日本海学研究機関等連携事業

日本海洋学会 「富山湾の地形と地質」


2007年度 日本海洋学会春季大会シンポジウム
日時:2007年3月22日
会場:東京海洋大学品川キャンパス

竹内章(富山大院・理工)
キーワード: 富山トラフ・地形・テクトニクス・虚弱地帯

 富山湾は、日本海に突き出た能登半島と標高3000m級の日本アルプス(飛騨山脈)の間にあり、相模湾・駿河湾とともに日本列島の地形を特徴づける日本3深海湾のひとつ。1983 年には、他の海域に先駆けて富山湾で有人潜水艇「しんかい2000」の調査潜航が行われた。以来、富山湾とその周辺海域は、現在までに50 回以上の潜航が行われ、日本海側でもっとも密に潜航調査が行われている海域である。今回は、富山湾の起源は日本海の誕生と同じであること、北アルプスと能登半島に囲まれた富山湾は日本海の縮図といえることを述べる。

 

富山湾の地形:

 富山湾は、太平洋側の駿河湾や相模湾とともに深海湾と呼ばれる。今回は地史的観点から、日本海富山トラフ南部のうち、能登半島先端部と飛騨山脈東縁(糸魚川)を結ぶ線以西の海域を富山湾とする。2005 年7 月には海洋調査船「なつしま」と無人探査機「ハイパードルフィン」により、富山湾の総合的な海底環境調査が行われた。

 富山湾は本州から突き出た能登半島の南東側にある深みで、湾底は水深1000m から1200m の平低地(海盆)である。湾底には幅広い海底谷があり、富山深海長谷はここを源流部として湾口から本州島(佐渡海嶺)の陸棚斜面と大和海盆との境界をなぞるように流れ下り、日本海盆に達する場所で巨大な深海扇状地をつくる。

 湾底の深みを取り巻く斜面は、場所によって異なる3つの地形区をなす。まず東部は、新川地域の海岸線と同様に黒部川扇状地が湾内に張出し、湾の最深部は北西側に押しやられている。一方、能登半島側の七尾湾沖から九十九湾沖にかけての陸棚斜面は、南北方向に延びる直線的な急崖である。ふたつの地域に挟まれた湾奥部(氷見市沖~射水市沖)は、陸棚に海底峡谷が発達し起伏が多い。急深の性質から「あいがめ」と呼ばれる海底峡谷は良い漁場であり富山湾の特長である。この峡谷はいつどのようにできたのか。氷河期は、現在の陸棚が陸地だった時代であり、当時の川の跡という説もあり、現在の海底が昔、陸地であったことの証拠として沈水林がある。しかし、すべての海底峡谷が現在の河川につながっているわけではない。

 

富山湾はいつできたか

 近年刊行された富山湾の海底地質図(岡村2002)によれば、富山湾の地質構造は沿岸陸地と連続的である。このことから結論的には、富山湾の形成は、富山トラフの形成史に付随したものと考えられる。

 古地磁気方位や地質体(火山岩地帯)を目印にした古地理の復元によって、日本海の形成過程が明らかになった。

 それによると、まず、5500~3000 万年前頃にアジア大陸東縁部(中国の長白山脈付近や日本の北陸飛騨地方)が安山岩の火山活動とともに約23 度時計回りに回転した。

 3000~2300 万年前頃には、玄武岩や月長石流紋岩の噴出とともに開裂活動が始まり、2000 万年前頃までに日本海区の海洋性地殻が形成された。この日本海区拡大と同時に、富山湾を含む本州弧の地形も誕生したと考えられる。

 日本海盆や大和海盆を形づくる時代の最盛期(2000~1500 万年前)には、東北日本各地で本州の横断方向に並ぶ海底火山活動と堆積盆地の形成が行われ、その最終段階で日本海と本州の西南部が時計回りに回転した。これで、日本列島で東西の相違が明瞭になり、東北日本(NEJ)と南西日本(SWJ)という違いを生じた。この回転運動に使われたのがフォッサマグナとその北方延長の富山トラフであり、本州の地殻構造を横断する境界断層帯である。

 以来、東西で異なる方向の断層運動が隣り合ってきた。SWJ では、中新世中期(1500~1000 万年前)に南海トラフからフィリピン海プレートの沈み込みが始まり、南北に短縮する運動によってSWJ では堆積盆に東西性の断層や褶曲が形成された(宝達山北縁断層帯、能登の若山川断層褶曲帯、山陰の宍道褶曲帯など)。この時期のNEJ では、脊梁に平行な地溝帯をつくる断層運動が始まり、信越~羽越堆積盆が発達した。また、鮮新世(400 万年前頃)になると日本海東縁部(信濃川地震帯)で同じ脊梁方向の断層褶曲運動が始まった。

 

現在進行中のテクトニクスと地殻の虚弱地帯

 ところが、現在の地殻変動はどうか。実は東西日本の違いが目立たなくなってきている。新潟県上越市沖の断層褶曲帯は富山県親不知沖を経て越中宮崎まで連続的に追跡され、さらに同方向の魚津断層や呉羽山断層と一連の断層帯をなすとみられる。先頃の新潟県中越地震を含む信濃川地震帯の活動が、フォッサマグナを通り抜けてSWJ 側の北陸に到達するまでになったと考えることもできる。

 糸魚川-静岡地質構造線は、フォッサマグナ地域の西縁であり、地殻構造上の区域NEJ とSWJ を分画する。北フォッサで中新世中期から後期に堆積した地層の厚さに見られる急激な側方変化は、これらの構造区の間で重要である。スラスト・褶曲帯が発達したプロセスは被覆層の側方圧縮だけでなく、基盤を含むブロックの昇降運動と一体で説明する必要がある。

 飛騨山脈の北方延長がなぜ富山湾に聳えていないのか。

 鮮新世以降の圧縮応力場に応じて、断層ブロック境界は復活し、各地で隆起と傾動などを伴う差別的な運動を生じた。このようなブロック運動を説明できる深部地質構造は、延性領域である下部地殻の弱線に由来する地震発生層(上部地殻)の高角ブロック断層であろう。ブロック運動とその再活動は、下部地殻に「虚弱地帯」が存在する証拠とみられる。こうした虚弱地帯は、地下深部からの湧水に代表される物質循環に深く関係すると見られる。