日本海学シンポジウム

パネルディスカッション 「日本海を介した人びとの共存共栄」


2005年11月26日
タワー111 スカイホール
 

コーディネーター
パネリスト
小泉 格
石 弘之
植松 光夫
小境 卓治
竹内 章
(北海道大学名誉教授)
(北海道大学特任教授)
(東京大学海洋研究所教授)
(氷見市立博物館館長補佐)
(富山大学理学部教授)

このパネルディスカッションは、
『日本海学の新世紀第6集 海の力』に掲載されています。
→『日本海学の新世紀第6集 海の力』角川書店
 

(注) 本文中の写真・図は、ここでは省略しています。
『日本海学の新世紀第6集 海の力』をご覧下さい。

小泉

 こんにちは。本日のパネルディスカッションの目指すところ、考え方の骨子を最初にみなさんにお知らせしておきます。本日のテーマは、「日本海を介した環日本海地域に暮らす人びとの共存共栄」でございます。

 最近は、自然遺産に指定された知床なども「知床学」、私の住んでいる札幌でも「札幌学」と、都道府県の名前にそのまま「学」をつけて「地域学」としています。ところが、富山県で平成元年から始められたこの日本海学は「国際地域学」 です。それは、「環日本海地域」を思っていただければ、すぐおわかりになるかと思います。

 今日のポスターに、初めて「Japan Seaology」という横文字が入っています。これまで日本語だけでいっていたけれども、これからはやっぱり国際的標準語である英語で展開していく必要があるのではないかということで、日頃から言っていたことが実現されて嬉しい限りであります。

 次なる目標は「総合学」です。たとえば地域学、あるいは日本海学もそうですが、主として自然科学に特出する気味があります。そうでなくて、今生きている人々にかかわってくること、それがここに書いた「共存共栄」という言葉です。とどまるところ、それは政治、経済の問題に収斂してくる。日本海学も、政治や経済というまなざしを持っていないといけないと思う。そういう意味で総合学だと思うのです。

 今日のパネルディスカッションは環境が主体でありますが、それだけではやっぱり物足りない。文化、政治、経済、自然科学もみんな入れて、行政のほうにそういった問題を収斂していくという意味で、総合学といった展開をしないといけないと思うわけです。

 今世紀、もう二一世紀が始まって五年たとうとしていますが、私は最大の課題というのは、医療、福祉、環境の三つだと思っています。今日はパネリストのみなさんの専門である環境問題になりますが、医療、福祉、環境問題というのは地域レベルの課題であります。それと同時に、非常に専門的な知識を必要とする分野です。医療、福祉、環境というものが、政策の立案であるとか、行政サービスというところに生かされてこないといけない。

 どのように生かされてくるかというと、私たちの専門であります仕事、あるいは研究の展開の仕方というのは、調査、分析、解析、というステップの結果としての研究の成果をみなさんに見える形でプレゼンテーション(提供)するわけです。そういう段取りと結果を行政のほうに取り入れていただいて、ここでは環境を主体にした日本海学だけに話を留めておきますが、融合していかないといけない。そして最終的には、行政サービスにこれから日本海学が生かされてこないといけないと思います。

 今日のテーマであります環境というのは、みなさん、あるいは今日のトゥカーリンさんの基調スピーチもそうでしたが、すぐ環境汚染ということになります。環境汚染というのは、環境の問題の中でもネガティブな、マイナスの話で、あまり元気が出ないわけですね。

 環境といった場合、私は二つの面があると思うんです。一つは人間環境。人間環境というのは対人関係です。もう一つは自然環境。自然環境というと、今お話ししたように環境汚染が出てきます。環境汚染というのは、実は資源の開発、あるいは経済開発、経済の発達と表裏一体になっています。

 私は古くに、政府の原発や核廃棄物処理の委員会にかかわったことがあります。核廃棄物の地下貯蔵というものです。核の燃料になっているのはウランという鉱物です。これは天然にある鉱床です。最終的に出てくる核の廃棄物は、かつて天然にあったウランと同じような自然環境を人工的につくってやれば、そこにずっととどまることができるのではないかというわけです。これはニアフィールドという分野です。経済活動と環境問題というのは、このように表裏一体になっております。このことは、まさに政治経済の問題に収斂していく一例だろうと思います。

 先ほどパネリストの先生たちのご紹介がありましたが、今日は政治、経済、文化の話はできませんが、最終的にはそういった問題提起のところまで持っていければよろしいと思います。

 基調スピーチをなさいましたトゥカーリンさんの話では、まず一つ目に、日本海における化学物質の汚染の問題、ポリューションの話が出ました。二つ目は、ごみの問題が出てきました。『日本海学の新世紀』第4集の「危機と共生」という号に、楠井隆史さんと平野敏行さんがごみの問題を二つ書いています。それから、同じ第4集の中に、九州大学教授の尹宗煥さんが、「日本海の水の危機と保全」ということで、ロシアの原子力潜水艦の廃棄物の話にちょっと触れていますので、ぜひ購入されて勉強してください。

 それでは、各パネルの先生方によるプレゼンテーションに移りたいと思います。 最初は、植松先生に化学物質についてお話をしていただきます。植松先生は日本海だけではなくて世界中の海を扱っていますが、その中でも今日は日本海の環境汚染についてお話ししていただきます。

 それでは植松先生、お願いいたします。

 

環日本海域の空と海

植松

 今日は、「これからの環日本海地域の空と海の環境」ということで、お話をさせていただきます。

 写真1は初めて人間が月から地球を見たNASA提供の写真です。雲と海に地球表面の大部分を覆われていて、青く見えます。どうしてそうなったのでしょうか。太陽から見ると、水星、金星、地球という三番目の惑星になります。神様が地球をここらへんかなということで置かれてしまったのでしょう。今、空気中に二酸化炭素が増えているといいますが、もし生物がいなければ、この地球大気というのはほかの惑星と同じようにほとんど二酸化炭素だったでしょう。生物がいることで、窒素があって、酸素、二酸化炭素は今ちょっと増えていますが、ずいぶん変わってしまいました。生物がこの地球の大気の環境を変えていたのだということになります。もちろん人間も生物です。陸上もそうですが、海にはいろんな生物がいます。プランクトンもいますし、魚もいます。この海全体の半分、約五〇パーセントがわれわれの身近にある太平洋です。

 そんな中で、海の生物がどこにどれだけいるのでしょうか。衛星から見た観測画像です(口絵参照)。植物プランクトン、要するに、海の上に植物が育って、また枯れていくようなものですが、二〇〇五年の冬から季節を通して、こうして見ると、日本海の植物プランクトンが陸上と同じように、草木が育ってまた枯れてという季節の移り変わりがわかると思います。ところが、毎年同じようにプランクトンが増えたり減ったりしていたかというとそうではありません。なぜそんなことになるのかということにも興味が出てきます。

 実は、東アジアといいますか、ナウパップ地域(NOWPAP Region)というのは、大気から見ても非常にドラマチックなところです。写真2は二〇〇二年三月の写真ですが、日本海上空には何かもやもやとしたものがあります。太平洋側では細く煙がたなびいている。それからオホーツク海、ここも白く覆われています。日本海を覆っているのは最近よく話題にされる黄砂。もちろん黄砂以外にもいろんな汚染物質が黄砂とともに運ばれてきているといわれています。この細くたなびく煙の謎というのは、日本は火山が多いですが、三宅島からの噴煙、これは今も続いております。それから海が白いのはオホーツクの流氷です。それ以外にもシベリアの森林火災の煙、それからほとんど栄養のない海域のきれいな海の空気、このように空気一つを見てもナウパップ地域はいろいろなところからの影響を受けていることがわかると思います。その自然の中で、アジアの大気汚染、焼畑の煙とか台所からの煙とかいろいろなちょこちょことした事、要するに人間が日々の生活のために使っているのですが、これも数が集まるとばかにならないことになります。

 そういうもやもやとしたもの、これは空気中を漂う粒子ですが、「エアロゾル」と呼びます。どんなものがあるかといいますと、ディーゼルから出てくるススのような、直径が〇・一ミクロンといった非常に小さな粒子、それから一ミクロンという硫酸の小さな粒子、黄砂が大体、数ミクロンの大きさの鉱物粒子といいますか、砂粒のもっと細かいものです。ほかにも花粉などがありますが、これはもっと大きくて、二〇ミクロンという大きさです。人間の髪の毛の太さが大体五〇ミクロンですから、かなり小さなものが空気中にふわふわと浮いているということになりますが、同じ粒子でも化学成分が全然違うことがわかるかと思います。そういったものが東アジアから太平洋に飛んでいくわけです。

 図1は、アジア大陸から黄砂がどのようにして運ばれていくのかをモデルで解析したものですが、ちょうど中国大陸と日本海の境目のところですぱっと切ります。それから、日本の東、太平洋上の東経一六五度で切ってみますと、こういった黄砂は、実は地面をはっているのではなく、もっと高いところを飛んでいることがわかります。二キロメートルよりも上、大体三~五キロメートルの高いところを黄砂が東へと運ばれています。それから、海面上の色の分布を見てみますと、東シナ海から日本海のところに濃い部分がありますが、黄砂がたくさん落ちていることを示しています。日本海側ですと、春先になると、たまに黄色あるいは黒い雪が見られると思いますが、それはほとんどアジア大陸の内陸部の砂漠や乾燥地帯から運ばれて来たものが降っていることになります。

 それ以外にどんなものが運ばれてくるのでしょう。大部分が人間の活動によって作られる一酸化炭素が一体どこで発生してどうやって全地球を回っているかというモデルの結果を見てみますと、北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカの中部からたくさん出てきます。一番大きく見えるのが中国の日本海に近い地域からです。こうして見ますと、日本というのは風下で、随分いろいろなところから──もちろんアジアからだけではなしに、ヨーロッパから運ばれたものも日本にたどり着いていることがあります。日本からも出ていますが太平洋のほうに運ばれていることがわかります。人間の出した大気の物質は地球上をメリーゴーランドのようにぐるぐる回っているということで、これはもう環日本海というよりも、地球規模の空気の動きの中で、われわれがどう考えて生きていくかということになると思います。

 もっと問題なのは窒素酸化物、これも空気中へ自動車などから出てきますが、北アメリカ、ヨーロッパはそれほど増えていません。一方、アジアでは現在発展途上ということで、ウナギ登りに排出量が増えています。アジア域全体で年々、排出量の多い地域が広がっています。日本は最初から排出量が多かったのですが、アジア域全体で見ても年々増えているわけです。これから先一体どうなるのでしょうか、この影響がわれわれの環境にどれだけ関わってくるのかということが今後化石燃料などを使い尽くすまで、深刻な問題となるでしょう。

 最近、ネーチャーで発表された新しい衛星センサーで得られた大気中の二酸化窒素濃度の観測結果を見ますと、一九九六年から二〇〇二年まで、中国の大都市域でははっきり二酸化窒素濃度が増えていることがわかりました。香港、中国の北部ではそれほど変わっていません。日本もほとんど横ばいです。中国の華中域の濃度が年々増えていって、その出たものが日本の上空を通り過ぎていくことになります。

 九州大学応用力学研究所の鵜野伊津志教授が、一体どこにこういう窒素酸化物が落ちているのかを、観測結果をもとに計算されたモデルがあるのですが、それを見るとエアロゾルとガスの窒素化合物がそれぞれどんな感じで海の上に落ちているかがわかります。当然、日本から出たものも同じように太平洋にも影響しているということで、大気汚染というのは国境などない、地域の差などがないと理解していただけたかと思います。

 それ以外にも、二〇〇五年五月三日の衛星画像をインターネットで探し出しますと、いろいろな画像が出ています。朝鮮半島の付け根の辺り、北朝鮮の衛星画像を観ると一時工場の煙突の煙ではないかという話などが出ていたんですが、実はそれは山火事です。衛星画像で温度が高い点、「ホットスポット」を感知したものです。そういったところから煙が出ている。同じ半島内でも、韓国と北朝鮮では国境を境に山火事の状況が全然違うことがわかりました。

 ということで、日本海上の空気にはいろいろなものが含まれていることをお見せしました。一つは、黄砂。これは、アジア大陸の中央部からこのように日本海沖に運ばれて来ます。それから、この人為起源の硫酸塩(エアロゾル)ですが、こういったものがその黄砂の下を這うように運ばれています。これはアジア大陸の沿岸地域から放出されるものです。森林火災や焼畑農業で出る一酸化炭素やススは、インドシナ半島やインドからもっと上空を飛来して来ます。こういったいろいろな複雑なものが環日本海、日本全体といってもいいと思うんですが、われわれの生活環境の場にかかわってきているということがおわかりになるでしょう。実際に学術研究船「白鳳丸」、四〇〇〇トンという大きさの船で調査をしておりますので、ご紹介いたします。

 航海中には東シナ海の真ん中でも、晴れているのに煙っていました。かすみといったイメージですが、そこで、電気掃除機みたいなもので空気中のエアロゾル(粒子)を集めてみました。半日間引くだけでフィルターはもう真っ黒になってしまいました。東シナ海のど真ん中でも、今大気汚染は、東京の大気並みに進んでいることになります。

 大気から落ちるものと揚子江(長江)から東シナ海に流れ込むものでは、一体どれぐらい違いがあるかを見てみますと、何と川から東シナ海に運び込まれるのと同じくらい大気からいろいろな物質が落ちていることになります。

 写真3はちょうど東シナ海の中央部で白鳳丸が停船していたときですが、この一個の点が中国の漁船です。この周り、ちょうど半径一二マイル(二〇キロ)くらいの範囲に二〇〇隻を超える漁船が群がっていて、中心にいる白鳳丸が自由に動けないような状況でした。こういった状況で今、東シナ海あるいは日本海の海洋の環境も変わりつつあるのではないかということです。

 小泉先生からのリクエストで、環日本海での憂慮すべき課題をちょっと調べてくれということでしたので、日本原子力研究開発機構の川村英之・小林卓也両博士にお願いして教えていただきました。もしどこかの国の原子力潜水艦が日本海で事故を起こしたら一体どうなるのだろうかというシミュレーションをした結果、最悪の場所はどこかというと、釜山と博多のちょうど中間点辺りが日本にとっても日本海の環境にとっても一番大きな影響を与えるところだと考えられています。対馬暖流がありまして、放射性物質は日に日に広がっていくということですが、一〇〇日後には、富山のほうまでやって来るということになります。これはあくまでも想定で、いろんな状況次第で変わっていくと思います。

 いずれにしても、こういう一つの事故があった場合、すでにロシアタンカーの油流出汚染でそういう問題の重要さというのはみなさんご存じだと思います。自分たちの生活圏からずいぶん離れた所での事故でも本州の日本海沿岸全域に広がるということを忘れてはいけないと思います。ただ、放射性物質が検出されたからすぐに大変なことになるというわけではなく、どれくらいの濃度レベルが危険なのかというのが問題になると思います。物は流れるということで、大気もそうですし、海もそうだということです。

 大気汚染というのは、地球全体の規模の中でとらえるべきではないかと思います。当然、この東アジア地域から出すものもあれば、入ってくるものもあるということですし、どちらかというと、環日本海地域というのは被害者のように見えますが、逆に加害者にもなり得るのではないでしょうか。そういう面で、大気の継続した観測(モニタリング)というのは非常に大事ではないかと思います。

 また、日本海の環境というのは日本海だけを見ていても解決するものではありません。東シナ海、オホーツク海といったほかの海とのつながりがありますから、それらも含めて常に観測する必要があるのではないかと思います。

 もう一つは、日本海というのは環境の変化に非常に敏感に反応しているということです。これは『日本海学の新世紀』第3集で東京大学海洋研究所の蒲生俊敬教授が、日本海が温暖化の影響で酸素が海の深いほうに運ばれなくなっているのではないかといったことを報告されていますが、そういう意味では、まさに日本海というのは、これから先の日本というか人類の行く末を左右する環境を見るいいモニターの場ではないかという気がします。

 日本列島に連なる山脈に、大陸からの大気汚染物質がぶつかります。富山には立山もありますが、山の積雪自体を調べてもはっきり汚染の状況がわかるといわれております。そういった場合、人間の出した窒素がまた海に戻っていくということで、ひょっとしたら窒素が栄養として戻って赤潮が発生する、あるいはうまくいけば日本海は植物プランクトンが増えて、好漁場になるのではないかといった楽観的な見方も出てくるでしょう。まだまだ何が起こるとどのように自然が反応して、われわれの生活に関与するかということがわかっていないような状況だと思います。

 以上です。

小泉

 どうもありがとうございました。

 ちょっとまとめさせていただきますと、一つは、古くからいわれているみなさんご存じの黄砂の問題。これは砂漠から飛んでくる、いってみると石英などの砂粒よりもっと細かい粒子の話です。それから、多分、みなさん初めてお聞きになったと思われるエアロゾルは、硫酸塩とか硝酸塩、ススなどです。これは不完全燃焼の結果だと私は思うんですが、日本ではディーゼルエンジンで騒がれていて、最初、東京都で規制して、今、日本でもディーゼルエンジンの排出を規制しようとしています。エンジンそのものは燃料の効率が非常にいいから、除去装置(DPF)をつけておけばいいわけです。

 その話が二つ目で、三つ目は森林火災の話をされました。森林火災は『日本海学の新世紀』の第4集にも書いてありますが、これまで極東ロシアの森林火災が非常に有名でしたが、北朝鮮の森林火災とか、もう一つは、風上の中国における経済発達あるいは経済成長そのものが環境汚染に結びついてきております。そういう問題に対してわが国がどのように対処していくか、あるいは地域での富山がどう対処していくか。経済協力すると同時に、環境協力もしていかなければいけないということがあります。

 黄砂や北朝鮮の問題については、後ほど石先生のほうから紹介していただけるかと思います。

 次は小境さんに、私たちの食資源について、私たちは生き物ですから物を食べないと生きていけません。特に富山の場合、氷見(ひみ)など魚が有名ですので、漁労あるいは加工、そういう話を紹介していただきます。

 

富山湾における水産資源の歴史

小境

 多少時間が前後するかと思いますが、ご容赦願います。私たちの少し前の世代の人たちが、数百年にわたり自分たちの身近にあるものをうまく使って漁をしてきて、なおかつ、現在のような流通や交通や冷凍・冷蔵設備のない時代に、塩蔵、乳酸発酵、乾燥させて塩干しにするなどして水産資源をうまく利用してきたという事例を紹介できればと思います。

 写真4は全部サバです。昭和三八年四月一五日―四月一五日というのは宇波地区の春祭りの日なんですが、場所は灘浦の「前網大敷(おおしき)」という江戸時代からの非常に古い漁場です。前日網取りをして、一遍網は空になっているはずなんです。実際、この漁に立ち会われた方にお話を聞きますと、当初は網の中に何が入っているのかわからなかったんだそうです。途中で網が上がらなくなって、おかしいぞということで揚げていきましたら、こういう状態だったんですね。

 当時の網というのは、藁網(わらあみ)と綿糸網(めんしあみ)を併用した非常にシンプルなもので、魚は入りやすいけれども、出やすいものでした。このときは網取りに実は三日間かかりまして、水揚げ高一四万貫と記録されています。一四万貫というのは五二五トン余りですが、年によって多少でこぼこはありますが、一年間に氷見で水揚げされるサバを一日でとってしまったんです。

 写真5はマイワシです。昭和四〇年代、ちょっと網の名前がわからないんですが、灘浦沖の大敷網(おおしきあみ)だと思います。これは氷見だけではないんですが、現在、富山湾には七十数カ統の定置網が免許されています。もちろん全部が同時に下ろされているわけではなく、休んでいる網もありますが、定置網が主に漁獲の対象とするのは回遊魚です。たとえば春はマイワシ、スルメイカ、夏はマグロ、秋・冬になるとブリ、フクラギ。言ってみると、富山湾全体が大きな定置網のようなものなんです。回遊魚というのは、季節ごとに来ますが、年によって来たり来なかったりします。

 写真6は全部カワハギの仲間のウマヅラハギです。昭和五九年の写真ですが、昭和五〇年代半ばから五九年のうち、四、五年にわたって、氷見だけでなしに、能登半島近辺の網にカワハギが大挙して来ています。あまりの大漁に競り人が競り落とさない。漁師さんもどうしようもないものですから、最後はもう網を開けて全部逃がしてしまうんですが、翌日またこういう状態なんですね。このように回遊魚というのは、季節ごとにやって来るんですが、年によって来たり来なかったりと非常に変動が激しいんです。

 ですから、たとえば江戸時代の文献なんかを読んでおりますと、一五年とか二〇年という周期でものすごい大漁が来て、その間に大変な不漁が来ています。それから、明治四〇年代にはブリの大漁が数年間続きます。それから、大正の末年から昭和の初めにかけてイワシが大挙して来ます。このときは、干加(ほしか)もしくは〆粕(しめかす)といってイワシから肥料をたくさんつくりました。それから、戦後になりますと、昭和三〇年代にサバとアジが来ます。五〇年代はカワハギです。

 では、こういう回遊魚をどうやってとらえていたか。写真7は天明五(一七八五)年に魚津浦に下ろされていた網ですが、鰤台網(ぶりだいあみ)といい、ごらんのように藁網です。この部分は、回遊してくる魚の足をとめるために、海中に垂直にカーテンのように張られた網で、これを垣網(かきあみ)と言います。実際に魚をとらえるのはこの袋状の網(身網、みあみ)の部分で、網目が細かいんですが、あとの網目は非常に粗い。藁網とは言いながら、藁縄を編んだ網ですので、正確には藁縄網ですが、網本体は藁です。これは浮きです。これは丸太で材質は杉だと思います。杉を束にして浮きにしているんですね。ここに点々と見えるのは石の錘りです。藁、丸太、杉、石という身近にあるものでブリをとらえていたんです。

 写真8は織網(おりあみ)です。細い藁縄を編んでできた網ですが、これでイワシ、ブリ、マグロをとります。

 写真9は垣網です。目合い(網目)が一尺目あります。一尺(約三〇センチ)もあると、イワシはおろかブリも素通りするはずですが、垣網がさえぎる形であると、ブリは直進しないで垣網に沿って身網(みあみ)に入るということを漁師は経験則として知っているんですね。

 写真10は昭和三〇年代に、灘浦の番屋で漁師さんが実際に藁網をつくるため、藁縄で網を編んでいるんですね。目合いが一尺目ですから、おそらく垣網だと思いますが、おもしろいのは、米をつくると必ず藁が出ます。農家では、米をとった後、稲藁で藁縄を編みます。それを漁師さんに売ります。漁師はそれで網をつくってイワシやブリをとります。それでとった魚が肥料、食料としてまた農家に還元されるという、非常にいいサイクルで経済が回っていたんです。これが私たちのつい一つ前の世代の人たちが日常的にやっていたことです。

 写真11は一反二〇間(約三〇メートル)ほどに編んだ網を一枚の垣網に仕立てている最中ですが、藁というのは非常に脆弱な素材です。ですから、現在のように一年を通して入れっ放しにすることができないんです。たとえば一月から三月ぐらいまではイワシ、イカをとります。漁期が終わると、藁網は切って海中へ落としてしまいます。五月から七月にかけて、今度はマグロをとります。その漁期が終わると、また海中へ落としてしまいます。一〇月の末から翌年の一月にかけてブリとフクラギをとる秋網(鰤網)を入れますが、終わるとまた落としてしまう。大体一年を通して三回漁期があるんですが、全部藁網は落としてしまう。海底でこれが腐ります。その過程でプランクトンが涌きます。そのプランクトンを求めて、小さい魚が寄って来ます。その魚を求めて、より大きな魚が寄って来ます。最後に人間がそれをとります。ですから、藁網は非常に脆弱だけれども、毎年米をつくれば副産物として出る藁をうまく利用して漁をしている。少なくとも江戸時代の初期に氷見沖に藁網が下ろされていた記録がありますので、数百年にわたってこういうサイクルでずっと漁をやって来たということです。

 昭和三〇年代後半から四〇年にかけて化学繊維の網が出て来ます。こうした網は、現在はほとんど一年間入れっ放しです。もし網を入れ替えるとなると、それを海に落とすことはできませんので、陸上に揚げて、産業廃棄物としてコストをかけて処分しなければいけないというのが現状です。

 写真12は丸太ではありません。実は「ロクハン」といって、先ほどの天明五年の魚津浦の猟業図絵の中に丸太を縛ったものがあったと思いますが、あれです。材質は杉です。長さが七尺から八尺、二メートルから二メートル五〇センチほどですが、裏の山にある杉を六つ割もしくは四つ割にして、両端をちょっとえぐって、ここにロープをかけます。一本数百メートルの太い藁綱でつくったロープを延ばして、それを海上に浮かせるんです。その浮かせた藁綱に藁網を吊るしていくんです。

 明治三〇年代末になりますと、新型の網が富山湾に入ってきます。写真13は 「日高式大敷網」に使われていたのと同じ孟宗竹の浮きです。この網は、非常に大規模な網ですので、ロクハンの浮力ではもたないということで、明治末年から昭和三〇年代ぐらいまで、孟宗竹の浮きが一般的に使われています。これも裏の山から切ってきた竹をそのまま縛って浮きにしています。

 写真14は何をしているかというと、女性もいるんですが、藁俵に砂利を詰めて網錘りをつくっているところです。氷見ではこれを「ドヒョウ」といいますが、いってみれば石俵です。俵の材質は藁です。米俵の古いものであったり、石俵用につくった俵であったりするんですが、材料は藁と石だけです。ごく小さい網ですと、浜の砂を使っている例があります。藁と砂で網錘りができるんです。これは昭和三〇年代ですが、昭和三〇年代ですと、やや小さな網で七〇〇〇~八〇〇〇俵、大きな網で二万五〇〇〇~三万俵ぐらい。現在は樹脂製の袋を使っています。漁師さんは「サンドバッグ」などというハイカラな言い方をしていますが、現在ですと、大型の定置網ですと七万~八万俵ぐらいの網錘りを使っています。

 写真15の船は「胴舟(どうぶね・どぶね)」といいます。現在の船と違って、断面が四角形で丸木舟に非常に近い形をしています。江戸時代からこのタイプの船がブリ漁に使われています。これも裏の山から切ってきた杉で地元の船大工さんがつくるんですが、ドブネにはブリが一〇〇〇匹ぐらい入ります。非常に頑丈で耐用年数が長かったんですが、いかんせん船足が遅かった。それで、昭和四〇年代に入ると廃れてしまうんですが、丸木舟から現在の構造船に移る過渡期の非常に貴重な船だということで、平成一〇年に石川県にあった胴舟が国の重文指定を受けています。残念ながら、富山湾沿岸にはこの船は現存しません。

 写真16は文禄四(一五九五)年のブリの上納申付状です。当時、京都にいた前田利家が、塩鰤を送れと宇波村の肝煎(きもいり)百姓、現在の宇波村の村長さん宛てに出した文書があるんですが、おもしろいのは、ここに「塩を利かせて背刀を入れろ」、とあります。現在わかっている塩鰤に関する文書の中では最古のものですが、当時、利家は秀頼の守役をしています。それから、文禄四年七月に五大老の一人になっています。文書の発給日が一一月七日なんですね。ですから、これは現在でいう歳暮鰤です。これを食べたのが豊臣秀頼なのか、徳川家康なのか、宇喜多秀家なのか、上杉景勝なのか、毛利輝元なのか、想像してみたくなるんですが、残念ながら随伴する文書がありませんので、これ以上はわかりません。

 写真17は塩鰤の搬送用のかごです。鰤かごといいます。非常に粗いつくりですが、これはこれでいいんですね。というのは、塩鰤の生産地から目的地まで届けば用は足りるということで、使い捨てのかごです。一かごに頭、尻尾、頭、尻尾と互い違いにして塩鰤が四匹入ります。

 近代の話ですが、越中でつくられた塩鰤は高山へ運ばれます。高山で競りが行われて信州の佐久平や松本平に運ばれるんですが、信州や飛騨の人たちにとって、この鰤が年取り魚として非常に貴重だったんです。あそこは海がありませんので、一二月三一日の大年の日には塩鰤を食べて年越しをしたいという強い要望に応えて、明治から昭和一〇年代ぐらいまで盛んに送られています。

 写真18は昭和二〇年代のブリの大漁の様子です。明治四〇年に新しい「日高式大敷網」という網が初めて氷見灘浦沖に入れられます。従来藁網だったんですが、この入れられた網というのは、身網の部分に綿糸網と麻糸の網を使って非常に大型化しました。網の仕込み費用が三万円で、翌年の一月末に決算をしましたら一〇七〇〇〇~一〇八〇〇〇円分の水揚げがあったんです。当時の米の値段を調べてみますと、一俵が一〇円弱です。ですから、三〇〇〇俵ぐらいの仕込み費用で、一漁期に一一〇〇〇俵近くのお米をとったのと同じことになります。この大漁を見まして、翌四一年には、富山湾一帯はこの網であっという間に二五カ統、すべて新型の網に切り替わります。

 明治四一年、「沖大敷」という現在の氷見の唐島沖に下ろされている網に四万本のブリが一網に入っています。氷見には「一斗鰤(いっとうぶり)」という言葉があります。ブリ一本が米俵四分の一俵と等価交換なんです。ですから、ブリ四本とお米一俵が同じ価値を持つという時代ですから、一網に四万本とったということは、昨日まで何にも入っていなかった網の中に米俵が約一万俵入っていたのと同じことになります。しかし、明治四〇年代にブリはどっと来るんですが、その後不漁になります。昭和二〇年代にまた大漁の山が来ます。そしてまた不漁になります。今朝の新聞でも二百何十匹揚がったと紹介されていますが、近年はまたブリは持ち直しているようです。

 写真19は昭和一〇年のマグロの水揚げです。ただ、このときは冷凍・冷蔵設備がありませんので、非常に魚価が暴落しました。川水に漬けられていますが、マグロというのは五月から七月ごろの漁ですから、氷の手当てが当時できなかったんです。現在、一〇〇キロクラス、一五〇キロクラスのマグロをうまく処理して売れば、一本一〇〇万円近くするのではないでしょうか。この当時、生では送れなかったので、塩マグロにして関東方面へ送ったんですが、途中、軽井沢あたりで天然氷を補給して送ったという記録が残されています。

 写真20、21は昭和初期のイワシの水揚げです。これは全部イワシですが、われわれのイメージからすると、イワシは生で食べるか、干鰯(ひいわし)、塩干しにして食べるか、みりん漬けにして食べるかというイメージですが、江戸時代イワシというのは肥料、干加(ほしか)として非常に珍重されました。食料としてのイワシについて、『応郷雑記』という近世末期の資料の中に記録が残っています。幕末期の安政五(一八五八)年一一月に幕府の外国奉行や箱館奉行一行一三七名が海岸防備のために日本海側を巡見しています。当時、箱館奉行は数百石クラスの旗本が務めているんですが、彼は江戸にいて「氷見鰯」という名前を知っているんです。たまたま田中屋権右衛門という町年寄のお宅に泊まったんですが、そこで氷見の干鰯を食べたら旨かった。彼はこういうコメントを残しています。「江戸表におっては、『シメイワシ』あるいは『ヒメイワシ』と聞いていた。折に触れてそれを求めたいと思っていたけれども、なかなか求め方がわからなかった。ただ氷見へ来て、正式なネーミングは『シメイワシ』や『ヒメイワシ』ではなく『氷見鰯』であることがわかった。ついては、江戸表へ土産に持って帰りたい」と。それで、買い求め分が五〇〇匹、献上分が二五〇匹ということで、町は大慌てで七五〇匹の干したイワシを整えた。しかし、江戸までの長道中だと途中腐るといけないから上乾(じょうぼし)にしてくれというリクエストがありまして、それから三~四日干し上げて、次の宿泊地の能登へ届けています。

 写真22はみりん漬け(みりん干し)をつくっているところです。みりん漬けは富山県のあちこちでつくられていますが、実はこれは江戸時代にはなかった製法なんです。先ほどもいいましたように、江戸時代のイワシの主な用途は、干加、いわゆる地面に直接まいて乾燥させた肥料でした。何とか付加価値をつけたいということで考え出されたのがこのみりん漬けです。当初は「桜干し」や「末広鰮」という非常に典雅なネーミングがついていたんですが、富山県内では大正九年ごろに氷見で発明されています。

 先ほどから何遍もいっていますが、定置網は回遊魚を対象にしていますので、江戸時代等の文献を読んでみますと、非常に豊漁と不漁の波が激しいんです。文政一一(一八二八)年から一二年にかけて地曳網でイワシがものすごくとれています。七〇日間ぐらい連日大豊漁です。このときに、氷見の阿尾城から現在の高岡市の雨晴地先まで、田んぼといわず浜地といわず、空き地にイワシで足の踏み場もなかったと記録に残っております。

 それから一五年後の天保一四(一八四三)年、このときは定置網、いわゆる台網で大豊漁になります。三〇貫のざる一杯が六六七文、簀(す)一枚分五〇〇匹ばかり干し上げた干鰯が一一〇文と記録に残っています。それから四年後の弘化四 (一八四七)年、このときもイワシが大豊漁なんです。このときは干加、いわゆる地干しにした肥料が一〇万俵できたと記録に残っています。

 ただその谷間、弘化元年や嘉永二(一八四九)年というのは大不漁です。たとえば嘉永二年の場合は、小さなイワシが一〇匹で二七文から三〇文しています。豊漁のときは一〇匹一文もしていない。ですから、富山湾の特に定置網というのは、季節ごとに回って来る魚、もしくは年ごとに回って来る魚をうまくとって暮らして、なおかつそれをとらえる漁具にしても、たとえば藁、竹、裏山に生えている杉、浜の砂、砂利といった身近にあるものをうまく使って漁を続けてきた。こういう暮らしが数百年続いていたのですが、昭和四〇年代以降、新しい素材が入ってきて、そういうわけにもいかなくなったということで、現在のような形になったということでございます。

小泉

 ありがとうございました。

 地元の人は何度もお聞きになっているかもしれませんが、「歴史に学ぶ」ということがあります。ただいまのお話は、みなさんエルニーニョやラニーニャということでご存じだと思いますが、天然の魚に周期性があるということです。それが何年に一回かの割合でめぐって来るというのは、小境さんもお話になっていたけれども、あるわけです。

 二つ目は、循環の話をされました。これは最近環境問題で言うサスティナビリティということでしょう。それがこの地域で行われていたということです。そうすると、経済的循環に支えられる許容の範囲があるわけです。それが地域という言葉だと思うんです。それで文明が発達していくにつれて、その地域がだんだん大きくなるわけです。そのときに循環している地域のくくりをどうするか。これは片一方に、たとえば株を核にした株式市場のグローバリゼーションがあるわけです。それに逆らうことはできない。

 そうすると、小境さんいわく、富山では今のところ天然物にこだわっているわけですね。天然物はいいに決まっているわけです。だけども天然物だけでは経済的にやっていけなくなっているから、全国のあちこちで養殖をやらざるを得ない。養殖しておいしいものをどんどんつくる努力は、科学に対する挑戦です。そういう非常に大事な問題提起をなさったと思います。

 日本海における資源の問題と大陸棚の問題は大事であります。竹島の問題も、これから竹内さんがお話しする国際的に取り組まれる大事な問題に含まれております。

 それでは竹内先生、お願いします。

日本周辺の海の大陸棚

竹内

 今ほど、漁業といいますか魚の話がありましたが、日本海を考えるときに大陸棚の問題はどういうことになるか。いきなり竹島というわけにいきませんが、魚に関しては非常に関係がある問題です。大陸棚というところは、実は地学的には水深がせいぜい二〇〇メートルぐらいのところまでの浅い海域で、これが世界的に非常に大きな漁場になっています。このことは、日本海でも言えるのですが、地元の富山湾に関してだけは大陸棚は非常に狭く、それがまた逆に特徴なんです。

 今日は富山湾ではなく、日本周辺の海の大陸棚の問題をお話しさせていただきます。

 まず、大陸棚という言葉の扱いがいろいろありますのでちょっとまとめてみましょう。大陸の「縁」という言い方と「棚」という言い方があります。これは専門的には「大陸縁辺部」という言葉がありますが、大陸の縁という言い方は、実は太平洋とか大きな七つの海の縁ということと同じことなんですね。海と大陸の境界ということで、英語でも同じ意味に使われています。その縁辺の中に大陸棚というのがありまして、地学的には先ほどいったような浅い海域を言っています。ここに魚だけではなくて、人類が使用し得るようないろんな資源がたくさんあるので注目されていますが、そこで自分たちが魚をとるとか資源を採掘する、そういう権益の問題がどうしても絡んでくるので、法律としてどのように定義するかということが出てきます。

 これは、今日はあまり強調はしませんが、現在の日本は国益確保のために太平洋側にある大陸棚の調査研究をしておりまして、日本海の研究に関しては国の税金をたくさん使うような状況にはありません。そういうことが最終的には絡んでくるのです。

 では、もう少し具体的に話を進めます。

 まず、日本海からちょっと離れたお隣の東シナ海です。これについては最近ずっといろんなニュースで取り上げられているので、みなさんもかなり興味があるのではないかと思います。

 竹島は図2の範囲外ですが、中国と日本との領有の問題では、韓国と日本の竹島と同じように尖閣諸島の問題もあります。この図は、日本の立場で描かれた図でありまして、真ん中に日中の中間線というのがあります。丸印が現在開発されている海底資源の代表的なものである天然ガス田です。これについては、中国もしばらくは何もしないでいたんですが、近年になってどこに資源があるかという調査をした上で、昨年の夏ごろから構造物が出てきました。今年になると、もう立派なガスをとる設備として整えられてきまして、日本も座視はできないということで急遽調査が始まっています。

 ここで絡んでくるのが、経済水域とか大陸棚の問題です。太平洋に張り出した線が中国の排他的経済水域になる二〇〇海里を主張している線になりますし、同じような形で日本が要求しているのは大陸寄りになってしまいます。それで、これはやはり中間線がいいかなということになるのですが、もう一つは、先ほどの大陸棚をどう考えるかということが関係していまして、中国は琉球列島が自然の基準で大陸棚の縁だという主張をしております。

 そういった問題がいろいろあるのですが、地学的に見ると日本海と東シナ海、それからオホーツク海も大体似たような性格のもので、それらの海と太平洋側の広い海とは違います。こういう海は島々と大陸に囲まれた、いわゆる閉鎖性海域といわれておりまして、時々沿岸国のトラブルが起きる。尖閣諸島の領有問題とか今の天然ガスの採掘の問題とか竹島の領有問題とか、そういう問題が個別に起きてきますが、一応国際法上は、中間線ということでほぼ確定しているというふうに日本側は見ているわけです。

 それに対して太平洋側は、大陸棚がどこまであるかということに絡んで、日本として主張できる可能性がある海域を懸命に調査しています(図3)。

 中国は、沖縄トラフという、少しだけ深くなっているところまでが大陸と陸続きの大陸棚であるといっているわけです。そういう意味で見ると、日本海も深さの深いところと大陸の縁ということでいえば、両側に大陸棚があることになるのですが、実は今、国際法上で検討されている大陸棚が自然の基準ではない基準で議論されています。そのことをわかりやすい図でお見せします(図4)。地学的に自然基準で大陸棚といわれているものははっきりしていまして、水深が非常に浅い部分です。

 ところが現在、国連海洋法条約(→注1)で認められているものの基準は、大陸棚とその先にある大陸斜面に加えて、大陸斜面の麓で、堆積物が固まっていて本当の深海の平原から少し高くなっているところ、これをコンチネンタルライズというのですが、そこまで含めて大陸棚といってよろしいというふうになっております。こういったことは、海底の地形とか堆積物の厚さを調べないと、理由づけ、主張ができないわけです。それで、日本の場合は先ほどいった太平洋などを一生懸命調べているということになるわけです。

 今のは大陸棚の定義の問題でしたが、具体的に資源ということで考えますと、日本近海には海底の資源がいくつかあります。この際、漁業の話はちょっと置きまして、鉱物とかエネルギー資源といった問題です。図5はエネルギー関係の分布図です。メタンハイドレートといういわば天然ガスですが、堆積物の中でそれが氷のような状態になっています。みなさま、ドライアイスという炭酸ガスの氷をご存じだと思いますが、堆積物の中で、水の中にさらにガスが集まったような固体状態がありまして、それをガスハイドレートといっているのですが、そのガスがメタンのときはメタンハイドレートです。それが最近、日本の近海でたくさん見つかっています。太平洋側にもたくさんありますが、日本海側にもあります。これは存在が予想されている範囲ですが、○印のところは実際にサンプルがとられている場所になっています。ちなみに、日本海側では、大陸棚とかあるいは排他的経済水域といえるようなところの境界は中間線を引いています。太平洋側では国際法上、大陸棚と呼べる先端が、コンチネンタルライズも含めて考えると、東京から一七〇〇キロも離れた沖の鳥島周辺まで主張できる可能性があるわけです。

 今、日本は、そういうことで太平洋側を一生懸命調べていますが、日本海側にもこういう資源があるわけです。それで、日本海にどうしてそういう資源があるのかというようなことを考えて、それを大陸棚を主張するときの理由づけにすればよい。これは日本列島とか、先ほど閉鎖性海域といっていた日本海、あるいは東シナ海、オホーツク海、それから大陸棚の先端線などが、地学的、自然科学的にどのような位置づけにあるのかという問題として考えたほうが説得力があるだろうと思います。図6で見ると、日本海は大陸のそばにありますが、いわゆる巨大地震の起きる海溝というのが太平洋の縁辺にあって、それとほとんど平行に火山の並ぶ、いわゆる島弧、弧状列島といっているものがあります。アリューシャン列島や千島列島もそうですし、琉球列島もそうです。いろいろありますが、地形がセットになっているということです。しかもそのセットは海溝と火山性の島弧だけではなくて、その後ろ側の海もセットになっているということが地球科学的に言えます。最近は巨大地震を説明するときに、プレートテクトニクスという学説で説明ができるようになっていますので、そういう確かな理論に沿って考えますと、島弧と海溝と島弧の後ろにある背弧海盆などの海底の地形は一連のものであると考えられます。海底を実際に調査して、地殻の構造とかその構造ができていった歴史を調べることによってその海底が島弧セットの一部であることを客観的に示すことができれば、大陸棚の先端は少なくとも海溝であるし、海溝のそばに堆積物が固まっていれば、そこまで含めて大陸棚の先端ということが主張できることになります。

 日本海海底の歴史のことをちょっとだけ触れますと、日本列島はみなさんよくご存じだと思いますが、富山湾とか日本海は、昔からあったというよりは地球の歴史の中ではごく最近生まれた新しい動きです。新しいといっても二五〇〇万年前以降にできました。二五〇〇万年前ごろは、まだ日本列島は大陸にくっついていて、富山や新潟あたりは現在の豆満江河口沖です。日本海はまだなかったのですが、その後、沿海州沖が開いて日本海ができてきたといういきさつがあります。 実はほかのオホーツク海なんかもそうですが、そういう海底の歴史や地殻構造をしっかり調べた学説として、プレートテクトニクスがあって島弧海溝系という概念がすでに確立されているわけですね。それを、たとえば日本海であれば、海に面したロシア、北朝鮮、中国、韓国、そして日本が共同で調査をして、資源を含めてどうしたらいいかということを話す必要があるだろうと思います。

 実際は、あまりきれいごとではなくて、主張がぶつかり合うことになると思われますが、国際的な科学調査が必要だと思います。そこから共存の道が開けることが日本海で証明されれば、東シナ海とオホーツク海にも応用できます。東シナ海やオホーツク海は、やはりまだ現状では衝突のほうが厳しくて、利害が対立するいくつかの関係国がすんなりと共同研究をするにはなかなか条件が整いません。日本海のほうがむしろ、相対的には条件が整っているのではないかということで、今日は共存共栄に向けた共同研究を提言させていただきたいと思いました。

 以上です。

小泉

 竹内さん、どうもありがとうございました。

 竹島の問題ですが、海底地形はつながっています。南にあるのが隠岐です。竹島と隠岐と日本とは海底が続いているようになっています。しかし、韓国から見ると深い海盆があって、竹島と韓国とはつながっていないのです。

 補足いたしますと、一九九四年に発効した国連海洋法条約というのがありまして、沿岸国が最大三五〇海里(約六五〇キロメートル)までの大陸棚についての主権的権利を二〇〇九年五月までに申請して、審査が通れば認めるとしております。条件としては、今日竹内先生が示されたように地形とか地質、堆積物の下に基盤があります。その堆積物は後で積もったものですが、特にその基盤となっている地質が陸地とつながっていることが条件になっております。一連のものでないといけない。したがって、太平洋側では最終的にそこでボーリングをやりまして、下の岩盤をとって、その岩盤が陸上の地質と一緒であるということを証明しないといけないのです。

 次に、石先生は、みなさんよくご存じだと思いますが、朝日新聞社の編集委員や国連のシニアオフィサー、それから東京大学の教授を歴任されました。黄砂や世界中の環境汚染、特に森林破壊に関しまして、新書本をたくさん書いておられます。

 今日は、そういう環境の話ではなくて、環日本海地域の共存共栄を考えていく時に、日中韓では政治的に歴史問題を含めていろいろ摩擦が起きています。歴史をたどっていくと、先祖は一緒になりますが、強気になっています。

 それも含めて、一つ非常に問題になっている国があります。北朝鮮の情報が私たちによく伝わってこない。北朝鮮の動向が非常に気になるところなので、石先生は非常に幅広い人脈をたどって、最近北朝鮮に関するいろいろな情報を仕入れておられます。どうぞよろしくお願いします。

北朝鮮の現状と環境問題

 世界を見ますと、大体隣人同士は仲の悪いところが多いのですが、北朝鮮は、日本にとっては大変困った隣人でありまして、日本とこれからどうつき合っていくか。特に日本海を共有する立場としては、日本にとってはこれからどうすればいいのか決定的な方針も定まらないのでして、特に環境につきましてはほとんどこれまで語られたことがありません。韓国側のKCIAは、かなり北朝鮮の環境のデータを集めていまして、これが北のウイークポイントだというふうに考えているのでしょう。

 今日は残念ながら美女軍団の話ではなくて、少し暗い内容になりますが、北朝鮮の環境の現状にできるだけ迫ってみたいということでございます。

 実は、手がかりの一つは、あれだけ秘密主義の国でも海外から援助が必要なもの、たとえば自然災害や飢餓、あるいは事故といったものについては情報を公開しています。それを見てみますと、まず異常に自然災害の被害が多いことがわかります。

 図8は一九八〇年から二〇年間の自然災害の被害者の総数です。これを見ますと、世界で二番目で、エチオピアに次ぐわけです。異様に高い。みなさんご存じのようにエチオピアは繰り返し大干ばつが起きましてたくさんの餓死者が出ていますが、それに次いで二番目ということで、実に一万三〇〇〇人ぐらい死んでいるわけです。今度はこれを人口一〇〇万人当たりで割った割合で見ますと、何と世界一位なんです。つまり、北朝鮮は世界最大の自然災害の被害国ということになります。ちなみに日本は自然災害が多いんですが、かなり下のほうにあります。日本も自然災害国で災害件数はかなり多いのですが、日本の場合は対策がしっかりしていますので、意外に犠牲者は出にくいということであります。ですから、第一位ということは、異常に自然災害の被害が多いということです。

 近年を見てください。表のように交互に干ばつ、洪水が続いて起きているわけでありまして、特に一九九五年から九九年にかけて一二〇万人が亡くなっている。別の説では三〇〇万人を超えるのではないかといわれていますから、大変な犠牲者が出ているということがこれでおわかりいただけると思います。

 実はどうしてこういうことを出したかというと、干ばつと洪水が交互にやってくる特徴というのはこのことと共通していまして、これは中国、インド、あるいはフィリピン、アフリカでいうとエチオピアということで、急激に森林を失った国に特徴的なことです。森林を失いますと、緑のダムはなくなりますから、ちょっと雨が多いとたちまち大洪水、それでないと水は貯められませんので大干ばつということなるんです。というわけで、どうも北朝鮮はこのように自然の破壊があるのではないだろうかということが想像されるわけであります。

 一九九五年には大洪水がありました。その時は人海戦術で、都市部の住民とか軍隊も動員して、あふれた川の護岸をつくり直したということでございます。

 図9は四月の累積雨量ですが洪水とは反対に、例年の一〇分の一も降らないような大干ばつであることは間違いないわけでありますが、それにしては被害が大き過ぎるかなという感じであります。北朝鮮の年間の降水量は日本の三分の二ぐらいで、年間大体多くても一〇〇〇ミリ以下でありますが、このような雨の少ないところでやる農業は、もちろん彼らも対策を考えていまして、全国的には一七〇〇か所のダムがある。あるいは延べで四万キロメートルに上るような灌漑用水路が整備されていまして、少しの雨の変動には耐えられたはずでありますが、近年になって、このように被害がどんどん大きくなっていく理由というのは、多分考えられるのは、ダムや用水路は老朽化してしまって直す意欲がない、壊れっぱなしになっているのではないかということです。

 それから後でお話しするように、深刻な石油危機も起きていますので、エネルギー不足で灌漑用のポンプとか、あるいは用水路を直すための重機、そういう作業用の機械が動かないだろうということが考えられているわけであります。ですから、溜池を作るわけですが、溜池から水をうまく配分できないという状況が一つはあると考えております。

 もう一つ奇異なことは、最近、非常に大事故が多いです。一番有名なのは、竜川駅でとてつもない大爆発がありまして驚いておりますが、非常に事故が多い。なぜこれだけ次から次へと飛行機が落ちたり、列車がひっくり返ったり、衝突したりということが起きるのだろうかというのがもう一つの疑問であります。

 たとえば竜川駅という駅のそばで大爆発が起こりました。ちょうど金総書記が中国へ列車で移動した直後に発生しましたので、テロではないか。つまり彼を謀殺する計画があったのではないかということで、世界がかなり緊張したわけです。今のところ公式見解では、肥料用の硝酸アンモニウムを積んだ列車が脱線して電柱に衝突した。その電線からもれ出した硝酸アンモニウムに火がついて大爆発を起こしたというのが公式見解であります。少なくとも一五〇人が死んで、一三〇〇人が負傷して、八一〇〇世帯の家が吹っ飛んだということになっておりまして、これは近年の大変大きな事故だということがいえるわけであります。このような自然災害にしましても、事故にしましても、やはり背後にあるのは、どうもあまりにも軍事優先主義で、インフラにお金が回っていないのではないだろうかという疑問が大変強いわけでございます。いたるところにある金親子の立派な銅像、あれをもう一遍、金属に戻せば大変大きな資源になるのではないか。これはソ連が崩壊したときに、全国にあるスターリンとレーニンの銅像を全部壊して溶かしてつくり直したら、たちまち金属の値段が暴落したというぐらい巨大な高さの五〇メートル、一〇〇メートルという銅像をソ連でもあちこちにつくったわけです。今でも北朝鮮ではそんなことが続いているというわけです。

 それからもう一つは、核施設に大量のお金がつぎ込まれているからであります。こんなことは本当は必要ないことですし、民生部門は必要なんでしょうけれども、これが一つの大きな問題とされているわけです

 さて、おもしろい衛星写真があります。写真23は夜の人工衛星の写真です。日本列島は、別に国境線を陸地として描いていないのに、陸地の線がくっきり闇の中に浮かび上がるくらい、全列島まさしくイルミネーションのようでありますが、朝鮮半島を見てください。北朝鮮は真っ暗ですね。つまり夜、電気はないわけであります。中国大陸は今でこそこんなふうになっていますが、二〇年前は真っ暗でありましたから、中国は最近、夜の電気が十分使えるようになったということがあるわけですが、この空白地帯は、いかに北朝鮮で電気が不足しているかということを物語る一番いい写真であります。

 一九五〇年代以降、当時は韓国以上の経済成長を示したのが、七〇年代の二回にわたる大石油ショックによって一遍に経済が崩壊してしまう。それから、ソ連からコメコンという共産圏の経済組織を通して、国際価格の三分の一ぐらいの大変安い石油が入ってきた。ところがソ連が崩壊してしまった後、石油がほとんど入ってこなくなった。中東からはロケットのいろんな武器を輸出して、バーターで石油が入ってくる。これも国際的介入が強くなってなかなか買いにくくなった。そういうことで、大変石油の輸入が激減しております。特に朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)は、核兵器を中止するから、そのかわりに石油をよこせという条件で、日本も韓国もアメリカも五〇万トンぐらいの重油を供給してきたのですが、いくらたっても核兵器の製造をやめないので、ついに石油の供給を中止したわけです。KEDO自身も、最終的には廃止してしまおうということで、このようなエネルギーを供給する機構が消えてしまったわけであります。

 たとえば平壌という都市ですが、車が異常に少ないのです。目抜き通りなのに信号一つない。信号用の電気が足りないんです。必ず婦人警察官が手信号でやっている。そのぐらい都市でも電力が回らない。それでその結果何をしたかということですが、電力、エネルギーがないために、一般庶民、あるいは小さな工場、国の庇護を受けていないような工場は、仕方がないので木を切って薪や炭にしてエネルギーにしたわけですから、たちまち山は丸坊主になったんです。

 それからもう一つは、非常に農業が不調でありまして、八〇年代末から九〇年にかけては大体自給自足できていたものが、今はこのぐらいの農業生産をやっています(図10)。ただ、二〇〇五年は比較的よくなったという情報が流れていますが、いずれにしても低迷状態が続いています。原因の一つはエネルギーがないので、トラクターとか農業機械が動かない。先ほど申し上げたように、灌漑施設があるのに水が引いてこられない。あるいは電気、石油がないので、肥料工場が動かなくなって、肥料が生産できなくなっているといったようなもろもろのことが大変大きな原因となっているだろうということと、もちろん国内政治は非常に抑圧的な政治でありますから、なかなか農民が精を出して働かなくなるということもあるでしょう。

 その結果どうなったかというと、北朝鮮は大変な飢餓人口を抱えています。これは国連機関が出した正式な報告書でありますので、この数字はある程度信頼できるものでありますが、九〇年代初め三五〇万人だった飢餓人口は今八一〇万人になっています。全国民の三六パーセントが満足な栄養をとっていない。これは、飢餓人口が人口の三五パーセントを超えますと、世界で深刻な飢餓国という国に分類されます。今、世界に二七か国ありますが、アジアでは唯一の飢餓深刻国になってしまったということで、これはみなさん折に触れて北朝鮮の悲惨な飢餓の状況をうかがう機会があると思いますが、そういうことになったわけであります。

 以前からずっと中国の食料援助に頼りっぱなしになっていたわけでありますが、今は食料援助によって辛うじて国の食料問題が回転しているということです。それも最近では中国から大量に入っていた食料援助がほとんどなくなってきている状況でして、というのは一九九五年に中国が食料輸入国に転落をいたします。何と日本を抜いて、世界で最大の食料輸入国になったわけです。ですから、一三億人の民の食料が足りなくなると、たちまち世界市場が動くぐらい大変なことなんです。よく言われるのは、中国人が缶ビールを年に一本ずつ多く飲むと、ノルウェーの全農業生産がふっ飛んでしまうというぐらい、一三億人というのは大変大きな消費の力があるわけです。

 北朝鮮の農村は非常に立ち遅れていまして、この一年間だけで米の値段が四倍、トウモロコシが五倍にはね上がりまして、実は食料生産をしている農村が最もその打撃を受けているということで、一日当たりの食料配給が三〇〇グラムだったのが、今はついに二〇〇グラムになってしまった。これはもう飢餓戦場でありますから、ご存じのように二〇〇グラムでは生活できないので、よく報道されるのはさまざまに彼女、彼らも苦労して、何とか息をつないでいるというのが農村の貧しい人たちです。都市の裕福な人たちは別でありますが......。

 稲の刈り取りも、今は軍隊とか都会から強制的にかき集めた労働者によってやっと行われている状況であります。かつてはトラクターが活躍したのですが、このトラクターも今や燃料不足でほとんど動いていないという状況であります。かわって今度はまた昔に戻って、家畜が農業労力の大きな力になっているということでありまして、歴史が三〇年ぐらい逆戻りしてしまったんです。

 今、北朝鮮は国威の高揚が非常に大きな問題でありまして、実は世界最大級のホテルを建設いたしまして、ついに完成せずに放り出されているホテルがあります。柳京ホテルというんです。たしか部屋が一二〇〇室というようなとてつもない巨大なホテルを建設していたのですが、一つは途中で資源が切れてしまったということと、もう一つのうわさでは、設計を間違えて途中で傾き始めたのでやめたということです。今、世の中を騒がせているおかしな設計事務所の話がありますが、要はこれが起きたのではないかという話であります。ですからこれだけ一般の国民が飢えながら、実は政府がこのような非常におかしなことをやっている。その背後には、政治的な圧制もありますが、非常に環境の問題が大きな影を落としているのではないかということで、次に環境の話をいたします。

 首都平壌には大同江という大河が流れています。今、大変汚染がひどくなってきて、そこにほとんど魚も見当たらないという報道もあります。韓国側の話ですからどこまで信用していいかはわからない。常に政治的な圧力がかかるのですが、それにしても大分ひどいのではないかといわれています。

 一つは、北朝鮮の農業生産が非常に低迷したので、もちろんだますわけではなくて、実は国を挙げて農業生産の大増強計画がございます。それで金総書記が命じたのは、四大自然改造といっていますが、自然を大きく改造して、もっと田んぼや畑をつくれと大命令を出したわけです。そのときに何をやったかというと、急な斜面でもいいからどんどん段々畑をつくって、その上に作物を植えよといったわけでありますが、実は日本で、富山県なんかも棚田が有名でございますが、あれはなかなか難しい技術です。急斜面をつくるときは切った面をいかにうまくしっかりと押さえて法面をつくっていくかというかなり高等な技術なんですが、北朝鮮の場合には、何ヘクタールつくれという命令が先でありますから、ろくな斜面工事をしないで出すために、いたるところで農業開墾地で大規模な土砂崩れが起きているわけであります。その土砂崩れは、いずれは川あるいは海岸河口に流れ込んで、かなり土砂堆積、その他の大きな問題を起こしているといわれていますから、大同江にも上流の無理な農業開発の汚泥が随分流れ込んでいるというふうにいわれていまして、これも大きな失敗だったわけであります。

 その一方で、いろいろ環境汚染が進んでおります。平壌の周辺に南浦というのがありますが、そのあたりでかなり大規模な埋立工事を行いました。埋立工事は韓国が有名ですが、韓国に並ぶような巨大な埋立地ができたのですが、実はそこで今度は海流が逆流を始めました。そこでも大変な汚染が起きているといわれております。

 それから舞水端。このあたりも非常に大きな汚染が起きているということです。実は今日のテーマであります海でありますが、まだ中国とか韓国に比べて、工業規模、産業規模は小さいですから規模はそれほどでもないのですが、実は局地的には沿岸ではかなり深刻な汚染が起きているだろうというのが今の北朝鮮の現状であります。それからほとんど大気汚染の対策がありませんから、工業地帯の大気汚染が大変ひどくなってきている。視界も一〇〇メートルを切っているところが多いという報道も出ていますが、実はよく実態はわからないんですが、環境汚染もかなりひどくなっているということが今いわれております。貧困と環境破壊というのは非常に仲がいいわけです。つまり、日本も貧困を脱した昭和三〇年代から四〇年代にかけて大変ひどい環境汚染を起こしたわけですが、高度経済成長期にいろんな発生源もあり、あるいは国が実際豊かになって、環境に回すお金ができてくるということで初めて環境はよくなったわけです。日本の東京がかつては大気汚染がひどかったが、過去三〇年間で、大気汚染が六分の一になっている。これはみなさんの実感として、昔、川崎とか三重県津とかひどいところがありましたが、非常によくなっているということは、やはりそれだけお金が回ってきたんですね。ところが、北朝鮮はかすかすの状況にもかかわらず、国を挙げて軍事増強をやっている状況でありますから、なかなかそういう環境対策費が出てこない。

 それから、環境関係で比較的いろいろな法律があるようでありますが、その法律が実際機能するかというと、ほとんど機能していないという状況がありまして、これからも環境だけに限っていうと、実は北朝鮮の状況はかなり思わしくないだろうというのが私の予想であります。

 先ほどお話がありましたように、大陸と日本列島というのは、いろいろな意味で空気も大気もつながっているわけでありますから、特に、今中国から飛んでくるさまざまな汚染物質、亜硫酸ガスとか窒素酸化物によって、日本の酸性雨のかなりの部分を占めているのではないだろうかといわれるぐらい、越境大気汚染が深刻になっております。それから水に関して、われわれは日本海を通して一衣帯水ではないですが、やはり海はつながっているわけです。

 後で話に出てくるかもしれませんが、エチゼンクラゲも、どうも大気汚染が大発生の背後にあるのではなかろうかといったような議論が出てくるくらい、実は大気の環境悪化というのは日本列島にいろんな形で影を落としている。特に富山県のような丸々日本海に面したような県では影響を非常に受けやすいということで、私たちは日本列島のみならず、大陸からの環境汚染にも注視していかなければならない、これが今日の趣旨であります。

 どうもご清聴ありがとうございました。

小泉

 環境汚染にも二つ種類があって、一つは中国の環境汚染というのは経済改革に伴う環境汚染ですね。今紹介されましたように、北朝鮮における環境汚染というのはかつてのロシアにあったように、軍事のほうに予算が回っていってしまって、インフラストラクチャーにお金が回らなくて、たとえば石油は少ないみたいだけれども、一つの例として脱硫装置というものがありますよね。イオウを除くような作用ができなかったり、あるいは各家庭で薪炭を焚いたら煙がそのまま出てきたりしていることが環境汚染の原因になっているわけです。

 アメリカは、放っておいて、ブラックホールではないけれども、自滅するのを待つ、あるいは改革が起こるのを待つというふうに静止していますが、それでいいのかどうかはわかりません。

 四人のパネリストの先生方には一通りお話ししていただきました。各先生が話された後、コーディネーターが余計なちょっかいを出したりしましたが、まだちょっと時間があるようですので、パネリストの先生が一回話されて、自分の思いと違うようなことがございましたら、もう一度パネリストの先生たちにひとことずつお話をおうかがいいたします。

 石先生は今発表していただいて、すぐお尋ねするのも何ですが、全体をお聞きになって、何か追加されるようなことはありませんか。

 小境先生のお話をうかがって、僕は漁業があれだけサスティナブル、持続可能なものであったということは正直知りませんでした。非常に感銘を受けたのですが、ただ、現在の漁業は全く変わってしまいまして、特に日本海は漁業資源の枯渇が今大変深刻化していると思いますが、実は問題は中国なんです。世界で年間九〇〇〇万トンぐらいの漁獲量があります。そのうちの一七〇〇万トン、要するに二割近くは中国がひとり占めしているんですね。

 日本はずっと世界一の漁業国だったのですが、いつの間にか中国が断トツの世界の漁業国になりまして、中国一七〇〇万トン、日本なんかは世界五位まで後退して、わずか四六〇万トンしかとっていないわけです。北朝鮮は年間大体七〇万トンですから、それを考えますと、実は今、世界の海が中国のために空っぽになりつつあるといった表現があります。かなりひどい乱暴な漁をしています。

 先ほど、植松先生のレーダー写真にありました中国船に囲まれたという話がございますが、実は中国と日本は日中漁業協定というのがありまして、東シナ海で共同でとっている場所があるんです。そこで認可制で実績主義なんですけれども、そこに認可されている中国の船が何と二万隻、日本の船はわずか二〇〇隻しかありません。あのレーダー線が全部中国漁船だったということもむべなるかなということでありまして、日本も世界有数の魚食民族でありますが、今や完全に中国にお株を奪われて、なおかつ今度は日本自身の漁業資源の問題がどんどん深刻化しています。みなさん、子どものときと今とではお寿司の値段がどう違うか。魚屋さんに行っても、今魚のほうが牛肉より高いという時代になりましたから、それを考えたときにも、いかに魚が危機かということがおわかりいただけると思います。

小泉

 ありがとうございました。竹内先生、どうぞ。

竹内

 今のとちょっと話が変わりますが、資源の関係でちょっと補足をさせていただきたいと思います。

 メタンハイドレートというのは、夢の資源というふうないわれ方をするのですが、その理由というのは、一つは、海底にあるものですから、それを実用化するのに相当まだ技術の開発が必要です。ですから、まだ現実的に使えないんです。そこのところで、やはり国際的な共同研究というものが必要だと思います。

 もう一つメタンハイドレートについては、メタンのガスですから、これを安易に地表に持ってくると空中に発散されて、これは温暖化ガスなんです。そういった環境の問題もあります。そのあたりが今後共通の共存共栄の課題として、焦点を絞って研究していけるのではないか。特にロシアの場合は、海底ではなくて陸上の凍土の中にメタンハイドレートがあります。そういうものは身近にサンプルなどを入手できますので、日本海の海底の資源開発に絡めるのですが、陸上で共同研究ができるのではないかといったことがありまして、具体的な提案がこういったシンポジウムを通じてやっていけたらいいなと思いました。

小泉

 先ほどの竹内先生のスライドの中にもメタンハイドレートの分布図があったのをご記憶だと思います。

 今日のテーマである日本海を考えてみますと、メタンハイドレートを採取できる確かなところというのは僕の個人的な知識でははっきり言ってないんです。ないというのは、これも竹内先生が示された日本列島のでき方、あるいは日本海のでき方と関係しているわけです。日本海の沿岸にある大陸棚で、たとえば天然ガスとか石油、メタンハイドレートというのは地下資源の一形態ですから、石油とか天然ガスの採掘を考えてみますと、たとえば富山、福井の沖は無理でしょう。そうすると新潟、秋田になります。あそこの大陸棚というのは地質が陸上の続きなんです。よく新聞記事で、新潟沖で天然ガスがとれたと報道されるけれども、陸上でとれた続きが大陸棚でもとれたというわけです。メタンハイドレートがたまるほど堆積物が厚くたまっていないんですよ。そういうことをちょっと追加しておきます。

 小境先生、どうですか。

小境

 氷見地域に限定しての話ですけれども、ここ数十年にわたって、氷見では大体一万五〇〇〇トン内外の漁獲量です。もちろん年によって若干のでこぼこはあって、とれる魚も違うのですが、ほとんどが回遊魚なんです。

 先ほど私が紹介した中で、年によって、季節によっていろんな回遊魚が入って来るんですが、富山湾の状態がそれだけいいんです。ですから回遊してくる魚に、そんなに変動はない。たとえば、これは藻場の問題が一つあると思うんです。魚というのは、特にフラットなところはあまり好きではないんです。たとえば大陸棚が二〇〇メートルぐらいから落ちていくところで、富山湾では崖とかふけとかいいますが、特にブリなんかはその崖際を通って来るんです。なおかつ、富山湾の状態がいいということは森との関係も非常に強いわけです。山が丸裸になると泥水がストレートに海へ流れ込んでしまう、ここにまずは魚は来ないんです。

 もう一つは、魚付林の問題があると思います。明治時代の記録なんかを見てみますと、海岸に沿って、たとえば県東部だと、宮崎あたりに海岸ぎりぎりのところにオーバーハングの形で森がたくさんある。ここがものすごくいい魚の寄り付き場所になっているんです。ですから、藻場であるとか魚付林であるとか、それともう一つは海は川を通じて山とつながっていますので、山はすなわち森なんです。だから森と仲よくして森を育てる、そういうものが富山湾の持続可能な漁業を支えるかなり大きなキーポイントになるのではないのかなというふうに思います。

小泉

 ありがとうございました。今日のシンポジウムでちょっと欠けていたところは、今指摘されましたように森と海、それから魚付の森とか林、そんな話を指摘していただきました。ずっとこのところ日本海学のシンポジウムでは、今、小境さんが言われたようなことが必ず出てきていました。今日はちょっと出てこなかったというふうに気がついて、そのことに関してはちょっとマンネリになって避けていたかなと反省もしているんですけれど。

 森と海、それからこの次、植松さんにお話ししていただきますけれど、海も山も、という話がありましたよね、だから大気も海も汚れ出すということがでてきます。植松さん、最後になりましたが、どうぞ一つ、ゆっくりと話してください。

植松

 本当に今日はみなさんのお話を興味深く聞かせていただきました。すべて海に関係しているということですが、あの、小境先生、魚が非常にたくさん獲れて次が不漁、といわれてましたが、最近はたくさん魚を獲ったから次が育たなかった、というわけではない、という話があります。太平洋もそうなんですが、一〇年周期で海の物理的な環境が変わっている。それによって、魚の卵が生まれて稚魚になるまでは毎年同じぐらいですが、そのときに餌があるかないかで、最終的に魚が増えるか減るかという、それが結局は長い目で見ると、太陽黒点の長い周期の変化に依存していくんだというような学説が出ていると聞いています。それ以上に人間がどんどん獲っているわけで、昔の自然のサイクルとはちょっと変わってきているのではないかなと思いました。

 それから竹内先生のメタンハイドレートも興味深く拝聴いたしましたが、最近は二酸化炭素のハイドレートというのも日本の周辺海域のあちこちで見つかっているんです。これは自然の産物なんですが、それがなぜ注目を浴びているかというと、二酸化炭素を液化して海に入れてしまえという話がありまして、実は日本海も一つの候補地だという話を以前聞いたことがあります。まだまだ実験の段階だと思うのですが、天然にもそういうところがあるんだから、人間が、空気中の二酸化炭素が増えた分を固めて海に投棄してもいいんじゃないか。これは本当に真剣に検討されている段階でもあります。そういった意味で、日本海というのはいろんなところで気をつけていかないと、どんなふうに利用されてしまうかわからないという気がしました。

小泉

 今、最後にいわれました二酸化炭素を海中に投棄するというのは、要するに富山だと長いパイプで深層水をとっているでしょう。あのくらいのパイプで圧力をかけて二酸化炭素を送り込むわけです。それで水の中に溶かし込む。今、温暖化が進んでいるのはご存じのように地球温室という考え方があるわけでしょう。それで、大気中に集まっている二酸化炭素を今お話しされたように海中に戻す。その候補地に、たとえば日本海が挙がっているとしたら、決まってから反対といってもだめなわけですよ。つい最近、そういう話が在日米軍基地の問題であったでしょう。そういう話が表面化したときに、なぜ地方から手を挙げて、うちは引き受けられませんといわないんですか。そういう話を聞いたら、早めに手を打つのが地方行政のあり方でしょう。

 まとめは今、先生たちに話していただきましたが、私たち研究者は生のデータに基づいてある成果をまとめていきます。それを一般の、たとえば県民や市民に見える形にして提供する。これを私たち自身が怠っていた気味もあります。できるだけ、私たちはどういうことをやってきたか、それでこういう結果になりましたということをみなさんに知っていただくと同時に、できれば、それを行政のほうに生かして政策を立てていく、あるいはその後の行政サービスのほうに生かしていく。国もそうだし、地方もそうでしょうが、行政に携わっている人たちというのは、私たちと違って専門家ではありませんよね。そういう人たちに私たちは、とてつもない期待があるわけです。だから、拒絶しない。私たちの問題に、「こういうことはわかりません」と言わないで、できるだけ答えようとしてほしいわけです。今日一番最初に述べましたように、医療と福祉と環境の問題、これは高度に専門的な分野ですから、今日のパネルディスカッションを通じて得られたようなことを、ぜひ富山県の政策に生かしていただきたいと思います。

 

注1  国連海洋法条約(第七六条三項)  大陸縁辺部は、沿岸国の陸塊の海面下まで延びている部分から成るものとし、棚、斜面及びコンチネンタルライズの海底及びその下で構成される。ただし、大洋底及びその海洋海嶺またはその下を含まない。