大学等連携事業

早稲田大学オープンカレッジ秋期講座 「日本海に想う心の風景」


2004年度 早稲田大学オープンカレッジ秋期講座
日本海学推進機構連携講座
2004年10月1日
早稲田大学

講師 作家
        木崎 さと子先生

1.はじめに

 「日本海学」には「学」という字がつきますが、どのような学問なのでしょうか。ある体系がつけられて初めて「何々学」と呼ばれるのがふつうですが、最近は、今までの縦割りの学問の垣根をお互いに超えて、学際的に問題を提供し合っていかないと、現代の新しい問題に対応できないという考え方も盛んです。いずれにしても、それぞれの分野のかたが現実に根拠をおいて系統だてて勉強なさるのが学問でしょうが、文学は、自分が生きてきた結果できた世界観、人生観をもとに、心の動きを中心に作っていくものだと思います。「日本海学」を保育園や幼稚園に通う幼い子供たちにも通じるかたちで紹介する絵本を、という依頼を受けて、『うみをわたったこぶた』というおはなしを書いたのも、日本海が私の人生の基本となった海だからです。黒井健さんの柔らかなタッチと色合いの素敵な絵で絵本になったのは、大きなしあわせで、主人公のこぶたも喜んでいるでしょう。

 親に死なれてしまった孤独なこぶたが、海を渡ってまた次の岸にいくのですが、反対の岸にも、自分を仲間に入れてくれるこどもたちがいた、海も陸も、お母さんのおなかのなか、という絵本です。

2.戦争のなかの子供たち

 私は1939年の末に旧満州、今の中国東北部の長春(チャンチュン)に生まれ、6歳のときに日本に引き揚げてきました。四つのときに向こうで母を亡くしているのですが、幼い子供にとって、母親に死なれるのは大事件です。それまで身近にいた手伝いのひととも別れて、幼いなりに孤独感がつよかったところに、敗戦後の旧満州に旧ソ連の軍隊が入ってきたり、長春が毛沢東と蒋介石の内戦の場にもなったことから、非常な恐怖感を抱くようになりました。夜眠っていても、突然ソ連の兵隊が土足で家に入ってきて、何でも手当たり次第に持っていってしまうという光景を見たり、その後には住んでいた辺りが中国内戦の市街戦場となって、ビュンビュンと銃弾が飛び交い家の窓枠に当たったり、庭に薬莢が落ちていたりもしました。銃声がするたびに、慌てて物陰に入るというような体験の中で、世の中とはこんな怖いものなのかと、孤独感や危機感が募っていったのは当然でしょう。

 そんなとき、私は小さな窓から外を見たものです。長春の冬は零下30度ぐらいまで下がって大きく窓を開けられないため、明かり取りの大きな窓の中にもう一つ換気用の小さな窓がつけられていました。その窓を開けて外を見ると、何にもないだだっ広い処に地平線が見え、そこをこぶたが一匹だけでトコトコと歩いているのが見えました。満州のぶたは黒い色をしているのですが、そのとき私は「ああ、あれが自分なんだ」という気持ちを抱いたのです。

 そのこぶたの気持ちで、絵本のおはなしを書いたのですが、現在もそのような孤独感や危機感を抱いている子供は世界にいっぱいいると思います。それは海ではなく砂漠かもしれませんが、何か超えがたい遠いものを超えて向こうへ行く。その彼方に何があるか全然分からない、ぜんぶ敵かもしれない。でも、本当に自分を仲間として受けとめてくれて、一緒に遊べるお友達がいるかもしれない。願わくは温かく迎えてくれるものがあってほしい・・・平和な世界であってほしいという気持ちは、誰にでもあるものですが、子供時代に戦争を体験した者にとっては痛切です。何もできない力のない人間であることを自覚しつつ、今の世界を見ていても痛切にそう思います。どこの国の戦争であっても、両側の子供たちが苦しむ結果になることも、私たちの世代は痛感しています。日本人の子供だけではなく、当時は「敵」だった国の子供たちももちろん非常に苦しんだのです。

 敗戦後、富山に住むようになってから、富山県と新潟県の境にある親不知子不知という処を私はよく心に思い描いたものです。日本海の荒波をかぶって旅する親子の手が離れてしまった、という言い伝えをもつ地名です。戦争のときに旧満州で親の手から離されてしまった子供たちがたくさんいますが、そのほとんどは年齢的に私と重なります。いわゆる「残留孤児」と呼ばれる方々は、最も若い方で私の年齢ぐらいのことが多い。当時五、六歳だった私より下の年齢の人が非常に少ないのは、それより小さいと体力がなくて耐えられず、亡くなってしまったからです。逃避行のなかで泣くと部隊全体が発見されてしまうという理由で殺されてしまった、という例まであります。弱いものから犠牲になってしまうのです。

3.「さかさ地図」に思う

 地図は北が上になっているのがふつうですが、南北を逆にして見てみよう、と「日本海学」では「さかさ地図」を掲げています。そのようにして見ると、本当に日本海は湖のようなものだと実感できるんですね。

 日本海は、古くは中国や朝鮮半島の文化を日本に運んできた海です。また、鉄道ができるまで、水路は重要な道だったわけで、日本国内でも日本海は交通路としてさかんに利用されてきました。しかし戦後、冷戦構造で、ソ連邦が「鉄のカーテン」を引き、中国が「竹のカーテン」を引いて、また日本はアメリカの方向ばかり見てきたこともあって、日本海の向こうには何にもないかのような、視野外というような教育が半世紀ぐらい続いてきました。そのころの日本の表玄関は太平洋側で、日本海側を裏日本とさえ呼んでいたものですが、歴史的に見れば間違いなく日本海側が表玄関だったわけです。歴史的、文化的、かつ自然上も、日本海が豊穰の海であることについての、具体的な根拠は、これからこの講座で各方面の専門家がお話をなさるわけですが、日本海学が学際的な交流の場として成立するだけではなく、価値観の創出と提言、新しい価値観を探る一つの方法であろうと思います。

 私は20代と30代のほとんどの期間をフランスで暮らしてきました。いずれ日本に帰るという予定はなく、生涯をフランスで過ごすと思っていましたし、当時は作家になるとも思っていませんでした。格別のものは何ももたない一介の若い日本女性として接したフランスの生活や文化から、ヨーロッパ文明の巨大さを感じ、私の心のおおもとにある"満州の黒いこぶた"にいっそうの自己喪失感をもたらしました。自分はどのような位置にあるのかを考えざるをえなかったわけです。

 ヨーロッパ文明は巨大なものですし、ヨーロッパ人は文化的な世界の中心はヨーロッパだと思っています。私が行ったのは1960年代の初めですから、現在よりもいっそうそうでした。しかし今、イラクの問題、北朝鮮の問題、9・11のような大事件もあって、価値観の混乱が非常に大きくなっています。このようなときに、「日本海学」から生まれてくる価値観が、世界に向かって発信できるものになり得るのではないか。日本海学とは、自分の人生を歴史的に位置づけ、どういう価値観の中にいるのかを問う上で非常に意義がある分野だと思っております。

4.一つの哲学として

 イラクには皆さんもご存じのウルという場所があります。そこは、ある文化の中では、人類発祥の地とでもいうような土地です。昔、「出発しなさい。ずっと歩いていけば、そのゆくてに、乳と蜜の満ちる土地を与える」という神の言葉に従い、ウルの町を遊牧民の長が一族を連れて出発した。その息子のアブラハムの話がユダヤ教やキリスト教の聖典である『旧約聖書』に歴史的な部分としてあり、イスラエルと呼ばれるようになった後裔の一族はパレスチナに辿り着くものの、その土地に築いた王国が分裂したり滅びたりして、離散したユダヤ人が再びここに国をもったのが第二次世界大戦の後であることはご承知の通りです。パレスチナ問題の根は深いわけです。

 これに対して、イエスは、神はイスラエルの人だけに救済を約束したわけではない、この世のすべての人間が救済されるのだと主張しました。これが新約であり、そのことが記されているのが『新約聖書』です。イスラム教もユダヤ教やキリスト教と根が同じであるため、エルサレムの支配権が争いの種になってきました。したがって、一神教の排他的な性格が戦争を引き起こすのだという説が、最近よく行われます。

 このような唯一神の信仰を持たない日本やアジア諸国では、昔から、樹木にも神様が宿っていらっしゃる、海や山、台所のかまどにも神様がいて、お互い助け合って世界がつくられているという考え方をとってきた。そういう自然宗教は、体系づけられた神学をもちませんから、原始的なアニミズムとして、かつてはコンプレックスを感じていた人もいたのですが、現在ではエコロジー的な立場からも、自然に対して謙虚な姿勢をとる素晴らしい宗教だ、というふうに評価が変わってきています。

 もともとユダヤ・キリスト教社会では、創造主である神がこの自然をつくったのだから、その自然は素晴らしい秩序を持っている、その秩序をよりよく知りたいというところから発して、自然科学という一大体系が作り上げられました。そこから様々な技術も生まれたわけです。今の日本で、河川がコンクリートで固められたり生態系が乱れたりしているのは、たしかに技術を乱用した結果でしょうし、その技術がおおもとでは西洋発生の科学によるものですが、しかし乱用した結果だけを見て、突然、むかしの自然宗教に戻ろう、というのも安易すぎる意見です。また、世界は日本のように自然に恵まれた所ばかりではありません。神様がすべての自然に宿って恵みをくれている、という単純な言い方はできない土地もたくさんあります。

 現代のように交通や通信が発達すると、どうしても恵まれた処に人が集中し、富の格差は大きくなる一方です。それだけ戦争の危険も大きくなります。ですから単純に一神教よりも多神教がいい、などということではなく、木にも水にも神様がいらっしゃる、あるいは神様の光を浴びている、というような畏敬の心を育てることが重要でしょう。

 自然宗教の場合、集落や家族といった小さな社会単位でお祭りをし、先祖を拝むことが多いのですが、日本人のことは日本人でないと分からないと言い出すと、最終的には自然宗教であっても外国人を排斥することになってしまいます。異なる宗教観を持つ人と理解し合うには、山や海、樹木などに日本人は畏敬の心を持っているのだという雰囲気や態度、生活習慣などが快く伝わる工夫をするしかないでしょう。

  話は変わりますが、最近アイルランドの西端に参りました。

 現在400万人というアイルランドの人口が減少した理由は、19世紀、ジャガイモ飢饉と呼ばれる大飢饉があったせいで、そのときにアメリカ大陸にたくさんの移民が行われました。私が訪れた地方も、本当に人口が希薄な所です。

 アイルランドの人たちはケルト文化の継承者ということになっていますが、ケルト文化では妖精や精霊があちこちにいて、現在でもそれらが出てきていろいろなことをする。例えば、突然馬が走りだしていなくなったというと、それは妖精が呼んだからだと言われるような国ですから、非常に文学的な雰囲気があり、少ない人口のなかからバーナード・ショー、ジェイムス・ジョイス、オスカー・ワイルドなど優れた文学者が何人も出ています。『ガリバー旅行記』のジョナサン・スウィフトもアイルランドの人です。アイルランドは島国で、たいそう入り組んだ海岸線があり、それがいろいろな幻想を生み出すのでしょう。海が育てる詩情です。岩にも波にもすべてに妖精がいるのでしょうが、このようなものはキリスト教の中にはありません。また、アイルランドの妖精は天使ほどよくないが悪魔よりはいいという中間的な存在らしく、人間に非常に似ているようです。その連中が人間にはできない不思議なことをするのですが、体制化されたキリスト教から見ると具合の悪い考え方で、そのために圧迫されてきたのです。

 この土地には5世紀くらいからキリスト教が入っていますが、ここで生まれたケルト十字架は、十字の中心を円が囲んでいます。人類の罪を引き受けたキリストの贖罪を表す十字架に、すべての生命のもととなっている太陽を重ねているのです。人間は神様と愛し合うためにつくられたのだから、一人一人がかぎりない価値を持っていて、誰もが同じように神に愛されている、と教えるのがキリスト教です。また人間はどれほど霊的なひとでも、肉体のもつ条件つまり食事をしなければならないし、着るもので体温を保たなければならないし、切られれば血が出て痛い、といったことを免れません。神が人間となった、というキリスト教の教義は、個人が人間である条件を大切にするヒューマニズムの基本ともいえます。ですからキリスト教の名において戦争をするなど、本当はあり得ないことなのです。一方、ケルト十字架の太陽は大自然のものです。地球上の暑い土地、寒い土地、季節もありますし、そんないろいろな条件を含めてヒューマニズムを貫いていこうという考え方が、ケルト十字架という形に表れているのではないでしょうか。

 それに当たるようなものが、日本海学のなかから見つけだせるのではないか。どのように日本海を理解するのかということは、生き方であり死に方に通じると思われます。自分の根拠になる事柄です。日本海側に住んでいる人に限らず、どこに住んでいようが、一つの哲学を打ち出す根拠になるもののように感じてます。日本人にとっての日本海だけではなく、世界の人たちと分かち合える「日本海」が必要でしょう。

5.新しい日本海学の誕生

 かつて「裏日本」と呼ばれたことへの抵抗もあってか、最近は、空気がいい、水がおいしい、お魚がおいしいと恵まれた環境を大いに宣伝していますが、ただよい環境を自慢するだけではなく、そこから新しい文化観、価値観が打ち出され得るのではないでしょうか。これだけ長寿の社会になり、生き方だけではなく、死に方についても考える時間がたっぷりとある時代になった今、日本海について考えることは格好のテーマであろうと思われます。一連の「日本海学」講座も、そんな視点を底においてお聞きになれば、いっそう意味が深くなるのではないでしょうか。

 地中海は日本海に比べればはるかに広い海で、早くから交通が発達し、古代ローマ帝国を生み出してきましたし、キリスト教の伝播とも深く関わっているので、ブローデルの「地中海」など"地中海"という文化概念は一般的になっています。でも日本海は、戦争の海というイメージはあっても、国際的に通じる文化概念としてはあまり問われていないのではないでしょうか。中国大陸、朝鮮半島、ロシア沿岸州、日本の島々、といった土地の歴史や自然が教えてくれることは、たぶん、これからの人間の在り方に新しい指針となるような気がします。

 絵本『うみをわたったこぶた』でも、こぶたがどこの海からどこへ渡った、とは書きませんでした。地中海の場合、植民地の宗主国だった国が地図の上のほうにあって、下のほうにモロッコ、チュニジア、アルジェリアなどの植民地だった国が並んでいますが、これも地図をさかさまにしてみたときに、ちょっと違った発想が浮かびそうです。近代史のなかでの日本と朝鮮半島や中国東北部の問題を考えるときに、さかさ地図をみると、異なる展望が見えそうな気がするように。ですから、できればこの絵本をフランス語、イタリア語、アラブ語などにして、地中海を囲む子供たちにも見てもらえたら、と願っています。どこからどこの海を渡るにしても、それはお母さんのおなか、という安心感が得られるような世界なら、という想いのなかで。

 近代になってからの国境線は絶対のもののようですが、たとえば経済の面からもずいぶん事情は違ってきています。私のように若いときに長くフランスで住んだ人間には、フランスフランやドイツマルクがなくなるときが来るなど、想像もできませんでした。また、私の世代では、冷戦構造が壊れるときが来るとは想像するのも難しかった。このように新たなパラダイムが生まれようとしているとき、日本海も、湖というより水の庭のようにも思われます。お隣との国際関係や貿易、経済など、利害損得を含めて考えないといけないことはたくさんあるのでしょうが、一人一人の人間の気持ちの集積はやはり大きな結果を生むと思います。私たちの新たな価値観、視点、それが自分の人生の意味と本当に深くかかわって、自分が生きてきた時代、生きていること、そして死ぬこと、それとどうかかわっていくかを考える機会としての日本海学を、私は私なりに考えて行きたいと思っています。

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