日本海学シンポジウム

パネルディスカッション 「現在の北東アジア情勢と二一世紀の行方」


2003年度 日本海学シンポジウム
2003年11月29日
京都市アバンティホール
 

コーディネーター
パネリスト
丸山 茂徳
伊豆見 元
木村 汎
清家彰敏
(東京工業大学大学院理工学研究科教授)
(静岡県立大学国際関係学部教授)
(拓殖大学海外事情研究所教授)
(富山大学経済学部教授)

このパネルディスカッションは、
『日本海学の新世紀第4集 危機と共生』に掲載されています。
→『日本海学の新世紀第4集 危機と共生』角川書店(p46~103)
 

二〇二〇年問題を間近にひかえた現代

丸山

 それでは始めさせていただきます。パネルディスカッション「現在の北東アジア情勢と二一世紀の行方」。次の四つの項目からなっています。最初に、「現代とはどのような時代か」というオーバービューを、ディスカッションをリードするというかたちで、私がイントロダクションのところをしゃべらせていただいて、そのあと三人の専門家の方々にご意見をいただきます。情勢の分析のあと、「問題提起」。そしてその問題をどう解決するかという視点のもとで、「日本海の平和のために、何をどうすればよいのか、日本の役割は?」というかたちで討論を展開させていきたいと思っています。
 まず、「現代とはどういう時代か」。人類の歴史全体の中から見て、それを一言でいうと、ボーダレスの時代だといえます。ボーダレスの時代とはどういう意味か。国際問題が日常的に頻発して、どの国も鎖国しては生きられない時代だという意味です。これが現代という時代を特徴づける最も重要な特徴でしょう。別の言い方をすると、われわれの周り、空間座標の中の位置づけではないかと思います。
 もう一つ。では歴史の流れの中で今を見ると、現代はどういう時代か。近未来、どういう混乱が待っているか。西暦二〇二〇年の問題というのは、歴史上の視点から見たときのもう一つの重要な問題点である。その流れの中で世界の工場になりつつある中国。中国は、そういう意味では近未来の環境破壊の世界の中心になりうる危険性を特っている。そういう二つの枠組みの中で、われわれはどういう対応をすべきか。
 ボーダレスという言葉は国境がなくなるというわけではなくて、国境が希薄になるという意味です。具体的には、ヒト。例えば現在世界には六二億人の人間がいますが、一割の六億人が平均して一年に一回、外国への旅行をする。そういう時代になっている。
 それからモノ。例えば日本の車など、ありとあらゆるものが世界中を駆け巡る。モノやお金がそういうボーダレスになっている。モノは、一九六〇年から過去四〇年の間に、世界の輸出の総額が六〇倍、最近だと七〇~八○倍になっている。
 それから情報ですが、僕は学生時代、『毛沢東語録』(→注1)にあこがれ、ユートピア性を特徴とした共産主義へのあこがれを特っていた。しかし、そこで行われていたことは何かということが一〇年余り前に暴露された。例えばスターリンは五〇〇○万人殺したといううわさがあり、毛沢東はその倍だと。二次、三次の殺人を含めてです。相互監視社会を作ったり、時代錯誤の密告制度など、いろいろなことをやって、結果として無数の人民を殺していたのです。ヒットラーなどはそれに比べればかわいいものだということが暴露された。現代では、国家が情報を操作することが、もはや不可能、そういう時代になっている。
 お金ですが、日本も二〇年前にお金を輸出するような国になった。ジョージ・ソロスというアメリカ人は慈善家でもありますが、彼が動かせるお金の総額は世界の一九四か国の下位にいる国の資産を上回るという、そういう時代になっているのです。
 さて、「二〇二〇年がやってくる」。将来予測のお話です。この問題については先進国では計画的に取り組んでいます。「EU 2020」とか、「Germany 2020」とか、このように二〇二〇をつけて、ヨーロッパでは日常的に使われている言葉です。日本人はこの言葉を知らないので、その話を少しします。二〇二〇年から世界中で大変な事件が頻発するという警告です。
 問題の本質は人口の異常増加です。これは世界人目の増加曲線です(図1)。このカーブを見てもわかりますが異常です。二〇〇年前の世界人目は一〇億でした。今、六二億を突破しました。人間が増えるとたくさんのエネルギーを使いますから、消費するエネルギー総量も指数関数的に上がる。同じように一人当たりの工業生産のカーブも人口に比例して上昇します。しかし、ずっと上がりうるかというと、そういうわけではないのです(後述する図3)。この計算をしたMIT(→注2)のグループは、一九七〇年に一九〇〇~二一○○年までの人口、食糧、工業生産、環境汚染と資源埋蔵量の五つの予測を行ったのです。まず人口の予測。結果はほとんど合っています。当時は袋だたきにあったわけですが、二〇〇〇年の時点で六一億というのはほぼぴったりです。人口のカーブと並行して食糧がいるわけですから、倍々ゲームで増加する人口に食糧増産が追いつかなくなる。まず、人口増加を可能にしている最大の要素である、埋蔵資源残高と交差する点が出てきます。それが二〇二〇年です。
 重要な理解のポイントは、例えば残った石油。この推定量が少々上下しても、交点の位置は変化しません。交点はほとんど人口増加曲線が決めてしまっている。この交点が二〇二〇年です。二〇二〇年を境に、資源問題をめぐって非常に大きな混乱がくる。つまり「成長の限界」がやってくるということが問題なわけです。
 二〇二〇年ごろから「人類史の転換点」がやってきます。つまり、現在、地球が限界のところまできていて、二つの課題、「化学環境の回復と世界人口の適正化」の二つが、緊急の解決問題となって人類の前に立ちふさがっているのです。こういう言葉があります。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。ところが、これは過去一万年の間に一回も起きたことがない試練です。こういう試練にわれわれは直面していて、しかも二〇二〇年までにわずかの時間しかないということです。
 もう一つ問題があります。世の中は「温暖化、温暖化」と言っていますが、もっと怖いのは寒冷化です。寒冷化すると何か起きるか。温暖化しているときは、湿気が中央アジアの内部までやってくる。だから、中央アジアは緑が生えて、ここに人口の爆発が起きます。ところが寒冷化すると、中央アジアにいる人たちは南下しなければならない。四世紀のころに、ちょっとした寒冷化で、アジア中南部やヨーロッパヘ民族の大移動が起きました。京都周辺だけでも一万人の難民がやって来ました。彼らはテクノロジーを持って来たから問題はなかった。聖徳太子は喜んで彼らを太秦(うずまさ)に住まわせ、強力な経済バックボーンにしたわけですが、今はそうはいかない。当時は世界人口三億人、今は六二億人もいます。来るべき寒冷化かどれだけの混乱を世界にもたらすか、考えただけでもゾッとするでしょう。
 さて、いちばん大きな問題は、世界の工場、中国です。中国は今、一五〇年前に失ったアジアの覇権を、毎年毎年力こぶ(国内総生産が毎年九%の伸び)を作りながら自信を回復している。そして二〇五〇年に、漢民族中国は世界一を目指すと宣言している。
 まず情勢分析をお願いするというかたちで次に移りたいと思います。
 それでは伊豆見先生からお願いします。

朝鮮半島の現況と近未来

伊豆見

 今、丸山先生のほうから、いろいろ大きな全体像のお話がありました。私は北朝鮮、朝鮮半島に絞って、数分ほど、お話をさせていただきたいと思いますが、三点申し上げたいと思います。
 第一点は、今、まさに丸山先生はボーダレスの時代というのが特徹だとおっしゃいました。北朝鮮を見ますと、こういうボーダレスの時代に逆行した存在であるということになろうかと思います。まさにヒト・モノ・カネ・情報といったものが入り込まないというか、それを閉鎖している。ボーダーを超えて、そういうものが移動しないようにした社会を、今、北朝鮮は作っているわけですから。そうしますと、現在の世界で非常に持異な体制をとっているところであることがおわかりいただけると思います。しかも、そういう世の中の流れに乗っていないということが、基本的にはいちばん大きいと思いますが、経済的には破綻をしておりますし、慢性的な食糧不足に悩まされているという状況にあります。
 ただ、体制を維持するというか、体制というよりも金正日(キムジョンイル)政権であり、金正日の独裁権力を維持するためには、実はこういうボーダレスの社会の流れには乗らないほうが、おそらく金正日という指導者にとってみると、それが幸いしているということなのだろうと思います。徹底的な閉鎖社会を保ち、その中で自分の絶対的な権力を振るう。そして、国全体の、あるいは国民全体の幸福、あるいは生活の向上については、ほとんど顧みないというか、努力をしないということで、成り立っている国家ではなくて、成り立っている政権、権力ということになろうかと思います。それが北朝鮮だということが今、申し上げられることだろうと思います。
 第二点めです。とはいえ、その状況がずっと続くのかといえば、おそらく続かないであろうと考えられる。いかに閉鎖的な社会をとっている、ヒト・モノ・カネ・情報は要らないのだということ――まだそれが基本線――ですが、徐々に、すでに変化をしてきている部分があります。とりあえずそれは南北間の話で、韓国との間は随分この五、六年の間、とりわけ二〇〇〇年の六月に南北の首脳会談が実現しましたが、それ以降、いわゆるヒト・モノ・カネ・情報のすべての部分が、かなり韓国から流れてくるようになりましたし、もちろんそれを北朝鮮が許容するようになりました。あるいはそれがないと、今の、金正日の絶対権力がおそらく保てないという認識が生まれているのであろうと考えられます。
 そうしますと、いつまでもそのボーダレス社会に逆行するようなかたちで今の北朝鮮が進むとは、どうも考えられないような話になる。しかし、そういう状況がどんどん進行していくのであれば、やはり今の金正日政権というか、金正日の独裁権力は保ちえないのであろうと考えられますので、どこかで体制というよりも、あの独裁権力(独裁者)は倒れるという可能性がこれからは出てくるのであろうと思われます。
 そうなるとどうなるか。統一するとか、あるいは少し緩やかなかたちで南北が共存関係に入るとか、いろいろな形態が考えられると思います。いずれにせよ今のようなかたちの、南北が明確に二つに割れているような状況が、それほど長くは続かないであろうとは考えられると思います。
 そこで少し将来のことを考えてみます。これが三点めです。朝鮮半島がどういうかたちになるのかということです。今すでに、韓国にそういうかたちが徐々に見え始めてまいりました。自分たちの位置づけが随分これから変わってくるのであろう、とりわけ南北が統一するようなことになると、変わってくるのだろうと。これは、周辺のわれわれとのおつきあいにおいての話です。
 韓国はご案内のように、今まで主としてアメリカ、日本と、非常に緊密な関係を持ってやってまいりました。アメリカに安全を保障をしてもらい、日本との関係において経済的に発展を遂げるという、そういうパターンでした。しかし、それがおそらく今後、相当変わってくる。とくに中国寄りになる、大陸寄りになるというわけではありませんが、朝鮮半島というのはもう少し、独立、自主的な方向に動いていくということが見通せるのであろうと思っております。

統合化(インテグレーション)と断片化(フラグメンテーション)の二分化

木村

 「現代をどう見るか」。この現状認識に関して、私は二点、お話をしたい。まず第一点は、世界全体をどう見るか。第二は、今日の主な関心事である北東アジアをどう見るか。まず第一。現代社会を、私は次のように見ております。二つの傾向が同時に存在する時代を迎えている、と。二つの傾向とは何か。一方においては、「統合化」(インテグレーション)。つまり、従来の国家というものがより大きな単位へと統合(インテグレート)されていく傾向が、明らかに見てとれる。例えばヨーロッパでは、EUという組織に表れています。EUではユーロという、共通通貨すらできている。そのように、徐々にではありますが、ヨーロッパは一つの単位になろうとしている。一つには、アメリカがあまりにも強い。したがって、米国に対抗しよう。またアジアにおいては、日本も経済的には強い。一国ではとうてい対抗できない。国家のボーダー(敷居)を取り払って、より大きな単位にまとまる。そのことによって対抗していこう。「統合化」は、現代の止められない流れだと思います。
 ところが私がここで強調したいのは、第二の傾向があることです。その傾向というのは、逆に、右の傾向とは正反対の傾向。今まで国家と思われていたものが分解して、より小さな単位になっていく。このような傾向も明らかに見てとれる。「断片化」(フラグメンテーション)と申しております。まさに私が人生の大半を費やして研究していた旧ソ連邦が、その好例です。一九九一年にゴルバチョフからエリツィンヘと替わる時代に、旧ソ連邦は一五の共和国に分解した。ロシアはそのうちの一つとなった。ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、グルジア......等々の国々に分かれてしまった。それは、旧ソ連邦という存在が大きすぎたからか。かならずしもそればかりではない。ユーゴスラビアも、五つから六つに分かれてしまった。あるいはチェコスロバキアも、チェコとスロバキアに二分解してしまった。以前の国家主体よりも小さな単位に分離独立していく。「断片化」の傾向が明らかに見られる。
 一方における「統合化」、他方における「断片化」――この二つが同時並行的に起こっている。このことが現代をわかりにくくしている。もう少し言葉を足します。丸山先生や伊豆見先生は"ボーダレス"という言葉をお使いになった。伊豆見先生は、北朝鮮は例外であるとおっしゃった。だが私はあえていうと、"ボーダレス"はわれわれ生活の一部の部分では起こっているが、それがすべてではない。あるいは"グローバリゼーション"と言い換えてもいい。全地球化は、たしかに一つの動きである。とくに科学・技術、経済、交通、風俗、ファッションの領域では"グローバリゼーション"が、たしかに進行中である。すなわち、いまや、日本という狭い国のことだけにこだわる時代ではなくなっている。日本で流行中のものはニューヨークでもパリでもモスクワでも流行といえる。「メイド・イン・ジャパン」などという考えは、古い。中国や東南アジアでも部分的に作られている。これは、事実です。そういう意味では"ボーダレス"がたしかに進行中です。では、国家というものがなくなったか。ある一定の地域(領土)を一つの政府が支配し、一定の国民を持つ。そのような"国民主権国家"の概念が古くなったか。とんでもない。現世界には二〇〇以上の国家があって、それらの国々、およそ一九一が国際連合に国単位で参加している。
 それが証拠に皆様、驚くなかれ、二〇〇二年のサッカーのワールドカップ開催時に、例えば中田選手が日本に帰って来ました。彼は、イタリア・チームのメンバーとして闘ったでしょうか。進う。中田もそのほかの海外プロ・チームに参加している日本人も全部、日本人選手として日本チームに参加した。また、日本国民は日の丸を振り、韓国人は韓国の旗を振り、国家単位で自国のチームを応援した。ということは、まだ国家というものが明らかに残っていることを示しております。
 そういうわけで、私は"グローバリゼーション"や"ボーダレス"という概念について不注意に話しする評論家の皆様にはくれぐれも注意されたい、と申し上げたい。右の反面があることを、マスコミも忘れがちである。私の立場は、現代世界でグローバル化は徐々に進みつつある一方、同時に国家主権の方もまだ根深く残っている。国家は徐々にしか変形を遂げないのだ。
 第二については、一言だけにとどめます。では、北東アジアはどうか。北東アジアは、とくに地域協力が難しい地域である。ヨーロッパでは、EUができ、東南アジアではASEANができるなどして、国家単位を超える諸組織がしだいに芽生えつつある。だが北東アジアには、まだそういうものがない。その理由は、三つ四つある。一つは、あまりにも、そこに住んでいる民族国家が多種多様である。わかりやすくいえば、白人社会かあるかと思えば、黄色人種からなる社会もある。人種、民族、宗教の差異により、ものの考え方も違ってくる。二つは、体制。社会主義をこの間まで維持していたロシアや中国。そこから今後脱しようとしている(?)北朝鮮。他方、資本主義体制を採る日本、韓国、台湾、そしてアメリカ、カナダなど。それが証拠に、後で詳しく伊豆見先生も述べられるでしょうが、「六か国協議」第二回目会合の開催のめどさえまだついていない。対立が激しい。私は以上のように現代世界と北東アジアを認識しております。

中国経済の成長とロボット経済

清家

 私は、将来展望のポイントは二つあると思っています。まず一つは、中国の成長が今後一〇年間続くであろうと。その点では中国の一〇年間という点が一点です。もう一つの変化というのは、現在、ロボットが登場していまして、その点ではこれからの一〇~二〇年を考えた場合に、一〇年後くらいからロボットとわれわれが共存する時代が来るだろうと予測しています。したがって、二〇二〇年問題はおそらくロボットというのも前提になるだろうと思っています。最初の一〇年間、まず中国についてお話ししたいと思います。
 現在、中国がどのくらい経済規模が大きいかという視点から「中国経済の可能性」を考えてみます。日本のGDPの三分の一から、近い将来二分の一になるでしょう。もう一つは非常に特徴的で、この中国のGDPの半分を人口の一%が持っているということです。ということは、九九%の人がGDPの半分を分け合っているのです。三番め、貿易がGDPの半分を稼ぎ出しています。ということは貿易をやらない人は、貧乏人です。四番め、家電ではすでに世界最大の生産国です。次に五番め、自動車におきましても、三年以内に日本の販売台数を超えます。次に、これは当然ですが、人口が日本の一〇倍。ということは、市場は一〇倍の規模まで成長をする可能性があります。もうすでに携帯電話では、世界最大の台数で、世界の保有台数の半分が中国です。
 そして広東移動という広東省を中心とした地域を市場とする携帯電話会社が、ドコモよりも大きくなります。中国経済はこれからの一〇年、ものすごい勢いで成長する。この成長は貿易、外国からの投資に依存しています。ある意味で日本政府や各国政府とどのように中国政府が連携していけるかにかかっています。各国政府は、この成長が地球をどのように破壊するのか、また上手にコントロールすることが可能かということを考える必要があります。
 中国の成長の次の一〇年、ロボットが経済を成長させます。実際、ASIMO(ホンダの多機能ロボット)の進化から予測するとやがてロボットが各家庭に入ってきます。状況によれば各家庭に、一〇~二〇台が入ってくる可能性がある。そういうロボットと共存する経済になった場合には、ロボットですから、コンピュータソフトで世界のロボット全体を管理できる。つまり、一〇から二〇年の間に、コンピュータソフトで世界の経済をある程度コンピュータ管理できる可能性がある。環境破壊、成長の限界のコンピュータ管理、世界経済の制御です。この二点、「中国の成長による経済」の一〇年間、「ロボット経済」の一〇年間、これが今後の二〇年の予測です。

民主主義国家同士の戦争は起こらない

丸山

 では、現代の国際情勢の分析を踏まえて、その次に、もう少し具体的なかたちで、それぞれの方から問題の提起をお願いしたいと思います。まず、私が議論をリードする格好で、簡単に話をさせていただきます。
 いくつかお話ししたいと思います。「問題提起」です。ここでは戦争論の話を中心に一つの研究成果の紹介をしたいと思います。
 これは先ほどの世界の人目増加曲線です。今から二〇〇年前は世界人口一〇億人。現在は六二億になったということです。一九世紀に起きた戦争は六〇回あります。二〇世紀には、驚くなかれ一八〇〇回の戦争が起きて、『戦争大辞典』によると戦争のために少なくとも一億人死んだ。これは直接の被害者です。二次、三次の死者数はもっと多い。さて二一世紀はどうなるか。ローマクラブは二〇五〇年に人口はほぼ一〇〇億人までいくだろうと予測しています。そのときに何か起きるかという、そういう問題です。世界人口の増加と比例して戦争は増加している。
 今から二〇〇年くらい前に、カント(→注3)、ドイツの有名な哲学者ですが、彼が行った予言があります。彼の予言は、当時、民主主義の国の数は、たったの三つしかなかったにもかかわらず、こういうことを言っています。「民主主義国家同士は戦争をしない」という予言です。彼のこの理論的な予言の背景は非常にシンプルです。民主主義のリーダーは選挙で選ばれます。だから、選挙で落ちたら、ただの人になります。だから、民主主義国家のリーダーは非常に慎重になって、三六〇度いろいろな角度から政策を決定します。例えば戦争をするとき、どうするか。絶対に勝つ戦争をするわけですから、あらゆるリスクを考えて、どうしても慎重になる。その結果、慎重者同士の民主主義国家同士は戦争をする可能性は非常に小さい。そういうことが彼の予言だったわけです。
 現在、どういうことが起きているか。一九七〇年くらいから民主主義の国の数が増え始めて、今は一〇〇か国を超えています。例えば、日本が行った太平洋戦争は民主主義の国アメリカ対軍国覇権主義の日本との戦争だったわけです。これを受けて一九九四年にラセットというアメリカ人が、一九世紀と二〇世紀に起きた戦争の数を分析して、民主主義の国同士が果たして戦争をしたかという、そういう解析を行いました。結果は、例えば一八〇〇回の戦争の中で、民主主義同士の国が戦った戦争は一回あるかないか、定義次第だというのが彼の調査結果です。要するにこの二〇〇年の間、人類が行った実験に対して、カントの予言が正しかったかどうかが検証されたのです。カントの予言は正しかった。したがって世界中の国がすべて民主主義の国になれば、世界から戦争がなくなるということになります。
 さて、人間が発明した国家社会の形態は、五つあります。王政国家、宗教国家、軍国覇権主義国家、民主主義国家、そして共産主義国家です。六〇〇〇年くらい前に最初のタイプ、すなわち王政国家が生まれました。国の富は王様のもの、国民は家畜であるというシステムです。そのあと二〇〇〇年くらい前に宗教国家が現れます。宗教のリーダーが国家のリーダーになり、独裁制を持つ。そのあと軍国覇権主義の国家が登場します。力が正義と考えて、他国を侵略して領土化して、国民を奴隷にするようなことを行う。四〇〇~三〇〇年ほど前の啓蒙主義の時代を通じて、どういう社会がいちばんいいかと頭をひねって民主主義国家が生まれました。国の富は国民の富である。これは当たり前ですが、自由と人権の社会のシステムを作る。それが民主主義国家の誕生です。
 今日の民主主義国家の多くは、王政国家から始まり、宗教国家や軍国覇権主義国家を経て、民主主義国家に変化しました。日本も古墳時代は王政国家だった。軍国覇権主義の時代が日本にもあった。そうして、嫌々ながらアメリカから押しつけられた民主主義国家として、日本は戦後に生まれ変わった。ところが、世界の約五〇%近くの国は、いまだにこの三つのタイプの国家のどれかです。すなわち、サウジアラビアのような王政国家、イランのような宗教国家、北朝鮮やイラクのような軍国覇権主義国家が五〇%も残っている。これらの国が北アフリカ、中東アジア、東アジアに集中しています。そうしてやがて、これらの国家も民主主義国家へと変わるだろう。そう思うわけですが、この一〇〇か国のほとんどの国は自力では民主主義の国になれないと思います。それはすでに民主主義国家の多くが、日本の例を持ち出すまでもなく、自力で民主主義国家になれなかったからです。
 ここで国連の矛盾を説明しておきましょう。国連は王政国家などの前近代的国家を全部入れた組織です。それを、民主的に運営しようとする。それは、いわばこの状態で国家の形態を凍結しようということですから、国連は民主主義国家の増加にブレーキをかけることになります。
 二つだけ強調したいことがあります。一つは、国家は集団です。個人とは連う。個人の意見あるいは意志と集団の意志は決定的に連います。例えば京都は長い間、日本の首都だったからずいぶん潤って、また富山は逆にずいぶんひどい目に遭ってきたから、来年以降、京都に落ちる予算を富山に半分あげよう。そういうことを主張する政治家が京都の選挙に出ても受かるはずがないでしょう。なぜか。個人の意志と集団の意志は違うからです。集団の意志というのは、力が正義のサル社会と同じですね。二つめは、人も生物だというお話です。これはどういうことかというと、人は多様なわけです。例えばエイズ発症の村では村民全員が死んだかというと、そうではない。何人かは平気で生きている。人は多様だからです。人間が獲得した多様性のために、地球の長い歴史を通して、天変地異が起きたときもわれわれの一部はサバイバルして生き延びた。それゆえ今も生きているわけです。
 だから、人がたくさんいると、その中には少数だが人が苦しむとそれを見てうれしくてしかたがない人がいる。ここにもいるかもしれませんが(笑)。あるいは、殺人ということに対しても、このうえない快感を得る人がわずかだがいる。わずかだからどうということがないかというとそうではなくて、そういう人が国のリーダーになったりすると大変です。そのことを直視して、それを肯定的に考えて、手を打つことが必要です。それは二〇〇〇年前、例えばイエス・キリストがそうでした。「右の頬をたたかれれば左の頬を出しなさい」。イエス・キリストの隣人愛理論は戦争の連鎖を断ち切るための絶大な威力を発揮する切り札だと思われ、今日、世界最大の宗教として支持されています。多くの方はイエスまではゆかないまでも善人です。しかし、一万人の中の一人は真の悪人です。彼の前では右の頬をたたかれて、左の頬を出したらブスッと殺されて終わりです。そういうことが歴史上次々に起きてきた。私たちは「人も生物だ」という生物学の学問の成果を理解せねばなりません。つまり「犯罪のある社会が健全な社会」であると肯定した社会制度を構築せねばならないのです。
 こういうわけで国際社会は一九四匹(国)のサル社会で、それを仕切るにはボスザルが必要だということになります。どういうボスザルが必要であるかが次の問題です。もう時間がないので詳細は略します。
 最後にアメリカに対してのイメージを二つ強調しておきます。アメリカは、アメリカ人という一つの人種でできている国家ではありません。日本人が日本という国家をつくっているのと違います。アメリカは日本人の国でもあります。インド人の国でもあり、アフリカの黒人の国でもある。イラク人の国でもある。あらゆる民族、世界のすべての民族が集まり、すべての文化や宗教が集まり、そうして国が崩壊することなく、少なくとも独立以来二〇〇年続いている。人工国家なのです。
 二つめ。世界でいちばん古い民主主義国なのです。民主主義の発明はジョン・ロック(→注4)らが活躍した啓蒙時代にさかのぼりますが、実践としてはメイ・フラワー号に乗船してアメリカに渡った清教徒たちが最初です。それから四〇〇年。アメリカは四〇〇年の民主主義の歴史を持っているのです。アメリカは自分たちの手で民主主義を発明し、民主主義の国を世界に増やすエンジンの役割を担ってきました。日本は近代民主主義国家になって五〇年です。アメリカに追いつくにはあと三五〇年かかります。これがアメリカを理解する最も重大な二つのポイントであって、このことを忘れてはならないと思います。ここでストップします。
 それでは先はどの順序でお願いできますか。

北朝鮮の核開発問題

伊豆見

 丸山先生のお話につながることにはどうもならないと思いますが......。この問題を、とくに朝鮮半島絡み、北朝鮮で申し上げたいと思いますし、また、アメリカと関連するお話をしたほうがいいのかと思いました。そうしますとやはり、今、朝鮮半島のこと、あるいは北朝鮮のことを考えますと、われわれが最大の関心をもって、しかも最大の努力をして取り組まなければならない課題は、やはり核問題だろうと思います。北朝鮮の核問題の解決とは何をもって言うかというのはなかなか難しいのですが、やはりこのまま放置しておいて、北朝鮮が核開発を、あるいは核保有を本格的にやり始めるということは、大変に危険であり、大変な脅威をわれわれに与えることになるということです。
 今はまだ北朝鮮の核能力は、それほどわれわれを脅かしてはいないということを前提で考えるべきだと思います。しかし、北朝鮮の怖いところは、われわれを十分に脅かしうるだけの相当な能力を核兵器については持っている。むしろ、今の北朝鮮は、自分たちが持っている能力をすべて発揮しないように自制している部分があります。自分で抑えています。実際、彼らがフルに核能力を使うと、われわれにとって大変に危険なことになりますし、われわれも完全に北朝鮮をつまはじきにするでしょうから、その点を北朝鮮は恐れている、国際社会から徹底的に孤立することになるのを北朝鮮が恐れているから、自制をしてくれているのだろうと考えられるわけです。実はこの北朝鮮の自制が効かなくなったときは、非常に恐ろしいことが起きます。
 なぜかと申しますと、二点、問題があります。一点は、北朝鮮は核兵器を量産できる国です。あまりそういうところに関心が集まっていませんが、プルトニウム型(→注5)であるなら、年間数十発の核兵器を毎年作ることが可能な国です。今、北朝鮮の核については、彼らは一、二発を持っている、それが最近増えて五~六発になったかもしれないということで、これが脅威だ、どうしようかという話をしていますが、今回うまく処理できないと、最終的には北朝鮮は毎年、数十発の核兵器、あるいは核兵器でなくても、核兵器を作るプルトニウムを三〇〇キロくらい自分たちで作る能力があるのです。
 また、北朝鮮というのは天然ウランを算出する国で、すなわち自己完結型で、一切、他国の協力援助なくしてすべて自前で核兵器を生産する能力を持っています。そこまで能力を持つことを放置してきたことが、われわれの問題だといえばそうなのですが。これが第一点。非常に怖いことですが、これはまだいい。
 二番めには、ご案内のように、北朝鮮はもう一つ、弾道ミサイルを開発してきました(→注6)。五年前、わが国の上を飛ばしたミサイルを覚えていらっしやると思います。今、ミサイル自体がどのくらい怖いかといえば、実は大したことはないのです。しかし怖いのは、弾道ミサイルの弾頭に核を装填することです。能力的には彼らはもちろんできるわけです。核弾頭にするためには核兵器を小さくしていかなければいけないのですが、小型化することは今、北朝鮮は自制をしています。自制をしているから、実は北朝鮮のミサイルはまだそんなに怖い存在ではない。しかし彼らが核実験をやり、核兵器の小型化を図り、核弾頭を作り、そしてその核弾頭をミサイルに装填するようになった場合、核ミサイルができます。
 現在、北朝鮮は日本を射程に収めるミサイルを最低二〇〇基くらい持っています。この二〇〇基すべてが核ミサイルになるのには時間はかかりますが、そのうち一〇発、二〇発、三〇発を核ミサイルにする。しかも、すべて日本をねらうということはもちろん数年のうちにできるわけです。それを今、やっていない。今の問題は、北朝鮮の核開発を完全にあきらめさせるという前に、うまくこの段階で止めなければいけない。これ以上やらせないように止める。最終的にはゼロにすることをもちろんやらなければいけないのですが、今それがうまくいかないと、将来はわが国にとっても非常に厳しい問題になると思います。
 ですから、私としては北朝鮮の核問題というのは、われわれが最大限の関心を持つべき問題だろうと思っています。日本の北朝鮮問題の中で核問題の占める位置は、決して私は高くないと感じています。日本でわれわれが一般に北朝鮮に関心を抱くときの三番め、四番め、五番めくらいが核問題なのかなという印象がありますが、本来、この問題を真っ先に考えておく必要があると思います。それを提起させていただきます。

"遠い隣国"ロシアとの関係

丸山

 では、続いて木村先生、お願いできますか。

木村

 第一回めの発言では、私は自分の専門分野のロシアのことをあまりお話ししませんでした。今回は、ロシアについて少しお話ししたい。まずロシアに関しては、いくつかの問題がある。ロシアは日本にとり地理的に隣国であり、大国である。それにもかかわらず、また戦後六〇年近くたつにもかかわらず、まだ日ロ両国が平和条約を結んでいないという不幸な関係がある。ロシアは地理的には近い。だが、どうも好きになれない、心理的には近い存在とは感じられない。このような気持ちが日本人の間にある。北方四島を占拠されたまま、それが理由となって平和条約が結ばれていない。国交が完全に正常化していない。それで、ロシアを「遠い国」だと思っている。このことを、私は著書の中で『遠い隣国』(世界思想社、二〇〇二年)という、パラドキシカル(逆説的)なタイトルで表しました。
 私は、これではいけない。ノーマルでない。アブノーマルな関係だと思う。ぜひこの両国関係を、近い将来に「近い隣国」関係に変えるべきであることを訴えたい。では、日本側に全く責任がないのか。旧ソ連/ロシア側が領土を返さないという点では圧倒的に非難されるべきですが、日本側にも少しは責任かおる。それは、どういう責任なのか。日本には総合的な対露戦略というものがない。戦術を超えた大きな戦略というものがない。最近でいうと二〇〇三年一月にモスクワとハバロフスクを訪問して、小泉純一郎首相は、「日露行動計画」(アクションプラン)を発表した。
 その中で、六つの柱を立てました。第一は、対話、第二は、平和条約の締結、それから、経済交流、文化交流、スポーツ交流、安全保障、対話、防衛協力などについて述べている。だが、何度その文章を読んでみても、これらのうちのいったいどれがいちばん大事なのか。つまり、優先順位が記されていない。これでは、日本の対ロ戦略がいったい何なのか。国民にはわかりにくい。国民の中からも、国会議員の中からもだれ一人として、そのことに関して質問する者もいない。鈴木宗男議員の失脚後、ロシア問題は触らぬ神にたたりなしということで、ロシア問題を論じたがらない。これでは、いけない。
 そうこうするうちに、皆様の中でよく新聞、テレビをごらんになる方々は、パイプライン問題が話題となってきていることをよくごぞんじと思います。つまり、東シベリアのアンガルスク製油所からロシアの石油を、中国の大慶へと運んでくる「中国パイプライン・ルート」のほうがいいのか。あるいは、ナホトカまで運んできて、日本、アメリカ、韓国、中国に売る「太平洋パイプライン・ルート」のほうがいいのか。プーチン大統領は、その決定を延ばし延ばししている。そのうちに、「中国ルート」の熱心な唱導者のホドルコフスキーという石油王が逮捕され、獄に入れられる事件が発生した。だからといって、日本側に有利となったとも限りません。プーチンは二〇〇四年三月の大統領選挙で当選するまでは、態度を保留中なのです。
 そこで私どもが日ロ経済の専門家たちに開きますと、肝心の石油がそもそも大してないのかもしれない。石油埋蔵量が十分であっても、開発・運搬コストがカバーできるかどうかもわからない。そのような事情があるにもかかわらず、日本の小泉首相は、官邸主導で、「太平洋ルート」の誘致を熱心にやられている。なぜなのか。国民の一人として、研究者の一人としての私にはわからない。
 右は一つの例にすぎません。日本の対ロ総合戦略がなぜ存在しないのか。あるいは、明確でないのか。三つの理由がある。一つは、戦後目本にとっては、やはりアメリカが外交の中心を占めていた。伊豆見先生がおっしやったように、北朝鮮の核問題やロシアとの平和条約締結や北方領土返還の問題はさほど重要視されなかった。二つには、戦後日本は経済が最優先。経済の復興や繁栄が大事でした。パイプライン問題でも、石油さえ確保できれば、島は戻らなくてもいいという気持ちが日本人の心の隅のどこかにあるのではないか。三つめは、目本では首相や外務大臣があまりにも頻繁に替わりすぎる。ロシアの外務大臣は、今度グルジア問題で辞めたシュワルナゼがゴルバチョフ時代にやっていた。そのあとはコズイレフ、プリマコフ、イワノフと、四~五人。日本側では外務大臣の名前をいちいち皆様、覚えていらっしやるでしょうか。G‐8メンバーの国々の中で、首相や外相が最も頻繁に替わっている国が、日本。これでは首脳外交が十分できないどころか、一貫した対ロ戦略の構築など、どだい無理とさえ言わねばなりません。
 われわれ有権者は、外務大臣や防衛庁長官くらいは、今度の小泉内閣が実践しているように度々替えないようにし、一貫した対外政策で諸外国に臨むようにしないといけない。くるくる替わるようでは、相手側のベテランの大臣たちに手もなく踊らされてしまう。その上うな日本側の欠点も公平に指摘したい。

丸山

 どうもありがとうございました。それでは続いて清家さん。

中国の環境破壊問題

清家

 中国と環日本海に関するキーワードは、第一に環境破壊です。中国の一〇大都市は大気汚染で世界のワースト10にずらっと入っています。そして、中国の環境破壊が偏西風と黒潮に乗って、日本に伝わってきます。しかし中国は今、環境問題を政策課題に出しにくい。それはどうしてかというと、中国は石炭を燃やして発電しています。中国は石油がたくさん出ません。そうすると、どうしても石炭を使う。石炭火力は非常に問題があります。あれは放射能も出すのです。同時に水銀も出します。つまり、石炭が火力発電所で濃縮されて、水銀と放射能を出すのです。その点では原発よりも危ないといわれる。しかし、石炭火力を中国は推進するしかない。そうなってくると、それが日本海周辺にも大きな影響を与えます。その環境破壊をどう解決するか。
 次は感染症です。中国ではSARSに相当する上うな、風土病とも何ともいえない病気というのが、SARS以外にもかなりあります。そして、これは東洋人である以上、日本人にも感染する可能性が強い。現在、中国を訪問する人の半分近くは日本人です。アメリカ人、ヨーロッパ人を足した数よりも日本人のほうが多いのです。環境は風に乗って日本にやって来ますし、同時に感染症は旅行者と一緒に飛行機に乗ってやって来る。では、これをどのように解決するかという点です。
 三点めは、「中国は非常にアメリカが好き」です。中国のエリートのほとんどはアメリカに留学します。そうなってくると、日本と中国との関係は非常に薄くなる。そういうエリート同士というか、リーダー同士のつながりのない日本と中国が環日本海で、環境と感染症の問題に直面するわけです。
 四点目は、「中国は人件費が非常に安い」ので、家電の生産が世界一となった。しかし、現在、中国はどうしても「大きい産業」、つまり、自動車をやりたい。自動車等の大型製品産業となると人間だけでは造れない。ロボット産業をやりたい。ロボットのシェアでは日本が現在、世界では圧倒的なトップです。そうなると、日本が中国と環日本海で連携するのにロボット技術がどのように関与するか。それが四つ目のキーワードです。日本と中国の関係は非常に切ない。非常に近いし、大量に日本人は行く。それなのに中国との関係は薄い。要するに非常に魅力的な女性の前でプロポーズできないといったような、非常に寂しい状況に日本と中国はあります。

丸山

 どうもありがとうございました。三人の方からお話を伺いました。伊豆見先生からは、北朝鮮で最も重要な具体的課題は核問題であること。科学と技術の発展の速度が非常に遠くなって、どんな小国でも核兵器を開発したりすることが簡単な時代に今、なりつつある。そのことが加速度的に早まっているのがもう一つの重要な問題であり、世界はこれにどう対処するかという問題ですね。
 木村先生は遠い隣国、ロシアとどう渡りあっていくのかという問題の提起です。この問題の本質はロシアだけに原因があるのではなくて、日本が国家としての世界観を持たない国だということに問題がある。国家としての世界観という話を切り目に、これからディベートしようと思います。
 三つめが、やっかいな隣人、中国の問題です。日本と直接かかわりあう問題の切り口は世界的規模に発展する環境破壊であると。中国から国境を越えて、いろいろな汚染物質が日本海を越えて飛んできますから。そういうことを考えて中国と対処するときに、日本はどういうふうに中国と付き合えるのか。
 こういう国際問題、対外国との問題を考えるときのポイントは、私は国家としての世界観だと思います。別の言い方をすると、人類は長い歴史を持っているわけですが、その歴史を通していろいろな社会の形態、国家の形態を発明・実践し、こうでもない、ああでもないと試行錯誤を繰り返しながらたくさんのことを学び、現在という時代がある。その過程で私たちが学んだこと、その結果としてすなわち国家としての世界観とは、「できるだけ多くの人が民族や宗教や文化の違いを超えて幸せに暮らす」、非常に平易な言葉で言うとそういうことだと思います。そういう社会を作るために、国家としてわれわれはどういう対応をすべきなのか。どういう行動や戦術をとるべきなのか。
 この問題が出てくるだろうと思って、実はこのパート2のディスカッションをリードする問題として、アメリカが発明した近代民主主義というものを用意しました。これは四〇〇~三〇〇年前にアメリカとヨーロッパで発明され、そしてそれを世界に広めようというかたちで、過去三〇〇年間、人類社会が動いてきている。それは人類が長い時間をかけてずっと持ち続けた、いい意味での理性なのだと私は思っています。
 では、そういう方向に行くのだとしたら、おのずから戦術論、具体的にわれわれはどう行動すればいいのか、そういう答えが自然に出てくるのだと私は思うわけです。そういう私の問題提起に対して、ノーと言われる方がたくさんおられるかもしれない。その次の具体的な三つの課題も含めて、反論なり、あるいは議論を発展させるかたちで進めていこうと思いますが、いかがでしょうか。どなたからでも。木村先生。

木村

 司会の丸山先生から「議論を面白く活発にするために、司会役の自分が提起した問題を、"ご説ごもっとも"と受けとらずに、反論や批判もどんどん述べるように」と、楽屋の打ち合わせ時に言われていました。同じことを、今もおっしゃった。そのお言葉に従い、遠慮なく申し上げます。
 まず、先生が楽屋で引用された言葉からはじめたい。すなわち、「国が民主主義への道を歩むようになれば、"金持ちけんかせず"の理屈どおり互いに仲良くなっていく。だから、ロシアも中国も北朝鮮もみんな民主主義の国となるように、われわれが食糧援助や経済支援などいろいろな援助を行い、側面から助けてやることが望ましい。そうすれば、それが回り回って、最終的には日本の利益にもなるのだ」。わかりやすくいえば、こういうご主旨だったと思います。エール大学のブルース・ラセット教授などが提唱している理論。英語で言うと「デモクラティック・ピース(democratic peace)」理論。民主主義がピース(平和)をもたらすという理論。これは、だいたいにおいて当たっている。民主主義の国同士の間で戦争をした例はない。実際、ナチ・ドイツという独裁体制の国、ソビエト・ロシアという同じく独裁国、イラクやアフガニスタンなどが戦争や問題を起こしている。
 しかし、ここで民主主義とは、どういう定義なのでしょうか。「民主主義」というのは非常にあいまいな言葉です。民主主義がそれぞれの国において実践される形態は、その国の伝統、文化、ものの考え方によって異なる。日本でも、明治以来、民主主義が入ってきているのでしょうが、いまだに本当の民主主義なのか、われわれ自身も自信がない。イギリス流、アメリカ流の民主主義ではない点が多々ある。アングロ・サクソン流の民主主義と比べて、よいところもあるが、悪いところもある。
 私が研究をしているロシアに話を戻すならば、ロシアはゴルバチョフが登場したときには「西側流の民主主義を実践する」とはっきり言明していた。しかし、エリツィン時代には、「ホワイトハウス」攻撃を行ったりした。プーチン時代となると、ますます西側流の民主主義を実施しない。それはアメリカやイギリス人にとってはよい民主主義かもしれないけれども、自分たちのような広大で、寒くて民主主義の伝統のない国土でそれをやっていられますか。そのために、プーチン政権下では上からの「指導される民主主義」(ガイデット・デモクラシー)、「管理された民主主義」(マネージド・デモクラシー)、あるいは「選挙のときだけの民主主義」(エレクテッド・デモクラシー)という言葉が作り出されている。このごろのプーチン大統領は旧KGBを動員し、ソビエト時代に若干先祖返りしつつある。そして、それがロシア国民の七〇~八〇%の支持を得ている。アメリカ流、イギリス流、日本流、ドイツ流、フランス流の民主主義がロシアにとっては適当なモデルでない。ロシア独自の民主主義でいくよりしかたがない。ロシア国民自身が、そういう気持ちになっている。だからこそ、プーチン氏はそれほど強い反対に遭遇することもなく、大統領ポストに止まりつづけている。プーチン氏が二〇〇四年三月の大統領選挙で再選されることも、間違いがない。

 こういうわけで、その国の独特の土着文化と、自由・人権・民権主義といった普遍的な概念との関係を、いったいどうとらえたらよいのか。――この問題を提起したい。

伊豆見

 私も、今のお話のような考えでいくと、中国は民主主義のグループに入っていません。三番めまでの国という格好になりますので。そうすると、中国と戦争をするための方法を考えないといけなくなる。要するに中国をどのように民主主義の方向に変えるかといった点も、実際に今、ディスカッションの対象になると思うのです。
 私自身は国の体制が変わることは非常に重要だと思うのですが、中国と日本が一緒に、日本海でも挟んでいろいろな事業をすれば徐々に日本に寄ってくる。そのようにして、まずは離れがたい友だちになってしまうのが大事でないかという感じがあるのです。そのあたりはどうでしょうか。

丸山

 私自身の考えは、中国は本当にしたたかだということです。まず民主主義の多様性のお話から始めます。国家の富は一部の人のものではなく国民のもの、自由や人権の保証された国家。これらが民主主義国家の共通項です。そして最も重要な定義ですね。
 民主主義の世界の特徴は三六〇度いろいろな角度から、いろいろな専門家が総合的に議論をして、判断して政策を決めることです。社会問題は、例えば殺人であろうと何であろうと、常にグレーの側面があります。人一人殺したら刑務所行きだけれども、一万人を殺したら英雄だという話があります。しかし、どんな現象でも常に中間の灰色かというとそうではない。必ずどちらかに寄っている。白寄りの灰色か黒寄りの灰色か。それを判断するには、いろいろな角度から見る。それが独裁政権の社会、あるいは宗教者がすべてを仕切るという宗教国家との違いだと思うのです。
 そういう広い意味で見たときに、民主主義というシステムはいいけれども、世界で一〇〇か国を超える民主主義の国々は全く同一ではなく、それぞれみんな少しずつ違う。そして、アメリカが作った近代民主主義とはいえアメリカ型の国では、巨額の富をわずかな人が独占している。それよりも日本の民主主義のほうがいい。貧富の差が小さいという意味です。そういう意味で、どのような民主主義のシステムがベストかというのは、これからも試行錯誤しながら改良して作っていくべき問題だと思うのです。
 もう一つ、日本には民主主義が完全には根づいていない。それはアメリカからトップダウンで与えられたからです。今のイラクがそうですが、日本も五〇年前にアメリカが日本を占領をした時に、どうやって民主主義を日本に根づかせるかとアメリカ占領軍は頭を悩ませた。日本は太平洋戦争で一五〇〇人もの若者の命を特攻(ジハード)の練習で殺して、五〇〇〇人の特攻隊の若者が「天皇バンザイ」と叫んで自爆して死んでいった。それに比べたら、人数的に見れば、ニューヨークのテロは約一〇人と五〇〇分の一程度の小さな規模です。しかし、当時に比べて現代は科学と技術が飛躍的に発展していますから、少数のテロリストでも巨大はインパクトを与えることができる。さて、そういう日本に乗り込んで、どうやって民主主義を根づかせるかといったときのアメリカの苦労は、六年間くらいだったと思いますが、太変だっただろう。日本を民主主義国家に変えるには最短二〇年、最長九〇年かかるだろうと議論された。しかし六年間で終わった。
 今のイラクのように、国内の治安が保証できない状態の時、いわば国家警察が整備されない混乱の中で自民党の前身が生まれた。そこから民主主義を根づかせていくという方式をとらざるをえなかった。そのために政党政治が根づかなかった。政党が持たねばならない「国家としての世界観」は簡単につくりだしたり、変化したりするものではありません。にもかかわらず、日本では次々と新たな政党が生まれたり消滅したりする。それは、日本ではいまだに、民主主義が根づいていないからです。そういう過去の事実を見ながら、世界全体がどういう方向に行くべきかということを考えることが、イラクの派兵問題にしろ、あるいはこれから北朝鮮をどう扱うにしろ、いちばんの基本的立脚点だと思います。
 科学と技術の発展の速度が非常に速いので、北朝鮮の問題は、切迫している。しかも二国間だけではなくて、グローバルな視点に立って多国間で対応すべき新時代の問題なのだろうと思います。こういう問題は、もう一度あとで議論になると思いますので、その次のセッションに進みたいと思います。

日本海の平和のために何をなし得るか

丸山

 次が、「日本海の平和のために」というセッションです。それぞれのご専門家の方に、こういう問題を踏まえて、それを解決するには具体的にどうすればいいのかという提言をお願いしたい。議論をよろしくお願いします。
 今や世界は、環境問題にしろ、金融・経済の問題にしろ、情報とヒト同様にボーダレスになり、経済は完全に独走している。一国の中で、閉じたかたちでは処理できない。そういう意味で二一世紀の人類は二〇世紀までと異なり、運命共同体なのだと思います。だから、私たちは日本という国に属するのではなく、どの国家の人も皆、本来、地球人ということを意識の片隅に持たねばならない時代になっているのだと思います。
 そうして地球全体が抱えている問題、すなわち二〇二〇年問題を共有する。そのためには良質な教育の普及が必要だと。世界六二億人のうち、日本のような教育システムを持っている人たちは一割です。残りの九〇%は、教育というものがまともになされていない。それが一点だと思います。そして私たちではなく彼らが地球の未来を決めることになるのです。
 もう一つ。富山県が中心になって日本海学というものを提案された。それを日本だけではなくてアジアに広げようという、そういう崇高な志から始まったセミナーが日本海学です。今は昔と違って、地方から始められる政策、小さくて弱い中央政府、自治権を強く持つ地方政治の時代になりつつある。国境を越えた二〇二〇年問題をどうやって突破するかといったときに、まずは政治の問題がいちばん希薄な分野から始める。つまり、それが科学者共同体の役割だと思うのですが、そこから始めて相互理解を深め、信頼を勝ち得る。その次が環境経済です。経済が最も重要なポイントですが、環境を組み込んだ新しい経済を推進して、最後は共通理解のもとに、共通の政策、歩み寄りができるということを考えるべきなのだろうと思います。
 政府への提言として、おこがましいですが、これは国家としての世界観を持つということがカギなのだと思います。世界が完全につながっている時代、そうしたときに、例えば日本がアジアニ○○○年の歴史の中でトップに浮かび上がったことはたったの一回もありませんでした。世界の歴史の中で、日本が表舞台に出てきたことは、ウェルズの教科書を見てもほとんどありません。最近の時代だけです。アジアでは、中国が常にトップを走り続けてきたが、一五〇年前に間違えた。ある意味、そこの隙をわれわれはねらったわけではないのだけれども、産業革命をいちはやく導入して、アジアのトップに躍り出た。しかし、アジアのほかの国々から日本を見たら、どう思うだろうか。そしてそれも、戦後の繁栄は自力で得たものではなくて、アメリカの強力なサポートのもとに起こった繁栄です。そういうことを理解せず、日本の中に閉じ込めて、世界の貨幣を全部日本に集め、ボーダレス時代の申し子として豊かになったが、地球人としての問題には見向きもしないのはまずいでしょう。それが国家としてのEQ(→注7)という問題なのだと思う。
 いちばん大きな問題は、例えば今は反米、反米......。テレビはどれを見ても反米です。マスコミもそうです。これは国益を損なう大問題です。いちばんの問題は、われわれ庶民にあるのではなくて、マスコミ・知識人だと思います。日本のマスコミ・知識人はちっとも知的ではないからです。この間、イランに行っていたのですが、日本人も彼らも同じです。昔も今も、彼らはちっとも知的ではない。なぜだろう。人文系の知識人が、人文系科学者共同体の利益を守るために、こういう問題に対して非常に偏った視点で書きまくっていると僕は思うのです。非科学的な人文系の問題を一つ例に挙げて説明しましょう。考古学の分野では新しい分析機器、例えば放射性同位体年代測定装置が入り、さまざまな角度から多様な研究が進み、考古学は様相を一変しました。人文社会科学の分野は人間が関与している分だけ、自然科学分野よりももっと複雑です。こういう社会科学の問題にも、科学が進出してもっといろいろな分野の研究者が関与して議論すべきです。
 私は今の日本の反米知識人の議論のルーツは、旧共産圏の崩壊からきていると思います。理想的共産主義はユートピアです。共産主義のユートピア性に人はあこがれた。私もそうですが、そういう時代があったのだろうと思うのです。彼らにとって、旧ソ連や中国などの共産圏社会は理想的あこがれであった。そして、それをネタにして飯を食ってきた多くのマスコミ・知識人にとって大変な事件が起きた。ソ連と中国の実態が暴露され、相互監視社会、秘密警察、人権蹂躙といっためちゃくちゃな実態がわかった。北朝鮮の同様な実態も暴露されてきた。彼らにとっての最後のよりどころは反米なのだろうと思います。そうして、視聴率至上主義に毒されて、政治や社会等について全くの素人の音楽家や歌手をテレビニュース番組に出演させる......。彼らは音楽家、小説家あるいは芸人としてはプロだろう。しかし、総合科学としての政治経済社会については全くの素人で、非常に幼稚で無責任な発言を繰り返す。その無責任さに対し、それぞれのテレビ局は全く責任をとろうとしない。
 もう一つ、日本のマスコミは過去をすぐに許す。ベトナム戦争時に、たくさんの知識人が反米キャンペーンを繰り返した。六〇年安保の時も、七〇年安保の時もそうです。もし彼らの言うとおりにしていたら、日本は大変な目に遭ったと思います。にもかかわらず、その非をコロッと忘れて再び出てくる。マスコミはそれを許す。
 ところで、「戦争か平和のどちらが好きか」と言ったら、それはだれだって平和と言います。小学生でもわかる。もう少し知恵がついて中高生になると、原因は何だろうと考える。ひょっとしたら、戦争をこの世からなくすために、戦争をせざるをえないのではないかという疑念が出てくる。しかし、答えはよくわからない。
 大学生レベルになると、歴史を知ろうと考える。社会の形態の歴史を知る必要かおる。日本の社会の形態は、日本人が発明したものではない。イギリスのジョン・ロックが三〇〇年前に発明したものです。啓蒙主義の時代に、フランスのルソーとか、当時の先進国の知識人が人間にとってベストの社会の形態を考えました。彼らは次のように考えました。平常時は多くの人間は善人です。そして生活を維持できる程度の財産で満足している。しかし、世の中には少数だけれども必ず悪人がいて、問題を起こす。彼らを制裁する権利が個人にまかされると、暴力団が社会を支配するようになって平和が保てない。だから各人は社会と契約をして、警察や裁判所が必要になる。さらに、裁判所や警察がすべての権力を握らないように、注意深く権力の分立を考えた。こうして近代国家が英国に誕生した。われわれは今、その恩恵に浴しているわけです。
 国民主権の民主主義国家は、だれ(ジョン・ロック)がいつ(三〇〇年前)、どこ(英国)で発明をして、その後どの国(米国)がエンジンになって、人類の新しい社会を世界に広げ、作ろうとしてきたのか。ここに書いてあるように、私たち、とくに政治家は①学問としての戦争の研究、②生物としてのわれわれの本質、③国際社会の仕組み、④民主主義の歴史、⑤科学・技術の歴史と政治・経済の歴史との関係を理解していることが最低限必要だ。科学が知識を生み、その知識に応じて技術が生まれる。技術が生み出す製品が経済を生み出す。その経済に支えられて、われわれ日本は今、空前の豊かさを、精神的な意味でも満喫しているわけです。そういう因果関係を理解する。二〇世紀までとは達ってわれわれの目の前に、おぼろげながら未来が見えるような時代になった。それは科学が発達したからです。二〇二〇年問題というのは、すでにおぼろげながら目に見えている。そうしたときにわれわれは今どうすればいいのかということを、三六〇度いろいろな視点から議論しながら、方策を練って実行する。それが今、いちばん重要なポイントなのだろうと思います。
 以上は基本的な観点ですが、もっと具体的なところに踏み込んだ議論をこれからしたいと思います。では、伊豆見先生からお願いできますか。

h4>北朝鮮への経済援助とその条件

伊豆見

 今日、私はずっと北朝鮮のことを中心にお話をして、大事なのは核問題だということを申し上げました。提言ということならば、それをどう受け止めるかというお話になるのだろうと思います。本来はもちろん、非核化というのが大事です。もちろん朝鮮半島の非核化をわれわれは目指し、北朝鮮の完璧な非核化を目指すということですが。ただ、これは簡単な話ではないわけで、下手をすると交通事故の死亡者をゼロにしようという運動と似たような話になるかもしれません。ですから、目標としては当然のことながら掲げなければいけないのですが、実際のところ可能かどうかわからないということになろうかと思います。
 そうしますと、少なくとも現実に根ざしてそれをやるべきで、とりわけ日本はその点では自分の問題としての意識を持つべきだと私は考えております。つまり、先ほど申し上げた北朝鮮の核能力というものを、われわれを脅かさないものにするということです。そこで二点あります。第一点は、当面はともかく彼らが量産体制に行かせないようにする。あるいは核ミサイルを持たさないようにするということです。しかし、それは裏を返しますと、これはグレーな意味合いではあるのですが、当分の間、北朝鮮の核能力・核保有を限られたものに統制しなければいけないということも意味します。先はども少し触れましたが、今、北朝鮮は自分たちで一、二発は持っているということをアメリカに対して明言しました。さらに今、再処理(→注8)してプルトニウムを作ったか、どうも作りつつあるようなので、おそらくこれが五、六発分に相当するのだろうと考えられております。そうしますと、上限で一〇発くらいの核兵器は持っている状況の北朝鮮としばらくつきあわなければいけない。それ以上持たないということにさせるだけでも大変なので、まずそれだけでもともかくしておかなければいけないとすると、しばらくの間は、北朝鮮の限られた核能力と一緒に生きていかなければいけないということです。
 しかし、それだけでは安心もできない。二番めに関連しますが、とりわけ重要なのはぃ北朝鮮にこれ以上危険なことをさせないという面でいうと、北朝鮮の非核化は、原子力の平和利用を認めないという方向に行くしかないのだろうと思います。本来なら、どこの国も核兵器さえ持たないのであれば、――別に核兵器を持つことも国際法の違反でも何でもないのですが。――北朝鮮の場合には、核拡散防止条約(→注9)に入って、核兵器は持たないという誓約をして、国際的なルールの中に入ったにもかかわらず、核兵器を開発しましたから、これは重大な違反をした人たちですから、問題ですが。本来なら別段、核兵器を持つことも原子力の平和利用をすることも悪いわけではないのです。しかし、少なくとも北朝鮮の場合には、もう原子力の平和利用は認めるべきではない。これをやらないと、いつまた北朝鮮は自分の能力を拡大させる方向に行くかもしれない。すなわち、核の量産のほうに行くかもしれない。あるいは、核ミサイルを持つことになるかもしれない。
 ですから、私が申し上げたいのは、今、北朝鮮が核兵器をかりに一〇発以内持ったとしても、それはかなりプリミティブなものというか......。われわれがふだん想定しているのは、アメリカが長崎に落としたタイプの原爆のようなものを北朝鮮は作ることができる。これはまず間違いがない。それを持っているだけでしばらく止めておいて、それ以上、危険な状況にしない。そのためには原子力の平和利用も一切認めない。すなわち、彼らには原子炉を稼動させることも許さない。
 今、彼らは持っていますが、その原子炉はすべて解体して、国外に出すということです。あるいは軽水炉(→注10)を作っていて、今、中断していますが、軽水炉はもちろん提供できない。原子炉は国際社会も提供しない。北朝鮮には一切の原子力の平和利用を許さない。そういうことで、ある程度の核兵器を持っているかもしれない状況としばらく付き合う。付き合って最終的にはあきらめるのではなくて、北朝鮮の核をゼロにしていくという努力をする。そのためには日本がかなり主導的な役割を果たすべきだろうと私は思っています。
 そのようなことは日本にはできないという議論が随分あって、やれるのはアメリカしかいないと考える人が多いわけですが、必ずしもそういうことはない。なぜかというと、われわれが忘れてはいけない一つの重大な事実があるのです。北朝鮮に大規模な経済協力、経済援助をなしうる国は日本しかありません。ほかの国は全部無理です。中国、ロシアはもとより韓国も出せません。要するに世界中で日本しか大規模な援助を北朝鮮に与える可能性がある国はないわけです。だとすれば、その大規模な経済協力を与えるかもしれないときには、北朝鮮には態度を変えてもらう、生まれ変わってもらおうと誘導していくのは、当たり前の話です。今の北朝鮮に経済協力、経済援助するわけではありませんから。
 これがてこになるわけです。北朝鮮の態度を変えさせる。北朝鮮が国際社会のルールを守る方向に誘導するために、われわれだけが「あなたがいい子になったら、たくさんのものをあげられるのだよ」ということをもっとフルに使うことが望ましい。私は使うべきだと思っています。使えば、北朝鮮を変えられるかもしれないと思っています。変えられなかったらあげなくていいだけの話ですから、別段、こちらは痛くもかゆくもない。それをやらないでいるというのは、私は非常にもったいないと思っています。
 日本は、ニンジンをフルを活用すべきである。ニンジンをポケットの中にしまっておいては馬を動かすことができません。鼻先にぶら下げて、見せて、匂いをかがせて、できればなめさせるくらいのことをして、はじめて馬は動くわけです。そういうダイナミックなことを少し考えるべきだろうと思っています。長くなりまして失礼しました。

丸山

 では、今後は逆に僕から、それぞれの方が終わったときに、質問を一つずつさせていただきます。ニンジン、つまり経済援助というのは、非常にセンシティブな問題です。政権が崩壊するということが最も重要なときに米を援助すれば、それは全部、軍人やトップの人に行き渡るだけで末端の国民まで届かない。援助はそういうところに行く。つまり、政権を長持ちさせることになる。
 もう一方で、世界全体を国民主権の民主主義社会に導こうとしているアメリカを無視するわけにはいかない。二国間だけの問題ではないとおっしゃられた。もし僕が非常に利己的なアメリカ人だったら、これをどう思うか。アメリカが二〇世紀の間、世界貿易のトップを常に走り続けて、世界のお金がアメリカに集まり、アメリカは世界一の大国になった。そのお金をもとに、莫大な軍事費、それから科学・技術の開発費をキープしてきた。二一世紀を見たときに、果たしてそれを維持できるだろうか。
 中国に巨大な工場が生まれ、世界の工場になってアメリカを追いかけてくる。世界一の経済大国の地位が危うくなる。中国の経済力をそぐにはどうすればいいか。アメリカは、北朝鮮を放っておくと思います。私が利己的アメリカ人ならそう考える。北朝鮮から核爆弾が東京に飛んでくる。仮に一〇〇万人が死ぬとしましょう。しかしアメリカにとって困ることは一つもないです。結果、何か起きるか。別に日本人が全部、死ぬわけではない。何か起きるかというと、日本は巨額の軍事費を割かねばならない。徴兵制を敷かねばならない。日本がそうなれば、韓国も中国もそうです。そのようにしてアジアのそれぞれの国々が、ビジネスでもうけたお金を巨額の軍事費に割かなければならないという事態が生まれてくる。それはアメリカから見れば、大変に好都合な話だと僕は思うのです。
 アメリカは毎年、大統領の教書に、「民主主義」はアメリカ建国の理念ですから、民主主義の国を世界に増やすと明言しますね。われわれ日本人は、それにすがる、アメリカの理念にすがるしかない。このアメリカヘの対応のしかたをどのようにお考えになって、具体的なかたちで北朝鮮の核の問題をどうするか、この二点にお答えしていただきたい。

伊豆見

 私は日本のとっているアメリカとの協調関係は、今の段階ではまず、ほとんど問題がないと思います。基本認識であれ、対応するための具体的な措置に問する認識であれ、ほとんど一致しています。ただ、先ほど私がニンジンの話をしたのは、それを日本が使っていないことがもったいないということを申し上げたかったわけです。そのニンジンとして経済協力というカードを使うことは、アメリカが不満に思うことも、不安に思うことも何もないわけです。丸山先生のお話からずれるかもしれませんが、あまり時間がないので全部にはお答えできないので、それだけを申し上げます。
 私が申し上げた「経済協力カードを使え」ということは「経済協力をやれ」と言っているのではないのです。やれるかどうかはあなた次第だと言っているのです。要するに北朝鮮が変われば、経済協力はあるかもしれないということを、外交カードとして使うべきだと言っているわけです。しかし、大事なことは、彼らが変わろうとするかどうかを考えるときに、本当に変わるためにどれだけのうまみがあるのだろうか。得をするのだろうか。本当に日本が経済協力をしてくれるのだろうかということを示さなければいけない。もう一つは経済協力の中身はどうなるのだろうかという具体的な話をしなければいけない。そういう話が進んで、自分が生まれ変わったらもらえるかもしれないので考えようというところまで、北朝鮮をもっていくべきだというのが私の考えていることです。
 先ほどニンジンの比喩を使ったのは、ニンジンを食べさせろとは私は言っていない。まずニンジンを鼻先にぶら下げろと言っているわけです。しかし、今の日本がやっていることは、ニンジンを持ってはいるのですが、そのニンジンをポケットの中に入れて、だれにも見えないようにしている。そのニンジンを使わないで北朝鮮を変えようとしても無理だということです。
 だから、使えるものは何でも使ったほうがいいと。圧力もあるし、外交もあるし、いろいろありますが。実はニンジンを持っている国は世界では日本しかないわけです。北朝鮮に対してニンジンが使える国は日本しかない。それなのにそのニンジンをしまい込んでいるのが、私はもったいないと思う。それをニンジンとして使う分には、アメリカとの間でも全く問題がない。協調してやれるということで、それをお勧めしたいと申し上げました。

丸山

 北朝鮮は自力で変われると思われますか。

伊豆見

 そういう状況になると、彼らは本気で考えると思います。北朝鮮というのは、われわれから見るといろいろな意味で異常な国ですが、随分損得で動く国です。得をすれば考える。損をすることはやらない。

丸山

 では、本村先生、お願いします。

新しい日本海学を確立させるために

木村

 おそらく私の最後の発言になると思うので、思い切って富山県にサービスをしたい。「新しい日本海学の確立を希望する」との提言です。私は、これまでの過去において、いわゆる"日本海学"といわれる日本海交流に対して、かなり辛口の批判をしてきました。それは、次の三つの間違った前提――必ずしも正しくない前提――に立っていたからです。
 第一に、地理的に近接する諸国は仲よくなるべきである。また放っておいても自然に仲よくなるはずである。このような非常に素朴な観点に立っていた。すなわち、日本にとっては、地理的に違いアフリカやラテンアメリカの国々と協力するよりも、日本海のすぐ向こうにある地理的に近い旧ソ違、中国の東北三省、朝鮮、韓国、モンゴルなど、そういった国と分業し、互いに交流すべきだという考えです。これは、私から言わせると、全く一面的な見方です。近い隣国であればこそ、いろいろなトラブルが起きる。違い友人よりも身近な親戚のほうが問題を起こしがちなことと同じである。なぜか。地理的に近いがゆえに、国境線の確定、漁業資源・エネルギー資源の取り合い、環境の汚染、亡命......といった対立やトラブルが発生しがちなのである。それが証拠に、日本とロシアとの間では領土の帰属を争って、平和条約も結ばれていない。日本と北朝鮮の間には国交もない。
 第二に、経済的相互依存性があることを強調しすぎる。私が仮に第一期と名づける、環日本海交流を目指した、日本海に面する諸県の人たちが、そうであった。例えば、日本には、科学・技術とカネがある、それに対して、それ以外の国々にはエネルギーが埋まっていたり、安い労働力がある。だから、ヒト、モノ、カネ、エネルギー、科学・技術をくっつければ、ここにすばらしい地域経済協力圏ができると説く。ナイーブな考え方です。例えば、政治体制という壁がどれほどバリアとなって、これらのファクターを結びつけることを阻害しているか。このことを、意識的無意識に見過ごしている。また、日本は何もこれらの地理的に近い国々と結びつかなくても、それ以外の国、例えば東南アジア、アメリカ、ヨーロッパの諸国との間で経済協力を行い、それらの国々にプラントを設置すればいいわけだ。また、最近のコンピュータ時代においては、コンピュータのチップスなどは一台の航空機に乗せれば、世界中どこでも簡単に配達できる。なぜ地理的に近い国との交流にこだわるのか。この単純なことが、彼らにはわからなかった。
 第三に、彼らは、これら右の二つの前提(私の言う神話)のほかに、もう一つの間違った理論的根拠に立っていた。それは、リージョナリズム (地域主義)の時代が到来するとの考え方。だが、地域主義は今、二つの方面から攻撃されている。私が冒頭に話した"グローバリゼーション"という波に対して、いったい地域主義はどこまで対抗できるのか。他方、まるで「前門の虎、後門の狼」のように、国家主権というものが依然として地域主義を阻む壁として残っている。その二つの狭間で、地域主義は"グローバリズム"にもなりきれない。また、国家や県の命令にも従わなければいけない。さらに思い切って言うと、日本海に面する五、六の県は、結局のところ東京に多くを依存している。東京に支部を持っている。東京からカネを出させようとしている。中央(東京)依存を続けているかぎり、自己のレゾンデートル(存在理由)を確立することは難しい。
 ところがである。富山県が提唱している"日本海学"というのは何か。はっきり言って諸県よりも少し遅れて出発した。「遅れてきた青年」(大江健三郎)です。しかし、遅れてきたがゆえに、第一期の日本海プログラムのにがい経験から学び、反省とその克服の上に立っている。「後から来た者(レイトカマ-)」の知恵や有利性――ハーバード大学教授のゲルシェンクロンが提唱したこと――があてはまる。第ニチームは、第二チームの失敗から学んで、進んでいくことができる。第一チームは、どうだったのか。一方的に物事を見ていた。複眼的な思考に立っていなかった。例えば現代世界や北東アジアにおいては、私が話したような二面性が明らか見られる。つまり、「統合化」と「断片化」の二つが、同時並行して起きている。このことを認識し、そのバランスの上に立って、"日本海構想"に絶対に賛成という白の立場、絶対に反対という黒の立場でなくて、日本人独特のグレー(灰色)ゾーン、すなわち黒白の中間の是々非々主義で進んでいく。この構想のプラスになる面は、富山県や日本海に面する諸県は大いに推進したらいい。だが、何か何でもこのアイディアにのめり込み、同構想でなければ夜も日も明けないという気持ちとなる必要はない。
 とはいえ、長期的に見ると北朝鮮も変わってくるだろう。中国も変わってくるだろう。韓国も変わってくるだろう。ロシアも変わってくるだろう。そちらの方向に向けて、今から布石を打っておくことは無駄ではない。しかし、あまり即効的な効果を狙って、この地域の諸国と協力すれば万事バラ色の未来が出現する、日本海がかつての地中海沿岸地域のように栄える、このような幻想を抱くべきではない。着実に一歩一歩、限界と可能性に賭ける。もしそうするならば、富山県のサバイバルならびに繁栄のための非常に有意義な構想となろう。

丸山

 どうもありがとうございました。僕も全く異論ありません。グローバリゼーションと後門の狼、強い国家権力への政府の執着。しかし、この二つはある意味では相反するものであり、それを巧みに包摂して、二つを並行しながらやっていくということがあると思うのです。その巧みさが必要だと多分言われたのだと思います。
 では、清家さんお願いできますか。

地中海経済と日本海経済

清家

 五分間というのは非常に辛いです。子どものとき、僕はおしゃべりだったから「そんなにしゃべりたいのだったら、大学の先生になればいいよ」と言われていたのです。大学教官ならしゃべり放題だと思っていた。それなのに今日は五分間と言われているので、非常に疲れています。
 まず地中海と日本海とを比べてみましょう。北朝鮮にニンジンというのは僕も思うのですが、できればニンジンではなくパイにしたい。そして、パイを一緒に大きくすると、日本海経済というパイはものすごく大きくなるよと言いたいと思います。意外に地中海経済に比べた場合、日本海は大きいです。周辺人口は三億二〇〇〇万人。アメリカの二億八〇〇〇万人よりも多いです。先進国の人口比という点では、日本が中心ですが、六〇%に達します。GDPは六五〇兆円で、アメリカの約半分くらいです。そう考えていくと、人口がアメリカよりも多いのであれば、現在のGDPは倍になってもいい。そういう感覚を持ちます。
 そして隣接地域というか、中国全体を考えると一〇億人もいる。このように考えていくと、このパイはものすごく大きくなるのではないか。日本海といった場合、地中海よりもずっと小さい経済といったイメージを持つと思いますが、実際、経済という視点からいくと、日本海は地中海よりも大きいわけです。最後に国家の数が五か国と少ない。国家の数が多いというのは、まとまりにくいかまとまりやすいかという点では諸説あります。
 しかし五か国というのは、一つのキーだと思います。そして軍事費は地中海より少し多い。地中海と比べた場合、日本海の可能性は大きいのだということを、まず一点考えてもらいたい。このパイを一緒に大きくしようと、北朝鮮に提案するほうがいいのではないかと思います。
 中国の話を最後にしますが、中国人は非常にしたたかだといわれます。しかし、中国人を非常にしたたかと思っているのは日本人で、逆に欧米人から見ると、中国人の反応はワンパターンだから、だましてやるのにいちばんいいといった悪口があります。歴史を見ると中国は何度もだまされているのです。そう考えていくと、中国はしたたかではなくて、いつも決まった反応をする。そして、いつも決まった反応に日本はコロッとだまされる。欧米はいつも決まった反応をする中国を、決まったやり方でだます。これの繰り返しだと、どなただったでしょうか、イジワルな見方をしていました。私からみると中国人はいい人ばかりです。

地球人として、そして日本人としての役割

丸山

 時間も押し追っています。最後の簡単なまとめをして、皆さんから意見を一つ二つ聞いて終わりにしたいと思います。
 一つは非常に長期的な視点で、人類の社会全体という大きな枠の中で考えると、東アジア共生体の誕生が、今、どういう理由で必要とされるのかということ。その中で、日本はどう振る舞うのかという大きな視点から、具体的に考える。短期的には北朝鮮の核問題、中国の環境汚染の問題、それから対ロシア対策。ロシアが本当に民主主義の国として発展していくには今、非常に重要な位置にいる。そういうことを考えながら、中期的・長期的な戦略をとれということを三人の方がおっしゃられたのだと思います。
 もう一つは、今や、あらゆる問題が国家の中で閉じた形では解決しない。経済にしても、ありとあらゆるものがそうです。そういう意味で、地球人としての意識を、アジアの人たち、あるいは世界の人たちがみんな持つ。たとえ、特定の国の小さな問題であっても、その問題の解決には「地球人」として世界のすべての人と議論しなければならない時代に来ているわけですから。そういう意味で、今日、少し議論されなかった問題として、良質な教育を世界に普及するというところに、日本の国が果たす役割があると思うのです。
 その意味で、富山県が他県に先駆けてやろうとしていることを高く評価する必要がある。日本の政治が、地方主導の新時代になろうとしているのです。アジア諸国から多くの人を受け入れると同時に、彼らに良質な教育を提供する。第一歩は政治から遠い分野で開始することです。すでにアイスホッケーですか、アジアリーグが始まっている。次はプロ野球。パ・リーグも巨人などを相手にしないで、例えば西武は東アジアプロ野球リーグを作る。日本・韓国・台湾・中国の四か国でやればいいでしょう。そうして、それぞれの国が待っている、国民が待っているエスノ・セントリズム、自民族自愛主義というか、そういう気分を充足させながら、いい意味で愛国主義の気分をガス抜きしながら、同時に文化の相互理解を図る。これは芸術も同じだと思います。現代は全く新しいことを地方が仕掛けられる時代になりつつあるのだと思います。第二段階は、科学者共同体による知識の共有です。第三段階が経済協力です。
 このような順番で、日本海学がさらに発展していくということを心から期待したいと思います。二一世紀が二〇世紀と違うのは、科学が新しい時代に入っていることです。科学は「知る、あるいは理解する」というのが第一段階。二つめの段階は「予測」。完全にわかると予測ができます。予測をして悪いことが起きるときは、制御することができます。「制御」が第三段階です。二〇世紀と違って二一世紀初頭の現在、「知る」段階の後半にいます。一部は予測や制御をする段階まで入っています。そういう意味で現代は、未来がおぼろげながら見えてきた時代に当たっています。日本の国民の知性が本当に問われる時代だと思います。だから、そういう意味で、「頑張れ人類」というか、そういう視点でグローバルに、しかも歴史を越えて考えていただきたい。
 未来が見えるという時代のいちばん重要な武器はコンピュータです。もっと具体的には、アメリカが一九六九年に発明したインターネットです。それが今や世界を全部統治可能な、非常に小さなサイズに縮小している。本村先生がおっしやられた、ある意味の統合、EUに匹敵するアジア共生体。そういう新しい、ある意味、世界が実質的に統一されたような形態に向かい始めているという徴候が見え始めているのだと思います。
 そういう意味で、アジアの中の先進国としての日本が果たす役割は非常に大きい。具体的な練習問題として、まず東アジアがどうなるかというところで、日本の真価が問われる時代になっていると思います。
 以上で、このパネルディスカッションを閉じたいと思いますが、一つか二つ、ご質問があればお受けしたいと思います。どなたでも。それから、どなたに質問したいか指名してください。お手を挙げていただければと思います。

質問

 私は二一世紀の世界がどのようになっていくかについては、中国というよりも、当該個別地域ではどのようになっていくか。これにかかっていると申しても過言でないと思います。その意味におきまして、この機構が研究なさることについて、私は大いに意義を認めるものです。
 ただ、今、シンポジウムのお話を伺いまして出てくるのは、共生などといってもいかにそれが難しいかが浮かび上がってきたということだろうと思います。その意味におきまして、私は最後に本村先生がおっしゃったことに共感を覚えるわけです。拍手しようと思ったのですが、遠慮をしたわけです。
 もっと言いますと、共生などといった楽観的なことではなくて、当該地域においてまた悲惨なことが起こらないように、どれだけ手を尽くして最悪の時代を回避しうるかということに最大の努力をしていく。むしろ、そういう視点からやっていかなければいけないのではないか。そのためには、当該、環日本海地域だけではなくて、むしろ「自由、民主制」という日本と価値観を同じくする国々との協力こそが、大事になってくるのではなかろうかと思います。はなはだ恐縮ですが、そういう観点からしますと、コーディネーターの先生のご意見にはいささかどうかと思う次第ですが、いかがでしょうか。

丸山

 僕は基本的にはそうだと思うのです。具体的にいうと、国連にお金を投資するよりも「世界民主主義連合」を作れと。世界民主主義連合という新しい国際協力体制の中で、今おっしゃられた考え方、ある意味では世界観を共有する国の集団がものを考え実行することだと僕自身は思います。その基本は、今おっしゃられたことだと思います。
 皆さん、いかがでしょうか。もしご意見があれば。

木村

 私の名前を出していただいたので、ひと言述べたい。すばらしいコメントだった。共感し、付言したい。
 国際関係理論で最近とくに話題となっているのは、"予防外交"の考え方です。これは、医学の言葉から出た。病気になってから手当てしていては間に合わない、手遅れだ。そういう危機が来る前に、適当な処置をなすべきとの考え方。"予防外交"は、予防医学からヒントを得ている。ついでながら「危機」という言葉も、日常的に使われていますが、これも、もともと医学用語です。これ以上危機が進行すると、生命の危機に直面せざるを得なくなる。そういう転換点を指して「危機」と名づける。
 日本人の中には、"予防"というと、何か受け身で、積極性が感じられない、日本は、独自のイニシアチブをとって、もっと堂々と外交をやれという意見もたしかにあるかもしれない。しかし、日本の国力と北東アジアにおける現状況を見れば、最悪の状態を導かないように、抑え抑え、だましだましやっていくうちに、何かよいチャンスが回ってくる。よいタイミングにも恵まれてくる。これも、一つの政治の知恵なのです。
 急に俗っぽくなりますが、ガッツ石松さんという元ボクサーがいます。週刊誌に載っている発言を読みました。ガッツ石板のボクサー哲学は、相手側のパンチをなるべく逃げて、守りに徹する。守りに徹していると、相手が疲れてきてちょっとしたすきを見せる。その瞬間にパッとアッパーカットを入れる。と、一発で倒せるという。
 私の専攻分野の日ロ関係でいうと、ロシアは大国で、領土問題についてもなかなかしたたかです。だが、日本に対し北方四島を返すことが、日ロ関係を新しい段階へとレベルアップすることにつながる。日本側がこう言い続けているうちに、ロシアの政権が変わったり、国内情勢や国際情勢が変わったりして、日本側の主張を理解する時が来ないとも限らない。そういうわけで、日本側で領土運動をやめたり、返還要求を下ろすのは最もまずいこと。粘り強くやりなさいということとなります。
 伊豆見先生の「ニンジンをぶら下げろ」というお話は、ロシアにも当てはまるなと思いました。だが、向こうは馬でなくて熊だから、ニンジンでなく鮭をぶら下げるべきかしらと思ったりもしました(笑)。
 ご質問された方は、この北東アジア地域情勢の難しさから考えて、"守り"というか、最も悪い状態に陥るのを防ぎ防ぎしているうちに、何かよい展開が現出するかもしれないと説く。一見消極的な意見にも聞こえますが、実にわれわれ専門家としても全面的に同感します。国際政治の神髄を見事に衝かれたご見解です。(拍手)

清家

 危ないという点では、北朝鮮の核でいちばん危ないのは京都ではないかという話があるのです。第二次世界大戦で原爆を開発したとき、どこに落とすかという決定をアメリカがする際に、第一目標に選ばれたのは京都なのです。要するに、経済的な影響力の割に心理的な影響が大きい。そう考えると、北朝鮮も京都をねらう可能性は強いと思うのですが、伊豆見先生、どうですか。

伊豆見

 当面、そういう可能性はありませんので、ご安心いただいて大丈夫だと思います。

丸山

 今の予防という言葉ですが、例えば北朝鮮であるとか、いろいろなところで国民は本当に苦しめられている、われわれの同胞を救うということをないがしろにするわけにはゆかない。長引けば長引くほどそこで多数の国民が殺されるわけです。時間がない。そういうことに対して、先進国は鈍感でありすぎたという側面もあると思います。
 だから、世の中は単純ではないので、そういうところをいかに巧みにやれるかという、巧みさ。間接的な表現をしましたが、それにかかっていると思います。社会における現象は実に複雑なので、そういう側面を見つつ、巧みに対応することをぜひ期待したい。そういうところではないかと思います。
 時間が大体満了になったので、申しわけありませんがこれで閉じたいと思います。ありがとうございました。

 

注1 毛沢東語録 一九六五年、毛沢東が党、行政の実権を奪回するために起こした文化大革命に際し、中国全土で十代の少年少女が紅衛兵という組織を作って先頭に立った。主として彼らが愛読した小型の毛沢東主席の言行エッセンス本。

注2 MIT(Massachusetts Institute of Technology) マサチューセッツエ科大学の略。一八六一年創設。工学分野の研究・教育で著名な私立総合大学。

注3 カント(Immanuel Kant 一七二四~一八〇四) ドイツの哲学者。主著に『純粋理性批判』『実践理性批判』『道徳形而上学原論』など。

注4 ジョン・ロック(John Locke 一六三二~一七〇四) イギリスの哲学者、政治思想家。その主著『人間知性論』は、民主主義の原点を説き、フランス革命やアメリカ独立に強い影響を与えた。

注5 プルトニウム型核兵器 原子炉内でウランの核反応によって人工的に作られるプルトニウム239は中性子を吸い取って核分裂を起こし、核兵器に利用される。

注6 中距離弾道ミサイルのノドン(射程距離約一〇〇〇キロ)と新型弾道ミサイルのテポドン(射程距離約二〇〇〇キロ)。このうちテポドンが一九九八年八月に発射され、日本海、日本列島を越えて三陸沖に着弾した。北朝鮮は、これは人工衛星の打ち上げの失敗であったと主張している。

注7 EQ(emotional quotient) 心の知能指数。IQ(Intelligence quotient 知能指数)の対語。

注8 再処理 使用済みの核燃料から残ったウランやプルトニウムを回収して、再利用すること。

注9 核拡散防止条約 略称NPT(Non‐Proliferation of Nuclear Weapons Treaty)。核兵器保有国の増加を防止し、保有国が核爆発装置や核分裂物質を輸出しないことを目的とした条約。一九六八年、米英ソが調印。日本は七〇年調印。

注10 軽水炉 濃縮ウランを燃料とし、炉心の冷却と中性子の減速に、ふつうの水を使用する原子炉。