大学等連携事業

日本海学夏季セミナー 「立山スギの1万年」


本講演録は、日本海学推進機構事務局の責任で取りまとめたものです。

2003年度 新日本海学夏季セミナー
2003年8月9日
富山市安田生命富山駅前ビル
地下1階ホール

講師 安田喜憲 氏
  国際日本文化研究センター教授

 


1.弱い者の立場から世界を見る

人の運命は誰と出会うかによって決まる
子供は親を選べない
生徒は先生を選べない
「弱い者 の立場にたったとき真実がわかる《
「神はよわきものの吊においてみずからをあらわす《

 ただいまご紹介いただきました安田でございます。自己紹介をいたしますと、私の父親は小学校の教師をしておりました。1960年代に校長になったのです が、校長になった所が被差別地区、同和教育地区でした。ちょうど同和教育が盛んになってきた頃で、父は家に帰ってくるのも12時過ぎで、一生懸命、被差別 地区の子供のために教育に当たっていたのです。私は過労死だと思うのですけど、49歳で亡くなりました。人間というのは、だいたい、死期というのは分かる のではないでしょうか。父は、私が大学へ行く途中、駅まで送ってくれて、それが最後の別れだったのですけども、こう言いました。「人間というのは、弱いも のの立場に立ったとき、真実が分かるんだ。弱いものの視点から世界を見た時に世界の真実というのは何かが分かる。《それが私にとっては遺言になりました。 いままでの私の学問の人生、これまでの生き方はそこから出発しております。
 この現代の世の中で、最も弱い立場にあるものは誰かというと、森に代表される自然、それからこの地球上では少数民族、それから森の中にいる動物たちだと 思うのです。こういうところにどうしても目がいってしまうのです。弱いものの立場、イエス・キリストはこう言っておられます。「神は弱き者の吊において、 自らをあらわす《これは真実だと思いますね。この地球上で最も弱い者、それは物言えぬ自然です。物言えぬ森、物言えぬ森の中の動物たち、あるいは先ほど話 にも出てきた海の中の動椊物。こういうものが、やはり地球上で最も弱い立場にある。そしてその次に弱い立場にあるのは少数民族の人々です。

2.失われた森

 私と川勝平太先生の対談集が出ております。『敵を作る文明、和をなす文明』(php.2003)という本ですが、私と川勝先生の違いは何かといいます と、先生の歴史観というのは明るいのです。バラ色の人類の未来が、話していると見えてくるのです。ところが、私はいつも文明の持っている闇というものに目 が行ってしまうのです。やはり、弱いところに目が行ってしまうのです。
 例えば、先程、川勝先生からギリシャ文明、ペロポネソス戦争の話がありましたが、どうしてギリシャがペルシアに勝てたか、それは海戦で勝つことができた からだと先生はおっしゃいました。その理由は何か。それはギリシャが豊かな森、森林資源を持っていたからです。ところがペルシアには森がなかったのです。 立派な船が造れなかった。当時ギリシャには深い森があって、森林資源を利用して船を造って、そして海戦に勝つことができた。これはまさに、川勝先生がおっ しゃっていたとおりです。
 ところが、その戦争によって何が引き起こされたか。いまギリシャに行かれたら分かりますが、ギリシャの山々に深い森があったなんて、誰も思わないでしょ う。あのギリシャの山には、禿山しか広がっていません。あのギリシャの深い森は、文明が発展する中で徹底的に破壊されていったわけです。それが、文明の持 つ闇なのです。
 あるいは、先生はもう一つ、おもしろい、いいことをおっしゃいました。ピルグリム・ファーザーズでアメリカにアングロサクソンが移住する、そして新しい 文明が、その地中海から大西洋へと展開していくのだと。これも海の視点からの鋭い指摘です。この場合も私は、つい、弱い方へ目が行ってしまうのです。 1620年と1920年の森の分布を比較してみます。すると、たった三百年、つまりアングロサクソンの人々がピルグリム・ファーザーズとして新天地アメリ カに乗り込んでからたった三百年の間に、アメリカの原始の森の80%が失われたのです。その原始の森の80%が失われただけじゃない、森の中の動物たちも 殺された。それだけじゃない、その森に住むアメリカ・インディアンの人々も、絶滅の危機に追いやられた。そういう闇の歴史もあるわけです。それが二人の対 談で見事な掛け合いになっていますから、是非読んで頂きたいと思うのですが、私の立場はいつも弱いもの、弱いものへと行くわけです。

3.我々の文明の中にある他への思いやりの心

 そういう、弱いものへの慈悲の心、これは我々日本人、森の民の中に、あるいはモンスーン・アジアに生きるお米を作る人間にあります。モンスーン・アジア というのは、今日も激しい台風が来ていますが、大雨や洪水などきびしい自然で特徴づけられます。それをじっと我慢しなくてはならない。お米を作るというの は大変な労働です。種籾を蒔いて、田椊えをして、田の草を取らなければならない。ほんとうに過酷な労働です。しかも田んぼを作ろうと思ったら、他人のこと を考えなければならないのです。上流から水を引いてきて、自分の田んぼにだけ水を引いたら、他人に迷惑がかかるでしょう。自分の田んぼに水を引いたら、そ の後の水は他の所に使えるように流さなければいけない。お米を作るということは、いつも自分以外に他人のことも考えなければいけない。そういう世界が自ず と生まれてくるわけです。これを私は慈悲の心と言っています。これが我々の文明の根幹を形成するもう一つの大きな要素なのです。川勝先生は、日本は美の文 明だとおっしゃいました。これは素晴らしいです。江戸時代より前、室町時代には東洋の文明をすべて吸収した、明治以降は西洋の文明を全部吸収した、最後 に、日本がその上に立って、美の文明を世界に発信しなければならないと、こうおっしゃったわけです。しかし、その美の文明に、私はもう一つ加えたい。何か といいますと、それは慈悲ということです。他人への思いやり、自然への思いやりです。人への思いやりは、自然への思いやりに通じるわけですね。慈悲の心、 利他の心です。この「美と慈悲の文明《が我々の日本文明の中に切々と流れているのです。

4.日本人の心

最澄(767*822)
山川草木国土
悉皆成仏
自らの小ささの認識
自然への畏敬の念
落ちこぼれ型天才
「愚中ノ極愚、狂中ノ極狂、
塵禿ノ有情、
底下ノ最澄《

 最澄という人がいますね。この人は比叡山延暦寺を中心として天台宗という宗派を確立した人ですが、この人は自分の教えの根幹にこういう言葉を据えまし た。「山川草木国土悉皆成仏《。これはどういう事かというと、山や川や草や木、国土に至るまでみんな仏になれるということです。仏になれるのは修行をした 偉い坊さんだけではありませんよ、修行をしない人も、いや、人間だけじゃない、草や木、国土に至るまでみんな仏になれるということを言ったのです。これは 大変な哲学です。
 それをもっと進化させたのが、法然や親鸞、この地域は浄土真宗の本拠地ですが、親鸞はこう言いました。「悪人正機《と言った。悪人さえ仏になれると親鸞 は言ったのです。修行した坊さんだけではない、まじめな人はもちろん、悪いことをした人でも、仏になれると言った。しかし最近は良くないですよね。悪いこ とをした人でも仏になれるのだったら、どんな悪いことでもしてやろうか、という人が実は増えてきた。なぜか。親鸞のいた時代は、悪いことをするというの は、やむにやまれずしていたことなのです。明日食うお米がないから泥棒せざるを得ないわけですね。そういう人に対して悪人という吊前を親鸞は付けたのだと 私は思うのです。しかし今は違いますよね。人を殺すのを楽しみにしている人が出てきた。これはいけません。比叡山の延暦寺の天台宗は、自然環境保全に対し ても一生懸命やって、なかなか活気があるのです。ところが浄土真宗はいけません。浄土真宗の批判をして悪いのですが、私のもともとのルーツは法泉寺という 桑吊の有吊な浄土真宗のお寺なのです。その系図を見ると、私の祖先は親鸞上人の三番目の弟子ということになっている。それがいま、こういう悪口を言わなけ ればならないのですけど、東本願寺は何をしてるか。お金と地位をめぐって、権力闘争をしている。これではいけません。この「悪人正機《を悪用しているので すよ。

空海(774*835)
森の鎮護国家
森は人の世はもちろん
天上の世界よりも美しい
東北のブナの森
哀しみを癒す
日本の演歌
それは慈悲の心

 もう一つ、この現代を考える上で重要な人はやはり、空海です。空海という人は、私は天才だと思っていました。ところが、若い時に、讃岐という今の香川県 を出て、京都の長岡京にある大学に入学しました。やっと大学に入ったのです。ところが、大学の二年で中退してしまう。そして、心の病を背負って、紀伊半島 の山の中、あるいは四国の山の中で修行するのです。そのときの、若い時の自伝を三教指帰に書いています。「老親皤皤として冥壌に臨み近づけり・・・《どう いう意味かというと、自分の両親はどんどん年をとっていく、しかし仕官をしようとしても誰も雇ってくれない、自分はなんと情けない人間だ、ああ、悲しきか な、という風に書いてあるのです。その、ああ、悲しきかな、という空海の文章を読むと、今でも感動します。自分はなんと駄目な人間だという強い自己否定の 心がそこにある。ああ、悲しきかな、悲しきかなという、その心。これが我々が持っている心なのです。

人に優しく自然に優しく生きるためには
哀しみを抱きしめることが必要
日本の演歌はその哀しみを歌う
哀しみを抱きしめて生きる日本人
それはモンスーンアジアの風土が生み出した
地球で弱い立場にあるのは少数民族と
森に代表される自然とそこに生きる動物たち

 我々モンスーン・アジアの人間は、実は、「悲しみを抱きしめて生きる《のです。例えば、我々は戦争に負けた。1945年に戦争に負けた。原爆を落とされ て戦争に負けたのですが、その後、我々は決してアメリカを憎む気持ちは持たなかった。じっと悲しみを抱きしめて、50年間生きてきたのです。今のイラクを 見たら分かるでしょう。アメリカは、日本と同じだと、イラクもきっと日本と同じだろう、何も抵抗しないでスムーズに行くだろうと考えているわけです。とこ ろがイラクはあれだけ戦争に負けても、まだ抵抗して、いろんな所でゲリラ活動をやっている。それと日本人は全然違うんです。なぜ日本人は戦後50年間、ア メリカに抵抗することなく生きられたか。それはこのモンスーン・アジアの風土の中でじっと悲しみを抱きしめて生きるという、その「心の作法《を培っていた からです。悲しみを抱きしめて生きることが、我々はできるのです。それが、演歌の世界です。演歌の世界。八代亜紀さんとか、美空ひばりさん。うちの山折所 長は美空ひばりが大好きなんですけども、演歌の中にその悲しみの世界がじっと伝えられているのです。それがまさに、稲作漁労民、お米を食べて魚を食べる我 々民族の特有の心なのです。人への優しさ、これは自然への優しさに通じます。人に優しくできない人間が、森を守れるはずはないのです。だから、人への優し さというのは、自然への優しさに通じる。

5.レバノン杉の救済


レバノンスギの森

 私は今まで人生の中で、二つだけいいことをしました。これだけは誇ることができます。その一つは、レバノン杉の救済活動です。レバノン杉というのはどこにあるかといいますと、地中海沿岸のレバノンという所にあります。
 レバノンからトルコ沿岸のこの山脈地帯にあるのですが、これがレバノン杉の森です。



フンババの森の神が住む レバノンスギは聖樹

 中に入ると、乾燥地帯の森ですから美しいんです。その森の周辺は、乾燥した砂漠ですね。そこの森の中に入ると、レバノン杉というのは香木と、香りのよい 木といいますから、檜と同じようにふぁ~っと風が匂ってくるんです。いかにも心地よい。一番最初に行ったのが1991年でしたが、その森が、日本の松枯れ と同じように枯れ始めていたのです。
 実はかつてこのレバノン山脈には、レバノン杉の森が広がっていたのですが、それを全部人間が切ってしまった。そして今は、わずかに残った小さな森しかな いのです。その森が、枯れ始めているのです。どのように枯れているかというと、日本の松枯れ、松食い虫とよく似た病気になっております。それを救済するた めに、私はレバノンに行きました。それには、どういう機械と薬を持って行ったかといいますと、広島の私の友人の戎さんが松枯れの特効薬を発見しました。こ れは漢方薬なのですが、A剤とB剤という漢方薬を混ぜて、水に溶かし、根元に注入するのです。私が実験例を見たら、ほとんどの松が元気になった。レバノン 杉というのは、実は松の仲間なんですね。それで、これが効くんじゃないかと思ったのです。すると、戎さんは、「分かりました《と言って、当時はまだバブル の後半で景気がよかった頃ですから、三千万円分の薬品と機械を全部寄贈して下さったんです。私はそれを持って、戎さんも一緒に行って、やろうとしました。 そして、「三千万円の薬品・機械を持って来たから、これでやりたい《と現地の人に言ったら、現地の人は「そんな怪しげな薬を持ってきてレバノン杉の根っこ に注入されたら困る《と言うわけです。そして、ジョージ・トーミーという学術会議の会長が反対声明を出したのです。新聞に大きく載ってしまいました。「日 本人がいかがわしい薬を持ってきてレバノン杉に撒こうとしている《と。それまでは、日本の大使は、「日本とレバノンの友好のために、我々も全面的に協力し ます《と、このことに関して大変協力的でした。ところが、これが新聞に載った途端、「あの話は私たちにはまったく関係のないことにしてくれ《と、こう言っ てきたわけです。なかなか厳しい世界です。それで、私は、そのジョージ・トーミーさんと何回も交渉しました。最後に、あれは5回目でした。戎さんが、「こ れは漢方薬で害もないし、ネズミや犬が大好きで困る《とそう言ったんです。ネズミや犬も大好きな物だったら、人間にも大丈夫だろうということで、私は ジョージ・トーミーさんの目の前でA剤とB剤を混ぜまして、ばっと飲んだんです。これで、「人間でも大丈夫なのだから、レバノン杉に悪い影響を与えるはず がない《と言ったのです。やっと分かってくれました。それで60本だけ、小さな森にある600本のうち、60本だけやってくださいと言われて、枯れのひど いレバノンスギの根元に漢方薬を注入したんです。戎さんは「半年後にいい成果が出ます《と言うんです。それで半年後にレバノンに行こうと思いましたら、イ スラエルとレバノンの戦争が激化して行けなかったんです。だから一年後に行ったんです。私と戎さんは、「これで、もしレバノン杉が枯れていたら、もう帰れ ないかもしれないですよ、日本には帰れないかもしれない。それくらいの覚悟で行きましょう《と言って行ったんです。森の近くになって、私はぱっと見て、 「あ、成功した《と思いました。なぜかというと、いままでどす黒い緑だった葉っぱが、青々と淡い若葉に変わっていたからです。実がいっぱいなっていた。戎 さんは、15本目にやっと「成功しました《と、こう言って、二人で森の中で手を取り合って喜びました。それが、感動のシーンでした。

6.レバノンと富山 その類似点と相違点


僅かに残ったレバノンスギの森を救済
立山と地形が似ている

 これが私のやった、一つのいいことですけど、その番組を作りに富山テレビの人と一緒にレバノンに行きました。これはずっと山の稜線なんですが、この稜線 の延長上に立って撮っているわけですね。遠くに見えるのは地中海です。これを見た富山テレビの人が「あれ、これは立山とそっくりだ《と、こう言うんです。
 実は、この山の頂に立って、イエスが手を広げて山上の垂訓を行われたという伝説があるのです。この山上の垂訓の伝説を守るために、ここにマロン派の教会が建てられたんです。その教会の鎮守の森として、やっとこの小さな森だけが残ったんです。
 しかし、それにしても、地形のあり方というのは、立山とよく似ているんです。地中海が富山湾とすれば、ここに称吊の滝があって、弥陀ヶ原があってです ね、そして室堂がある。そしてこの室堂の背後に山の山頂があるという、全く良く似た所ですね。しかも、そこはレバノンの人々にとっては聖なる木、聖樹とし てのレバノンスギがある。同じように立山にも立山杉がある。レバノン杉も立山杉も聖地に生える、聖樹です。聖なる木です。
 ただ違うところは、我々は今でもここに豊かな立山杉やブナの森を残している。ところがここは、もう徹底的に森が破壊されてしまった。これが大きな違いで す。そして森が破壊されて、何が起こったか。先程の張さんのお話にあったように、実は森と海は深い関係がある。富山テレビの人は、地中海の海岸の白いもの を最初、貝だと思っていました。富山の人だと、当然、海に白いものが落ちていると、これは貝だと思う。ところが、違うんですよ。地中海の白いものは、貝で はありません。これは、全部石です。方解石という石です。ここには命のかけら一個ないんですから。海草ひとつ落ちていない。この海底には、泳いだって海草 が足に絡まるなんてことは全くありません。海底は砂だけです。8月の後半になって富山湾で泳げば、くらげに刺されますが、ここではくらげに刺されることも ないんです。くらげさえいないのですから。なぜいないか。それは背後の森を全部切ってしまったから、そして森の養分が流れなくなってしまったから、それで 地中海はこのような痩せ海になってしまったのです。

7.十五万年の歴史を刻む立山杉

日本三杉 屋久杉・立山杉・秋田杉
  立山杉は由緒正しい 日本最古の杉

 立山杉は、大変、由緒正しき杉です。日本三杉といいますと、屋久杉、立山杉、秋田杉ですね。しかし、立山杉は意外に有吊じゃないのです。屋久杉は有吊で すね。世界遺産にまでなって、ものすごく有吊です。ところが、私たちが花粉の化石というものを使って屋久杉の歴史を調べたところ、樹齢六千年という縄文杉 は、実際は二千五百年の樹齢しかありません。あそこは、約六千五百年から七千年前の間に鬼界カルデラ大噴火によって全島、アカホヤという火山灰に覆われた のです。それでほとんど絶滅しましたが、海岸のほうに小さく残っていたのでしょうね、それがまた復活して森を作っていったのです。ところがこの立山杉とい うのは、一度も絶滅の危機に瀕したことがないのです。十万年の歴史をきちんと持っているのです。
 それがよく分かるのは、私たちがやっている花粉分析というものからです。花粉の化石、これがスギの花粉です。これを見つけることによって、過去のスギの 歴史を調べることができる。これが立山杉のご先祖ですね。この研究で、私の弟子は、「サイエンス《という雑誌に論文を書いたんです。彼を筆頭に書いた論文 が載ってから、一ヶ月も経たないうちに、イギリスのニューカッスル大学から電話がかかってきて、「面接に来なさいと《言われた。往復の旅費も全部出すから 面接に来い《と。何だと思って行ってみると、「あなたをうちのパーマネントの専任講師として採用したい《と。「サイエンス《という論文に一個論文を書いた だけですよ。日本の水月湖とか三方湖とかの花粉分析の結果を書いたんです。そしたらもうイギリスの講師になっているんです。
 それぐらいに、今、我々の仕事というのは、注目されているんですけども、見てください、緑の部分がスギです。この幅が広いほどたくさん杉があるというわ けですね。いまから、例えば十一万年前から七万年前という時代。これはもう日本海側、越の国は全部杉林です。巨大な杉林があった。ところがこの杉林が、七 万年前から変動しながら減っていくんです。なぜ減っていくか。それは氷河時代という時代が始まったから。そうすると、日本海側の雪がなくなるんですね。海 面が低くなって、そして対馬暖流という暖流が、日本海に流入しなくなる。そうすると、雪が少なくなる。杉はだいたい年降水量2,000ミリ以上の所じゃな いと生えることができませんので、この氷河時代の一番寒い時代に、ほとんどなくなるんです。なくなるんだけれども、ひっそりと生きているんです。それが、 一万五千年ぐらい前から気候が温暖化しますと、また爆発的に拡大していくんです。そして今のこの発展へと、続いているわけですね。同じ杉でも、レバノン杉 は、人間によって、徹底的に破壊されるわけですが、この立山杉は、十五万年の間、時には厳しい氷河時代の寒冷気候をくぐりぬけて、現在にまで営々と生き続 けている。これはすさまじいことです。

8.三の霊数


神武東征とヤタガラス 3は和の象徴

 今日はお年寄りの方も結構いらっしゃいますので、先程の張さんの話でサイエンスの話は充分聞いていただきましたから、今日は三の霊数という話をします。 ちょっとオカルトがかっているんじゃないかと最近言われているんですけども。先程申しました日本三杉、「三《ですね。日本三吊山というのは知っています か?富士山、白山、立山。越の国に二つも日本三吊山があるんですよ。日本三景は?松島、宮島、天橋立ですね。それから、三種の神器というのもありますね。 これも「三《です。何で日本人は「三《にこだわるのか。なぜ「三《か。じつはこれが富山県のみなさまの起源と深く関係しているのです。たとえばこれもひと つ、サッカーで有吊になった八咫鴉(ヤタガラス)、これは日本のサッカーチームのシンボル、この足は何本?三本です。これが実は富山県のみなさまのルーツ と深い関係がある。


中国の少数民族:苗族

最近私どもは、長江文明という文明があるということを発見しました。それは黄河文明よりも古い。黄河文明というのは、パンを食べて肉を食べてミルクを飲 む、畑作牧畜の文明ですが、この長江文明は、お米を食べて魚を食べる、我々と同じ、稲作漁労民の文明です。その文明を担ったのは、実は三苗(サンビョウ) という人々だったということが解ってきました。


司馬遷の史記にはこう書いてあります。長江の中・下流域で三苗がたびたび反乱をして困る、それを追放したい、それで、この黄河文明の担い手である黄帝とか 炎帝は、この長江流域に住んでいた三苗という少数民族を蹴散らした、ということが、司馬遷の史記に書いてあります。この畑作牧畜型の現在の黄河文明を担っ た、その人々が北方からやって来て、三苗という民族を蹴散らして、一方が雲南省や、あるいは貴州省、あるいは台湾に逃げていった。その中の一方が、長江の 下流域にいた人々。この人々が北方からの侵入に追われて、東シナ海を渡って、そして日本にやってきたんです。なんで富山を「越《というか、これは私の持論 ですが、これは長江の下流域に呉・越という国がありますね、百越ともいう。百越と三苗は同じです。「三《には「多い《という意味もあるんです。百越と三 苗、これがやって来る。そして、たとえば出雲大社に着きます。出雲大社からこんな大きな柱が見つかったでしょう?巨木の柱が見つかった。それは三本の柱を わっかにくるんでいるんです。なぜ三が重要か。「一《、これは独裁です。「二《、これは対立ですね。けんかする。しかし、「三《というのは和に繋がるわけ ですよ。三人いれば、和になる。だから今日のシンポジウムも三人なわけなんです。

9.越の国のルーツ


稲作漁労民は太陽・鳥・蛇

 それで、この三苗が崇拝したのが、太陽と鳥、そして蛇なんです。彼らは、こういう世界観を持っていた。太陽が朝、昇ります。そして夕方、西へ沈みます。 二羽の鳥が太陽を運んでいる、こう考えたんです。ここでは鳥がもっとも大事なんです。太陽を運ぶ鳥。稲作をやるためには太陽の運行が重要でしょう?その太 陽の運行を支配しているものは何か、それは鳥です。鳥を神様として崇拝したんです。そういう鳥や太陽を崇拝した三苗の人々が生き残っているのが、たとえば 今の雲南省や貴州省にいる少数民族の苗(ミャオ)族ですね。


苗族の村の棚田

 川勝先生と私とが雲南省へ行って、川勝先生はびっくりされました。雲南省に行ったらね、どこもかしこも森がないんですよ。禿山なんです。そこには誰が住 んでいるか、ちょっと張さんには悪いけれども、漢民族が住んでいるんです。ところが少数民族が住んでいる所では、こんな風に美しい水田とそして森を守って いるんです。彼らはこういう風に美しい水田を作って、森を残しているんです。



苗族の村の蘆笙柱の上に止まる鳥

 そして彼らが大事にしているのは、鳥です。集落の真中に必ず、蘆笙柱(ロショウバシラ)という柱を立てなくてはならない、その上に太陽の昇る方向を向いて鳥がとまっているんです。その鳥を崇拝する。その三苗。この雲南省の、王 国から出土した青銅器には、こういう絵が描いてある(前掲図「羽人の逃亡《の下部の図)。舟を漕いでいる、その頭に何をかぶっていますか。鳥の羽の飾り、 インディアンと同じでしょ?鳥の羽飾りをつけた帽子をかぶっているんです。それと同じものが、まあ、稚拙ですが、鳥取県の淀江町から、弥生時代の土器に描 いてありまして、舟を漕いでいる人が、やはり、鳥の羽飾りをつけているんです。そういう人々が、越の国から越に、越中の国にやってきたんです。鳥を神様と して崇拝する人々がやってきた。だから、雷鳥が残ったんですよ。


10.雷鳥を守る

 雷鳥は氷河時代の生き残りですが、富山県民の聖山、立山に生き残っている。かつては広く日本の山岳地帯に生息していたのですが、アルプス以外の所は、み んな死んだんです。氷河時代の生き残りですから、他の所にもいてもいいんです。にもかかわらず、越の国では、聖なる立山に生き残っている。雷鳥は、この越 の国の祖先が、はるか遠く長江からやって来たんだということ、そして鳥を大事にする、鳥を崇拝するという、そういう世界観を持っているんだということを 語っているんです。鳥を崇拝する心が雷鳥を守ったのです。

富山県でもっとも弱い立場にいるものは雷鳥
平成8年334羽
平成13年167羽
平成15年には若干再増加している。
オコジョ・カラス・人間による環境汚染
毎年100万人以上が登山
入山料を徴収すべき

 しかし、今日、この富山県で一番弱い立場にあるものは雷鳥です。私は昨日、一昨日と立山に行ってきました。立山の山頂に年間100万人以上の人々が行き ますね。そして雷鳥を見ている。雷鳥は現在、あの立山の室堂周辺に何羽いると思いますか。既に統計が出ています。平成8年には、あの室堂一帯に334羽い たのです。平成13年には、167羽に減っているのです。そして現在では150羽を切っているのではないか。130万もの人間があの山の上に行って、観光 して雷鳥を捜している。その雷鳥は何羽いるか。あの周辺にはたった150羽しかいない(平成15年にはそれよりやや増加している)のです。その雷鳥こそ が、実は、皆さまの、富山県民の心のシンボルなのです。立山というのは江戸時代の後半から、極楽と地獄の、まさに浄土へのあこがれ、山中他界観、山の中に 極楽浄土があるという、その信仰のメッカになったわけですが、その江戸時代の人々の目は、極楽浄土に向いていた。しかし今我々がその立山で見つめなければ ならないのは、雷鳥なのです。それがいま激減している。これを守らなきゃいけない。雷鳥こそ富山県の人々のルーツを物語るものだからです。
 なぜ激減しているか。その原因はいろいろある。たとえば、オコジョという、かわいらしい肉食の動物がいます。これによって、食い荒らされています。最近 の大きな問題は、人間がごみを捨てる。そのごみにカラスがやって来るらしいですよ。あの二千三百~四百メートルの高い所に、カラスがやって来て、そのカラ スがこの雛を襲う。何よりも、平成8年には百三十万人、平成13年には百万人に達するという、その莫大な人間の汚染、これが、雷鳥を死へと追い込んでい く。いまや雷鳥は、少なくとも立山においては、今のトキと同じです。雷鳥はもう、未来のトキです。なぜ雷鳥が守られたか。それはみなさまのルーツが、鳥を 崇拝し太陽を崇拝する、あの遠い越の国からやってきたからです。だから、雷鳥が守られているんです。雷鳥が絶滅するということは、富山県民のルーツが消え 自然と鳥を崇拝する富山の人々の慈悲の心が崩壊することを意味するのです。
 私はこう思う。あんな立山のような素晴らしい所に、タダで入ってはいけません。入山料を取るべきです。だいたい、カナダでもそうですよ。バンフというよ うな国立公園は入るときに必ず入山料を取るんです。日本だけですよ、国立公園にタダで入っているのは。入園料を取って、そして自然保護に邁進していきたい と、こう思うわけです。