大学等連携事業

富山県立大学秋季公開講座 「環日本海地域の共生」


2004年度 富山県立大学秋季公開講座
2004年10月16日
富山県立大学

講師 日本海学推進機構上席研究員
浜松 誠二

1.私の日本海学

 日本海学とは、いわゆる「地域学」の一つだと思うが、この「地域学」とは、その地域に生まれ育った者が、我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのかを問う知的営みであると思う。しかし、かりにこうした広がりがあるとしても、常にそのすべてを視野に入れていることが要請されるわけでもなく、各自の考えに基づく日本海学があるのだろうとも考えている。

 現在、学問を取り巻く環境が混迷する中で、これを整理し、とらえるための枠組みがマイケル・ギボンズ等によって提起されている。彼によれば、従来あった知的好奇心に動機づけられた(curiosity driven)科学的営みをモード1の科学と規定して、現実的に問題解決を指向した(problem oriented)科学の営みをモード2の科学と規定している。「地域学」の営みをこの知のモード論に沿って整理すると、(ア)アイデンティティの確認、(イ)特定課題への解決対応、(ウ)総合的理解への努力、(エ)共生への包括的展望に分けて考えることができる。また、研究者は知的営みそのものの有用性を主張するため、問題解決型で総合的な活動をひょうぼうすることも多いと思うが、それぞれの区分に優劣があるわけではなく、各自の好奇心の方向についても賛否を議論する必要はない。つまり、「地域学」と称して、多様な活動がなされてさしつかえないわけである。

 大切なことは、このような枠組みの下で、それぞれ自らの知的営みの由来を自覚しておくことで、個々人の知的営みと現実的課題への対応とは別の問題である。したがって、モード1の科学のように、興味本位、好奇心に基づく行動も当然ありえるが、好奇心の結果を他者に伝え、関心を抱かせることができなければ、その存在は支持されないだろう。これは、モード1の科学であってもアカウンタビリティーが求められるということで、大学等に籍を置き、身分が保障されたもとで独自に進めることが、社会的には次第に許容されなくなってきている。一方、地域社会にとって積極的意義があることを問うのであれば、研究を踏まえて問題解決への現実的対応がなされることが前提となる。また、こうした効果があってこそ、知的活動の存在が地域で支持されるのだと思う。地域の総合的理解と課題の総合的解決を念頭に置いた地域学を目指す場合には、独自の模索を続けるしかないが、この場合、幅広い学問的教養を基礎として、特定の地域について考え続けることこそが必要なのだろう。

 私自身としては、「地域学」に関する知的営みの広がりの中で、総合的な問題解決を指向する「共生への包括的展望」にこだわりたいと考えている。もちろんこの営みが独立して行われるわけでなく、多くの個別的活動を背景として成り立つことは承知している。ただここでは、環日本海地域の地理的範囲が多少厄介な課題になる。日本海に面する地域に厳密にこだわると中国が入らない。今日の経済社会情勢からいえば、日本海に軸足を置きつつも、広く中国、さらに場合によっては東南アジア諸国も含めて考えたほうが将来に向かって意義深いものになると考えるので、私の日本海学は、日本、韓国、中国を中心として考えていくこととした。

2.東アジア共生へのシナリオ

(1)市場原理による共生

 各国の市場メカニズムにのっとった経済活動は、結果として共生を図っている活動だと考えられる。従来の地域での経済発展は、各国の発展段階により労働集約的業種から技術集約的業種までを垂直に分担したものであり、日本を先頭とした雁行型の発展は、既存技術の活用による開発ステップの圧縮による急速な成長をもたらした。また、日本を含む世界の先進国では、これに伴った急速な労働集約的製品の輸入増加により、国内の業種の調整が進められ、各企業は発展途上国への直接投資、企業進出を図ってきた。

 しかし1990年代を通じて、各国の経済の発展段階の進捗とともに、加工組立型産業等も成長し、貿易構造における垂直分業的パターンは次第に崩れ、20世紀末には先進国からの資本財の輸出も急増している。ゆえに、東・東南アジア地域の雁行型発展もおおむね20世紀中に終焉し、21世紀に入ってからは個々の企業の利益追求行動において、新たな貿易構造が実現してきているとの解釈もある。

 ちなみに、一連の生産工程の収益力については、開発・企画の段階およびアフターケア等を含む営業・販売の段階で収益力が高く、生産工程の両端が持ち上がったスマイルカーブを描くとされる。したがって、情報技術の進展等により各生産工程の立地を分割すること(モジュール化)が容易となり、それぞれの過程の最適立地が図られるのである。具体的には、収益力のあるスマイルカーブの両端を先進国で担い、製造を主体とする部分を発展途上国にゆだねるとされていた。しかし現状では、東アジアの発展途上国の就業者の高学歴化が急速に進んでおり、特に中国の高等教育機関の在学者数自体はすでに日本を大きく上回っている。したがって、早晩、産業のこれまでのような相互分担の構造も解消され、事業内容の競合が一層厳しくなっていくだろう。このため、今後、各国、各企業は、WTOの枠組みの下でそれぞれの得意な産業分野(ニッチ)を形成し、遠隔地の競合者には模倣できない地域なりの競争優位の条件を整備し、産業クラスターを形成していくことが求められている。

(2)各国の危機管理による共生

 経済活動における共生は、各国がそれぞれの存続について必要な危機管理を放棄していいということにはならない。例えば、エネルギー資源や食糧資源の確保は、人々の生存にとっても、経済活動にとっても重要で、危機管理が確実になされている必要がある。

 現在、世界の穀物生産は、中国、アメリカおよびインドで全生産量のほぼ半分を占めている。このうち中国は、長期間にわたり膨大な人口に対する不足分を輸入に依存してきたが、1990年代末にほぼ自給を達成し、輸入量を大きく減らしている。また、かつてはソ連の穀物輸入量も大きかったが、国の分割による数値の減少、経済力の低下で、輸入量は目立たないものとなっている。こうした中、現時点では、日本、韓国およびメキシコが世界の穀物輸入国として際立っているのだが、日本の食糧については、戦後のMSA協定以来、アメリカの余剰農産物に依存してきた。さらに、自由貿易体制の中で、牛肉、果実等の輸入自由化を順次図ってきており、現在では、コメの最小限輸入(ミニマムアクセス)から関税化へと移行する段階に至っている。また、韓国の食糧自給率も日本と類似した経過をたどっているが、人口規模の大きな国の中で、食糧自給率が日本ほど低い国はほかにない。

 ちなみに中国については、人口規模が大きく、若干の自給率の低下でも、不足の絶対量は膨大なものとなることに留意しておく必要がある。中国の最近の穀物生産については、生産量が停滞から減少気味に推移しているが、これは土地生産性の伸びが限界に来ているとともに、華北等では水不足が表面化し、華南では耕地の減少や年々の洪水被害などが大きくなっているためである。このため、再び食糧輸入大国に転じる可能性もあると考えられ、同時に所得水準の上昇とともに牛肉消費等が増え、飼料作物の需要が急増することも見込まれる。

 世界の穀物市場では、アメリカが全輸出量の3分の1程度を占めている。アメリカにおける年々の穀物生産量は極めて変動が大きいが、在庫の調整により供給総量は比較的安定している。しかし、国内での利用量が次第に増加しており、輸出は漸減傾向にあるようにも見受けられる。また現在、WTO交渉の新ラウンドで、少なくとも45%の関税率削減が主張されてもいる。このまま推移した場合、現行の490%から270%へと移ることとなるが、この水準ではコメの輸入価格が日本国内の生産者の生産経費におおむね見合うものとなり、国内での生産は極めて困難となろう。

 FAOでは「世界の食糧需給は長期的には均衡して推移していく」としているが、世界の食糧生産の不安定性に対しては各国なりの危機管理が必要であり、国内各地域においても食糧確保の安全保障について主体的にとらえ、地域の在り方を描いていくことが急務となる。富山では農地の保全を省みず都市的用途への転用を年々続けており、一方では農業を積極的に営む世帯も極めて少なくなっているが、食糧確保の安全保障についてどのような姿勢を執ろうとしているのだろうか。担い手が不在であれば、公的に対応することが必要かとも思われる。

 さらに、エネルギー資源の確保も各国の課題である。特に東アジア地域では中国のエネルギー需要が拡大し、石油等の輸入の拡大が見込まれているので、やがて日本の輸入と競合することを視野に入れて必要な対処を図っておくべきである。現在、日本のエネルギー消費量は横ばいから微減で推移している。これは、石油については漸減傾向が見られるが、石炭は次第に増加しており、原子力は横ばいで、2003年には落ち込んでいるということだ。また、今後の日本のエネルギー消費量については、経済成長率やエネルギー消費増加弾性値とともに、人口減少等との関連も検討する必要がある。さらに、地球温暖化のもとで、消費の抑制がどの程度なされるかを勘案しなければならない。

 しかし、かりに現在のような状況が続くとしても、日本の安定した輸入が将来的に保障されているわけではない。OPECの動向に、中国の輸入拡大が重なり、価格が上昇し量的確保が難しくなる可能性がある。中国のエネルギー消費量の最近の大きな変動は、石炭消費の変動に由来しており、国内の石炭生産現場での安全管理の確立を図ろうとした結果、統計数値が減らされたという見方もあるようだ。しかし、今後の経済成長率を7~8%とし、エネルギー消費増加弾性値を0.5とすれば、エネルギー消費増加率は年当たり3~4%となる。しかも中国では、石炭を除いて国内でのエネルギー供給余力はない。かりにエネルギー消費の石炭と石油の配分が現在と同程度とすれば、石油消費量は年率3~4%で伸び、石油の輸入量もこれに伴って急速に拡大していくことが見込まれる。実際、2004年の原油輸入量は上半期の動向から見て、年間で1億tを超えると見られているが、2003年でもすでに世界各国の原油輸入量全体の5%を超えている。その輸入先の確保は容易ではなく、日本と競合する可能性を考えなければならない。一方で、エネルギーの消費の抑制を図っていくことも重要な課題として考えられる。

(3)国際的危機管理による共生

 このような市場メカニズムや危機管理を通じた共生は、各国家の功利的行動によっておのずと対処されていくと考えられるが、国境を超えた環境問題や種の保存などの課題は、各主権国家の自発的行動にゆだねるだけでは解決できない。東アジアの国際環境問題としては海洋汚染の課題が話題となっているが、ここでは地球温暖化について検討してみたい。

 

 周知のとおり、中国やインドの経済成長は地球温暖化の中で重要な意味を持っている。東アジア各地でも温暖化の趨勢が認められるようだが、地球全体の温暖化と東アジアの諸都市の気温上昇の因果関係が明確になっているわけではないので、いわゆるヒートアイランド現象であるだけかもしれない。限られた地点の統計から地球全体の温暖化は判断できないのだ。しかし、現在、地球各地の年々の災害件数は増大しており、限界的な居住地と考えられる発展途上国での被災が特に大きいようである。具体的にはフィリピンやヴェトナム、バングラデシュ等で洪水災害が毎年繰り返して起こり、島嶼国では高波による耕地の塩化なども起こって、居住が困難にさえなっている。さらにアフガニスタンなどでは、積雪の減少、氷河の縮小などから地下水が涵養されず、干ばつに見舞われている。

 地球温暖化は人間の活動に伴う温暖化ガスの排出が原因とされるが、その主体は化石燃料の使用によって発生する炭酸ガスである。現在の炭素の排出量は、世界平均では、1.1t/人/年だが、アメリカ、カナダ、オーストラリア等の自動車を多用する国では5t/人/年を超えており、その他の先進国ではおおむね2t/人/年台となっている。これに対して、発展途上国では中国で0.6t/人/年、インドで0.25t/人/年程度だが、中国やインドも急速な経済発展を遂げつつあり、今後の炭素排出量が急増することは間違いない。このような排出の抑制に各国の自発的な行動を期待することは困難であるため、国際的な枠組みとして作られたのが京都議定書である。現在、ヨーロッパには炭素税の導入やその他の手段でこの枠組みを達成しつつある国もあるが、アメリカがこの議定書に異議を唱えていることは周知のとおりだ。また、日本では、かつてアメリカの異議に対して非難する世論が起こったが、遵守のための刻限が迫る中で議定書の再考を唱える声が高まっている。

 実は富山は自動車の所有台数が多い所で、炭素の総排出量も日本の平均より多くなっている。月100l(リットル)のガソリンを使っていると、年0.76tの炭素を排出することになるため、日本全体の炭素排出のうち運輸部門の比率は約2割にもなる。また、富山では住宅が広いため、世帯当たり消費電力量も大きくなっており、富山県民1人当たりの炭素排出量は全国平均を大きく上回っている。また、京都議定書の基準年である1990年の数値から見ても大きく増加しているのが現状である。

(4)人道的支援による共生

 以上の視点からの共生は、各国の功利的発想から行動を導き出すことがそれなりに可能なのだが、人道的支援と呼ばれる援助については、必ずしも功利的視点だけからは導き出せない側面がある。かつて冷戦構造の下では1949年のトルーマン大統領就任演説でPoint Four計画が提案され、ヨーロッパ諸国の復興を経た1961年には、OECDに開発委員会(DAC)が設置されて、日本も開発援助の急速な拡大を図ってきた。しかし、現在では冷戦構造の崩壊もあり、開発援助の動機は非常に弱くなり、功利的発想を背景に抱いて展開している国もある。

 一方、1日当たり使えるお金が1ドル以下の「絶対的貧困層」と呼ばれる人は現在世界全体で約15億人いるといわれ、年々増加している。バングラデシュ、インドを含む南アジア、サブサハラ(サハラ以南のアフリカ)、東アジアではモンゴル、北朝鮮(DPRK)が絶対的貧困層の多い地域とされているが、ジニ係数で見た中国やアメリカ国内の所得格差の増大も無視できない。また、日本や韓国は比較的格差の少ない国だが、次第に格差が拡大している。ちなみに、日本等の産業調整は中国等の成長の影響を受けて進んでいる側面があるが、これは当然起こるべき所得平準化の過程と考えられる。

 世界各国内の所得分布も勘案して、人類全体の所得の分布(ローレンツ曲線)を描き、ジニ係数を求めてみると、0.79と極めて大きな値となる。これは世界の1割の人が全体の9割の所得を占める(実際は約2割の人で9割を占めている)ことを示しており、しかも、アフリカをはじめとする世界の多くの国々で経済が停滞したままであることから、人類全体としての格差は拡大しつつあるといえよう。テロリズム発生の根源的な原因もこのあたりに潜んでいるとも考えられるが、このような課題は単なる資金的援助で解決するものではなく、各地域に必要な社会組織を段階的に形成していくことこそが重要である。

 富山はNPO活動など新しい市民活動には相当感度が低い地域となっているようだが、このような問題にさらに理解を深め、より活動しやすい環境を整備していく必要があると思っている。以上、私が考える「地域学」としての日本海学についてお話しした。

→2004年度富山県立大学秋季公開講座