えものは天からのさずかりもの

約3000年前ごろ、日本列島に大陸から稲作が伝えられ、多くの人たちが平地に定住するようになりました。この稲作の登場は、たくさんの人たちを飢(う)えから救いました。 狩の生活では必ずえものがとれるとは限らないため、その日ぐらしにならざるえませんでしたが、稲作では食料として保管することができたからです。
さらに稲作をする人たちは、自分で田畑の土地を管理し、生産量を増やすために努力しました。しかし、海や川で漁をする人たちには、海や川を自分の思い通りにコントロールできるという考え方はありませんでした。 えものはあくまでも“自然や神様からのさずかりもの”。むやみにとることは固く禁じられていたのです。
たとえば漁のやり方が進んで、一度にたくさんの魚をとってしまうとどうなるでしょう。魚がへって、しだいにとれなくなり、その地域の人びとは生活できなくなります。 そこで、魚を長くとりつづけるために、人びとはさまざまな知恵をはたらかせてきたのです。これは、環日本海の海や川でくらす人びとに共通した考え方でした。

海や川で魚をとりつづけるために、 どんな工夫がされてきたんだろう? 昔の漁のようすを見てみよう!

海や川の漁のくらし

海や川の漁のくらし

まず、海でも川でも漁をしない時期を決めて、生き物が成長する時期を待ちました。また、小さな獲物は海や川に返し、大きくなるまでとらないようにしました。こうした知恵は、現在でも海や川の広い範囲(はんい)の地域で見ることができます。