日本海学シンポジウム

パネルディスカッション 「環日本海文明-森の文明パラダイムの可能性」


2002年度 日本海学シンポジウム
2002年9月22日
日本科学未来館 みらいCANホール
 

コーディネーター
パネリスト
小出 五郎
木崎 さと子
平野 秀樹
毛利 衛
安田 喜憲
安成 哲三
(NHK解説委員)
(作家)
(林野庁監査室長)
(日本科学未来館館長)
(国際日本文化研究センター教授)
(名古屋大学地球水循環研究センター教授)

このパネルディスカッションは、
『日本海学の新世紀第3集 循環する海と森』に掲載されています。
→『日本海学の新世紀第3集 循環する海と森』角川書店(p33~85)
 

小出

 皆さん、こんにちは。今から四時ぐらいまで二時間弱ですが、この壇上のパネリストの皆さんとディスカッションを進めていきたいと思います。
 人間は皆、だれしもマップつまり地図を頭の中に持っていると思います。今日皆さんがここにいらっしやったのも、お宅の場所がどこにあるか、交通機関はどれを乗り継いでいけばここに来るかという地図があるから、ここに来ることができたのだといます。また、ものを考えるときの中心も、地図的に考えるということがあると思います。地図とは、ものを考えるときの発想の原点でもあるし、あるいは行動の原点です。座標軸の原点といってもいいかもしれません。
 今日のテーマは「日本海」ということです。私も日本海を地図でよく眺めてみました。昔、うちの息子が高校時代に使っていた地図で、いささか古く、ロシアではなくてまだソビエト連邦になっていましたが、そういう地図を見ました。日本海を中心に見てみますと、確かに日本海は囲まれた海だ。アジアの大陸、国でいうとロシア、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、韓国、日本、サハリンもロシアですが、そういうところに囲まれた海である。しかし、見方によりますと、そうした国々、地域をつないでいるところであることもわかります。
 これまで文化的にさまざまな関係があったところだということもわかりますし、今はといえば、国際的にも注目を集めているところです。もちろん地理的な近さ、気候・風土、あるいはエコロジーといいますか、生態学的な風景・景観その他を含めて似ているところでもある。いろいろな見方ができるわけです。さらに、先程の毛利さんのお話にもありましたが、宇宙から見るとどうなるか。現代は宇宙から見た地球もまた、私たちがものを考えるときの基礎的要素になる。そんな新しい視点が加わってきたという時代だと思います。
 スクリーンに地図が出ておりますが(口絵参照)、なんと逆さになっている地図、ふだん見ている地図とは全く逆の地図です。南北をひっくり返すといいますか、自分たちの頭の中にある地図、先程申し上げたようないろいろな発想や行動の原点になるような地図が、実際にひっくり返してみるとなぜか新鮮で、そこから新しい発想や行動も生まれてくるという気がします。そういったところにも日本海学の意味があるのではないかと思います。
 前置きはこれぐらいにして、早速、皆さんからお話をしていただきたいと思います。今日は長いスピーチをしていただくというより、皆さんからいろいろなテーマについて、さまざまな立場から発言していただき、さらにディスカッションで深めていくという方式で進めたいと思っています。
 日本海を中心に地図を見たときに、その日本海を取り巻く「環日本海」という言葉を当ててもいいと思いますが、そういった見方で日本海を考えてみるときに、一番の特徴と考えられることは何だろうか。それぞれのお考えを、自己紹介も兼ねて、一人ずつ新聞の見出しのように短くお話ししていただいて、そこから議論を始めたいと思います。

日本海という海のイメージ

木崎

 木崎でございます。毛利さんのお話を伺っていて、本当に大きな宇宙ということにあらためて思いをはせたわけですが、私は小説を書く人間ですので、これは非常に比喩的なものの言い方になりますが、一人一人の心の中に大きな宇宙と対比できるような、もうひとつの宇宙があるのだというような考え方で生きている人間です。
 このような逆さ地図との関連で申しますと、私は最初にこれを見たときに、大変生意気な言い方のようですが、「ああ、これでいいのだ」という感じを抱きました。私が小さいころからぼんやりと心の中に描いていた地図は、たぶん形にすればこういう形だったのだろうなという気がしたのです。と申しますのは、私は、旧満州の新京(→注1、 今の中国東北部の長春)に生まれ、そこが私のふるさとともいえます。でも成長期を富山県の高岡市で過ごしたので、どちら側から見ても、日本海の向こう側にふるさとがあるという気持ちをずっと持ってきました。
 特に成人してから二〇代、三〇代をフランスで暮らしたので、フランスから日本を想うときに、やはり太平洋ではなくて、内側、陸の上を通って日本を考える。たとえば、アメリカに行くときでも、大西洋を渡っては行くけれども太平洋は通ったことがないという暮らしをしてきてしまったものですから、小説を書くようになってからも、小説の半分は富山を舞台にしていますし、満州を絡めて書いているしだいです。
 ですから、私にとって、もしキーワード的な言い方をするなら「日本海はふるさとだ」と言いたいのですが、これはべつに私個人の人生の思いだけではなくて、日本海というのは豊饒(ほうじょう)の海と申しますか、いろいろな生物がいて生態系も豊かなところだといいますし、そのような意味でも、多くの人のふるさとの海というような言葉が当てはまるのではないかと思っています。

安成

 先程、毛利さんが、スペースシャトルからの日本海の冬の映像を見せてくださいました。雲で見えないということで、毛利さんはちょっと残念だという感じで言われたのですが、実は、あの雲が日本海側に、特に冬にあれだけあるということが非常に大きな意味を持っています。私は、雨、雪、地表面からの蒸発などを全部つなぐ水循環というものを視点にした気象学をやっていますが、その視点からすると、日本海はいわば日本列島の自然と環境と、人々の生活の基盤を与えている海であるといえます。
 具体的にいうと、先程の毛利さんの画像で、日本海は雲に隠れているが、北海道などは雪で真っ白でしたね。ただ、皆さんはお気づきかもしれませんが、シベリアや朝鮮半島の方は、もちろん雪は積もっていますが、北海道ほど白くはなかった。ということは、日本の方が実はたくさん雪が降っているのです。なぜたくさん降っているかというと、大陸から来た非常に乾いた空気が日本海で水蒸気をたくさんもらうわけです。日本海には対馬暖流が流れ入ってきていますが、その暖かい海から水蒸気をもらって雲を作って、その雪が風下側の日本に降らされています。
 我々のふだんの生活の水、たとえばここに(ペットボトルの)水があります。なぜこれがフランスの水なのか疑問ですが(笑)、本当は日本の水を使うべきですね。それはともかくとして、冬の関東平野は非常に晴れているのが画像からもよくわかります。ちょうど東京都が見えて、富士山が見えました。しかし、その手前までずっと雪雲があって、関東は晴れている。冬の関東はからっ風で晴れているということを皆さんよくご存じです。
 我々は毎日たくさんの水を使っていますが、そのふだんの生活の水も、もとはどこかというと、東京でいえば利根川です。利根川は常に大量の水が流れています。なぜかというと、源流は谷川岳や尾瀬などの付近に冬になると大量の雪が降る。その雪の水は、結局日本海から来ている。これがあるからこそ、我々は太平洋側でも生活ができているのです。もちろん、日本の豊富な森林は、基本的にこの雪解けの水で維持されている。だからこそ日本海がないと、我々の日本の自然も我々の生活もないと思っています。

平野

 先程の映像を見ていて思ったのですが、海や大気中の水は、マイナス一○キロからプラス三〇キロという垂直分布で、その限りにしか存在しないということでしたね。この時、水平的というか平面的に少し引いて眺めてみると、もう一つ別のことも考えられると思いました。アラル海という話も出てきましたが、日本海に流れ込む川の下流から上流の方へ視点を移していくと、一番下流に日本海の真ん中があって、中流域に新潟や富山、あるいはウラジオストクなどの沿岸域の町々があって、最上流域には各国の豊かな森がある。こういうたとえに切り換えられるのではないかと思います。
 そうすると、日本海という海原は各国が持つ「ため池」というものにも見える。そう考えていくと、日本海は各国が持つ共有資源(コモンズ)であるというところまで話ができるのではないかと思います。コモンズというと、通常、ローカルコモンズ、ローカルコミュニティということで、その集落だけの資源と考えるわけですが、それが、ずっと目線を引いて、宇宙から眺めることによって、日本海というものもひょっとしたら共有資源かもしれないということを、あの映像とともに思い浮かべました。

安田

 僕も安成さんと同じ印象だったのですが、毛利さんの映像を見て、やはり日本というのはそう簡単にはみんなに見せませんよと。宇宙から見たときに簡単に見えるところは、アラル海もそうですが、大体今まで農耕や牧畜などで徹底的に自然が破壊されたところです。しかし、我々の日本というのは、実はベールに包まれているのです。ベールに包まれているということはどういうことか。安成さんが言われたように、雨が多い、雪が多いということです。それはどういうことか。雨が多い、雪が多いために森が多いということです。その森の国は、宇宙から見てもそう簡単に見えないのです。
 その神秘のベールに包まれた中に、実はすばらしい文明があるということが、最近わかってきました。日本の文明もそうですが、環日本海地域に発達した文明が、人類の地球の中で、いったいどういう役割を果たしたかということは、今までほとんど注目されてきませんでした。しかし、二一世紀、その環日本海に繁栄した文明の役割というものが、おそらく人類を救う可能性がある。この深い雲に覆われたその下にある神秘の国、それが環日本海です。僕は毛利さんが紹介された宇宙から見た地球を見て、そこに人類を救うキー(カギ)が隠されていると思いました。そう簡単に見せるようなものはろくなものではないのですよね(笑)。

小出

 基調講演で、毛利さんは「日本海は一つのシミュレーションの場である」としましたが、それにつけ加えて一言お願いします。

毛利

 スペースシャトルに乗って地球を回っていくと、日本海に限らず何々海、何々シーという部分かずいぶん多いのです。でも、連続的に何々海、何々海がある軌道というのは一か所だけです。南から北へ行く軌道というのは、南シナ海を通って、東シナ海を抜けて日本海に入って、それからオホーツク海に入ってベーリング海、そしてまた南の方に戻ってくるのです。そういう連続のつながりがあります。その中で見ると、南の熱帯的な海から寒帯的な海のちょうど中間に日本海が位置するということで、先程からお話があった、両方の環境に通じる新たな普遍性を全世界に提供できるのかなと思いました。

地球の中の「環日本海地域」とは

小出

 過去に二回シンポジウムがありました。そもそもなぜ今、日本海を対象にするのか、新世紀には日本海が非常に重要とうこと、文化の交流の視点からはどうかといったことを中心に行われましたが、今日のパネリストの皆さんの顔ぶれからしまして、今日は、どちらかというと気候や風土などを中心に、それがどういうふうに文明にまで問題が及んでくるかということを中心に、話が展開していくのではないかと思います。
 今、ひととおり皆さんの立場も含めて日本海の見方をご紹介いただきました。ところで「日本海」といったときに、そして日本海を中心に考えるときに、日本海だけで話が進むとも思えません。大きくいえば全地球の中の日本海ということになるのですが、それほど広いとはいえない。やはりある程度の範囲を限りたい。そこで、今日はどの辺の話をするのだというところを、皆さんの頭にあるところをまずはじめに伺っておきたいと思います。

安田

 先程毛利さんが言われたことと関係しているのですが、環日本海という範囲をどう位置づけるかということは大変重要です。この逆さ地図を見ると、どうしても大陸との関係で位置づけたくなるのですが、僕はそうではありません。実は、環太平洋文明圏という巨大な文明圏がかつてあったということがわかってきた。それはマヤ文明やインカ文明、そして私が今研究している長江文明(→注2)、そして日本の縄文ですね。環太平洋地域にこういう巨大な環太平洋文明というのがかつてあった。これに対して、ユーラシア大陸には環太平洋の文明とは全く異質の文明、たとえばメソポタミアやインダスや黄河などの文明がありました。実はこれらは家畜を飼う文明です。バターやチーズを食べてミルクを飲む文明ですが、こういう畑作牧畜文明は、環太平洋地域にかつてはあった文明とは全く異質の文明です。
 僕はそのことをすでに何回も言っておりますが、実は、環太平洋文明圈の西部にいろいろな地域があって、その中の1つが、今おっしやったような環オホーツク海地域、あるいは環日本海、環東シナ海だと位置づけておくのが一番いいと思います。
 環日本海を太平洋から見ると、環日本海の範囲というのは、環太平洋文明圈の西部に位置するということです。あまり内陸には入らないということです。ですから、畑作牧畜文明の分布地域、家畜がいてヒツジやヤギを飼うような人々が住んでいる内陸ユーラシアまでは環日本海は入らないというのが僕の考えです。

小出

 環太平洋というと、太平洋を取り巻く南北アメリカ、オーストラリア、それからアジア、日本。日本海はその一番端にあるというイメージですね。

安田

 西太平洋の一角です。おそらくそこが一つの中心になると思います。

安成

 よく「環太平洋何々」といいますね。そういう会議もあるし、いろいろな集まりがあります。私などは「環太平洋」というときに、今、安田さんもちょっと言われましたが、たとえばモンゴロイドがずっと太平洋の周りを南下して南米まで行ったと。そういう意味でいろいろな文明のつながりを感じます。我々の自然科学の方でいいますと、環太平洋地震火山帯というのがありまして、非常に地震や火山が多いという共通性があり、そのため災害が多い。それで共通にいろいろな議論ができる。そういう意味の環太平洋があります。
 もう一つは、環太平洋といっても海の向こうの、特に北米のことを意識していることが非常に多い。いろいろな意味で「日米」に近い意味で環太平洋と言い換えている。これは非常に政治的、経済的な側面で言っていることが多いと思います。実は、私も環日本海というのはわりに最近聞きだしたのですが、確かに一つのユニットとして考えてもいいのではないか。それは、私が先程言ったような自然環境という意味で、これは日本という視点にとって非常に大事だというのがあります。
 しかし、たとえば対岸の朝鮮半島、ロシアにとってはどういう意味があるかということも考える必要があります。日本海の特徴的なことは非常にクローズした海であるということです。先程毛利さんも言われましたように、一番北にはオホーツク海があって、日本海、東シナ海、南シナ海と続くのですね。確かにアジアの東岸というのは特徴的に、島弧といいますか、列島と海岸、その間に湖のように海が存在していますが、その中で日本海は特に海が深いのです。
 東シナ海は大陸棚(→注3)に対応しますが、日本海は決して大陸棚ではなくて、大陸と日本列島が約一〇〇〇万から二〇〇〇万年前から完全に構造的に、分かれてできた海です。小さいわりには非常に深いのです。そのために深い方も含めた独自の海流系、海の生態系などがある。漁業資源という視点でも、その周辺の国にとって大事である。いろいろな国が、今の海の生態系に依存して成り立っている側面があります。
 一方、日本海は、今は対馬海峡、間宮海峡のところがあいていますが、一万年、二万年前の氷河期には大陸とつながっていた。つながっていたということは、日本を含めた東アジアの文化圏というのは、時間的な歴史的な軸で見たときに非常に行き来があったということです。現に、日本のいろいろな歴史的なものも大陸の影響を受けています。もちろん南から、海からの文化のルートもあります。しかし、朝鮮半島を越えて、あるいは、北の樺太経由でいろいろな人が入ってきて、それに伴って文化が入ってくる。そういう行き来が、少なくともこの何十万年という間に確かにあった。そういう意味で、文化圏として、一つのユニットとして考えられるという気がします。

小出

 そうすると安成さんの場合は、「日本海」の範囲は、サハリン、シベリア、朝鮮に囲まれたところ、「日本海」は日本海でよいということになりますか。

安成

 そういうユニットで考えても意味はあると思います。もちろん、ほかのところとのつながりは当然あります。

小出

 日本海の雲が冬の雪と雨をもたらしている、梅雨時には雨がざあざあ降って、これもまた日本の自然にとって非常に特徴的なものです。そうすると、日本海のもう少し西の方の気候の影響もあって日本ができているわけですね。

安成

 はい。当然そうです。冬の気候を強調しましたが、少なくとも日本海というものを一つの単位として見たときにも、対岸の国々ともある意味で共有、ちょうど平野さんが言われたコモンズという側面もあると思います。

平野

 先程、流域の話をしましたが、一番わかりやすいのは、日本海に流れ込む河川の分水嶺までをエリアとして考える。そういう考え方が物理的に理解されやすいのではないかと思います。
 ただ、それだとちょっと限定的になる可能性もありますし、大きな川もありますから、分水嶺を中心としたエリアということが直接的な環日本海のエリアなのですが、それにプラスアルファで経済社会的な要素も入れて、同質的にくくられる文化エリア、文明エリアというくくりができるのであれば、多少のバッファゾーンも入りますが、わかりやすいのではないかと思います。

木崎

 このなかで私一人だけが物語の世界に生きている異質な人間のようですが、人間の心ということで考えますと、人は誰しも心の深層に「神話」を抱いて生きていますね。その神話を共有できることが、共存していく上で非常に重要だと思います。たとえば漢字文化圏という意味では朝鮮半島や中国は私だちと同じなのですが、沿海州の方とはどういうところでつながりうるのだろうと考えるときに、やはりシャーマンがいるような自然宗教の世界ですね。どれほど文明が進んでも、その底にある自然観は「神話」と深く結ばれています。そういうことで、神話が共有できる範囲というものは大切にしなければなりません。森から生まれる神話、森から生まれる物語は世界中にありますが、森が森だけでずっとつながっているのではなくて、海と接しているところから生まれてくる神話の共通性があり、ましてその海が共通ならなおのことです。
 中国は直接日本海には接していませんが、中国東北部は私たちと同じ神話を分け持っているという点でも、今日のテーマがあてはまる地域ですよね。

小出

 一つの領域が皆さんの言葉を通じて見えてきたような気がします。

環日本海地域の気候・環境的特徴

毛利

 私は子どものころからずっと日本海を見て育ってきた人間です。パネリストの方々の中で日本海を見て育ってこられた方はいますか。

小出

 私は太平洋側です。ほかに日本海側の方はおられませんか。

木崎

 私が少女時代に。

小出

 木崎さんがそうですね。

安成

 私は下関です。境目です。

小出

 両方見ていらっしやる。安田さんは。

安田

 僕は太平洋です。

毛利

 日本海側で共通する部分はずいぶんあるのかなと、太平洋とちょっと違うのかという気がしました。木崎さんは機微な人の感覚で表現されるのがお上手なのでしょうが、それは季節感によって、冬というのは鉛のような日本海があって、そのあと、いつ春が来るかというのはすぐ敏感にわかるのですね。ニシンなどは春告魚といって、日本海では特に多かったわけです。
 今、私はロシア語を勉強していて、ナホトカの、ちょうど対岸の人といろいろと話をすると、非常に共通点があるのです。食べ物もそうです。お互いに日本海というのは非常に狭くて、私の子どものころはロシア人がよく小樽港に来たり、もちろんアイヌの人たちがいたり、アジアの方々もいたりして、ここはいろいろな共通のものがあるというのが、小さいときからの感覚でした。
 一方、それが太平洋にいくと、あまりにも環太平洋は遠すぎて、アメリカの海岸は見えてこないですよね。そういう原体験があります。

小出

 逆に私は日本海を見たのは結構大きくなってからなのですが、私にも私なりの地図があって、どちらかというと環太平洋といいますか、どうしても太平洋の方を見てしまうというところがありますね。今日この会場におられる方はほとんど東京周辺の方だと思いますが、特に関東といいますか、東京あたりは、心情的に日本海より太平洋の方が近いというところがあります。しかし、日本海を中心にものを考えてみるということが、新しいものを生んでいくだろうという気もします。それがそもそも日本海学のもとになってきているのです。
 なぜ、今、環日本海という視点で考え直してみる、視点を変えて検討してみることが太切なのでしょうか。安田さんは日本海を中心に考えるというよりは、日本海は端だというふうに考えているという話でした。その点をもう少し詳しく。

安田

 最近、僕は環太平洋に巨大な文明圈があったということを発見しました。今まで文明と呼んできたものは畑作と牧畜、パンを食べて、ミルクを飲んで、肉を食べるという人間が作ってきたのですが、これらはユーラシア大陸の西の方に発達した動物文明ですね。乾燥したところに成立しているわけです。そうではなくて、マヤやインカ、あるいはアメリカインディアンの文明、日本の縄文、中国の長江をどう位置づけるか。彼らはそれとは全く異質の文明を作っていた。それらはモンゴロイドが環太平洋地域に作った植物文明です。最近、その環太平洋地域の一つの核心地域が、どうも環日本海文明ではないかと考えるようになりました。
 それはどうしてかというと、日本海地域というのは、氷河時代が終わって後氷期という温暖な時代に変わるとき、世界でいち早く温帯の落葉広葉樹の森が拡大したところにあたっているからです。一万五〇〇〇年前という時代です。氷河時代というのは寒冷で乾燥しているのですが、ドングリやブナの森がいち早く一万五〇〇〇年ぐらい前に日本海側に拡大してくる。なぜ世界に先駆けて温帯の落葉広葉樹の森の国ができたかというと、海面が上昇して、対馬暖流の影響がちょっと出るといち早くたくさん雪が降って、森に適応した環境が日本海沿岸に形成されるからです。ですから、ある意味では、日本海は温帯の落葉広葉樹の森の海として世界に先駆けて出発した。そして、その中で森の文化、森の文明というものが長い間はぐくまれてきたのです。先程木崎さんが言われたようなシャーマンも森の文化の代表です。

毛利

 そう言いますと日本だけに着目されていますが、環日本海というのは、日本はほんの一部で、朝鮮半島から沿海州にかけてあるわけですが、同じことが言えるのでしょうか。

安田

 それを示すものは何かといいますと、森の拡大だけではなくて土器の出現です。温帯落葉広葉樹の森が拡大するところには、いち早く土器が生まれるのです。たとえば、青森県や沿海州の地域に土器がいち早く出現します。アムール川の下流域。こういったところに最初に土器が出現するのです。これが縄文文化の出発になるわけです。
 日本が文明国家になったのは、今まではせいぜい明治以降ぐらいしか考えていない。明治以降しか考えていない歴史観の中では、環太平洋が非常に大きな意味を持っていた。つまり、明治以降になってアメリカがやってきて、環太平洋が発展していったものですから、明治以降過去一〇〇年の間に、いつのまにか日本海側は裏目本になっていって衰退していったわけですが、それ以前の日本文化のルーツは日本海側から始まったのです。
 なぜ始まったか。それは対馬暖流がちょっと影響を及ぼすと、雪がたくさん降って、日本海側にいち早くブナやナラの温帯の落葉広葉樹の森が拡大したからです。そこで縄文人たちが生活を始めたのです。ですから、少なくとも明治までは、日本海沿岸の方が日本文化のルーツだった。環太平洋が日本の中心と思われるようになったのは、明治以降一〇〇年です。

小出

 むしろ政治的、社会的影響の方が大きくなって、今日のようになってきたということですね。青森の三内丸山遺跡、縄文人のすばらしい文明があった。最近、縄文時代は、私たちが小学校や中学校・高校ぐらいで習った縄文時代とは全く別の文明だったのだということになってきましたが、やはりその辺のことからして違っているということですね。

安田

 そうです。これは最近わかってきたことですが、中国東北部から日本海を越えて、文化の影響が南下してくるのです。そして、あの地域に一つのセンターができるのです。

小出

 安成さん、今の安田さんのお話は、気候学的に見て非常に妥当というか、当然だという感じでしょうか。

安成

 そのとおりです。ちょっとつけ加えますと、氷河期が終わって、後氷期といわれている暖かくなった時代ですね。ものすごく逆説的ですが、日本海側の大雪というのは気候が暖かくなって増えたのです。今のような雪国になったのは、後氷期になってからなのです。氷河期には、特に典型的な氷河期には、日本海は海ではなくて湖だったのです。非常に冷たい湖で、暖流も入ってこない。ということは、先程の毛利さんのスペースシャトルの写真にあったような、あのような雲はあまりわかなかった可能性があります。すなわち、今の気象学の知識でいくと、一万五〇〇〇年から二万年ぐらい前の氷河期の時代は、雪はあまり降りませんでした。それが暖かくなって、今、安田さんが言われたように非常に雪が降りだして、同時にブナ林など非常に豊かな森ができるようになった。
 今、地球環境問題というのが非常に問題になっていますが、そういう視点からこの環日本海についてコメントしたいことがあります。氷期にはむしろ暖流がなくて、ということは、逆にいうと、氷期の日本海の深いところを含めた構造を見ると、今とずいぶん違っています。今は暖かい暖流がずっと入っていって、冬はシベリアから非常に冷たい空気が海の上を吹いてくる。そうすると、そこでまず活発な蒸発が起こる。冷たい空気が海を冷やす。対馬暖流はだんだん北上しながら、今度は冷やされて重くなる。重くなって日本海の北の方で深いところに沈み込んで、沈み込んだ水が日本海の深層水になる。深層水は上の方から沈み込みますから、沈み込む過程で酸素をたっぷり含んでいる。非常に酸素リッチな深層水ができ上がっていく。これが今の日本海の海の生態系としてのバックベースを作っているわけです。それが氷期にはそうではなかった。氷期にはむしろ還元的といわれていますが、むしろ全く違う生態系で、魚などもおそらく今ほどはいなかったのではないか。
 今、温暖化が進んで、皆さんご存じのように、一九八〇年代の後半から非常に雪が少なくなって日本海側も雪が降らなくなってきていますね。僕はこれはよいことではなく非常にゆゆしきことだと思っています。雪が降らないということは、結局、暖流がだんだん冷やされて深層水を作るというプロセスが弱くなる可能性があるわけです。そうすると、別の意味で氷期と同じような条件ができる可能性があります。危ないです。

小出

 寒くなるというのではなくて、暖かくなることによって変わってくる。

安成

 日本海というのは、東アジアの環境のモニタリングの場所として重要ではないかという気がしています。

安田

 雪が降るということはブナやナラの落葉広葉樹にとっても大変いいのです。雪が降ると地表面の温度が○℃以下にならないから、まず根が保護されます。雪に覆われると、寒の戻りから若芽が保護されるのです。さらに、雪は雨と違ってゆっくり溶けていくので、土壌浸食が起こらないから土壌が豊かになってくる。そういうことが起こって初めてブナやナラが拡大できるのです。
 今日は会場に小泉先生という日本海の対馬暖流の専門家もいらっしゃいますが、日本海が今日のような姿に形成されはじめたときに、実は日本人が生まれた。縄文人、縄文文化というのはそのときに生まれるわけです。日本海が今日の日本海の姿に近くなったときに温帯の落葉広葉樹の森が拡大して、その森の中で縄文文化が誕生したということは、日本海が日本人を誕生させたということです。つまり、縄文人は我々の直系の祖先です。
 日本がいつ誕生したかという説はいろいろあります。七世紀に誕生したという説もあります。日本の国号が生まれたときに日本が誕生したという説が一般的ですが、日本人が日本人たり得たときはいつか。それは温帯の落葉広葉樹の森の中で日本人が生活を始めて、森の文化、森の文明に第一歩を踏み出したとき、それが日本人が日本人たり得たときだというのが僕の考えです。それは日本海は今日のような姿に形成され始めた時です。

毛利

 先程、対岸の方も同じ自然状況とおっしゃいましたね。そうすると、沿海州のロシア人がロシア人たり得た、朝鮮人が朝鮮人たり得た、中国人が中国人たり得たのも、そのころなのですか。

安田

 しかし、大陸はその後の民族の移動も激しいので、日本と同じように論じられるかどうかはわかりません。ただ国号をとりはらって日本海沿岸に暮らす森の民としては同じですね。森の民ということでくくれば、環日本海はくくれるかもしれません。日本人というと、国号ということにこだわりますと七世紀だということになりますが、本当の我々日本人のルーツはもっと古い。

毛利

 日本人と考えなくても、環日本海人という発想のほうがいいような気がします。

日本の森と環日本海人

小出

 そういう意味では共通の文化をということになると思いますが、木崎さんにその辺のお話を伺いたいのですが、その前に平野さん、日本の森について、今、ブナの話が安田さんからありましたが、森の専門家として、日本の森のようすをもう少し皆さんにわかるように説明していただけますか。

平野

 日本の森は四つぐらい種類があります。それらが、ごっちゃになっているから議論が錯綜するということで、まず整理をしなくてはいけないと思います。一つは手つかずの原始の森、野生の森がある。おそらく縄文時代はそういう黒々とした森が鬱蒼と茂っていたのだと思います。白神(→注4)や屋久島とか、そういう森が一つです。
 二つ目として、人工的に一生懸命植えてスギやヒノキに変えてきたところ。畑などの感覚と一緒でいわば家畜の森ですね。
 三つ目が今ブームになっている里山です。身近な裏山で、多少農業とかかわりがあって下草や落葉落枝の資源も採っていた。今は都会人のボランティアの舞台になってペットみたいに可愛がられていますけれども。
 四つ目は部屋の中のベンジャミンやポトス。アクセサリーのようで街路樹のケヤキやプラタナスも含まれます。こんなふうに「野生の森」と「家畜の森」と「ペットの森」と「アクセサリーの森」と、四つぐらいあるのですが、それらはごっちゃになっています。ここをまずきちんと整理して考えないと森林政策というのもうまくいきません。峻別したうえでそれぞれ対策を講ずる必要があります。

小出

 安田さんからは、「森の民」が環日本海に生まれたのだろうということだったのですが、その森の民が生まれるとすると、それなりに豊かな森でなければなりません。日本の森にはどういう豊かさがあるのか。なぜ環日本海の森はそんなに豊かなのか。落葉広葉樹林がそういう条件を備えていたということですか。

平野

 日本の森が豊かだというのは、安田先生のお話にもありましたが、まず降水量が全く違います。日本の国というのは平均すると年間一七〇〇ミリ降りますが、ヨーロッパや北米大陸はせいぜい五〇〇ミリとかス一〇○○ミリまでしか雨が降りません。日本は雨や雪が多いために、非常に再生力が強いです。東京の明治神宮の森というのはもともと裸地だったのですが、八十余年で今のようなほぼ原生林に近いかたちになっています。当時、スギやヒノキを植えなかったのは賢明な策で、当地に一番合ったクスなどの常緑広葉樹を中心に植えましたから、あのような森になりました。たぶん、ドイツやョーロッパだったら、あのレベルの森を作るには数百年、いや一〇〇〇年はかかったでしょう。それほど日本の森というのはめぐまれた雨や気温のおかげで豊かであるということがいえると思います。環日本海には、ドングリなどの実をつけるブナやカシ、シイなどがすこぶる豊かであったということが、今のような話につながると思います。

小出

 衣食住を全部依存できるような森の存在が、豊かさの根本にあったということだと思います。木崎さん、環日本海人というのがいたのではないか、精神文化という面で見ても環日本海人というのはあり得たとお考えですか。

木崎

 大いにあり得たというか、あったと思います。先程、環太平洋というのはなじみがあるけれども、環日本海というのは非常に想像しにくいというお話が出ました。特に私たちの世代の成長期に、ソ連の鉄のカーテン、中国の竹のカーテンということがさかんにいわれましたね。私たちよりちょっと上の世代ですと、なぜそういうことになったのかということもリアルタイムに政治的に感じていましたから、その理由も一応わかっていたのでしょうが、私たち以降の世代は、なぜそういうことになったのかということもよくわからないうちに、なんとなく、そちら側を見なくなってしまったという要素があるのではないでしょうか。それはきわめて政治的なもので、明治以降の日本では、たとえば水上交通よりも陸上交通の方に政府が重きを置いたというような問題もあります。
 先程お話の出たいくつかの森の中で、物語を生む、私たちが人生を生きていけるストーリーというものを生みうるのは、やはり原始の森だと思います。そういう森を共有し得たという意味では、もちろん地域ごとに言葉などは違うわけですが、一つの心象風景というものを持っている。それは私たちの生活の隅々にいまだに残っているのではないかと思います。

小出

 具体的には。

木崎

 たとえば、現にこの「森」という言葉がどんなにはやっているかということもありますね。「なんとかの森」、「かんとかの森」というのは、コマーシャルにもやたらに出てきますし、小説の題にもいくらでもあります。「森」と聞いたときに、理屈抜きで郷愁を感じる。日本語の感触にも残っています。生命のもとという意味では海もそうなのですけれども、その海と森の両方を自分たちの神話の中に取り込んでいた、それも同じ海と同じ森を共有していた環日本海人は、同じ郷愁を抱いているはずです。

「森の民」の文明と「家畜の民」の文明

小出

 安田さん、先程のお話の中で、日本海は裏ではなくて表だったと。現日本人のルーツというのはそこから出てきたのではないかということがありました。そういうふうにものの見方を変えることによって新たに見えてくることは何でしょうか。

安田

 それはやはり、今、木崎さんがおっしやったように、森の民の文明、森の民の心の再認識ということでしょう。我々は、巨木を見るとしめ縄を巻いて拝んでいるわけですね。その反対がたとえばアメリカです。アメリカの西北海岸にセコイヤという巨木があります。セコイヤの下に自動車が入るトンネルがあって、こんな大きなセコイヤがあるという写真を子どものころ見た記億がありますが、実は、かつてそのセコイヤの何倍もあるような巨大なセコイヤがあったのです。それを一七世紀にアングロサクソンの人たちが行ってから、徹底的に破壊したのです。たった三〇〇年でアメリカの原始林は八〇%破壊されました。そういう人々があの牛飼い人です。カウボーイです。ウシを飼いながら森を破壊していく。これが彼らの文明です。
 ところが、環日本海には何がないか。ヒツジがいない、ウシがいない、ヤギがいないのです。なぜ家畜がいないかというと、その家畜が森を破壊するからです。ですから、環日本海の人は原則として、基本的に家畜を導入することはやめました。そして森を守ってきたのです。しかし、毛利さんがおっしゃったように、たとえばロシアという国があるではないかと。でも、あれはスラブという人々が作ったのです。もともとあの沿海州には、シャーマンを信じる少数民族がいたわけです。その人たちと我々日本人とは同じ森の民です。そこへ彼らが侵入してきただけのことなのです。
 我々日本人は森の民である。そして、アメリカやイギリスなどの人々は、森の民とは違う家畜の民であるということです。基本的なものの考え方が違うということを、まず認識する必要があるということです。

小出

 しかし、今の日本の森を見てみますと、相当荒廃状態にありますね。スギ林など、特に植林したところに行くと、ほとんど手入れされていない森がたくさんある。里山も相当荒れている。原生林は大変少なくなっている。落葉広葉樹林は本当に寂しい状態ですね。特にブナ林は大切だという話ですが、「ブナ」という字は本偏に「無」を書くというぐらいひどい字を当ててきたわけで、ブナはいらないものだとなってきたわけです。そういうあまり森の民とはいえないような状況がありますが。

安田

 それは戦後、林野庁が悪いのです(笑)。

小出

 平野さん、少し「釈明」してください。

平野

 先程私は四つの森をお話ししましたが、二番目に期せずして「家畜の森」と申し上げました。戦後、ちょっと洗脳されたのかもしれませんが、木材生産を主軸に据え、かつてあった自然林をスギ、ヒノキの本を採るために家畜にしてしまった。要するに、本来、畑や工場のように考えてはいけない山というものを、効率主義でスギ山やヒノキ山に変えざるを得なかったのです。昭和三〇年代というのはそういう事情もあったのですが......。その結果、今日では国土の四分の一(約一一〇〇万ヘクタール)がスギやヒノキの家畜の森になっているわけです。今、何か問題になっているかというと、間引きすることを前提に密植するという、いわば温室栽培をつづけてきたわけですが、採算が合わなくなってしまって、それらを放置してしまっているのです。これが現在の「家畜の森」の実態だということです。ですから、安田先生の言い方を借りれば、アングロサクソン、家畜がすべて悪だというのは、半分ぐらいは当たっているのかなということで、多少自省もしています。

小出

 林野庁がアングロサクソンだったということですか。

平野

 昭和三〇~四〇年代だけですが。

毛利

 本当に今は変わっているのでしょうか。

平野

 大きくは昭和四八年に一度軌道修正をして、それから昨年(平成一三年)は「家畜の森」をこれ以上増やさないという旨の宣言をしております。

小出

 森林の経営が大きくかかわっているのでなかなか難しい問題があると思いますが、先程、アメリカの話がちょっと出てきました。毛利さん、どうですか。アメリカが本をバサバサ切ってしまうのは当然だと......。

毛利

 昼間の地球を見ると、森林が多いということはすぐわかります。逆に夜の地球を見てみます。私たちは夜はむしろ北からの軌道が多かったのですが、ロシアのシベリアの方から、日本海を通って、日本の上空に来て太平洋に抜ける。シベリア上空では地上の光はほとんど見えません。日本に近づいてきて、日本でも日本海側はあまり明るくないのですが、太平洋側に出ていったん振り返ってみると、茨城ぐらいからずっと瀬戸内海まで完全にオレンジ色に光っているのです。それが続いているのが韓国の方です。逆に北朝鮮から沿海州は全く暗いのです。そういう差がはっきり見えます。日本は特に全体に光が強いのです。ヨーロッパ、アメリカ。明るいところは大体都市に限られています。それにもかかわらず日本は、昼間見たらあまり明るくないだろうと思われるところにまで人が住んでいる。日本人は森と一緒に住んでいるのかなという印象がしました。

小出

 上から見た場合の森と、下から見た場合の森といいますか、目線を低くして見る森というのは相当道うところもあると思います。

安成

 今、毛利さんが夜の地球の話をされてちょっと思い出したことがあります。地上の夜の明かりを感じるセンサーで見た有名なNASAの衛星の画像がありますが、夜の日本海はものすごく明るいのです。何かというとイカ漁の漁り火です。大量のイカ釣り船のあかりです。それで、季節にもよりますが、日本海は海洋上で唯一例外といえるほど明るいのです。

毛利

 それを実際に見たのですが、その日本海のイカ釣り船の光だけが、ほかと違う色をしているのです。都市の色、陸地の明かりの色はみんなオレンジ色になっているのです。どこも例外なしに、宇宙に届く色はオレンジ色なのですが、日本海のだけは白い色をしているのです。はっきり違う色で、それがイカ釣り船だとわかるのです。
 ところが、九二年に行ったときと比べて、一昨年行ったときには、幾何学的に一定の間隔で日本海の上にイカ釣り船の白い光が並んでいるのです。非常に幾何学的に並んでいます。それは非常におもしろいと思いました。おそらくいろいろな協定があって、韓国、北朝鮮、ロシア、日本の間で漁業の人たちがお互いに約束事をしているのですね。それがはっきり見えました。

安田

 今、イカの話が出ましたが、環日本海文化地域のもう一つの大きな特色は、魚を食べるということです。人間はたんぱく源がないと絶対生きられません。環日本海地域の人々は、食生活の中で何をたんぱく源に求めたかというと、基本的に魚だということです。これは重要です。魚を食べるためには森がなくてはいけません。森の栄養分が海へ流れて魚を育てるわけですから、森があって初めて魚を食べることができる。ですから、環日本海地域の食生活の大きな特色は、魚を食べるということです。
 アメリカ人が、何センチもの厚さのあるビーフステーキを食べるのは、もはや異常ですよ。大体、この地球上には中国人がたらふく肉を食べるだけの水はないのですから。小麦粉を一トン作るのに大体一〇〇〇トンの水がいる。では一トンの牛肉を作るのにどれだけ水がいるかというと、一万二〇〇〇トンの水がいるのです。そんな肉をたらふく食べて、ハンバーグをどんどん作って、しかも京都議定書(→注5)にさえサインをしない。本当にひどい国だと思います。まさにカウボーイの国だと思います(拍手)。

小出

 だいぶ拍手がありましたね。安田さんのいう「森の民」「家畜の民」の考え方の違いが当然出てくるわけですね。どういうところが発想の違い、あるいは行動の違いになっているか。もう少し例を挙げてください。

安田

 まず森の民は、私たちの国が深い雲に覆われていたの同じように、実は慎み深いのです。非常に穏やかで優しい国民だということです。つまり、それはどういうことかというと、我々は巨木にさえしめ縄を巻いて拝んでいるわけです。人間以外の他者を神様としてあがめて、人間以外のものを崇拝する。そういう人間は、もちろん同じ同胞である人間を信じるわけです。人を信じることができる。ところが、森を、巨木を平気でぶった切るような人間は自然を信用できない。はっきり言って、そういう人間は他人をも信用できないのです。だから法律がいるのです。
 もう一つ、人々の考え方の大きな違いは、その世界観にあります。森は春に生まれて、秋には木の実がなって、冬は死んだようになる。しかし、翌年の春にはまた若芽が出てくるというふうに、森の中の命は永劫の再生と循環を繰り返しています。ですから、森の民の世界観は、生きとし生けるもの、宇宙のあらゆるもの、太陽を含めたあらゆるものが永劫の再生と循環を繰り返しているという世界観になります。森の民にとっては太陽でさえ朝生まれ、そして夕方死ぬのです。また翌朝、太陽は東の空から生まれ変わってくるのです。宇宙の命あるものは永劫の再生と循環を繰り返しながら、この小さな宇宙の中で肩を寄せ合って生きていくという世界観が森の民の世界観です。
 三つ目は、命を大事にしますから、命を生み出す女性というものが大変大きな力を持っているということです。それに対して、家畜の民は巨大な家畜をコントロールしなくてはいけないから男性中心です。父性原理の戦闘的な力の文明です。これに対して、私たちの森の民は、「美と慈悲の文明」、優しさの文明を作ってきたのです。

毛利

 信じる信じないではなく、もう少し科学的に客観的なデータをもとに考えてみたいと思います。特に魚の問題ですが、確かに日本海の魚で満足している優しい日本人であれば問題なかったのですが、日本人は今やステーキを食べるばかりでなく、地球上のあらゆるところから自然の恵みを買っていますね(笑)。ですから、それはまた違う問題だと思います。現在、他の国々を森の民、家畜の民と一概に決めつけることができなくなりました。
 でも、やはり森を大事にしてきた日本海の人たちは、なぜ何千年にもわたって豊かな自然と文明を築き上げてきたのかということが、逆に科学的に実証されつつあるときだと思うのです。

安田

 毛利先生のお話で印象的だったのは、日本を見て、八年前に見られたものと、あとで見たものとほとんど変化がないとおっしゃったのです。つまり、日本海沿岸はいかに生態的に安定した地域であるかということです。それだけでも、アラル海に比べたら非常に安定していて変化がないという言葉の中に、自然と人間がきわめて安定的に暮らしている地域だと言えるのではないかと思います。

小出

 ところが、宇宙から見てはっきりわかることと、地上の虫の目で見たときにわかることには、かなり落差があると思います。

毛利

 スペースシャトルで南シナ海、東シナ海、日本海、オホーツク海、ベーリング海などを比べてみると、日本海だけが本当にクローズされているのです。ほかのところは太平洋と大きくつながっています。今、東シナ海は非常に汚いですけれども、ひょっとして日本海も明るく見えるようになったとしたら、あっという間に汚れてしまうのではないかという点が危惧するところです。

小出

 放射性廃棄物の捨て場にもなっているなどの問題も現実にあるわけで、必ずしもあまり楽観的にはなれません。今日のパネルが国際シンポジウムで、日本人以外のパネリスト、特に「家畜の民」もいると、いろいろな反論が出てきて大いに盛り上がるところです。

安田

 昔、僕がその話をしたら、アメリカ人に「お前はならず者だ」と批判されました。僕は「あなたこそならず者ではないか」と言い返しましたが。小出 たぶんそういう議論になっていくのだろうと思います。ただ、現在の日本人に、安田さんのいうところの慎み深さと人を信じる気持ち、再生と循環の心、そして女性の大きな力、などについて、変わらない心があるかということでは、相当違ってきているところもあるように思います。木崎さん、どうですか。

木崎

 森の民の物語に満ちた神話の世界というのは非常にポエティックと申しますか、むろん私はそこに郷愁を感じ、大きな価値をおいていますが、フランスで母親として子どもたちを育てた体験から申しますと、少なくとも現在の日本と比べると、よほどフランスの方が母性が大事にされているという実感を持っています。安田先生がおっしやったようなかたちで、欧米には父権の強い、いわば家畜の民というような面が確かにあるとは思うのですが、それだけに反面、いっそうそのことを非常に意識せざるを得ない。そうしないと女性も黙っていないし、いろいろな意味でひずみが出てくるということを意識させられてきた社会だと思うのです。
 たとえばフランスでも、ローマ帝国の中に組み入れられる以前には、たとえば、木々に宿るヤドリギに聖なるものを見て、それを拝むという私どもと同じような自然宗教があるわけです。ヨーロッパの自然観と宗教の歴史を語り出したら大変なことになりますが、ともかく非常に長い時間をかけて変化してきたわけで、むしろ日本は非常に急激に近代化したために、ヨーロッパなどよりもはるかにあざといかたちで美的な面を失ってしまった。そういうことはやはり意識しなくてはいけないと思います。ここに「家畜の民」がいないなら、一応、代わりとして中し上げます。

小出

 ぜひその意見が欲しかったところです。

安成

 ある意味では先程の安田さんの話や毛利さんの話の補足なのですが、日本は確かに、特に冬の雪にからんで森があるという話をしましたが、沿海州や朝鮮半島も非常に森林が多くて、特に韓国などは、一時朝鮮戦争のときに相当荒廃したのが、今、非常に森の多い国になっていますね。先程平野さんが言われたように、たぶん成長が早いのだと思うのです。
 今度、夏の話をしますと、東アジアの環日本海の領域というのは夏のモンスーンの地域で、南から非常に湿った風が吹いてきて、雨がもたらされる。日本は梅雨がありますし、朝鮮半島では「チャンマ」といっていますが、夏の雨がシベリアの沿海州の方まで上がります。ですから、季節的にはほとんど夏に集中するのですが、そのトータルの降水量は北米の東岸よりもはるかに多い。その降水量で、しかも夏に雨として降りますから、森林が非常に豊かになる。その条件が基本的にあると思います。これは氷期以降に暖かくなって、その条件が特にできた。氷期のあと暖かくなって、モンスーンが強くなったということに関係します。
 今の木崎さんの話に関係しますが、私の専門である水の循環という視点からいくと、東アジア、あるいは東南アジアも含めてですが、モンスーンアジア地域というのは水の循環が非常に活発です。どういうことかというと、たくさん海から蒸発して、たくさん降る。ぐるぐる回るスピードも速いし、量も多い。これは欧米に比べたらはるかに強いのです。
 ということは、環境汚染という視点から見ると危険な面も持っているのです。昔から日本には「水に流す」という言葉がありますね。とにかく、悪いものでも川に流せばそれできれいになってしまう。流されてしまう。「水に流す」という言葉はモンスーンアジア特有の言葉だと思います。それだけ汚染物質を多少流しても、すぐには汚染が顕在化されないという側面もあるのです。東南アジアの汚染が非常にひどい背景には、僕はそういう側面もあると思います。
 日本海は非常に閉鎖系という面がありますから、環境汚染については非常に気をつける必要があります。地球のシステムは、我々専門の言葉でいうと「非線形システム」であり、外部の変化に一対一に対応して変化するのではなく、ある日突然、大変化を起こすということが十分あり得ます。日本海の氷期の状態と現在の状況も、決してだらだらと変わったのではなくて、どこかでクリティカルにばんと変わったかもしれない。僕はそういうこともポテンシャルとしてありうると思います。そういう意味で、今変化していないからと安心していては危ない。

小出

 そうですね。日本の国土は、水の問題も風の問題も大気汚染もそうですが、汚染が起きにくい条件にあるからかえって気がゆるんで汚染がひどくなったということもあるので、それには精神的な問題があるわけですね。

安成

 ですから、ヨーロッパはむしろもろい自然条件にある。森の中に家畜がうろうろしている。逆にいうと、その状況で森を守ろうという運動が強くなってくると、まさにマナーも法律も必要という話になってくる。それがいいか悪いかわかりませんが、そういうコントロールは強いのです。アジアは、ある程度ほうっておいてもなんとかなるという、それが逆に......。

小出

 汚染をもたらす。ある限界を越えると急激に変わる可能性もある。

安成

 現に、東アジアの、主に中国ですが、今、中国を汚染源とするような大気汚染が非常に問題になってきています。特に酸性雨(→注6)の問題があって、この周りにはずっと森林がありますが、結構酸性雨にやられつつあります。そのもとはといえば、どうも中国の工業地域から出てくる汚染物質が原因ではないか。実はこの問題に一番熱心なのは韓国です。韓国は、東アジアの酸性雨のネットワークということに対しては日本以上に熱心です。

二一世紀に生きる価値観の発信

小出

 日本海を取り巻く人々が、特に日本人が森の民であるということは異論がないわけですが、よく考えてみますと、森の民ではあるのだけれども、実は身も心も家畜の民になっている日本人も決して少なくない現状です。同時に、これからの二一世紀の地球を考えるときに、森の民が家畜の民よりもよりよい価値観をもし持っているとしたら、現在の家畜の民になっている日本人、ならびに世界の人々に、いろいろ発信していくことが必要だと思います。
 では、日本海からどういうふうに発信していったらよいのか。少し皆さんから知恵を出していただきたいと思います。どうでしょう。

安田

 やはり森の心を世界に広めるためには森がなくてはだめです。森のないところで森の心を持てといっても、これは無理です。僕は、方策としては、まず世界を森で埋め尽くす。これが日本人として二一世紀に果たすべき役割だと思います。
 僕は今まで、レバノンスギ(→注7)の救済活動や、中国の植林などいろいろな海外の植林活動にも携わったことがありますが、行ってみると「なんでお前は東アジアからわざわざやってきて、このレバノンスギの森を救済するのだ。なぜわざわざ高いお金を出して、日本からやってきて木を救済しなくてはいけないのか」というのが真っ先の質問でした。我々にとっては、この巨木を命がけででも救済したいと思う。その気持ちは全然伝わらないのですね。「お前はそれを救済したら、日本で何億円のお金でももらえるのではないか」と言うのです。
 僕はそれを聞いたときに、いかに自然や森、木に対する考え方が違うかということを感じました。ですから、まず森の心を世界に伝えるためには木を植えることです。中国を森で埋め尽くせば、あの漢民族の心ももう少し優しくなるのではないかと思います。

小出

 なかなかよいアイデアだと思います。難しいと思いますが、確かに重要な点だと思います。しかし、その前に平野さん、日本の森もそういう意味では救済の対象ではないのですか。

平野

 森を増やしていくこと--行政として私たちはそれをやっていますが、「日本は黙っていても木が生えるのではないですか」とよく言われます。先程日本には「水に流す」という言葉があるとおっしゃいましたが、「あとは野となれ、山となれ」というのも、どうやら日本だけしかないことわざのようです。「伐りっぱなしにしていても自然に生えるではないか」とも言われます。テクニカルな話をすると、北日本ですと、伐りっぱなしだとササだけの山になってしまうという危険性があります。ただ、そのササも六〇年に一回全部枯れてしまいますから、二〇〇年、三〇〇年のオーダーで考えれば森に復元するわけで、それほど日本の植生が強いということなのですが、目下の課題は、「家畜の森」を増やしすぎたので、それを戦後処理として、あと一~二回間伐(抜き木)をやってあげないといけません。これ以上「家畜の森」は増やしませんので、とにかく間伐を今一生懸命やるということが至上目標です。
 もう一つ。私は生活に密着した話を常々考えていて、この環日本海もそうなのですが、なぜ今環日本海かと言われたときに、結局、先程のオレンジ色の光の話とも絡むのですが、大都市といいますか、人がどんどん葉まってきている表日本側に対して、環日本海側が、ある意味では辺境になってしまっている。その辺境に対する巨大都市というものをもう一度考えてみたときに、このままだとどうも立ち行かなくなりそうだということが、ようやく見えてきているのではないでしょうか。地球環境というタームを限られた問題がわかってきましたし、そういう人間としての本能的な価値観の変化のようなものも背景にあるようなのです。
 そこはうまく言葉で表せないのですが、今、辺境としての環日本海に目が向き始めているポイントというのは、そういうふうに潮流が変わってきて、現在が潮目に当たっているのではないかということを、みんなが感じ始めたからではないでしょうか。

小出

 そこで、日本海から何を発見するかということが大変重要になってくるわけですね。

平野

 そうですね。私は冒頭で共有資源という話をしたのですが、縄文の人というのは共有資源、循環資源というものを持っていて、それをリサイクルしなくては生きていけないということを、生活の知恵として知っていたわけですし、弱い民でしたから、大陸の民に対して「負け」を知っているのです。負けながらどうやって生き延びるかということをつねに考え続けた民だと思います。そのためには、戦ってはいけない。つまり女系社会だったわけで、そういう生き方というのは小国主義かもしれないけれども、これから生き延びていくためには非常に賢い策だったと思います。

小出

 あまり大国、大国と頑張らないで、もっとサイズに合った生き方があるのではないかということでしょうか。

平野

 自らの生活パターンと全く逆のことを話していると、みんなに言われるかもしれませんが......。たまたま今日、午前中に出てくるときに、何人もの人から携帯電話がかかってきてあわてました。私から変なメールが来ているというのです。いろいろ聞くとどうもネットウイルスに侵されているようで、明日から膨大な作業をしなくてはいけません。アメリカのシカゴから来たメールを開いたことが原因だったのですが、サイバー社会の中で、よけいなことのためにものすごい労力を使わなければいけないというこの矛盾。これは近代文明の中では避けて通れない話ですが、こういった仕組みの中で暮らしつづけることの意味はやはり少し考え直さないといけないでしょう。
 だから辺境ということでもないのですが、何かちょっと、「おかしいんじやない?」ということを、みんなが感じ始めているのではないかという気がします。

小出

 おかしいのではないかということの解決のカギが、どうも日本海などにあるのではないかと。

平野

 巨大都市での暮らし方は、ここ数十年、匿名化や個人化をずっと進めてきたわけですが、そうではないもう一つの暮らし方ですね。そのヒントが辺境の、たとえば環日本海の世界にあるのではないかということです。

小出

 辺境ではなくて中心だという話も挙がりましたが、地理的にはやはり辺境です。だからこそ、いろいろ発信していくことがあるのではないかという先程の話に戻したいと思います。
 安田さん、世界を森で埋め尽くすことは大変結構なことだと思いますが、現実の世界で見ると、森がどんどん消えていくという方向にあるわけですね。環境破壊がますます進んでいる。そのもとにはグローバリゼーションのマイナスの側面があって、経済的な格差がますます拡大し、ますます貧困者が増えていく。貧しい者が増えれば、森に依存して生きなければいけない。食べ物をそこから採るわけですし、農地も開かなければいけない。エネルギー源としては森の本を切って薪にする。どちらかというと、私たちは森によってかろうじて生きているのだけれども、その森を食いつぶすようなかたちでどんどん世界を荒廃させているというのが現状ですね。
 そういう中で、森で埋め尽くすということは、スローガンとしてはよくわかるのですが、現実の問題としてどういうふうに発信していったらよいのか。非常にむずかしい問題ですね。

安田

 そうですね。こういう話をすると、先程僕が魚の話をしたら、毛利先生から「お前はそんなことを言うけれども、世界中の魚を食っているじやないか」と。僕が「日本人は森の民だ」と言うと、「熱帯雨林の森を破壊しだのはだれだ。日本人だろう。なぜ森の民だと言えるのだ」という質問が必ず来るのです。
 しかし、僕はそういう質問に対して、たとえば、確かに日本人は戦後高度経済成長期に熱帯林を破壊しました。しかし、その熱帯林の破壊はいけないということに、高度経済成長期からわずか二五年で我々はもう気づいた。今では製紙工場で使用するパルプの木材も、ユーカリなどを植林して循環的に再生利用しています。しかし、アメリカは、森の破壊がいけないということに、一七世紀に破壊してから今でも気づかないのです。京都議定書に調印しないことを見たらわかるでしょう。我々は二五年でこれはいけないと気づいた。ですから、今でも毛利さんは「あなたは魚を食っているだろう」と言いますが、世界の魚を食いつぶしてはいけない、だから日本で養殖しましょうという技術を発展させていくと思うのです。そこが森の民の質いところだと思います(笑)。

毛利

 今の論理は一番一人合点ですね(笑)。先程の宇宙ではありませんが、内なるものというのを世界中の人たちがそれぞれ持っているわけです。森の心というのは非常に抽象的な表現なのですが、では、日本人、環日本海人が目指す森の心とは何だろうかということを、分析的に、論理的に、ほかの人にも伝えられることをきちんとする。木崎さんはおそらくいろいろな表現が上手だと思いますが、そういうものをほかの言語にも直す。ただ木を植えればいいというのではなくて、そういう行為も大事だと思いますが、それを伝えることです。
 なぜかというと、森の心を知っているのは日本ばかりではありません。私たちばかりではなくて、ほかの世界の人たちも大事さを知っていますね。それぞれ方法論がちょっと違いますし、バックグラウンドにある価値観もちょっと違うところがあるのですが、地球に限界があるということがもうわかっているのです。小学生でもわかっています。それは、ミクロ的にDNAというもの、マクロ的に宇宙からの視点という両方から攻めてきた科学というものが分析してくれたところなのですね。
 そういう意味で、私は狩猟民族がうんぬんというのではなくて、両方のいいものを作ろうとする考え方。それは理解してもらえるのです。もはや限界がわかっているから理解してもらえるのです。何でも森に浄化してもらえるという考え方は、今の森ではもうできなくなっているので、ある程度コントロールしなければいけないということも、残念ながら、森に住む人も理解しないといけないと思います。
 ですから、両方のいいものをどうやって発信していくかというのは、今まさに環日本海というものを科学的にもアプローチして、みんながわかる言葉で表現する。それがまさに発信するということだと思います(拍手)。

小出

 大変重要なポイントだと思いますし、今、森の心を伝えるという話が出てきましたが、木崎さん、どうですか。

木崎

 環日本海ということで申しますと、先程、日本海は一つの湖みたいだという表現をされましたが、これは非常に文学的な言い方になってしまいますが、のある庭と申しますか、一つの水庭を囲んでいるようなものです。庭というのは家と外をつなぐものです。日本人にとって、今までは日本海の向こうに外国があると思っていて、実際、近代国家という考え方からいけば当然そうなのですが、水の庭である日本海を囲んで一つの大きな家があって、その家がまた、たとえばその向こうに砂漠の国があったり、山岳の国があったり、そういうところとまた柔らかく接していくというようなイメージです。そういうことを言葉だけで言ってみてもしかたがないと思われるかもしれませんが、そういうイメージを常に心の中に抱きながら、お互いに今日の話題に挙がっている土地の人だちとつきあっていけるといいなと思います。

小出

 安成さん、日本海をめぐって周りの国々で、たとえば共通の場で研究計画を立ち上げるときに、今の気持ちというのでしょうか、心の持ち方というのを研究態勢に反映していくなど考えられないでしょうか。

安成

 今、地球環境問題は非常にやかましくいわれています。実はアジアの環境問題を考える時、その自然的条件を考えておく必要がある。特に東アジア、あるいは、東南アジアから中国、日本海を経てオホーツクに至るまでの地域はアジアのグリーンベルトといわれています。熱帯から北極の辺までずっと森林が続いているのです。こういうところは世界でここしかありません。これ全体がつながりながら一つの大きな生態系を作っている。これのベースになっているのは、先程言ったアジアのモンスーンが非常に大量の水を北の方まで運んできている。冬は冬で、日本などに大量に雪をもたらしている。こういう条件が東アジアにはあるわけです。
 私は、日本海学は非常に大事だと思うのですが、広い意味でのアジアに、世界の人口の六割以上が住んでいます。ですから、結局、地球環境問題というのは、大部分はアジアの環境問題です。ここをきちんと解決すれば、全体的にみても、うまくいく。極端ですが、そういう希望を持っています。
 大きな生態系ごとに見たアジアの中で特に大きな環境問題は、三つあります。一つは東南アジアの熱帯林。サラワクとかマレーシア中心として大きな問題です。それから、中国の内陸、あるいは中国からモンゴルにおける乾燥地域は、砂漠化かどんどん進行している。草原の生態系がどんどん後退している。モンゴルなどは今、かなりやばい状況になっています。
 もう一つは、この環日本海です。ここは今のところはまだ安泰のようですが、私は、日本の森林生態系は非常に危ういのではないかと思っています。平野さんがほうっておいても生えると言われましたが、今の気候状態ならばほうっておいても生えます。しかし、このまま温暖化が続いたら、雪が降らなくなってきます。この間、富山に行きましたが、富山も何年もろくに雪が降っていません。日本海側の今の若い人もあまり雪を知らないという状況ですね。
 これは地球温暖化の一環ではないかとも考えられます。これはもちろんまだ確証が得られていません。しかし、確実にシベリアは暖かくなって、シベリアからの寒気は弱くなり、そのために雪は減ってきている。それは状況として確かです。雪が降らなくなると、先程、安田さんが言われたように、ブナ林も下生えも含めて、いろいろな意味で生態系が乱される可能性があります。そうすると、ほうっておいても生えるという状況にはならないかもしれません。
 すなわち、今のところ顕在化していませんが、たぶん東アジアの日本海を周辺とするところは、このまま温暖化が続くと、最も顕著に影響が出てくる可能性があると思っています。そういう意味で、もちろんモニタリングも含めて、あるいはそういうプロセスの解明を含めてきちんとやるところであると思っています。これは我々の生活にもろに関係してくると思っています。

小出

 そういうときには、やはり共通の風土の中で育ってきた、生きてきた人々というのは、結構共通の認識を持てるかもしれないという期待があります。いずれにしても発信するべきものを、まずきちんと整理するという段階がなければいけません。整理したものを普遍化して発信していくという作業が、次にとても重要になってきます。そのときに、人材といいますか、人間が必要ですね。学会も含めて多くの日本の人々は、日本海の方になかなか目が向いていないという現状をどのように変えていく必要があると考えますか。

安成

 これは非常に難しい問題ですね。私がちょっと危惧しているのは、太平洋側の大都市に住む人の人口がどんどん増えてきていることです。すなわち、日本海側の自然環境、社会の問題に対する意識が、相対的に低くなっているのではないか。そういう意味で、今、日本海学ということで強調することは非常に大事だと思います。結局、太平洋側の生活基盤も、先程から言っているような日本海側の状況がバックにあるわけです。
 ここはまさに科学未来館ですが、特に子どもたちに実際の生の日本の自然というものをできるだけ経験・体験させる必要があるのではないでしょうか。安田さんがおっしやったように木を植えることも大事ですが、特に日本は本当の自然に触れる教育がものすごく弱くなってきているという気がします。そこのところは非常に地道なところだと思うのですが、それこそ日本海側の森のところに行って、短い期間でも自然の中で生活をする。そういう体験も含めて、日本の若い人はあまりにも都会しか知らない。世界中どこでもそうかもしれませんが、特に日本はひどいという気がします。

小出

 Sense of Nature(自然に関する感性)のようなものが欠けてしまっているということですね。そういう自然に対する感覚、森だけではなくて海に対する感覚も重要です。ものを考えるときに一番基本的なのは感性だと思います。そういう感覚がまず欠けているということが一番問題ですが、安田さん、どうですか。

安田

 先日、立山に行きました。立山には、立山杉という樹齢三〇〇〇年ぐらいの巨大なスギがあるのです。このスギは海抜一五〇〇メートルぐらいの立山の山麓にあるのですが、かつて氷河時代の終わりごろには、海面が現在より一〇〇メートル近くも低かったものですから、今は海になっている海底に生えていた。それが、気候がだんだん温暖化する中で、あの山の上に追い上げられていったわけです。そういう歴史が、私たちの花粉分析の結果からもきちんとわかっています。今は海抜一五〇〇~二〇〇〇メートルのところに生えている立山杉は、かつてはこの日本海の海底に生えていたのです。それが後氷期の気候の温暖化に伴って、山の上に追い上げられて、そして今も生きている。そこに我々も住んでいるということです。そのとき僕は、これはすごいことだと思いました。
 我々はよく屋久杉(→注8)、屋久杉と言いますが、なぜ立山杉を言わないのか。実は僕は屋久杉の歴史も研究もしていますが、屋久杉は、アカホヤ火山灰の噴出した鬼界カルデラの巨大噴火によって、一回絶滅しかけているのです。いつごろから屋久島の縄文杉が生えていたのかわかりません。ところが立山杉というのは、まさに私たちの花粉分析の結果からきちんと由緒来歴がわかっているのです。かつては日本海の海底に住んでいたスギが、今、立山の上まで行って残っているのです。そのような国は世界広しといえどもありませんよ。この日本の中で一万五〇〇〇年間の森の歴史がたどれて、かつてその一万五〇〇〇年前の森が今ここにあるのだという、それはすごい国だと思うのです。
 それがまさに我々が森の民であるゆえんです。森とともに生きてきたのです。日本は雨が多いからほうっておいても森は大丈夫ということですが、そうではありません。日本人はきちんと森を守ってきた。森を大事にして守ってきたから、これだけの国土に七〇%の森があるのです。その森の民の心を世界に伝えたいのです。

毛利

 そのとおりなのですが、屋久杉もその連続の一つなのです。DNA的には同じスギですね。

危機的状況にある日本の森 その対策とは

小出

 安田さんのお話を聞きますと、日本人は今、何の問題もないと聞こえるのですが、私は逆に、日本の森は相当危機的な状況にあると思う。森の民でなくなったから危機的状況になったのか、危機的状況になってきたから森の民でなくなってきたのか、その両方あると思うのですが、これからも森の民であろうとしていくならば、まず足元を固めることが重要なのではないか。その点について、安成さんは教育と感性の問題を指摘しました。他にも経済の問題、あるいは制度の問題、法律上の問題などいろいろ必要だと思うのです。平野さん、その点はどうでしょうか。

平野

 研究者として、そういうテーマをやっていかなければいけないという問題もありますし、消費者も含めて、あるいは生活者としてこのように変えていかなければいけないという問題もあります。さらに行政としてこうやっていかなければいけないという問題など、いろいろあると思います。私は森林問題についてかなり楽観的な話をしたり、間伐の問題だけをとり上げて強調しましたので多少誤解があったかもしれません。
 ただ、森づくりについて言えば、確かに辺境部の人たちが戦後、一生懸命やってきたのは事実で、近年では漁師さんが山に木を植えるという「漁師さんの森づくり」さえあります。富山の漁協の皆さんが岐阜の高山の方まで出かけていって植えているように、全国には魚付き保安林が三万ヘクタールもあります。森を大事にしてきたのは、ローカル(辺境)ではごくあたりまえのことなのです。
 人種を二つに分けるわけではありませんが、残念ながら、都市に住む人たちが自然から足が切れてしまって、森のことを忘れてしまった。そこが一番の問題で、その人たちが考えるのは里山だけというのもおかしな話です。かわいいペットの森だけでなく、もっと奥地にある、源流部にある森にも入っていって、森をよく知るということが大切です。森というのは冬の日本海と一緒で非常に恐ろしいものなのです。数年前払は、ナホトカ号座礁(→注9)のときに、国土庁で防災の仕事をしていたので現地へ行ったのですが、冬の日本海は本当に恐ろしいところでした。実は、森も恐ろしいところで、縄文の森がそうなのです。それを都市の人たちはバーチャルでしか見ていないものですから、わかっていらっしゃらない。そこがアングロサクソン化の最たるものかもしれません。
 経済などがどんどんボーダーレスになってきて、製造業もそうなってしまっていますが、地球規模になってしまっている。これは非常に難しいのですが、何でもかんでも地球規模になってはいけないわけで、せめて農林業など身近ですまさなくてはいけないものは、安全と安心のためにできるだけ近いものを使うとか、そういう消費者としての性向変化をはじめていかないと、これからはうまくいかない。
 都市の人は安いアメリカの牛肉を買っていますが、辺境部の人たちはどうでしょうか。自給自足は極論ですが、それに近いことをまだやっておられる。そういう暮らし方というか、生活の構えというものが、ひょっとしたら環日本海の多くの地域でなされているのではないでしょうか。そこのところに倣う点があるかもしれないということで、人文系の研究者も含めて、私たちは生活者としての消費性向などの観点から、もっと突っ込んだかたちで、もっといえばごみの問題もありますが、初めの一歩として何をすべきかということを、やはりひらに考えていく必要があるのではないでしょうか。
 それを考えるときの一つのシンボルとして、都市の対極にある森や、古い時代の共有資源をたくさん持っていたころの暮らし方-というものを見直す必要があります。環日本海というのはそういう使われ方がなされるのではないかと思います。

小出

 ものを考えるときに、やはり視点を変えてみる。そのときに日本海という視点からしっかり見てみようということは、とても重要なポイントだと思います。
 そろそろ時間がなくなってきました。最後にまとめの意味でもう一回ずつ発言していただきたいと思います。これを言わないと帰れないということもあると思いますし、これだけは言っておきたいというところもあると思いますので、あまり長くないかたちで一言ずつ。木崎さんからどうぞ。

木崎

 今、視点を変えるというお話がありましたが、日本海といえば、よく演歌などに出てくるように北の海で、なんとなくうら寂しくて、貧しくてというようなイメージがありますね。それは、一種美的な意味を含めてですが、日本人の中に定着してしまっているようです。でも、それは陸上交通ばかりになったときの話で、水上交通が盛んだったころ、日本海の港は非常に豊かであり、潜在的には豊かな文化を持った層がいる。ただ、それを隠し込んでいるというところがあると思いますが、そういうものを発掘していくおもしろさは、日本海側には非常に豊かにあるということが一つです。
 それから、東京から見れば、向こうは北で、日の沈む場所、夕日の海というイメージがありますが、反対側の朝鮮半島や中国の方から見れば、そちらの方が広い海に向かって広がっていくところですし、太陽が昇ってくるところでもあるわけで、全然違った見方のある日本海なのだということも想像してみたいと思います。

安成

 私は言いたいことは大杵百ったと思っていますが、お話の中でも申しましたように、結局、グローバルな地球環境の問題といっても、やはりローカルなところの問題から見つめて攻めていく、解決を目指していくということが一番大事だと思います。そういう意味で、特に日本海を中心としたところが、今、どういう環境の変化を起こしつつあるか。先程、特に雪の話を強調しましたが、これは日本の国土における水の利用、水資源ということを考えたときに、非常に大事な問題だと思っています。
 そういう意味で、私は水の研究をしていますので、それをキーワードにして、日本海、それからそれにつながるアジアの環境問題というところを、できるだけ攻めていきたいと思っていますし、できるだけそういうかたちで、いろいろな人に問いかけていきたいと思います。

平野

 今、業務で「森の名人(→注10)一〇〇選」に取り組んでいます。全国で川漁師や筏(いかだ)師、樽名人などの名人を一〇〇人選び、一方で全国から高校生一〇〇人を選んで、その高校生が地元の森の名人のところに聞き書きに行くというものです。ちょうど一か月前、高校生一〇〇人に集まってもらい、ここで研修をしました。残念ながら、その「聞き書き」フィールドは日本にしかないのですが、たとえば各国の沿岸域にも名人がおられるでしょうから、その名人を選んで、そのもとへ技術伝承のために聞き書きに行くということも考えられます。それから「巨木一〇○選」(→注11)というのも三年前から取り組んでいますが、各国の沿岸域にある巨木、つまり環境保護のため、手つかずの山々をリザーブし、そこから巨木を選んでみるという新しい国際交流もありうると思います。そういう指標となるようなシンボルを見つけ出し、初めの一歩として交流を始めるのです。
 また、これからの支え手というのは男性より、むしろ優秀な女性だと思います。NPOの女性軍に頑張っていただいて、そういう初めの一歩を、消費者や生活者運動から進めて、交流事業へとつなげていってもらえたらと思います。

安田

 私は森の民の作った植物文明と家畜の民が作った動物文明を提示して、家畜の民の悪口ばかり言っていて、家畜の民の代表であるアメリカで勉強なさった毛利先生はおそらく大変気分が悪かったのではないかと思います。失礼のあった点はお許しください。私は動物文明には動物文明のすばらしいところ、我々が学ばなければならないところが実にたくさんあることは十分認識しております。と同時に我々の背負ってきた森の民の植物文明の歴史と伝統を、もう一度我々自身が再評価しなければいけないと思うのです。この環日本海という地域は、そういう森を徹底的に破壊するという畑作牧畜民・動物文明の暴虐から八割近くが逃れることができた、まことに幸運なところです。
 ですから、畑作牧畜民の侵略に蹂躙(じゅうりん)されないで、そこには伝統的な稲作漁撈民、あるいは狩猟採集民の歴史と伝統的な文化が残ったということです。その歴史と稲作漁撈民の伝統的なライフスタイルの代表が、流域を単位にしたライフスタイルを維持していたということです。上流、中流、下流の人が水の循環というものを核にして営々と生きてきた。これが我々日本人の最も重要な知恵なのです。高度経済成長期以降、それを新幹線やハイウェイでみんな縦断しズタズタに破壊してしまったわけです。
 平野さんも最初に大変いいことを言われました。環日本海をくくるときは何でくくるか。流域を単位にしてくくったらどうかとおっしやったわけですが、この日本列島の流域を核にした伝統的なライフスタイルのあり方というのは、まさに日本人が水の循環系を核にしたライフスタイルを営々と構築してきた証なのです。これを二一世紀の知恵として、もう一度日本列島の中に復活するということが大変重要なことだと思います。

毛利

 私は自分を森の民だと思っているのですが(笑)。二つの敵対関係とかそういうことではなくて、一つは、安田さんが言いたいことは、森というのは、きっと今まで人間中心の世界からもう少しレベルを上げた、地球全体の生態系も含めて考えましょうということではないかと思います。狩猟民族の代表というのは、人間中心という、それをただシンボリックに言われているだけかと思います。今までは人間のことだけ考えていてそれでもよかったのですが、地球全体の限界がわかってきたときに、人間ばかりではなく、ほかの生命体も同じDNAから成り立っていると。ちょっとした違いからだということに気がついた今、やはり今まで人間本位に考えてきたのを、地球全体のことで考えましょうというのが、森の心です。それは十分伝わることなので、それをもう少し具体的に日本海学で構築して世界に発信する。
 その具体的なものは、今、日本海で魚を捕って食べているわけですが、イカ釣り船に代表されるように、ほかの国も日本海でたくさん捕っているわけです。そうすると、日本海の魚がいなくなるのは目に見えてわかっています。その前に、富山県が中心になって、環日本海に住んでいるほかの人たちに、国も県も含めて、森も大事だけれども魚の養殖もしましょうということを提唱されていったらいいかと思うのですが。

小出

 ありがとうございました。今日の議論を簡単に整理しておきたいと思います。私たち日本人は環日本海人のメンバーであるということが第一です。
 第二としては、環日本海の特徴は、どうやら水と森である。その森を考える、水を考えるということは、まさに文明を考えることだ。そして、その文明は今転換期にきている。新しい文明の方向をさぐるためのさまざまな知恵がそこから得られるのではないかということです。
 そして第三は、その教訓をどうやって発信するか。森や自然の中で問題を感じとる感性が大変重要なわけですが、次にはその感性で得られたものをさらに論理化し、科学的にし、共通の言語にしていかなくてはいけない。その言語をもって、私たちは日本の人々にあるいは世界の人々に向けて発信し、同時に行動もしていきたいということだと思います。そういうことを考えていく、あるいは行動していくことが、これから二一世紀にとても重要で、その原点となっていくのが、発想を変えて日本海ということをもう一度見直してみるということではないか。
 大体、そういうような筋道の議論であったように思います。私もこれまで環太平洋人という感じでいましたが、これからは環日本海人であるということにもあらためて目を向けてみたいという気がしています。
 長時間にわたってお話をいただきまして、どうもありがとうございました。会場の皆さんもご清聴ありがとうございました。

 

注1 新京  中国東北部吉林省の省都・長春。一九三二年から日本敗戦の一九四五年までは、清朝最後の皇帝・溥儀を擁して日本が建設した満州国の首都となり、新京と改称されていた。当時、満州国国務院など諸中央官庁、日本の関東軍司令部、満州中央銀行本店など満州国の中枢機関がおかれていた。

注2 長江文明  麦作と牧畜を基盤にして紀元前三〇〇〇年ごろに興隆した黄河文明より以前に、稲作と養蚕を基盤とした長江(揚子江)文明が存在したことが、最近の考古学的発掘によって、次々と証明されつつある。従来の稲作の起源説に重大な変更を迫った紀元前五〇〇〇~四〇〇〇年の河姆渡遺跡から始まり、稲作遺跡はついに紀元前一〇〇〇〇年を超すことが明らかな、八十だん、仙人洞、吊桶環(ちょうとうかん)、玉蟾岩(ぎょくせんがん)といった遺跡発掘にいたっている。また、都市遺跡も、紀元前三〇〇〇~二〇〇〇年の良渚(りょうしょ)文化遺跡(浙江省莫角山など)から、紀元前三五〇〇年まで遡ることが推定される湘南省城頭山遺跡まで、長江上流域から下流域にいたる広範な地域で、都市文明の遺跡が発掘されている。なお、国際日本文化研究センターは一九九六年から二〇〇一年にかけて日中共同の調査団を組織して、長江文明の解明に取り組んだ。(徐朝龍『長江文明の発見』、梅原猛・厳文明・樋口隆康『長江文明の曙』、安田喜憲『大河文明の誕生』いずれも角川書店刊、参照)

注3 大陸棚 Continental Shelf  大陸または島の周縁部の斜面、台地など棚状の海底。大陸棚周辺には海底石油、天然ガスなど埋蔵資源が多く、大陸棚条約(日本は未加入)などの条約で、その権益を規定しているが、必ずしも各国の主張が一致しているわけではない。

注4 白神(山地)  秋田県の北西部、青森県境付近の山地一帯。そこに広がるブナの原生林が世界遺産に指定された。

注5 京都議定書(Kyoto Protocol)  一九九七年一二月に京都で一六一か国が参加して開催された「気候変動枠組み条約第三回締約国会議」で、先進国における地球温暖化ガス国別削減目標を定め、それを「京都議定書」とよぶ。たとえば、六種類の温暖化ガスを対象とした一九九〇年レベルからの二酸化炭素換算削減率は、EU8%、米国7%、日本6%とされた。日本はじめ全先進国が議定書を批准したが、米国のみがいまだ批准を拒否し、問題になっている。

注6 酸性雨  石油など化石燃料の使用によって発生し、大気中に拡散した硫酸や硝酸を含むことで酸性度が強くなった雨。森林や湖水を汚染されるだけでなく、人畜にも直接的危害を与えるおそれがある。最近では、冬期日本海地域で、中国などの重化学工業化による酸性雨の被害も懸念されている。

注7 レバノンスギ  地中海に面したレバノンの杉(シーダー=レバノンの国旗の図案)は、木材資源に乏しかった古代エジプトで、船や家具の材料として重要視されたが、気象変動や乱伐などにより現在では一部に残るだけになっている。

注8 屋久杉  鹿児島県の大隅諸島最大の島、屋久島には一〇〇〇メートルを超す山が三〇座をこえる。植生は垂直分布していて、その八○○~一六〇〇メートル帯に自生する樹齢一〇〇〇年以上の杉を屋久杉といい、樹齢によって縄文杉、弥生杉などと命名されている。

注9 ナホトカ号座礁  一九九七(平成九)年一月、大シケの日本海(隠岐島沖)でロシア船籍タンカーナホトカ号(一三一五七トン)に破断事故が発生した。船体は二五〇〇メートルの海底に沈没したが、分離した船首部分は福井県三国町沖に座礁した。積み荷の重油約六二四〇キロリットルが海上に流出、さらに沈没した船体の油タンクから一二五〇〇キロリットルの重油の一部が漏れつづけた。重油は福井県をはじめ日本海沿岸八府県の海岸に漂着し、環境や漁業等に大きな打撃を与えた。

注10 森の名人  森にかかわる生業のうち、すぐれた技をもってその業を究め、他の技能者、生活者たちの模範となっている達人のことをいう。樵(きこり)、マタギ、蛇捕り、枝打ち師など四九職種に及ぶ。

注11 巨木一〇〇選  林野庁が選定した「森の巨人たち・巨木一〇〇選」