大学等連携事業

2007年度 富山県大学連携協議会公開講座 「文化資源とまちづくり」


2007年度 富山県大学連携協議会公開講座
2007年9月8日(土)
13:30~14:50
ウイング・ウイング高岡 503号室第1回 1限目

講師 富山大学芸術文化学部 教授
伊藤 裕夫氏

1.文化マネジメントと文化資源

 文化マネジメントのキーワードは、「まちづくり」であり、「まちづくり」とはコミュニティーをつくることである。特に今日の社会においては、昔から住んでいた人だけで町ができているのではない。外国人、老若男女、障害者など、さまざまな価値観やライフスタイルを持った人との共存が必要になる。つまり、異文化・多文化が共生するコミュニティーをつくらなければいけないのだ。

 「文化資源(cultural resource)」という言葉が数年前から聞かれるようになった。culture(文化)という言葉はagriculture(農業)と非常に関連がある。cultureはもともとはラテン語で、「穀物や動物の手入れ」という意味があるそうだ。さまざまな植物や動物をはぐくむ大自然のプロセスに人間が手を加えることによって、よりよいものにしていくということがもともとの意味らしい。しかし、ヨーロッパにキリスト教が入ってくる中で、cultureの意味がより精神的なものに変化していき、「教養」に近い概念に変化していったと言われる。

 今日、cultureという言葉には大きく二つの意味がある。一つは、学問や芸術、宗教や道徳など、主として人間の精神的な活動によって生み出された成果、あるいはそのプロセスを指す狭義の「文化」である。もう一つ、広義の「文化」は、特定の人間集団(社会)を構成する人々によって習得・共有・伝達されている行動様式、生活様式、価値観などを指す。こういう考え方は、19~20世紀、ヨーロッパ人がアジア・アメリカ等の植民地に入っていく中で、島や地域によって言葉、住居、極端な場合はあいさつの仕方まで違うことに気が付いたことから生まれた。

 新しく生まれた「文化資源」という言葉については、国立民族学博物館の文化資源研究センターでは「さまざまな有形のモノや情報、身体化された知識・技法・ノウハウ、制度化された人的・組織的ネットワークや知的財産などであり、社会的運用に向けて開発可能な資源と見なされる」と定義している。また、20~30年前から経済学や社会学で使われている「文化資本」という言葉は、経済学では「経済的価値に加え、文化的価値を具体化し、蓄積し、供給する資産」と定義され、社会学の分野では教育や家庭環境、居住地域など特定の階層を構成する要因となっているものを指す。

2.文化資源の二つの視点

 こういったアプローチを基に、文化資源について二つの視点が成り立つと私は思っている。第1の視点が、人間が精神的活動から生み出した有形・無形の文化の活用で、これらは時間がたつにつれ伝統的な価値を持つようになったり、また今日それが新たにアーティストによって作られたりすると、経済的な価値を生み出す。こういった文化財あるいはさまざまな文化的な活動を、これから先の産業、まちづくり、社会づくりに活用し、展開していくというとらえ方で文化資源を考えていくというものである。

 もう一つは、そのような文化を生み出す土台になる社会全体の特徴、広義の文化、すなわち特定の人間集団(社会)がさまざまなものを伝承していく活力を支えていくような環境システムである。これも実は非常に重要な文化資源ではないだろうか。

 さらに、「文化マネジメント」の視点で見ていくと、狭義の文化に基づいた人間の精神活動の成果をさまざまな形で生かすことによって、地域を活性化し、人々の生活の質を向上させていくということも文化資源のマネジメントの一つのポイントである。同時に一方で、そういう文化を生み出してきたトータルとしての社会の仕組みを、もう一度きちんと再生していくことも必要である。

3.富山の文化資源

 このようなことから、富山の文化資源を以下のように分類してみた。

「歴史的・有形の文化資源」は、世界遺産にも指定されている五箇山の合掌造りの集落、国宝に指定されている瑞龍寺をはじめとして勝興寺などさまざまなお寺、神社、あるいは山町、金屋などの歴史的街並み、漆や木工、木彫といった伝統工芸などである。 「歴史的・無形の文化資源」は、山町の御車山のお祭り、八尾のおわら風の盆、1200以上残っている獅子舞、福岡町にある雅楽の伝承などである。

「現代的・有形の文化資源」は、県立近代美術館の常設展の作品、氷見と高岡で生まれたお二人が一緒になって作った藤子不二夫という漫画家、堀田善衛などの文学作家、竹内修をはじめとする美術家、富山市のガラス工芸、高岡のクラフトコンペなどである。

「現代的・無形な文化財」は、二十数年続いている利賀の演劇フェスティバル、5年前から始まった氷見の「ヒミング」というアートプロジェクト、昨年は「こしのくに音楽祭」、今年は「シモン・ゴールドベルク記念音楽祭」としてスタートする音楽祭などである。

 こういった文化財なり文化的な活動を文化資源という観点で見ていくために、二つ例を挙げてみたい。

 一つ目が、近世高岡の歴史的建造物である。

 瑞龍寺、勝興寺、古城公園、利長公の墓所、金屋町、山町筋が今、世界遺産の登録に向けて市民会議等々も作られたりしている。新聞報道等々では、世界遺産になることによって観光客が来て活性化につながるのではないかという議論がされているが、もう一つ、こういったものを生み出し継承してきたものは一体何だったのか、これらの建造物をつないでいる横糸・縦糸は何だったのかというあたりに少し着目してみたい。

 出発点には加賀藩の政策があった。加賀藩2代目藩主の前田利長公が富山に最初に造った城が火事で燃えたため、高岡の町に城を造り、ここを金沢と並ぶ第二の城下町として発展させようとした。しかし、関ヶ原の戦いの直後であった当時、太平の世の中をつくろうと江戸幕府も大名に対して厳しい統制をしていた。それで一国一城という形で、加賀藩に金沢城か高岡城かどちらかを選べという命令が出る。そんな中、利長公が造ろうとした高岡の城下町計画が5年間ほどで挫折してしまった。しかし計画当初は、加賀藩百二十万石の半分以上を生産する越中平野(砺波平野)の米の集積所を作る、あるいは生活用具を作る職人が必要だということで鋳物師たちを移住させて諸役免除の特権を与えるなどの政策が取られた。その後、高岡は金沢に搾取される町になっていくが、その中で商工業者たちが独自の文化を作り上げていった。例えば北前船による米の輸送のために伏木の海岸近辺が整備され、金屋の鋳物産業が江戸時代半ばごろから銅器に変わっていき、江戸時代後期には日本国内でかなり高いシェアを維持するようになった。また、伝統技術を支える商人が金融資本化していき、明治以降は銀行などを生み出していく。それが山町の旦那筋であろう。

 私がある方から聞いて非常に感動したのは、金屋町の職人の中で歌などさまざまな芸事が非常に盛んであるということだ。これは加賀の前田家が、職人が芸事を身に付けることによって、作られる製品がよりデザイン的なものになっていくということで誘導したということらしい。このような経済と文化のつながりの長い歴史が、伝統的街並みの中に今も生きているのではないか。逆に言うと、1970年代以降、その街並みが廃れていっている。これは社会変動の中で人々の意識が変わっていく、あるいはそういう文化と街並みのつながりが切れていく結果ではないかと考えている。

 二つ目は、文化資源として見た「ヒミング・2007」である。

 氷見の「ヒミング」には二つの流れがあるようだ。一つは、氷見の方たちが網元の小屋や倉庫などを活用して、「蔵再生プロジェクト」としてそこにアート空間を造ったり、何か新しい店を始めたりして地域を活性化できないかということで始まった。特に氷見の建築家がそのような発想を持って始めたと聞いている。全国的にも廃校になった小学校を使ってアートセンターを造ろうとか、それを福祉の場やNPO等々の市民活動の場に変えていこうという動きがあるし、古い民家を改装したものをアートの場にしていこうという動きなどもある。利賀の演劇フェスティバルも、利賀に残っていた合掌造りを劇場に変えて、その空間から新しい演劇を生み出していこうという意味で、そのはしりだったと言ってもいいかもしれない。

 もう一つの流れは、永芳閣の若旦那が東京芸大の出身で、同期生で今アート界で活躍している方たちに、氷見で1回何かやってほしいと声を掛けたところ、来られた先生が中村さんというメディアアートの先生で、ビデオを使ってプロと市民が心に残る氷見のイメージを作品化してみようと、5~10分ぐらいの短いビデオクリップ作品を作り、それを一挙に上映する催しを始めた。この二つが合体する形で今日の「ヒミング」という形になっていると私は聞いている。

 私もこういったアートプロジェクトにいろいろかかわっているのだが、5年目あたりが正念場で、それから先どのように発展していくのかは結構厳しい。最初の2~3年はみんなが自腹を切って一生懸命にやるので何とかできてしまうが、3~4年あたりから、やはり少しきちんとした安定的な財源が欲しいということになってくる。さまざまなネットワークを形成して準備の段階から進めていくようなものが必要ではないか。昔の日本の社会だと、「講」や「結」といった農村社会にあった人々の結び付きが、村の祭りなどさまざまなものを維持してきた。新しいアートプロジェクトも、かつての祭りがどのような仕組みで地域に残ってきたのかを分析しないと、今の日本社会の中で残りにくい。東京や大阪などの大都市だと、新聞社やテレビ局、かつて私が居たような広告代理店が金を集めて存続できるが、地方ではそんなことはあり得ない。地域に住んでいる人たち自身が何らかの形で自分たちの新しい祭りとしてそれを継承するシステムを模索し、作り上げていく必要があると思う。例えば大学がどういう形でそこにかかわるのかは多分大きな課題になってくるだろう。あるいは、市民たち、外来者としてのアーティストたちがどのような形のコラボレーションを作っていくのか。この辺が鍵ではないだろうか。

4.文化マネジメントの課題

 最後に、二つの事例を踏まえた上で、文化マネジメントの課題をまとめてみたい。

 かつて文化には非常に絶対的な「力」があると考えられてきた。人間の精神的活動の成果としての文化資源を観光や産業に活用していくという考え方の基礎にあるのは、文化とは偉大なものであって、人を引き付けたり、感動させたりすることができるという思いだ。芸術関連の人たちはいまだにそう考えているが、実際にはそんなことはあり得ない。文化自体がもう現代の社会では病んでいる。病んでいるからこそ廃れていくわけである。テレビに出る有名なタレントが来れば人がいっぱい来るが、アーティスティックな意味でレベルが高いものが必ずしも人を呼ぶわけではない。近代美術館になかなかお客が入らないという問題も、アートを支える環境としての文化環境が病んでいることから来ている。

 今日の社会の中で文化・芸術が置かれている環境は、ある面では、19~20世紀には共同体で支えた文化を、国や県、市が税金で応援するようになったことに由来する。これは一面、非常に素晴らしいことで、こういう制度化によって放っておけば滅んでいくようなものがきちんと維持されてきたということがあるかもしれない。しかし、税金で維持されていくものは、どこかで親方日の丸に依存していく傾向が生まれてきて、自分たち自身が持っている独自の再生システムを失っていく。

 一方で、制度化しないものは商業化される。そうなると人口の多い町に文化が全部集中していく。今、日本の文化産業やさまざまな芸術的活動の6~7割が首都圏に集中している。逆に言うと、首都圏で活動しない限りマーケットの中では文化は生き残りできない。また、生き残れてもマーケットを対象にしている限り、それはいきおい画一化し、均質化していく。そして、均質化されたものがマスコミを通じて全国に伝えられていくことにより、全国の文化の均質化・画一化が起きる。幸い日本の場合にはそういった波が極端に表れてくるのは1960年代以降だから、まだ50年しかたっていない。それはまずいという話が起こってきて、今さまざまなコミュニティー運動などが生まれてきているので、まだまだ何らかの対応策はあると思っている。そういう状況の中でもう一度、文化が持っていた社会性、つまり共同性、広義の意味での文化資源の要素、環境システムとしての文化資源をきちんと再生する努力をしていくことこそ、今、文化マネジメントに問われている最大の課題ではないだろうか。

 そのためには何が必要か。「静的文化」から「動的文化」へという言い方を私はしている。文化に対する見方が、どうしても日本人の場合、芸術系のものに関してはヨーロッパから輸入したこともあり、文化とはどこかにあるものだと感じている。あるいは歴史系・伝統系に関して言うと、かつて素晴らしいものがあったという形で、時間的な過去、空間的なかなたの方に本物があって、それを私たちは垣間見ているという考え方である。だからこそ、文化施設の人たちは、ヨーロッパから印象派や古典派の絵を持ってきたり、正倉院の蔵を開けたりして、そこの宝物を展示すればお客さんがいっぱい来ると考える。つまり、文化とはどこかにあって、それを展示すれば人々の感動が生まれてくるのだという考え方が今まで主流を占めていたと言っていいだろう。

 確かに歴史的なもの、海外においても素晴らしいものは普遍的な価値を持っているので、それによって多くの人たちが感動することは否定できない事実である。しかし、制度化、市場化の中で、人々はどんな素晴らしい絵を見ても、音楽を聴いても、日常の生活に戻った瞬間に忘れてしまって、テレビをつけたときにはもう流行歌を口ずさんでいる。従って、文化だけを提示する形を中心に考えていっては、地域の新しいつながりや継承するシステムは生まれてこない。  では、継承するシステムを作るにはどうしたらいいか。先ほどのヒミングのケースで言うと、まだ始まって5年である。学生たち、地域の建築家たち、アーティストなど、いろいろな人たちがかかわって、当然そこには波紋が起こってくる。時にはけんかになったり議論になったり、さまざまな形の矛盾が起こったりする。その中で、よりよい解決法について考えていこうという話し合いからルールが作られ、役割分担が生まれてくる。

 松岡正剛さんが、「これから先の文化や地域をつくるに当たって重要なものはツールとルールとロールだ」と言っておられる。ツールとは素材やテーマになるようなもので、ヒミングであればビデオアートや蔵などの空間、高岡の町であれば伝統的な街並みや古い建造物である。ルールというのは、昔なら長老会議などで話し合って、お祭りの場合であれば順番に、今年は何々家、次は隣町の何々家と担当を決めて、町で回したり、家で回したりした等の工夫である。また、ロール(役割)とは、どこかが中心になりながら、ある人はボランティアとして役務を提供したり、ほかの人は寄付や食べ物を作るという形で役割分担をしたりしていくことだ。このようなツール・ルール・ロールをきちんと作り上げていく努力こそ、「動的文化」という考え方である。このような文化観を軸に地域のさまざまな文化資源の活性化、活用の仕方を考えていくことを、文化マネジメントの課題として考えていきたい。

 では現在、文化はどういう形で必要になってくるだろうか。かつて芸術やさまざまな芸事をやっていた人たちは、ある面、封建的な社会の中から精神の自由を求めて絵画を描いたり、彫刻をしたりしていた。宗教も同様である。また、いろいろな人たちが作る作品には多くの違いがある。その違いが大きな刺激を受ける源になるのではないかと思っているが、そのような多様性やオリジナリティーを通して、今日、多文化や異文化が共生しなければいけないコミュニティーの中で、文化・芸術が果たしていく役割が当然あると考える。

 もう一つは、そういった人たちがつながっていき、共同で考えて、ルールやロールを担っていくような仕組み、つまり文化を共有・伝達、継承していくような意味でのコミュニティーの再生・形成をベースに、動的文化観を使ってマネジメントしていくことが必要ではないか。

 そういうことで、日本のよい伝統、文化システムを「日本海学」の中に象徴させたいと今思っているところだ。この富山の地で私自身もそれをやってみたいと思っているし、機会があれば皆さんも一緒にそういったプロジェクトにご協力いただければ幸いである。