日本海学シンポジウム

パネルディスカッション 「日本海学と新世紀の文明の創造」


2000年度 日本海学シンポジウム
2001年3月31日
富山国際会議場

はじめに

丹羽

 本日、このパネルディスカッションにご参加いただいたパネリストの皆様方は、実は昨年(平成12年)、6月30日~7月1日、富山市で開催いたしました「日本海学推進会議」のメンバーです。富山県から日本海学を発信するためにそのコンセプトを明確化し、この「日本海学の新世紀」と題する書物の執筆を担当していただいた先生方です。

 最近、この日本海あるいは日本海学につきまして世間の関心が非常に強くなってきております。これは1つには国際情勢の変化、もう1つはやはり地球環境問題への関心の高まりかと思います。このように日本海、あるいは環日本海地域の研究というものの重要性が痛感されている時代でありますが、今まであまり大きな成果が得られてこなかったというのも事実かもしれません。そこで、先程、榊原教授から話がありましたが、この価値観が転換していく21世紀に向けて新たな文化を創造したいということで、我々はこの「日本海学」というものを立ち上げたということになるわけです。

 ただ、今、何回も「日本海学」という言葉を使わせていただきましたが、皆さん方にとってほとんど聞き慣れない言葉だろうと思います。そこでまず、ディスカッションに入る前に私の方から、「『日本海学』とは何か」ということを簡単にご説明を申し上げたいと思います。

 先程、スクリーンに「逆さ地図」というのが映っていたかと思いますが、これは実は平成6年に富山県が国土地理院の認証を得てつくったものです。私はこれを最初に見ましたときに非常に何か違和感を持ちました。これは従来、我々が見慣れた、いわゆる日本海対岸諸国と日本というものの関係を回転したものです。実は我々日本人というのは、日本から対岸を見るという感覚に慣れすぎていまして、これを見ますといわゆる大陸の側から日本を見る、日本列島を見るということになります。そのときに日本列島の姿がどういう姿になって見えるだろうか。明らかに南、あるいは北からの1つの文化の架け橋というものの見方ができるわけです。あるいは、回廊と言ってもいいかもしれません。この問題につきましては、後程、諸先生方からいろいろな議論が出てくると思います。

 それからもう1つ、この日本海という真中の海をご覧ください。これは両端の対馬海峡、それから北海道からオホーツク海へ抜けるところが非常に狭くなっております。この日本海という海は、半閉鎖海域になっているわけです。このような半閉鎖海域を有するような地域として一番有名なのが地中海です。かつてフランスのブローデルが、歴史学、地理学、さまざまな学問を通じてこの地中海というものを極めてうまく描いてくれました。今日、それが「地中海学」という名前で呼ばれています。それに我々は見習って、「日本海学」というものがありえないだろうかという発想をしたわけです。

 次に、どのような研究方法を採るのかということです。この日本海というもの、あるいは日本海地域というものを総合的に捉えなければいけないとしますと、人文科学、歴史学であるとか考古学、さらには民族学、文明論、こうしたものをまず1つ考えよう。

 それからもう1つ、どうしても自然環境というものを抜きにしては考えられません。海洋学、地質学、気象学、生態学、そうした自然科学の諸知識というものも取り入れなければなりません。

 さらに加えて、先程、この地域の国際情勢が変化していると榊原教授より話がございました。東西冷戦構造の変化、それに伴うロシアの市場経済への移行、それから中国の対外開放政策の進展、これらは経済活動を活発にしていると同時にさまざまな不安定要因も抱えています。また、朝鮮半島、この部分は昨年、融和の方向に動いていますが、まだ我々はこれを十分見ていかなければなりません。こういう点を含めて考えるには、経済学、国際関係論、政治学というものが必要でます。

 この「日本海学」を、現在ある人文、自然、社会科学を融合した総合的な地域学というものに育てたいということです。

 では、中身は何なのか。キーワードは先程話がありましたけれども、1つは「循環」です。地球全体は1つの「循環」のシステムです。この環日本海、あるいは日本海というものも循環システムの中に組み込まれています。この「循環」がスムーズにいくようにするにはどうするか、ということを考えていかなければなりません。

 もう1つは「共生」という言葉です。「共生」、これは自然と人間との間の「共生」もあります。あるいは、物流、人流(人の流れ)というものを考えますと、人間と人間との間の「共生」いうものも大切にしなければなりません。いずれこの地域が発展してきますと、どうしても地域間協力というものが欠かせません。そういう意味で「共生」というキーワードが第2番目に来ます。

 3番目には、この真中の「海」です。日本海というものがなければ今の日本はない。日本の自然もすべてこの日本海が育んでくれたものです。これが歴史的に見てどのような役割を果たしてきたか、あるいは今後その姿はどうあるべきなのかが、この日本海学のテーマです。

 我々はこのようなテーマを通じて、先程、話がありましたように、「21世紀、価値観が大きく変わる」、「新たな文明が創出される」という可能性を信じて、この学問から、そして富山から、この21世紀の文明あるいは理念というもの、世界理念というものを発信したいという大きな野望があります。今現在は、骨格が立ち上がったばかりです。今日の議論を通じて、それにどんどん肉付けがなされていけば、これにこしたことはないと考えている次第です。

 ディスカッションを開始するにあたりまして、本日は3つのテーマを用意しています。

 先程、紹介がありましたように、非常に多くの分野の先生が集まっておられます。私も、このようないろいろな分野の先生方と一緒にシンポジウムを行うのは初めてです。そこで、各研究分野の先生方から「日本海および環日本海地域の固有性、あるいは特徴」というものを、まず、お伺いしたいと思います。2番目に、今申しました日本海学の柱です。「循環」「共生」、そして「日本海」を21世紀の文明の創造という観点からどう考えたらいいのか。3番目には、21世紀に求められる日本海学、あるいは日本海学に対する期待というものを皆様方からお伺いしたいと思っています。

1.日本海及び環日本海地域の特徴

 それでは、第1番目の問題から先生方のご意見をお伺いしたいと思います。

 まず、日本海という海域環境、それから環日本海地域という地域の固有性、これを自然科学の分野から眺めた場合どのようになるのか、この点につきまして小泉先生から口火を切っていただきたいと思います。

自然科学から見た日本海の固有性
小泉

 それでは日本海、それから環日本海地域の固有性ということについて自然科学の方から簡単にご説明申し上げます。具体的には、既に皆さんにお買い求めいただいていると思いますけれども、『日本海学の新世紀』の本に非常に詳しく書いてあります。1000円はお買い得です。買って安心されないで、是非、お読みいただきたいと思います。

 OHPを使い、3点ばかり固有性をご紹介したいと思います。

 この地図は、先程の「逆さ地図」よりは、等高線や等深線が入っておりますのでわかりやすいかと思います。


 特に日本海を見ていただきますと、北緯40度の線を境にして、南側の地域が非常に起伏に富んだ海底地形となっています。これに対して、北側の方は非常に平坦な海底地形です。

 南側のこの起伏に富んだ海底地形は、現在の日本海がまだできていない2500万年前以前に、日本列島と大陸とがくっついていたときのもので、大陸地殻と呼んでいます。変成岩や花岡岩のような火成岩から成っています。その後、日本海ができて開いていくときに、大陸地殻が凹凸状になってこういう海底地形をつくったのです。

 それに対して、北側の方は現在の日本海ができるときに裂けて地球の内部から玄武岩が吹き出てつくった海底です。こちらは海洋地殻、あるいは海底地殻と呼んでいます。このような誕生の経緯から、日本海は海と陸とのセットから成っているということが固有性の1点となります。


 2点目は、対馬海峡から黒潮の分流である対馬暖流が流入してきて、津軽海峡や宗谷海峡から流出していく、海流が一方通行の海です。先程の北緯40度の線を境にして、南側はご覧のように対馬暖流が非常に優勢な海域です。それに対して、北緯40度より北側は冷水域が非常に優勢な海域です。さらに南側の海域では、対馬暖流が3つに分流し、蛇行していて、その要所要所に冷水域ができています。これは、この地図でご覧のように、海底地形と深く関連していまして、特に北緯40度付近にある大和海嶺付近で暖流系と冷水域とが混合し、非常に良好な魚場が形成されています。最近は魚を取り過ぎていて漁獲量が減っていますが、これは人工的な問題で自然が関与するところではありません。


 3番目、最後ですけれども、こういった対馬暖流が流れている海面を、中国大陸から非常に乾いた大気が西から東へと流れています。流れてくるときに対馬暖流から湿気を吸収して、脊梁山脈にぶつかることによって日本海側に雪とか雨とかをもたらします。すなわち、水資源を供給しているのです。21世紀の後半は、水資源が非常に大きい問題となることが予測されています。日本海の東側地域におきましては、今、述べましたような水と大気の循環により、水資源に悩まされることはないと思います。

 以上、3点ばかり固有性についてご紹介いたしました。

丹羽

 引き続いて、丸山先生のご専門は地球科学という非常に壮大な学問ですが、自然科学の大きなところから日本海、環日本海地域というのがどのように位置付けられるかをご説明いただけませんでしょうか。

生命史、人類史からみた現代の位置付け
丸山

 私は、まず生命史の中での人類の位置付け、そして人間の歴史の中での現代の位置付け、それからこの問題が日本海の問題とどうかかわるのかという導入の部分のお話をさせていただきます。

 この図は横幅が時間を示しています。これは今から40億年も前の話になるわけです。30億年、20億年、10億年前と、今、我々はここにいるわけです。縦の方の軸は、、縦軸は空間を示しています。これには、まず惑星間空間から我々生命を守ってくれる巨大な壁、磁気の壁、バン・アレン帯というのがあります。それから今問題になっているオゾン層というのは、最近の時代にできた第2の壁であって、これが強力な紫外線から我々を守ってくれるわけです。こういう地球の生命を守る構造というのは昔からあったわけではありません。

 今、人間が環境を壊していると言われますが、一番最初の環境の汚染というのは、実は生物自体が作り出した酸素です。この酸素が我々生物も変えたし、それから地球自体の構造も変えてきたわけです。少なくとも27億年ぐらい前から始まります。

 40億年前に深海の真っ暗闇の海の底、2000メートルの海底で生まれた生命はしだいに生息圈を拡大していぎます。そして体がだんだんと大きくなって、大体6億年ぐらいを境に急速に大型化し、そしてオスとメスに分離し、究極の多様な生物の体を造りあげ、最後に人類が生まれます。

 人類というのはそのほかの生物と違って脳に特微がありますから、100万年前まではオーストラリアのカンガルーと同じようにアフリカの中でしか住んでいなかったのが、知恵を使ってアフリカを脱出していきます。道具を作り、農耕を発明し、そして250年前に科学と工業、産業革命を始めます。そしてこのプロセスの中で我々人間にとっての敵、要するに大型の生物を全部殺していきます。そして今や驚くなかれ、人間の総数は、去年、60億人を突破したわけです。

 こういう状態になって気がついてみたら、我々は生物自体が果たしている地球システムの中の一員としての役割、こういう謙虚さを超えてしまって、我々自身の首を絞めるというところまで来ています。


 これは地球のシステムを描いた絵です。例えば固体の地球の部分があり、それからその外側に海や大気があります。我々生物は、非常に薄い10キロメートルしかない薄い空間の中でが住んでおり、人間は多様な生物の中で許された数をはるかに超えています。そして、気がついたら2つ目の壁、オゾン層を壊し始めている。現在、我々はこのオゾンホールの拡大を含めた地球化学環境の取り返しのつかない破壊ということと、もう1つ世界人口の爆発的な増加という2つの課題を抱えています。これは過去1万年から現在までの間で、かつて経験しなかった困難です。だから、これを速やかにソフトランディングする方策が急務です。この2つを、つまり過去1万年の間1回もなかったこの困難を超えるという転換点に私達はいるのです。この2つをうまく回避して、ソフトランディングするにはどうすればいいか。「賢者は歴史に学ぶ。愚者は自分の経験に学ぶ」ということわざがありますが、これはさらに困難です。たった1回の経験もない過去ですから、歴史にさえ学びようがない。これをどうするかということが、一番重要な人類全体に課せられた課題です。

 さて、富山、日本海がどういうところに位置するか。日本海というのはここですが、この小さな地域であるけれども、後半で議論されるように、21世紀の非常に大きな困難の中でも、ここが火薬庫になっています。そして、このグローバルな問題は日本だけの問題ではありませんから、テストケースとして、この課題を突破するには最も重要なクリティカルな場所が、ここ、アジア東部、そして日本海です。ここで我々が、この21世紀の人類の課題をどうやってクリアするかということをいろいろな方が知恵を絞って突破しなければなりません。そういうことが今、問題になっていると思います。

丹羽

 これまで自然科学の側面から日本海、あるいは日本海地域というものを大きなスケールで見ていただきました。
 今度は民族学、文化・民族という側面から大塚先生、お話をお願いします。

民族学からみた日本海地域
大塚

 私は民族学という観点から、この環日本海地域を見ていきます。

 「逆さ地図」的にこの民族生業図を作りました。北海道にアイヌが古くから先住していたことは皆さんご存じだと思いますが、北海道が日本国家の領域の中に入るのはたかだか100年ほど前、明治政府ができてからです。この図では、北の方に描かれていますが、江戸時代には、北海道島の南、津軽、下北の地方にもアイヌの人たちが住んでいました。さらに、サハリン(樺太)には南の半分にアイヌ、その北にトナカイを飼養しているウイルタがいます。

 それから、アムールの下流域からサハリン北部にかけては、ニヴフという漁労民がいます。さらに、そのアムールの川沿いに様々な先住民が居住しています。ウリチにしろナナイにしろ皆、漁労民でます。特にサケ・マス漁労民です。生業では、アイヌと非常によく似ています。ウデヘは黒澤明が映画化した『デルスウ・ウザーラ』で有名な狩猟民です。そのほかエヴェンキもトナカイ飼養とそれから狩猟を主とする二つのグループがいます。このように現在でもこの地域はこれらの先住民が狩猟活動を行い、サケ・マスを主として捕獲し、サハリン北部においても、あるいはこのアムール流域においてもトナカイを飼っている人たちがいるということです。

 そして、そのトナカイを飼っている地域に、現在、開発による環境破壊を許すかという深刻な問題が起きています。サハリンの北部東海岸のピルトン湾沖合いの石油開発、特に天然ガス採掘と先住民の土地・資源の保全の権利をめぐって利害が対立しています。また、アムール川流域も工業排水などのいろいろな汚染問題があります。この先住民居住領域は、天然資源が非常に豊富です。豊かな漁業資源、それからタイガ地帯ですから森林の木材があります。そして石油資源があり、良質の石炭(無煙炭)がたくさん出るところです。戦前、日本領有時代にもさかんに採掘されました。

 そういった意味で非常に資源的に美味しいところです。美味しいところは、現在も、特に狩猟、漁労を生活の主体とする先住民がいます。現在の日常の装いをみると衣服をはじめ我々と変わらない生活用具を使っていますが、伝統的な彼らの生活基盤というのは自然であり、これとの共生観念を保持している場であることが問題です。

 それから先程、榊原先生がおっしやいましたけれども、この全域、環日本海地域が文化的に非常におもしろいのは、いわゆるアミニスティックと言いましょうか、一神教ではなくて多神教だということです。日本的にいえば八百万の神々を受け入れてしまう。ありがたいものは交通安全のお札でも何でも全てぺたぺた貼ってしまうという文化的な気質の人たちの地域なのです。

 そして採集民地域と私は極端に言いましたが、歴史的に、その採集民地域は都市を造りませんでした。それから文字を持たなかったのです。この図の上の方、朝鮮半島から本州にかけての地域というのは一般的に農耕民地帯で、その農耕民の中から、弥生時代あたりから、都市民が展開してきて、いわゆる初期都市国家が出現しました。その道のりは、皆さんよくご存知ですが、さらにこの地域は工業化社会になっていくわけで、圧倒的に資源を消費する地域でます。

 1つの逸話ですけれども、サハリンの人たちがごく最近私に語ったところでは、「今や、そのサハリンの石油資源や森林資源(特に木材)は、日本が領有していた時代よりも激しく中央政府に収奪されている。原油も99%コムソモリスク・ナ・アムーレに送られてしまって、そこで精製されてサハリンに戻ってくるのはたった1%だ。いま開発中の天然ガスも同じ運命をたどるだろう」と、そういう地域のために資源が活用されていないところだということです。

 簡単にまとめますと、こういうことになるのではないかと私は思います。この環日本海は、歴史的に円環状のネットワークを持っており、先住民地域、特に採集民地域と、農耕民的な地域とが陸路、海峡をものともせず全部うまくつながってずっと循環してきた歴史と交流がある。

 特にその循環の一番典型的な例を挙げますと、中国製の錦(いわゆる蝦夷錦)がアムール川流域を通り、サハリンを経て、アイヌの手を経て、さらに松前藩に渡り、あるいは松前の商人と交易され、本州に入って、京都の祇園山鉾を飾る懸装品に用いられている。日本文化のまさに核心をなす象徴的な場を演出する道具として欠かせない。アイヌの手を経て北まわりで渡ってきた中国錦を近世の日本文化か受容している。

 ですから、たかだか100年ちょっと前までは、ある意味でこの図の上半分の部分、農耕民社会がターミナルとして、図の下方の先住民地域をも含む環日本海地域全体が機能していた。しかし今、この都市部が突出して資源を大量消費して、先住民地域を非常に脅かしているというのが一般的な構図ではないかと思います。

丹羽

 次に藤田先生、先生は考古学がご専門で、特に玉の文化については造詣が深いと聞いています。この玉文化というものの固有性、そういうものからこの地域を語っていただきたいと思います。

玉文化から見た日本海の交易
藤田

 私に与えられた課題は玉文化ということですが、玉と言えばヒスイ(翡翠)が真っ先にあげられます。今日も1階のフロアに縄文時代中期の硬玉製大珠、あるいは弥生時代のヒスイの勾玉等が展示してございます。後程、ゆっくりと見ていただければと思います。

 その中に富山県氷見市の朝日貝塚で出土した硬玉製大珠があります。長さが15.9cm、日本で一番大きなヒスイでつくられた遺物で、重要文化財にも指定されています。それからもう1点飾ってありますけれども、これは平村の下梨で出たもので、14.2cmあります。朝日貝塚に次ぐ最大級のヒスイ玉です。

 富山県人はヒスイと言えば「ああ、姫川」とすぐ思い浮かびます。それで、ヒスイを縄文時代の人が加工しているということがすぐに認識できるわけです。世界全体から見ると、さまざまなところに産地があります。しかし、そのヒスイを使った、あるいはヒスイを加工して装身具とした地域は、実は新石器時代には世界でも2か所しかありません。そのうちの1か所は太平洋東海岸のメソアメリカと呼ばれているところ、中米です。その中で僕らがよく知っているマヤ文化、これが紀元前2500年ぐらいです。そこでは亡くなった権力者の仮面などにヒスイを加工してちりばめています。同じ地域にオルメカ文化がありますが、それもヒスイ文化を持っています。それは紀元前1500年以降のものです。

 もう1か所はもちろん日本列島です。縄文時代前期の終わりぐらいから後期の初めぐらいまで硬玉製大珠を、ヒスイで加工しています。大きくみれば縄文時代中期という時代、これは後程時間をいただいて詳しく説明したいと思いますが、今から5000~4000年ぐらい前(紀元前3000~2000年)のことです。先程のマヤ文化が紀元前2500年くらいということですので、新石器時代の中でも日本列島の縄文文化でのヒスイ加工は、世界でも最古段階で行われているということになります。

 実は、昭和の初めぐらいまでヒスイは日本列島に産出しない、それらはビルマ産だと言われていました。ビルマは、現在のミャンマーのことです。あるいは中国産だとも言われておりました。ただし、中国産説は、清代以降にミャンマーから中国へ輸入されたものを誤解して言っております。中国そのものには日本列島の遺跡で出土する硬玉ヒスイの産地はありません。

 そういったヒスイの産地は、日本列島全体で言えば10か所ほど確認されています。長崎県から北海道まで産地があります。そのうち縄文時代の人がヒスイを加工した場所、あるいは利用した原産地は限定されます。どういった地域に限られるかといいますと、新潟県の糸魚川市に河口を持ってる姫川上流の小滝川があります。そこからもう少し富山県寄りに青海町があり、青海川という川がありますが、その上流域の橋立地区。それと、もう1か所は富山県朝日町の宮崎海岸、これは原産地かどうかはわかりませんけれども、1つは姫川に流れ出た小滝川のヒスイが朝日町の宮崎海岸に打ち上げられたという考え、もう1つは宮崎海岸の海底にヒスイの鉱脈があり、それが打ち上げられたのだという考えがあります。つまり、小滝川と橋立地区、そして宮崎海岸の3か所が産地として知られています。

 これらの産地は、理化学的な分析によっても、日本列島で縄文人、あるいは弥生、古墳時代の人々が使っている唯一と言っていいぐらいの例です。そして、産地の周辺では、大きなヒスイ玉、すなわち硬玉製大珠を作り加工している遺跡が集中して見つかっています。その代表的なものに、糸魚川市の長者ケ原遺跡があります。それから青海町には寺地遺跡があります。そして宮崎海岸、朝日町には境A遺跡があります。境A遺跡では、ヒスイ大珠の未成品や加工品1万点以上を出土しています。それらは重要文化財に指定されています。富山県埋蔵文化財センターに行けばそれらが展示されております。

 この北陸地域では、5000~4000年前に盛んにヒスイを飾玉に加工しています。加工しているだけではなくて、交易品として日本列島全域に持って行っております。そして、現在わかっている最北端は北海道北端に礼文島がありますが、そこの船泊遺跡で糸魚川産、つまり当地でつくられたヒスイの大珠が出た。では、南はどこかといいますと、鹿児島県の種子島です。種子島の西之表市の現和巣という遺跡がありますけれども、種子島にまで運ばれています。さらには最近沖縄本島でも出土したといった情報もあります。これら日本列島の北の端と南の端、礼文島と種子島そして沖縄も島です。島から出土するということは、言い換えれば日本海を縄文人が丸木船で運んでいったことを示しているのです。

 ですから、縄文時代はこれまで貧しくて閉鎖的な社会であったという1つの教科書的な理解の仕方がありましたけれども、そうではなくて実は、日本海を縄文時代中期にはかなり自在に列島の北から南まで行き来している。その当時、日本海をルートとした交易社会のネットワークがすでに確立していた、そういった社会が既に成立していたものと思います。

丹羽

 かなり昔から、この日本海を通じて交易がなされていた事例についてお話をいただきました。
 次に、安田先生は環境考古学のご専門でありますが、先生には、こうしたいろいろな事例を踏まえて文明の交流という側面からこの地域を語っていただきたいと思います。

日本海によって生まれた森の文明
安田

 先程、榊原先生からご講演がありまして、私たちは21世紀というのはグローバル化の中で「日本人とは何か」「日本文化というのはいったい何か」というアイデンティティを問われる時代であるとおっしやられました。アイデンティティ戦争というのもあるらしくて、いろいろな方が日本人のアイデンティティを主張しているわけですが、私も長い間持論を展開しています。

 それは、日本人というものは「森の民」である。そして日本の文化は「森の文化」であるということです。そして、日本の文明も「森の文明」である。

 21世紀、日本がどういう国家になるべきか、それは「森の環境国家」をつくれと僕はもうこの20年ずっと言っているのですが、だれも私の意見に耳を貸してくれる人はありません。むしろ川勝平太さんの「海洋連邦論」の方が有名になりまして、「森の環境国家論」はなかなか注目されないのです。たまたまこの日本海学というこういうシンポジウムをやることができるようになり、私にとっては大変うれしいところです。というのは、日本列島を「森の日本列島」とし、日本に「森の文化」をつくったその根源はどこにあるかというと、実は日本海なのです。日本海がなければ日本列島は「森の国」ではないし、「森の文化」も誕生しなかったのです。

 先程、小泉先生がおっしやったように、対馬暖流という暖流がちょっと入るでしょう。入ったらすぐにたくさん雪が降って、温帯の落葉広葉樹の森、ブナやナラが茂るような森がいち早く世界の中で成立するのです。地球は1万4500年前に寒冷な氷河時代から後氷期という温暖な時代に変わりました。そのとき世界中で温帯の落葉広葉樹、つまりブナやナラの落葉広葉樹の森がどこで一番最初に拡大を始めたかというと、この日本列島なのです。どうしてそれが起ったかというと日本海の影響があるからです。

 日本海があることによって日本列島に「森の文化」が育まれたわけですが、もう1つ大きなことは、日本海があることによって大陸から日本列島の「森の文化」を守ったのです。

 「森の文化」に対決する文化は「家畜の民の文化」です。アングロサクソン、漢民族、これは皆、畑作牧畜民です。その畑作牧畜民の文化の嵐から、実は日本海は「森の文化」を守ったのです。日本海があることによって「森の列島」ができただけではなく、その障壁によって牧畜民が日本列島にやってくるということがなかったのです。戦後、江上波夫先生が「騎馬民族国家」というのを言われましたけれども、これは信用できません。それは日本人のアイデンティティというものを大きく見失わせる方向に持っていきました。実は、日本人というのは「森の文化」であって、家畜とは全然関係ないのです。我々は去勢ということができません。宦官もいません。これはやはり森の文化だからできないのです。では何をやったのか。それはお米づくりと魚を取ることなのです。

 さらにもう1つ大塚先生が言ったように、幸いなことに日本海の沿岸大陸には優しい国民が住んでいたのです。狩猟、漁労民が住んでいた。牧畜民はいないのです。だから、そういう面でも牧畜民からの文化の影響がなかった。それゆえに、日本の「森の文化」が守られたということが私の問題提起です。

2.日本海学と21世紀文明の創造

丹羽

 さまざまな側面から、この日本海、あるいは日本海地域の固有性についてお話をいただきました。

 先程申しましたように、日本海学では3つの視点を重視しています。1つは「循環」の視点です。1つは「共生」の視点です。もう1つは「日本海」の視点です。今度は、日本海地域の固有性というものを踏まえ、こうした3つの柱から文明の創造に視点を置き、それぞれの分野からお話をお伺いしたいと思います。

 まず小泉先生、豊かな文明を育んできたこの日本海、環日本海地域の自然循環体系の特徴について簡単にお話をいただけませんでしょうか。

日本海の循環
小泉

 それでは、再びOHPを使いまして日本海の「循環」と「共生」について簡単に述べます。

 冒頭で、黒潮の分流である対馬暖流が日本海で一方通行の海流であるという話をしました。入ってきてから出るまでに大体2か月ぐらいかかります。ここでは垂直に見た場合の日本海の水深の分布について示してあります。対馬海峡から入ってくる対馬暖流の厚さは大体50mくらいです。この対馬暖流はもともと黒潮起源ですから塩分濃度が非常に濃くなっています。その海流が北上するにつれて表層の海水温かだんだん下がっていきますから、密度が大きくなって沈降していきます。

 ご存知のように対馬海峡、津軽海峡の水深は、現在、130mぐらい、それから宗谷海峡が大体55mぐらいです。間宮海峡にいたってはずっと浅くなって12mぐらいです。そうしますと、北へ上がって沈降した対馬海流は津軽海峡や宗谷海峡から外側の海(外洋)へ出て行くことが非常に困難になり、日本海の深層、あるいは低層に停滞することになります。これを「トラップされる」と言います。この滞留年数が大体300年~700年くらいです。これが、日本海固有水と呼ばれる深層水の正体です。最近、富山県でも非常に深層水の効用・効果がブームになっています。日本海の深層水は、例えば高知県室戸沖の深層水とは、成因がまるっきり違います。そのことが、大事なことの1つです。


 それからもう1つ、富山県で特徴的なこととして、アルプス連山で代表される富山県の周辺を被っている3000mクラスの山があり、そこへ雨が降ったり雪が降ったりします。一方、「富山深海盆」は大体マイナス2000mらいです。そうしますと、落差が5000mぐらいとなり、激しい急流となって河川水が日本海に流れ込んでいます。

 こうした河川水の1つの形態は地表を流れて行く地表水であり、流れていく途中で直接的に蒸発します。もう1つは地下水です。3つ目は、植物を通して間接的に蒸発(蒸散)していきます。大気中に溜まりました水蒸気は雲になり移動して、これは水蒸気移流と言いますが、雨になったり雪になったりします。今、述べましたような地表水と地下水が富山湾の深層水を構成する1つの大きな要因になっているわけです。

 後でまた述べますけれども、その「共生」には外部共生と内部共生との2つがあり、こうした循環系の中での「共生」という問題を考えるときの「共生」というのは外部共生のことです。


 今、お話ししました海に流れ込む河川水の1つは生活排水、それからもう1つは工業排水です。こういった排水を規制することによって、河川水を汚染しないようにしないといけません。特に日本海は、周辺を陸地で囲まれたいわゆる閉鎖海域ですから周辺の陸地が海に影響を及ぼします。海がまた、周辺の陸地に影響を及ぼすことは先程申し上げたとおりでます。これはまさに共生関係になっているわけです。

 河川水だけではありません。大気中から落ちてくる降下物、それから雨自体も汚染されています。この代表としては、皆さんご存知の酸性雨の問題等があります。これは最初にお話ししましたように、大気が西から東へ移動してくる固有性によりまして、風上にある韓国、北朝鮮、中国の影響を風下の日本海と日本列島が受けるわけです。したがって、隣国との関係を非常に良くしておいて、風上にある国から汚染物が我が国に流れてこないようにしないといけません。あるいは、例えば二酸化炭素、硫黄ガスの制御をするための技術的な援助をするということが必要になります。

 3つ目としては、海を航海する船から直接的に排出される汚染があります。こういった汚染をできるだけ少なくしていく必要が出てきます。このためにも、周辺の人たちと仲良くして環境の防止等を考えていかなければなりません。

 先程、丸山先生が話されましたように、私たち生物というのはこの地球上に約40億年くらい前の古い海の中に誕生しました。そして、今から4億年くらい前になってから、ようやくその海から陸上に植物を先頭にして上陸してきたわけです。そのせいかどうか、いまだに海から脱出できないというか、切り離すことができない、例えば、皆さんご在じの両生類という仲間がいます。私たちも非常に海に対するあこがれが強く、その基底にはやはり私たちが、4億年前に自分たちの本当のふるさとである海から陸地へ上がってきたという思いが非常に強いのだと思います。自分たちのルーツであるところの海をきれいにして守っていって、一種の潤いというものを得る必要があります。したがって、海環境、特に海と陸の接点である渚を大事にしないといけません。

 以上、「循環」と「共生」ということで、海の方から少し述べてみました。

丹羽

 引き続き、丸山先生に、今の話を踏まえて、未来の文明を支えるこ日本海環境の役割についてお話をお願いいたします。

閉鎖海域の環境の限界
丸山

 はっきりした答えをすぐに申し上げることができないのですが、ヒントは差し上ることができると思います。

 先程、例えば人類の歴史を1万年前に遡っても、過去に例がない異様な時代に我々はいるということを申し上げました。なぜ、こういうことになったのか。特にここ250年、産業革命、人間の知性が爆発的に発展したことに原因があります。このカーブは異常です。このカーブを見たらおわかりのように、ものすごい勢いで世界人口が増えていきます。これは人間の数だけが増加するというわけではなくて、同時に人間が文明というものを手に入れたことと同義です。これは人間が積み上げてきた知識から原理を発見して、その中で人間の本能に火をつけたということが一番の本質です。

 例えば、市場原理というのはその本能を刺激するシステムです。宗教というものを発明して、人間もっと謙虚にといっても、これはもう仕方がない。これは遅かれ早かれ必ず起きたことで、人類が必ず通過しなければいけない通過点を通ったわけです。

 問題はこの物質文明ですが、文明というのは、漢字を見ても意味はよくわかりませんが、英語をそのまま訳すると「生活が都市化する」ということです。だから、目に見える文明というのは、例えばここ、我々の目の前にあるものすべてが文明です。服も、建物も机もイスもマイクもともかくすべて文明なわけです。これは人間の本能を刺激する。美味いものを食べたい、いい物を着たい、ありとあらゆるそういう刺激に直結していますからやっかいです。

 我々は、例えば縄文時代に帰れといってもそのままでは帰れない。どうしてかというと、もう今や、人類というのは「文明の家畜」になってしまっている。家畜というのは自然に返したら生きていけない、そういうところまで改造が進んでいるからです。だから、これをどうやって回避するかというのは非常にやっかいで、複雑な問題です。ただし、そういうことを言っていてももう時間がありません。

 同時に、この文明を支えたのは何なのかというと、化石燃料です。石油をはじめとする化石燃料の一方的な消費、これはいわば地球が40億年かかって蓄積した貯金です。貯金をあっという間に使っているわけです。化石燃料は無限にあるわけではない。

 これは榊原先生が先程の講演でおっしやられた、ローマクラブの1970年ころの人類の未来予測です。ここが1900年で、ここが2100年、我々は今ちょうど真中にいるわけです。今から30年前にこの予測がコンピュータを使ってなされたわけですが、過去30年、世界人口の予言というのはほとんどぴったり合っています。ちょうど西暦2000年のところで1億人ぐらい下方修正があったのですが、それは中国が頑張って一人っ子政策をやったからです。これはほとんど合っている。一方、資源というのはどんどん枯渇して、今から20年後に交差する。ここが、世界全体がある種のパニックになる非常に重要な通過点です。実はもう既に徴候が現われているというわけです。だから、時間がない。

 もう1つ重要なことは、この化石燃料の消費を考えると1000年後には確実に残っていません。

 こういうことを想像してください。逆に今から1000年前の生活を考える。そこには現在のような文明はなかった。今から1000年後には、そういう状態に立ち戻る可能性がある。もちろんそのままではいかないと思いますが、そこが我々が今考えなければいけない視点です。「文明の家畜」になった人間が、そこから逃れられないという宿命を持って、なおかつ過去1万年の歴史に学ぶ例がない。それをどう乗り越えるかということが問題の本質です。文明は便利です。例えばすべての家庭に水を引いて(水道)、いろいろな料理をしている。しかし、そこから出てくる水は、我々の場合はこの日本海という海、これは3000mという深い海ですけど、100mか200mぐらいの小さな出口が四隅にあるだけです。だから、我々の生活排水、例えばシャンプーを使ったときの鉛とかは、一方的にここに溜まって濃縮していくだけです。この日本海の周りで、人類に課せられたこの環境問題をどうやって突破するのか。そうして1000年先、これは手の届く未来ですね、1000年前を考えたらわかります。手の届く未来に、どういうかたちでこの海というものを中心に周辺国家との交流、そこには覇権国家みたいな国家がいくつかありますが、その国とどうやってうまく協調しながら早急にサバイブできるシステムを作りうるかということがポイントだと思います。産業革命後、イギリスがじゃんじゃん廃棄物その他を流して苦しんだ北欧の例というのが、1つの参考になるかと思います。

丹羽

 「循環」と「共生」、特に自然と人間の共生という側面から大きな問題が将来起るであろう、我々は価値観の変換を迫られているというご指摘だろうと思います。

 今度は、人間と人間の共生、民族の交流について大塚先生からお話をいただけませんでしょうか。

地域交流システムの形成
大塚

 人類というのは、先程からも丸山先生の図でもおわかりのように、急激に1万年ぐらい前から入口が爆発的に増えて、そして資源を消費するという状況になってきたわけです。我々民族学というか、文化人類学的な立場から見れば、人類史というのは群を作る集団の規模をしだいに大きくしてきたといえます。そして、我々はいろいろな群から国家という巨大な群の組織原理を生み出した。今や、その国家と民族という人間をたばねる原理と価値観などの文化が大きく桔抗して、対立して、戦争や経済格差などいろいろな問題を起こしているわけです。

 国家というのは、皆さんご存知のように領土主義、領域主義と言いましょうか、一定の土地を国境で囲い込むわけです。国土には数多くの民族が囲い込まれるのが通例です。世界中、ほとんどの場合は多民族多文化国家です。幸いなことなのか不幸なことなのかわかりませんが、日本列島は島国だったために、安田さんが言われたように、万里の長城ではないけれども防波堤のように日本海があったために、あまりたくさんの民族がそこにやってこられなかったと言えます。そのために、のほほんとした、何か曖昧なる日本というようなことで表現される集団意識の文化が出来上がったのかもしれませんが、曖昧なることは逆に言えば、多神教的価値観でいろいろな文化を自由自在に取り入れて、軟構造の文化をつくりあげてきたのです。将来展望としては、21世紀の日本にとって、その役割を注目したいと思います。この日本文化の軟構造性というのはこれから大きな意味をもってくるかもしれないと思うわけです。

 そういう意味で、先年1つの例としてソビエト社会が崩壊したときに、ロシア民族主義に戻れということでロシア人の結合が強められました。ロシアというのは150以上の民族がいるそうです。いるそうですというのは、我々民族学者でも明確にわからないのです。というのは、ソビエト時代にスターリンがつくった民族というのがありまして、そういうことを話していると時間がないのですが、民族というのは常に再編されつくられることもありうるわけです。いわゆる国家という大きな支配構造の中で、つくられていく民族というのあります。ですから、いきおい民族にかえれとかという過剰な民族主義も非常に危険なものを持っています。そして、復古調が拡がりニコライ2世の肖像画まで飾られて、非常に右傾化した時期もあります。今でもそういう部分がかなりあります。このように国家が崩壊すると民族的アイデンティティが意識されて、ここに戻る。この民族という集団原理は、民族学の立場でいうと、文化を同じくする集団であり、仲間、同族であるという意識を共有する、同じ言葉を持つ、宗教、信仰など同じ価値観を持つ。でも、そういう偏狭なものの考え方、狭い意味の民族主義だけでいくと、先程、榊原先生の基調講演にありましたようにこれからのグローバリゼーションがこの環日本海地域にどういうふうに適用できるかという処方箋は難しい。

 ソビエト連邦が崩壊した時にとても印象的だったことがあります。この時、先住民社会は非常に元気だったことです。食料をはじめ、いろいろな生活用品の供給がなくなって先住民はどうしているのだろうかと私は心配しました。しかし、彼らは野生の植物食料をたくさん利用していました。ソビエト社会では小麦と砂糖、それに紅茶が嗜好品で、この3つがあれば基本的に生活できるわけです。つまり、砂糖があれば野生の果物(ベリー類)でジャムをつくって、パンを焼いて、山に入れば時々肉も獲れ、それから川には拾うように獲れるサケ、マスが群れをなして遡上してくるわけです。この豊かな資源がある。ソビエト政権下においては先住民を優遇政策で一定の保護をしていました。先住民漁獲枠というサケ、マス漁などの権利があり、それで先住民は今でもその権利の恩恵を受けており、有利な部分を少しは持っています。

 今まさに国家と民族のあるべき姿というものが問われているわけです。この環日本海地域で新たなる巨大な文化的ネットワークと言えばいいでしょうか、環日本海という地域において国家という垣根を乗り越えて、榊原先生の言われる大きな地域交流システムをどう創っていくか、この点が我々に課せられたこれからのテーマではないかと思うわけです。

 舌足らずですが、時間ですのでこれで終わります。

丹羽

 ただいま非常に重要なお話があったかと思います。グローバリゼーションが進むと、この中で我々グローバリゼーションというとすぐ競争ということを考えます。しかしながら大塚先生の話では、民族、あるいは人々が共生をしていくためには軟構造の文化が創出されなければならないということをおっしやったわけで、非常に興味を抱かせていただきました。
 次に藤田先生、先生は先程、玉文化、玉というのが海というものを通じて非常に幅広く分布しているという話をされました。ただ、玉というものそのものにも価値観があり、その裏側に思想があると思いますので、そういう側面から何かヒントがありませんでしょうか。

縄文時代からの文化の相互理解
藤田

 思想という部分に関しては、考古学ではなかなかわかりにくいところがあります。私がやっております玉の研究でいえば、いわゆる物質文化的なところから切り込んでいくという方法ですので少し硬い話、もともとヒスイは硬いものですから硬い話から入ります(笑)。

 1階のフロアに展示してありますあのヒスイ、ヒスイというのは商品名です。厳密に言えば硬玉(硬い石)という文字を書きます。どれぐらい硬いかということですが、硬度が6.5~7.5です。こう言ってもピンとこないと思います。よく私のところへ「これヒスイですか。どうですか?」と海岸で拾った石を持ってこられる方がおられるのですが、「これはヒスイじゃないよ」と言いますと、「藤田は本当はヒスイなのだけれども捨てたあと拾おうと思って言っているのかな」(笑)という勘繰りをされるかもしれません。本物かどうかを探るには、いろいろな科学的な方法があるのですが、簡単には硬度や比重を測る方法があります。カッターナイフの刃の硬さは大体硬度5です。ヒスイが6.5~7.0.ですから、カッターナイフで傷をつけても傷がつかない。しかも、比重は3.3前後と日本列島の中では他に類例をみない非常に重い石です。日本列島の中でヒスイより固い石は、サファイア、金剛石、あるいは水晶があります。実はヒスイは、そういった非常に硬くて重い石なのです。これで性質についてある程度ご理解いただけたかと思います。

 1階に展示してある氷見市朝日貝塚の硬玉製大珠は、厚さが約5cmあります。その孔のあけ方をご覧になっていただきたいと思います。上から下までほぼ垂直にストンとあいております。あんな孔を金属を持たない縄文時代の人がどうやってあけたのか、これはすごく不思議です。

 それを解明する手がかりがあります。先程、富山県朝日町の境A遺跡では未成品などが出ていると言いました。未成品の中に孔のあけかけのものがあります。半分ぐらいしかあけていない直径0.5cmぐらいの孔の底をのぞきますと、底に出べそみたいに飛び出したものがあります。突起物が出ている。突起物があることから筒状のものが回転して孔をあけたということがわかります。その筒状の工具は細い竹だろうと思います。金属器のなかった時代に自然物の中で細い管状のものを探すとすれば篠竹のようなものしかありません。その細竹を回転させながら、海岸にある砂を水と一緒にかけます。海岸の砂の中には細かな石英などが混じっています。石英は硬度が7.0ですのでヒスイより硬い、あるいはコランダム(鋼玉)の小さな粒が入っています。そういったものが媒介となって孔をあけるのです。

 すなわち、縄文時代中期、約5000年前に、突如としてその硬い石・ヒスイが使われ始めます。それより前はどんな石が飾玉に使われているかというと、装身具のケツ状耳飾りは滑石という爪ですら傷がつく軟らかい石です。これが縄文時代の前期に使われている。それがある日、その硬い、もうナイフで削っても傷がつかないようなヒスイが突如として使われはじめます。ですから、その使われ始める一番の契機は、管状の錐の登場にあっただろうと思われます。それで、管状の錐というのは縄文時代中期の初めぐらいにおいては、今の産業革命にも匹敵するぐらいのハイテク技術であっただろうと私は評価しているわけです。

 縄文文化を日本列島の中だけで考えていると、それはもう突如として出現したというしかないのです。ところが対岸のアジア世界、日本海をはさんだ対岸に目を向けてみますと、そこに管錐がある。中国江南地域に、良渚文化があります。良渚文化は放射性炭素年代測定によると、紀元前3300~紀元前2200年に栄えた文化です。すなわち、今から5300年から4200年前に栄えた文化です。この文化の一番の特徴に、さまざまな玉器を持っていることがあげられます。その石材は何かというと、透閃石(とうせんせき)や陽起石です。それらの石の硬度は6.0~6.5で、ヒスイよりちょっと軟らかいです。けれども、カッターナイフより硬い石です。それが中国の玉器文化といえばもう「良渚文化」というくらいの代名詞みたいになっています。その文化の玉器に孔をあけるのは何で行われているかというと、すべて管状の錐を使っています。

 すなわち、東アジア世界の新石器文化の中で日本海をはさんだちょうど向かい側に、同じような時代に同じように管状の錐を使った穿孔玉器の文化が登場しているのです。そしてもう1つ、これはちょうど4000年前、縄文時代中期の一番終わりくらいの時代になりますけれども、香港、マカオ、フィリピン、そういった地域にやはり管状の錐を使って作られた装身具が登場してきます。それは良渚文化の管状の錐が伝播したことによって出現したものと思われます。それらの地域では水晶でつくったケツ状耳飾りが爆発的に登場します。水晶は硬度が7.0、ヒスイの一番硬いものほぼ同じぐらいの硬さです。

 すなわち、アジア世界全体を見ていきますと、非常に硬い石が今から5000年ぐらい前に共通して一気に使用され始めます。そして、最大の技術として管状の錐を共有しています。すなわち、そこにはお互いにつくっている製品、中国社会で言えば、良渚文化の璧、琮、筒形器、腕飾りなどの全てを管錐の技法で作っています。日本列島では硬玉製大珠、それからマカオ、香港において耳飾りといったように、それぞれ材質や玉器の種類は違うけれども同じ管錐穿孔の技術を共有しています。これは技法の相互影響の現象であろうと思われます。こういった意味でいえば、日本列島の縄文文化のなかの硬玉製大珠は、これまで日本列島の中だけで理解されてきましたけれども、実はそうではなくて、アジアの世界の大きな玉器文化の中で連動して出現してきているのだろうと思われます。

 こういったようなことを通して、「共生」を私自身の日本海文化を考える場合の考古学的ヒントとしております。

丹羽

 硬い玉というもの、これに孔をあけるという技術を通して文化の相互の理解というのが昔からあったのだという話をしていただきました。どうもありがとうございました。

 それでは安田先生、先程この地域は「森の文明」であると、そして日本海というのは「平和の海」であるというようなご趣旨の発言がございましたが、この「平和」という概念、これは「共生」と密接につながっていると思います。この21世紀、平和文明の創造という観点から何かヒントになるような話をお願いできませんでしょうか。

長江文明からの伝播
安田

 私は過去10年間、長江文明というのを研究しています。今まで中国文明の源流というのが黄河であったと言われていました。ところが、1990年代から長江流域に稲作と漁労を中心とした新しい文明があるということが注目されたわけです。その文明が、まさに今、藤田先生がご報告された「玉」というものをシンボルにしているわけです。城壁が1100mも続いているような巨大な都市が6000年ぐらい前から出現している。しかし、金属器と文宇はないわけです。その代わりに玉があるわけです。だから、日本の考古学者の大半はそれは文明ではないと言っています。

 先程、丸山先生が文明だ、文明だとおっしやったその文明というのはどういう文明かといいますと、実はそれは「家畜の民」の文明なのです。つまり、メソポタミアもインダスもエジプトも黄河も、これは畑作牧畜民がつくった文明なのです。ところが、それとは違う文明がもう1つ人類史上にはあるのです。それが稲作漁労民の長江文明であったり、「森の文明」としての縄文文明なのです。もう1つ、藤田先生もおっしやいましたが、マヤやインカというのも家畜を持たないのです。リャマやアルパカというのがいますけれども家畜ではないのです、あれはヒツジやヤギとは全然違うのです。つまり、家畜を持たない文明というのが、実は人類史にあるのではないかというのが私の最新の仮説なのです。そして、そのシンボルこそが実は玉なのです。

 皆さんが今日見られた玉というのは、これはまさに「森の文明」のシンボルです。だから、我々は縄文時代以来そういう森の文明をずっと持ってきた。持ってきたけれども、21世紀はどういう世界になるか。それはまさに、「家畜の民」の文明の支配に我々が屈服する時代です。

 アメリカはまさにアングロサクソンです。それまでは「森の民」がいたのです。アメリカインディアンというのは「森の民」です。ネイティブアメリカンと同じように、1万年も森の中で森の文明を発展させた。そこヘヨーロッパから家畜、ヒツジやヤギを連れた人が行ってあっという間に森を食いつぶした。わずか300年でアメリカの森の80%が破壊された。オーストラリアもそうです。ニュージーランドもそうです。皆、家畜の民が爆発的に拡大をして、そして森を食いつぶしたのです。

 あるいは、中国もそうです。長江文明という文明を担っていた民族というのは今の漢民族ではありません。もともとそこには、現在の雲南省とか貴州省にいるような少数民族が文明をつくっていたのです。越人です。だから、この富山の越中国の皆さんの先祖です。その越人が長江文明の担い手でした。ところが、北方からその家畜の民が爆発的に拡大をしてきて追い出されて、一部の人は雲南省へ逃げていって、一部の人が日本へやってきているのです。どこへ来たのか。この富山県に来たのです。だから、ここは越の国というのです。わかりますか。いや、本当ですよ。これはもう最近わかってきた事実ですから、本当に信じていただきたいと私は思うのです。そういう歴史がわかってきたわけです。

 21世紀という時代は、本当に大変な時代です。我々が雲南省へ行くと本当にほっとするのです。なぜ、ほっとするか。それは彼らと少数民族と日本は同じ「森の文明」を持っているからなのです。ところが、中国の漢民族が台頭したりすると、先程、榊原先生もおっしやったようにどこでもそうですが、ヨーロッパ人がいたらそのリゾート地を自分の土地だと囲い込むわけですね。ところが、日本人や少数民族はそういうことはできない。なぜできないか。それは自然に対する畏敬の念があるからです。我々は自然は自分のものではないという考えがあるでしょう。そういうものも自分のものにしたら「ばちがあたる」という考えがあるわけです。山は皆のもので、神様がいるところであって、そんなもの自分が囲い込んでペンションを建てたりするところではないという考えがある。だから、できないのです。そういう自然への畏敬の念というのは「森の民」の1つの大きな特色です。

 それから、私はもうこれは声を大きくして言いたいけれども、おかしな考古学者がいるのです。「縄文時代に奴隷がいた」と言うのです。奴隷がいたと。奴隷というのは、これは家畜の民が家畜をコントロールするように、人間の社会にその家畜をコントロールする方法を適用したものです。だから、「森の民」にとっては、奴隷をつくるとか植民地をつくるということはこれはありえないことなのです。我々の文明の原点には、そういう「森の文明」の原点というのがある。しかし残念なことに、その「森の民」「森の文明」をもった人々は現在の世界では少数民族になっているという意識が現在の日本のリーダーにはまったくない。

 例えば、IT革命で英語は必要です。しかし、「英語を第二公用語にしよう」などということを平気で言う。榊原先生も「ミスター円」などと言われて、経済的な大国だと思われたかもしれないけれども、実は文明史の中では日本民族というのは、いまや滅びゆく少数民族なのです。「森の民」というのはそういう少数民族なのです。その視点をきちんと持たないと21世紀の日本は危ないですよ。

 では、どうすれば生き残るか。それも私は全部処方箋を書いているのです。それは、我々の「森の民」の原点というのは稲作なのです。先程言ったでしょう。例えばアメリカの農業も全部これは地下水を大量に使うストック依存型の文明なのです。21世紀に文明が何によって危機に直面するかというと、これは水です。いくら北京が頑張っても水だけは手に入れられない。ところが、日本は森がある。そして、小泉先生が仰ったように、森から豊かな水が流れてきて循環的な生活ができる。日本の稲作農業というのは一切地下水を使わないのです。そして、流域というものを単位にした稲作農業、上流の人、中流の人、下流の人が流域というものを単位にして循環的な生活をずっとやってきたわけです。そこでお米をつくって、おいしい魚を食べて生きていく。これが21世紀の日本が生き残る戦略です。

 ところが、そういうことも今の政治家はまったくわかっていない。どんどん安い中国製とかいろいろな食料を輸入して、今や日本は世界の食料の輸入大国でしょう。そういうことをやっていたら、21世紀いったい何か起こるかもう目に見えています。ちょっと興奮しましたけれども、この辺でやめます。

3.日本海学への期待

丹羽

 2番目の柱であります文明の創造という観点からこの地域を見ていただきました。
 自然科学の小泉先生、丸山先生からはこの地域の環境の保全ということが非常に重要であるということを語っていただきました。また、人間の共生という意味では軟構造文化というのが今後必要になってくるのではないか。それから、考古学の立場から見てみると、文化の伝播の中にはソフトウエアの伝播が含んでいる。これは文明の、あるいは文化の相互理解という上に成り立つのだという話もございました。最後に、安田先生からは、「森の文明」、自然を畏敬する文明でなければならないと。これこそが循環システムに優しい文明なのだと、こうあらねばならないという話がなされました。全体をまとめるのは大変ですが、今後、日本海学の、これをまとめていくのは課題であろうと、かように思っていますので、次に進ませていただきます。
 3番目の話として、この日本海学というものにどんなことを求めるのか。今、3つの柱で語っていただきましたが、さらに日本海学という学についてこれに託す夢を語っていただきたいと思います。
 それでは小泉先生、先生は海域ということを先程から非常に重要なファクターとして述べておられますが、この新21世紀を支える海域の重要性について、今一度話をしていただき、そして日本海学というのがどうあらねばならないのかということをお話しいただけませんでしょうか。

日本海を守る
小泉

 最後の機会になりましたので、私なりのまとめをしておきます。

 先程、河川水が最終的に海に流れ込む話をしました。どうして高い山から低い海の方に水は流れていくのですか?これは地球が重力の場の中にあるからですね。したがって、最終地としての海の中にはいろいろなものが入り込んできて蓄積します。地球表層におけるエンドメンバーとしての海の状態がどうであるかという目配りが、私たちがこれから先も生存しつづけていくために必要でしょう。私たちが周辺の環境と一体となったときのいわゆる外的共生関係を占う1つのスケールとして海は非常に大事になってくると思います。

 先程、お話ししましたように危機が追っていまして、日本海は日に日に汚れてきています。汚れた結果が私たちにどういう影響を及ぼすかという危機感から、この第1回目のシンポジウム、それから刊行物で提唱しています「日本海学」いうものの必要性、あるいは必然性が謳われているわけです。ここで、この日本海学の4つの柱についてもう一度復習してみましょう。

 1つ目としては、日本海および環日本海地域の環境いあるいは政治・経済の危機の問題があります。その危機を回避するための共生。この共生は先程お話ししましたように自然との外部共生と人間同士の内部共生の2つが共生の問題にあるということを知っておく必要があろうかと思います。刊行物の中に詳しく書いてありますので、後程読んでいただくことを前提にしてスキップしましょう。

 2つ目の柱は日本海、環日本海地域の文化です。文化というのは、私たち人類が生存している証なのです。人類の精神活動が文化というかたちになって現われてきている、あるいは歴史の上に証拠づけられているレそういう意味で、歴史を勉強することによって私たちはどういう生き方をしてきたかということを跡付けることができるわけです。これが2つ目の非常に大事なことです。

 それから3つ目は日本海および環日本海地域における交流です。これは国境を越えて人々どうしの交流ということで、今さら言うこともないでしょう。

 最後、4番目として日本海および環日本海地域の自然環境というのがあります。自然環境というのは、私たち人類が生存しつづけるために必要かつ十分な条件とは何かという問い、その問いに対する解答を見い出すことだと思うのです。そのことによって、私たちがこれから先も生存しうる可能性、これを確保していくということだと思います。

 現在の生活にとっての重要度からみて、この1番から4番の順序と見ることができます。刊行物の中では逆に書いてありますけれども、個人的には、私たちにとっての重要度というのはこういう順序かなと思います。

 最終的な帰結、あるいは帰着する場としての海である日本海を大事にしていくことは私たちが生き続けるために必要なことだということで、最後のまとめにします。

丹羽

 丸山先生、先程、環境汚染、人口爆発というグラフを見せていただきました。人類の未来というのは非常に悲観的になってしまうわけですが、もしこのような環日本海をめぐる、あるいは地球全体をめぐる危機というものを回避できるものなら、その回避しうる手段というか、文明論的にどういうかたちになるでしょうか。その点についてお話がいただければと思います。

環境保全への立案
丸山

 先程もう時間がないと、20年以内に新たなカタストロフィックな崩壊が起こり始めるということをお話ししました。化石燃料がない世界というのが1000年先ではなくて、もうすぐ先に、21世紀の半ばから始まると多くの人が思い始めているわけです。社会科学の人たちが予言を始めています。例えば、日本列島に降り注ぐエネルギーの総量というのは基本的には太陽のエネルギーです。そうすると、長いこと隣の先生が主張されている縄文時代のシステム、「循環」「共生」「持続可能なシステム」、つまり太陽のエネルギーを植物が有機物に換えてくれて、その有機物を食べて動物が生きる、そのバランスを保ちながらやっていくしかないと。これが一番基本的な枠組だと思います。

 そうすると、あと20年しか時間の余裕がないというときに、日本列島に許される人口は何人か? 江戸時代が一番いい例で日本の場合は3000万人です。そうすると、今1億2000万人が日本にいますから、ここにいる皆さん4人のうち、3人は20年以内に死んでいただかないければいけないとなります。そうすると、だれが死ぬかという具体的な問題となったときに非常に大きな困難があります。最も手っ取り早いのは戦争です。だからこれは日本の問題だけではない、もう1つ、そういう大きな困難が目の前にもう見え始めているという時代であるということを認識していただきたいと恩います。

 その目の前に迫っているクラッシュをどう回避するかというと、1つのやり方は、クラッシュを避けられないとしたら、できるだけ早く起こすということです。早く崩壊を起こさせる。これは弓を引き絞るのと同じで、避けられないと思ったらできるだけ絞っていないときにポッと放してしまえばいいわけです。小出しにしていく。それを持ちこたえれば持ちこたえるほど最後のクラッシュ、反動はもう大変なものになります。

 我々がこの人類史1万年の中で経験したことがない困難を超えるといったときに、やはり我々は今、諸悪の根源だと一部の人に言われている科学と技術に頼るしかないことを理解しなければなりません。科学と技術が物質文明を生み出し、そして目に見えない文明、精神文明も生み出したわけです。そして、我々はかつて経験したことがない豊かな、精神的にも物質的にも豊かな生活をエンジョイしている。安田さんもその例に漏れないはずです。原始人の生活はしていないはずです。だから、我々は科学と技術を毒として食ってしまったわけです。もうこうなったら、皿まで食うしかないというのが私の意見です。

 科学は今どこまで来ているかというと、例えば生命をつくるというようなある種のゴールを目指してみても、科学全体を見たら今3つの発展段階の第1段階の後半まできていると思います。第1段階は「知る」、第2段階は「予測」、第3段階は「制御」です。

 まず、世の中、自然の仕組みはどうなっているか。その大枠がわかり始めている。例えば生物をつくるという意味では、今、まず第1世代のロボットができた。昆虫レベルのものです。第2世代は爬虫類。第3世代はサル、そして人間をつくる。今、ナノテクノロジー、量子力学の世界に踏みこんだテクノロジーが発展しようとしている。これは人間の本能と結びついていますから絶対に避けられない。必ずそういう方向に行くでしょう。原理がわかると、その次は将来何か起きるかという予言ができます。先程の社会科学の例がその1つです。その先は、制御するということが可能になります。

 今、長い単位スパンで見たときの人類の課題というのは、我々の人類社会の未来を設計して、デザインして、具体的にそれを実行に移すことができるかどうかです。これが生命の歴史の中で、人間だけがひょっとすると示準化石になることを免れるかもしれないことを意味します。今、人類は示準化石になる重要な要素は全部揃っています。あとはもうなりゆきに任せるだけです。ひょっとしたらそれを回避できるかもしれないという1点は、そこにあると思っています。

 具体的には、「そういうことを言ってもおまえどうするのだ」といったときは、1つは我々が蓄えた人類の知識としての財産、先程「森の文明」の重要性とかいろいろなことを教えてくれましたけれども、そういう知識をこれから爆発的に人口が増えようとしているアジアの人たちと共有できるかどうかということだと思います。世界人口60億人の半分以上がアジアに住んでいるわけです。世界人口は今、60億を突破しているわけですが、毎年1億近く増えています。これがそのまま行くはずがないわけです。その中の50%以上がアジアにいて、そして人類の文明自体のクライシスの一番重要な火薬庫になっている。

 もう1つの問題は、歴史にヒントがあります。これは安田先生の有名な絵ですが、一番右側の曲線が過去1万年の世界の温度がどう変わったかを示しています。寒くなったときが大変です。寒くなったときに地球規模の民族の大移動が起きてえらい目に遭う。それは我々が学ぶべき重要な例になっています。もう少し具体的にみてみましょう。火薬庫の地理学的位置は半砂漠の中央アジアです。世界の四大文明というのは、エジプトやメソポタミアで文明が繁栄したころは同じようにちょうどいい豊かな緑に覆われたところです。ここ混交林は衛生状態もよくて、人間が生活するのにベストのところです。エジプトやメソポタミアは今は半砂漠になっていますが、昔は緑に覆われていました。

 天候がよくなると、つまり地球規模で温暖化すると、太陽から来るエネルギーがたくさんきますから水の循環が速くなるのです。地球のいろいろなところで水の循環が速くなるから潤う。つまり中央アジアが緑になる。ここが緑になると何が起きるかというと、餌が増えるのだから人間の数が増える。どっさり増える。ずっとそのままであればいいのだけれども必ず寒冷化する。これは自然の摂理です。地球の摂理です。寒冷化すると何が起きるかというと、ともかく食べるものがなくなるのだから中央アジアの人たちは皆南下するわけです。そうした数々の事件が世界中を混乱に陥れてきたわけです。これは非常にシンプルな歴史的な事実です。

 今、そのころの人口に比べて地上には膨大な数の人間がいるわけです。次に寒冷化が起きると、そういう人たちが押し寄せてきます。聖徳太子のころにも寒冷化か起きて、中国から京都だけでも約1万人がやって来ました。現代でも1万人が富山に来たら大変ですが、現代ではその比ではないでしょう。そういうのが今手が届く未来に起きる可能性がある。

 そうしたときに我々日本人はどうするのか。こういった問題を踏まえて、このアジア、日本海というのをケースにして考えねばならない。我々がやれることはたぶん教育、人類が蓄えた知識の共有だと思います。何を選択するかはその次の問題だと思いますが、ひょっとすると一番手っ取り早い答え、つまり戦争が起きるのかもしれません。しかし、我々が過去と同じことを繰り返すのではなくて新しい何かを提案できるかどうかというのが、今、我々に課せられた課題です。地球全体の広い地域の中でもこの日本海周辺のグループがどういう文化的遺産を使い、あるいはどういう手を使って目の前に追っている時間がない問題に対処し、回避できるのか。例えば今アジアで膨大な化石燃料が消費されて酸性雨とかいろいろなものが日本にじゃんじゃん降ってきます。風を東から西に変えろといっても無理です。だから、そういう汚染物質が次々に日本にやってくるときの情報を刻一刻ちゃんとデータとして蓄えて、それを瞬時に世界中に公開して、そして我々アジア人はこれをどうやって回避するのかということを模索する。そのための具体的な政策、あるいはいろいろなことを日本で、富山で立案するということが最も重要なポイントではないかと思います。

丹羽

 今、非常に重要なお話を伺いました。この危機に際して、この危機であるという知識の共有がまず必要である。そのためには、さまざまな地域間協力というものも必要でしょうけれども、この日本海から、まず日本海から世界に向けてこの考え方を発信したらどうかというご提案であろうと思います。

 それでは大塚先生、民族学の立場からこの日本海学に期待されるもの、夢をお話ししていただけませんでしょうか。

国家の見直し
大塚

 安田さんの絶望的なというか、世界の中で日本文化、日本の民族文化というものは、まさに少数民族文化化してもう消えかかっているのだと。これはある面で私も否定しません。これからの日本の生存戦略としては、やはり多文化国家が現実だという認識を持ち、これに対応した日本の社会組織の原理を変えていく。日本における人間のネットワークの原理を変えていくという戦略を取るしか方法はないだろうと思います。さらに、文化的にも多様な文化を対等な立場で日本という国家の中に共存させる。環日本海地域という場は、この実践を試みやすい場ではないでしょうか。

 要するに、環日本海という地域はまだほかの海域世界と較べると比較的病んでいない。しかし、日本の森も、安田さんの言うように日本の豊かな森も、飛行機から見ると大変むちやくちやな破壊が進行しています。しかし今なら、環日本海を取り巻く諸国が、資源や美しい環境の残っている先住民地域を保全をしながらうまく活用することが可能です。

 沿岸諸国家の協力で、先住民の環境や資源を保全し、この活用に対する権利を優先させる合意が大切だと思います。そこに住んでいる人の立場を全然考えない、単なる外来者がつかの間で楽しむだけの景観としての美しさだけではだめです。だから、そこの先住民の人たちがそこで生存できる、環境を維持できるということを保障するということは、ある意味で自然の豊かな、自然の循環系という、先程何回も出てきた「人間と自然との共生」というものの原点を環日本海地域で造りなおす、ある面で、国家利害を超えて共生の地域にそれを造りなおす最後のチャンスです。もう最後のチャンスを失っているかもしれませんが。

 ここで、我々の頭を、あるいはいわゆる国家というものを動かしている人たちの脳を、もう少し大きく転換、入れ替えてもらわなければいけないと、大手術が必要だと私は思っています。そうすれば、環日本海という新しい地域の、今までにない地域の1つのありようが生まれてくるのではないかと予測しています。要するに、地域学の確立が、その新しい地域の人類生存戦略というものがこの地域の中から出てくると私は考えています。

丹羽

 それでは藤田先生、先程、安田先生からも「森の文明」のシンボルは玉であるというようなお話がございました。先生には玉のお話を随分していただきましたが、この玉に託されたメッセージというものが21世紀にあるとすれば、先生から語っていただきたいと思います。

アジアを結ぶ海
藤田

 先に安田先生に確認させていただきます。先程は江上波夫先生の「騎馬民族説」を間違いだと非常に明快におっしやったかと思います。それで、先生にお尋ねしてしたいのは、いわゆる騎馬民族説による騎馬民族は来なかったと、これでいいわけですね。ただし、騎馬の文化は入ってきたと、これはよろしいですか。

安田

 ええ、もちろん古墳時代には来たでしょう。

藤田

 今、先生に確認しましたけれども、日本海は、安田先生がおっしやった1つの防波堤としての役割を持って日本列島の文化を形成してきたのが大きな特色です。けれども同時に、騎馬民族は来なかったけれども騎馬の文化は入ってきています。

 先ほどらい、私は玉の文化を盛んに言っておりますけれども、時間がないので手短にしますが、ここに「耳飾りの文化」を追加しておきます。これは安田先生もフィールドとしておられます中国東北部の約7600年前の興隆窪(こうりゅうわ)文化の中に出現してくるのです。狩猟採集民の文化です。それが日本列島の東北部や中国江南地域を経て日本列島に入ってきています。これが縄文時代早期・前期の文化の一端を形成しております。よく、縄文早期や前期に他の大陸的要素が見られない、または稀少なので大陸との交流はなかったという人がいますが、そうではありません。この点に、騎馬の文化の流人と同じような現象が見られます。したがいまして、縄文時代早期・前期の文化はアジア世界の中における耳飾りの文化の一環をなしている。そして、縄文時代中期には管錐の技法が日本列島に伝播している。

 日本列島には、対馬暖流が南から北に向かって強い勢いで流れています。それに逆らうようにして、ヒスイが南下して鹿児島県や沖縄県にまで運ばれています。これはどういったことかといいますと、縄文時代の人というのは単にそういった自然の海流に影響だけされている人々ではなく、逆海流をも乗り越えてちゃんと文化交流を行っているということです。そういった意味でいえば、私は日本海は人々を隔てる海ではなくて人々を結びつける海だと、こういった視点を持ちながら日本海を見つめております。

 榊原英資先生のご講演の中にもありましたが、日本の歴史観は、今日転換期を迎えていると思います。そういった中で、自らのアイデンティティをどのように獲得していくのか。私自身は日本海文化にそれを求めたい。日本海はアジア世界の人々を結びつける海でもあったいう視点から、日本海学ぺのアイデンティティを深めていきたいと思っています。

丹羽

 最後に安田先生、先程「森の思想」あるいは「森の文明」というお話をいただきました。これを仮によみがえらせる、そしてそれをここから発信できるということはすばらしいのですが、これについて何かさらに思いがございましたらお話をお願いいたします。

日本海学シンポジウム開催までの経緯
安田

 実は、この『日本海学の新世紀』という本ができまして、今日はめでたくシンポジウム第1回の会合ができたわけですが、それに至ります経緯を少しお話しさせていだたきたいと思います。それは私が最後にしゃべるということは、多分そういうことを県の人も言って欲しいのではないかと私は考えているのです。

 実は、これは大変なことでした。あるとき県の橋本さんという方と丹保さんという方が私の国際日本文化研究センターに来られました。最初は何とおっしやったかというと、「日本海についての原稿を書いてください。原稿は30枚ぐらいを書いてください。それを1冊の綴りにして県民に配りたい。」というわけです。それでどれぐらいの費用があるのかといったら、大体これぐらいあるとおっしやった。それで私は、「それだけ予算を考えておられるのであれば、さらに単に県民だけではなくて、これだけのたくさんの立派な先生方に原稿を書いてもらうのであれば、1冊本を作って、そこから全日本に発信したらどうだ」ということを提案したわけです。でも、私は提案したときには、たぶん県のことだから言っても実現しないだろうとはっきり思っておりました。

 ところが、2~3か月たったら、会議をやりますというわけですね。実は、その橋本さんと丹保さんは私の言ったことを本当にまともに受けとられまして、そして富山県から『日本海学の新世紀』という本を世界に発信するという意気に燃えておられるわけです。それで、その会議に来たときに、それでも私はまだ多分だめかもしれない、いろいろな解決しなければならない問題があるからだめだろうと思っていたのです。そのとき1回会議をやりまして、橋本さんから私はこういう話を聞いたのです。

 橋本さんは病気で入院されたのですね。大病で手術をした。手術をして臨死体験を経験されたそうです。もう死ぬ寸前になったのです。ちょっとプライベートなことを言って申し訳ないのですけれども。その死ぬ寸前になったときに何か見えたかというと、美しい日本海が見えたというのです。それで、その臨死体験は今も忘れられない。そのときに橋本さんは、「私の使命はこの日本海学を立ち上げることだということをそのときはっきりわかった」とおっしやる。「だから先生、何とか協力してください」と、そこまで言うのであればと私はその彼の意見にほだされまして、そうしたらやろうではないか、ではどこの出版社がいいかといろいろあたりました。

 私は東京へ何回も行ってあたったのです。自弁で全部行きました。富山県のために私はこれほどやったことはないと思うのですけれども、いろいろな出版社に行って、そして交渉しました。そして、角川書店飛鳥企画の社長の熊谷さんをよく知っていたので「大変申し訳ないのだけれども、これだけ熱心に富山県から発信したい人がいるので何とか協力してやってくれないか」といったら、「わかりました」というのでこれができたのです。

 中井さんは実は、大蔵省のキャリアですが、その偉い人がここへ来てがんばっているのですね。全然偉そうに見えないのです。それで今日は榊原先生まで来られて皆さん講演されているでしょう。あと飯田さんとか斎藤さんとか本当にたくさんの方がいらっしやる。私はお会いしましたが、こういう猛烈に燃えた人々があったればこそこういうことができたのです。皆さん、その方々にぜひ、拍手をしてほしいと私は思うのです。(拍手)

 これで、橋本さんは今度臨死体験をされた時には迷わず成仏できるでしょう。自分がやらなくて偉そうに自分がやったみたいに言うのですけれども、官僚は自分がここまで立ち上げていても、1回も人の前に顔を出せないのです。本当にご苦労様でした。

まとめ

丹羽

 どうもありがとうございました。

 本日、シンポジウムで3つの点についてさまざまな領域の方々からご意見をいただきました。これを1つにまとめるということは至難の技でありますが、私よりもむしろ、この本の編集のリーダーであります小泉先生より、後に、安田先生から今総括めいた話がありましたが、もう一度総括をお願いいたしたいと思います。

小泉

 総括ということですが、このパネルディスカッションは1時間ばかり皆様もお聞きになったとおりですので、パネルディスカッションのまとめをするよりは、ただいま安田さんが言われましたように、日本海学の経緯と将来について個人的な意見を述べることで総括に代えたいと思います。

 私が了承しでいるところでは、この日本海学は日本海ミュージアムの設立を理論的に裏付ける理念づくりから始まりました。それが今や日本海および環日本海地域の環境のみならず、政治・経済・文化など環日本海地域に住んでいる人々の生存にかかわる諸問題にも関与せざるをえなくなっています。

 先程ありましたように、富山県企両部日本海政策課によりまして、本日、日本海学の第1回目シンポジウムを開催できたわけですが、これからもシンポジウムと刊行物を引き続き行っていただけるようお願いいたします。そして、日本海学の理念を政策として実現させることが、もはや私の一番の気がかりになっています。

 この日本海学の理念にもとづく政策を現実に実施するためには、内部的な共生が必要になります。これは例えば、県庁の中にはいろいろな所轄があります。言ってみると縦割りの行政になっているわけです。それのみならず県立の大学であるとか県立の試験機関であるとか、それから企業であるとか、それから民間の会社、ボランティア等があります。こういった様々な組織を横断する日本海学にかかわる政策を立案し実施していく知事直属の新たな機関を創る必要があろうかと思います。日本海学はそれほどに重要であり、絵に描いた餅で終わらせないでください。

 翻って、私たち生物の進化の歴史を見てきますと、今から15億年前にどえらい事件が起こっているのです。それは酸素呼吸の機能をもつミトコンドリアという細菌がいました。それから原始的な核をもつ原始真核細胞がいました。もう1つは、光合成機能をもつらん藻(葉緑体)がいました。この3つは15億年以前にはばらばらになってそれぞれが独立していましたが、15億年前に3つが合体して1つの細胞を形成したのです。それが大型の真核細胞の誕生であり、内部共生の始まりなのです。それ以降、生物の進化はものすごく加速化されました。私たちは、こういった生物進化の歴史に学ぶ必要があります。

 日本海学をしっかり成就するためには、関係する諸機関をバインドして内部共生をして、より強く前進していくことが問われています。こうした状況を県民の皆様たちが直接、間接に理解し支援されることが非常に大事になっていると思います。

 2つ目には、今日の基調講演をなさいました榊原先生がおっしやっていましたように、富山発のローカリーゼーションとグローバリゼーションの有機的な結合を1つの実験として世界中が注目しているということがあります。近未来におけるいわゆる地球市民として成立するか否かは、この結合にかかっていると思います。その第一歩が今こそ富山において始まりつつあるということで、総括に代えさせていただきます。

 どうもご清聴ありがとうございました。

丹羽

 どうもありがとうございました。ただいま小泉先生からもお話がありましたが、富山大学には環日本海地域研究センターというものを共同施設として持っておりました。そのセンターは、実は、今日でおしまいで、明日からは文部科学省の省令のセンターとして極東地域研究センターとして衣替えをしていきます。

 先程お話がありましたように、日本海学をもっとさらに発展させるには、これを担っていく研究機関、あるいは研究組織が必要です。我々も微力ながら、この日本海学に今後協力し、さらに研究を進めていきたいと思います。

 本日はどうもありがとうございました。