大学等連携事業

2006年度 富山県大学連携協議会公開講座 「国境を越える:中露国境貿易と労働移民」


2006年度 富山県大学連携協議会公開講座
平成18年10月7日
富山県民会館701号室
第2回 2限目

講師  富山大学極東地域研究センター 助教授
堀江 典生氏

はじめに

 日本は海に囲まれた国です。そのため、陸上国境というのはなかなかイメージがわきません。日本海の対岸にある中国とロシアは、富山のみなさんにとってもなじみ深い国ですが、その両国の間には4300キロにわたる陸上国境があります。陸上国境を越えると、そこには全く異なる民族の人たちが住み、全く異なる法制度や習慣・文化をもつ土地が広がり、話す言葉でさえ異なります。国が作った境界線を越えるということは、そうした違いをも超えようとする試みでもあります。今日のお話しは、中露間の陸上国境を写真で眺めながら、ヒトとモノが陸上国境を越えるときに生じる様々な問題を考えていきたいと思います。

国境地点のヒトとモノの管理

 ヒトやモノが国境を越える場合、その国境地点で何が行われているのかを考えるには、まず身近なところで富山空港の例から考えてみましょう。空港というのは、事実上国境のような役割を果たしています。富山から上海や大連、韓国のソウルやロシアのウラジオストクにご旅行された経験のある方は、ご覧になったことと思います。富山空港の国際線ターミナルでも、外国の方々が日本に入国するときは、検疫・出入国管理(パスポートおよびビザ検査)・税関を通ることになります。パスポートに入国印章を押してもらえば、入国になります。これらは、どこの空港でも港でも、そして道路や鉄道を利用した陸上国境地点でも、特別な免除のない限り共通して持っている3つの関門です。新たに国境地点を設けるということになれば、これら3つの関門を用意しなくてはなりません。

対立から融和へ

 中露国境の場合、旧ソ連時代に両国は互いに反目し合う時代がありました。1956年からの中ソ対立によって、1965年から両国の国境貿易は事実停止しました。1969年には、中露国境に位置するダマンスキー島で軍事衝突が生じました。両国間に領土問題を抱え、政治的に対立をしていた中ソ間の緊張の雪解けは、1980年代になってからです。1983年にようやく国境貿易が再開され、ソ連のゴルバチョフ書記長の登場、そして同書記長のウラジオストク演説を契機に、中ソ間の経済交流も進展しました。1988年には中国からソ連の地域開発のための労働者派遣も再開され、中国人のロシア国境地域への観光も再開されました。私たち富山が環日本海経済圏の形成に夢を描いたのも、ゴルバチョフ書記長のロシア極東地域の開発に北東アジア諸国との関係正常化が不可欠であるとの意志表示を契機にしていました。

ヒトとモノの越境が与える諸問題

 

(写真) ウスリースクの中国人市場 

 両国国境地域の貿易再開と人の往来の再開は、ロシア極東地域にとっては複雑な問題をもたらしました。ソ連が崩壊し、国境貿易に関する中央集権的な管理が失われ、人の往来に関してもロシアは中国に対してビザなし渡航を認めるなど、ロシアは大きく国境管理を緩和し、自由化に向かいました。中国からは、安価で粗悪な中国製品がロシア市場を席巻し、それまで旧ソ連地域に依存していた食糧や基礎生活物資を、ロシア極東地域は中国に依存するようになりました。ただし、初期の中国製品の品質の悪さは、ロシア市民の反感を買うことになりました。同時に、ロシア極東は、急速な人口減少に見舞われました。出生率の低下と死亡率の増加、ロシア西方への移住などにより、ロシア極東は1990年代だけで100万人以上の人口減少を経験しました。もともと人口密度も小さく、100万人都市を持たないロシア極東地域ですから、そこに労働者や観光客を含む大量の中国人移民を目の当たりにし、ロシアのマスコミ、知識人、政治家は中国に対する市民の不安感を煽りました。

 

 ロシアは、1994年以降中国人の入国にはビザの携帯を義務づけ、中露国境地点に出入国管理所を設置するなど、入国管理強化を行いました。ただし、90年代は信頼できる中国人移民数に関する統計がなかったため、中国人移民および不法移民の数は誇張されがちで、中国脅威論が根強くささやかれました。ただし、喧伝される中国人の不法な入国という噂とは別に、90年代後半から中国人の入国はルールに則って行われるようになってきました。特に、2002年からロシアにもようやく厳格な出入国管理と外国人管理を行うことができる「外国人の法的地位に関する」連邦法が施行され、中国人の入国や外国人登録も厳しくなりました。いまだにロシア極東地域における中国人移民に関する市民の不安感には根強いものがあるとはいえ、進展する中露国境の経済的な結びつきを再評価し、中国との経済交流および中国からの労働力供給なしには、停滞し人口減少に苦しむロシア極東を維持できないとの認識も次第に深まってきました。

停滞するロシア極東と躍進する中国東北地方

 

(写真) 東寧税関から見たポルタフカ税関
(写真) ロシアとの国境にある綏芬河駅
(写真) 琿春税関
(写真) 東寧の貿易センター

 さて、実際に中露国境地域を見に行くと、中露国境両岸の経済の活気の違いに驚かされます。私は、昨年の夏に中露国境地点である綏芬河-グロデコヴォ、東寧-ポルタフカを見学し、綏芬河からロシア極東へと越境しました。今年も、綏芬河、東寧、琿春と三つの国境地点を見学してきました。そこで驚かされるのは、中国側の並々ならぬ国境貿易への熱意と投資意欲、そして逆にロシア側の無作為でした。綏芬河では、互市貿易区といって一定の関税免除などを施した国境貿易区が指定され、大規模な投資が行われていました。一年越しに同じ場所を見たのですが、私にもわかるほどの変化を見せています。逆に、ロシア側の施設はいまだ十分な投資が行われているとは言い難く、両者の投資の違いを見せつけています。東寧では、国家投資により巨大な貿易センターが建設され、昨年10月に開設されたもののロシア側との調整がつかず巨大な建築物だけが放置された状態になっていました。琿春でも、中国側の経済合作区や互市貿易区は着々と整備されているものの、ロシア側にはその気配はなく、琿春からロシアに向かう鉄道もストップしたままでした。中国の意欲に十分に答えられないロシア極東という構図が見えてきます。

 

 確かに中露貿易は、相互補完関係があるとは言えますが、それがロシア極東南部にとって都合の良い相互補完関係であるかは疑問です。ロシアからは木材やそのほか原材料など低付加価値商品を中国に輸出し、中国からは、ロシアの原材料を利用した加工品や軽工業品、食料品などの高付加価値商品の輸出をロシアに行っています。中国の国境に接するロシア極東南部地域にとっては、労働力も生活基礎財も中国に依存したうえで、ハバロフスク地方からは戦闘機など軍需製品の輸出は行われていますが、中国には木材以外に直接売るものがないし、原材料など以外に中国東北地方にとってロシア極東南部から買うものがないというのが実情です。ロシア極東地域は、ますます労働力と消費財を中国に依存する傾向が強まり、地域としての自律性を確保できない悪循環に陥っていると言えます。

その対照的な姿がもたらす将来の問題

 こうしたロシア極東の停滞と中国東北地方の躍進という対照的な姿は、将来的に様々な問題を生み出すことになります。ロシア極東の人口減少は、地域の消費市場の規模をますます小さくしていくことになります。同時に、ロシア極東の労働市場も縮小に向かいます。ロシア極東地域は、「空白地帯化」する可能性があります。これは、ロシアとの交易を発展の梃子にする中国東北地方にとっても好ましいことではありません。

 また、中国人移民の流入に敏感だったロシア極東地域ですが、そういったことを言っていられるのも今のうちかもしれません。中国の東北地方の経済発展によりますますロシア極東と中国東北部の経済格差は縮小していくでしょう。現在でも、中国東北地方の所得水準の向上により、わざわざロシアにまで出稼ぎをしようとする中国人が少なくなってきているとされています。さらに、韓国が2003年から未熟練外国人労働者の韓国での雇用を始めました。今では、ロシア以上に多くの中国人が韓国で働いています。日本も、高度な技能をもつ中国人だけでなく研修生として多くの未熟練労働者としての中国人が日本で働いています。日本もまたそうした外国人労働者を必要とし、将来的には門戸を広げる可能性があります。中国人労働者の無尽蔵な流入におびえてきたロシア極東も、韓国や日本と中国人労働者の争奪合戦をやるとなると、いままでのように無尽蔵に中国人労働者が流入してくるとは言っていられなくなります。

ヒトやモノを外国から受け入れるということ

 陸上国境によって二つの国が結ばれている国境地域を目の当たりにして感じるのは、いかにグローバルなヒトとモノの流れが盛んな現代にあっても、足下の二国間のヒトとモノの交流は大事であり、そこをおろそかにするとそもそもグローバルな世界なんて作れないということです。富山は、海を隔てて対岸地域と交流しています。対岸地域との交流を大切にすること、これはグローバルな世界で富山が生きていくときの基礎条件のようなもののように私には思えます。

 ただし、国境を通じてヒトやモノを外国から受け入れるということは、それなりの覚悟が必要でもあります。すでにお話ししたように、ロシア極東も中国との経済連携が不可欠である一方で、様々な問題を引き受けざるをえませんでした。ヒトとモノの流れをしっかり管理することは、とても重要なことです。そうした管理のもとにヒトやモノを受け入れていくことは、経済交流の拡大を意味します。ただし、時として、そうした国境を越えるヒトやモノは、自分たちの国や地域に計り知れない影響を与えることがあるということも覚えておく必要があります。そうした影響を良きにつけ悪しきにつけ、引き受ける覚悟が必要です。

 私たち日本人は多くの国々でビザを免除されていたり、自由な移動が保証されていたりするために、普段外国に行ってもなかなか気がつかないのは、国境を越える緊張感です。多くの国の人々が、自分が外国人であること、必ずしも自分たちが歓迎されない存在であることに気がつかされるのは、国境を越えるときです。受け入れ側にもそれなりの度量が必要です。偏見に惑わされず、受け入れたときには温かく迎える度量です。富山にもたくさんの外国の方々がやってきます。また、港には多くの外国からの輸入品が富山に入ってきます。国境を越えてやってきたヒトやモノから生み出される様々な問題を引き受けてこそ、私たちは対岸との交流ができることを忘れないでおきたいと思います。