、入手困難な食材で、高たんぱく・高脂肪のもの、いわゆる肉のようなものに行き着く。雪に覆われる五箇山では狩猟は困難であり、安定して肉を手に入れることは難しかった。

 一方で、江戸時代の北前船あるいは富山の薬売りは有名である。17世紀を中心にした寒い時期に人々は活発に活動しており、時を同じくして豆腐が出てきた。豆腐とは、商売をして手に入れてきた遠隔地のものを混ぜることによってごちそうになったものなのである。そして、堅くすることで肉のような食感に近づけたのではないだろうか。すなわち畑の擬似肉である。

 富山では、寒さのため自給自足ができなくなると遠隔地と商売し、交流することで、外向きの文化が作り上げられた。寒いときには、逆に人間は動くものなのである。では、暖かくなったらどうなるのか。心地のよいときには、人間の文化は内向きになる。温暖化が予測される将来、殻に閉じこもらないように気をつける必要があるだろう。

「雪のことば・水のことば」
    中井 精一 (富山大学人文学部 助教授)

 日本列島は温帯モンスーン気候で、四季に変化がある。したがって、その気候を背景にした日本人特有の語彙がたくさん存在する。例えば、日照時間とフクロウの鳴き声についての方言の関係を示した地図がある。「ノリツケホーセ」という言い方でフクロウの鳴き声を表現するのは富山をはじめ日本海沿岸にたくさんある。富山県は日照時間が短く、天気の日が少ない。したがって、フクロウが鳴いた次の日は晴れるので「洗濯してのりをつけろ」というような思いがあって、フクロウの鳴き声をこのように表現しているそうだ。まさにこのことばは日照時間の少ない地域に典型的に出ている。これは日本海型分布といわれるものである。

 日本には、雨や雪に関してたくさんの語彙がある。そして、例えば「時雨(しぐれ)」と言えば、どの季節の雨でその降り方はどんなものかということまで、事細かく理解している。雪についても、降り方、雪の粒、降った雪の凍り方や固さによってさまざまな名前がつけられている。降ってくる雪についてはぼたん雪、粉雪、淡雪など、積雪についてはしまり雪、ざらめ雪などである。韓国の人に言わせると、積もっている雪にまで細かな言い分けがあることは驚くとのことであった。

 富山県沿岸地域の風の名前も非常に細かく分かれている。県内で調査をするとほぼ100%、アイノカゼは知られている。ただし、残念なことに、吹く方向や季節が人によって地域によって違うのも明らかである。ほかに有名なものはダシノカゼ、シカタ(ヒカタ)等である。アイノカゼは大伴家持の歌の中にも出てくる。万葉集の中に割り注があり、これは越中の土語(方言)だと書かれているので、1200~1300年ほど前から使われているこの土地独特のことばであると言えるだろう。

 ほかにも富山県には気象に関しての方言、言い習わしが非常にたくさんある。例えば、夕方に立山に雲がかかればあしたは晴れ、立山連峰が近くに見えたら南の風が吹く、立山連峰や白山連峰がすっきり見えたら翌日は荒れる、夏に富山方面から佐渡沖の水平線に入道雲が巻き上がって見えるときは必ず風が吹くなどである。全国的に見てもバリエーションが多く、他地域の倍ぐらいのバリエーションがあるといわれている。これは富山湾の地形にも関係すると思うが、まだ解明に至っていない。

 この地域の気象、あるいは人々の環境を認識するときのキーワードが立山である。中学校の校歌の中に出てくる川の名前を調べると、小矢部川、庄川、神通川等、その河川の流域の学校の校歌に読み込まれている。ところが、山を調べると、立山が見えにくい地域、もしくは立山以外にランドマークになるような山のある地域を除くと、富山県の人々の象徴的なランドマークになるのはやはり立山であることが分かる。このように立山は、富山県の自然の非常に重要な要素となっており、それが人々の心の中で定形化されて受け継がれていくのである。

 大伴家持は当地に赴任してきたとき、高岡から神通川、常願寺川を越えて、東のほうまで国見に出掛け、領内を回りながら、万葉集の歌をたくさん詠んだ。彼がいちばんたくさん歌を詠んだのは富山だといわれている。その中でも、立山の雄大さ、自然の美しさを万葉集の中に詠んでいる。私も大伴家持と同じ奈良から来ているが、初めて立山を正面に見たときの美しさは忘れることができない。よそから来た人ですらそうであるから、地元の人たちが日に日に仰ぎ見るのは至極当たり前のことに思われる。

パネルディスカッション

コーディネーター
 佐藤 洋一郎 (総合地球環境学研究所 教授)
パネリスト
 早坂 忠裕 (総合地球環境学研究所 教授)
 張 勁 (富山大学理学部 助教授)
 佐藤 卓 (富山県立上市高等学校 教諭)
 内山 純蔵 (総合地球環境学研究所 助教授)
 中井 精一 (富山大学人文学部 助教授)
コメンテーター
 秋道 智彌 (総合地球環境学研究所 教授)


(佐藤洋一郎) まず、コメンテーターの秋道さんに、切り口を決めていただきたい。

(秋道) 佐藤卓さんの日本海指数による植物の調査、中井さんのフクロウの「ノリツケホーセ」の分布など、同じ日本海も見方によって変わるという印象だ。また、内山さんの交易というキーワードは、日本海の研究に重要だ。
 日本海側を太平洋側と比べる意味で、山陰、裏日本という言い方があった。また、富山県には逆さにした地図がある。そのようなマイナスのイメージが伴う雪の話だが、今日はプラスの面についても議論があった。そういったプラス、マイナスを今後どう考えるか、未来への提言を最後にお願いしたい。
 もう1点、張さんや早坂さんから具体的な数字で発言があったが、自然科学と違って文科系のほうはややソフトな感じであった。そのようなアナログとデジタル両方をセットで考える発想が非常に重要だと感じた。

(佐藤洋一郎) 四つぐらいの方向が出された。数値としての日本海指数と植物の違い、日本海をめぐる交易の問題、それに関係して太平洋と日本海はどう違うか、最後に多面的な視点である。まず私が聞いておきたいのは2070年問題だ。早坂さんにもう少し切り込んでいただきたい。

(早坂) 予測データの計算は、地球上を升目に区切っていき、水蒸気、風、将来の二酸化炭素などの仮定をして行っている。なぜ2070年なのかというと、時間のスケールとして、自分と子供や孫の生きている数十年から100年が一つのキーになっているのではないか。

(佐藤洋一郎) 2070年には積雪量が減るのか。

(早坂) 降雪量が減るということだ。気象庁のレポートによると、雪の形で降るものは大幅に減り、冬の降水量全体も若干減る傾向になるのではないかとのことだ。

(佐藤洋一郎) では、昔はどうだったのか。この1万年間の積雪の変化を内山さんに語っていただきたい。

(内山) 最後の氷河期のヤンガー・ドリアス期が約1万3000年前に終わり、温暖化が続いて、6000~5000年前は今より少し暖かい時期だったと聞いている。2070年と同じである。その後、5000年前に少し冷え、紆余曲折を経て今に至っているようだ。

(佐藤洋一郎) 張さんには、日本海の変化を簡単にお話しいただきたい。

(張) 日本海の深層の溶存酸素は20年間で1割減っており、単純計算すると約300年で溶存酸素がなくなることになる。これはバイガイや回遊魚等に大きな影響を及ぼすだろう。
 対馬海流が日本海に入ってくるようになったのは、ごく最近の数千年である。縄文時代の気候の変化は、ちょうど対馬暖流が安定に流れてくる時期と合っている。

(早坂) 内山さんに基本的な質問だが、ふだん生活するのには雪はないほうが楽だし、暖かいほうが食べ物もたくさんあるように思われる。それなのに昔から雪が降るところに人が住んでいるのはどうしてなのか。

(内山) 人間は、食べ物がないから商売をする。シビアな環境になると工夫が働くのではないか。

(秋道) むしろ食べ物があると人口が増えるという議論をすべきだと考えるが。

(内山) しかし、イノシシの動物畑はかなり事実に近かったと思う。与えられた条件でいかに効率よく食べ物を取るかという知恵だ。実際に、縄文時代前半の遺跡から、今、富山県内にはいないはずのシカやイノシシの骨が出てくるので、今の生活と随分違う文化があったと思われる。

(佐藤洋一郎) 青森の三内丸山遺跡から出てきた動物の骨の中にはイノシシとシカは非常に少なく、小動物が多い。その違いは何か。

(内山) 三内丸山遺跡ではむしろムササビとノウサギが多い。あの時代の周辺の状態を考えても、かなり異常に思われる。毛皮を取って売っていたのだと想像することもできる。

(佐藤洋一郎) 佐藤卓さんは植物について日本海側とアメリカの北太平洋岸の違いを指摘されたが、さらに展開していただきたい。

(佐藤卓) 日本海側の植物の分布域は、その境界線が年間最大積雪量150cmのラインとほぼ一致している。また、ブナは太平洋側にも点在するが、日本海側だけがブナ林という言い方ができるような大きな林を作っており、それもやはり積雪量150cmのラインだといわれている。
 このような植物の分布を規定している気候要因を、一つの指数で比較するために日本海指数を利用したのである。しかし、気候要因だけで考えることはできないということも事実として出てきた。
 もう一つの見方として、富山県周辺から東北、北海道、サハリン、沿海州を通って朝鮮半島まで、日本海をめぐって分布している植物、ハイマツがある。この分布は日本列島が大陸とつながっていたことに起因する。日本海のでき方が重要な因子になるのである。

(佐藤洋一郎) 中井さん、今の話は語彙の点からはどうか。

(中井) 方言は利用されないものについては名前がなく、利用するもの、必要なものについては非常に細かく名前がある。例えば、ブリを成魚だけで食べるところには「ブリ」という呼び名しかないが、富山県だと4~6段階の名前が知られている。
 同様に、共通語と方言が変わらない言葉は、ほとんど役に立たないものか、古くから当たり前のように利用しているものである。魚ではアユ、コイ、フナに方言名がない。つまり、極めて当たり前のものについては方言名がないというのが一般的な考え方だ。

(佐藤卓) ほとんどどこに行っても同じ名前で呼ばれている植物の一つがブナだろう。

(内山) ブナは縄文時代から利用されている。縄文時代は木の実の時代だったと言ってもよい。
 両佐藤先生に質問だが、500m以下の照葉樹帯にブナが入っているというのは、人間が持ち込んだということはあるのだろうか。

(佐藤洋一郎) 小矢部の桜町遺跡で出土するクリのDNA調査をした際、それは人間が栽培したものらしいことが分かった。不思議だったのは、今、日本にはないチュウゴクグリらしいものがあったことである。同じクリは中国の一部にしか見られない。したがって、当時、人が富山と大陸の間を移動していたと考えなければしかたがない。人間は相当昔から植物を運んでいるようだ。

(佐藤卓) 私が30年ほど前に家の庭に植えたブナの種から、ブナの木が育っている。住んでいる場所は標高5mほどの海岸べりである。したがって、植えて育てることは十分可能だ。富山県内のブナは標高90mぐらいまで下がっており、二上山の頂上あたりにもある。富山湾の海岸付近から出てきた埋没林にもやはりブナが入っている。人間が植えたかどうかは確証を得られていないが、海岸近くにブナが生えていた可能性はある。
 子供のころ、よく海に流れ着く木の実を焼いて食べていたが、クリも3~4個に1個食べられるものがあった。食べられるクリが海に流れ着いているのである。

(佐藤洋一郎) では、チュウゴクグリは中国由来のクリなのだろうか。

(張) 窒素同位体等を使って調べることができるだろう。
 今日、「木一本、ブリ千本」という話をしたが、海から来た水分が森を養い、その森が海を養っている。そこで、現在多くの漁師さんが山に登って森を育てている。「森は海の恋人」という有名な言葉がある。宮城県気仙沼の畠山さんの言葉である。彼はお父さんの代からカキを養殖しており、森が消えていくことでカキがやせていくという経験を経て、15年前から森を育てる活動を始めた。同じ活動が、今、富山県の氷見で漁協の青年団によって行われている。

(早坂) カキやブリなど海の中の生き物と森や山との関係だが、雪が積もって水が流れていくのと雨が降って流れていくのでは、海のものにとって差があるのか。

(張) 富山の場合、雪が春先にじわじわ解けて地下に浸透して海に行くのに10~20年間かかる。その間に腐葉土からたっぷり栄養を吸い取るが、雨の場合は1~2か月の間に海に流れてしまう。雪のありがたさがそこにある。

(佐藤洋一郎) ここで太平洋と日本海の対比を議論してみたい。内山さん、日本海をめぐる交易についてはどうだろうか。

(内山) 日本海は陸地に囲まれた内海だが、日本列島という細長い陸地ですぐ太平洋につながっていることから、太平洋と日本海を結ぶ人の動きは昔からあった。縄文時代、7000年ほど前に初めてヒスイの飾り物が出てくる。北陸で加工したうえで、関東地方や東北地方まで広く行き渡らせていたのである。逆に何が運ばれてきたのかは分からないが、信州の諏訪湖近辺の黒曜石(石器の材料)や千葉県銚子の琥珀を加工したものなどが考えられる。そのようなネットワークが北前船にもあった。

(佐藤洋一郎) 佐藤卓さん、太平洋側のブナと日本海側のブナの違いを復習していただけるだろうか。

(佐藤卓) ブナは、日本海側と太平洋側とでは、以前は変種関係と考えられ、オオバブナとコバブナという名前で呼ばれていた。日本海側のブナは大きな葉をつけ、太平洋側のブナは小さい葉をつけるのである。ところが、1980年代からの研究で、サンプル地点を太平洋側から日本海側まで連続して取ると、葉の大きさが連続的に変化していることが分かった。このため、現在はブナという名前一つしか使っていない。
 日本海側のブナはほぼ純林を作るのが特徴だが、太平洋側のブナは、関東地方以南・以西ではイヌブナやツガやモミと混交林を作る。したがって、日本海側のブナ林と太平洋側のブナ林は組成においては違う林だと考えられている。
 その第一の要因は気候、それから歴史だろう。地球の温暖化・寒冷化のたびに植物は分布を広げたり狭くしたりしてきた歴史があり、他種のものと共生することができたのが太平洋側であり、日本海側ではブナだけがその場所を占めるような林を作ってきたのだと考えられる。

(秋道) 青森県八戸の是川遺跡で漆が出るが、若狭湾の鳥浜貝塚では前期の遺跡から漆を塗ったツバキのかんざしが出た。人が動いた原動力は、産物、資源の違いであるというのが一つの説だろう。また、女性がどう絡んだかということもひそかなテーマの一つだと思っている。

(佐藤洋一郎) 漆塗りの産物は是川遺跡(約3000年前)や渡島半島の遺跡(約9000年前)から出ている。したがって、日本では漆は北のものに見えるが、日本海を下がった若狭の鳥浜貝塚にもあるし、中国では漆が出てきている遺跡は南のほうが多い。一方、漆の植物としての分布域を調べても、南のにおいがする。なぜ南のものが北に上がったのかは、漆七不思議の一つである。
 人間がかかわった植物の移動を調べると、実は非常に少量で動く。例えば、ブラジルのコーヒーは、今から二百数十年前に、何十株かのコーヒーの苗木と1000粒ほどの種が行ったにすぎない。それがブラジルをコーヒーの大産地にするのである。
 物を運んだのはやはり男だとは思うが、動機は心ときめく彼女の気を引きたいがためだと考えるが、どうだろうか。

(内山) 最近、利尻島の遺跡から、糸魚川のヒスイ峡のヒスイのペンダントが出ている。これは男が女性にあげようと思って運んだのかもしれない。全般に、ヒスイや漆のような珍重されているものがよく動いているという印象がある。

(中井) 青森県の話が出たが、私の言葉の調査では、津軽と南部は同じ青森県であっても全く言葉が違う。太平洋側と日本海側が同じ県内でスパッと分かれる青森県を見ると、自然環境を基にした暮らしの違いが、長い時間に大きな言葉の差となっているのが感じられる。

(佐藤洋一郎) 秋道さんが最初に言われた多面的視点から、雪についてはいかがか。

(秋道) 富山では、雪について歴史的な経験を踏まえて、いろいろな知恵がある。プラス、マイナスをてんびんにかけるのではなく、両方セットで生きていくのだろうと思っている。

(佐藤洋一郎) 富山の人は雪をネガティブにとらえているという話だったが、今日の話を伺って、決して単純にプラスでもマイナスでもない、物事は多面的で複雑なものだとつくづく感じた。
 最後に、中井さんから順に一言ずつ感想を伺いたい。

(中井) 雪のないところから来た人間にとって、雪は難儀なものであるが、その裏返しにとてもおいしい食べ物もある。この土地で生まれた人には、雪下ろしも、車の始動も問題ではない。その暮らしに慣れればけっこう幸せに楽しくやっていける。

(内山) 雪を美しいと感じる心がある。そのイメージの問題は大事だと思う。エストニア出身の助手に聞いても、雪に対するイメージはネガティブであるが、やはりきれいだと言っていた。もう一つは、人と人が肩を寄せ合って過ごし、家族のきずなが非常に深まるのが冬の雪の中であるとのことだった。そういう部分から掘り起こしていっても面白いだろう。

(佐藤卓) 雪についての私のイメージは、「毎年降るものだからしかたがない」である。しかし、何ともならないものだからこそ、何とかしようとする知恵や行動につながるのかもしれない。植物たちにもきっと「何とかせんならんまい」という生きざまがあるのではないか。だからこそ活力があるのだと聞き、救われた思いである。

(張) 雪のない大陸から来たが、雪があるから寒いというのは間違いだ。富山の冬は厚い雪雲のおかげで氷点下にならないが、同じ緯度の大連は氷点下15~20度である。雪のおかげで豊かな富山があり、私はむしろ恵みだと思っている。
 過去100年間ではわずか0.5度の温度上昇であったが、早坂先生の計算だと今後100年間でプラス5度だという。果たしてどのぐらい変わるのだろうか。

(早坂) 人間には時間が必要だ。ピアニストやサッカー選手はどんなに才能があっても、3日練習しただけであのようにはならない。筋肉、脳を含めて人間の体全体の時間にアジャストできる余裕がある中で、雪とつきあっていけばよいが、自然の変化に比べて人間の要求するスピードが速すぎ、差が生じてしまっているのではないか。もともと、どのような自然環境であれ、そこに適応した暮らし方があった。それが今までは人間の都合で変わったが、今度は温暖化や気候変動で自然のほうが変わってしまうかもしれない。